資源の無い国「日本」は、日本の縄文の知恵を学ぶべきではないか?〜“核のゴミをどう廃棄するか?“から日本の進む道を考える〜

2017年07月29日

資源の無い国「日本」は、日本の縄文の知恵を学ぶべきではないか?〜“核のゴミをどう廃棄するか?“から日本の進む道を考える〜

おはようございます。今朝は、朝ウオーキングはおやすみです。週休2日、週休3日のさぼりウォーカーなので、今朝はゆっくりです。

LINEニュースを見ていて、核のゴミを地下に埋めるニュースを思い出しました。

ふと「自然を破壊し続ける人類、すでに自然界の限界に達しているのではないか?」と考え、もう9年前になりますが、アメリカにオバマ大統領が誕生し、政策の中に「グリーンエネルギー」が取り上げられ、再生可能エネルギーの開発発展につながり、偶然に日本にも旧体制から、寄せ集め政権ではあるが、民主党政権が登場してグリーンエネルギーの推進を打ち出した。

私も、グリーンエネルギーに取り組む仲間から、再生可能エネルギーへの対応を迫られ、いくつも太陽光発電設備を設置していました。

6年前、東日本大震災が起き、大津波が福島第一原子力発電所を襲った。昨年は、熊本を大地震が襲った。地震国日本に、原子力発電所が数え切れないくらい存在する。

原子力発電所は、地上では処理できない核のゴミを出し続けている。このゴミをどうするのか?

東日本大震災から、稼働中の原子力発電所のゴミに加え、福島第一原子力発電所の廃炉作業から出る核のゴミと汚染水は膨大な量になっています。

これを何処にどう廃棄するのか?

本日の時事通信のwebニュースに、核のゴミをどう廃棄するのか、方法と場所の話が初めて示されています。

〜以下、時事通信のwebニュースより〜

>>昨年4月に町長が処分場受け入れを「選択肢の一つ」と発言した佐賀県玄海町の大部分のほか、東京都心や大阪府中心部は、地下資源の存在などから「好ましくない」と位置付けた。
(以上、時事通信より)

読み進んでも、何処に埋めるのか決めかねています。・・・、本当に廃棄場所を受け入れるところは出るのだろうか。

2か月ほど前に紹介した『里海資本論』のあとがき部分に次の一節がありました。

「現代文明は危機に瀕している。私たちの世代はなんとかもつだろう。しかしもう20年もすれば、持続はあやしくなる。ありとあらゆる意味で、自然が大変な状況になっている。健全な自然がなければ、人類は存在できない。自然を破壊することは、人類を破壊することと同義だ。今こそ人類は、日本の縄文の知恵を学ぶべきではないか」
「海藻がなくなると、魚もいなくなる。日本では持続可能な自然との付き合い方をしているそうですね。そのやり方を、世界中に広めたいものです」
(以上、『里海資本論』より)

これは、『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎(上)(下)』の著者、ジャレット・ダイアモンド博士の言葉です。

瀬戸内の漁師は、工業化されて荒れた海の再生に取り組んでいる。広島の中山間地域は、里山の再生に取り組み新たな経済システムを生み出した。どちらも自然との付き合い方を、強制的から共生的な再生型に変えて成功しています。

枯渇する天然資源を使う経済から、再生型に変える取り組みに変えないと、資源の無い国の日本に、未来はないように思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:17Comments(0)新技術、新潮流

一緒に立つことはできても、心を同じくして物事に応じて正しく判断して進むことは難しい。〜論語の訓示〜

2017年07月06日

一緒に立つことはできても、心を同じくして物事に応じて正しく判断して進むことは難しい。〜論語の訓示〜

先日、6年前の東日本大震災のボランティアネットワーク「熊本支援チーム(旧東日本大震災熊本支援チーム)」の活動報告会が開催されました。
昨年の地震被害直後から、若い世代を中心に被災者支援活動を起こし、約半年間、行政の支援が届かない様々な家庭を支えてきました。
東北を支援活動して来た仲間たちは、素晴らしいとつくづく思います。掛け声はあっても行動が伴わない。行動はしたが、継続でない。活動の継続はしても、主義主張が異なり、肝心な時にもめてしまう。よくある話です。

しかし、熊本支援チームは、行動の早さ、奉仕の精神は揺るぎない志でつながり、昨年の地震被害者支援は、経験を活かしたものとなりました。また、支援活動は継続しています。

古い偉人の訓示があります。

(以下、論語より)

