「中2男子、大麻所持」~日本社会に「ビジョン」必要~
2009年03月31日
「中2男子、大麻所持」~日本社会に「ビジョン」必要~
■中2男子、大麻所持で逮捕=男から渡されポケットに-広島(時事通信社 03月31日)
>大麻を所持したとして、広島県警広島中央署は30日、広島市中区の中学2年の男子生徒(14)を大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕した。
>また男子生徒に大麻を渡したとして、同法違反(譲り渡し)容疑で同市中区住吉町、大工長谷川誠容疑者(35)を逮捕した。
>男子生徒は、落ちていたバッグを持ち去ったとして、占有離脱物横領容疑で17日に逮捕され、取り調べの際、ジャンパーのポケットに乾燥大麻があるのを発見された。
>容疑を認めた上で、「無償でもらった」と話し、大麻と認識していたとの趣旨の供述をしているという。
大麻、最初は無償で、だんだんお金を要求していくのでしょうか。
麻薬・薬物汚染が進んでいる感じを受けます。
大学生に広がる、大麻栽培ブーム? 困ったものですが、学生はもっと違ったものに興味を持って欲しいですね。
国に目標が定かでない空気は、若者にもただ勉強しているだけの居場所化して、未来の目標を見つけられず、手持ち無沙汰で、薬物に手を出す。
安易といえば安易ですが、グローバル化の中で、多様なルートを使い、あるいは情報を提供して、資金集めをしている仲介者たちが増えているのではと心配します。
薬物依存の低年齢化は、社会問題化している証拠と思います。
徹底した取締りはもちろんですが、日本社会が若者たちに、目標を持てるような次世代の「ビジョン」を示す事も重要と考えます。
<関連日記>
(西郷隆盛)薩摩藩(井の中)のカエルから維新の英傑に
http://noguchi.otemo-yan.net/e173788.html
■中2男子、大麻所持で逮捕=男から渡されポケットに-広島(時事通信社 03月31日)
>大麻を所持したとして、広島県警広島中央署は30日、広島市中区の中学2年の男子生徒(14)を大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕した。
>また男子生徒に大麻を渡したとして、同法違反(譲り渡し)容疑で同市中区住吉町、大工長谷川誠容疑者(35)を逮捕した。
>男子生徒は、落ちていたバッグを持ち去ったとして、占有離脱物横領容疑で17日に逮捕され、取り調べの際、ジャンパーのポケットに乾燥大麻があるのを発見された。
>容疑を認めた上で、「無償でもらった」と話し、大麻と認識していたとの趣旨の供述をしているという。
大麻、最初は無償で、だんだんお金を要求していくのでしょうか。
麻薬・薬物汚染が進んでいる感じを受けます。
大学生に広がる、大麻栽培ブーム? 困ったものですが、学生はもっと違ったものに興味を持って欲しいですね。
国に目標が定かでない空気は、若者にもただ勉強しているだけの居場所化して、未来の目標を見つけられず、手持ち無沙汰で、薬物に手を出す。
安易といえば安易ですが、グローバル化の中で、多様なルートを使い、あるいは情報を提供して、資金集めをしている仲介者たちが増えているのではと心配します。
薬物依存の低年齢化は、社会問題化している証拠と思います。
徹底した取締りはもちろんですが、日本社会が若者たちに、目標を持てるような次世代の「ビジョン」を示す事も重要と考えます。
<関連日記>
(西郷隆盛)薩摩藩(井の中)のカエルから維新の英傑に
http://noguchi.otemo-yan.net/e173788.html
(総選挙大義)2本の情報パイプ「ホーソン・リサーチの教訓」
2009年03月31日
(総選挙の大義)2本の情報パイプ「ホーソン・リサーチの教訓」
今朝日記の島津斉彬公の薩摩改革の切り札「藩主への手紙」は、低迷していた藩政改革の中で、「慣習」に刺激を与える目的がありました。特に中間管理職の目標を持てないことで怠惰・腐敗、上下の情報伝達の詰りの解消を目的に行われました。誤算(得たもの)は、西郷吉之助という掘り出し物でしょうか。
*(西郷隆盛)薩摩藩(井の中)のカエルから維新の英傑に
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1123048741&owner_id=2182841
■支持率上昇「政策優先が理解された」=官房長官
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=792960&media_id=4
>「首相にふさわしい政治家」を問う質問で麻生太郎首相が小沢一郎民主党代表を上回ったことについては「首相自身も『ペケ』より『マル』の方がいいわけだから、大いなる激励と受け止めているのでないか」と語った。
これが日本の報道官(幹部長官)の意識レベルなのか・・・
国家リーダーの言動の補佐をもっと自覚し、未来を見据えて発言してほしいものです。
・ホーソン・リサーチの教訓
話は変りますが「将の器 参謀の器」の中に、興味あることが書かれていました。テーマは、「゛ホーソン・リサーチ ゛の教訓」???、と思い読み進むと、それは組織の怠慢の原因が何か分からない工事を精査したハーバード大学の教授の調査から、意外な原因と解かりました。
ずいぶん昔の話ですが、アメリカ電気通信大手「AT&T」の子会社「ウエスタン・エレトリック」のシカゴの、ホーソン工場で、大量の不良品は出始めました。経営者は、原因を新鋭の工場にあると、八方手を尽くし調査します。
工場長は、室内環境、冷暖房、女性トイレの清掃調べたが良好。さらに給与や福利厚生は言うと、給与はダントツ高く、福利厚生施設は充実している。結局わからず、ハーバード大学のメーヨー教授の依頼しました。
メーヨー教授は、行員全員から聞き取り調査をおこなった結果、つぎのようなことを知った。
(本文より)
<3つの疑問>
・働き手は誰ひとりとして、自分のやっている仕事の目的を知らない。つまり、自分のやらされている仕事は「何のためか」ということを承知していない。
・働き手たちは、自分のやった仕事が会社や地域のためににどう役立ったのか、それも教えられていない。つまり自分のやったことは「どれだけ役に立ったのか」という貢献度、寄与度を教えられていない。
・貢献度や寄与度はあったとしても、それに対してどういう評価がおこなわれているのか教えられていない。つまり「ボーナスの清算基礎」や人事異動の際における「考課表」の内容を教えられていない。
一言で言えば、
「ホーソン工場で働いている人たちは、何のために毎日仕事をしているのか全然誰も分かっていない」
と言うことであった。(中略)
メーヨー教授はその理由を、
<情報不通の要因>
工場内には、必ず2本のコミュニケーションのパイプが設置されていなければならない。2本のパイプというのは、1本は上から下に達するトップダウン、もう1本はボトムアップというパイプ、両方が機能していない。
<ホーソン工場の気付き>
「仕事の3つの目的」
・この仕事は何のためにするのかという目的
・自分のやったことがどれだけ役に立ったかという寄与度
・そしにたいして、どんな褒美がもらえるかという評価
(以上、「将の器 参謀の器」から)
・労働の「目的」「寄与度」「評価」
派遣労働者、労働のマニュアル化、労働市場、等々、仕事の均質化と取替え自由な単純作業な中にも、人間と言うもは、「目的」「寄与度」「評価」が3つの必要と思います。
・「老人介護」「老人福祉」の行き詰まり
特に入れ替わりに烈しい「老人介護」「老人福祉」の人材活用において、3つの要素がとても乏しい労働環境と思います。病院、福祉施設の経営者は、「替わりはたくさんいる、不都合ならやめて良い」、「高齢福祉予算の最大制限」、「行政の福祉予算削減のための民間委託(外注)」、・・・、福祉現場の限りない残業と増えるばかりの高齢者人口。
・現代の官僚と斉彬改革前の薩摩
天下り期間を作る官僚、政権奪取に賢明の政治家、田舎の高齢者を忘れた都市市民、「無関心」こそ、問題と思います。政治は、豊かなひとのために出なく、苦しい生活環境を改善することに意味があると、多くの先人が実践しています。
・大義こそ、「マンネリ怠慢・腐敗」の環境を変える
今の日本の最大の問題は、斉彬改革前の薩摩藩と同じ「マンネリ怠慢・腐敗」の環境にあると思います。世界のために何をするのか、明確なテーマ「目標」を国民に示すことが、国を引っ張るにリーダーに無いことと思います。
自民党であれ、民主党であれ、世界を先導する「大義」を語り実行するリーダー(政党)こそ、次回の政権を担う資質が有ると思います。
*参考資料:童門冬ニ著「将の器 参謀の器」
<関連日記>
(西郷隆盛)薩摩藩(井の中)のカエルから維新の英傑に
・その目的は、日本のために薩摩藩は何をすべきか、ということ。
>(島津斉彬と西郷吉之助):やはり人間にとって大事なのは、「出会い」であり、その出会った人間に対してどう印象を持ち、その人物から何を学ぶかによって左右される。
今朝日記の島津斉彬公の薩摩改革の切り札「藩主への手紙」は、低迷していた藩政改革の中で、「慣習」に刺激を与える目的がありました。特に中間管理職の目標を持てないことで怠惰・腐敗、上下の情報伝達の詰りの解消を目的に行われました。誤算(得たもの)は、西郷吉之助という掘り出し物でしょうか。
*(西郷隆盛)薩摩藩(井の中)のカエルから維新の英傑に
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1123048741&owner_id=2182841
■支持率上昇「政策優先が理解された」=官房長官
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=792960&media_id=4
>「首相にふさわしい政治家」を問う質問で麻生太郎首相が小沢一郎民主党代表を上回ったことについては「首相自身も『ペケ』より『マル』の方がいいわけだから、大いなる激励と受け止めているのでないか」と語った。
これが日本の報道官(幹部長官)の意識レベルなのか・・・
国家リーダーの言動の補佐をもっと自覚し、未来を見据えて発言してほしいものです。
・ホーソン・リサーチの教訓
話は変りますが「将の器 参謀の器」の中に、興味あることが書かれていました。テーマは、「゛ホーソン・リサーチ ゛の教訓」???、と思い読み進むと、それは組織の怠慢の原因が何か分からない工事を精査したハーバード大学の教授の調査から、意外な原因と解かりました。
ずいぶん昔の話ですが、アメリカ電気通信大手「AT&T」の子会社「ウエスタン・エレトリック」のシカゴの、ホーソン工場で、大量の不良品は出始めました。経営者は、原因を新鋭の工場にあると、八方手を尽くし調査します。
工場長は、室内環境、冷暖房、女性トイレの清掃調べたが良好。さらに給与や福利厚生は言うと、給与はダントツ高く、福利厚生施設は充実している。結局わからず、ハーバード大学のメーヨー教授の依頼しました。
メーヨー教授は、行員全員から聞き取り調査をおこなった結果、つぎのようなことを知った。
(本文より)
<3つの疑問>
・働き手は誰ひとりとして、自分のやっている仕事の目的を知らない。つまり、自分のやらされている仕事は「何のためか」ということを承知していない。
・働き手たちは、自分のやった仕事が会社や地域のためににどう役立ったのか、それも教えられていない。つまり自分のやったことは「どれだけ役に立ったのか」という貢献度、寄与度を教えられていない。
・貢献度や寄与度はあったとしても、それに対してどういう評価がおこなわれているのか教えられていない。つまり「ボーナスの清算基礎」や人事異動の際における「考課表」の内容を教えられていない。
一言で言えば、
「ホーソン工場で働いている人たちは、何のために毎日仕事をしているのか全然誰も分かっていない」
と言うことであった。(中略)
メーヨー教授はその理由を、
<情報不通の要因>
工場内には、必ず2本のコミュニケーションのパイプが設置されていなければならない。2本のパイプというのは、1本は上から下に達するトップダウン、もう1本はボトムアップというパイプ、両方が機能していない。
<ホーソン工場の気付き>
「仕事の3つの目的」
・この仕事は何のためにするのかという目的
・自分のやったことがどれだけ役に立ったかという寄与度
・そしにたいして、どんな褒美がもらえるかという評価
(以上、「将の器 参謀の器」から)
・労働の「目的」「寄与度」「評価」
派遣労働者、労働のマニュアル化、労働市場、等々、仕事の均質化と取替え自由な単純作業な中にも、人間と言うもは、「目的」「寄与度」「評価」が3つの必要と思います。
・「老人介護」「老人福祉」の行き詰まり
特に入れ替わりに烈しい「老人介護」「老人福祉」の人材活用において、3つの要素がとても乏しい労働環境と思います。病院、福祉施設の経営者は、「替わりはたくさんいる、不都合ならやめて良い」、「高齢福祉予算の最大制限」、「行政の福祉予算削減のための民間委託(外注)」、・・・、福祉現場の限りない残業と増えるばかりの高齢者人口。
・現代の官僚と斉彬改革前の薩摩
天下り期間を作る官僚、政権奪取に賢明の政治家、田舎の高齢者を忘れた都市市民、「無関心」こそ、問題と思います。政治は、豊かなひとのために出なく、苦しい生活環境を改善することに意味があると、多くの先人が実践しています。
・大義こそ、「マンネリ怠慢・腐敗」の環境を変える
今の日本の最大の問題は、斉彬改革前の薩摩藩と同じ「マンネリ怠慢・腐敗」の環境にあると思います。世界のために何をするのか、明確なテーマ「目標」を国民に示すことが、国を引っ張るにリーダーに無いことと思います。
自民党であれ、民主党であれ、世界を先導する「大義」を語り実行するリーダー(政党)こそ、次回の政権を担う資質が有ると思います。
*参考資料:童門冬ニ著「将の器 参謀の器」
<関連日記>
(西郷隆盛)薩摩藩(井の中)のカエルから維新の英傑に
・その目的は、日本のために薩摩藩は何をすべきか、ということ。
>(島津斉彬と西郷吉之助):やはり人間にとって大事なのは、「出会い」であり、その出会った人間に対してどう印象を持ち、その人物から何を学ぶかによって左右される。
(西郷隆盛)薩摩藩(井の中)のカエルから維新の英傑に、
2009年03月30日
(西郷隆盛)薩摩藩(井の中)のカエルから維新の英傑に、
薩摩藩を幕末・維新をリードする先導グループに仕立てた、島津斉彬公が生まれて200年だそうです。アメリカの英雄・リンカーンも生誕200年、時代の変化を先導するリーダーは、共に悲運の最期を遂げるのですが、その思想は時を越えて現代に活きていると思います。
さて、その思想を具現化した維新の英傑は、やはり西郷隆盛と思います。この西郷隆盛を世に出したきっかけは、島津斉彬公が藩主になった直後に遡ります。
