文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜

2025年03月07日

<老いてますます学問を>文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜

(昨日の出来事からコメントしました)

文明開花の明治が始まって160年、馬車から汽車さらに自動車から飛行機の時代になって、ますます世界が狭くなったように、科学や技術の発展により、人間の邪魔やは延び、ますます人生は長くなっています。

それこそ、幕末維新で活躍した熊本の政治思想家の横井小楠が暗殺されたのは61才、坂本龍馬は32才でした。私は、龍馬の歳の倍、小楠の歳も越えてしまいました。

人生は短いとは言いますが、戦前からすると、長生きになっています。

渋澤栄一は、以下のように書いています。

>そんな中で、30歳までが勉強の時間であるならば、少なくとも70歳ぐらいまでは働かないと、もったいないではありませんか?

>もし50や55で老いて衰えてしまえば、20年、25年しか働いていないことになります。

>それだけの期間で、何を成し遂げられるでしょう。そして、何かを成すには、学び続けるしかないのです。
(以上、『渋澤栄一100の訓言』より)

男女を問わず、大学進学が当たり前になりました。しかし、日本の大学は、難関大学がいくつも存在しているように、入るは難し、出るは優しの狭き門がいまだにあります。

昨日の防犯パトロール中に、高校無償化の話から、北欧の大学の学費無料の話になった。現役教師から、

「大学は、出るのを難しくしないから、人材が育たない」

と話していました。確かにそうかとは思いますが、社会人でも最初は学ばないと、仕事はできません。

共同通信の論説委員長で、久米宏さんのニュースステーションにも出られた政治評論家の故内田健三氏が80歳を前にして語られた、

「身体は老いるが、精神は成長する。まだまだ勉強です」

を忘れられません。当時私は40代前半でした。

内田健三氏が語られたことと同じ内容が、本日読んだページにありました。

(以下、『渋澤栄一100の訓言』より転載)

しかして文明の老人たるには、
身体はたとい衰弱するとしても、
精神が衰弱せぬようにしたい、
精神を衰弱せぬようにするには学問によるほかない。
(以上、【『論語と算盤』立志と学問】より)

内田健三氏は、東京大学在学中に、学徒動員で戦地に向かい戦った後、戦後すぐは肺病(結核)を患い床に伏された。病気を乗り越えて大学に復帰されたのは6年後だったと聞きました。なので、30歳まで大学で学ばれました。

>文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。

老いても益々学ぶ意欲を持たなければ、と朝から考えました。

私の40代前半ころの、昼は社会活動に参加して、夜に設計の仕事をした体力は流石に今はなくなりましたが、学ぶ意欲がなくならないようしなければと思います。

話が長くなりました。明日からの宇土半島一周ウォークの準備を、午後からやります。さて、完歩できるか、足を状態を労わりつつ頑張ります。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:03Comments(0)偉人哲学、人生

久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。

2024年12月26日



年末の挨拶回りで、熊本市東部まで来たので、久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。

昨年リニューアルして以来、展示は見てなかったので、2階の特別展示をゆっくりと見学しました。熱心に資料を確認されている来館者が居られました。



「国是七条草案」は、以前にも展示してあったのですが、改めて読み直しました。



ちょっと粋な文を見つけました。現代の市民の政治離れにも似た減少が、当時の肥後熊本にもあったことを知る漁師の話です。

(以下、横井小楠の感想の抜粋)

地域を治る長官が新しく代わって来たというが、私はその人の名前すら知らない。私はただ自分の生活をしているだけで政治には何の関心がない。
〜漁師のおやじの言葉 横(井平四郎時)在〜

(以上、写真の話の現代語の解説より)

横井小楠の隠居生活から見えてくる当時の庶民の生活が伺えます。幕末維新の動乱の時期以前は、変わらない平和な時代を、庶民は楽しんでいたのだと思いました。




坂本龍馬と対談した座敷


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 13:33Comments(0)偉人日本の歴史、世界の歴史熊本の出来事

<今朝の名言>さまざまな社会の出来事を非難する人がいます。政府にも、行政にも、さらに職場でも・・・

2024年05月13日

<今朝の名言>さまざまな社会の出来事を非難する人がいます。政府にも、行政にも、さらに職場でも・・・

これは、今に始まったことではなくて、人々の営みが始まった時からあったことで、いろいろ偉人たちが、幸福や教育、政治について語っています。

(以下、19世紀のアメリカの作家の言葉より)

「幸福とは、どれだけ豊富な知識があるかの問題ではな。知識をどれだけ活用するかの問題である。どんな教育を受けたか、どんな訓練を受けたかの問題ではない。自分がどんな人間であるか、どんなことができたかの問題である」
〜ジョシュア・G・ホランド〜
(以上、『カーネギー 名言集』より)

昨夜、私のブログの古いコメントで紹介した「益者三友、損者三友」からも、自らの行動そのものが問われるのが人生だと思います。

ジョシュア・G・ホランド(1819~1881) は、19世紀米国の小説家・詩人、雑誌編集者ですが、人の営みの中で大事な労働について以下のことを語っています。

「労働は生きるための手段であって、生きることではない」

私なりの解釈だと、

"あなたは何のために生きていますか?"

