「おこしき海岸をこよなく愛するカメラマンの会」の方々と語ると、ボランティア活動を楽しんでいると感じます。
2017年05月29日

「おこしき海岸をこよなく愛するカメラマンの会」の方々と語ると、ボランティア活動を楽しんでいると感じます。
おはようございます。今朝は、昨日が運動会で学校がお休みで、朝活はお休みです。実は、昨夜はfacebookの「おこしき海岸をこよなく愛するカメラマンの会」のオフ会で、素晴らしい写真たくさん見せていただきました。
宇土市だけでなく、天草や熊本市、出席できない県外からのお仲間からのビデオメッセージ等々、日本の絶景ポイント「おこしき海岸」に暑き情熱を持って集まるアマチュアカメラマンの方々は、温かく、優しい人ばかりです。
私は、初めは携帯のカメラが始まりで、4年半ほど前から、夕陽を撮ったり、昼間の干潟を撮ったりしたものを、facebookにアップして来ました。昨日のオフ会に参加した方々とは、ニアミスをしながら、なかなか会えなかったのですが、地元のアマチュアカメラマンの方が、その熱い思いを持つ人たちをつなぎ、インターネットとというツールの普及、特にスマートフォンが広がり始めて、急速におこしき海岸の写真のアップがブームもなり、干潟を見に来る人右肩上がりに増えていきました。
夕陽と干潟をベストな条件にも5年半前は、多くても20人程度でしたが、2年前は、それが500人以上集まる絶景撮影ポイントとして知られるようになり、北は北海道から南は沖縄、昨年からは韓国、台湾、中国、さらには、アメリカ西海岸からの来訪者も来るようになっています。
市も、地元のアマチュアカメラマンの方を案内人としてお願いしてます。加えて県内の「おこしき海岸をもっと広く知らしめよう」とアマチュアカメラマンのお仲間たちが、綺麗なおこしき海岸の写真をアップして、配信されています。
観光地は、初めは名も知らぬ献身的な市民の方々が、ブームの素を起こし、メディアが反応し、さらに地元が本腰を入れて動き始めるような気がします。
現代は、目立ちたがり屋の時代、という人がいます。俺が、俺が、が多すぎる。しかし、司馬遼太郎氏の著書の中で「事がまとまる(動き出す)7〜8割までが、大変で、その頃になると目立ちたがり屋が、お立ち台に上がってやる仕事をしたがりに集まって来る。そんな時は、したい人にやらせて、その様子を見物しておくくらいがいい」とも語っています。
最近まで関心も寄せなかった地元の人が、報道が増えてくると、お立ち台に上がる事をををやりだす。逆に、それだけ注目されて来たと知る事ができます。
コツコツと、眺望をよくするために竹藪を手作業で切り続けた人、道々のゴミ拾い、雑草の草刈り、さらに増え続ける鑑賞者の車を誘導する人、臨時駐車場で交通整理を買って出る人、そんな献身的な有志が、名もなき観光地を知られる観光地に変えていくのかもしれないと、昨夜のオフ会で思いました。
江戸末期の儒家・佐藤一斎の訓示録『言志四録』に、次の言葉があります。
「真の功名は、道徳心便(すなわ)ち是れなり。真の利害は、義理便ち是れなり」
【現代語訳】
真の功績とか名誉というものは、道徳を実感した結果自然に得られるものである。本当の利害というものは、義理を行うか行わないかによって得られるものである。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より)
アメリカの文化人類学者の故マーガレット・ミードさんが、「社会を変えてきたのは、考えに考え抜いた、悩みに悩みぬいた、献身的な市民の小さなグループ」の意味の事を語っています。昨日の「おこしき海岸をこよなく愛するカメラマンの会」の方々と語ると、ボランティア活動を楽しんでいると感じられ、私人も心豊かになった気がします。
これから夏は、おこしき海岸の鑑賞もシーズンオフに少しはなりますが、昨日の除草作業、枝落とし作業は、何度かやらないといけない、とお話ししたところです。いつか、日本に「おこしき海岸」ありと言われるようなカメラマンの集まる聖地になる事を願い、下手な写真をアップしていきたいと思います。
*写真は、「おこしき海岸をこよなく愛するカメラマンの会」のメンバーからいただいたものです。(一部、私の携帯カメラで撮影しました)









<加計学園疑惑>「行政の在り方がゆがめられた」爆弾発言に与野党が動揺している。
2017年05月26日

<加計学園疑惑>「行政の在り方がゆがめられた」爆弾発言に与野党が動揺している。
昨日からの国政の報道は、加計文章存在を明言した文部科学省の前事務次官の発言に集中している。
昨日に取り上げた水俣病問題の進展の無い状況を打開するのは、「猶興(ゆうこう)の士」の登場が必要との安岡正篤先哲の言葉。
〜以下、安岡正篤語録より〜
>世の中が悪くなればなるほど優れた指導者を必要とする。放っておけば容易に独裁者や少数専制者の跳梁するところとなるからだ。ところで優れた指導者が出るには、慨然として独りみずから行ずる人が必要だ。孟子に「文王無しと雖も猶興る」猶興(ゆうこう)の士となることである。(引用、安岡正篤語録より)
阿部首相1強の自民党と揶揄される実態、一番困惑しているのは自民党の先生方ではないのか?