斉彬公が始めて薩摩に着任した時、西郷吉之助(後の隆盛)は、群奉行所の末端の役人でした。当時の薩摩藩は、ワイロで私腹を肥す武士が多く、真っ正直な西郷には、それが許せず周りから孤立して行きます。そんな時、斉彬公が、末端の藩士まで呼びかけて「藩の政治について、意見のある者は私のところへ直接封書で差し出せ」とお触れを出した。
若い西郷は、群奉行所の状況、農民の苦悩を正直報告し、薩摩藩の腐敗を一掃して欲しいと書き続けた。しかし、時が経ってもなかなか反応がない。上司たちは、はじめ自分たちのワイロがわかり、城へ呼び出されるか戦々恐々でしたが、反応がないので、「今まで藩主と変らない。」と落胆。西郷は、ひどいいじめに合うようになります。
だいぶ時間が経って、突然、「至急、城へ行け。殿様がお呼び」。奉行所内は騒然となったそうです。
前置きはここまでで、後は、童門冬ニ氏の「将の器 参謀の器」の文を転載します。
(本文より、抜粋)
吉之助は、提案を採用しない斉彬公に疑問を持った。そこで、斉彬は、次のようの説いた。
「おまえは、自分の意見が採用されないものだから、私を無能力の藩主だと思っているだろう。若いお前にすればそうかもしれない。しかし私の考え方は違う。私は、おまえのいう群奉行所の汚職を改革するためにも、藩全体が大きな目標を持たなければだめだと思っている。
目標とは何か、薩摩藩は薩摩藩のために生きていくのではない。日本のために生きていく。それには、やはり今の世界情勢をしっかりと知り、その中で日本はどうすべきなのか、徳川幕府ほどうあるべきなのか、その中における薩摩藩はどうあるべきなのか、そういう段階的な目標の設定が必要なのだ。
それを抜きにして、ただ不正をただそうということだけに狂奔するのは、力の無駄遣いだ。私は、薩摩藩という゛井の中のカエル゛から、もっと大きな海の生き物に変れという意味だ。わかるか?」
要約すると、
・悪いことをする藩の武士は、道草を食っているようなもの
・これを本道に戻すためには、本道そのものの行く先をはっきりさせる必要がある。仕事の目的を与えること。
・その目的は、日本のために薩摩藩は何をすべきか、ということ。
・そして、薩摩藩士である一人ひとりの成員が、何をすべきかということ認識すれば、いっせいに心を合わせて本道を歩き、道草を食うような武士もいなくなる。
と、という思いになるとありました。
そしてその後、西郷吉之助は、斉彬公の手足となり、幕政改革と日本の開国へ向け、獅子奮迅の活躍のしながら、広い視野と人の心を導く理念の薫陶を受けて行きます。
しかし、時代変革にはまだ時間がいると、天が、首脳の二人の命を潰えさせます。一瞬にして、幕府のおたずね者になり、沖永良部島へ流され、幕府へは「西郷は、死んだ」と報告されます。
その島流しの間に、心身ともの苦悩と苦労の中で、「天を敬い、人を愛す(敬天愛人)」の理想に至ります。時代は、再度、西郷隆盛の登場を要望し、多くの志士たち奮闘により、大政奉還、明治維新、と運命の流れのままに進んで行きます。
西郷隆盛を作ったのは、若い吉之助の「誠意」と、それを引き上げた斉彬の眼力あるように思います。「敬天愛人」、西郷隆盛の座右の言葉と、国民に広く知られています。
童門冬ニ氏の本の末尾は、次の言葉で締めくくられています。
(本文より)
・・、斉彬は西郷にとって、単なる主人であったわけではない。
「偉大なる師」
であり、
「偉大なる指導者」
であったのである。(中略)
そうなると、やはり人間にとって大事なのは、
「出会い」
であり、その出会った人間に対してどう印象を持ち、その人物から何を学ぶかによって左右される。(中略)
(以上、「将の器 参謀の器」より)
人生は、誰と会うかによって大きく変化します。ただ、若き西郷吉之助を斉彬を引き合わせたは、「誠意(良心)」が基になっているように思います。
*参考資料:童門冬ニ著「将の器 参謀の器」
薩摩藩を幕末・維新をリードする先導グループに仕立てた、島津斉彬公が生まれて200年だそうです。アメリカの英雄・リンカーンも生誕200年、時代の変化を先導するリーダーは、共に悲運の最期を遂げるのですが、その思想は時を越えて現代に活きていると思います。
さて、その思想を具現化した維新の英傑は、やはり西郷隆盛と思います。この西郷隆盛を世に出したきっかけは、島津斉彬公が藩主になった直後に遡ります。
斉彬公が始めて薩摩に着任した時、西郷吉之助(後の隆盛)は、群奉行所の末端の役人でした。当時の薩摩藩は、ワイロで私腹を肥す武士が多く、真っ正直な西郷には、それが許せず周りから孤立して行きます。そんな時、斉彬公が、末端の藩士まで呼びかけて「藩の政治について、意見のある者は私のところへ直接封書で差し出せ」とお触れを出した。
若い西郷は、群奉行所の状況、農民の苦悩を正直報告し、薩摩藩の腐敗を一掃して欲しいと書き続けた。しかし、時が経ってもなかなか反応がない。上司たちは、はじめ自分たちのワイロがわかり、城へ呼び出されるか戦々恐々でしたが、反応がないので、「今まで藩主と変らない。」と落胆。西郷は、ひどいいじめに合うようになります。
だいぶ時間が経って、突然、「至急、城へ行け。殿様がお呼び」。奉行所内は騒然となったそうです。
前置きはここまでで、後は、童門冬ニ氏の「将の器 参謀の器」の文を転載します。
(本文より、抜粋)
吉之助は、提案を採用しない斉彬公に疑問を持った。そこで、斉彬は、次のようの説いた。
「おまえは、自分の意見が採用されないものだから、私を無能力の藩主だと思っているだろう。若いお前にすればそうかもしれない。しかし私の考え方は違う。私は、おまえのいう群奉行所の汚職を改革するためにも、藩全体が大きな目標を持たなければだめだと思っている。
目標とは何か、薩摩藩は薩摩藩のために生きていくのではない。日本のために生きていく。それには、やはり今の世界情勢をしっかりと知り、その中で日本はどうすべきなのか、徳川幕府ほどうあるべきなのか、その中における薩摩藩はどうあるべきなのか、そういう段階的な目標の設定が必要なのだ。
それを抜きにして、ただ不正をただそうということだけに狂奔するのは、力の無駄遣いだ。私は、薩摩藩という゛井の中のカエル゛から、もっと大きな海の生き物に変れという意味だ。わかるか?」
要約すると、
・悪いことをする藩の武士は、道草を食っているようなもの
・これを本道に戻すためには、本道そのものの行く先をはっきりさせる必要がある。仕事の目的を与えること。
・その目的は、日本のために薩摩藩は何をすべきか、ということ。
・そして、薩摩藩士である一人ひとりの成員が、何をすべきかということ認識すれば、いっせいに心を合わせて本道を歩き、道草を食うような武士もいなくなる。
と、という思いになるとありました。
そしてその後、西郷吉之助は、斉彬公の手足となり、幕政改革と日本の開国へ向け、獅子奮迅の活躍のしながら、広い視野と人の心を導く理念の薫陶を受けて行きます。
しかし、時代変革にはまだ時間がいると、天が、首脳の二人の命を潰えさせます。一瞬にして、幕府のおたずね者になり、沖永良部島へ流され、幕府へは「西郷は、死んだ」と報告されます。
その島流しの間に、心身ともの苦悩と苦労の中で、「天を敬い、人を愛す(敬天愛人)」の理想に至ります。時代は、再度、西郷隆盛の登場を要望し、多くの志士たち奮闘により、大政奉還、明治維新、と運命の流れのままに進んで行きます。
西郷隆盛を作ったのは、若い吉之助の「誠意」と、それを引き上げた斉彬の眼力あるように思います。「敬天愛人」、西郷隆盛の座右の言葉と、国民に広く知られています。
童門冬ニ氏の本の末尾は、次の言葉で締めくくられています。
(本文より)
・・、斉彬は西郷にとって、単なる主人であったわけではない。
「偉大なる師」
であり、
「偉大なる指導者」
であったのである。(中略)
そうなると、やはり人間にとって大事なのは、
「出会い」
であり、その出会った人間に対してどう印象を持ち、その人物から何を学ぶかによって左右される。(中略)
(以上、「将の器 参謀の器」より)
人生は、誰と会うかによって大きく変化します。ただ、若き西郷吉之助を斉彬を引き合わせたは、「誠意(良心)」が基になっているように思います。
*参考資料:童門冬ニ著「将の器 参謀の器」
無届け介護施設「たまゆら」火災10人死亡と、憲法25条
2009年03月29日
無届け介護施設「たまゆら」火災10人死亡と、憲法25条
今朝のニュースで、高齢者介護問題ので、火災で10名が亡くなった無届け介護施設「たまゆら」のことが取り上げられていました。民主党の長妻氏が、日本国憲法の25条のことばを述べていて、日本国憲法を久々に開いて読んだ。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
小泉改革で、介護施設の総量規制、更に介護ベッド病院等(介護病棟)12万床をゼロのする規制。全国の特別養護老人ホームの入所待ちが、38万人とも言われる中、「たまゆら」のような無届け施設に頼る行政が増えるのではないかと心配します。
小泉政権の考えた高齢化社会と、現実のギャップをどう埋め合わせて行くか、2025年国民の1/3が高齢者になる日本社会、何を削り、何を増やすか、考える事が必要と思います。
日本国憲法の護憲、改憲の話は、今日はおいておいて、現在の日本国憲法のことを少し深く知る必要があるのではと、長妻議員のことばから思いました。今日から、時々日本国憲法について、書いてみたいと思います。
今日は、手抜き日記になりますが、日本国憲法の前文を掲載して見たいと思います。
日本国憲法 前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
(以上、「日本国憲法」から転載)
今朝のニュースで、高齢者介護問題ので、火災で10名が亡くなった無届け介護施設「たまゆら」のことが取り上げられていました。民主党の長妻氏が、日本国憲法の25条のことばを述べていて、日本国憲法を久々に開いて読んだ。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
小泉改革で、介護施設の総量規制、更に介護ベッド病院等(介護病棟)12万床をゼロのする規制。全国の特別養護老人ホームの入所待ちが、38万人とも言われる中、「たまゆら」のような無届け施設に頼る行政が増えるのではないかと心配します。
小泉政権の考えた高齢化社会と、現実のギャップをどう埋め合わせて行くか、2025年国民の1/3が高齢者になる日本社会、何を削り、何を増やすか、考える事が必要と思います。
日本国憲法の護憲、改憲の話は、今日はおいておいて、現在の日本国憲法のことを少し深く知る必要があるのではと、長妻議員のことばから思いました。今日から、時々日本国憲法について、書いてみたいと思います。
今日は、手抜き日記になりますが、日本国憲法の前文を掲載して見たいと思います。
日本国憲法 前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
(以上、「日本国憲法」から転載)
(衝撃と行動)坂本龍馬と横井小楠の出会い
2009年03月28日
(衝撃と行動)坂本龍馬と横井小楠の出会い
幕末の5年間で、ヒーローになる坂本龍馬の思想的根源は、熊本の儒家・横井小楠の「公共の政」と言う考え方に出会い、衝撃を受けたことにあると考えています。人は、何かのきっかけで、居ても立っても居られない衝動に駆られる気分を持ちます。
坂本龍馬は維新前夜に、以後の日本の行く末「国家デザイン」を、多くの人と接しながら、試行錯誤の上に考案し、「船中八策」にまとめ、大政奉還に導きます。坂本龍馬は、あまり勉強の方は出来なかったようですが、剣術の向上のために思想文化の中心「江戸」に行き、黒船で浮き足立つ世の風景をみて閃きます。
それから、色々な人と出会う中で、自分の生きる道を極めて行きます。その最初の「衝撃」が、横井小楠、三岡八郎(後の由利公正)との意見交換でした。
元々小楠は、攘夷志向でしたが、世の変化と学びから公武合体、さらに大政奉還の考え方に変るのですが、常に「政治は、何のためにあるのか?」を問い続ける中で、中国の理想の君子「堯、舜」に至り、孔子の王道から思想から、中国へ列強の侵入に衝撃を受け、海外事情を学び、なにが理想の政治か突き詰めて行きます。
そんな時に、勝海舟の縁で、米国事情を聞き、一を聞けば百を閃く天才は、「共和制」に興味を持ち、「ワシントン」の政治理念に注目します。
小楠は、熊本生まれ、藩校一の秀才で、遊学や講師で、長崎、江戸、福井、江戸、と回り、後は熊本に居たのですが、多くの志士たちが「小楠思想」に触れるために、訪ねて来ました。
その人たちの考えや、世の変化から思考し、「富国」「強兵(海軍)」「士道」を中心とする『国是三論』にまとめ、福井藩の財政再建の成功し、松平駿嶽は徳川幕府の総裁職に付き、徳川幕府の再建に関わります。
その時も、「徳川単独政権では、今後の日本は持たない」と閃き、「公共の政」の発想から、公武合体の提案をし、その理念に感化された幕臣三人の一人が勝海舟であり、その薫陶を受けた坂本龍馬が実行していったのが、大政奉還の政変でした。
坂本龍馬は、福井に出向き、横井小楠、三岡八郎との酒宴の中で、次に歌を詠んでいます。
「君がため 捨つる命は惜しまねど 心にかかる国の行く末」
この歌を聴いた二人は拍手喝したそうです。またこの歌は、以後福井藩の中に広がり、志士たちの宴席で、この歌がよく歌われたと言います。
今、こんな歌を詠む志士(政治家)が、どれだけいるでしょうか。
昨日も、元宮崎県知事に実刑の判決が出ました。私利私欲、衒い(人気取り)が目立つリーダーたちに、小楠、龍馬の爪の垢でも煎じて飲ませたくなります。
坂本龍馬は、横井小楠の「公の政」の思想に触れ、衝撃を受け、大政奉還実現まで、獅子奮迅の働きをしました。人間の行動の原動力は、何かに出合った衝撃が発端になるのかもしれません。
*参考資料:石津達也著「大義を四海に」~横井小楠の生涯~
<(携帯論語)心を育てることば>
・君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔(たす)く
http://keitairongo.otemo-yan.net/
<以前の日記>
・(経済活性)僻地医療施設の耐震性能調査開始の思わく
幕末の5年間で、ヒーローになる坂本龍馬の思想的根源は、熊本の儒家・横井小楠の「公共の政」と言う考え方に出会い、衝撃を受けたことにあると考えています。人は、何かのきっかけで、居ても立っても居られない衝動に駆られる気分を持ちます。
坂本龍馬は維新前夜に、以後の日本の行く末「国家デザイン」を、多くの人と接しながら、試行錯誤の上に考案し、「船中八策」にまとめ、大政奉還に導きます。坂本龍馬は、あまり勉強の方は出来なかったようですが、剣術の向上のために思想文化の中心「江戸」に行き、黒船で浮き足立つ世の風景をみて閃きます。
それから、色々な人と出会う中で、自分の生きる道を極めて行きます。その最初の「衝撃」が、横井小楠、三岡八郎(後の由利公正)との意見交換でした。
元々小楠は、攘夷志向でしたが、世の変化と学びから公武合体、さらに大政奉還の考え方に変るのですが、常に「政治は、何のためにあるのか?」を問い続ける中で、中国の理想の君子「堯、舜」に至り、孔子の王道から思想から、中国へ列強の侵入に衝撃を受け、海外事情を学び、なにが理想の政治か突き詰めて行きます。