の問いのように聞こえます。

>知識をどれだけ活用するか

>自分がどんな人間であるか、どんなことができたか

私は、来月で66歳に至ます。学生時代、60代は遠い先のことと思っていました。何もしなくても、一日は過ぎて行きます。

ジョシュア・G・ホランドの「知識」と「教育」から、自らの人生を振り返る朝になりました。また、今週が始まります。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:51Comments(0)偉人教育問題

江戸時代、土佐弁は、江戸者が語ることばと区別かつかなかった。〜司馬遼太郎〜

2024年02月23日


<土佐人の強み「言葉」>・・土佐ことばの最も大きな特色であり、昔から土佐人のお国自慢の一つに数えられてきたことである。〜国学者・土居重俊氏土佐言葉」〜

江戸時代、土佐弁は、江戸者が語ることばと区別かつかなかった。〜司馬遼太郎〜

昨秋に、久しぶりに桂浜の坂本龍馬像を眺めてきました。それも、同じ目線で太平洋を望むこともできました。

先月にリサイクルブック店で見つけた、1978年1月初版の司馬遼太郎さんの旅行記『歴史を紀行する』を見つけ、時折開くのですが、土佐(高知)気質が産んだ偉人坂本龍馬の一端が知れることが書かれていました。

高知は、人口の少ない県に数えられ、瀬戸内から遠いから、江戸時代は"田舎"のイメージと思いきや、土佐弁が江戸言葉と聞き分けができないほど似ていることもあり、江戸の街で語られるそれぞれのお国言葉からすると、かえって江戸者と思われるほどだったと。

(以下、本より抜粋)

江戸期に土佐藩士が江戸へゆき、江戸者はじめ他国の者がこの区別できないことに気づき、江戸弁や上方弁よりも土佐弁のはうが日本語として正しいとおもった。方言による劣等感を持たなかったばかりか、軽い優越感すら持った。これは幕末の土佐人が藩外活動をする上で自信の根拠の一つになったであろう。国学者土居重俊氏によれば「・・土佐ことばの最も大きな特色であり、昔から土佐人のお国自慢の一つに数えられてきたことである」(「土佐言葉」)とある。坂本龍馬は生涯、どの土地のたれに会ったときもまる出しの土佐弁で押し通したという。(中略)

維新後、奥州会津の小学校で発言矯正教育がおこなわれたとき、その教師は東京から招かれず、僻地の土佐からはるばる呼ばれたという。
(以上、司馬遼太郎著『歴史を紀行する』より)

私の姉が鹿児島県の霧島神社の近くに嫁ぎました。結婚して間もないころ、姉の家に遊びに行き留守番をすることになりました。そこへ電話がかかってきて、取ると高齢の女性の声でした。ひとしきり鹿児島弁で話されたが、さっぱりわからない。最後、切られる前に、「すみません、お名前をもう一度教えてください」と言い、メモをしました。姉に、「何の用事かはわからないが、○○さんから電話があった」と。

その後何年かして、奄美大島の方と語る機会があった。どうにか、霧島言葉は、半分くらいは分かるようになったのですが、島言葉は、さっぱり理解できませんでした。(笑)

日本は広い、と思います。

要するに、坂本龍馬の活躍の裏に、土佐弁が、当時のもっとも日本語らしい日本語だったことがあるなぁ、と司馬遼太郎氏の本から知りました。

坂本龍馬は、日本の共通語を話せたのが、活躍の要因にあるように思います。

言葉は大事ですね!  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:05Comments(0)偉人日本の歴史、世界の歴史

八代亜紀さんがお亡くなりになりました。安らかにお休みください。ご冥福をお祈りいたします。

2024年01月10日


八代亜紀さんがお亡くなりになりました。大ショックです。今の時代、73歳の死は残念でなりません。機会があれば、歌謡ショーを見たいと思っていたので、悔やまれますが、熊本のため、さまざまに活動をしていただきました。特に熊本地震では、良く顔を見ていました。安らかにお休みください。ご冥福をお祈りいたします。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:33Comments(0)偉人熊本の出来事市民活動

藩主が自ら思い切った贅肉落しを行う。鍋釜(官僚)を頑強に鋳る(育成する)ことが最も肝要である。〜上杉鷹山〜

2024年01月09日

<政治改革とは>藩主が自ら思い切った贅肉落しを行う。鍋釜(官僚)を頑強に鋳る(育成する)ことが最も肝要である。〜上杉鷹山〜

一昨日、昨日は、20歳の集い(成人式)が各地で開催され、若人たちの輝く姿を見ることができました。これからの活躍が楽しみです。

さて朝の読書は、元都庁職員で作家の童門冬二著『上杉鷹山と細井平洲』を開きました。

江戸期の名藩主と言われる米沢藩の上杉鷹山を若いときから指導をしたのは儒家の細井平洲です。

藩主となり鷹山が初めて江戸から米沢藩に帰郷した時の方から・・・

(以下、童門冬二著『上杉鷹山と細井平洲』より抜粋)

財政も行政も最悪で、泊まるはずの宿(本陣)は潰れ、食事も用意されない状況だった。つまり、都市基盤整備が全く行われず、税ばかり高く、働き場もないなら若者はどんどん大都会に行ってしまった。

寒い中、部下たちと一緒に囲む火鉢を見ながら、「火種の誓い」なる発言が生まれる。

「責任はすべて藩主の自分にある。私が灰の中のこの小さな火種になろう。おまえたちはこの火種を受ける黒い灰になってほしい。そして、明日から米沢城内で火種運動を起せ。いつかその火が城中に漲(みなぎ)れば、やがて飛び火をして、町に住む人や村に住む人の胸に飛んでいく。そうすれば、住民もこの改革に協力してくれる」

>改革の究極的な目的は、下々が暮らし易く幸福感を感ずることにある。そのためには、藩主が入用を省き、恵み深く下々に接しなければならない。具体的には節倹な術を自身の奥向きから実行することである。

>藩主が自ら思い切った贅肉落しを行うことである。

>だからといって、藩主が自ら贅肉を落す行為を、これ見よがしに他にPRするような邪な心があってはならない。
(以上、本より)