高支持率の内に、総選挙があれば良かったが、いろいろな野党の突っ込みネタが、ポロポロと綻びを見せている。やはり、人間の生業は、いにしえの時代から変わらないな、と思います。
いわゆる権力にすり寄る族(やから)の存在です。地方社会の小さな団体にも起こりうることが、政府レベルでも一度で終わらす、二度も起こるのだな、と知らされます。
これからの政府対応次第では、第二の森友学園騒動になると危惧します。
>放っておけば容易に独裁者や少数専制者の跳梁するところとなるからだ。
権力が集中するほど、私利私欲を求める族がすり寄る“ゆがみ”が起こるので、権利者は自らを監視する目が必要と思います。
同級生の子供が、獣医を目指して、そうとう苦労して獣医師の資格を取っこともあり、今後の加計問題には、注目していきたいと思います。



<熊日「なぎさの向こうに」に思う> 「君たちは、遠い水俣で起きていることを知っているか!」
2017年05月25日

<熊日「なぎさの向こうに」に思う>
「君たちは、遠い水俣で起きていることを知っているか!」
患者の思いに殉じる覚悟で、熊本から来た高校教師の訴えは、厚生労働省職員の心を揺さぶった。
「水俣」の命はそんなに安いのか! ーー、デモの先頭で抗議の声を上げていた石牟礼(道子さん)の目からこらえていた涙があふれ、取り囲む報道陣に声を絞った。「私たちは無力です」
〜本日の熊日一面より〜
毎日、毎日、水俣のことが載らない日は無い。
国も県も、まるで時が過ぎるのをじっと待っているかのように思う。
石牟礼道子さんの「私たちは無力です!」は、ズーンと心に重く響く。
このまま時を待つだけでは、国も県も動かない。今こそ、
〜以下、安岡正篤語録より〜
>世の中が悪くなればなるほど優れた指導者を必要とする。放っておけば容易に独裁者や少数専制者の跳梁するところとなるからだ。ところで優れた指導者が出るには、慨然として独りみずから行ずる人が必要だ。孟子に「文王無しと雖も猶興る」猶興(ゆうこう)の士となることである。(引用、安岡正篤語録より)
市民の中から、独り立ち上がり、厳しい状況にある良民を救う行動を起こす、正に「猶興の士」を待ち望むしかないのか?
哀しかな、これが熊本の現状なのかもしれません。
熊本大学医学部の故武内忠男博士に、軽度の患者に寄り添う(沿岸部全域)健康調査は、いまだに実施されていない。特措法も、8年過ぎたが何も動かない。
今日から始まった熊日の特集「なぎさの向こうに」に注目したい。


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44年前の今日、当時の水俣病研究の報告で「第3水俣病」の可能性を沢田知事に伝えたニュースの写真を見て
2017年05月22日

44年前の今日、当時の水俣病研究の報告で「第3水俣病」の可能性を沢田知事に伝えたニュースの写真を見て、今春の文芸春秋4月号の「明治百五十年美しき日本人50人」にも選ばれた熊本大学医学部教授だった故武内忠男博士でした。〜2017.05.22「きょうの歴史」〜
第3水俣病の可能性については、福岡県大牟田市の有明海沿岸の患者の存在を指摘したものでした。
〜以下、『文芸春秋』2017年4月号〜
武内忠男博士は、熊本大学医学部第二次水俣病研究班班長に就任した時に、
「軽症の人たちを救う」と大きな目標を掲げておられました。
1953年に朝日新聞が、「有明海に第3水俣病、有明海にも患者10人」と報じたことで、武内さんの運命は一変します。1965年に新潟県阿賀野川付近で確認された新潟水俣病、通称「第二水俣病」に次いで、福岡県の有明海沿岸の住民に水俣病と類似する症例が見つかった、と報じています。
(以上、『文芸春秋』より)
お言元気な頃の武内忠男博士から直接講話を聞く機会があり、講演後の懇親会で身近くお話も聞いたおり、医師として弱者に寄り添う志と、国家権力に正対して意見を言う姿勢には感銘を受けました。
20年以上前の武内忠男博士との対面を、本日の熊本日日新聞の記事で思い出しました。



若者たちにも厳しい田舎だが、日本ミツバチの生息には、田舎より都市部が安全?
2017年05月22日


若者たちにも厳しい田舎だが、日本ミツバチの生息には、田舎より都市部が安全?
おはようございます。朝は、爽やかな気候ですが、日中は夏日も多くなり、もう初夏という季節になりました。
前日の熊本市での集まりで、地域活動の先輩から、「ここ3年日本ミツバチを飼っている。自然環境が気になるようになった」とあったので、東京の港区に住む環境活動家ですが、元は大手電機メーカーの役員だった方が、10数年前から日本ミツバチを飼っておられることを、紹介すると「今は、かえって都市部の方が、農薬や除草剤等を使う機会が減り、ミツバチには安全な環境になっている」とありました。
実は、高齢化の進む中山間地域で過ごしていると、真夏の太陽の下、田畑の周りの草刈り作業は大変な苦労があり、年配者の中には「除草剤」を撒かれる様子を目にします。
最近は、中山間地域の悩みは、鳥獣被害対策で、イノシシが出没しない環境を維持することは、過疎地域の大きな課題となっています。
この田舎の状況を心配していた時に、「ミツバチには都市部が住み良い環境」には、“そうなんだ”と気づかされました。
田舎の風景をどう維持していくか?
