文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
2025年03月07日
<老いてますます学問を>文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
(昨日の出来事からコメントしました)
文明開花の明治が始まって160年、馬車から汽車さらに自動車から飛行機の時代になって、ますます世界が狭くなったように、科学や技術の発展により、人間の邪魔やは延び、ますます人生は長くなっています。
それこそ、幕末維新で活躍した熊本の政治思想家の横井小楠が暗殺されたのは61才、坂本龍馬は32才でした。私は、龍馬の歳の倍、小楠の歳も越えてしまいました。
人生は短いとは言いますが、戦前からすると、長生きになっています。
渋澤栄一は、以下のように書いています。
>そんな中で、30歳までが勉強の時間であるならば、少なくとも70歳ぐらいまでは働かないと、もったいないではありませんか?
>もし50や55で老いて衰えてしまえば、20年、25年しか働いていないことになります。
>それだけの期間で、何を成し遂げられるでしょう。そして、何かを成すには、学び続けるしかないのです。
(以上、『渋澤栄一100の訓言』より)
男女を問わず、大学進学が当たり前になりました。しかし、日本の大学は、難関大学がいくつも存在しているように、入るは難し、出るは優しの狭き門がいまだにあります。
昨日の防犯パトロール中に、高校無償化の話から、北欧の大学の学費無料の話になった。現役教師から、
「大学は、出るのを難しくしないから、人材が育たない」
と話していました。確かにそうかとは思いますが、社会人でも最初は学ばないと、仕事はできません。
共同通信の論説委員長で、久米宏さんのニュースステーションにも出られた政治評論家の故内田健三氏が80歳を前にして語られた、
「身体は老いるが、精神は成長する。まだまだ勉強です」
を忘れられません。当時私は40代前半でした。
内田健三氏が語られたことと同じ内容が、本日読んだページにありました。
(以下、『渋澤栄一100の訓言』より転載)
しかして文明の老人たるには、
身体はたとい衰弱するとしても、
精神が衰弱せぬようにしたい、
精神を衰弱せぬようにするには学問によるほかない。
(以上、【『論語と算盤』立志と学問】より)
内田健三氏は、東京大学在学中に、学徒動員で戦地に向かい戦った後、戦後すぐは肺病(結核)を患い床に伏された。病気を乗り越えて大学に復帰されたのは6年後だったと聞きました。なので、30歳まで大学で学ばれました。
>文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。
老いても益々学ぶ意欲を持たなければ、と朝から考えました。
私の40代前半ころの、昼は社会活動に参加して、夜に設計の仕事をした体力は流石に今はなくなりましたが、学ぶ意欲がなくならないようしなければと思います。
話が長くなりました。明日からの宇土半島一周ウォークの準備を、午後からやります。さて、完歩できるか、足を状態を労わりつつ頑張ります。
(昨日の出来事からコメントしました)
文明開花の明治が始まって160年、馬車から汽車さらに自動車から飛行機の時代になって、ますます世界が狭くなったように、科学や技術の発展により、人間の邪魔やは延び、ますます人生は長くなっています。
それこそ、幕末維新で活躍した熊本の政治思想家の横井小楠が暗殺されたのは61才、坂本龍馬は32才でした。私は、龍馬の歳の倍、小楠の歳も越えてしまいました。
人生は短いとは言いますが、戦前からすると、長生きになっています。
渋澤栄一は、以下のように書いています。
>そんな中で、30歳までが勉強の時間であるならば、少なくとも70歳ぐらいまでは働かないと、もったいないではありませんか?
