自分の「分」を見つけて、それに案じて生きている人が意外に光ってくる。~山崎武也~

2017年06月25日

自分の「分」を見つけて、それに案じて生きている人が意外に光ってくる。~山崎武也~

先般から紹介した本『一流の条件』(山崎武也著)ですが、一番最後の項に一流の条件とは何かがまとめられていました。

一流とは何か?

一人の人間の生活環境は、傍からただ眺めていてはなかなか分からないものがあります。家族に病人がいたり、仕事が苦境にあったり、昨年のように地震や水害があったときに、その後の復旧に、毎週末、あるいは帰宅後に、片付けがつづいていたり、笑顔の裏に様々な苦労が存在しているものです。

自らの立ち位置で見える風景からしか考えない習慣があると、動きの悪人にはいら立ちを感じ、厳しく意見をしたくなるものです。一方的な意見にならないためには、自ら出向き相手の状況を確認することを忘れてはいけない、と思います。

山崎氏の謂う「一流の条件」とはどんなものか、

(以下、『一流の条件』より)

・勝負事の場合、誰にでもツキは回ってくる。自分のペースで着実に努力を重ね、無理なことはしない。自分にチャンスが回ってくるのを待てばよい。

・人にはそれぞれに、その人の立場というものがる。相手がどのような状況に置かれているかをよく考えたうえで、その人に対する言動を律していく。人は常にいろいろな個人的悩みを抱え続けているのだ。

・相手が自分よりも上だと思ったら、とたんに横柄な態度をとる人が多い。そういう人に限って、相手が上であったり、自分のために利用できるとおもったりするとペコペコする。人間は人の世話になって生きている。人を敬う心を忘れるべきではない。

・清濁併せのむ度量が必要とあるが、人の濁は許しても自分の濁は許してはいけない。自分はあくまでも清を貫き通すべきである。

・上の人と対応に話ができるためには、自分の能力や経験に自信がなくてはならない。しかし、それより重要なことは、下の人とも対等に話ができる余裕が必要。さらに、直接の下の人だけでなく、ずっと下の人たちや直接つながりのない下のほうの人たちと、人間と人間の話ができる人は「高品質」な人である。こういう人は信用してよい。
(以上、『一流の条件』より抜粋)

 数日前からお昼のワイド番組で話題の「秘書へ暴言・暴力」ですが、山崎氏の行動理念からかけ離れた振る舞いのように映ります。山崎氏は、末尾にこんな一文を書いています。

「自分の分を見つけて、それに安じて生きている人が意外に光ってくる」

山崎氏のいう「分」とは、何だろうと考えると、世界にはとんでもない優秀な人間がごろごろいる。分を知らない人は、自分の持つテリトリー、「オレは優秀だ」と思った瞬間から、成長が止まる。分を知る人は、自分の能力を理解し常に努力を重ねる人ではないか、と思うようになっています。

山崎氏の言葉から、一流の人間とは、自分の立ち位置に安住せず。自らの実力を謙虚に受け止め、地道努力を続ける人のように思います。やはり、驕りが一番心身にも身辺にも災いを起こすように思います。

*参考資料:山崎武也著『一流の条件』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 04:40Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

「アオイソラ ヒロイウミ」、沖縄の地上戦で20万人が命を落とした。〜熊日コラム『新生面』〜

2017年06月23日





「アオイソラ ヒロイウミ」、沖縄の地上戦で20万人が命を落とした。〜熊日コラム『新生面』〜

元沖縄県知事の故太田昌秀氏についての追想を書いたものですが、読み出しからグッと心を捉えた。

山崎豊子さんの取材の言葉だそうだが、今も続く巨大な米軍基地、戦後72年過ぎても苦しみの記憶が癒えない人たちがたくさんいる、とあった。

山崎さんの言葉を取り上げて、記者はこう書いています。

>戦争ですべてを失った沖縄の姿を重ねる。傷つくことなく残ったのは空と海だけだったのかと。

太田氏が生前語った言葉だそうですが
『沖縄戦の経験が私の戦後を左右した」

末尾の「沖縄の痛みを忘れるな」と、ありました。

終戦から72年、若い世代は太平洋戦争は遠い意識かもしれませんが、先日開催された戦死者の遺族会を参加すると、そこは戦後はまだまだ続いていると感じます。私も20歳から、祖母、父、叔母を連れて県の護国神社に参ると、数年前までは戦死した叔父と同じ船に乗って亡くなった方の遺族とお会いすることもありました。