昨年の熊本県知事選挙で、「過疎化に悩む地域の問題に、関心が薄れている」と厳しく指摘する意見が持ち上がりました。都市部に集中する若者世代、ミツバチだけでなく、田舎は、若者、特に若い女性が人生を生きる場所としては、住み辛いところになりつつあるように危惧しています。
話が横に逸れましたが、数が減少している「日本ミツバチ」の飼育から、田舎の状況(自然環境)の変化を学びました。田舎は、ミツバチにも、若者たちにも、住み辛い社会に変わって行っているのが心配です。
みなさんのご意見をいただけるとありがたいです。
<震災と景観>熊本県の“景観形成”の本気度が問われています。
2017年05月20日


<震災と景観>熊本県の“景観形成”の本気度が問われています。
県の復興基金500億円の使い道がはっきりしない。500億円の約半分は、市町村に委ねると言うが、事業終了後に監査があるのは国から予算もあると思われるので、そうそう私的な用途には使えないのが現状です。
ヨーロッパは、景観形成には力を入れていて、スイスなどは私的財産にも景観規制をかける、中には花を常に窓周りに飾る指導もするそうだ。
ですが、内部は自由にリフォームしてよい国もあります。景観建造物の何を残し、地域活性化に活かすか、被災地が真四角の地震に強い建物ばかりになってしまえは、“熊本らしさ”は見ることもできなくなります。
県は4月、費用の最大2/3を助成することを始めたが、景観形成地域を指定して、外観は全額助成し、内部は1/2とか、1/3とかの助成することも考えないと、かつての街並みは、熊本地震の被災地から全く無くなると危惧します。
県は、景観賞を設けて地域の景観形成を推進してきました。アートポリス事業もしかりです。
国は、観光立国を目指し観光客を10年で倍にする?ことを語ってもいます。その観光客を誘致するには、景観形成が最も重要と思います。熊本県の“景観形成”の本気度が問われています。
人が自分に背いたら、何故背いたかを反省し、学びなおすべし。〜昨秋の議会珍事と新聞離れ〜
2017年05月18日
人が自分に背いたら、何故背いたかを反省し、学びなおすべし。〜昨秋の議会珍事と新聞離れ〜
おはようございます。今朝は、朝ウォーキングはお休みです。週に2〜3日は歩かずに、朝読書です。歩き過ぎはも又、膝に良くないので、本日はサボりです。
さて、仲間づくりをしてきたものとして、やはり人が離れていくのは寂しいものですが、離れる時は、それなりの理由があるのだと思います。
昨秋の臨時議会で、新聞ネタになるような珍事を行われました。理由は、市長を押すグループから3名が、半市長グループと組み、さらに一度も組んだことのない政党派とも組む、議長を擁立する動きがわかり、臨時議会の冒頭に、いきなり閉会する手法を取り、市民に内紛を知らしめることを実施しました。
案の定、新聞ネタになり理由は告げないままの記事に、市民からは「また議会が、すったもんだしてる」と指摘された。離れた3人にも何か理由があるのだと、色々調べてみると、古参議員のそこ半年の動きを振り返り、なるほどと気づきます。
何故人が離れていくのか?
離れるには、やはり理由があるものだなと思います。
先人の訓示に「人が自分に背くようなことがあっても、自分は人に背くようなことはすまい」とあります。これ読み替えると「人が自分に背くようなことがあったら、自分が人に背かれるに至った理由を考えて反省し、かつ、自分の学徳を磨く糧(かて)とすべきである」とすると、自分には大きな益となります。
「森羅万象これ皆師なり」
背いた人を仇敵と扱わずに、反面教師として、自らの言動をを反省し、自らを鍛え、仲間と切磋琢磨する言動に勤めていけば、昨秋の議会の珍事も、「民意を受け反省する機会となす」です。
最近、地域を回ると“市民はよく見ているな”と思うことと、ネット社会になり、“新聞離れが進んでいるな”と気付きます。
さらにネット情報が、地域の細かい出来事まで知らせるようになれば、テレビニュースを詳しく解説してきたことと、身近な話題を知るツールだった新聞の存在が薄れてきているように思います。
地方紙が、官報みたいな内容ばかりなら、興味は薄れますます新聞離れが進むように思います。小さなエリアの地方紙が存在していることや市民の配信するプログ等を、県単位で事業を展開する老舗新聞社の記者たちは学ぶべきと思います。何故、新聞離れが進んでいるのか、現場の記者の動きにも少し関係があるように感じます。
来月の定例議会の質問準備中ですが、新聞記者ではないですが、私は現場感覚が大事と、縁ある仲間との議論や情報交換してみると気づくことがたくさんあります。久しぶりに「男女共同参画社会づくり」について、多方面の調査から質問をまとめたいと考えています。他の3つのテーマについても質問します。
おはようございます。今朝は、朝ウォーキングはお休みです。週に2〜3日は歩かずに、朝読書です。歩き過ぎはも又、膝に良くないので、本日はサボりです。
さて、仲間づくりをしてきたものとして、やはり人が離れていくのは寂しいものですが、離れる時は、それなりの理由があるのだと思います。
昨秋の臨時議会で、新聞ネタになるような珍事を行われました。理由は、市長を押すグループから3名が、半市長グループと組み、さらに一度も組んだことのない政党派とも組む、議長を擁立する動きがわかり、臨時議会の冒頭に、いきなり閉会する手法を取り、市民に内紛を知らしめることを実施しました。
案の定、新聞ネタになり理由は告げないままの記事に、市民からは「また議会が、すったもんだしてる」と指摘された。離れた3人にも何か理由があるのだと、色々調べてみると、古参議員のそこ半年の動きを振り返り、なるほどと気づきます。
何故人が離れていくのか?
離れるには、やはり理由があるものだなと思います。
先人の訓示に「人が自分に背くようなことがあっても、自分は人に背くようなことはすまい」とあります。これ読み替えると「人が自分に背くようなことがあったら、自分が人に背かれるに至った理由を考えて反省し、かつ、自分の学徳を磨く糧(かて)とすべきである」とすると、自分には大きな益となります。
「森羅万象これ皆師なり」
背いた人を仇敵と扱わずに、反面教師として、自らの言動をを反省し、自らを鍛え、仲間と切磋琢磨する言動に勤めていけば、昨秋の議会の珍事も、「民意を受け反省する機会となす」です。
最近、地域を回ると“市民はよく見ているな”と思うことと、ネット社会になり、“新聞離れが進んでいるな”と気付きます。
さらにネット情報が、地域の細かい出来事まで知らせるようになれば、テレビニュースを詳しく解説してきたことと、身近な話題を知るツールだった新聞の存在が薄れてきているように思います。
地方紙が、官報みたいな内容ばかりなら、興味は薄れますます新聞離れが進むように思います。小さなエリアの地方紙が存在していることや市民の配信するプログ等を、県単位で事業を展開する老舗新聞社の記者たちは学ぶべきと思います。何故、新聞離れが進んでいるのか、現場の記者の動きにも少し関係があるように感じます。
来月の定例議会の質問準備中ですが、新聞記者ではないですが、私は現場感覚が大事と、縁ある仲間との議論や情報交換してみると気づくことがたくさんあります。久しぶりに「男女共同参画社会づくり」について、多方面の調査から質問をまとめたいと考えています。他の3つのテーマについても質問します。
<水俣病>不知火海沿岸住民の健康調査、国も県も実態が分かるのが怖くてやれない?