等々、細井平洲の指導を受けた鷹山の気構えの話が続くのですが、リーダーの在り方、実践行動、部下として役割、殖産興業の政策と実施、詳しく具体的に書かれています。さすが、行政マンの視点で鋭く、『嚶鳴舘遺草』を分析されていて面白い。

また、以下の部分は特に例えが生活感があって感心しました。

>藩主は米である。士農工商は薪である。地方役人は鍋釜である。最も大切なのは鍋釜である。たとえどんなに米がよく、薪がよく燃えても、鍋釜が壊れていては米はよく炊けない。鍋釜を頑強に鋳ることが最も肝要である。〜細井平洲『嚶鳴舘遺草』〜

上杉家は、様々な事情から、多くの家臣を抱えたまま、広く豊かな領地から、東北の狭い米沢藩に移されます。元々厳しい財政に加え、領地替えで大変な苦労があったと思います。

戦国時代の武士とは違い、平和な社会になり武士は地方役人となった。民から税を吸い上げるのでなく、自ら金を稼ぐことを推奨し、それを後押しする基盤整備に熱心に取り組み、財政を立て直して行ったのが上杉鷹山公でした。

現代も、政治の役割の一つに、産業の育成がありますし、基盤(インフラ)整備ももちろん重要です。

ご存知かとは思いますが、熊本藩の『時習館』の設立に尽力した儒家の秋山玉山と細井平洲は、親交があったことから、同時期に『嚶鳴舘』と『時習館』が創設されています。人のつながりを不思議に思います。

これから数日、この『上杉鷹山と細井平洲』をまた読み返そうかと考えています。

今日から3学期が始まるので、日常が戻ることになります。寒いですが、ぼちぼち朝活の準備です。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:42Comments(0)偉人政治問題(地方)地域政策

<人生はあなたが生きた跡>"壮年老い易く学成り難し"という訓示があります。貴方は、今おいくつですか?

2023年12月14日

<人生はあなたが生きた跡>"壮年老い易く学成り難し"という訓示があります。貴方は、今おいくつですか?

歴史に名を残す人たちは、"どんな人か?"です。

私の好きな偉人は、

坂本龍馬

横井小楠

は、常に金が足りなかった。

理論の目標の偉人は、

王陽明

は、官僚でしたが、辺地に左遷され、生きる死ぬの状況から、悟り(大吾)した。

高須晋作は、

窮地からー発起して、長州の権力を握った。

20世紀の偉人の尊敬するのは、

ガンジー

マザーテレサ

は、金などないが窮民を救う活動を一生続けた。

人間は成功よりも、晩年をどういう生き方をしたかで、その人の評価が決まる。

私も65歳、さてこれから何をするか、何を続けるか、です。人生は、長いようで短い。

あなたはいま何歳?

いくつまで生きるかは、天の決めることですが、生きた証し(歴史)は、自らの行動の跡です。

さて、明日から同動くか?  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:10Comments(0)偉人哲学、人生

<生きる力、雑学という学問のすゝめ>「雑草という草はない」〜牧野富太郎〜

2023年09月27日

<生きる力、雑学という学問のすゝめ>「雑草という草は無い」〜牧野富太郎〜

私の読書は、"雑読"で、雑誌から専門誌、歴史本、漫画ももちろん読みます。人の興味は多様とつくづく思うのですが、さらに"雑学"なる言葉があります。

雑学とは何か?

>多方面にわたるまとまりのない知識や学問。また、学問とは関係のない雑多な知識。〜出典:デジタル大辞典(小学館)〜

逆に、本来の「学問」とは何か?

1 学び習うこと。学校へ通ったり、先生についたり、本を読んだりして、新しい知識を学習すること。また、身につけた知識。「―のある人」「―する楽しさ」

2 理論に基づいて体系づけられた知識と研究方法の総称。学。

なる解説があります。

私が体系的に学んだとすれば、建築学でしょうか。しかし、建築技術は日進月歩と、日々新たな技術開発が進み、また社会ニーズの変化で、コンクリートから木造を好む時代に変わってきています。日々の経験や知識量を増やし続けることも学問と思います。

さて、本題の"雑学"ですが、デジタル大辞典には、

>学問とは関係のない雑多な知識。

とありますが、私のとっての雑学は、生きる力になっているように思うのです。確かに建築学は、私の生活の糧を維持する手段になっていますが、本来の生活そのものものには、住環境を除けば、建築学以外に、人の生きる知恵(学問)は、多種多様(雑多)にあります。

雑多な雑学こそ、生きる知恵になっているのではと、思うようになりました。

数日前、植物学者の牧野富太郎のことを検証する歴史番組見ていたときに、「雑草という草はない」が紹介されました。

(以下、web情報より)

2022年8月牧野記念庭園記念館(東京都練馬区)の田中純子学芸員らの調査から、発言の出所を発見した。

帝国興信所(現在の帝国データバンク)の編集記者を務めていいた山本周五郎(当時20代)、牧野博士にインタビューしたとき、「雑草」という言葉を口にしたところ、牧野博士はなじるような口調で次のようにたしなめたそうです。

「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林(ぞうきばやし)という言葉がキライだ。松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くのひとびとが〝雑草〟だの〝雑木林〟だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、〝雑兵〟と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶばあいには、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね」
(以上、web情報より抜粋)

世に言う「雑草」「雑木林」ももちろん植物で、ちゃんと酸素を作ってくれて、われわれはその酸素を吸って生きています。雑草とは、人間から見た"困ったモノ"の総称と思います。しかし、見方を変えると、とても価値ある存在となります。

