<仕事はバラバラ>全く親と同じような生き方や考え方をする子供がいたら、むしろ異常かもしれない。〜曽野綾子〜
2023年05月18日
<仕事はバラバラ>全く親と同じような生き方や考え方をする子供がいたら、むしろ異常かもしれない。〜曽野綾子〜
雨模様で、日曜日の講演の準備をしていて、お茶の時間に、曽野綾子著『中年以後』のに以下の見出しがあり読むと、
(以下、本より)
親しい他人
ーー子供がいる、という寂しさ悲しさーー
子供は徹底して、親しい他人、と思ったがいい。ただし、刑務所を出所したその日、何も聞かずに迎えて、お風呂に入れ、好物を用意する特別な他人である。誰も他にこういうことをする立場の者はいない。
子供の存在から何か期待するのも自由だが、その期待はたいてい裏切られる。裏切らない子供もたくさんいるが、その場合は子供にあまり個性がないか、親に進路を束縛されたという意識を残しているか、という場合もある。もちろんやはり親のいいつけを守り、親の望み通りの進路を進んで成功でした、という子供もたくさんいるだろう。
中年以後、子供は次第に親とは違った進路を取ることになる。今までいつも親と旅行していたのに、親とよりも、仲間とどこかへ行きたがるようになる。親とは全く違う趣味、遊び、楽しみ、言葉違い、服装、仕種、考え方をするようになる。これが普通だ。もし全く親と同じような生き方や考え方をする子供がいたら、むしろ異常かもしれない。
(以上、『中年以後』より転載)
曽野綾子さんの意見から、
子供は、
>徹底して、親しい他人
期待を裏切らない子供とは、
>あまり個性がない
>親に進路を束縛された
親の考え方に全く似た子は、
>むしろ異常かもしれない
我が家にも子供が居ますが、
私や妻の職業には全く関係無い仕事をしています。居住スタイルなども全く違う生活です。
興味あることには、なんでもやらせてきました。ただ、子どもの時に、体験しておくと将来役に立つか、と南の国に住む者としてはあまりやらない、スキーとアーチェリーを体験させました。
長女は、アメリカ留学をした時、友達からの誘いに役に立ったようで、次女は、高校から弓道を始め、大学でも続けました。
進路に関して、私自身が親から誘導されたことが無く、子供たちにも何も言ってきませんでした。
家族4人ともに、同じ職業ではなく、バラバラですが、それなりの人生を進んでいます。
雨模様で、日曜日の講演の準備をしていて、お茶の時間に、曽野綾子著『中年以後』のに以下の見出しがあり読むと、
(以下、本より)
親しい他人
ーー子供がいる、という寂しさ悲しさーー
子供は徹底して、親しい他人、と思ったがいい。ただし、刑務所を出所したその日、何も聞かずに迎えて、お風呂に入れ、好物を用意する特別な他人である。誰も他にこういうことをする立場の者はいない。
子供の存在から何か期待するのも自由だが、その期待はたいてい裏切られる。裏切らない子供もたくさんいるが、その場合は子供にあまり個性がないか、親に進路を束縛されたという意識を残しているか、という場合もある。もちろんやはり親のいいつけを守り、親の望み通りの進路を進んで成功でした、という子供もたくさんいるだろう。
中年以後、子供は次第に親とは違った進路を取ることになる。今までいつも親と旅行していたのに、親とよりも、仲間とどこかへ行きたがるようになる。親とは全く違う趣味、遊び、楽しみ、言葉違い、服装、仕種、考え方をするようになる。これが普通だ。もし全く親と同じような生き方や考え方をする子供がいたら、むしろ異常かもしれない。
(以上、『中年以後』より転載)
曽野綾子さんの意見から、
子供は、
>徹底して、親しい他人
期待を裏切らない子供とは、
>あまり個性がない
>親に進路を束縛された
親の考え方に全く似た子は、
>むしろ異常かもしれない
我が家にも子供が居ますが、
私や妻の職業には全く関係無い仕事をしています。居住スタイルなども全く違う生活です。
興味あることには、なんでもやらせてきました。ただ、子どもの時に、体験しておくと将来役に立つか、と南の国に住む者としてはあまりやらない、スキーとアーチェリーを体験させました。
長女は、アメリカ留学をした時、友達からの誘いに役に立ったようで、次女は、高校から弓道を始め、大学でも続けました。
進路に関して、私自身が親から誘導されたことが無く、子供たちにも何も言ってきませんでした。
家族4人ともに、同じ職業ではなく、バラバラですが、それなりの人生を進んでいます。
<市民活動の始まり>熊本県民交流館「パレア」ができて30年が過ぎていた、ハッとした。そういえば、来月で65歳か!
2023年05月16日
<市民活動の始まり>熊本県民交流館「パレア」ができて30年が過ぎていた、ハッとした。そういえば、来月で65歳か!