そんな時に、勝海舟の縁で、米国事情を聞き、一を聞けば百を閃く天才は、「共和制」に興味を持ち、「ワシントン」の政治理念に注目します。
小楠は、熊本生まれ、藩校一の秀才で、遊学や講師で、長崎、江戸、福井、江戸、と回り、後は熊本に居たのですが、多くの志士たちが「小楠思想」に触れるために、訪ねて来ました。
その人たちの考えや、世の変化から思考し、「富国」「強兵(海軍)」「士道」を中心とする『国是三論』にまとめ、福井藩の財政再建の成功し、松平駿嶽は徳川幕府の総裁職に付き、徳川幕府の再建に関わります。
その時も、「徳川単独政権では、今後の日本は持たない」と閃き、「公共の政」の発想から、公武合体の提案をし、その理念に感化された幕臣三人の一人が勝海舟であり、その薫陶を受けた坂本龍馬が実行していったのが、大政奉還の政変でした。
坂本龍馬は、福井に出向き、横井小楠、三岡八郎との酒宴の中で、次に歌を詠んでいます。
「君がため 捨つる命は惜しまねど 心にかかる国の行く末」
この歌を聴いた二人は拍手喝したそうです。またこの歌は、以後福井藩の中に広がり、志士たちの宴席で、この歌がよく歌われたと言います。
今、こんな歌を詠む志士(政治家)が、どれだけいるでしょうか。
昨日も、元宮崎県知事に実刑の判決が出ました。私利私欲、衒い(人気取り)が目立つリーダーたちに、小楠、龍馬の爪の垢でも煎じて飲ませたくなります。
坂本龍馬は、横井小楠の「公の政」の思想に触れ、衝撃を受け、大政奉還実現まで、獅子奮迅の働きをしました。人間の行動の原動力は、何かに出合った衝撃が発端になるのかもしれません。
*参考資料:石津達也著「大義を四海に」~横井小楠の生涯~
<(携帯論語)心を育てることば>
・君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔(たす)く
http://keitairongo.otemo-yan.net/
<以前の日記>
・(経済活性)僻地医療施設の耐震性能調査開始の思わく
(経済活性)僻地医療施設の耐震性能調査開始の思わく
2009年03月27日
(経済活性)僻地医療施設の耐震性能調査開始の思わく
昨日、私が関わる医療施設のオーナーたちに、昭和55年の新構造設計基準と、県の意識調査に伴う、今後の不特定多数の人が入る(出入りする)特殊建築物の耐震調査、耐震改修の指導について意見を交わした。
・新耐震設計(昭和55年)
昭和55年の新構造設計基準は、新潟沖地震とその前後の地震を基準に、構造設計が見直され、昭和57年から本格的に行政指導が行われて来た。今日もニュースで、耐震改修を景気回復の起爆材料の一つにしたいと報じていた。耐震改修が必要と言われているのは、昭和56年以前の公共施設、大型建築物が対象。
・僻地医療と病院経営の現実
現段階での地方自治体の耐震改修の意識調査は、強制的な意味合いは無く、施設経営者たちの耐震意識を調べるものです。意見を交わした医療施設のオーナー(院長)は、「僻地では、人口減少が進む中、更に大きな費用を要する耐震改修を強制すれば廃業する施設が増え、医療・福祉の地方と都市との格差が更に広がる」と感想を述べていました。
世界不況と言われる中で、高度成長気を牽引して来た製造業、建設業で働いた人たちが高齢を向え、地方の医療・福祉施設を利用しています。更なる、耐震改修の規制強化が進めば、格差が広がる状況を生み出す可能性があります。
・ハコモノではなく、人にお金を使うべき
金をハコモノにつぎ込む財政投入ではなくて、世界経済の変化、製造業の拠点が海外へ移動する中で、次世代社会を構築するは「人」ですから、次世代を担う人のスキルアップに、もっと金を投入すべきと考えます。
・耐震設計者の過労と行き詰まり
ニュースで報じる、経済活性化策を鵜呑みにして、企業参入が増える中、経験の少ない耐震診断設計者が増え、そのお蔭で、長く耐震設計を手がけてきた人への「外注」が集中し、新たなミスがでるでは心配します。
構造理論は、一本しっかりした型があるのではなく、構造設計者(勉強した過程)の考え方(技量+良心)に委ねられています。大型施設所有するオーナーは、信頼できる「建築家(+構造設計者)」の意見をベースに、国の考えが何処を目指しているのか、経済動向、さらには医療・介護の国の方針の踏まえて考える必要があると思います。
・政策は5年単位で変化、動向を見きわめる
たぶん国(県)は、7~10年(10~15年)の間に意識調査から、指導、勧告、さらに命令になるかは定かではありませんが、地方経済が落ち込む中、新たな製造業・建設業の先導事業として「耐震改修」「太陽光発電」等の企業育成支援が進める目論みだと思います。
地方の経済活性化に「耐震改修」の掛け声は、建設業への受けは良いのでしょうが、僻地の現状を踏まえ、今後の指導が進められることが大切と思います。
昨日、私が関わる医療施設のオーナーたちに、昭和55年の新構造設計基準と、県の意識調査に伴う、今後の不特定多数の人が入る(出入りする)特殊建築物の耐震調査、耐震改修の指導について意見を交わした。
・新耐震設計(昭和55年)
昭和55年の新構造設計基準は、新潟沖地震とその前後の地震を基準に、構造設計が見直され、昭和57年から本格的に行政指導が行われて来た。今日もニュースで、耐震改修を景気回復の起爆材料の一つにしたいと報じていた。耐震改修が必要と言われているのは、昭和56年以前の公共施設、大型建築物が対象。
・僻地医療と病院経営の現実
現段階での地方自治体の耐震改修の意識調査は、強制的な意味合いは無く、施設経営者たちの耐震意識を調べるものです。意見を交わした医療施設のオーナー(院長)は、「僻地では、人口減少が進む中、更に大きな費用を要する耐震改修を強制すれば廃業する施設が増え、医療・福祉の地方と都市との格差が更に広がる」と感想を述べていました。
世界不況と言われる中で、高度成長気を牽引して来た製造業、建設業で働いた人たちが高齢を向え、地方の医療・福祉施設を利用しています。更なる、耐震改修の規制強化が進めば、格差が広がる状況を生み出す可能性があります。
・ハコモノではなく、人にお金を使うべき
金をハコモノにつぎ込む財政投入ではなくて、世界経済の変化、製造業の拠点が海外へ移動する中で、次世代社会を構築するは「人」ですから、次世代を担う人のスキルアップに、もっと金を投入すべきと考えます。
・耐震設計者の過労と行き詰まり
ニュースで報じる、経済活性化策を鵜呑みにして、企業参入が増える中、経験の少ない耐震診断設計者が増え、そのお蔭で、長く耐震設計を手がけてきた人への「外注」が集中し、新たなミスがでるでは心配します。
構造理論は、一本しっかりした型があるのではなく、構造設計者(勉強した過程)の考え方(技量+良心)に委ねられています。大型施設所有するオーナーは、信頼できる「建築家(+構造設計者)」の意見をベースに、国の考えが何処を目指しているのか、経済動向、さらには医療・介護の国の方針の踏まえて考える必要があると思います。
・政策は5年単位で変化、動向を見きわめる
たぶん国(県)は、7~10年(10~15年)の間に意識調査から、指導、勧告、さらに命令になるかは定かではありませんが、地方経済が落ち込む中、新たな製造業・建設業の先導事業として「耐震改修」「太陽光発電」等の企業育成支援が進める目論みだと思います。
地方の経済活性化に「耐震改修」の掛け声は、建設業への受けは良いのでしょうが、僻地の現状を踏まえ、今後の指導が進められることが大切と思います。
人生に表裏あるのはむしろ当然(新渡戸稲造)
2009年03月26日
人生に表裏あるのはむしろ当然(新渡戸稲造)
上記のタイトルに、「何?」と思われた方もいると思います。新渡戸稲造は、「武士道」を英訳した方で、戦前の国際連盟の重鎮でもあります。これは、明治末期から大正期に、青年向けに発行された雑誌のコラムを集めた「自警録」の一節です。読むとなるほどと思われると思います。
(本文より、抜粋)
・・、僕は決していかなる場合においても表裏の存在は止むを得ぬといって、これを奨励せんとする意味ではないが、攻撃的に表裏々々と非難する中には、往々にして非難に値せぬものがある。むしろ表裏はあるのが当然で、表裏なければはなはだしく自己および他人に迷惑を与えることもあると思う。
例えば、日常の生活について見るに、家族のみで食事をするならば塩物と香の物ぐらいで済まされるが、突然の来客でもあれば、急に刺身とか茶碗蒸しとかを注文する。これは生計上の表裏ではないか。
また家庭で一家団欒の時は、主人は気楽なれば普段着で済ますと奥さんも喜ぶが、ふと客があれば急に紋付に着替える。これは、生活上の表裏の一つである。(中略)
表裏の区別を全然無視せんとて、仕事に部屋着を来て出勤し、夏の日に真っ裸で行くものはあるまい。かくのごときは物に表裏あることをわきまえぬので、かえって世の秩序を乱すものである。(中略)
この他に、人の性質等について書いてあるのですが、
「我々が各自の友人を一人づつ挙げて考えたならすぐに両面あること悟るであろうと思う。」とありました。
また、表裏の善悪を判断する基準はどこにあるのか?
(本文より)
しからば表裏という文字を仮に用うるとして、善き意味の表裏と、悪き意味・・・というのが過言であるならば、少なくとも自然表裏とは、何を標準とすべきか。僕はこれは表裏を備うる人の意志によるものであると思う。(中略)
>善き意味の表裏と、悪き意味の表裏
その価値観は、その人それぞれの生きて来た人生(文化)から、どう評価するかにあると思います。
2日前、元検事たちが「西松献金疑惑」のついて、賛否(表裏)の意見を語ったニュースを読んだのですが、政治はその時代時代で、見方が微妙に国民の考え方も変るので、国民一人ひとりがどう捕らえるかのあるのだと思います。
今日書いた、「表裏」、色々な場面で、多様な見方があると言うことが大事と思っています。
*「専門家ほど、視野の狭い議論をしている」~木内信胤~
<西松-小沢、献金疑惑> 元検事、法律学者の意見から
■(西松献金疑惑)「やや乱暴では」「一罰百戒の意義」…検察OBの評価分かれる
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=787903&media_id=20
>元検事の郷原信郎・桐蔭横浜大法科大学院教授も、「西松建設の政治団体がダミーなら、例えば業界団体が設立する政治団体はどうなのか。今回の事件が違法だとしても、ヤミ献金ではないので悪質性は低く、罰金刑が妥当。検察は、なぜ今回の事件を摘発したか十分に説明する義務がある」と指摘した。
>元最高検検事の土本武司・白鴎大法科大学院長は、「規正法は、政治と企業の癒着構造をただそうと、改正を重ねてきた。企業献金にダミーの政治団体を使うような、手の込んだ犯罪を立件したことは、一罰百戒的な意義がある」
>「資金管理団体に加え、政治家の『第2の財布』である政党支部への献金も立件され、両団体の代表者である小沢代表の責任は免れないだろう」と話した。
>「政治状況が緊迫する今、いきなり野党第1党の党首の秘書を逮捕したのは、やや乱暴だったのではないか」と疑問を投げかけた。
(以上、ミクシィ・ニュースから抜粋)
色々ご意見を頂けるとありがたいです。
上記のタイトルに、「何?」と思われた方もいると思います。新渡戸稲造は、「武士道」を英訳した方で、戦前の国際連盟の重鎮でもあります。これは、明治末期から大正期に、青年向けに発行された雑誌のコラムを集めた「自警録」の一節です。読むとなるほどと思われると思います。
(本文より、抜粋)
・・、僕は決していかなる場合においても表裏の存在は止むを得ぬといって、これを奨励せんとする意味ではないが、攻撃的に表裏々々と非難する中には、往々にして非難に値せぬものがある。むしろ表裏はあるのが当然で、表裏なければはなはだしく自己および他人に迷惑を与えることもあると思う。
例えば、日常の生活について見るに、家族のみで食事をするならば塩物と香の物ぐらいで済まされるが、突然の来客でもあれば、急に刺身とか茶碗蒸しとかを注文する。これは生計上の表裏ではないか。
また家庭で一家団欒の時は、主人は気楽なれば普段着で済ますと奥さんも喜ぶが、ふと客があれば急に紋付に着替える。これは、生活上の表裏の一つである。(中略)
表裏の区別を全然無視せんとて、仕事に部屋着を来て出勤し、夏の日に真っ裸で行くものはあるまい。かくのごときは物に表裏あることをわきまえぬので、かえって世の秩序を乱すものである。(中略)
この他に、人の性質等について書いてあるのですが、
「我々が各自の友人を一人づつ挙げて考えたならすぐに両面あること悟るであろうと思う。」とありました。
また、表裏の善悪を判断する基準はどこにあるのか?
(本文より)
しからば表裏という文字を仮に用うるとして、善き意味の表裏と、悪き意味・・・というのが過言であるならば、少なくとも自然表裏とは、何を標準とすべきか。僕はこれは表裏を備うる人の意志によるものであると思う。(中略)
>善き意味の表裏と、悪き意味の表裏
その価値観は、その人それぞれの生きて来た人生(文化)から、どう評価するかにあると思います。
2日前、元検事たちが「西松献金疑惑」のついて、賛否(表裏)の意見を語ったニュースを読んだのですが、政治はその時代時代で、見方が微妙に国民の考え方も変るので、国民一人ひとりがどう捕らえるかのあるのだと思います。
今日書いた、「表裏」、色々な場面で、多様な見方があると言うことが大事と思っています。
*「専門家ほど、視野の狭い議論をしている」~木内信胤~
<西松-小沢、献金疑惑> 元検事、法律学者の意見から
■(西松献金疑惑)「やや乱暴では」「一罰百戒の意義」…検察OBの評価分かれる
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=787903&media_id=20
>元検事の郷原信郎・桐蔭横浜大法科大学院教授も、「西松建設の政治団体がダミーなら、例えば業界団体が設立する政治団体はどうなのか。今回の事件が違法だとしても、ヤミ献金ではないので悪質性は低く、罰金刑が妥当。検察は、なぜ今回の事件を摘発したか十分に説明する義務がある」と指摘した。
>元最高検検事の土本武司・白鴎大法科大学院長は、「規正法は、政治と企業の癒着構造をただそうと、改正を重ねてきた。企業献金にダミーの政治団体を使うような、手の込んだ犯罪を立件したことは、一罰百戒的な意義がある」
>「資金管理団体に加え、政治家の『第2の財布』である政党支部への献金も立件され、両団体の代表者である小沢代表の責任は免れないだろう」と話した。
>「政治状況が緊迫する今、いきなり野党第1党の党首の秘書を逮捕したのは、やや乱暴だったのではないか」と疑問を投げかけた。
(以上、ミクシィ・ニュースから抜粋)
色々ご意見を頂けるとありがたいです。
(熊本景観大賞)山都町馬見原地区まちづくり
2009年03月25日
(熊本景観大賞)山都町馬見原地区まちづくり

