(捕鯨妨害)坂本龍馬の海援隊と「万国法」

2008年03月31日

(捕鯨妨害)坂本龍馬の海援隊と「万国法」

産経の「正論」に坂本龍馬の話題が載っていました。

・【正論】社会学者・加藤秀俊 捕鯨妨害と龍馬の「万国公法」2008.3.24
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080324/trd0803240316002-n1.htm

何かワクワクするテーマに、読み入ってしました。

>≪不法入国に等しい暴挙≫
>南極海で日本の捕鯨船が操業中に襲撃された、という事件を耳にしたとき、わたしが即座に思いだしたのはこの「万国公法」ということばであった。

>シー・シェパードなる捕鯨反対の民間団体の船が接舷してきて、2人の「活動家」が強引に乗り移ってきた。日本の船はどこにいっても日本の主権がおよんでいる。

>やっとのことでオーストラリアで下船させると、こんどは化学薬品のはいったビンを捕鯨船にむけて発射した。はっきりいってこれは化学兵器による明白な「武力攻撃」である。

>この「海神の海軍」は黒地に白のドクロのマークの旗をかかげ、「善良なる海賊」と自称する。海賊に「善良」も「不良」もあるまい(中略)

正義を掲げて捕鯨妨害をしているのですが、海賊、環境保護を傘に掲げた海軍と言って過言ではないように思います。

公海上の漁船団は、会社と言うよりは、国家を代表し食料確保に必死に働く一国民であります。南アジア近海でも、海賊が出ると聞きますが、この捕鯨妨害の海賊が、少し様子がおかしいように感じます。

ここで、加藤氏が思い出し書かれたのが、幕末に大活躍した坂本龍馬率いる「海援隊」の海難事故のことでした。

>慶応3年4月のことというから、150年ほどむかしのことである。坂本龍馬が組織した「海援隊」はやっとのことで手にいれた「いろは丸」で瀬戸内海を航行中、紀州藩の明光丸という船と衝突した。非は相手にある。

>ロープにつかまって明光丸に飛び移った龍馬は、即座に船長を呼びつけて談判をはじめた。かれは「万国公法というものがある。それを守らぬとあれば、この船上で諸君を撫(な)で切りにして私も切腹する」といって執拗(しつよう)に食い下がり、結局8万両という大金で賠償責任を果たさせた。

ここで重要なのは、龍馬が「万国公法」という観念で事件を処理したことである。

現在の国際関係は、とても複雑に絡み合って来ています。でも国々に共通する法(原理原則)は、存在すると思います。

何かの本で読んだのですが、「僕と君の考えは違うが、君の意見は僕が命がけで守る(支持する)」だった思いますが、互に考えは違えど、理解できる原理原則は存在するとおもいます。

話が横道にそれましたが、要は坂本竜馬のように、自分の国からだけで物事を見ず、多方面から物事考える習慣と、世界に情報を常に敏感であれと言う事ではないでしょうか。

高杉晋作は、上海の状況を見聞に行ったと聞いたことがあります。
現実を知ることと、人間としてどう生きるか、一人ひとりが考え続けていると、自ずと大事なものは何か、それぞれの答えが出て来るのだと思います。

加藤氏が、龍馬を検証して、

>150年も前に、龍馬はかねて「万国公法」というイギリスの書物を読んでいた。明治政府が成立する以前にこうした世界的視野を龍馬がもっていたことにに感動する。

そして、現在の海の暴れ者を、世界の有識者が連携して、次世代へ向けた新しいルールを作る必要があると思います。

>そろそろここらで「万国公法」、現代のことばでいえば国際法によって成敗すべきではあるまいか。

龍馬の故郷、土佐は「よさこい節」に「おらんくの池にゃ潮吹く魚が泳ぎより…」とあるとか・・・
古来から漁民として荒波を乗り越えて生きてきな日本人の主調は、すべきと考えます。
ただし、相手の意見の入れつつ、こちらの主張を通す議論が出来ると良いなと思います。

>「万国公法というものがある。それを守らぬとあれば、この船上で諸君を撫(な)で切りにして私も切腹する」

龍馬の胆の据わった正論を主張する姿、今の日本のリーダーに欲しいと思います。

今日は、ちょっと長くなりました。


<以前の日記>

・三人行えば、必ず我が師有り

・(長期の眼力)正法を護持する~『開運のすすめ』に学ぶ~
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:44Comments(0)国際関係

(長期の眼力)何代にもわたる万世という長さで考える

2008年03月31日

(長期の眼力)何代にもわたる万世という長さで考える


~永渕道彦著(『開運のすすめ』に学ぶ)の教え~

(本文)

正法を護持するとはどのようなことをいうのであろうか。

法とは万世にわたって人間の眼目のように最も大切なものである。この正法がなかったらば、我々はどうして天地に近づき、天地の仕事をたすけることがでようか。どうして万物を造りだすことができようか。

どうしてこの世の塵俗(じんぞく)を抜け出し、世間の束縛から解き放されることができようか。どうして世を治める俗界を離脱することができようか。

そのようなわけであるから、およそ聖人賢者の霊廟とか、聖人賢者の書物などは、正法を教えた人を祀ったところ、正法を伝えているものであるから、これらを見たならば、みな尊敬し重んじてこれを大切にし、正法を正しく伝える努力をしなければならない。

正法を発揚し、上は天恩に報いることができるようになるには、しっかりとなお一層の勉強努力をしなければならない。


(解説)
 物事への見方や考え方を大きな物差しにしたらどうであろう。短い個人単位の長さでなく、何代にもわたる万世という長さで考えるのである。ここで言う法とは生きていく上での教えのことである。

「法(生きていく上での教え)とは万世にわたって人間の眼目のように最も大切なものである」とは何も古めかしい言いぐさではないのである。

そこで、個人単位の小さな物差しで考えるのでなく、人間が生きていく上での正しい教えを聖人・賢人の書いたものや話など尊んで学んではどうであろう。

その学び得たことを正しく伝え、また実践に努めてはどうであろう。このような勉励努力はまさに、子々孫々である人類への貢献であり善行であると言わねばなるまい。


(感想)

 今、国会はガソリン税の存続で、右往左往していますが、この税制を近視眼的に見ると、地方の交付税が激減する、道路財源が無くなると等、色々意見はありますが、もっと視点を、50年先、100年先、200年先を見て、子孫の生活環境をどうするか考えると、だいぶ見方が違って来るものです。
 
 地球時代は、気候変動、温暖化防止に科学者の死力尽くした示唆を求めています。その方向は、北欧を中心とする地球環境保全から、再生へ大きく舵は切られました。

 アメリカ・インディアン(原住民)のことわざに、「7代先を考えて生活をしなさい」とあると聞きます。現代の一世代サイクルを30年とすると、約200年先ということなります。
 現代人は、その先人の知恵に程遠い、「自分さえ良ければ良い」の発想が中心と思います。先週の8人殺傷事件、駅の突き落とし事件、自分さえ良ければ良い発想と思います。

>何代にもわたる万世という長さで考える 

現実を充実させることはもちろんですが、少しの思考を次に世代、次々世代、さらに200年先の世界を考えて、行動する事が必要な教えと思います。

これからは、一人ひとりが未来の世代のことを考えて、日々行動して行くことが大事と思います。視線を、長いスタンスの目標(長期の眼力)を持って、生きることが必要と感じています。地球は有限、子どもたちの夢は無限、その両方を実現できる世界を作る必要があると思います。

余談が長くなりました。



・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:44Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