子曰わく「與(とも)に共に学ぶべし、未(いま)だ與に道を、適(ゆ)くべからず。與に道を適くべし、未だ與に立つべからず。與に立つべし、未だ與に權(はか)るべからず」

【意味】
先師が言われた「一緒に学ぶことはできても、一緒に相携えて同じ道を行くことは難しい。一緒に道を行くことはできても、しっかりと信念をもって一緒に世に立つことは難しい。一緒に立つことはできても、心を同じくして物事に応じて正しく判断して進むことは難しい」
(以上、仮名論語より転載)

また別の訓示に、以下のものがあります。

子曰わく「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず」。

【意味】
先師(孔子)が言われた「知者は物事の道理を弁えているので迷わない。仁者は私欲を捨てて天理のままに生きようとするので、心に悩みがない。勇者は意志が強いので何物にも恐れない」

>仁者は私欲を捨てて天理のままに生きようとするので、心に悩みがない。

振り返るに、熊本支援チームは、“私欲なく、とにかく思い立ったら動く!”のが、すごいところだと思います。

近々、熊本支援チームの熟年世代数名で、車座談義をやろうかと企画が進んでいますが、語らせると一人一時間はゆうに語る人ばかり、どんな晩餐になるか、楽しみです。

「五十にして天命を知る」、良き人生にするにも、後半生の生き方は大切だなと、つくづく思います  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:20Comments(0)熊本地震

里山資本主義、里海資本論は、アベノミクスに対するアンチテーゼか。

2017年07月04日






里山資本主義、里海資本論は、アベノミクスに対するアンチテーゼか。

〜藻谷浩介+広島取材班、井上恭介+NHK「里海」取材班より〜
(長文です、時間ある時にお読みください)

おはようございます。外は、雨が強くなっています。まだ、風の影響はこれからと思いますが、被害が最小限になることを願うばかりです。

大自然のなせるパワーが台風(サイクロン)ですが、その台風は、年々強さを増しているように感じる事例増えているように思います。

自然に立ち向かう人間の準備は、どこまで準備すればいいのかわかりませんが、“危ない!”と思ったらとにかく、早く安全な場所に避難することが大事と思います。

人間の営みは、自然を制御する方向が目指してきたことを歴史から学びますが、自然災害の猛威はその上を行きます。経済も同じで、でかくなるばかり、成長ばかりを目指すと、資源がない国の日本は、限界があることも知らなければならない。

その成長経済に、小さなメッセージを送ったのが『里山資本主義』なる本で、徐々に広がり再版を重ねて40万部を売っています。本日注目したのが、同じNHK取材班が中心となった『里海資本論』で、宅地化、工業化で汚れた瀬戸内の海をカキ筏(いかだ)が、再生していく話です。

西日本でカキ(牡蠣)の産地は、広島のイメージか広がり、最近の熊本で人気の牡蠣小屋の牡蠣は広島産が多いことはみなさん周知のことですが、その牡蠣が瀬戸内の海の再生に一役かっていることを、『里海資本論』で知りました。

カキ筏による牡蠣の養殖が盛んになり、それまで富栄養化した瀬戸内では、赤潮の大量発生から広がっていました。ところが、カキ筏養殖か広がり、先ず広島近海から赤潮発生が減り、瀬戸内でのカキ筏養殖が盛んになり、赤潮の大量発生が少なつくなった、とありました。貝の浄化能力の凄さを示した調査結果でした。

私の住む有明海は、二枚貝の純国産ハマグリ「ヤマトハマグリ」が生まれ育つ地域で、かつてはアサリ貝の大産地でした。その頃の干潟は、里山と自然農法の田畑農業による栄養の流入が海まで届き、二枚貝の浄化能力により、サラサラの砂浜が広がっていました。

しかし、高度成長期の終わりころから砂浜がヘドロ化して、二枚貝も減りました。しかし、若い漁師たちは、搾取する漁協から、保護育成する有明海の干潟漁協を数年前から試みるようになり、二枚貝の収量が増えてきています。

富栄養化を二枚貝が浄化能力のを発揮させることで、赤潮の発揮を抑え、干潟の再生に貢献できる「里海漁業」の考え方が、これから広がることに期待します。

また、後日紹介したい瀬戸内と綿花の歴史から、瀬戸内の地域活性化の話は、『里海資本論』で検証すると興味を持つ事例となると、これから研究してみたいと思います。瀬戸内地域の海の歴史は、これからの漁業活性化のヒントが、あるように思います。

*参考資料:『里海資本論』、『里山資本主義』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:32Comments(0)新技術、新潮流