春のお祭り「初市」と町並み風景
今日(3月25日朝刊)の熊本日日新聞の地域版に、嬉しい知らせが載りました。私の手がけたまちづくり「山都町馬見原地区~白壁のまちづくり~」が、くまもと景観賞の大賞を受賞しました。ここ2年大賞の該当は無く、3年ぶりの大賞受賞で地元は大きく沸いています。
・くまもと景観大賞を受賞
毎年、熊本県内で新たに改修、新設された景観整備で、高い評価を受けたものを自薦,他薦でして、県が表彰するもので、前回私が関わった施設14年前で大賞は外れ、建築部門の一位を目指したのですが次点でした。ちなみに建築部門の一位は、前知事の潮谷氏の関わる「慈愛園」の養護施設が建築の一等賞でした。
・1年半のまちづくり整備~地域の技術者の力~
今回、国土交通省の町並み整備事業(まちづくり事業)は、県下で5地区あり、終了が同じ時期なので、景観賞に多分みんなノミネートさるけど、どうかと思案していました。
嬉しい受賞、それも大賞は3年ぶりと聞き、約1年半馬見原に一日越しに片道一時間半を通い、高度成長期に現代風に改修された26軒の旧家を、再度、明治後期から大正初期の景観に戻す整備に関わりました。
その間、様々な地域の歴史を学び、当時のデザインをモチーフにして、現代的な素材を使い白壁を基調にして新たな宿場町を表現しました。
それが「くまもと景観」の大賞受賞は、感激します。地元の限りない材料を使い、地元の大工さんと議論しながら作ったことに意味があると思います。。18年度、19年度と事業に関わり、特に最後の計画では、多くの景観整備に参加された家庭があり、睡眠を少なくしても期限に間に合せた事を思い出し、良かったなと思います。