>もし50や55で老いて衰えてしまえば、20年、25年しか働いていないことになります。
>それだけの期間で、何を成し遂げられるでしょう。そして、何かを成すには、学び続けるしかないのです。
(以上、『渋澤栄一100の訓言』より)
男女を問わず、大学進学が当たり前になりました。しかし、日本の大学は、難関大学がいくつも存在しているように、入るは難し、出るは優しの狭き門がいまだにあります。
昨日の防犯パトロール中に、高校無償化の話から、北欧の大学の学費無料の話になった。現役教師から、
「大学は、出るのを難しくしないから、人材が育たない」
と話していました。確かにそうかとは思いますが、社会人でも最初は学ばないと、仕事はできません。
共同通信の論説委員長で、久米宏さんのニュースステーションにも出られた政治評論家の故内田健三氏が80歳を前にして語られた、
「身体は老いるが、精神は成長する。まだまだ勉強です」
を忘れられません。当時私は40代前半でした。
内田健三氏が語られたことと同じ内容が、本日読んだページにありました。
(以下、『渋澤栄一100の訓言』より転載)
しかして文明の老人たるには、
身体はたとい衰弱するとしても、
精神が衰弱せぬようにしたい、
精神を衰弱せぬようにするには学問によるほかない。
(以上、【『論語と算盤』立志と学問】より)
内田健三氏は、東京大学在学中に、学徒動員で戦地に向かい戦った後、戦後すぐは肺病(結核)を患い床に伏された。病気を乗り越えて大学に復帰されたのは6年後だったと聞きました。なので、30歳まで大学で学ばれました。
>文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。
老いても益々学ぶ意欲を持たなければ、と朝から考えました。
私の40代前半ころの、昼は社会活動に参加して、夜に設計の仕事をした体力は流石に今はなくなりましたが、学ぶ意欲がなくならないようしなければと思います。
話が長くなりました。明日からの宇土半島一周ウォークの準備を、午後からやります。さて、完歩できるか、足を状態を労わりつつ頑張ります。
<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。
2025年01月27日
<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。患難、変故、屈辱、讒謗、払逆に挑むなり。〜『言志四緑』〜
長い人生には、いろいろな試練が起こる。
患難:疲労困憊する苦労
変故:変わった出来事
屈辱:耐え難い扱い
讒謗(ざんぼう):そしられる
払逆:思うようにならぬ
すべて天が人を成熟(成長)させるための手段であって、一つとして人間を磨き上げるために役立たないものはない。
したがって、こうした出来事に出遭ったならば、いかに対処しようかと考えるべきで、むやみに逃れようとしてはいけない。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より)
28年前、私は2つの病院の改修工事の計画をやっていました。時は、消費税が3%→5%にアップする一年前でした。もし完成がアップする翌年4月より遅れても、前年の9月末日までに着工(工事契約)していれば、課税を免れる緩和措置があった。
その年の夏は、日々睡眠不足の状況になるほど忙しい中で仕事をしていました。一つの病院改修の確認申請許可を8月末までの終えれないと工事着工が間に合わない、ほんとに必死でやっていました。
そんな時に起こるのが、熊本工業高校野球部が甲子園決勝戦に進み、県下全部が応援体制に、土木事務所に書類を持ち込むと、全員テレビ観戦中。
担当者曰く「明日下ろすから、今日は一緒に応援観戦しよう」でした。「明日、必ず確認が許可されるのなら、今日は帰ります」と帰り、事務所で次の病院の改修工事の設計作業でした。
翌日は、本当に1日で確認申請を下ろしてくれて、消防署へ書類を持ち込むことができました。土木事務所から消防署まで車で40分なのですが、睡眠不足で途中仮眠をしないと運転できないくらいに疲労が溜まっていました。よくやり終えたなぁ、と振り返ります。
正に、天は乗り越えれない苦難は与えない経験でした。
この改修工事は、工事中にも色んな出来事が重なり、さらに苦労するのですが、工事も完了することができました。
実際の学問とは、艱難辛苦の中から学ぶことだと、訓示を読み当時のことを思い起こしました。
その後、消費税は5%→8%へ、さらに8%→10%に変わりました。その時は、私が経験したような建築業界の騒ぎは起こらなかった。人間、慣れとは怖いですね。
現代政治の全年代の福祉向上策、子ども医療費や学費の無償化が広がっていけば、さらなる消費税アップもあるのだろうな、と予想します。