ガソリン税廃止、次は環境目的税。国の仕組みが少しづつ変化

2008年03月30日

ガソリン税廃止、次は環境目的税。国の仕組みが少しづつ変化

■<福田首相>「今の暫定税率水準維持」特措法再可決明言せず(毎日新聞 - 03月29日 23:31)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=446309&media_id=2

>今回の発言は、09年度以降も暫定税率を縮小・廃止せず、環境目的税などに転用することを念頭に置いたものとみられる。

温暖化、気候変動が、叫ばれる中、遅れていた日本の行動が動き始めたように思います。

民主党が、ガソリン税を固辞しているように見えますが、世論調査では、60%が廃止の要望を出しています。世論に押されて仕方が無い様相も見えてきます。
ただ、地方財政ひっ迫した中、地方の知事連は三位一体の改革以来、さらに財政が厳しくなると危機感を示しています。地方の自立が急がれる流れになって来たと感じます。

きになる「環境目的税」ですが、既にヨーロッパやカナダで始まっている「炭素税」が頭にあるのでは思いますが、問題はその税金を何に使うかが大事と思います。世論を納得させ、世界をリードするような日本型炭素税が、生み出されると良いなと願っています。

原爆、水俣病、悲惨な2つの世界的な悲劇を経験した国として、今度は世界を環境保全大国日本として、新しい風を世界に吹かせて欲しいと思います。

地方も今回のガソリン税廃止で、財政きびしくなると思いますが、この危機を逆手にとり、地方の自立へ向けた本腰の行財政改革が進めばと思います。知事・自治体首長たちの手腕が問われる時代になったと考えます。


<以前の日記>
・日本は自然エネルギー資源国ですが、現実は原子力発電大国です。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:13Comments(0)政治問題(国)

日本は自然エネルギー資源国ですが、現実は原子力発電大国です。

2008年03月29日

日本は自然エネルギー資源国ですが、現実は原子力発電大国です。


■わが街こそ「環境モデル都市」、公募前に名乗り続々
(読売新聞 - 03月29日 15:06)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=446086&media_id=20

>自治体側には「PRの絶好の機会」「動きの鈍い環境施策に弾みをつけたい」など様々な思惑があるようだ。
>政府はサミットまでに10か所を選定するが、事務局に直接、売り込みに訪れたところもあるという。

大いに挑戦して欲しいと思います。

>京都市は、使用済み天ぷら油をディーゼル燃料にしてゴミ収集車やバスを走らせている実績を武器に、モデル都市入りを目指す。

九州には、民間で既に、レストラン組合と、菜種油を介し、農家と組んで地産地消の植物エネルギー利用の先進地があります。

>風力発電に力を入れる高知県檮原(ゆすはら)町は、間伐材から木質ペレットを作ってストーブなどの燃料に充てる計画をアピール。

東北の葛巻町の自然エネルギーと、バイオマス発電+熱利用で、地域の7割を生産する自治体となっています。ペレットストーブ発祥の地でもあります。

>太陽光発電の普及率全国トップレベルの長野県飯田市は「2050年までに二酸化炭素の排出量を90%削減する」と宣言して応募する予定で、「市民意識のさらなる向上を」ともくろむ。

「二酸化炭素の排出量を90%削減」

せっかくなら、100%削減を目指して欲しいのですが、でも90%はすごいと思います。


・電力売買の同一価格

ここで話題になって欲しいのが、日本の電力売買の同一価格のことです。

日本は、自然エネルギーで出来た電力も、火力発電所でできた電力も同じ値段で電力会社が買い取っています。

北欧やドイツを中心に、自然エネルギーで発電された電力は、買電の料金よりも高く買う法律をつくり、普及に努めています。

ドイツは、国が法律をつくり、一時期約2.5倍の値段で電力を買い取ることを義務付けています。そのおかげで、原発廃止を打ち出し、環境先進国では、二酸化炭素削減50%を目指している国もあります。

デンマークは、北海地域に、風力発電を建設し、国家の電力をまかなえるまでになっています。


エネルギー資源輸入大国日本

自然エネルギーが、どうして普及しないのか?

昨年、安倍首相が、ウラン生産第2位のパキスタンへ公式訪問し、経済援助を約束しました。これには、原子力発電所建設の技術は、日本が最先端と言われ、企業からの圧力と電力会社の抵抗で、自然エネルギー発電が、なかなか普及していきません。

エネルギー96%を輸入する日本なのに、自然エネルギー利用が進まないのは、政治を企業が糸を引いているとしか思えないのです。

デンマークも海に囲まれていますが、日本はもっと長い海岸線を持っています。もし経済を言うなら、風力発電技術が復旧すれば、日本国内だけで、風力発電産業は、2兆円規模になると試算しています。

ネックは、政府の企業べったり政策です。

日本だけが、原発の増設計画は、たくさんあります。

日本の太陽電池パネル生産は世界一です。その殆どが、ヨーロッパへ輸出され、生産が間に合わない状況です。

国の仕組みを変えないと、持続可能な自然エネルギー利用の促進は図れないと考えます。

国会へ、自然エネルギーで出来た電気を、電力会社に2.5~3倍の値段で買い取らせる法律を成立させ、買い取らせることが必要と思います。

もしその政策が実現すれば、海の近い大平原は、風も強いところです。今、農家は疲弊していますが、農家が風力発電を作り電力を売ることで収入を増加させれば、補助金付けの小規模農家が減り、大規模農家が出来やすくなるのではと考えます。

海岸線や農地に風力発電、一般住宅・ビルの屋根に太陽光発電、火山国日本の立地を生かして地熱発電はいかがでしょうか?

アイスランドは、太陽光、風力、地熱と燃料電池を使い、持続可能な国を目指し既に取り組みに入っています。

今年、洞爺湖サミットですが、これだけ遅れている日本が、どんな提案を出すか見ものです。

あっち、こっち飛んだ、今日の日記でした。

ご意見いただけば幸いです。



・公正で持続可能な社会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1236249  

Posted by ノグチ(noguchi) at 17:50Comments(2)国際関係

人材教育の基本精神は『誠(まこと)』にある(三島中州)

2008年03月27日

人材教育の基本精神は『誠(まこと)』にある

~二松学舎大学創始者の三島中州先哲の教え~


 様々な事件を考えるに、知識はあるが、その知識を使いこなす、自身の心が育っていないように思います。心の育成を、もっとも大事にしたのが、三島中州であり、その師の山田方谷でありました。

 山田方谷が行き着いた「陽明学」、維新の志士たち55名が学んでいたと、アメリカから赴任した駐在員が検証して、日記に書いています。陽明学の重要な教えの一つが、下記の4つの理念です。

 現代の教育は「頭」を鍛える思いが強いのですが、本当は、人材育成には『心・胆・頭・技(しん・たん・とう・ぎ)』の考えが重要と説いています。言葉に意味は、下記の4つです。

 一に、「心」が温かで真っ直ぐでなくてはならない。

 二に、「胆」とは、勇気や決断力(行動力)があること。

 三に、「頭」は、常に冷静にあること。

 四に、「技」とは、行動すること

とありました。

 現代の教育は、特に、教科書(マニュアル)通りの答えを覚えることが優先されがちですが、それよりも「親孝行」といった価値観の教育が大切とあります。。

 親孝行の原点は「感謝」や「誠意」であり、山田方谷の理念です。

他の教示に、「知行合一」「致良知」「事上磨練」「抜本塞源」など、日本のなじみの深い教えも多くあります。陽明学の始祖は、中国の王陽明。

*山田方谷
 4歳から家を出て、儒学塾に住み、素読から始め、様々な学者・私塾で学び、人生50年の時代に、33歳まで学問を続け、50歳を越えて備中松山藩の改革を指導し、明治になってから新政府からの要請を断り、陽明学の中心であった閑谷学校の校長として全国から方谷を慕って集まった若い青年たちを亡くなる直前まで指導されました。