ふと、朝から考えていて、"雑学こそが、生きる知恵"ではないか、と思いたち、牧野富太郎の言葉を、朝から調べてみました。雑学は、学者だけでなく、一般人こそ多種多様な知識や知恵を所有しています。

ちなみに、100キロウォークも、日々の草刈り作業も、私にとっては、雑学のひとつと思っています。

そこで「生きる力、雑学という学問のすゝめ」ということを思いたち、本日のコメントにしました。ご意見ある方は、コメントやメール等、いただければ幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:01Comments(0)マイライフ偉人教育問題

リーダーは、半歩前を歩け。時々、半歩下がって後ろを歩く仲間と共に歩く。〜金大中〜

2023年06月22日

リーダーは、半歩前を歩け。時々、半歩下がって後ろを歩く仲間と共に歩く。〜金大中〜

(少々長文です。時間ある時にお読みください。)

昨日までの議会質問準備から解放されて、今朝はゆっくりとしています。13年目の議会ですが、一度の休みもなく、毎回(地震・コロナ禍で2回休止)質問を続けて来ました。そのおかげで、多くの学びを得たと思っています。

質問には、何かのきっかけや気づきが必要となります。同じ分野、同じテーマなら、ネタが無くなり、続かない。やはり、日々の行動と出会いからしか、質問のテーマは思いつかない。

身近な話題を質問テーマにするのが常道なので、議員18人の周りはみなさん同じような状況ですから、起こる出来事も同じ、重なるところが多いという中で、他とは違った視点を持っているかが問われます。

今朝は、『菜根譚』の言葉に知恵をもらった気がします。以下、本より転載、

人生の難事には譲る心で対処する

[現代語訳]
人情は反復し、世路は崎嶇たり。行くに去けざざる処は、須らく一歩を退くの法を知るべし。行くに得き去る処は、務めて三分を譲るの功を加えよ。

【訳文】
 人の心は時々刻々と変わりやすく、人生の行路はほんとうにけわしい。そこで、行こうとしていくことができない時には、まず自分のほうから一歩を退くというやり方を知らなければいけない。
 また、行こうとすればたけるところでも、そのまま自分だけの思い通りに行ってしまわないで、なるべく三分は人にゆずる方法を考えなさい。
(以上、『菜根譚』No.35より)

>なるべく三分は人にゆずる方法を考えなさい

今回の質問では、防災士の市の動きから、3人がテーマに上げましたので、私は、違った視点から、市への提言を語る方法にしました。

同じやり方なら、ぶつかることが増えますが、そこは人との出会いの中で得た、多面的な視点を駆使して、同じテーマでも切り口を変え、提案することができるものです。

ほんと仲間のおかげです!

競合するとき(難事)には、知恵を絞って新たなアイデアを考えることが、自らを成長させると思っています。飽きらず、懲りず、地道に調査して、次回の質問テーマを探すことを続けて行きたいと思います。

何故か、そんなときに思い出すのが、元韓国大統領の故金大中氏の言葉「リーダーは半歩前を歩け」です。本の中にある、

時々、半歩下がって後ろを歩く仲間と共に歩く、

の意味のことが書かれています。先に行かなければいけないが、半歩後を歩く仲間を忘れてはいけない。とても大切な考え方と思っています。

私が関わるさまざま活動を後輩たちに渡す時期に来ています。そろそろ、そんな準備もしなければ、と朝から考えました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:30Comments(0)マイライフ偉人

government of the people, by the people, for the people,

2023年03月21日

<心を育てる言葉>government of the people, by the people, for the people, 〜リンカーン(第16代アメリカ合衆国大統領)〜

南北戦争時代、奴隷制度の問題、国内が二つに分かれた戦い、アメリカも発展途上国だったころ、リンカーンの言葉は、国民に届いたことと思います。

リンカーンの名言

成功するためのあなたの決意が何よりも重要であることを、常に心に留めておきなさい。

⇒ Always bear in mind that your own resolution to succeed is more important than any one thing.

リンカーンは、いろいろ名言を発しています。そのひとつ、憲法に関しての一つが、以下です。

憲法には何も干渉してはいけない。それは我らの自由の唯一の防衛手段なので、維持されなければならない。

⇒ Don’t interfere with anything in the Constitution. That must be maintained, for it is the only safeguard of our liberties.

そして、名言の中で、誰でも一度は聞いたことのあるゲティスバーグでの演説です。末尾の一節を転載します。

(以下、ゲティスバーグの演説より)
we here highly resolve that these dead shall not have died in vain; that this nation, under God, shall have a new birth of freedom; and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

⇒ われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。

(解説)
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。〜web情報より〜

以下、リンカーンの演説文
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2390/

朝から、アメリカの歴史を動かした偉人・リンカーンの名言を学びました。リンカーンは、たくさんの示唆ある言葉を残しています。一度検索してみるのも良いかもしれません。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:40Comments(0)偉人哲学、人生

<尊敬する人物は居ますか?>ジョン・F・ケネディ大統領が、もっと関心を持った日本人が「上杉鷹山」だった。〜「伝国之辞」〜

2023年02月14日

<尊敬する人物は居ますか?>ジョン・F・ケネディ大統領が、もっと関心を持った日本人が「上杉鷹山」だった。〜「伝国之辞」〜

これは、ケネディ大統領が亡くなった後に、日本へ伝わって来た話ですが、

「日本人で一番関心のあるのが上杉鷹山だ」

と語ったことが伝わっている。そのきっかけとなったのが、上杉鷹山の実子の上杉治広に与えた「伝国之辞」という訓戒書が、内村鑑三が英文に訳した『代表的な日本人』の中にあった。