私は、消費税3%→5%直前の激務を経験したので、その後、同業種交流、異業種交流から、一人で全部をやるスタイルから、若い世代との連携・分担するネットワークを構築し、激務が発生しても乗り越える体制が出来上がりました。現在の建築事務所と市議会議員の二足の草鞋も可能になっています。
長い人生には、いろいろな試練が起こる。
患難:疲労困憊する苦労
変故:変わった出来事
屈辱:耐え難い扱い
讒謗(ざんぼう):そしられる
払逆:思うようにならぬ
すべて天が人を成熟(成長)させるための手段であって、一つとして人間を磨き上げるために役立たないものはない。
したがって、こうした出来事に出遭ったならば、いかに対処しようかと考えるべきで、むやみに逃れようとしてはいけない。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より)
28年前、私は2つの病院の改修工事の計画をやっていました。時は、消費税が3%→5%にアップする一年前でした。もし完成がアップする翌年4月より遅れても、前年の9月末日までに着工(工事契約)していれば、課税を免れる緩和措置があった。
その年の夏は、日々睡眠不足の状況になるほど忙しい中で仕事をしていました。一つの病院改修の確認申請許可を8月末までの終えれないと工事着工が間に合わない、ほんとに必死でやっていました。
そんな時に起こるのが、熊本工業高校野球部が甲子園決勝戦に進み、県下全部が応援体制に、土木事務所に書類を持ち込むと、全員テレビ観戦中。
担当者曰く「明日下ろすから、今日は一緒に応援観戦しよう」でした。「明日、必ず確認が許可されるのなら、今日は帰ります」と帰り、事務所で次の病院の改修工事の設計作業でした。
翌日は、本当に1日で確認申請を下ろしてくれて、消防署へ書類を持ち込むことができました。土木事務所から消防署まで車で40分なのですが、睡眠不足で途中仮眠をしないと運転できないくらいに疲労が溜まっていました。よくやり終えたなぁ、と振り返ります。
正に、天は乗り越えれない苦難は与えない経験でした。
この改修工事は、工事中にも色んな出来事が重なり、さらに苦労するのですが、工事も完了することができました。
実際の学問とは、艱難辛苦の中から学ぶことだと、訓示を読み当時のことを思い起こしました。
その後、消費税は5%→8%へ、さらに8%→10%に変わりました。その時は、私が経験したような建築業界の騒ぎは起こらなかった。人間、慣れとは怖いですね。
現代政治の全年代の福祉向上策、子ども医療費や学費の無償化が広がっていけば、さらなる消費税アップもあるのだろうな、と予想します。
私は、消費税3%→5%直前の激務を経験したので、その後、同業種交流、異業種交流から、一人で全部をやるスタイルから、若い世代との連携・分担するネットワークを構築し、激務が発生しても乗り越える体制が出来上がりました。現在の建築事務所と市議会議員の二足の草鞋も可能になっています。
<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜
2025年01月03日
<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜
(長文です。お時間ある時にお読みください。)
箱根駅伝は、予想とは違って、青山学院大学が連覇を果たした。一矢を報いたのが、復路優勝が駒澤大学の走りではないのかと考えました。駅伝競走は、多人数の走りの繋ぎなので、思うようにはならないのが、見ているものの楽しみでもあります。青山学院大学、連覇おめでとうございます。
さて冒頭の一文は、年末から読む『中年以後』の一節です。
(以下、本より)
<若い時は>自分の思い通りになることに快感がある。
<中年以後は>自分程度の見方、予測、希望、などが、裏切られる、と納得し、その成り行きに一種の快感を持つこともできるようになるのである。
(以上、『中年以後』〜算数通りならない人生〜より)
第101回箱根駅伝は、予想の國學院大学の駅伝三冠を阻止したのは、王者・青山学院大学だった。箱根駅伝の難しさが、現れた今年の結果となった。
駅伝同様に、一人ひとりの人生も、予定通りに行かない歴史がたくさんある。
しかしその歴史検証も、歳を重ねると若い頃の一方的な価値観から、多面的な見方ができるようになる。
(以下、本より転載)
〜計画通りに行かなくても〜
自殺するほどに自分を追い詰めることもないだろう。反対に上手く行っても、自分の功績ではなくて運が良かったからだ、と気楽に考えられるのである。
(以上、『中年以後』より)
過労死の悲惨な現状の報告を聞くに、追い詰められた状況に言葉を詰まらす。
どうして周りが気づかないのか?