町一番の古い商家「本八代屋」(元造り酒屋)
・ぜひ「馬見原の白壁」の風景を検索して下さい
詳しくは、現地を訪問していただく事はもちろんですが、私の管理するブログ「環境共生施設研究所」を検索頂けると、町並みの様子がわかると思います。これから、季節は歩くことにはとても良い時期です。ぜひ、熊本県上益城郡山都町馬見原地区を訪問して頂き、 西南戦争の薩摩郡の敗走ルートの重要地点(軍議の地)や、若山牧水の歌碑、等々あります。

元官軍本営跡(明治初期)

歌人「若山牧水」歌碑、歌碑台石の説明文に注目

元バス停跡の広場の初市風景
・馬見原の「おいしい一品」
ぜひぜひ、一度訪問頂き、「桜コロッケ」「山女サンド」「手ぬぐい屋」「蘇陽羊羹」、「岩永茶補」等々、食の一品がたくさんありますので、町を散策頂けると新たな発見と楽しみあると思います。
・馬見原商店街
熊本-延岡、阿蘇-人吉の交差点、更に神話の里「高千穂」、平家の里「椎葉」も入る経済圏の中心が馬見原商店街、色々な歴史に逸話が盛りだくさんの地区です。
・環境共生施設研究所 理事長 野口修一
もし馬見原を訪問される方は、インターネットのブログで「建築士のノグチさんの紹介で、くまもと景観の大賞受賞を知って来ました、」と言っていただけると何かサービスが出るかもしません???
それは別として、ぜひぜひ一度、町並み整備が終わった、「熊本一」の町並みを見ていただければ幸いです。よろしくお願します。
*環境共生施設研究所ブログ「馬見原町景観整備事業報告シリーズ 」
http://aandekyouseiken.otemo-yan.net/
馬見原地区景観整備事業の「ビフォー・アフター」の写真掲載
<(携帯論語)心を育てることば>
http://keitairongo.otemo-yan.net/
(3/25)「人を愛すれば永遠なる宇宙にふれる」
(3/26) 「にくしみは積極的不満、ねたみは消極的不満」
春のお祭り「初市」と町並み風景
今日(3月25日朝刊)の熊本日日新聞の地域版に、嬉しい知らせが載りました。私の手がけたまちづくり「山都町馬見原地区~白壁のまちづくり~」が、くまもと景観賞の大賞を受賞しました。ここ2年大賞の該当は無く、3年ぶりの大賞受賞で地元は大きく沸いています。
・くまもと景観大賞を受賞
毎年、熊本県内で新たに改修、新設された景観整備で、高い評価を受けたものを自薦,他薦でして、県が表彰するもので、前回私が関わった施設14年前で大賞は外れ、建築部門の一位を目指したのですが次点でした。ちなみに建築部門の一位は、前知事の潮谷氏の関わる「慈愛園」の養護施設が建築の一等賞でした。
・1年半のまちづくり整備~地域の技術者の力~
今回、国土交通省の町並み整備事業(まちづくり事業)は、県下で5地区あり、終了が同じ時期なので、景観賞に多分みんなノミネートさるけど、どうかと思案していました。
嬉しい受賞、それも大賞は3年ぶりと聞き、約1年半馬見原に一日越しに片道一時間半を通い、高度成長期に現代風に改修された26軒の旧家を、再度、明治後期から大正初期の景観に戻す整備に関わりました。
その間、様々な地域の歴史を学び、当時のデザインをモチーフにして、現代的な素材を使い白壁を基調にして新たな宿場町を表現しました。
それが「くまもと景観」の大賞受賞は、感激します。地元の限りない材料を使い、地元の大工さんと議論しながら作ったことに意味があると思います。。18年度、19年度と事業に関わり、特に最後の計画では、多くの景観整備に参加された家庭があり、睡眠を少なくしても期限に間に合せた事を思い出し、良かったなと思います。
町一番の古い商家「本八代屋」(元造り酒屋)
・ぜひ「馬見原の白壁」の風景を検索して下さい
詳しくは、現地を訪問していただく事はもちろんですが、私の管理するブログ「環境共生施設研究所」を検索頂けると、町並みの様子がわかると思います。これから、季節は歩くことにはとても良い時期です。ぜひ、熊本県上益城郡山都町馬見原地区を訪問して頂き、 西南戦争の薩摩郡の敗走ルートの重要地点(軍議の地)や、若山牧水の歌碑、等々あります。
元官軍本営跡(明治初期)
歌人「若山牧水」歌碑、歌碑台石の説明文に注目
元バス停跡の広場の初市風景
・馬見原の「おいしい一品」
ぜひぜひ、一度訪問頂き、「桜コロッケ」「山女サンド」「手ぬぐい屋」「蘇陽羊羹」、「岩永茶補」等々、食の一品がたくさんありますので、町を散策頂けると新たな発見と楽しみあると思います。
・馬見原商店街
熊本-延岡、阿蘇-人吉の交差点、更に神話の里「高千穂」、平家の里「椎葉」も入る経済圏の中心が馬見原商店街、色々な歴史に逸話が盛りだくさんの地区です。
・環境共生施設研究所 理事長 野口修一
もし馬見原を訪問される方は、インターネットのブログで「建築士のノグチさんの紹介で、くまもと景観の大賞受賞を知って来ました、」と言っていただけると何かサービスが出るかもしません???
それは別として、ぜひぜひ一度、町並み整備が終わった、「熊本一」の町並みを見ていただければ幸いです。よろしくお願します。
*環境共生施設研究所ブログ「馬見原町景観整備事業報告シリーズ 」
http://aandekyouseiken.otemo-yan.net/
馬見原地区景観整備事業の「ビフォー・アフター」の写真掲載
<(携帯論語)心を育てることば>
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(3/25)「人を愛すれば永遠なる宇宙にふれる」
(3/26) 「にくしみは積極的不満、ねたみは消極的不満」
勢いに乗ることが勝利の鉄則
2009年03月25日
勢いに乗ることが勝利の鉄則
日本政界は、WBCのような勢いが感じられなくなりました。参議院選挙では、民主党が空前の勝利に沸いたのですが、麻生政権の解散引き伸ばしの間に、不祥事が飛び出し、保守と野党も、昨年春までの形勢がだいぶ変って来ているように感じます。
さて、WBCでは、試合ごとに選手たちの心がかみ合い、パワーアップして来ました。なんの戦いにも勢いが必要と思います。冒頭の言葉は、孫子の教示を現代語に訳したものです。
「積水を千刃の谷に決するがごとき」(孫子)
戦い、勝負は、勢いに乗るというのは大切。勢いに乗っているという自覚が大事。自覚が大事だというのは、せっかくの勢いが来ているのに、それを自覚しない場合もある。
その典型的な例は、明治維新の鳥羽・伏見の戦いでしょう。
・鳥羽・伏見の戦い
官軍側、つまり薩長側は4千人ぐらいしかしません。一方の幕府側は鳥羽街道から大阪城まで1万5千人の長蛇の列を敷ての戦いでした。
だれもが薩長側の負けだと思った中で端然としていたのは大久保と西郷だけだった。つまり大久保利通と西郷隆盛の二人は、自分たちの勢いに乗っていることを考え、勝てるはずのない戦争でも勝てると思っていた。
この時の戦争では、結局、幕府軍側に戦う気力がなかった。なんと先鋒を務めるはずの伊井家と藤堂家が、真っ先に伊井家が寝返り、藤堂家も寝返った。だから、傾れてきな大勝利につながった。
・勝敗を分けた、二つの要因
これには、二つの要因があると言われています。一つは、徳川幕府の弱体化で、民意が天皇を中心とする政権を望み始めたことで、幕府軍の足並みが揃わなかった。
二つ目が、大久保が考案したと言われる皇軍の証(あかし)、菊の紋の入った「錦の御旗」を掲げて、戦に臨んだことで、旗を見た武将たちが、「朝敵にはなりたくない」と、戦意を無くしたとも言われています。
実は、それまで「錦の御旗」は歴史上存在せず、だれも見たことがなかった。
民意に後押しされた勢いの標として「錦の御旗」を掲げたことで、形勢は数ではなく、勢いの方に勝利の女神が微笑んだと言う事です。大久保と西郷の、卓越した政治家としての感性が光った出来事と思います。
*参考資料:矢沢永一・渡部昇一共著「孫子」
<(携帯論語)心を育てることば>
http://keitairongo.otemo-yan.net/
(3/25)「能あるものは、黙っていても現れる(ゲーテ)」
(3/24) 「君子に三つの畏れ敬うことあり」
日本政界は、WBCのような勢いが感じられなくなりました。参議院選挙では、民主党が空前の勝利に沸いたのですが、麻生政権の解散引き伸ばしの間に、不祥事が飛び出し、保守と野党も、昨年春までの形勢がだいぶ変って来ているように感じます。
さて、WBCでは、試合ごとに選手たちの心がかみ合い、パワーアップして来ました。なんの戦いにも勢いが必要と思います。冒頭の言葉は、孫子の教示を現代語に訳したものです。
「積水を千刃の谷に決するがごとき」(孫子)
戦い、勝負は、勢いに乗るというのは大切。勢いに乗っているという自覚が大事。自覚が大事だというのは、せっかくの勢いが来ているのに、それを自覚しない場合もある。
その典型的な例は、明治維新の鳥羽・伏見の戦いでしょう。
・鳥羽・伏見の戦い
官軍側、つまり薩長側は4千人ぐらいしかしません。一方の幕府側は鳥羽街道から大阪城まで1万5千人の長蛇の列を敷ての戦いでした。
だれもが薩長側の負けだと思った中で端然としていたのは大久保と西郷だけだった。つまり大久保利通と西郷隆盛の二人は、自分たちの勢いに乗っていることを考え、勝てるはずのない戦争でも勝てると思っていた。
この時の戦争では、結局、幕府軍側に戦う気力がなかった。なんと先鋒を務めるはずの伊井家と藤堂家が、真っ先に伊井家が寝返り、藤堂家も寝返った。だから、傾れてきな大勝利につながった。
・勝敗を分けた、二つの要因
これには、二つの要因があると言われています。一つは、徳川幕府の弱体化で、民意が天皇を中心とする政権を望み始めたことで、幕府軍の足並みが揃わなかった。
二つ目が、大久保が考案したと言われる皇軍の証(あかし)、菊の紋の入った「錦の御旗」を掲げて、戦に臨んだことで、旗を見た武将たちが、「朝敵にはなりたくない」と、戦意を無くしたとも言われています。
実は、それまで「錦の御旗」は歴史上存在せず、だれも見たことがなかった。
民意に後押しされた勢いの標として「錦の御旗」を掲げたことで、形勢は数ではなく、勢いの方に勝利の女神が微笑んだと言う事です。大久保と西郷の、卓越した政治家としての感性が光った出来事と思います。
*参考資料:矢沢永一・渡部昇一共著「孫子」
<(携帯論語)心を育てることば>
http://keitairongo.otemo-yan.net/
(3/25)「能あるものは、黙っていても現れる(ゲーテ)」
(3/24) 「君子に三つの畏れ敬うことあり」
世界に通用する人:大義を四海(世界)に布かんのみ~横井小楠~
2009年03月25日