*備中松山藩:岡山県高梁市周辺、約5万石の藩
 閑谷学校 :(儒学)陽明学の本山、現在は校舎は国宝として保存されている。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 23:15Comments(0)偉人

(感謝)ブログをお読み頂いている皆さまへ

2008年03月27日

(感謝)ブログをお読み頂いている皆さまへ

 おてもやんブログは、一昨年12月15日に登録したのですが、書き込みを始めたのは、昨年の9月3日からでした。はじめは、SNSミクシィに書き込んだものを転載したり、6年前から配信しているメールマガジンの文を使ったりとかでした。

 実は、昨日少し時間があり、おてもやんブログをじっくり品定めしていているうちに、私の取りとめのない文章を真剣に読んで頂き、コメントしてもらっていることを知り、御礼の文章を書きたくなり、今日の文面になりました。

 少し、自己紹介します。私は、宇土市西部地区に住んでいる、今年50才を迎えるオジサンです。これまで、色々な社会活動に関わって来ました。その活動の延長がブログでした。

 私がインターネットに関わり始めたのは、11年前に始めた、私が主催する異業種交流会がきっかけでした。飲んだ勢いで、ホームぺージを作ろうと仲間に言うと、まったく興味なし、一人、1999年春からPCとの取っ組み合いが始まり、仕事を終えた深夜、毎晩、妻や子どもたちの視線を横目に、「かちゃかちゃ・・」とやること2ヶ月、やっとアップしたのは、夏でした。

 さて、これをどうやってみんなに見てもらうかですが、当時、熊本の建築関係ではホームページは殆ど皆無、大学の建築科くらいだったでしょうか。東京でも、大手の建設会社が、やっと作り始めた時期でした。
 その後、1999年秋にメーリングリストに出会い、多くの友人が出来ました。一番遠くは、カナダのバンクーバーの方で、それ以来、カナダから3度熊本へ足を運んでくれました。

 6年前に、友人知人に配信を始めたメールマガジン(現在約800名)を、九州を中心に、国内、海外も少し送信しています。
 
そして、三年前の秋、若い友人から誘われた、SNSミクシィに出会い、2年前の2月から書き込みを始めました。
 コミュニティに関しては、尊敬する緒方貞子氏のコミュが突然無くなり、これはいかんと自分が管理人をして、今に至ったいます。現在1500名を越える緒方貞子ファンが集っています。他にもいくつか関わってます。
 
地元新聞への投稿もその頃始めていたのですが、いつか地域ブログの時代が来ると思っていました。おてもやんブログも参加者が増えとても楽しみなってきました。
 ミクシィの方は、参加者が1700万人を越え、最近は友人の多い人をターゲットにして、マルチ商法まがいのネットワークビジネスの誘いが来るようになっています。
 でも、ミクシィは魅力的で、仲間作りはとても大事と思っています。
 ミクシィで出会い、日本人ですが、アメリカ留学を終えた青年とオランダ在住の若い技術者が、わざわざ熊本まで会いに来てくれました。インターネットの威力を感じます。

 昨日、おてもやんブログに、真面目で励みになるコメントを読み、とても感動しました。
現在、私のブログは、この「コモンズ・くまもと」の他に、「宇土親子論語教室」「宇土の文化を考える会」「異業種交流会「四季の会」」があります。
 自分で、テーマを分けているのですが、話題しだいであっちこっち書き分けています。

 これからも、日々の出来事や、読んだ本で思いつくままに書くブログですが、色々ご意見を頂けるとありがたいです。
 そして、いつか皆様と会ってお話をできると良いなと思っています。

 5月に私のとても尊敬する師が、東京から来られます。72歳の老人ですが、私よりはるかに元気で、世界中を講演して回っておられます。「平和と子どもたちに夢を」の志で、気軽にくまもとへ、毎年来てもらっています。
 
 今日は、だらだらと思いつくままに書きました。ぜひ、これからも「ノグチが何か書きよる」程度で気軽に、ご笑覧頂ければ幸いです。
 最後、ブログを検索頂く皆様に感謝を込めて、ありがとうございます。

           桜五分咲き宇土から、ノグチでした。


*ミクシィの他に、Yahooのブログもやっています。「野口修一と仲間たち」で検索してもらうと、こちらには写真もいくつか載せています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 19:02Comments(0)マイライフ

(病んでいる日本)なんで毎日悲惨な事件が起こるのか

2008年03月26日

(病んでいる日本)なんで毎日悲惨な事件が起こるのか

 ここ数日の事件には、心傷めるものばかりです。
 犠牲になられた方の、ご冥福をお祈り致します。


■ホームから突き落とされ、男性死亡=「だれでもよかった」18歳男逮捕-岡山(時事通信社03月26日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=442349&media_id=4

■路上で女性が腹部刺される、男は逃走…福岡(読売新聞03月25日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=442162&media_id=20

■<飛び降り死>小6、マンションから…卒業し帰宅 東京(毎日新聞03月26日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=442306&media_id=2


日本のどこを改善すればいいのでしょうか?

日本は、どこを目指して生きれば良いのでしょうか?

指導者たちは、国会紛糾、天下り問題、不祥事続き。
社会は、円高、原油高、少子化、高齢化、格差、ニート、フリーター、中高年自殺。
教育現場は、不登校、いじめ、自殺、等々。

日本人、全員が考える時期にあるように思います。

日々の悲惨なニュース報道には、社会不安を感ぜずにはおれません。

甘いからかもしれませんが、良い話題、心温まる話題、元気になる話題、夢のある話題が、紙面やニュース
を飾るようになれば良いなと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 11:39Comments(0)社会問題

新銀行 石原知事が陳謝。追加出資「反対」73%。

2008年03月25日

(公営銀行問題)新銀行 石原知事が陳謝。追加出資「反対」73%。


鳴り物入りで、テレビも報じた新銀行が、座礁しそうな気配を感じます。

中小企業を対象に始まった銀行と記憶しているのですが、金融事業の経営は難しいですね。


■新銀行 石原知事が初めて陳謝
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=441990&media_id=4


>石原慎太郎知事は「この銀行が結果的にこのような状態になった。都民の皆さんに心配を掛けたことは大変申し訳ない。深くおわび申し上げる」と述べ、経営悪化についての自身の責任に言及し、初めて陳謝した。

都の責任者として、謝る事は必要と思っていました。
少し、遅きに感じる登場と思います。

>同案をめぐっては、自民が賛成の方針を決め、公明も付帯決議を条件に賛成の方向で調整を進めている。

このまま、この新銀行の「舟」は、浮上用の資金をつぎ込みつつ、進むのでしょうか?