どうして、周りへ苦しい現状を伝えられなかったのか?
私などは、大学受験は上手くいかず、一旦社会人になり、また浪人生活に戻り、そして建築士を目指して進学した。
まったく予定(算数)通りにはなって来なかった人生です。
建築士の修行時代は、バブル経済で、無資格の若僧がアルバイトで稼げた。ところが、独立直前に、バブル時代が終わった。苦しいフリーター生活の始まりでした。
それから試行錯誤しながら生き延びてきました。
今は、建築士事務所と市議会議員の二足の草鞋を履いて生きています。この市議会議員選挙に出ることも、いろいろな出来事から始まった。話せば長くなるのでやめます。
>人生は計算(算数)通りにならない。
そのことについて、曽野綾子さんは『中年以後』の中で、前の引用文の後に語っています。
(以下、本より)
すべての人がそうだ、とは言えない。しかし世の中が算数通りだとしか思えない人、或いは算数通りにならないと怒る人は、写真の中でただ年を取るだけだろし、算数の乱れを面白がれる人は、恐らく若い時の写真よりも、年を取ってからの方が面白い人物に写るのだと思う。
「コヘレトの言葉」も最後に言うのである。
「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる」
(以上、『中年以後』より転載)
人生の変化(算数通りにならない)を受け入れ、対応して成長する人こそが、生き延びる(楽しめる)人なのかもしれないと、曽野綾子さんの本を読み学びました。
>人の知恵は顔に光を添え
人は練れて(鍛えられて)輝きを増す。
年始にあたり、この言葉を知り、日々心を入れ替え(新たなに)、チャレンジすることこそが大事だと気付かされました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
(長文です。お時間ある時にお読みください。)
箱根駅伝は、予想とは違って、青山学院大学が連覇を果たした。一矢を報いたのが、復路優勝が駒澤大学の走りではないのかと考えました。駅伝競走は、多人数の走りの繋ぎなので、思うようにはならないのが、見ているものの楽しみでもあります。青山学院大学、連覇おめでとうございます。
さて冒頭の一文は、年末から読む『中年以後』の一節です。
(以下、本より)
<若い時は>自分の思い通りになることに快感がある。
<中年以後は>自分程度の見方、予測、希望、などが、裏切られる、と納得し、その成り行きに一種の快感を持つこともできるようになるのである。
(以上、『中年以後』〜算数通りならない人生〜より)
第101回箱根駅伝は、予想の國學院大学の駅伝三冠を阻止したのは、王者・青山学院大学だった。箱根駅伝の難しさが、現れた今年の結果となった。
駅伝同様に、一人ひとりの人生も、予定通りに行かない歴史がたくさんある。
しかしその歴史検証も、歳を重ねると若い頃の一方的な価値観から、多面的な見方ができるようになる。
(以下、本より転載)
〜計画通りに行かなくても〜
自殺するほどに自分を追い詰めることもないだろう。反対に上手く行っても、自分の功績ではなくて運が良かったからだ、と気楽に考えられるのである。
(以上、『中年以後』より)
過労死の悲惨な現状の報告を聞くに、追い詰められた状況に言葉を詰まらす。
どうして周りが気づかないのか?
どうして、周りへ苦しい現状を伝えられなかったのか?