裏庭の桜、満開近し
世界に通用する人:大義を四海(世界)に布かんのみ ~横井小楠~
2年前、BSの民放で、石原慎太郎知事と故筑紫哲也氏の対談を思い出した。テーマは民主主義でしたが、その対談の一人がフランス出身の方で、フランスの官僚になるために最後の試験の話をされました。
所謂、口頭試問でやるそうなのですが、一般教養の試験中に全然関係ない、恋愛問題とか、地球物理学の話とか、急に質問されたも答えようがない質問だそうです。それは、なぜか?
全く予定外の問題が出来た時の心構えを見ることだそうです。一般教養は、勉強すればある程度のレベルまで行き着きますが、天変地異や事件に対応する時に、冷静に長期の視野も、短期の処理も考え、即断して行く「見識」と「勇気」を備えているかを見るそうです。
これで動揺するような人は、官僚の上層部にはなれないし、まして外交官などには、採用されないと話されていました。
私は、幕末の思想家横井小楠先生の足跡を、師の手伝いをしながら学んで来ました。小楠先生の有名な漢詩があります。横井小楠先生の甥の横井左平太が留学する時に、送別時に送った有名な漢詩です。
送左大二姪洋行 横井小楠
明堯舜孔子之道 堯舜孔子の道を明らかにし、
尽西洋器械之術 西洋器械の術を尽くす。
何止富国 何ぞ富国に止まらん、
何止強兵 何ぞ強兵に止まらん、
布大義於四海而巳 大義を四海に布かんのみ。
有逆於心勿尤人 心に逆うこと有るも人を尤むること勿れ、
尤人損徳 人を尤むれば徳を損ず。
有所欲為勿正心 為さんと欲する所有るも心を正(あて)にすること勿れ、
正心破事 正にすれば事を破る
君子之道在脩身 君子の道は身を脩むるに在り。
私は、詩の前半部を横井小楠顕彰事業の先輩たちから何度も聞かされ、とうとう暗記してしまいました。
しかし、陽明学を学ぶようになり、幕末の志士たちの「志」と「行動」を知るな中で、漢詩の後半にこそ大事な修養の教えが有り、それを自覚して「しっかり勉強しなさい」に叔父(小楠)としての思いがあると感じます。
私の陽明学との出会いとなった山田方谷先哲も、小楠と同じく江戸後期のの儒家・佐藤一斎に師事しました。
横井小楠先生の「大義を世界に広める」は、先ず自分自身の脩(修)養が大事と説いています。
人としての高い志と学問を積み重ねることを怠らず、世界の情勢を知り、自分で考え識見する力を付け、世界に通用する人物になることを、後世の人々に伝えたかったのかもしれません。
明治時代の志士たちの活躍は、個人個人の志の高さと、学問の深さによるところが大きいと思います。今回のWBC優勝のように世界で活躍する人物が、日本からどんどん出てくることを願っています。
<WBC連覇>素晴らしい勝利! 侍ジャパンの選手に喝采
2009年03月24日


<WBC連覇>素晴らしい勝利! 侍ジャパンの選手に喝采
■<WBC>日本、再び世界一 延長で韓国降す
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=787275&media_id=2
>日本と韓国は今大会5度目の対戦で、ここまでの戦績は2勝2敗の五分。
>日本は延長十回、イチロー外野手(マリナーズ)の中前2点適時打で決勝点を挙げた。
>1日1日チームが団結して進化し、最後までいい戦い方できた。(原監督)
>神が降りてきましたね。(イチロー)
>(連覇で)日本が元気になってくれたらいいなと思います。(松坂)
>(決勝の先発)すごい緊張もした、これを自信にしてこれからの野球人生頑張りたい。(岩熊)
今日のニュースに解説は必要ないですね。
詳しいことは、夜のスポーツニュースで見ましょう。
今夜は、街がヒートアップすることと思います。乾杯!!!
日本野球の金字塔が2度も立ちました。
選手のみなさんには、お疲れ様とありがとうを言いたい。
<こちらも感激>
決勝は、また日韓戦、アジアの野球のレベルは高いですね。
<以前の日記>
・大切なものは目に見えない~寛大な愛と思いやり~
大切なものは目に見えない~寛大な愛と思いやり~
2009年03月24日

大切なものは目に見えない~寛大な愛と思いやり~
バブル時代、「三高」の男性がもてはやされた。高学歴、高収入、背が高い。初対面、三高の男性は好かれるケースが多いかもしれない。が、交際しているうちに三高を鼻にかけて、相手を見下し、自慢ばかりする男にはついていけなくなる。
三高よりも欠かせないものは、男の寛大な愛と思いやり。愛と思いやりは、実際の目にはこれといって見えない。が、男女が、見えないこの二つの大切な心によって、しっかりと結ばれていく。
老子の教示に、次の言葉があります。
「これに随えども後(しりえ)を見ず」
「これ」とは、「常(じょう)」である。「道」である。
人間は、この「道」の生命力によって生かされている。「道」には色がない、音もない、探っても触れることができない。前からやって来ても、足音が聞こえない。通り過ぎていっても後ろ姿が見えない。しかし、その力は現実に活躍している。
見えなくても、感じなくても、その生命力の尊さを発覚(自覚)していくことが、「道を治める」「徳を修める」と、老子は力説する。
(以上、「老子・荘子の言葉100選」)

人を惹きつける力(魅力)は、どこから来るのだろうと思います。「あいつは良いよね」「彼女は魅力的ね」等々、これは人格の輝きと思います。知識や要望、裕福からだけでなく、その本人が持つ、謙虚さ、教養の高さ、相手を思いやる言動、そして広い視野と志のように感じます。
これは、やみくもに、ただ知識を広げるだけでは、養われるものではなく、人と接し、様々な活動、事業、仕事の中で、培われるるものと思います。
老子も、「これ(道)に随え(研鑽すれ)ども、後(姿)を見ず」の言葉が現すように、日々、自分自身の言動そのものが大事ということと思います。
男と女、親と子、友人・知人との関係があって生活ができています。四書の中の『大学』に、「修身、斉家、治国、平天下」と学問の大事さが教示されています。やはり、自分自身の徳(人格)を高めることにまず努めることが必要と思います。
今日はくどくなりました。基本は、やはり男と女の関係、互いを思いやり、互の違いを尊重して、協力しながら生きることが大事と思います。
*参考資料:「老子・荘子の言葉100選」より

士は己を知る者のために死す
2009年03月23日
士は己を知る者のために死す
武士道の話ではと思いますが、これは中国の古い時代のエピソードです。
(本文より、抜粋)
中国の春秋時代に、予譲という男が、晋の重臣の知伯の仕えて重用された。やがて知伯は、政的の趙の襄子に亡ぼされる。この時に、予譲が復習を誓った言葉が、
「士は己を知る者のために死す、女は己を愛する者のために化粧をする。主君の怨みは必ず晴らすぞ」
と山中に逃れたが、苦心の甲斐もなく捕らえられた。襄子が、予譲にたずねた、
「おまえは、ほかにも仕えたことがあるのに、どうして知伯のためにだけ仇を討とうとするか?」
予譲はこう答えたという。
「ほかにも仕えたことは仕えたが、待遇は十人並みだった。だから十人並みに報いた。だが、知伯は、国士として遇してくれた。だから私も国士として報いるのだ」
このエピソードは、部下の心情を理解し、それを態度で示すことが相手のやる気を引き出すカギになることを教えているように思う。
(以上、「中国古典一日一話」)
何時の時代も、リーダーと部下の関係は、技量に見合う地位を与えてか、そしてどう制しているかのかかっていると思います。
「国士無双」という言葉があります。元はマージャン用語ではなく、「国士」とは、国を背負って立つような大人物のこと。「無双」は、二人と居ない、と言う意味。予譲は、この国士として認めてくれた知伯の恩に、報いたかったのだと思います。
私は、今年、熊本が生んだ幕末の政治思想家の横井小楠生誕200年記念事業の事務局長をしていますが、17年前横井小楠の顕彰活動をしていた教授に出会い、小楠の思想を学び、維新の志士たちのことを知りました。
記念事業が、190年、195年と実施され、200年の事務局は私がするようになるだろうと思い、小楠のことを深く勉強するように準備して来ました。
私の社会活動の原点とも言える横井小楠の理念「大義を四海に 布かんのみ」を知り、それが縁で広がった現代の有志のネットワークに感謝し、今回の役目を懸命に努めたいと思っています。事業の催し物が近付きましたら、ご案内をいたします。
*参考資料:『戦国策』~守屋洋編著「中国古典一日一話」
武士道の話ではと思いますが、これは中国の古い時代のエピソードです。
(本文より、抜粋)
中国の春秋時代に、予譲という男が、晋の重臣の知伯の仕えて重用された。やがて知伯は、政的の趙の襄子に亡ぼされる。この時に、予譲が復習を誓った言葉が、
「士は己を知る者のために死す、女は己を愛する者のために化粧をする。主君の怨みは必ず晴らすぞ」
と山中に逃れたが、苦心の甲斐もなく捕らえられた。襄子が、予譲にたずねた、
「おまえは、ほかにも仕えたことがあるのに、どうして知伯のためにだけ仇を討とうとするか?」
予譲はこう答えたという。
「ほかにも仕えたことは仕えたが、待遇は十人並みだった。だから十人並みに報いた。だが、知伯は、国士として遇してくれた。だから私も国士として報いるのだ」
このエピソードは、部下の心情を理解し、それを態度で示すことが相手のやる気を引き出すカギになることを教えているように思う。
(以上、「中国古典一日一話」)
何時の時代も、リーダーと部下の関係は、技量に見合う地位を与えてか、そしてどう制しているかのかかっていると思います。
「国士無双」という言葉があります。元はマージャン用語ではなく、「国士」とは、国を背負って立つような大人物のこと。「無双」は、二人と居ない、と言う意味。予譲は、この国士として認めてくれた知伯の恩に、報いたかったのだと思います。
私は、今年、熊本が生んだ幕末の政治思想家の横井小楠生誕200年記念事業の事務局長をしていますが、17年前横井小楠の顕彰活動をしていた教授に出会い、小楠の思想を学び、維新の志士たちのことを知りました。
記念事業が、190年、195年と実施され、200年の事務局は私がするようになるだろうと思い、小楠のことを深く勉強するように準備して来ました。
私の社会活動の原点とも言える横井小楠の理念「大義を四海に 布かんのみ」を知り、それが縁で広がった現代の有志のネットワークに感謝し、今回の役目を懸命に努めたいと思っています。事業の催し物が近付きましたら、ご案内をいたします。
*参考資料:『戦国策』~守屋洋編著「中国古典一日一話」
「フード・マイレージ」の考えを、木材利用にも導入すべき
2009年03月23日