2017年05月17日

2017年5月15日熊日朝刊より
<水俣病>不知火海沿岸住民の健康調査、国も県も実態が分かるのが怖くてやれない?
2009年施行の水俣病特別措置法(特措法)から8年経つが、一向に国は健康調査を行うとしないのは何故か?
現在、申請者が増え続け、裁判も起こされている。
水俣病の公式発見を表明された熊本大学の武内忠男教授は、当時(61年前)から「患者は、不知火海沿岸一帯に居る」と語られていたのを思い出す。
国も県も、まるで感謝の高齢化を待っているかのように思うのは、私ばかりではないと思います。
公式確認から61年、あまりにも長い水俣病の患者救済、チッソは元社長が、また代表取締役に復帰すると報じている。熊本県のチッソ救済の県債は総額いくらになっているかは知らないが、やることをやってから、会社の将来があるように思います。


感激の対象を持つこと〜安岡正篤語録〜
2017年05月15日
感激の対象を持つこと〜安岡正篤語録〜
昨日、明治の大ジャーナリストの徳富蘇峰の生家を訪ねた。「蘇峰言志録」と銘打った書がいくつも掛けてありました。ほぼ言葉の語源は、論語などの古典から引用されたものが多かったように思います。
バスの中で開いた『安岡正篤一日一言』に、冒頭の訓示がありました。
(以下、本より抜粋)
感激の対象
絶えず熱中する問題を持つこと、即ち感激の対象を持つことだ。・・・、人生は退屈することが一番いけない。絶えず問題を持つことが、精神的に勝利を占める。
世の中が斯(こ)うなると、真面目な者は往々すね者になる。すねると皮肉が出る。彼らに欠けているものは気魄(きはく)だ。ところが此の頃はすね者さえもいない。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)
要は、一日一日を大事に過ごしなさい、ということになるだと思います。年に一度の同窓会の日帰り研修ですが、武家屋敷群の成り立ちや、徳富家の生業を知ることができて、とても有意義な一日となりました。
徳富蘇峰は、勝海舟と新島襄に会って、人生観が変わった、と語り部の方から話があった。読書(知識)も大事だが、生の人間から学ぶ感動は、さらに大切な経験だなと思いました。
昨日、明治の大ジャーナリストの徳富蘇峰の生家を訪ねた。「蘇峰言志録」と銘打った書がいくつも掛けてありました。ほぼ言葉の語源は、論語などの古典から引用されたものが多かったように思います。
バスの中で開いた『安岡正篤一日一言』に、冒頭の訓示がありました。
(以下、本より抜粋)
感激の対象
絶えず熱中する問題を持つこと、即ち感激の対象を持つことだ。・・・、人生は退屈することが一番いけない。絶えず問題を持つことが、精神的に勝利を占める。
世の中が斯(こ)うなると、真面目な者は往々すね者になる。すねると皮肉が出る。彼らに欠けているものは気魄(きはく)だ。ところが此の頃はすね者さえもいない。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)
要は、一日一日を大事に過ごしなさい、ということになるだと思います。年に一度の同窓会の日帰り研修ですが、武家屋敷群の成り立ちや、徳富家の生業を知ることができて、とても有意義な一日となりました。
徳富蘇峰は、勝海舟と新島襄に会って、人生観が変わった、と語り部の方から話があった。読書(知識)も大事だが、生の人間から学ぶ感動は、さらに大切な経験だなと思いました。
環境ホルモン(内分泌系撹乱物質)の拡散は広がり続けている
2017年05月15日


環境ホルモン(内分泌系撹乱物質)の拡散は広がり続けている〜北極圏に生息する北極クマの体内から、ダイオキシンが検出されている〜
おはようございます。昨夜まで4夜連続の会議+飲み会があり、今朝は朝ウォーキングはお休みです。しかし歳のせいか、日課のウォーキングから、目覚めは同じ時間に目がさめるものです。
さて昨夜から読み返す、アメリカの殺虫剤、除草剤、環境ホルモンに関する社会問題を指定した本『沈黙の春』や『奪われし未来』から、日々の田舎生活の中にも、深く農薬、除草剤等は、切ることのできない生業のツールになっていることを知らされます。
レイチェル・カーソンは、合成殺虫剤の危険性を予測した。そのおかげで、殺虫剤の使用をめぐって一大変革が起こり、カーソンが恐れていた黙示録さながらの悲惨な「沈黙の春」だけは、おおむね回避できた。
そしていま、シーア・コルボーンらがまとめた『奪われし未来』で述べられている新しい危険物質の環境ホルモン、いわゆる内分泌系撹乱物質に関する社会的認知が、20年前から指摘され続けて、やっと理解が進んできたように思います。
ただ、言葉は広がれど、環境ホルモン被害に対する対策は進んでおらず、残留性の高い札付き化学物質が先進国で生産中止になってからほぼ40年以上過ぎたけれども、その名残り(残留物)は、食物やヒトおよび動物の体内にいまだに蓄積されている。
『奪われし未来』によると
「その中には、この先何十年、あるいは数世紀にわたって環境内に残留する物質もあるだろう」
と指摘している。実際、北極圏に生息する北極クマの体内から、ダイオキシンが検出されているとも聞きます。人が撒き散らした化学汚染物質は、計り知れない範囲に広がっていることにも注目すべきと思います。
合成殺虫剤とともに広がる化学汚染物質の一つに、合成除草剤があります。遺伝子操作されて合成除草剤に強いタネを作り出し、その種子が世界メジャーの種商社が売り出しているとも聞きます。
昨夜から紹介する、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』、シーア・カーソンらの『奪われし未来』が言う、現代社会に化学物質がもたらす人間だけでなく、地球生物への悪影響を知る意味はあると思います。
朝から暗い話で、気が重くなったかも知れませんが、人間、テレビで話題にならなければ、世間から問題がなくなったかのように思います。熊本は、環境汚染の水俣病問題を抱えています。未来を明るくするためにも、環境汚染の課題解決に世界の科学者が取り組むことは現代社会の重要な仕事と思います。
三年飛ばなくても、ひとたび飛べは天まで届くだろう!〜「鳴かず飛ばず」の真意〜
2017年05月14日
三年飛ばなくても、ひとたび飛べは天まで届くだろう!〜「鳴かず飛ばず」の真意〜
おはようございます。古い中国の故事のお話から、「鳴かず飛ばず」の真の意味とは?