今朝のニュースで、防衛体制の見直しが大きく報じられるのを見て、また紛争が起こるか心配になります。敵味方かかわりなく、戦争は家族に不幸を招くと危機感を持ちます。
私の思いは、太平洋戦争の戦後が、ずっと続いて平和へ向けた外交に努力してほしいと願うばかりです。

*参考資料:本日の熊日コラム『新生面」  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:21Comments(0)平和

熊日の市民投稿「読者の広場」に、素晴らしいご意見「政治は国民に見本を示して」がありました。

2017年06月21日



熊日の市民投稿「読者の広場」に、素晴らしいご意見「政治は国民に見本を示して」がありました。

〜以下、投稿文より抜粋〜

>人それぞれの良心に基づき、支えあい生かしあう日々の暮らしの中に、自然と培われてきた絆社会を支えていると思います。

>政治は見本を示してほしい。支持者だけの絆でなく、そうでない人たちの絆も大事にしてほしい。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 13:20Comments(0)政治問題(国)

大衆受けする政治スローガンを、地域の歴史文化が修正していくのではないか。

2017年06月21日

大衆受けする政治スローガンを、地域の歴史文化が修正していくのではないか。

大衆受けする言葉で、西欧諸国で一瞬活況した民衆を扇動した政治活動が、時間が経ちその真価が検証され始めた。フランス、イギリス、さらにアメリカもか?

敵対する相手を仮想をに作り攻撃する言葉を連発して民衆を煽り関心を引く手法が大流行りのようです。

それぞれの地域には歴史文化がある。同じ空気の中で生きている民衆の中に仮想の敵を作り出し、政治の対決スローガンが形成され、その演説に聞き入る。

同じ歴史文化て生きている民衆がなぜか、大衆受けする言葉に踊らされるのか?

最近の情報は、あっと言う間に古くなる。次々と新しい発想と製品が世に出される。何か古い歴史文化は忘れられ役に立たないように思いますが、代々受け継がれた文化環境は、その地域の人間のアイデンティティを形成しているので、政治扇動が収まり時間が経つと、ハッと我に帰り地域の歴史文化を思い出すのではないか。

ここ数日紹介する山崎武也著『一流の条件』に次の言葉があります。

〜以下、『一流の条件』より〜

>特異な異文化に接するときは、その文化にも長い年月にわたって積み重ねられた伝統があり、はかり知れない深さがあることを忘れてはならない。しかも、その文化環境で育った人は、自分の文化に大きな誇りをもっている。外部から来た人たちが抵抗を感じ非合理だと思っても、それが文化というものなのだ。
(以上、『一流の条件』より)

周りからすれば非合理だと思える生活は、その地域の歴史文化なのだと思います。ある本に、文化とは"こだわり”と説明する人がいました。家庭の文化は、それぞれに違います。地域もまた隣町とは違う歴史文化があります。

大衆受けする政治スローガンは、地域の歴史文化をベースにしていないものは、いずれ民衆から飽きられるのではないかと考えます。

フランスしかり、イギリスしかり、世界を席巻していたかつての大国が、鎖国的な動きをして良いのか?、歴史文化から考えることが、国の軌道修正をしていく方法なのかもしれません。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:23Comments(0)国際関係

父の歳になって初めて理解する親の考え、〜地区遺族会に参加して〜

2017年06月12日

父の歳になって初めて理解する親の考え、〜地区遺族会に参加して〜

今日は、初めて太平洋戦争で亡くなった遺族会に参加しました。何故参加したかと言いますと、私の父の長兄が太平洋戦争で戦死しています。なので、我が家は遺族の家なのですが、祖父が亡くなり、祖母は100歳まで生きましたが、92歳のとき大病するまで、私が20歳で運転免許を取って以来参拝の送迎しました。