今年、私は、国の助成金が入った、まちおこしの助成事業を検証する経験をしました。

国の監査官は、注意点の一つに、助成金が入ったことで、どれだけ経済効果、生活改善効果、さらに他の事業を起こす効果があるか、問われると末端の自治体担当者が語ったのも思い出しました。

この新銀行と、助成事業は違いますが、新銀行が存在した事で、中小零細企業の活性化がどれだけあったかも検証してみることも必要かと思います。

ただ、銀行としての事業体が、自立していることも必要ですので、資本金と同じくらいの税金が建て直しのために投入されるのは、一般都民は認めてくれないのではと思います。


他の記事に次のようなものがありました。

■新銀行東京への追加出資「反対」73%…読売世論調査(読売03月25日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=441185&media_id=20

>読売新聞社は21~23日、経営難に陥っている新銀行東京(東京都千代田区)に関して、都民を対象に世論調査を実施した。

政治は、市民の思いの集約と学んだ事があります。
そして、市民の思いに優先順位をつけ実施するのが、政策です。

>来年夏に予定される都議選の投票で、追加出資案に対する政党や議員の対応を判断材料にするかどうかを尋ねたところ、「する」と答えた人は58%で、「しない」の33%を上回った。

このまま、継続するのか、しないのかは、国会ではないですが、選挙での評価が必要なのではないかと思います。

知事、与党が追加融資に踏み切った時に、どんな反応を都民が示すか、注目をしています。

全国に広がる、民間事業所の活性化で経済浮揚を考える政治家も多くいますので、一つの公的支援ケースとして、どう推移するか影響も大きいと思います。

石原知事の舵取りしだいでは、大きな政治問題のなると思いますし、議会の存在意義も問われると思っています。

巨大な自治体「東京」の動きは、全国に大きな影響を与えると感じています。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:19Comments(0)社会問題

(PTA廃止)杉並区立和田中。(形骸化)市町村教育委員会

2008年03月23日

(PTA廃止)杉並区立和田中。(形骸化)市町村教育委員会の存在意義は?


・(PTA廃止)杉並区立和田中 

■「夜スペ」中学校 PTAを廃止へ 地域全体で支える仕組みに(毎日新聞 03月23日)

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=439713&media_id=2

>藤原校長は「能力があり、学校支援への意欲を持っている保護者はいるが、マンネリ化『PTA』を敬遠する人は多い。地域本部に統合することで、多様な人材を受け入れたい」と話す。PTAの活動で必要なものは地域本部で行う。また、PTA活動は無償だが、地域本部は交通費など謝礼を出すことも検討しているという。

>マンネリ化『PTA』を敬遠する人は多い

現実に、役員の受け手が少ないのは、事実です。

>PTAの活動で必要なものは地域本部で行う

どんな組織か分かりませんが、地域で学校を見るという発想なのでしょうか?

>PTA活動は無償だが

段々、有償ボランティアに、変化しつつあると思います。

今回の新しい試みを注目して見て行きたいと思います。



・(形骸化)市町村教育委員会の存在意義は?

さて、学校PTAは、保護者が関わり子どもと身近な存在があるのですが、市町村の教育委員会の存在が、今、問われていると思います。

教職員は、都道府県職員がほとんど思います。権限が無く、なぜか学校経営を監視し、研修などを奨励したりがありました。

私の地元には、地域を小中学校のPTAを集めて、教育委員会主催で、「タスキリレー」なる催しがあります。これは、何のためにあるか考えても、どうにもふに落ちないものがあります。そして、最後はお疲れさんの慰労会です。教育委員会が、土曜日一日中、PTAを動員して行、宣伝活動としか思えません。実際、私も2度走りました。

子ども中心に考えない教育委員会の活動は、全て止める。そしてほとんどが、国や県の指導の踏襲であれば、存在する意味もなくなるように思います。

教育現場をもっと、子どもと教師が長く接するような、方法を考える教育委員会ならまだしも、今の現状の仕組みでは、存在する意味が無いように感じます。

関東の志木市では、理念をしっかり作り、それを市長が指導すれば充分として、教育委員会を廃止した自治体もあります。

地方の教育を、もっと子ども中心に考える学校に変えることが必要と思います。

現在のように、国の教育指導要綱や県教育委員会の指導を鵜呑みにし、考えない市町村教育委員会は、既に形骸化しているので廃止の検討をすべきと思います。

PTA、教育委員会について、色々とみなさんにご意見を頂ければ幸いです。



<以前の日記>

・(教育再生)これから求められるのは人間力

(人間社会の限界)本来農業の世界観・自然観、10の提言、その2

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:28Comments(0)教育問題

(教育再生)これから求められるのは人間力

2008年03月23日

(教育再生)これから求められるのは人間力

数日前から、さわやか長寿財団の堀田力氏が書かれた「人間力の育て方」を、途切れ途切れに時間を見つけて、読んでいます。その中にハッとする現代の人間観察調査から、次のような現代の人間像が報告されていました。


(本文より)

・「困った若者」七人衆

① 指示待ち人間
 指示されたことは、完璧にしようとするが、自分で考え事を起こさない。

② 責任回避人間
 ルーティーン(決まった日常業務)の仕事はするが、少し新しい仕事などに腰が引ける。何かにつけ、言い訳ばかりして、取り組まない。

③ アラ捜し人間
 会議などで、自分に関したことには沈黙だが、人の仕事になると真っ先に手をあげ、たいした問題でもない数字について意見を言う。

④ 自己中心人間
 説明は必要ないと思いますが、色々な場面で見かけることがあります。

⑤ 付和雷同人間
 周りに流行やファッションと違うことがいけないとことと、皆同じでないと気がすまない。

⑥ 虚無人間
 かつて三無主義:無気力、無関心、無感動と言われていましたが、最近は、無理解、無表情、無道徳、無趣味、・・・

⑦ 連絡待ち人間
 携帯の普及で、情報機器に(気持ちが)つながれ、メール待ち、電話待ちのつながり症候群というか、メールに即反応していないと不安な人。(中略)


 戦後のエリート志向と横並びの教育と、少子化による兄弟間、地域間での子どもが群れとして遊び、学ぶ環境がなくなり、問題にぶつかり考える能力が身に着かない環境が現代とも書かれています。

 どこかの保育園では、徒競走では「お手手つないで一緒にゴール?」これでは、個性を伸ばす教育の目が、幼児期から摘み取られているように思います。寝る意外、けん命(命がけ)に汗して遊ぶ子どもが本来の姿ではないかと思います。

 みなさんも感じられていると思いますが、個人個人がその特性を見つけ、意欲を持って生きることを示唆するのは、かつては親や地域の先輩が教えて来たように思いますが、その親の人間力が、戦後教育の変化がないままに今に至り、右往左往しているのが現実かもしれません。

 堀田氏は、21世紀の日本に必要な人物を次のような能力と定義されています。

(本文より)

「これから求められるのは人間力」

一、生きることが楽しく、活気にあふれ、難しい課題に出あってもこれに前向きに取り組む、自助の意欲と行動力あふれた人

二、自分で目標を立てることが出来る人

三、目の前の状況を自分の眼で正しく認識し、全身するために何が問題かを把握できる人

四、人を大切にし、その気持ちを理解し、人と協調し、助け合う共助の意欲あふれた人

 こういう人材が必要なのは、成熟段階に入った日本では、もはやモデルとする国はなく、自分たちの目で、非常に多様な心の豊かさに対応するニーズを把握し、自分たちの頭でそれにどう対応して行くかを考え、共鳴する中間達とともにそれを実現していかなければならない。(中略)
 
 現状のような、知識詰め込み教育では、変化の激しい社会の中で、対応(工夫)して生きていく術を身に付けるのは、難しいと堀田氏はしています。
 みなさんの周りの若者、上司、地域の人々は、いかがでしょうか?