私などは、大学受験は上手くいかず、一旦社会人になり、また浪人生活に戻り、そして建築士を目指して進学した。
まったく予定(算数)通りにはなって来なかった人生です。
建築士の修行時代は、バブル経済で、無資格の若僧がアルバイトで稼げた。ところが、独立直前に、バブル時代が終わった。苦しいフリーター生活の始まりでした。
それから試行錯誤しながら生き延びてきました。
今は、建築士事務所と市議会議員の二足の草鞋を履いて生きています。この市議会議員選挙に出ることも、いろいろな出来事から始まった。話せば長くなるのでやめます。
>人生は計算(算数)通りにならない。
そのことについて、曽野綾子さんは『中年以後』の中で、前の引用文の後に語っています。
(以下、本より)
すべての人がそうだ、とは言えない。しかし世の中が算数通りだとしか思えない人、或いは算数通りにならないと怒る人は、写真の中でただ年を取るだけだろし、算数の乱れを面白がれる人は、恐らく若い時の写真よりも、年を取ってからの方が面白い人物に写るのだと思う。
「コヘレトの言葉」も最後に言うのである。
「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる」
(以上、『中年以後』より転載)
人生の変化(算数通りにならない)を受け入れ、対応して成長する人こそが、生き延びる(楽しめる)人なのかもしれないと、曽野綾子さんの本を読み学びました。
>人の知恵は顔に光を添え
人は練れて(鍛えられて)輝きを増す。
年始にあたり、この言葉を知り、日々心を入れ替え(新たなに)、チャレンジすることこそが大事だと気付かされました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜
2024年09月25日
<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜
(少々文が長いので、お時間ある時にお読みください。)
私の読書は、雑読である。あまりよろしくないが、古本屋での立ち読みから興味が湧き購入することが多い。その作家の一人が、歴史に関する本が多い半藤一利の著書です。
半藤一利氏の文を集めた本『歴史と人生』に、夏目漱石が関心を持った『老子』の話がありました。
(以下、半藤一利著『歴史と人生』より)
ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ
夏目漱石(明治三十一年作)
この句には前書きがある。
「知者不言、言者不知」
出所は『老子』である。
「知るものは言わず、言うものは知らず」
と読む。えらそうに言挙げするものへの皮肉がたっぷりこめられている。漱石はまたこうもいっている。
「余慶な不慥(ふたしか)の事を喋々する程、見苦しき事なし、況(いわ)んや毒舌をや、何事も控え目にせよ、奥床しくせよ」
〜『愚見数則』〜
斯愚には 及ぶべからず 木瓜(ぼけ)の花
夏目漱石(明治三十二年作)
『老子』に有る、
「大功は拙のごとし」
「われ愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり」
漱石もまた節を曲げない愚直な生き方を、生涯の心の拠りどころとしていた。
(以上、『歴史と人生』より)
>知るものは言わず、言うものは知らず
智者は語らず。
お喋り多い人は知らず。
>ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ
人の注目を集めることに熱心な人がいます。"時代の寵児"と言う表現もありますが、そんな人は、いつの間にかいなくなります。
私は、異業種交流会を主催してきました。かれこれ25年(四半世紀)になります。
いろいろな方と会ってきました。その初めから縁のある大学教授に、
「本物は残るから、長く観ておきなさい」
と助言されました。一瞬の輝きより、10年後、20年後の姿を観ることが大事だなぁ、とこの歳になると思います。
人の時のアセス
人間の言動の検証のことを大学教授が語られたのだと思います。
>余慶な不慥(ふたしか)の事を喋々する程、見苦しき事なし
「人生は訥弁」の教えが中国古典の何かにありました。お喋りは禍いの素(原因)です。
勇者は語らず。
人間分析は、なかなか時間のかかる(アセスメント)作業のように思った、半藤一利氏のご指摘でした。再度、
>ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ
人生は、ぼちぼち。好きなことを愚直に続けたが楽しいのかもしれません。
今日、明日は、膝を休めるために早朝ウォーキングはお休みですが、いつもの時間に目覚めて、雑読しています。
(少々文が長いので、お時間ある時にお読みください。)
私の読書は、雑読である。あまりよろしくないが、古本屋での立ち読みから興味が湧き購入することが多い。その作家の一人が、歴史に関する本が多い半藤一利の著書です。
半藤一利氏の文を集めた本『歴史と人生』に、夏目漱石が関心を持った『老子』の話がありました。
(以下、半藤一利著『歴史と人生』より)
ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ
夏目漱石(明治三十一年作)
この句には前書きがある。
「知者不言、言者不知」
出所は『老子』である。
「知るものは言わず、言うものは知らず」
と読む。えらそうに言挙げするものへの皮肉がたっぷりこめられている。漱石はまたこうもいっている。
「余慶な不慥(ふたしか)の事を喋々する程、見苦しき事なし、況(いわ)んや毒舌をや、何事も控え目にせよ、奥床しくせよ」
〜『愚見数則』〜
斯愚には 及ぶべからず 木瓜(ぼけ)の花
夏目漱石(明治三十二年作)
『老子』に有る、
「大功は拙のごとし」
「われ愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり」
漱石もまた節を曲げない愚直な生き方を、生涯の心の拠りどころとしていた。
(以上、『歴史と人生』より)
>知るものは言わず、言うものは知らず
智者は語らず。
お喋り多い人は知らず。
>ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ
人の注目を集めることに熱心な人がいます。"時代の寵児"と言う表現もありますが、そんな人は、いつの間にかいなくなります。
私は、異業種交流会を主催してきました。かれこれ25年(四半世紀)になります。
いろいろな方と会ってきました。その初めから縁のある大学教授に、
「本物は残るから、長く観ておきなさい」
と助言されました。一瞬の輝きより、10年後、20年後の姿を観ることが大事だなぁ、とこの歳になると思います。
人の時のアセス
人間の言動の検証のことを大学教授が語られたのだと思います。
>余慶な不慥(ふたしか)の事を喋々する程、見苦しき事なし
「人生は訥弁」の教えが中国古典の何かにありました。お喋りは禍いの素(原因)です。
勇者は語らず。
人間分析は、なかなか時間のかかる(アセスメント)作業のように思った、半藤一利氏のご指摘でした。再度、
>ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ
人生は、ぼちぼち。好きなことを愚直に続けたが楽しいのかもしれません。
今日、明日は、膝を休めるために早朝ウォーキングはお休みですが、いつもの時間に目覚めて、雑読しています。
信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜
2024年09月17日
信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜
(長文です。時間ある時にお読みください)
朝目覚めて、寝室の本の整理をしていて、以前にリサイクルブック店で購入した中村天風に関する著書に目が止まった。開いたページに、
(以下、本より)
「『論より証拠』だ。信じてやってみたまえ。効果があるから、効果があったという厳然たる事実が、教えを納得させるだろう。納得したならば、この道を歩み続けるがいい」
天風は言う。
「信念が確固不抜のものなれば、こうなりたいと念願のすることがすべて思い通りにかなってくる」
(以上、池田光著『中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない』より)
本の一節には、
(以下、本より転載)
命令的な口調で暗示をあたえる。
「家を建てよ」
「課長になれ」
「著書を出せ」
と、繰り返し心にイメージを描くことと自己暗示を行い続けることで、力の源である潜在意識に働きかける。
(以上、本より)
我が人生に当てはまると、進学が上手くいかずに、一旦は社会人になったが、一年後に一念発起、建築の専門学校から建築設計の道に入った。
目標は、"30歳で独立する"でした。
しかし、その実現は、一級建築士の試験が上手く行かず、1年遅れ、さらに事務所開設の申請は2年遅れでした。