「フード・マイレージ」の考えを、木材利用にも導入すべき
今春から、熊本県内の教育に、「フード・マイレージ」の考え方を教えると、NHKの朝のニュースで話していた。フードマイレージの考え方は、20年近い以前から先進的な研究者が語っていたが、世界不況、世界人口の増大の懸念から、国民の中に食の安全保障の「危機感」が募って来ているのだと思います。
環境保全の協定「京都議定書」の実現が、叫ばれてはいるが、なかなか目標の数値には届いていない。この京都議定書のCO2の削減の数値に、輸入に伴う船舶のエネルギー使用料は加算されていません。ヨーロッパは、京都議定書の後の協定に、この輸送の使用される燃料もCO2の削減数値に盛り込もうとしています。
日本は、輸出輸入に使用する船舶燃料の世界最大の使用国で、貨物と距離を掛けあわせる数値で、世界の4割近くを占めます。この貨物と距離を、食物と距離にしたのが、「フード・マイレージ」です。膨大な化石燃料を使い、海外から多くの食料を輸入している考えるだけでも、京都議定書後の環境保全協定の目標値30%削減には、近づけないと思います。
また、木材に関しても、日本は戦前から世界最大に木材輸入国で、戦後の高度成長期には、膨大な量の木材を輸入に頼り、国内の森林が使われなくなり、荒れた山々が広がっています。木材の重さに、距離を掛けたものが「ウッド・マイレージ」で、この輸入分野では、ダントツの世界一が日本です。
南洋材の伐採が「温暖化防止」もあり、規制が厳しくなる中、ロシアやカナダの木材の伐採が進んでいると言います。その影響で、アムール・トラの生息場所は、保護区を作らないといけない状況をあると聞きます。
この木材に占める国産材の使用率を上げることと、京都議定書後の地球温暖化対策に、「ウッド・マイレージ」の導入が必要と思います。そして、早い時期に教育の中で、この考え方を教える必要を感じています。
今回、教育の中で教えるフード・マイレージが、ウッド・マイレージ、さらにエネルギー・マイレージ、と広がって行くと良いなと思っています。
日本は、水、森林、自然が、世界に類を見ない豊富な島国です。水も、木も、自然エネルギーも、国内のものを利用して生活・経済を維持できる仕組みに、転換してして行きたいですね。
他人に苛つくことは、自分自身の理解に役立つ(ユング)
2009年03月22日

他人に苛つくことは、自分自身の理解に役立つ(ユング)
私は、臨床心理学の河井隼雄氏の著書から色々な自分を理解するヒントをもらっています。その河井氏が敬慕した、スイスの心理学者のカール・グスタフ・ユングの言葉が、
「他人に接して苛つくことは全ては、自分自身の理解に役立つ」
ただ読んだだけでは意味不明ですが、解説を読むとなるほどと思った。ユングは、深層心理について研究し、分析心理学の理論を創始した人です。以下、上記の言葉の解説が「世界の名言100選」ありました。抜粋を紹介します。
(本文より)
・・、単に精神病者ばかりでなく、健康な一般人でもその無意識の中には、まさに神秘的な不可思議な深層心理がかくされている。
普通、人は社会生活をしているうちに、他人の行動や発言に苛つくことが多い。なぜそうなるのかというと、他人の行為や言動のおかげでおのれの願望や真髄の発露が甚(はなはだ)しく妨げられるからである。・・(中略)人間は普通外部からの衝突を避けるため、仮面(ペルソナ)をつけて生きている。(中略)
ユングは、「人が自分の措かれた時代や環境の支配的傾向に反逆して、ペルソナをかなぐり捨てて本性を発揮するのは危険きわまりない」としつつも、「場合によっては、本性を発揮した者が実益を受けることもある」と述べ、いたずらにペルソナに固執するばかりで、前向きに活動しないことを戒めている。(以上、解説から)
(例)50年間精神病院に入院していた女性の患者が、長年、常に靴を縫うような仕草をし続けていたそうで、それは発病前に彼女を捨てた、かつての恋人(靴屋)の動作を真似たものだったと判明した。(中略)
こんなきれいな事例ばかりでなに、人類の無意識の中には、ヒトラーやスターリン的な凶暴性すら隔されていることが判明している。
人の心に在る、様々な潜在意識は、以外に日常の感情を左右する心の発露(感性)に影響を与えているのかもしれません。
>いたずらにペルソナに固執するばかりで、前向きに活動しないことを戒めている。
仮面をかぶり続ける人生が、ひょっとするとほとんどかもしれませんが、たまに自我を素直に出せることの、心の開放に必要なのかもしれません。
*参考図書:金森誠也監修「世界の名言100選」
<ユング・参考資料>
・カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年- 1961年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0(Wikipedia)
~スイス、精神科医・心理学者~
>特に当時不治の病とされた分裂病(統合失調症)の解明と治療に一定の光明をもたらした。スイス・チューリッヒにユング研究所を設立し、ユング派臨床心理学の基礎と伝統を確立した。
武蔵も恐れた「剣聖・丸目蔵人」の墓を訪問
2009年03月21日
武蔵も恐れた「剣聖・丸目蔵人」の墓を訪問
今日は、父のお付で、私の祖父の妹の月命日に、墓前お参りに行きました。97歳の千月他界し、父の伯母であり、子どものころは可愛がってもらったようで、その家に行くと懐かしい顔をしていました。
実は、伯母の家の名字は「丸目」で、戦国時代に名を轟かせた、旧相良藩(言球磨郡錦町)出身で、宮本武蔵、柳生石舟斎と、肩を並べると言われた、丸目蔵人佐長恵の末裔に嫁いだのです。何十年ぶりかに、伯母の家に行った帰り、「丸目蔵人の墓」の案内と見つけ、立ち寄って見ました。

(携帯電話のカメラで) 旧不知火町の史跡の石碑

(携帯電話のカメラで) 丸目(蔵人)信久の墓

(インターネット上から転載) 丸目(蔵人)信久の墓の全景
きれいに掃除が行き届き、地域の人々が大事に、剣聖・丸目蔵人の顕彰活動が、390年の時を越えた今でも続けられている事に、驚きと感謝する思いを持ちました。
先月、宮本武蔵が、「五輪の書」書くために籠もった霊雁洞を訪問したのですが、なんか偶然に思えて、今日は父のお供は役得だったと思いました。
今日のご縁を、日記に書きました。スナップ写真と、ネット上にあった写真を紹介します。
<丸目蔵人、関連資料>
(注1)~球磨郡錦町のホームページから抜粋~
http://www.nishiki-machi.com/introduction/kengou.html
【丸目蔵人佐長恵(まるめくらんどのすけながよし)】
(1540~1629 )タイ捨流創始・相良藩剣術指南役
肥後八代郡人吉に生を受ける。幼い頃から剣の修行に励み、16歳の時、大畑合戦で初陣を飾る。翌年、天草の本渡城に身を寄せ、天草伊豆守から中条流を学んだ。
19歳になると、当時最強と謳われた兵法者、上泉伊勢守(新陰流始祖:竹刀の原型を発明し、技術水準に応じた段階的な修行方法を構築するなど、今日の剣道の基礎を築いたとされる)に挑むために上京。しかし、あえなく敗退しそのまま新陰流に入門した。
その後、28歳で上泉から印可状を受け、3度目の上京の後、タイ捨流を興した。「タイ」とは、大、太、体、待などの意味を持ち、これを捨てた「自在の構え」を旨とすると言われている。
(注2)
柳生石舟斎は、1527年生まれー1606年没
丸目蔵人佐は、1540年生まれー1629年没
宮本武蔵は、 1584年生まれー1645年没
ほぼ同時代に天下一と呼ばれた蔵人佐と武蔵と石舟斎なのです。
<関連ブログ>
・武蔵も恐れた 剣聖・丸目蔵人
http://s8.kcn-tv.ne.jp/users/narusetomi/kengou.html
今日は、父のお付で、私の祖父の妹の月命日に、墓前お参りに行きました。97歳の千月他界し、父の伯母であり、子どものころは可愛がってもらったようで、その家に行くと懐かしい顔をしていました。
実は、伯母の家の名字は「丸目」で、戦国時代に名を轟かせた、旧相良藩(言球磨郡錦町)出身で、宮本武蔵、柳生石舟斎と、肩を並べると言われた、丸目蔵人佐長恵の末裔に嫁いだのです。何十年ぶりかに、伯母の家に行った帰り、「丸目蔵人の墓」の案内と見つけ、立ち寄って見ました。

(携帯電話のカメラで) 旧不知火町の史跡の石碑

(携帯電話のカメラで) 丸目(蔵人)信久の墓

(インターネット上から転載) 丸目(蔵人)信久の墓の全景
きれいに掃除が行き届き、地域の人々が大事に、剣聖・丸目蔵人の顕彰活動が、390年の時を越えた今でも続けられている事に、驚きと感謝する思いを持ちました。
先月、宮本武蔵が、「五輪の書」書くために籠もった霊雁洞を訪問したのですが、なんか偶然に思えて、今日は父のお供は役得だったと思いました。
今日のご縁を、日記に書きました。スナップ写真と、ネット上にあった写真を紹介します。
<丸目蔵人、関連資料>
(注1)~球磨郡錦町のホームページから抜粋~
http://www.nishiki-machi.com/introduction/kengou.html
【丸目蔵人佐長恵(まるめくらんどのすけながよし)】
(1540~1629 )タイ捨流創始・相良藩剣術指南役
肥後八代郡人吉に生を受ける。幼い頃から剣の修行に励み、16歳の時、大畑合戦で初陣を飾る。翌年、天草の本渡城に身を寄せ、天草伊豆守から中条流を学んだ。
19歳になると、当時最強と謳われた兵法者、上泉伊勢守(新陰流始祖:竹刀の原型を発明し、技術水準に応じた段階的な修行方法を構築するなど、今日の剣道の基礎を築いたとされる)に挑むために上京。しかし、あえなく敗退しそのまま新陰流に入門した。
その後、28歳で上泉から印可状を受け、3度目の上京の後、タイ捨流を興した。「タイ」とは、大、太、体、待などの意味を持ち、これを捨てた「自在の構え」を旨とすると言われている。
(注2)
柳生石舟斎は、1527年生まれー1606年没
丸目蔵人佐は、1540年生まれー1629年没
宮本武蔵は、 1584年生まれー1645年没
ほぼ同時代に天下一と呼ばれた蔵人佐と武蔵と石舟斎なのです。
<関連ブログ>
・武蔵も恐れた 剣聖・丸目蔵人
http://s8.kcn-tv.ne.jp/users/narusetomi/kengou.html
政治活動にも異端児が出ないと「献金改革」は不可能?
2009年03月20日