 都市も田舎も、そう変わりない風景があるように感じます。

教育再生の方向を間違わないように、「ここのままではおかしくなる」と感じている人が、色々な人と、色々なところで発言する事が必要な気がしています。

*参考資料:堀田力著「『人間力』の育て方」より


<以前の日記>
(人間社会の限界)持続可能な社会における農業の役割 その1

(人間社会の限界)本来農業の世界観・自然観、10の提言、その2

(チベット騒乱)「暴動」か「デモ」か、多様な検証が必要~大道廃れて仁義あり~


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:03Comments(2)教育問題

心の安否を問う ~佐藤一斎、一日一話『言志四録』~

2008年03月23日

(自己管理)心の安否を問う ~佐藤一斎、一日一話『言志四録』~


■道路財源でタクシー券23億円=改革本部で適否精査-国交次官
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=434818&media_id=4

> 国土交通省の峰久幸義事務次官は17日の定例記者会見で、出先機関である地方整備局が揮発油税など道路特定財源を使い、職員向けに5年間で計23億円超のタクシー券を購入していたことを明らかにした。

■社保庁労組のヤミ専従、給与総額7億5000万円に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=435038&media_id=20

やってもやっても、出てくる不祥事。国民ももう嫌気がさして当然ですね。
自己管理の意味を、公の人の倫理も薄れて行って、いるのだろうと思います。



(自己管理)心の安否を問う

 人は皆、体が安らかであるかどうかを問うことは知っているが、心が安らかであるかどうかを問うことを知らない。ぜひとも自らに問うて見るべきである。

 「暗いところでも身を慎んで良心を欺くようなことをしていないかどうか、人の見ていないところでも品行を汚すようなことがないかどうか。自分の心が安穏(あんのん)で気分良く楽しでいるかどうか」と。

 時々このようにわが身を省みるようにすれば、心は決して放縦にはならないものである。



(感想)

 自分の行動を常に、検証し、間違っていないか考える゛ゆとり゛を持つことが大事なように思います。

 「一日三省す」の気持ちを日々持ちながら、生活することから、心の修養が始まるように思います。




・大利を興こし建てる(開運の進め『陰隲録』に学ぶ)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=746488669&owner_id=2182841&org_id=747467633

・観光地道路のゴミ、観光立国は程遠く
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=746132575&owner_id=2182841&org_id=746488669


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:03Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

(人間社会の限界)本来農業の世界観・自然観、10の提言、

2008年03月22日

(人間社会の限界)本来農業の世界観・自然観、10の提言、(その2)

 テレビ番組の「世界不思議発見」で、中東ドバイのオイルマネーによる開発経済の現状を見て、自然をどんどん変えて行った日本の経済成長を髣髴させる風景を見て、50年後の世界はどうなるのだろうと思います。金の力が、社会を変えるだけで、50年後、100年後、200年後の世代はどう感じるのだろうと考えます。

(1) 現世代と将来世代を同軸で考える(将来価値の重視)
 現代社会の経済の仕組みにおいては、常に現在価値が最優先され(つまり、できるだけ早くその土地で生産できる生産物の最大化を図り、現金化すべきであるという発想)、10年後、100年後の環境の価値を常に軽視している。現世代の欲望が将来世代の可能性を脅かすということ。

(2) 自然「資本」ではなく、「利子と収入」で生きる
 近代農業は、地下資源である化石燃料と、地上の表土を大量に消費して成り立ってきた。自然がもたらす資源の循環で得られる自然からの「利子と収入」をもとに農業を営むことが、本来農業の目指すところである。具体的には、第一に非化石燃料・資材への転換、第二に容易に生分解できない廃棄物や農薬の使用回避、第三に表土を劣化させない農法の実現を意味する。

(3) 自然の系で物事を考える
 生き物と生態系を切り離して考えることが機械論的世界観に根差す近代農業の一つの大きな欠点といえるだろう。しかし、例えば農薬の使用、農業技術全般の適用、遺伝子組み換え作物の導入においては、常に生き物(動植物)を、自然の系(生態系)や物質の循環と切り離した単なる生産手段として考えてきたといえよう。
 本来農業では、常に自然の系を前提に、物質の善し悪しを判断する。

(4) 生産概念:「製造」ではなく「育成」
 近代農業においては、農業生産は製造業の工業的な「製造」のように捉えられてきた。本来に農業生産は、むしろgrowingという「育成・成長」の概念がふさわしく、この捉え方から見えてくる生産概念は工業生産と根本的に異なる。

・生き物の「生産物」と捉える 
 本来農業の生産概念では、従来の「農産物」だけでなく、農業が営まれることによって生み出され、維持されるその他の生き物や、環境、社会便益も含め生物と捉える。

・多面的機能(めぐみ)の可視化
 農業によってもたらせる生態系の保全や美しい風景と健全な社会・文化の発展に対する貢献を、農政や行政では「農業の多面的機能」として定義付けてきた。
 農業を通じてもたらされる「自然のめぐみ」といった概念で、これらの多面的機能を実感し、感謝の気持ちを実践するためには、これらの多面的機能を教育的、行政的な取り組みが必要不可欠となっている。

(5) 「農的発想・農的な生き方」を社会のモデルに
 これまでの経済活動は農業も含め反省することがるのですが、反省に基づく農的な暮らしは、より人間的で暮らしやすい社会の実現に、向けての重要な示唆を与えているとおもいます。
 工業界の先進工場には、ベルトコンベアー方式から、より個人の充実感(貢献度、達成感)から、一人の労働者が生産工程全般に関わる方式に変化する傾向が出始めています。これは、種から収獲までの農業の手法に近いものと思います。

 他にも、色々識者の意見はありますが、集約した言葉を紹介します。

~本来農業の定義~
「本来農業は、自然が本来有する循環力と生命維持機能を生かしつつ、長期にわたり経済価値を生み出し、全ての人々に豊かな生活をもたらす農業の営み方をいう。」」  

<10の提言>開設は、明日の日記で(けっこう長文のため)
① 自然・福祉産業に従事する社会奉仕年の導入
② 「農的暮らし」の多彩な取り組みを展開し、インターネットなどの共有志し、協働とネットワーキングを積極的に促す
③ 環境支払いの実証実験を複数のパイロット地域で開始する
④ 持続可能な本来農業を日本の基本政策に捉え、農業に関わる多くの関係者・団体の参画により長期政策ビジョンを策定する
⑤ 日本から「アグリ・ミニマム」など、地域特性を考慮した国際農業政策を提起する
⑥ 体験型食能教育を小中学校の基本カリキュラムに組み入れる
⑦ 農業の次世代地域リーダーを育成する高等教育機関の設立
⑧ 本来農業の持続可能な技術に関する開発機構
⑨ 持続可能な農業を支える農業ビジネスアカデミーをキャラバン方式で全国展開する
⑩ 市民参加型農業(CAP=Citizen Participatory griculture)の市民プログラムを複数のパイロット地域で実施する

 ちょっと長くなりました。明日は、10の提言の内容の紹介します。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:43Comments(0)農業問題

(人間社会の限界)持続可能な社会における農業の役割 その1

2008年03月22日

(人間社会の限界)持続可能な社会における農業の役割 その1

ブルントラント委員会、エコロジカル・フットプリント、持続不可能、他

~1987年、環境と開発に関する世界委員会(通称「ブルントラント委員会」)~

「持続可能な発展とは、将来世代がそのニーズを満たす能力を損なうことなく、現在の世代の満たす展開である。」

 元ノルウェー首相のグロ・ブルントラント氏(女性)が委員長を務め、世界各地を回り、様々な意見を集めてまとめた、持続可能の発想を定義したものです。ここから、リオの環境サミット等が、はじまり、地球の限界を世界が知る機会になりました。

~エコロジカル・フットプリント~

「エコロジカル・フットプリントとは、人類が消費している資源を生産し、また輩出している(二酸化炭素などの)排出物を吸収するのに必要な土地及び水の面積を測定する資源管理ツールである(現在の技術を前提としている)」

人類活動はなぜ「持続不可能」とされているか

1980年代に衛星の観測からオゾン層の破壊状況がわかり、世界に衝撃を与えた。
また、同時期温暖化について頻繁に議論されるようになった。

人類の需要は、環境再生能力を計るエコロジカル・フットプリントで検証すると、1980年代後半に、再生力の限界点を越え、取り返しにつかない数値へ上昇を続けて来ました。地球上での生物生産が可能な面積を、人口総数が使用できる、一人当たりのエコロジカル・フットプリントは約1.8haが限界点ですが、現在の状況を調べると1.25倍の約2.2haになっています。