本日は、午後からパレアルーム(使用無料)で、「熊本県つばさの会」の定期総会の資料づくりでした。作業は、スムーズに進む中で思い出していました。
若いころ、このパレアで開催されていた様々なセミナーに参加して勉強していたことを思い出しました。
ふと、パレアもそろそろ30年では?
帰り際に、パレアルームの責任者で、古くから知り合いの仲村竜一氏に尋ねた、
「パレアができて何年ですか?」
「昨年、30周年をしました」
と返事が来て、だいぶ時間が経ちましたが、30代の後半は、月に何度もパレアで開催されるセミナーを受講していたことを思い出しました。そのセミナーでの出会いこそが、今の私の人脈(コミュニティ)につながっています。
30代後半の学び活動から、私の主催する異業種交流会「四季の会」が生まれました。この活動は、県内に留まらず、九州から関西、関東まで三昧を広げることはなりました。
私の市民活動の原点は、県民交流館「パレア」なのだと、資料を作りながら振り返りました。あれから30年、時の過ぎるのは早いものです。
本日は、午後からパレアルーム(使用無料)で、「熊本県つばさの会」の定期総会の資料づくりでした。作業は、スムーズに進む中で思い出していました。
若いころ、このパレアで開催されていた様々なセミナーに参加して勉強していたことを思い出しました。
ふと、パレアもそろそろ30年では?
帰り際に、パレアルームの責任者で、古くから知り合いの仲村竜一氏に尋ねた、
「パレアができて何年ですか?」
「昨年、30周年をしました」
と返事が来て、だいぶ時間が経ちましたが、30代の後半は、月に何度もパレアで開催されるセミナーを受講していたことを思い出しました。そのセミナーでの出会いこそが、今の私の人脈(コミュニティ)につながっています。
30代後半の学び活動から、私の主催する異業種交流会「四季の会」が生まれました。この活動は、県内に留まらず、九州から関西、関東まで三昧を広げることはなりました。
私の市民活動の原点は、県民交流館「パレア」なのだと、資料を作りながら振り返りました。あれから30年、時の過ぎるのは早いものです。
7年前、大きな水害を私の住む地域が受けました。西山県議とともに、県の担当者と現地の状況を見てもらいました。
2023年05月12日
7年前、大きな水害を私の住む地域が受けました。被害状況は、山の沢などから流れてきた土石流が支流の川を埋めて、川から溢れ水が、家の敷地や田畑に流れ込みました。何をすれば対策になるのか、山の保全はもちろんが、やはり土砂の流出を防ぐことが必要だと、球磨川豪雨災害の被災地へボランティアに行って、支流の被害を確認する中で、必要と思うようになりました。
そこで、西山県議とともに、県の担当者と現地の状況を見てもらおうと、ご案内しました。いろいろ、対策をあることも含め、とても参考になりました。
さっそく、県議の事務所へ土砂流出防止の砂防ダムや土砂止め対策の拠点を地図に示したものと届け、来週の県の担当との打ち合わせに取り上げてもらえることになりました。計画もこれからですが、現地確認だけでもしてもらうと、今後の対応がスムーズになると考えています。
写真の砂防ダムは、私の住む地域の支流に在る、昭和時代に計画されたものです。こんなのが必要と考えています。
そこで、西山県議とともに、県の担当者と現地の状況を見てもらおうと、ご案内しました。いろいろ、対策をあることも含め、とても参考になりました。
さっそく、県議の事務所へ土砂流出防止の砂防ダムや土砂止め対策の拠点を地図に示したものと届け、来週の県の担当との打ち合わせに取り上げてもらえることになりました。計画もこれからですが、現地確認だけでもしてもらうと、今後の対応がスムーズになると考えています。
写真の砂防ダムは、私の住む地域の支流に在る、昭和時代に計画されたものです。こんなのが必要と考えています。
1年ぶりの再会>災害ボランティア団体「一般社団法人熊本支援チーム」の理事会が1年ぶりにあり、久しぶりに仲間に会います。
2023年05月10日
<1年ぶりの再会>本日の午後は、災害ボランティア団体「一般社団法人熊本支援チーム」の理事会が1年ぶりにあり、久しぶりに仲間に会います。コロナ禍で、なかなか会いづらい時間が続きましたが、これからは、コミュニケーションも上手くいくのでは、と期待しています。
熊本支援チームは、大きな災害の時に、"この指とまれ"と集まる。きっかけは12年前の東日本大震災後に活動した熊本県内の若者が中心の災害ボランティア団体で、これまで熊本地震、熊本豪雨災害の時に活動しました。
平時(大災害のない時)は、それぞれの仕事を懸命にやり社会貢献を果たしていく。有事(地域を一変する大災害)には、呼びかけることなく駆けつけて活動する。震災や豪雨のような自然災害は起こってほしくないが、いざ発生したら"この指とまれ"と直ぐに活動が始まる。