夜桜02
政治活動にも異端児が出ないと「献金改革」は不可能?
■<民主>企業・団体献金の全面禁止、議論を開始(毎日新聞 -03月19日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=783650&media_id=2
>役員会では、長妻昭政調会長代理が「全廃に賛成」と明言。
>「個人献金だけでは資金不足に陥る」との慎重論に対して「個人献金への税額控除を導入すれば不足分を補える」と指摘した。
また、色々目先を変え、内実は変らないような悪知恵をまた思いつくのではと思います。
ネット民主主義の到来が、直ぐそこに来ている時代です。全く発想を変えて、政治を考えてみてはどうかと思います。後援会も、献金もオープンにして、金のかからない選挙のやり方を考えることが必要ではないかと思います。
・伝統は、新しい試みの蓄積
先週、ユニセフのボランティアたちと反省会で語る中で、なぜか日本伝統芸能の話になった。中に日本舞踊の方が居られ、「日本舞踊が衰退している。その一因に、発表会に費やされる(参加費も含め)、一般庶民からするとあまりにも高額で、そこを変えて多くの人に知らせたい」と熱く語られました。
私が、以前に読んだ本のことを紹介した。「伝統とは、その時々の先駆者(当時は、異端児)たちが、低迷したものに活気を与えようと、色々工夫をした中で、流行ったもの良きアイデアは、伝統に中に残った」。能も歌舞伎も、多くの先人たちの努力が今に残ったと思います。
・織田信長は、時代の先駆者だが、情報収集家だった
前置きが長くなりました。戦国を平定した織田信長は、それまでに無い多くのアイデア(工夫)を、実施した武将であり、政治家と思います。
若いころは、「うつけ者」と言われながら、市中をうろついたと歴史で読みました。作家の童門冬ニ氏の本に、面白い視点で「うつけ者」の行動を分析した物がありました。
(本文より、抜粋)
信長は、諸国のお坊さん、高野聖(ひじり)、伊勢の御師(おし)、芸能人、商人、浪人や行商人たちと接触した。秀吉は勘が良いので、信長の求めるもは何かを考えた。信長の知りたかったことは、「同時代のニーズ」と。
・産品の生産地、流通の状況
・各地の支配者の能力と組織力
・生産できない産品を、支配者どう調達しているか
は、一般的に思い付きます。信長はそこで留まらず、広い視野と政治的なセンスが働き、次に7つのことを戦国期の社会を分析したのではないか?
*(注)ある社会研究機関が示した「人間は何のために生きるか」。
1.平和に暮らしたい
2.豊かに暮らしたい
3.平等に暮らしたい
4.正しく暮らしたい
5.自己向上したい
6.パフォーマンスしたい
7.安定したい
信長は、「同じ時代(戦国)に住む日本人は、生きる目的をどこにおいているか」を考えた。それまでの武将は、一国一城の主をなるか、強い武将に仕官することを考えた。しかし、信長は「天下武布」を掲げ、天下統一を目指した。
当時の民衆は、武士は好き勝手に農村や町を荒しまわり焼いたり生産物を奪ったりする。「こんな世の中が早く終わって、平和になって欲しい」と願っていただろう。平和になれば、他の6つの望みは、自ずと付いて来るものと考えたのでは。
・中国の周を興した武王を目指した?
織田信長は、美濃国に拠点を定めたとき、「岐阜」と名付けた。中国の周を興した武王が起点とした「岐山」から来ているといわれる。周の武王は、「愛民の政治」を行い、孔子、孟子も高く評価した。
・現代日本に「うつけ者」は居るか、出現するか
現代の日本の政治活動を見ると、明治から続く、企業と政治家の連携(献金・政策)で運営をして来ました。信長のように、「うつけ者」になって、今の民衆の望むものは何か、リサーチをどれだけされているか疑問を持ちます。
政治活動しかり、政治資金しかり、支援団体、あるいは政治自身の活動報告も含め、全く新しい発想で活動する異端児(先駆者)が、出てくる必要と思います。
・先駆者の試みは、伝統を活性化する
私は伝統の継承で、市川猿之助の劇場歌舞伎を例えるのですが、最初は興味を示さなかった古典歌舞伎の客たちが足を運ぶようになると、他の役者も思い思いのアイデアで演じるようになり、本来の歌舞伎も活気が出ました。
政治グループの領袖を2代目、3代目の世襲議員が居座っては、急激な改革は望めないように思います。思い切り、外からうねりを起すような、市民も絡む活動(運動)が必要な時期にあると思います。
最後までお読み頂き感謝します。
*参考資料:童門冬ニ著「将の器 参謀の器」から
<前の日記>
・<WBC>日本勝利、上昇気流、準決米国、ニッポン・ガンバレ!
http://noguchi.otemo-yan.net/e170771.html
・(携帯論語)心を育てることば
http://keitairongo.otemo-yan.net/
~携帯電話から検索できます。名言、人生訓、など短い時間で読むことができます。一度、検索して見て下さい~
<WBC>日本勝利、上昇気流、準決米国、ニッポン・ガンバレ!
2009年03月20日
<WBC>日本勝利、準決勝は米国、上昇気分!
今日は、色々な事務残務で、テレビの前にどっかと座り、資料とパソコンとにらめっこでした。昼食前に、娘が「今日、WBCじゃん」とテレビのスイッチを付けると、2-1で日本先行中。6回の後半からの観戦でしたが、結局最後まで見てしまいました。
結果は、日本勝利で、準決勝進出です。村田選手の負傷は、残念ですが気分も上昇気流に乗りつつあるように感じます。
■<WBC>日本、韓国降す 準決勝は米国と対戦(毎日新聞03月20日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=784038&media_id=2
>今大会における日本と韓国の対戦成績は2勝2敗のタイになった。
前回同様、日韓戦は一喜一憂する熱戦で、つい応援観戦をしてしまいます。
東京ラウンドの悔しさを、忘れていない選手の奮起が、今日の勝利につながったと思います。
さて、感想を少し、
>七回、韓国・李机浩の中越えソロで同点とされたが、
七回前半の拙攻が、痛かったですね。でも、当たりが出て来たと思います。
>八回に小笠原(巨人)の右前適時打で勝ち越し、岩村(レイズ)の中前への2点適時打で突き放した。
小笠原選手の技有りのヒットを思います。これが、流れを日本に引き寄せたし、9回の攻撃は、準決勝へつなぐ気運を、選手もファンも持ったと思います。次回は、強豪アメリカ戦ですが、初回から見たくなって来ました。
>投げては先発・内海(巨人)をはじめ7投手の継投で韓国の反撃をかわした。
ピッチャー、頑張ってますね。打者も、足を使い、かき回す戦法で決勝まで進んで欲しいと思います。
まだ早いですが、WBC2連覇まで、後2つになりました。
ニッポン・ガンバレ!
今日は、色々な事務残務で、テレビの前にどっかと座り、資料とパソコンとにらめっこでした。昼食前に、娘が「今日、WBCじゃん」とテレビのスイッチを付けると、2-1で日本先行中。6回の後半からの観戦でしたが、結局最後まで見てしまいました。
結果は、日本勝利で、準決勝進出です。村田選手の負傷は、残念ですが気分も上昇気流に乗りつつあるように感じます。
■<WBC>日本、韓国降す 準決勝は米国と対戦(毎日新聞03月20日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=784038&media_id=2
>今大会における日本と韓国の対戦成績は2勝2敗のタイになった。
前回同様、日韓戦は一喜一憂する熱戦で、つい応援観戦をしてしまいます。
東京ラウンドの悔しさを、忘れていない選手の奮起が、今日の勝利につながったと思います。
さて、感想を少し、
>七回、韓国・李机浩の中越えソロで同点とされたが、
七回前半の拙攻が、痛かったですね。でも、当たりが出て来たと思います。
>八回に小笠原(巨人)の右前適時打で勝ち越し、岩村(レイズ)の中前への2点適時打で突き放した。
小笠原選手の技有りのヒットを思います。これが、流れを日本に引き寄せたし、9回の攻撃は、準決勝へつなぐ気運を、選手もファンも持ったと思います。次回は、強豪アメリカ戦ですが、初回から見たくなって来ました。
>投げては先発・内海(巨人)をはじめ7投手の継投で韓国の反撃をかわした。
ピッチャー、頑張ってますね。打者も、足を使い、かき回す戦法で決勝まで進んで欲しいと思います。
まだ早いですが、WBC2連覇まで、後2つになりました。
ニッポン・ガンバレ!
「老子」子育て自然にまかせる~過干渉、個性を混乱~
2009年03月20日

(桜03)「老子」子育て自然にまかせる~過干渉、個性を混乱~
昨日、高校の保護者会で、こんな話があった。
「子どもたちは、勉強しなければいけないのは、充分分かっている。煮え切らない態度の子どもに、頭ごなしに゛勉強しなさい゛と言われる、言われた方は「ムッ」とするものです。なるべく子どもの自主性を尊重して下さい」
老子の言葉を紹介した本を読み、なるほどと頷いた。先人たちも子育てで悩んでいたいたことがうかがえる。
(本文より、抜粋)
かつて、子どもの過保護と過干渉がよくないといわれていた。が、今日では、過保護は、いくらしても、子どもの健全な成長を妨げないことがわかった。
子どもたちをダメにしてしまうのは、過干渉が、もっとも善くない。
あれこれと、干渉され、毎日のように注意や施策を加えられて、子どもの個性や適正がぐちゃぐちゃにされて、自分の本質がなんだかさっぱりわからなくなってしまった子どもたちが、いかに多いことか。
(以上、「老子・荘子の言葉100選」より)
過干渉を注意した言葉が、老子の教えにあります。
「小鮮を烹(煮)るがごとく」
~小さい魚を煮るようにする~
(意味)
なべに小さい魚をそっと並べて煮る時に、いたずらに、向きを変えたり、ひっくり返したりしていると、小魚の形がぐちゃぐちゃになってしまう。あまり掻き回さない方が、小魚の形が美しいし、味もよい。(中略)
(解説)
現代は、子どもの教育ばかりではなく、あまりにも、重箱の隅をつつくようなことが多く、人々は、つねに戦々恐々としている。老子の中心哲学は、「無為自然」(自然にまかせてほうって置く)である。
子どもの行動のしまりの無さに、つい言ってしまいそうな気分を持ちますが、考えてみると自分が学生だったころ、やはり進んで勉強が出来たかと思うと、二つ返事をできないような学生生活だったと思います。
「小鮮を煮るがごとく」
なべの温度管理がしっかりしないといけませんが、中身の状況は、中身がふれあいながら、出来上が(成長す)るを待つことが肝要、という教えと思います。
*参考資料:境野勝悟編著「老子・荘子の言葉100選」
(夜桜01)決めるのは一瞬、しっかり立って周りを見よ
2009年03月19日

(夜桜01)決めるのは一瞬、しっかり立って周りを見よ
世には、会議、会議と、毎日会議をする葉ですが、なかなか結論が出ず、1時間、2時間、3時間。もし10人居れば、30時間の大切な時間がついやされます。
しかし、ここにリーダーシップを取る人がいて、意見・異見を吸い上げ、方向を示すと30分もかからずに、終わることもあります。
また、会議資料は事前に全担当へ配布して、決定のみをやる会議にすれば、多分10分あれば済むことになります。決定は一瞬の判断と思います。詩人、ゲーテの「格言集」に次の言葉がありました。
(本文)
人間の生活やその一生の運命をきめるのは、一瞬間のほかありません。
長い相談をしたところで、決定となれば、瞬間にきめられることです。
分別のある人だけが正しい道をとらえるのです。
選択にあたって、あれやこれやと思い惑い、
気持ちを混乱させるは、危険をますばかりです。
(「ヘルマンとドロテーア」)
>きめるのは、一瞬間
>分別のある人だけが正しい道をとらえる
この年になると、何となく頷けるところを感じます。
リーダーシップのある人は、常々、問題になりそうな変化に気付き、考えているから、即答が出来るのだと思います。決断できない人、会議で意見を言えない人は、人の言葉、上司の言葉を鵜呑みして、疑問を持たない人が多いように思います。
戦略(政策)を考案(提案)できる人は、自分の足で問題点を洗い出し、現場を見た気づきから、改善点を試行錯誤します。20年ほど前に流行した「戦略的思考」は、このことではないかと思います。
問題抽出能力はどうやって磨くか?
やはり自分の責任で何事も行動をする事が大事と思います。同じく、ゲーテの「格言集」に次の言葉がありました。
(本文)
しっかり立って、身の周りを見よ。
有能なものに対して、この世界はだまってはいない。
なんで永遠の中にさまよい出る必要があろう!
自分の認識することは、手につかむことができる。
(「ファウスト」)
>しっかり立って、身の周りを見よ
>自分の認識することは、手につかむことができる
地に足をしっかり着けて、自分の周りを観察することが必要と思います。
やみくものウロウロするのでなく、自分の持つ目標を羅針盤にして、周りの変化を観察する事が大事と思います。ただ、周りを観察しても変化も気付かないし、ヒントも閃きません。やはり志(目標)とする人物、あるいは理念が必要な気がします。
今日は、ゲーテの格言ですが、場所は違えど、年代は違えど、人の行く着く考え方は、同じようなところ(志)に落ち着くように思います。
「しっかり立って身の周りを見よ、きめるのは一瞬」
賢人の言葉は、心に響くものが有ります。
*参考資料:高橋健二編訳「ゲーテの格言集」
<以前の日記>
・(ちらほら)雪とけて村いっぱいの子ども哉~小林一茶~
・(桜開花)外にも出よ触るるばかりに春の月~中村汀女~
**(祝)WBC 日本がキューバを下し、準決勝進出**
・WBC=日本がキューバ下す、ベスト4進出