伝国之辞

一、国家は、先祖より子孫へ伝候国家にして、我私すべき物には無之候、

一、人民は、国家に属したる人民にして、我私すべき物には無之候、

一、国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民には無之候、

右三条、御遺念有間敷候事、
天明五巳年二月七日
 治広殿 机前

【意味】
土地も人民も、国に属しているもので、私有物ではない。また、藩主というのはその土地と住民のために存在するものであって、土地や住民が大名のために存在しているわけではない。
(以上、『上杉鷹山と細井平洲』より)

人の関心とは、どの国のどんな人物に向くかわからないな、と気付かされます。

私は、私にある中国古典乱読会「中澄会」の塾長だった故米澄邦夫氏とのご縁から陽明学を知り、その創始者・王陽明という歴史上の人物を知ることになる。若い頃に買った人類の知的遺産という歴史書シリーズの中にあった『王陽明』を、20年の時を越えて(それまでは積ん読だった)読むことになる。

官僚だった王陽明は、政敵の策略で、辺境の地へ追いやられる。しかし、王陽明は、それを受け入れて、辺境の地で覚醒して活躍し、都へ復帰する。

この覚醒のことを「大悟(だいご)」という。仏語の言葉ですが、意味は、迷妄を脱して真理を悟ること。

王陽明の悟りの言葉に、「抜本塞源論」というものがあります。

悪(私利私欲)の気持ちを生まない(蓋をする)心の育成。

抽象的なのですが、良心のままに人と接していく考え方、と私は勝手に理解しています。

話は、あっちこっち飛びましたが、人は何かのきっかけで、歴史上の人物に出会い、敬慕の念を持つ。細井平洲を敬慕した上杉鷹山を、内村鑑三が英訳した本を読み、ジョン・F・ケネディ大統領が、敬慕した。

幕末の陽明学者・山田方谷は、弟子の河井継之助に、以下のことを語っている。

「本で学ぶことがなくなったら、地域の先輩に学べ、それでも学ぶことがなくなったら日本中、次に世界中から学ぶ人を探せ、それでもいなければ、歴史上の偉人に学べ」

という意味のことを訓示しました。

正に、ジョン・F・ケネディ大統領は、上杉鷹山の言葉に、覚醒したのだと思います。若い人たちに、知ってほしいのは、自らの目指す人物に、早く出会い、目標とすることは、後の人生を大きく影響を与えます。

あなたの目指す人物はいますか?

そんな問いを持ってほしいです。

朝から、話しが長くなりました、最後までお読みいただきありがとうございます。

https://m.facebook.com/profile.php?id=100002101041055  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:05Comments(0)偉人哲学、人生

人は見た目とは違うことが多い。10年くらい付き合わないと判断が難しい。〜真面目だけではダメなのか?〜

2022年11月22日

人は見た目とは違うことが多い。10年くらい付き合わないと判断が難しい。〜真面目だけではダメなのか?〜

(長文です、お時間ある時にお読みください)

数日ぶりのウォーキングは、14000歩を超えていました。下弦の月もきれいで、星空も冬の星座になっています。

さて汗を流して、開いた曽野綾子さんの本『ただ一人の個性を創るために』第十二話「皆いい子のなれの果て」に、曽野綾子の体験からから一文がありました。末尾に、以下の一節になるほど、と思います。

(以下、本より)

 私は人を見るとすぐ悪く考える習性が残っていた。穏やかそうな顔をしているけれど、家では厳しい人なのではないだろうか。お金持ちらしいことを言ってはいるけれど、こういう人こそ借金だらけかもしれない。犬を可愛がっていて、犬の話をすると目尻がさがるけれど、世の中には犬には優しくても人には全く優しくない人というのもけっこういるのだ、などと思うのだ。
(以上、『ただ一人の個性を創るために』より)

この文の次のページの見出しは、

「物事には裏があり、人には陰がある」

ほーっ!

曽野綾子さんは、常に人を真正面から見ていないのか?

人間、初対面の印象が大事と何人も聞きました。

しかし、私の体験は、人間は10年くらい付き合わないと、どんな性格で、何の目的を持っているか、判断できない。そんなことに気をつけていると、いろんな情報が耳に入るものです。

先月の選挙前、支持者から言われたのは、

「野口君は、真面目だね。もっと我を出した方が良かつじゃなかと」

我とは何か?

目的のためならなんでもやれ、ということだろうか?

松下電器(現、パナソニック)の4代前の社長が掲げたスローガンは、

「真面目に、それも超真面目」

を実践すると、語っていました。創業者精神への回帰、松下幸之助も真面目をモットーに仕事をしていました。

曽野綾子さんではないですが、

真面目そうに見えても、家族には厳しく、中には暴力もある夫がいると聞く。

昨日見た、矢島揖子伝の映画では、幕末期の騒乱の中で、武士の夫が、時代変化について行けず、酒浸りになり、子女に暴力や暴言を、毎日やっていた。矢島揖子は、男に見切りを付け、自ら離縁して、東京での生活に夢をかける。

男女格差に対する反対運動を起こし、決死の覚悟で政府に直談判したり、80歳を超えて、渡米して、世界の女性たちの反戦の1万人署名を、アメリカ大統領に渡すなど、その行動力はずば抜けていました。

人は見かけなよらない個性を持っている。矢島揖子は、男に頼らない生活力を付け、自らの考えで社会改革に取り組んだ。

だから、第一印象ではなくて、10年くらい付き合わないと判断できないと、私は思っています。

朝から、話が長くなりました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:23Comments(0)偉人男女共同参画社会市民活動

<役得でなく役損を考える>金の使い方を覚えるのは三代かかる。〜白州次郎〜

2022年07月21日

<役得でなく役損を考える>金の使い方を覚えるのは三代かかる。〜白州次郎〜

人の評価の一つに"潔さ"がある。

さてこの「潔さ」とは何か?