本日は、平時の集まりなので、日頃の活動の情報交換が主ですが、とても楽しみな仲間たちとの再会てす。
#熊本支援チーム
#東日本大震災熊本支援チーム
#災害ボランティア団体
#有事と平時
#東日本大震災
#熊本地震
#熊本豪雨
#一般社団法人熊本支援チーム
熊本支援チームは、大きな災害の時に、"この指とまれ"と集まる。きっかけは12年前の東日本大震災後に活動した熊本県内の若者が中心の災害ボランティア団体で、これまで熊本地震、熊本豪雨災害の時に活動しました。
平時(大災害のない時)は、それぞれの仕事を懸命にやり社会貢献を果たしていく。有事(地域を一変する大災害)には、呼びかけることなく駆けつけて活動する。震災や豪雨のような自然災害は起こってほしくないが、いざ発生したら"この指とまれ"と直ぐに活動が始まる。
本日は、平時の集まりなので、日頃の活動の情報交換が主ですが、とても楽しみな仲間たちとの再会てす。
#熊本支援チーム
#東日本大震災熊本支援チーム
#災害ボランティア団体
#有事と平時
#東日本大震災
#熊本地震
#熊本豪雨
#一般社団法人熊本支援チーム
<社会の転機は4代目?>て開いた本『歴史と人生』(半藤一利著)に、軍事や憲法9条に係る文が
2023年05月09日
<社会の転機は4代目?>朝ウォーキングを終えて、またベッドに横になって開いた本『歴史と人生』(半藤一利著)に、軍事や憲法9条に係る文がありました。
(以下、本より)
憲法9条というハードル
まだまだ、じいさん、ばあさんが生きている限り飛び越せないのですよ。年寄りは戦争体験を経て、戦後に感じたものすごく明るいものをまだ持ち続けていますよ。生身で戦争体験をもつじいさん、ばあさんが生きている間は、なかなか9条はなくならないですよ。なるほど、いまやその御簱(みはた)はぼろぼろになりかけていますが、旗ざおだけは放さない人がいっぱいいます。でもねえ、これが全部死に絶えたら・・・、あっという間かもしれない。
(以上、『いま戦争と平和を語る』より転載)
たとえは違いますが、私の東日本大震災での体験談です。
12年前、東日本大震災後の4月5〜8日に、福島県宮城県岩手県の沿岸被災地へ災害ボランティアに出向いた時、地元の人から聞いた話です。
約200年ほど前にも大きな津波が来て、たくさんの人や家が流された。その時の経験から、「この線(津波到達点)から下に家を建ててはいけない」な、言い伝えがあった。しかし、2代目、3代目までは、どうにか言い伝えが伝わっていたが、4代目ころから線より海寄りに家を建てるようになり、5代目、6代目になると、海岸に家を建てるようになった。しかし、今回の大津波は、言い伝えの"この線から下に家を建てるな"のところまで津波が来て、みんな流された、と話してくれました。
体験者の話が聞けるのは、長くて孫、ひ孫まで、100年を過ぎるころには、言い伝え(体験談)は、聞かなく(効かなく)なることを知りました。
父母は、太平洋戦争の体験者、私は2代目、子どもが3代目。半藤一利氏の言われる戦争体験者がこの世からいなくなった後、4代目たちの変化が気がかりになりました。
(以下、本より)
憲法9条というハードル
まだまだ、じいさん、ばあさんが生きている限り飛び越せないのですよ。年寄りは戦争体験を経て、戦後に感じたものすごく明るいものをまだ持ち続けていますよ。生身で戦争体験をもつじいさん、ばあさんが生きている間は、なかなか9条はなくならないですよ。なるほど、いまやその御簱(みはた)はぼろぼろになりかけていますが、旗ざおだけは放さない人がいっぱいいます。でもねえ、これが全部死に絶えたら・・・、あっという間かもしれない。
(以上、『いま戦争と平和を語る』より転載)
たとえは違いますが、私の東日本大震災での体験談です。
12年前、東日本大震災後の4月5〜8日に、福島県宮城県岩手県の沿岸被災地へ災害ボランティアに出向いた時、地元の人から聞いた話です。
約200年ほど前にも大きな津波が来て、たくさんの人や家が流された。その時の経験から、「この線(津波到達点)から下に家を建ててはいけない」な、言い伝えがあった。しかし、2代目、3代目までは、どうにか言い伝えが伝わっていたが、4代目ころから線より海寄りに家を建てるようになり、5代目、6代目になると、海岸に家を建てるようになった。しかし、今回の大津波は、言い伝えの"この線から下に家を建てるな"のところまで津波が来て、みんな流された、と話してくれました。
体験者の話が聞けるのは、長くて孫、ひ孫まで、100年を過ぎるころには、言い伝え(体験談)は、聞かなく(効かなく)なることを知りました。
父母は、太平洋戦争の体験者、私は2代目、子どもが3代目。半藤一利氏の言われる戦争体験者がこの世からいなくなった後、4代目たちの変化が気がかりになりました。