<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜

2024年09月25日

<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜

(少々文が長いので、お時間ある時にお読みください。)

私の読書は、雑読である。あまりよろしくないが、古本屋での立ち読みから興味が湧き購入することが多い。その作家の一人が、歴史に関する本が多い半藤一利の著書です。

半藤一利氏の文を集めた本『歴史と人生』に、夏目漱石が関心を持った『老子』の話がありました。

(以下、半藤一利著『歴史と人生』より)

ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ
夏目漱石(明治三十一年作)

この句には前書きがある。
「知者不言、言者不知」
出所は『老子』である。
「知るものは言わず、言うものは知らず」
と読む。えらそうに言挙げするものへの皮肉がたっぷりこめられている。漱石はまたこうもいっている。

「余慶な不慥(ふたしか)の事を喋々する程、見苦しき事なし、況(いわ)んや毒舌をや、何事も控え目にせよ、奥床しくせよ」
〜『愚見数則』〜

斯愚には 及ぶべからず 木瓜(ぼけ)の花
夏目漱石(明治三十二年作)

『老子』に有る、
「大功は拙のごとし」
「われ愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり」
漱石もまた節を曲げない愚直な生き方を、生涯の心の拠りどころとしていた。
(以上、『歴史と人生』より)

>知るものは言わず、言うものは知らず

智者は語らず。
お喋り多い人は知らず。

>ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ

人の注目を集めることに熱心な人がいます。"時代の寵児"と言う表現もありますが、そんな人は、いつの間にかいなくなります。

私は、異業種交流会を主催してきました。かれこれ25年(四半世紀)になります。

いろいろな方と会ってきました。その初めから縁のある大学教授に、

「本物は残るから、長く観ておきなさい」

と助言されました。一瞬の輝きより、10年後、20年後の姿を観ることが大事だなぁ、とこの歳になると思います。

人の時のアセス

人間の言動の検証のことを大学教授が語られたのだと思います。

>余慶な不慥(ふたしか)の事を喋々する程、見苦しき事なし

「人生は訥弁」の教えが中国古典の何かにありました。お喋りは禍いの素(原因)です。

勇者は語らず。

人間分析は、なかなか時間のかかる(アセスメント)作業のように思った、半藤一利氏のご指摘でした。再度、

>ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ

人生は、ぼちぼち。好きなことを愚直に続けたが楽しいのかもしれません。

今日、明日は、膝を休めるために早朝ウォーキングはお休みですが、いつもの時間に目覚めて、雑読しています。  

信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜

2024年09月17日

信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜

(長文です。時間ある時にお読みください)

朝目覚めて、寝室の本の整理をしていて、以前にリサイクルブック店で購入した中村天風に関する著書に目が止まった。開いたページに、

(以下、本より)

「『論より証拠』だ。信じてやってみたまえ。効果があるから、効果があったという厳然たる事実が、教えを納得させるだろう。納得したならば、この道を歩み続けるがいい」

天風は言う。

「信念が確固不抜のものなれば、こうなりたいと念願のすることがすべて思い通りにかなってくる」
(以上、池田光著『中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない』より)

本の一節には、

(以下、本より転載)

命令的な口調で暗示をあたえる。
「家を建てよ」
「課長になれ」
「著書を出せ」
と、繰り返し心にイメージを描くことと自己暗示を行い続けることで、力の源である潜在意識に働きかける。
(以上、本より)