鳴かず飛ばず
大した成果もなく、そのまま終わる人材の話が一般的には訓示ですが、真の意味とは別にあるようです。
中国の春秋戦国時代の楚の国、紀元前7世紀の話です。壮王が即位したが、いっこうに仕事をせず日夜酒宴ばかり毎日楽しんでいた。まして、その荘王は「あえて諌(いさ)める者は死刑にする」とまで言い張り、いっこうに政治に関心を示さない。
伍挙という部下が、「岡に一羽の鳥がいて、三年ものあいだ飛びも鳴きもしません。どうしたことでしょうか?」と謎をかけた。
荘王は、「三年飛ばなくても、ひとたび飛べは天まで届くだろう。三年鳴かなくても、ひとたび鳴けば世間を驚かせるだろう」と語り、またまた何もしない。
さすがに部下の蘇従が死刑覚悟で諌めた(改心を求めた)。すると満を持していた荘王は、その翌日から、伍挙と蘇従を重用(役職に抜擢)して組織の刷新に乗り出し、やがて天下の覇者となった。
若い荘王は、古参の役職の中で、真に役立つ人物の発掘をするために、あえて仕事をせず放蕩息子を演じて、人物観察を3年もやったのです。今の時代、三年ものあいだ仕事をせずに、ぶらぶらしていたら大変ですが、でも一理ある大組織の人事策なのかもしれません。
ひょっとすると、荘王は内部組織の刷新もありましたが、隣接する国々争いを分析するためにも三年ものあいだ仕事をせず、自国と周り国の力を分析していたのかもしれない。初心者のふりをしておとなしくしていたが、いざ動きは始めたら「脱兎(だっと)の如く」鮮やかに動き回る策略を練っていたのかもしれない。
人間、荘王でなないが、状況分析と充電期間は必要な気がします。「慌てる乞食は貰いが少ない」とも言います。中国の春秋戦国時代の楚の言葉から生まれた「鳴かず飛ばず」の故事は、実は積極的な充電期間の言葉だった。
「鳴かず飛ばず」、実は三年経ったら天下も取れる勢いを放つ活動家の諺でした。要は、人は見た目だけでは分からないということかもしれないですね。
*参考資料:PHP文庫・中国古典百言百話『十八史略』
おはようございます。古い中国の故事のお話から、「鳴かず飛ばず」の真の意味とは?
鳴かず飛ばず
大した成果もなく、そのまま終わる人材の話が一般的には訓示ですが、真の意味とは別にあるようです。
中国の春秋戦国時代の楚の国、紀元前7世紀の話です。壮王が即位したが、いっこうに仕事をせず日夜酒宴ばかり毎日楽しんでいた。まして、その荘王は「あえて諌(いさ)める者は死刑にする」とまで言い張り、いっこうに政治に関心を示さない。
伍挙という部下が、「岡に一羽の鳥がいて、三年ものあいだ飛びも鳴きもしません。どうしたことでしょうか?」と謎をかけた。
荘王は、「三年飛ばなくても、ひとたび飛べは天まで届くだろう。三年鳴かなくても、ひとたび鳴けば世間を驚かせるだろう」と語り、またまた何もしない。
さすがに部下の蘇従が死刑覚悟で諌めた(改心を求めた)。すると満を持していた荘王は、その翌日から、伍挙と蘇従を重用(役職に抜擢)して組織の刷新に乗り出し、やがて天下の覇者となった。
若い荘王は、古参の役職の中で、真に役立つ人物の発掘をするために、あえて仕事をせず放蕩息子を演じて、人物観察を3年もやったのです。今の時代、三年ものあいだ仕事をせずに、ぶらぶらしていたら大変ですが、でも一理ある大組織の人事策なのかもしれません。
ひょっとすると、荘王は内部組織の刷新もありましたが、隣接する国々争いを分析するためにも三年ものあいだ仕事をせず、自国と周り国の力を分析していたのかもしれない。初心者のふりをしておとなしくしていたが、いざ動きは始めたら「脱兎(だっと)の如く」鮮やかに動き回る策略を練っていたのかもしれない。
人間、荘王でなないが、状況分析と充電期間は必要な気がします。「慌てる乞食は貰いが少ない」とも言います。中国の春秋戦国時代の楚の言葉から生まれた「鳴かず飛ばず」の故事は、実は積極的な充電期間の言葉だった。
「鳴かず飛ばず」、実は三年経ったら天下も取れる勢いを放つ活動家の諺でした。要は、人は見た目だけでは分からないということかもしれないですね。
*参考資料:PHP文庫・中国古典百言百話『十八史略』
龍馬ウォーク2017の「四時軒再建の寄付金」(〜5月14日まで募集します)
2017年05月08日
龍馬ウォーク2017の「四時軒再建の寄付金」(〜5月14日まで募集します)
昨日までの寄付額は、龍馬ウォーク2017の参加費33人分の6万6千円に加え、一昨日まで郵貯に振り込まれた寄付額は2万6千円と今朝熊本横井小楠塾の塾長から寄付の連絡があり、振り込まれる1万円を合わせて、10万2千円になりました。
「土佐の龍馬、肥後の小楠」資料展が5月14日まで開催されますので、「四時軒再建の寄付金」も5月14日まで募集します。
集まった寄付金は全て、「四時軒」再建の費用に当ててもらえるよう熊本市の大西市長にお渡しします。
<振り込み方法>
横井小楠記念館「四時軒」再建の寄付金(一口 2000円、複数口可)は、5月14日まで受付ます。
郵貯銀行
口座番号 01740-6-127549
口座名義 実行委員会「熊本龍馬社中」
一口 2000円(何口でも受け付けます)
<通信欄>「四時軒」再建の寄付
と記入してください。
不明の時は、私(野口)までお問い合わせください。
昨日までの寄付額は、龍馬ウォーク2017の参加費33人分の6万6千円に加え、一昨日まで郵貯に振り込まれた寄付額は2万6千円と今朝熊本横井小楠塾の塾長から寄付の連絡があり、振り込まれる1万円を合わせて、10万2千円になりました。
「土佐の龍馬、肥後の小楠」資料展が5月14日まで開催されますので、「四時軒再建の寄付金」も5月14日まで募集します。
集まった寄付金は全て、「四時軒」再建の費用に当ててもらえるよう熊本市の大西市長にお渡しします。
<振り込み方法>
横井小楠記念館「四時軒」再建の寄付金(一口 2000円、複数口可)は、5月14日まで受付ます。
郵貯銀行
口座番号 01740-6-127549
口座名義 実行委員会「熊本龍馬社中」
一口 2000円(何口でも受け付けます)
<通信欄>「四時軒」再建の寄付
と記入してください。
不明の時は、私(野口)までお問い合わせください。
<人物観察>人として好意を持てる人材、頼れる人材、責任のとれる人材とは。
2017年05月08日
<人物観察>人として好意を持てる人材、頼れる人材、責任のとれる人材とは。
マスコミが大好きな政治家の失言ですが、
なぜ失言が出るのか?、
人物は何を見て評価するのか?