その後は、父とともに参拝し、父が認知症を患い施設に入ってからは、叔母たちと参拝しています。今年の参拝で40回目になります。
地区遺族会の近所の方が熱心に誘われるので初めて参加しましたが、日常からお会いしていましたが、この方も遺族、この男性も遺族なのかと、改めて感じました。

会の冒頭に「なんで参加したか?」を説明し、親父の兄弟3人は海軍で、一番上の兄が戦死、父と叔父の2人は帰国する事ができ、今の私が在ります。

今日参加の方の中には、父の顔を知らない、と、いう方も多く、戦争のむごさをつくづく感じました。

会議の中で、8月15日の県主催の終戦の日の模様しに何人行くかと話し合いがされましたが、これまで毎回出席された方は、体調不良で参加できないと報告されていました。終戦から72年、遺族会も後期高齢者も多くなったと話されていました。

帰宅して昭和の東洋哲学者の安岡正篤先生の訓示録『安岡正篤一日一言』のハ月十五日の言葉は「先考」でした。??

よく読むと、自分の父のことについて、「父の年になって初めて、父が何を考えながら生きていたか、理解できる」と。

安岡正篤先生は、父のことを「考」、「先考」と言われていました。その「考」の意味は、

「亡くなったその父の年になってみると、人の子たるものみなわかることで、なるほど親父はよく考えて、よくやった」、と気づくのだと思います。

戦地で亡くなって、遺族となった子どもは、父の姿も知らない。戦後の混乱期を、父の居ないままに生きて来たことは大変な苦労だったと推察します。
今日の遺族会総会は、懇親会になると普通のカラオケ会になりはしましたが、72年経った現在も亡き父を偲び、共有した苦労話しを語れるのは遺族会しかないのだと思います。

戦争の記憶は遠くなってきましたが、遺族会のご苦労を知る機会として、今後も参加して学ばせていただきたい、と思いました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 14:17Comments(0)

<志とは?>幕末の志士たちは「我が身を投げ打つ気魄があった」〜高杉晋作の『獄中手記』より〜

2017年06月12日

<志とは?>幕末の志士たちは「我が身を投げ打つ気魄があった」〜高杉晋作の『獄中手記』より〜

「直言直行、傍若無人、身命をかろんずふあの気魄有ればこそ、国のため深謀遠慮の忠も尽くさるべし」

田中光顕著『維新夜話』に高杉晋作のことを取り上げた文から、

文久二年に起こった品川の英国大使館焼き討ち事件は、高杉晋作の発案で実施され井上馨や久坂玄瑞らが加わっていた。夜半に大使館の木柵を飛び越えて飛び込む同志たちを尻目に、高杉は柵を一本だけノコギリで切り落とし、人間一人がくくれるほどの穴を作った。そして日を放って館内が大騒ぎになる中を戻ってくる仲間たちをその穴から逃がしたと、ありました。

この後、高杉晋作は次のように語ったとありました。

「どんな難局にも必ずのがれみちかある。断じて困らぬという気持ちでやっていけば必ず道が付くから、“困った”という言葉だけは口にしてはいけない」

何事にも諦めない気持ちは大事と仲間に語ったのだと思います。

また、高杉晋作自ら書いた『獄中手記』に書いています。

「僕はたしかに頑固で愚かな人間だから、やることは直言直行で傍若無人である。しかし国のためには深謀遠慮(しんぼうえんりょ)をめくらせているのである。・・・、
けれどもあ、直言直行で、傍若無人で、自分の精神肉体をなげうつ気迫がなければ、どうして国のために先を見越して考え、策をめぐらせるという忠義を尽くすことができるのだ」

要は、国家の存亡を常に考え続けていると、見た目や批評など気にしてはいられない。直言直行、思い立ったら行動する志こそが、活動家に必要要素なのだと思います。

高杉晋作の行動指針を表す言葉があります。
「直言直行、傍若無人、身命をかろんずふあの気魄有ればこそ、国のため深謀遠慮の忠も尽くさるべし」

武士道の根底には、高杉晋作が言うように「いざという時には国のために、我が身を投げ打つ気魄があったということなのだと思います。

*参考資料:笠谷和比古著『武士道 サムライ精神の言葉』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:58Comments(0)