太平洋戦争の戦後処理に関わった白州次郎の言葉あります。

(以下、『白州次郎という生き方』より)

 次郎は外務省が嫌いだったが、同じくらい、いわゆる財界人が嫌いだったともいう。以下はある種の財界人についての次郎の言葉だ。
「困ったときだけ大変だ大変だと大騒ぎして、政府に助けてくれと泣きついてくるが、それで儲かったときは知らぬ顔の半兵衞を決め込む。プリンシプル(原理原則)もなく、走り出したバスに飛び乗るのがうまいだけだ」
「金を儲けるは一代でできる。金を失うのも一代でできる。だけど金の使い方を覚えるのは三代かかる」
 恥を知らず、自らを律することのできない人間、公私混同する人間には、きれいなお金の使い方ができないし、人の上に立つ資格はない。帝国ホテル社長の犬丸一郎はこんな言葉を覚えているそうだ。
「もうじき社長になるだろう。いいか、地位が上がるほど、役得でなく、"役損"か増えることを覚えておけ」
(以上、本より)

>公私混同する人間には、きれいなお金の使い方ができない

この文を読んだみなさんのイメージする"潔さ"とはどんな人物か?
それは、それぞれに受け止めれば良いと思います。

地位が上がるほど、役得ではなく役損を考える。これは、白州次郎の考える"潔さ"なのかもしれません。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:52Comments(0)偉人哲学、人生

<自由と競争>戦後処理に奔走した白州次郎という人物、賛否両論ありますが、印象に残る言葉があります。

2022年07月20日

<自由と競争>戦後処理に奔走した白州次郎という人物、賛否両論ありますが、印象に残る言葉があります。

別冊宝島編集部編『白州次郎という生き方』を先週に古本屋で見つけた。視察研修に持参して開くと、以下の言葉がありました。

(以下、本より)

(太平洋戦争の)開戦後、水産業は国家統制の対象となると、
「競争をなくしちまったら生産性なんて上がるわけはないですよ」
と辞表を書き、会社を後にすることになる。
 自由には覚悟が伴うと自覚したうえで、その分働く、二郎の答えは明快であった。
(以上、『白州次郎という生き方』より)

戦前にイギリスのケンブリッジ大学で学び、外交官時代の吉田茂氏と親交のあった白州次郎だが、太平洋戦争が始まると田舎に引き込み、農業を始めた。今に残る「武相荘」という自宅ですが、現代でも訪れる人は多いという。

>競争をなくしちまったら生産性なんて上がるわけはない

"自由と競争"は、戦後の日本の成長を推進した理念ですが、その分、出来ては消え、出来ては消えた事業家はたくさんいます。その中で生き残った会社が、日本社会の中で、経済を牽引しています。

白州次郎は、通称産業省を創設したメンバーの一人、"自由と競争"は、少年期から過ごしたイギリスでの教育にあると考えています。

ただ、第二次世界大戦前のイギリスは、植民地からの搾取の経済で成り立っていたこと。父の事業は、大正パブルで成功したが、逆にパブルが弾けて、白州次郎は、留学から途中帰国することになった。後にビジネスマンとしての活躍する白州次郎の生き方の基本に、海外での経験があると思います。

他にも、色々な言葉を残しています。印象に残る言葉は、後に作家となる白洲正子さんの影響もあるのだと思いますが、

よく聞く言葉が、

従順ならざる日本人

GHQに抵抗らしい抵抗をした日本人がいたとすれば、ただ二人ーー。
一人は吉田茂であり、
もう一人はこのぼくだ。
(以上、『白州次郎という生き方』より)

白州次郎の祖父は、儒家で藩の教育担当だった。日本とイギリスの教育を受けた白州次郎なる人物には、惹かれるものが有るなぁ、と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:04Comments(0)偉人哲学、人生

<すぐに名前が出ない?>「老いて将(まさ)に智ならんとして而も耄(もう)之に及ぶ」〜中国古典『左伝』より〜

2022年07月02日

<すぐに名前が出ない?>「老いて将(まさ)に智ならんとして而も耄(もう)之に及ぶ」〜中国古典『左伝』より〜

最近、さっと名前が出てこない!、記憶とは不思議で、常に会っている人の名前が、"ポッ"と頭から消えるとか、直前まで会っていた人の名前の一部と、語らなければならない人の名前の一部がつながって口から出る。

これは、ボケの始まりだろうか?

今朝の読書は、半藤一利著書の文を集めた『歴史と人生』にあった夏目漱石の句の紹介から、歳をとる意味を教えています。

(以下、本より)

明治三十二年に一句、

耄碌(もうろく)と 名のつく老いの 頭巾かな

わたくしはこの漱石の句を読むたびに、だれに教わったのかどこで読んだのかを忘れたが、『左伝』(史書『春秋』の注釈書)にあるという諺を思い出してしまう。
「老いて将(まさ)に智ならんとして而も耄(もう)之に及ぶ」ーーその意味は、老いたために非常に智となった、物事がいろいろとわかるようになった、が、その年ごろになるとボケのほうがきてしまう、というのである。漱石の句はまさしくここを詠んでいる。三十二歳にしてこの哲理をさとった漱石はひたすら急ぎすぎたような気がしてならない。
(『漱石先生大いに笑う』)