地球から多くの生物種が減少して行っています。これは、地球環境悪化を無視して、人間界が成長を続けて来た結果と思います。人口は、増加を続けています。何を現代の人々がすべきか、自ずと見えて来るように思います。

日本に焦点をあてると、日本人一人当たりが生活するのに必要なエコロジカル・フットプリントは、2.4倍の約4.4haの数値になります。食料自給率39%、エネルギー95%輸入等を考えると、いかに地球環境を汚して、日本社会が成り立っているか分かります。

そこで出てくるのが、「持続可能な社会」。
特に今回は、「持続可能な農業」について、多くの識者、技術者、科学者の意見を求めた提言書「本来農業への道」が発表された。そのリーダーの一人が、フューチャー500理事長の木内孝氏です。中心になったメンバーは、下記の4人。

木内 孝(NPO法人フューチャー500理事長)
星 寛治(全国環境保全型農業推進会議委員)
松田藤四郎(東京農業大学理事長、東京情報大学学長)
石黒 功(イシグロ農材株式会社 取締役社長)

他に、100名を越える方々が関わり、「本来農業への道」がまとめられました。
5つの分野に、10の提言がなされています。これは、明日の日記でご紹介します。

*持続可能な農業に関する調査プロジェクト、報告書「本来農業への道」より




<以前の日記>
・(チベット騒乱)「暴動」か「デモ」か、多様な検証が必要~大道廃れて仁義あり(老子)~
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=751579477&owner_id=2182841

・(事業の成功)天の時、地の利、人の和で、第一は「人の和」 ~孟子の教えから~
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=751026338&owner_id=2182841&org_id=750356158

・(幸福とは)平穏無事より幸せなことはない ~「菜根譚」より~
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=750356158&owner_id=2182841&org_id=749307312

みんな中国古典思想の教えなのに、中国国内では何度も騒乱があります。世界の人々が、政治のどこに問題があるに、関心を持ちつづけるが大事と思います。


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:43Comments(0)農業問題

(チベット騒乱)「暴動」か「デモ」か、多様な検証が必要 

2008年03月21日

(チベット騒乱)「暴動」か「デモ」か、多様な検証が必要 
  ~大道廃れて仁義あり~



■チベット暴動「射殺」から訂正
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=438101&media_id=2

■チベット騒乱、中国が四川省での発砲認める=新華社
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=438333&media_id=52

 今朝の新聞に「ラサ暴動で24人逮捕」、NGOによると「拘束数千人」とありました。

 「暴動」は、権力側からの発想。民衆側からすると、「デモ」ではないかと思います。

 人口16億人?、湾岸部の好景気、オリンピック景気、将来の経済破たんの不安、等々ありますが、でも確実に中国は、好景気(成長期)にあります。

 その成長は、上海を中心に、東シナ海岸の湾岸工業地帯、旧軍需産業地域の工業地帯等が、急成長して中国経済を引っ張っています。

 しかし、内陸の地域では、中国共産党支配当初の経済状況と変わらない、途上経済のまま。中国国内の経済格差が相当、開いていると思われます。

 民主主義の理想の中で、住民自治は限りなく民衆に近いところの在る方が良いと学びました。ラサ自治区は、沿岸部よりはるかな山間地にあり、経済特区でもないし、なにも国の経済振興策は有るようには思えません。

 今回のデモは、生活の厳しさと、国内格差の矛盾から噴出した「市民の怒り」のようなものに見えます。みなさんの印象は、どうでしょうか?

 上海資本は、中国国内の地下資源を求めて、奔走していると聞きます。エネルギーの中心は、まだ石炭ですが、採掘現場では落盤事故、ガス爆発等々で、毎年5千人の越える人命が失われていると、中国事情メールマガジンで読んだことがあります。

 かつての日本の高度成長をはるかにこえる、経済最優先の国家成長は、東アジアを含め経済地図を変えつつありますが、中国国内の多民族性と地域間格差が、ここに来て暴動(デモ)として表面に現われ始めて来たのではと感じます。

 今年、中国の威信をかけた「北京オリンピック」は、錦御旗として国民の生活改善行動を押しつぶし、権力(軍事力)で押さえ込む行動と思え、心配でんりません。これから夏にかけて、世界の市民運動家たちの支援が必要な気がしています。

 成長が滞った地域の市民が起こす生活改善のための行動を、新聞紙上(日本政府の指導のもと)では「暴動」として発表しているように思えます。今、テレビ・新聞で今回の事件に変わるジャーナリストの「魂」が、問われていると思います。

 日本のジャーナリストに、「ペンは、武器より強い」の思いで、民衆の改善要求を市民の視点で検証して欲しいと思います。



*老子の教示より、

「大道廃れて仁義あり」

やれ仁だ、やれ義だと、道徳の高揚が声高に叫ばれるのは、無為自然の「大道」が見失われてしまったからであるという。


<以前の日記>
・銃撃で死亡か チベット人写真
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=748980619&owner_id=2182841


~マザー・テレサ「日々の言葉」より~

私が中国に招待された時、こう尋ねたれました。
「共産主義は、あなたにとってどのようなものですが?」
私は、答えました。
「皆、神の子です、そして私の兄弟姉妹です」と。
すると、だれも一言も言わなくなりました。
完全な沈黙でした。それは、ほんとうです。
なぜなら、同じ愛の神の御手が、あなたを創り、私を創り、
路上のあの人を創ったのですから。

*ジャハ・チャリハ&エドワード・レ・ジョリー
 いなます みかこ訳
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:09Comments(0)国際関係

(白壁のまち)街並景観整備事業完了(熊本県山都町)

2008年03月19日

(白壁のまち)街並景観整備事業の仕事が完了(熊本県山都町)

 一昨年夏から、仕事を続けて来ました、熊本県上益城郡山都町馬見原地区の街並景観整備(修景)事業、26軒が完了しました。

 これは、国と県、町が助成し、旧市街地の景観を整備し、かつてのたたずまいを復元しようと行われた事業で、熊本県下では、馬見原地区の他、4地区が取り組んでいます。建物の修景整備は、18年度が6軒、今年度が最後の事業年度で20軒の店舗及び住宅の外観改修工事を続けてきました。

 修景のテーマは、「白壁のまち」、この馬見原地区には、明治期には11軒の酒蔵が在り、杜氏たちが技を競い、宿場町の賑わいもあり、とても栄えた街だったと、一年半の間に多くの歴史を教示してもらいました。

 ただ現在は、阿蘇の外輪山の南側、九州脊梁の西側の麓にあり、中山間地の衰退の中で、人口も減りました。しかし、それでも゛まち(地域)゛を元気しようと、商店街上げて、色々な取り組みがなされてきました。夏祭りや、熊本と延岡を結ぶ大動脈「日向街道」として、今も往来に激しい交通の要所となっています。

 明治10年には、西南戦争の中で、薩摩軍が田原坂、熊本城での戦争で敗れ、九州山地を敗走ルートに選び、追撃を交わしながら、山都町から、宮崎県の椎葉、人吉へ抜け、薩摩へ逃れました。現在は、その正確な敗走をルートの分かり、研究たちが毎年集まり、薩摩軍の敗走ルートを偲び、シンポジウムが開催されています。
 かつての賑わいを思い出すように、これから色々な催しが、展開されて行きます。