先人たちも人の登用には苦慮したようで、安岡正篤先哲の訓示が、その人物観察について書いておられます。
「人を観る」〜安岡正篤〜
要するに人を離れて事は無い。為政者は天下の為に士を重んぜねばならぬ。
それではいかにしてその士を識ることが出来るか。人を観るには通常五の要点がある。すなわち容貌姿態(ようぼうしたい)、言語動作、衣裳服飾、気韻精霊(きいんせいれい)、風度温籍(ふうどうんしゃ)である。
但(ただし)容姿や言動や服飾は、要するに皮相な形而下(けいじじょう)の問題であり、又風度温籍(注1)は気韻精霊から自然に造詣すべきものであるから、結局、気韻精霊の一語に尽きる。
*(注1)風度温籍-人間としての格・度量の広さ・包容力
*(注2)気韻精霊-気品・精神
(以上、『安岡正篤一日一言』より)
人物観察の中心となるのは、
>気韻精霊-気品・精神
品位、精神とあります。
では、品位とは何か?
加えて、精神とは何か?
安岡正篤先哲の訓示を勝手に解釈して、人間性ではないか。人として好意を持てる人材、頼れる人材、責任のとれる人材でなければならない、と思います。
私などは、気韻精霊については、まだまだ評価できる人材以下ですので、ぼちぼちと前向きに生きて、学ぶことは忘れないようにはしたいな、と思います。
今日から、日常が始まります。休みボケと言われないようには、しゃきっと、朝活から活動を始めます。
マスコミが大好きな政治家の失言ですが、
なぜ失言が出るのか?、
人物は何を見て評価するのか?
先人たちも人の登用には苦慮したようで、安岡正篤先哲の訓示が、その人物観察について書いておられます。
「人を観る」〜安岡正篤〜
要するに人を離れて事は無い。為政者は天下の為に士を重んぜねばならぬ。
それではいかにしてその士を識ることが出来るか。人を観るには通常五の要点がある。すなわち容貌姿態(ようぼうしたい)、言語動作、衣裳服飾、気韻精霊(きいんせいれい)、風度温籍(ふうどうんしゃ)である。
但(ただし)容姿や言動や服飾は、要するに皮相な形而下(けいじじょう)の問題であり、又風度温籍(注1)は気韻精霊から自然に造詣すべきものであるから、結局、気韻精霊の一語に尽きる。
*(注1)風度温籍-人間としての格・度量の広さ・包容力
*(注2)気韻精霊-気品・精神
(以上、『安岡正篤一日一言』より)
人物観察の中心となるのは、
>気韻精霊-気品・精神
品位、精神とあります。
では、品位とは何か?
加えて、精神とは何か?