我が人生に当てはまると、進学が上手くいかずに、一旦は社会人になったが、一年後に一念発起、建築の専門学校から建築設計の道に入った。

目標は、"30歳で独立する"でした。

しかし、その実現は、一級建築士の試験が上手く行かず、1年遅れ、さらに事務所開設の申請は2年遅れでした。

独立して4年後になり、大型物件の仕事が始まった。さらに仕事が増える中、強力な台風が宇土市を襲い、所有林の杉檜が100本以上倒れる被害を受けた。

台風後の秋、地域行事に参加して懇親会の席で、「山の木見て考えろ、家でも建てないか、親父ともう歳ばい」と近所の大工から意見された。私の父は、大工でした。

さてどうする・・・

翌年の売り上げは大きくなるので、税金を納めて公的資金を使い(住宅金融公庫)建てることに向かった。37歳11ヶ月で家は完成した。

問題は、3つ目の「著書を出せ」です。昨夜のコメントでも紹介した異業種交流会「四季の会」を40歳から本格的に活動を始めた。多い時は、年間に6回開催することもあり、50歳になる年の春に電話が来た。

「野口さん、40代をまとめないか、とにかく書けたら私の所へ持って来なさい」

と異業種交流会の始まりから関わる大学教授からの要請でした。私は、約3ヶ月半かけて、87の活動と好きな名言を30ほどまとめて、教授のところへ持って行くと、

「これでは本にならない、3つか、4つのグループに分けて来なさい」

から、また半月かけてまとめ、相談に行きました。すると、

「これから先は、あなたの福岡の国文学者の先輩にお願いして、チェックしてもらいなさい」

と指示され、それから3ヶ月福岡へが通うことになった。そこでも注文が、「87ではなくて、もう一つ増やし88の実践報告に」とあり、出来上がったのが、40代の活動をまとめた本、

『なかまづくり まちづくり』

です。51歳の正月に出来上がり、出版発表と異業種交流会「四季の会」10周年を開催しました。

独立(フリーター)が、31歳6ヶ月でした。
家の新築完成が、37歳11ヶ月でした。
本の出版が、51歳7ヶ月でした。

「独立」は自らの決意からでしたが、「家の新築」と「本の出版」は先輩の助言から、さらに「市議会議員への挑戦」(52歳3ヶ月)も地域の先輩の後押しからでした。

振り返るに、独立は自己責任で始めましたが、他の出来事は、周りからのアドバイスを活かして来た、私の中年期のように思います。朝から中村天風哲学に触れ、振り返りました。

話が長くなり、最後までお読みいただきありがとうございます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:49Comments(0)マイライフ私の意見哲学、人生

人を招く、人に招かれる。出会いの演出はなかなか難しいですが、人間を育てる場でもある。〜異業種交流会「四季の会』〜

2024年09月16日

人を招く、人に招かれる。出会いの演出はなかなか難しいですが、人間を育てる場でもある。〜異業種交流会「四季の会』〜

7年ほど前に、リサイクルブック店で見つけた作家の田辺聖子さんの文を集めた本『苦味(ビター)を少々』は、夜寝れない時に時折開きます。

(以下、本より)

客を迎えるというのは、自分が主になり柱になることなので、ぐうたらや未熟ものではつとまらぬわけである。
気概のない人間は、自分が人を招ぶより、人に招ばれ客となって大切に扱われたがるのであるらしい。
〜『姥ざかり』〜

果たして私は"どちらか?"

最近は、客を招くことは少なくなっていますが、以前にやった人物の出会いでは、あるイメージを持って場の設定を行った。その後のことは書きませんが、田辺聖子さんの文を読み、なるほどと思い、振り返りました。

私は、異業種交流会を四半世紀続けてき
ました。異業種の方々に集まってもらうには、まず自ら来てほしい方の所(事務所や現場)に出向くことから始まります。これまで、2千人近い方のところへ伺いました。そのなかで、つながっているのは、ほんのひと握りです。

この世に生まれて誰と出会うか?

あなたは招く側ですか?

招かれる側ですか?

コロナ禍から、開催が少なくなった異業種交流会「四季の会」を、そろそろ開催でもしましょうか。

人を招く工夫とは何か?

38歳からの同業種交流会以来、考え続けているテーマかもしれません。

今夜は、昼寝をちょっとしたせいか、なかなか眠れずにいて、枕元の本読んでいます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:43Comments(0)マイライフ 異業種交流会・講演会