 早速、2月23日日向街道を歩くウォークで、西郷隆盛たちが歩いたルートと同じ道を歩くイベントです。綺麗になった、馬見原地区のお披露目のウオークとなっています。地酒、山菜の美味、ちょっと汗をかき、歩いた跡の食事は格別と思います。近くで興味のある方はぜひ、町並みを見学に来て頂ければ幸いです。

 九州自動車道、御船インターから(南ルート)で約1時15分、熊本インターから(阿蘇ルート)で約1時20分。

・南ルートは、日本一の石のアーチ橋、水を放水する通潤橋を含む、石橋群と九州脊梁山地。

・阿蘇(北)ルートは、世界最大の阿蘇カルデラの中、南側を通り、世界遺産の申請中の景観と、豊かな自然を見ながら目的へ行きます。

 今度の日曜日、または春休み、ゴールデンウィークの春のシーズンは、最高です。

 昨日は、くまもと横井小楠塾の反省会兼送別会。今日は、娘の高校の広報委員会の慰労会です。一年半の仕事が終わり、ゆったりした気分で、飲みニュケーションを楽しんできます。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 16:50Comments(0)まちづくり

議員報酬1日3万円、福島・矢祭町「日当制町議」に11人出馬

2008年03月19日

議員報酬1日3万円、福島・矢祭町「日当制町議」に11人出馬

地方分権で、小さな自治体が自立することを目指す動きが、加速しています。
熊本市では、やっと政務調査費・・どんなことやっているの?
同市内の議員が、議会に行くのに交通費がいるのか?
これが、どこの市町村議会の疑問ですが、小さな自治体で自立することを目指す、矢祭町は、ついに議員日当制を導入し、その選挙に11人が出馬しているという。


■報酬1日3万円、福島・矢祭町「日当制町議」に11人出馬
(読売新聞 - 03月18日 22:09)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=436296&media_id=20

>月額20万8000円の議員報酬を1日3万円にする。

>額は、課長職6人の平均収入を平均実働日数で割った約4万4000円に対し、議会が半日ほどで終わることも考慮し、その7割とした。


欧米の自治体の議会は、議会は夕方から毎週週1回、昼の本業を終えてからだらから、もちろん日当程度(夕方議会分のみ)、たぶん矢祭町よりも低い報酬となっていると聞きます。

市民、住民の声を上げて、実際の中身を検証し、地方財政に見合う方法をそれぞれの地域(自治体)で、考える時機に来たと思います。

地方議会の報酬は、現在の1/3以下にして、逆に議員数を3割増やし、多くの意見を入れ、政務調査費は実費のみ(事前計画、調査報告、領収書分のみ)で、費用を支給することで、さらに経費を削減し、志ある市民活動家が議会へ参入しやすくすることができると思います。

特に、女性層、若者層、高齢者層からの多様な市民の意見が出ることが大事と思います。

新しい改革の潮流を、各地から市民の行動から起る(怒る)ことを期待しています。

・矢祭町
「合併しない宣言」で知られる福島県矢祭町の町議会(10人)は、議員報酬を現行の月額制から、議会に出席するごとに一定額を支給する日当制に変える方針を固めた。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:24Comments(1)政治問題(地方)

(リーダーの人格)日銀総裁人事、きょうの内示は見送り

2008年03月18日

(リーダーの人格)日銀総裁人事、きょうの内示は見送り


■日銀総裁人事、きょうの内示は見送り=民主党幹部
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=434876&media_id=52

なかなか、日銀総裁の人事がきまりませんね。

多くの人が納得する、日本経済の重要なリーダーのポストですが、どんな人が望ましいのでしょうか?

幕末、明治のシーダーたちに、大きな影響を与えた佐藤一斎の教示から、二つを紹介します。



・能(よ)く人を容(い)れる(佐藤一斎「言志四録」)

 人を寛容に受け入れる度量の持ち主であって、始めて人の欠点を責めることができる。そういう人の言葉ならば、責められる人もその責(任)を受ける。

 人を受け入れる度量のない者は、他人の欠点を責める資格はない。たとえ責め多としても、責めらられた人はそれを受け付けないものである。

 西郷南州(隆盛)は、「男子は人を受け容れ、人に容れられでは済まぬものと思えよ。」と訓(おし)えています。男(リーダー)というのは、包容力がなくてはいけないということである。

*西郷隆盛も佐藤一斎に影響を受けていますが、直接は佐藤一斎に直接影響を受けた梅田潜庵に師事したようで、後輩たちを多く梅田潜庵のもとへ託したと言われています。


 最後に、もう一つ「好き嫌いの落とし穴」の訓示

「好く嫌いの思いは、最も人物を見る目を曇らせ、誤らせる。」

 人と会うときは、無心であうことが大切と先人も語っています。先入観にとらわれない、度量の大きさも必要と思います。



・人が従う言葉とは(佐藤一斎「言志四録」)

 道理(真心+真理)の行き届いた言葉には、誰でも服従しないわけにはいかない。
 しかし、その言葉に激しいところや、強制するところ、私心を挟んでいる、自分の便利のために言っているのであれば、服従しない。

 およそ道理が行き届いているのに人が服従しない場合は、必ず自らに立ち返って反省する。まず自分の行為が十分にできてのち、人が服従してくれる。


*参考資料:佐藤一斎『言志四録』解説書「佐藤一斎 一日一言」より

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:22Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

観光地道路のゴミ、観光立国は程遠く(阿蘇外輪山道路、他)

2008年03月16日

観光地道路のゴミ、観光立国は程遠く(阿蘇外輪山道路、他)

~「観光立国」を推進する前に、日本人のもてなす心の育成が必要~

 昨日は、山鹿灯篭で有名は、温泉地の山鹿市で県のキッズサッカー協議会、環境委員会の会議と懇親会がありました。何年ぶりかで、山鹿での夕食になりました。
 懇親会は、居酒屋だったのですが、日本ハンドボールの四冠を達成した、オムロンの選手が入って来て、「四冠おめでとう」と言うと、丁寧に「ありがとうございます。」と返事をしてくれ、その中の一人が私の地元出身者で、とても親近感を覚えました。
 山鹿市には、芝居小屋「八千代座」があり、年に一度、坂東玉三郎の公演もあり、文化的な活動が盛んな地域を感じた、山鹿の夜でした。

 夜が遅かったので、早朝に温泉にはり、すべすべのお湯に、「温泉だ!」の感触もそこそこに、部屋を片付け、毎日仕事へ行く熊本県上益城郡山都町馬見原へ、現場に完成写真を撮りに向かいました。山間地片道80kmでしたが、日曜の早朝なのでスムーズに1時間40分で到着。仕事は、15分ほどで終わり、自宅へ向かいました。
 昨日の夕方から移動すること、一般道230kmの移動だったのですが、山鹿、菊池、大津、阿蘇、蘇陽、清和、矢部と、熊本でも有数の観光地を回ることになりました。

 その移動に気付いたのが、観光地の道路のゴミ、空き缶の数の多さです。店や住宅の多いところは、ゴミ拾いがマメなのか、ほとんど落ちていないのですが、阿蘇外輪山の観光道路沿いは、ほとんど民家もショップも無いので、やりたいほうだのゴミの数に、とても残念な気持ちになりました。

 ひどいのは、高森地域から旧蘇陽役場地域の間で、外輪山や九州脊梁の山々のすばらしい風景を眺める駐車スポットや道路には、お菓子の袋、弁当の空き箱、空き缶、ペットボトル、タバコの吸い殻、等々が延々切れることなく続いていました。ゴミを捨てるのは、国内の観光客がほとんどと思います。
 国の言う「観光立国」を推進するのは良いですが、まず国際観光を拡大するのに、受け入れる日本人のもてなす心の育成が必要と思いました。