安岡正篤先哲の訓示を勝手に解釈して、人間性ではないか。人として好意を持てる人材、頼れる人材、責任のとれる人材でなければならない、と思います。
私などは、気韻精霊については、まだまだ評価できる人材以下ですので、ぼちぼちと前向きに生きて、学ぶことは忘れないようにはしたいな、と思います。
今日から、日常が始まります。休みボケと言われないようには、しゃきっと、朝活から活動を始めます。
楽しみとは心の中にあるもので、外にあるものではない。〜震災特需に思う〜
2017年05月05日
楽しみとは心の中にあるもので、外にあるものではない。〜震災特需に思う〜
おはようございます。余震が続く熊本、なかなか余震がなくなりません。
さて、熊本の建築業界は、震災の被災家屋の公費解体が進み、設計依頼や耐震改修の依頼が増えています。設計はすれど、工事を請け負う工務店が少ないため、1年待ちとも、1年半待ちともの状況です。これからさらに解体進めば、2年待ち、3年待ちになるのではと心配します。資材等も割高だし、職人の日当も確実に上がっています。
今の熊本は震災特需で、好景気の状況にあります。多くの県外の建設業者も支店を新設して活発に動いていますが、なかなか初顔との仕事は難しく、長年付き合いのある職人の工務店を待つ事が、間違いのない選択とユーザーには語っています。
この震災特需は、3年〜4年で終わります。また、厳しい受注競争の時代に戻ります。最近気づくのが、高級車の売れ行きが好調な話です。震災特需は、建設業界には明るい兆しですが、いずれは終わりが来ます。
仕事がない時は、仕事を得た事に喜びを感じるが、断るほどの多忙には仕事を得た喜びは少ない。ただ特需で利益率が上がり、ついつい外に幸せを求める傾向がある。それが、高級車の販売好調につながるのでしょう。車を売る側からすれば、頑張り時でもあります。
日本の陽明学の祖・中江藤樹の言葉に次の訓示があります。
「順境に居ても安(やす)んじ、逆境に居ても安んじ、淡々飄々(たんたんひょうひょう)として苦しめる所なし。是を真楽と言うなり。万の苦を離れて、この真楽を得るを学問の目あてとす」
要は楽しみは心にあるということだろう。
「隣の芝は青く見える」
成功した人の様になりたい、と思うのは誰しも同じですが、一時の特需に乗っかって私欲を追っては、先細りになる。特需は非常時(有事)であり長くは続かない。いずれ来る厳しい受注競争の時代(平時)を想像して、その時に備えることが大事な気がする。
人(世間)は、建設業界の人間の行動がよく見えるもの、有事の時から平時の準備をすることを忘れてはいけない、と中江藤樹も語っています。
幕末の儒家・佐藤一斎の訓示にも次の言葉があります。
【現代語訳】
人は心に楽しみことがなくてはいけない。楽しみとは心の中にあるもので、外にあるものではない。
(以上、『言志四録』より)
おはようございます。余震が続く熊本、なかなか余震がなくなりません。
さて、熊本の建築業界は、震災の被災家屋の公費解体が進み、設計依頼や耐震改修の依頼が増えています。設計はすれど、工事を請け負う工務店が少ないため、1年待ちとも、1年半待ちともの状況です。これからさらに解体進めば、2年待ち、3年待ちになるのではと心配します。資材等も割高だし、職人の日当も確実に上がっています。
今の熊本は震災特需で、好景気の状況にあります。多くの県外の建設業者も支店を新設して活発に動いていますが、なかなか初顔との仕事は難しく、長年付き合いのある職人の工務店を待つ事が、間違いのない選択とユーザーには語っています。
この震災特需は、3年〜4年で終わります。また、厳しい受注競争の時代に戻ります。最近気づくのが、高級車の売れ行きが好調な話です。震災特需は、建設業界には明るい兆しですが、いずれは終わりが来ます。
仕事がない時は、仕事を得た事に喜びを感じるが、断るほどの多忙には仕事を得た喜びは少ない。ただ特需で利益率が上がり、ついつい外に幸せを求める傾向がある。それが、高級車の販売好調につながるのでしょう。車を売る側からすれば、頑張り時でもあります。
日本の陽明学の祖・中江藤樹の言葉に次の訓示があります。
「順境に居ても安(やす)んじ、逆境に居ても安んじ、淡々飄々(たんたんひょうひょう)として苦しめる所なし。是を真楽と言うなり。万の苦を離れて、この真楽を得るを学問の目あてとす」
要は楽しみは心にあるということだろう。
「隣の芝は青く見える」
成功した人の様になりたい、と思うのは誰しも同じですが、一時の特需に乗っかって私欲を追っては、先細りになる。特需は非常時(有事)であり長くは続かない。いずれ来る厳しい受注競争の時代(平時)を想像して、その時に備えることが大事な気がする。
人(世間)は、建設業界の人間の行動がよく見えるもの、有事の時から平時の準備をすることを忘れてはいけない、と中江藤樹も語っています。
幕末の儒家・佐藤一斎の訓示にも次の言葉があります。
【現代語訳】
人は心に楽しみことがなくてはいけない。楽しみとは心の中にあるもので、外にあるものではない。
(以上、『言志四録』より)
身の回りの変化の中に、近未来の潮流のヒントがある。
2017年05月05日
身の回りの変化の中に、近未来の潮流のヒントがある。
今夜は、高速バスの中です。明日に行われる岩国基地の航空ショーの見学ツアーに参加しています。
緊張の東アジア、米軍の航空基地も在る岩国基地とはどんなところか、自分の目で見たいし、子どもが小さかった頃、宮崎のニュー田原基地の航空ショーを観に連れて行って以来、久々の航空自衛隊の施設見学です。
ゴールデンウィークでもあり、そうとう人も集まる(バスの会話から)ようで、天候も良いようなので、基地内ウォークを楽しみたいと思います。
我が家、唯一のゴールデンウィークの予定です。ブルーインパルスも来るようなので、先月の熊本城でのブルーインパルスの演技を見れなかったので、しっかり見てきたいと思います。
さて、バスの中での読書から、幕末の儒家で、志士たちに大きな影響を与えた佐藤一斎の訓示録『言志四録』より
「常に心を練磨する」
事に処し物に接して、此の心を練磨すれば、人情事変も亦一併に練磨す。
【現代語訳】
事を処理したり、物に接していくときに、自らの心を練磨していけば、人の心を や世の中の変化に向かう心構えも、また一緒に磨き上げていくことができる。
(以上、渡邊五郎三郎編著『佐藤一斎一日一言』より)
バスの中での会話から、「北朝鮮に何かことがあれば、航空ショーは中止だろう」と耳にする。国民が皆さん、米韓と日本の関係から、東アジアの緊張状態を危惧している。確かに航空ショーは、お祭りではあるが、現在の北朝鮮の動向に関心が集まる中での開催に、平和の翼のブルーインパルスの演技が、今後とも続くことを誰もが望んでいるのではないか。