歳を重ねると、知識量はそれなりに増え、さまざまな経験も重ねて、あーだ、こーだ、と話はできるのですが、肝心な固有名が出なくなると、語りに迫力を欠いてしまう。

名前がサッと出なくなったら、要注意、黄色信号というところでしょうか。

漱石先生は、すでに32歳で、老いの境地を俳句に詠んでいたことを驚きます。やはり、凡人ではないな、と思います。

>吾輩は猫である、名前はまだ無い。

すぐに名前が出てくるように、そろそろ頭の体操をしなければと、朝から思いました。

今日は、朝の涼しいうちに、畑の雑草刈りをやりたいと思います。暑くなりそうです、熱中症にならないように気を付け、作業したいと思います。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:31Comments(0)マイライフ偉人

蟹は甲に似せて穴を掘る。人は心に似せて家を営む。されば、家に大小あれば、心に大小あり。〜沢庵和尚語録〜

2022年06月22日

<リーダーの魅力とは?>蟹は甲に似せて穴を掘る。人は心に似せて家を営む。されば、家に大小あれば、心に大小あり。〜沢庵和尚語録〜

今日も雨、朝陽が出ないので、薄暗い夜明けになっています。しかしこの雨は、恵の雨でもあります。昨夕の棚田の風景からも、この梅雨の雨により、人々も稲を育てる準備に入りました。

冒頭の言葉は、沢庵和尚の有名な教えの一つです。沢庵和尚著『不動智神妙録』にある一節が、半藤一利氏の文を集めた『歴史と人生』に紹介されています。

(以下、本より)

「蟹は甲に似せて穴を掘る。人は心に似せて家を営む。されば、家に大小あれば、心に大小あり」

つまりは、とかくに身を縛られて心を狭くするなかれ、常に広い心を持て、ということ。
(以上、『歴史と人生』より)

この文は、沢庵和尚の言葉とは知りませんでした。言葉とは、一人歩きするものだと思います。

また、日々読む『易経一日一言』の7月4日の訓示に目が止まりました。

(以下、本より)

「貞に安んずるの吉は、地の彊(かぎ)りなき応ずるなり」〜(坤為地)〜

 大地は天の無限の力を受け入れて、地上に万物を形成、育成し、生み出し、また恵みを天に還元する。その力もまた限りがない。
 人間もこれに習って、大きく受容するならば、より多くを生み出し育む力量が育つ。
(以上、『易経一日一言』7月4日より)

沢庵和尚の
>常に広い心を持て

受け入れる側の心構えで、入ってくる情報が少なくもなり、多くもなる。その時々の状況にもよりますが、常に心を広く持っていないと、入って来るものも来ない。

>蟹は甲に似せて穴を掘る

自らの能力だけに頼っていると視野が狭くなる。何か事を起こそうとする時は、人を頼むことも考えないといけない。

2008年、持続可能な農業を目指す「本来農業への道」をテーマに南部九州の3市長によるシンポジウムを主催した。
 その時に出会った方から、まだ会をやるかやらないかで迷っている時に、

「何事も、始めないと、始まらない」

と後押しをしてもらいました。また、もう一人の社会活動家からは、

「思い立ったら行動し、仲間を作って継続する」

付け加えられたのが、

「本人(リーダー)に魅力がないとダメ」

とあり。さらに、その魅力とは、

"逃げない責任"

であると。何か不都合な場面になると、いなくなるようでは、話にならない。

このシンポジウムは、人吉市で開催するのですが、準備と後始末で、人吉市へは15回、指宿市には5回通って、会を済ませた。私なりの始末をつけたつもりです。私は、その活動な中で、多様なアドバイスを受け、リーダーとは何かを考える機会となった、ことを思い出します。

あれから14年、果たして私は、成長しているのだろうか?と、朝から振り返りました。

「リーダーの魅力とは、逃げない責任」〜木内孝〜

思い出話が、長くなりました。そろそろ、活動開始です。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:18Comments(0)マイライフ偉人

<人のふり見てわがふりなおせ>「常に自己を自己自身厳格に批判して、ひたむきに自己の是正に努力する」〜中村天風語録〜

2022年04月10日

<人のふり見てわがふりなおせ>「常に自己を自己自身厳格に批判して、ひたむきに自己の是正に努力する」〜中村天風語録〜

本日は、昼前から親戚の法事に参加して、夕方から長く続く有志の集まりに参加する。両方の会は、顔馴染み、見慣れた方々だが、コロナ禍からここ2年はなかなか会えなかった。

私の親族は、ここ一年間悲しい別れが続いた。寿命と言えばそうなのだが、縁ある方は"いつも元気"であることを願うばかり、別れることを想像したくないのが心情です。

しかしいつかは別れが来ます。お坊さんの説法ではないですが「今日とも知れず、明日とも知れず」です。

だからこそ、今の自分の姿を自ら検証して、いつ別れてもよい覚悟の心の準備をしているか?

冒頭の言葉は、中村天風語録から引用したものですが、ことわざに「人のふり見てわがふりなおせ」があるが、

これがなぜことわざになるのか?