「旅の恥はかき捨て、見てる人がいないなら、ゴミも缶も捨てる」

 上記の言葉が、堂々とまかり通る、日本人の心に問題があるように思います。
 これと似たことが、行政の裏金つくり、インサーダー取引、談合、天下りが示すように、国や地方のリーダー、企業が「分からなければ良い」の慣習で、やっていることが、風の便りで一般市民に感染し、かつての「お天とさまが視ている」の自分を律する自制心が無くなっているように思います。

 大きなゴミと言えば、不法投棄、汚水の垂れ流し等は、罰則や罪も受けないといけませんが、元々は自分さえ良ければ良いの気持ちが薄れた性だと思います。まして、個人の捨てるゴミを規制するのは、罰則が追いつくものではありません。

 兄が鹿児島の霧島にいますが、霧島観光協会では、ツツジの「ミヤマキリシマ」の盗難が相次いだので、もし盗難見つけたら、元の場所に植え戻し、定植するまで毎日水掛の罰則を作ったと言います。でも今だに盗難が後を絶たないと言います。
 道路のゴミにしろ、ミヤマキリシマの盗難にしろ、日本人の心が「自分さえ良ければ良い」の風潮が蔓延しているためと感じます。

 移動の途中、山間地の観光道路のゴミを地域の人たちが拾っているのを見ました。自分たちのためもですは、阿蘇という観光地を訪れる人のために、日曜の早朝にゴミを拾っておられるの活動に、心を救われる思いでした。

 観光地は、住む人にも訪れる人にも、気分良く過ごして欲しい場所でし、みんなで環境を守らなければいけない地域です。ゴミのポイ捨てを減らす広報も良いですが、国のトップ自ら、社会環境を守る意識を訴え、実践して見せる姿勢が必要と思います。

 いつか観光道路のゴミが無くなり、世界から来られる観光客に、感動を与えるような観光地、観光道路が増えることを願っています。



・心の安否を問う(佐藤一斎、一日一話『言志四録』)

 人は皆、体が安らかであるかどうかを問うことは知っているが、心が安らかであるかどうかを問うことを知らない。ぜひとも自らに問うて見るべきである。

 「暗いところでも身を慎んで良心を欺くようなことをしていないかどうか、人の見ていないところでも品行を汚すようなことがないかどうか。自分の心が安穏(あんのん)で気分良く楽しでいるかどうか」と。

 時々このようにわが身を省みるようにすれば、心は決して放縦にはならないものである。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 14:19Comments(0)熊本の出来事

(選挙議論に教育改革を)指導者の育つ 教育立県熊本 

2008年03月15日

(選挙議論に教育改革を)指導者育成に 率先垂範の教育必要 

 江戸期の儒学者佐藤一斎の『言志四録』に、「師とは、第一に天(真理)、第二に人物(賢人)、第三に書(四書五経)」とあります。佐藤一斎に影響を受けた吉田松陰の「松下村塾」から多くの志士が出ました。多彩な偉人が出た要因に、松陰の教育方針と生き方に在ると思います。

 「松下村塾」では、四書五経を基に、当時の時事問題(情報・知識)を個々のレベルに合わせて教材にし、調べ論じる実学方式と知りました。現代の入試制度を識者たちの中には、知識偏重と指摘する人もいますが、学問の基礎に多様な知識の積み重ねは不可欠です。要は、どんな教育をするかが問題と思います。

 新聞テレビでは、常に教育問題が論じられますが、いっこうに改善せず、かえって社会変化に間に合わず複雑になっています。今回の熊本県知事選挙も、教育の仕組みの議論は活発ですが、一人ひとりの教育を根本からの見直す議論はありません。

 四書五経「礼記」の一説に、西周の宰相・謝安の逸話があります。学者である謝安に妻が、「あなたは子供達に何も教えない」と詰問すると、「私は毎日教えている」と答えたとありました。一番影響を与えるのは、周りの大人の生き方そのもの。これからは、吉田松陰や謝安のように、教師も親も子供達の先生になる率先垂範で示す教育が必要と思います。

 熊本は、幕末明治期、横井小楠、矢嶋楫子ははじめ、多くのリーダーを育てる「教育県」でした。今後は、変化のスピードが速くなり、多様な危機や国際関係に時務に長けた指導者(俊傑)が求められます。今後、教育改革を継続し、指導者たちが育つ「教育立県」を目指して欲しいと思います。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 13:15Comments(0)教育問題

(今の2世帯事情)インビジブル・ファミリー[疑似同居家族]

2008年03月14日

(今の2世帯事情)インビジブル・ファミリー[疑似同居家族]

■「インビジブル・ファミリー」の快適度
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=432236&media_id=10

>親が十数分の徒歩圏に住む「近居」や電車などで片道約1時間以内に住む「隣居」の割合が、97年から06年の10年間で28%から41%に増えた。

中国の一人っ子政策の風景をテレビ等で、元気な祖父母2組、両親、そして孫一人を
見て思うのですが、日本の少子化を傾向を上昇させる気運がないので、政策を打ち出さなくても、日本の育児事情も、だんだん中国の風景に似てくるのでしょうか?

★「“不即不離”が大原則、“ハレの日”を一緒に」~疑似同居家族~

>「“不即不離”、すなわちつかず離れずが大原則です。その上で、孫の誕生日、クリスマス、正月、孫の入学といったイベントは老親と一緒に楽しんでいます。不即不離のおかげで、こうした“ハレの日”に私と両親とがストレートに感情を出し合い、ぶつかることはありません」

私達夫婦は、私の実家約30分、妻の実家約1時間のところが、自営業を始めた場所で、当時2歳前だった子どもは、どちらかの家に隔週末、訪問するのが祖父母たちの楽しみでした。

>60歳以上の男女を対象にした07年の内閣府調査では、「子どもや孫とは、ときどき会って食事や世話をするのがよい」という「別居派」は5割近い。

止め処もなく動きまわる幼児は、目が離せない。緊張する育児は、老体に毎日は辛いものがあると思います。それこそ、急病の時、或いは“ハレの日”を一緒に過ごす程度が、良いところと思います。

今、自宅は2世帯同居ですが、祖父母が子どもの相手をし始めたのは、小学1年生からで、娘だったせいもあり、騒々しい日々は無かったと、当時を思い出し語ったことがあります。

同居して13年ですが、病院に子どもはありますが、夜や休日に両親を5度車で熊本市の救急病院へ連れて行きました。老人は、病気、ケガと背中合わせと思います。

わが家の両親は、農業をずっと営んできた性で、80歳を越えても畑や山に出かけて行きます。健康その者ですが、その分軽傷ですが、子どもと同じくらい何か起こります。

日常生活は、それぞれの世帯のペースでやって、祝い事、救急の時は、協力する程度が長続きする燐居型2世帯スタイルなのかもしれません。
都市だけでなく、田舎も同様の傾向がだんだん増えています。私達が生活完全別の2世帯住宅を建設した時は、周りに全然無かったのですが、少しづつ増えて来ています。

皆様の周りは、どうでしょうか? 様子でもお知らせ頂ければ幸いです。



■世帯は「独り暮らし」が主流に=75歳以上、25年で2倍超
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=432736&media_id=4
>2030年までの25年間で、65歳以上の独り暮らしが1.8倍、75歳以上だと2.1倍に増える見通しであることが14日、厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所がまとめた「日本の世帯数の将来推計」で分かった。


日本も少子化が止まらず、超高齢化社会へ段々と急加速して行きそうな気配です。


「コミュ二ティー」
・今の時代を考える
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1217119

・公正で持続可能な社会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1236249
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 23:38Comments(0)建築・都市