同行するツアーの中で、どんな会話が交わされるか? 国民意識の感覚(変化)を知ることはとても大切なツアーになりそうです。
今夜は、高速バスの中です。明日に行われる岩国基地の航空ショーの見学ツアーに参加しています。
緊張の東アジア、米軍の航空基地も在る岩国基地とはどんなところか、自分の目で見たいし、子どもが小さかった頃、宮崎のニュー田原基地の航空ショーを観に連れて行って以来、久々の航空自衛隊の施設見学です。
ゴールデンウィークでもあり、そうとう人も集まる(バスの会話から)ようで、天候も良いようなので、基地内ウォークを楽しみたいと思います。
我が家、唯一のゴールデンウィークの予定です。ブルーインパルスも来るようなので、先月の熊本城でのブルーインパルスの演技を見れなかったので、しっかり見てきたいと思います。
さて、バスの中での読書から、幕末の儒家で、志士たちに大きな影響を与えた佐藤一斎の訓示録『言志四録』より
「常に心を練磨する」
事に処し物に接して、此の心を練磨すれば、人情事変も亦一併に練磨す。
【現代語訳】
事を処理したり、物に接していくときに、自らの心を練磨していけば、人の心を や世の中の変化に向かう心構えも、また一緒に磨き上げていくことができる。
(以上、渡邊五郎三郎編著『佐藤一斎一日一言』より)
バスの中での会話から、「北朝鮮に何かことがあれば、航空ショーは中止だろう」と耳にする。国民が皆さん、米韓と日本の関係から、東アジアの緊張状態を危惧している。確かに航空ショーは、お祭りではあるが、現在の北朝鮮の動向に関心が集まる中での開催に、平和の翼のブルーインパルスの演技が、今後とも続くことを誰もが望んでいるのではないか。
同行するツアーの中で、どんな会話が交わされるか? 国民意識の感覚(変化)を知ることはとても大切なツアーになりそうです。
<和=結束>権力主義、利己主義の私的欲望を捨て、公共精神を振い起こす意外に道は無い。〜東アジアの危機回避を願う〜
2017年05月04日
<和=結束>権力主義、利己主義の私的欲望を捨て、公共精神を振い起こす意外に道は無い。〜東アジアの危機回避を願う〜
安岡正篤先生の講義録『日本精神』に、吉田松陰のことが書かれています。今年は、明治維新から150年です。遠いと感じますが、長生きの家系では、自分の祖父母の祖父母が見た「直接見た幕末維新」出来事を、自分の祖父母から聞ける時間です。
実は、私が長い指導を受ける東京の木内孝氏の祖母は、福沢諭吉の四女で、福沢諭吉の生業の事を聞かされた、と話されていました。
幕末維新を乗り越えた日本人の結束(和)は、どうやってできたか?
またまた、安岡正篤先生の訓示から、引用します。
(以下、『安岡正篤一日一言』より)
如何にして日本に和を実現するかということになれば、これは礼を本として、即ち世の中の権力主義、利己主義といったような野望を排し、私を捨てて、公に向かう公共精神を振い起こす以外には道はないのであります。民族を救い、国家を救って、この日本に真の平和と独立とを保全するためには、日本民族の結束をはかる以外にないのであります。
(以上、本より転載)
東アジアの危機的緊張感の中、世界の指導者たちは、連携を強化し始めています。中国古典に「窮鼠猫を噛む」とのことわざがあります。
西郷隆盛は、江戸城に立て篭もろうとした幕府軍の逃げ道は確保(海舟の策とも)して、江戸無血開城の交渉に当たり、江戸の町が無傷で残った。
「窮鼠猫を噛む」的な圧力にならぬように、日本人が結束して、あらゆるチャンネルを使い、東アジアの緊張状態を解くような動きになることを望みます。
安岡正篤先生の講義録『日本精神』に、吉田松陰のことが書かれています。今年は、明治維新から150年です。遠いと感じますが、長生きの家系では、自分の祖父母の祖父母が見た「直接見た幕末維新」出来事を、自分の祖父母から聞ける時間です。
実は、私が長い指導を受ける東京の木内孝氏の祖母は、福沢諭吉の四女で、福沢諭吉の生業の事を聞かされた、と話されていました。
幕末維新を乗り越えた日本人の結束(和)は、どうやってできたか?
またまた、安岡正篤先生の訓示から、引用します。
(以下、『安岡正篤一日一言』より)
如何にして日本に和を実現するかということになれば、これは礼を本として、即ち世の中の権力主義、利己主義といったような野望を排し、私を捨てて、公に向かう公共精神を振い起こす以外には道はないのであります。民族を救い、国家を救って、この日本に真の平和と独立とを保全するためには、日本民族の結束をはかる以外にないのであります。
(以上、本より転載)
東アジアの危機的緊張感の中、世界の指導者たちは、連携を強化し始めています。中国古典に「窮鼠猫を噛む」とのことわざがあります。
西郷隆盛は、江戸城に立て篭もろうとした幕府軍の逃げ道は確保(海舟の策とも)して、江戸無血開城の交渉に当たり、江戸の町が無傷で残った。
「窮鼠猫を噛む」的な圧力にならぬように、日本人が結束して、あらゆるチャンネルを使い、東アジアの緊張状態を解くような動きになることを望みます。
人間、赤っ恥をかいて成長する。反省=成長でなければならない。
2017年05月04日
人間、赤っ恥をかいて成長する。反省=成長でなければならない。
失敗を恐れて逃げるようでは、話にならない。
笑われても、恥をかいても、自らの夢に向かってチャレンジし続ければ、目的が近づいて来る。
夢が実現しないのは、失敗して諦めるから。
失敗しても、努力を重ねる。
やり続けることが大事と思います。
今日も失敗(恥)を恐れ(怖れ)ず、龍馬のように、前のめりに転ぶ行動をし続けたいものです。
〜5月4日の目覚めの自戒の言葉〜
今日も九州は晴天、みなさんのゴールデンウィークに幸多かれと祈ります。
追加の言葉、目的達成できたらおおいに歓声を上げて喜ぼう。そしてさらなるチャレンジをしよう。
失敗を恐れて逃げるようでは、話にならない。
笑われても、恥をかいても、自らの夢に向かってチャレンジし続ければ、目的が近づいて来る。
夢が実現しないのは、失敗して諦めるから。
失敗しても、努力を重ねる。
やり続けることが大事と思います。
今日も失敗(恥)を恐れ(怖れ)ず、龍馬のように、前のめりに転ぶ行動をし続けたいものです。
〜5月4日の目覚めの自戒の言葉〜
今日も九州は晴天、みなさんのゴールデンウィークに幸多かれと祈ります。
追加の言葉、目的達成できたらおおいに歓声を上げて喜ぼう。そしてさらなるチャレンジをしよう。