他人の言葉や行為をやたら批判する人というものは、人のふりにわがふりを正しく照合して、わがふりを是正しようとはしないで、ただ批判するだけなのである。

耳の痛い話しです。

中村天風氏は、

「他人のアラや欠点を詮索することを止めて、自分のアラや欠点のほうも詮索することである」

善の教えに、

「ときどき払拭して塵埃を止まらしむるなかれ」

【意味】
他人のことはすぐわかるが、自分のことはなかなかそう容易にわかりがたいものだ。

しかし、人生向上には、自己省察が必要である。これら理解するものは、他人のことに干渉する批判という無用を行わずに、常に自己を自己自身厳格に批判して、ひたむきに自己の是正に努力することと、中村天風氏が説いている。

「人のふり見てわがふりなおせ」

のことわざには、とても深い人生の訓示が含まれていると思います。

*参考資料:中村天風著『ほんとうの心の力』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:27Comments(0)偉人哲学、人生

2月15日は横井小楠の命日、明日から3月議会が始まるので、明日の墓前祭に参加できないので、今日参拝に行って来ました。

2022年02月14日





2月15日は横井小楠の命日、明日から3月議会が始まるので、明日の墓前祭に参加できないので、今日参拝に行って来ました。途中寄った「横井小楠記念館」の敷地に在った横井小楠の私塾跡「四時軒」が、熊本地震で倒壊したのですが、一昨年からの再建工事中でしたが、建物はほぼ完成していました。工事看板には、完了予定は5月中旬の記載があり、まだ内部の工事が残っているのだろうと想像します。いずれにしろ、震災後に再建立された横井小楠像と四時軒の再建は、待ちに待った小楠顕彰の象徴なので、楽しみです。今日は天気も良く、久しぶりの小楠公園でした。






  

Posted by ノグチ(noguchi) at 15:08Comments(0)偉人熊本の出来事お知らせ、ご案内

<人生は晩年が大事>それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。〜菜根譚〜

2022年01月31日

<人生は晩年が大事>それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。〜菜根譚〜

昨日、毎日新聞web版で、タレントの酒井法子さんのインタビュー記事を読んだ。光輝いた時代から、覚醒剤取締法で逮捕され、その後の辛い日のこと、さらに復帰後の活動、そして独立に至る話しだった。読み終わって思い出したのが、『菜根譚』の訓示の解説だった。

"ことわざに「人の一生の評価をするには、ただ後の半生を見るだけでよい」といっている。ほんとうに名言である。"

人間誰しも、よい時ばかりとは限らない。むしろ辛い時期の方が長いものだが、後半生というか、晩年にどんな生き方をしたか、が問われるとの意味である。

上記の訓示の訳文は、

(以下、『菜根譚』前集No.93)

人の真価がわかる時

【訳文】
 若いころは浮き名を流した歌い女(め)も、晩年に縁を得てよい夫にめぐり会い、いっしょに生活をしたならば、浮き名を流したそれまでの花やいだ生活も、いっこうにさまたげにならない。それに対し、貞操な婦人も、白髪学校目立ちはじめるような年になって操を守ることができないような生活をすると、それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。
 ことわざに「人の一生の評価をするには、ただ後の半生を見るだけでよい」といっている。ほんとうに名言である。
(以上、『菜根譚』No.93の訳文より)

この訓示は、女性の歌い手を例えにしてますが、どんな分野の話ではなくて、男であれ女であれ、若い時に華やいだ仕事で世の注目を浴びていても、晩年になってどんな生き方をしているかが大事という教えです。

明治の元勲の一人、木戸孝允こと桂小五郎の恋人だった芸者の幾松だが、後の木戸孝允と結婚し、明治の政界・社交界で大きな役割を果たすことになった。

木戸松子:木戸孝允(桂小五郎)の妻

若いころは、京都三本木(現、京都市上京区三本木通)の芸妓幾松(いくまつ)として知られる、幕末の維新三傑・桂小五郎(後の木戸孝允)の恋人。明治維新後、正妻となり「木戸松子」となる。(Wikipediaより)

歴史上の偉人だけの話ではない。田舎の小さな村にも、神童と言われながら、大人になり鳴かず飛ばずの人をよく見る。

あるいは、若いころ「時代の寵児」と言われた人が、10年も過ぎると居なくなる。よくある話です。

要は、後半生、とくに晩年にどんな生き方をしているか?

人生は、事件、事故も含めて、後々まで検証されるということだと思います。

>それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。

人生は晩年が大事!

昨日の酒井法子さんのインタビュー記事から、改めて菜根譚の言葉を学びました。

今週からが、オミクロン株の感染拡大のピークではないかと見ているので、感染予防には特に注意を払い生活しなければと思っています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:33Comments(0)偉人私の意見

孔子も畏れた若者とは、どんな人物か?〜人生の三廻り目(24〜36歳)の行動が、後半の人生を決める。〜

2021年12月17日

孔子も畏れた若者とは、どんな人物か?

人生の三廻り目(24〜36歳)の行動が、後半の人生を決める。

【超訳】論語の自分を磨く200の言葉より。

No.103

若者を畏れる気持ち

 若者は年も若いし精力も強いから誠に畏ろしい。懸命に励めば、どうして将来の彼らが、いまの私(孔子)以上にならないといえるだろうか。
 だが、四十、五十になっても彼らの名が世に聞こえてこないときは、畏るるに足らない。
(以上、本より)

孔子先生から見た"若者"とはいくつをいうのか?

>四十、五十になっても彼らの名が世に聞こえてこない

孔子先生が、60代になった頃の話だろうか?

神童と言われていた少年が、大人になって普通の人のなる話は山ほどある。

孔子先生の訓示には、"晩年に何を成すか"についていくつもある。

男であれ、女であれ、中年からどんな学問と活動をしていくか。要は、四十、五十の頃に何をやっているか、です。

最近は、あまり語られないのですが、広告大手の電通四代目社長・故吉田秀雄の社訓「電通鬼十則」を解説した本に、以下がありました。

「24〜36歳に何をやったかで、後半生が決まる」

孔子先生が言われる四十、五十で、世に名が聞こえるには、人生の三廻り目(24〜36歳)に何をやるか、やったか。

長いようで短い人生で、過ごす年代に何を成すべきか、偉人たちの言葉を学ぶ意味はあるように思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:35Comments(0)偉人哲学、人生