独立して4年後になり、大型物件の仕事が始まった。さらに仕事が増える中、強力な台風が宇土市を襲い、所有林の杉檜が100本以上倒れる被害を受けた。
台風後の秋、地域行事に参加して懇親会の席で、「山の木見て考えろ、家でも建てないか、親父ともう歳ばい」と近所の大工から意見された。私の父は、大工でした。
さてどうする・・・
翌年の売り上げは大きくなるので、税金を納めて公的資金を使い(住宅金融公庫)建てることに向かった。37歳11ヶ月で家は完成した。
問題は、3つ目の「著書を出せ」です。昨夜のコメントでも紹介した異業種交流会「四季の会」を40歳から本格的に活動を始めた。多い時は、年間に6回開催することもあり、50歳になる年の春に電話が来た。
「野口さん、40代をまとめないか、とにかく書けたら私の所へ持って来なさい」
と異業種交流会の始まりから関わる大学教授からの要請でした。私は、約3ヶ月半かけて、87の活動と好きな名言を30ほどまとめて、教授のところへ持って行くと、
「これでは本にならない、3つか、4つのグループに分けて来なさい」
から、また半月かけてまとめ、相談に行きました。すると、
「これから先は、あなたの福岡の国文学者の先輩にお願いして、チェックしてもらいなさい」
と指示され、それから3ヶ月福岡へが通うことになった。そこでも注文が、「87ではなくて、もう一つ増やし88の実践報告に」とあり、出来上がったのが、40代の活動をまとめた本、
『なかまづくり まちづくり』
です。51歳の正月に出来上がり、出版発表と異業種交流会「四季の会」10周年を開催しました。
独立(フリーター)が、31歳6ヶ月でした。
家の新築完成が、37歳11ヶ月でした。
本の出版が、51歳7ヶ月でした。
「独立」は自らの決意からでしたが、「家の新築」と「本の出版」は先輩の助言から、さらに「市議会議員への挑戦」(52歳3ヶ月)も地域の先輩の後押しからでした。
振り返るに、独立は自己責任で始めましたが、他の出来事は、周りからのアドバイスを活かして来た、私の中年期のように思います。朝から中村天風哲学に触れ、振り返りました。
話が長くなり、最後までお読みいただきありがとうございます。
(長文です。時間ある時にお読みください)
朝目覚めて、寝室の本の整理をしていて、以前にリサイクルブック店で購入した中村天風に関する著書に目が止まった。開いたページに、
(以下、本より)
「『論より証拠』だ。信じてやってみたまえ。効果があるから、効果があったという厳然たる事実が、教えを納得させるだろう。納得したならば、この道を歩み続けるがいい」
天風は言う。
「信念が確固不抜のものなれば、こうなりたいと念願のすることがすべて思い通りにかなってくる」
(以上、池田光著『中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない』より)
本の一節には、
(以下、本より転載)
命令的な口調で暗示をあたえる。
「家を建てよ」
「課長になれ」
「著書を出せ」
と、繰り返し心にイメージを描くことと自己暗示を行い続けることで、力の源である潜在意識に働きかける。
(以上、本より)
我が人生に当てはまると、進学が上手くいかずに、一旦は社会人になったが、一年後に一念発起、建築の専門学校から建築設計の道に入った。
目標は、"30歳で独立する"でした。
しかし、その実現は、一級建築士の試験が上手く行かず、1年遅れ、さらに事務所開設の申請は2年遅れでした。
独立して4年後になり、大型物件の仕事が始まった。さらに仕事が増える中、強力な台風が宇土市を襲い、所有林の杉檜が100本以上倒れる被害を受けた。
台風後の秋、地域行事に参加して懇親会の席で、「山の木見て考えろ、家でも建てないか、親父ともう歳ばい」と近所の大工から意見された。私の父は、大工でした。
さてどうする・・・
翌年の売り上げは大きくなるので、税金を納めて公的資金を使い(住宅金融公庫)建てることに向かった。37歳11ヶ月で家は完成した。
問題は、3つ目の「著書を出せ」です。昨夜のコメントでも紹介した異業種交流会「四季の会」を40歳から本格的に活動を始めた。多い時は、年間に6回開催することもあり、50歳になる年の春に電話が来た。
「野口さん、40代をまとめないか、とにかく書けたら私の所へ持って来なさい」
と異業種交流会の始まりから関わる大学教授からの要請でした。私は、約3ヶ月半かけて、87の活動と好きな名言を30ほどまとめて、教授のところへ持って行くと、
「これでは本にならない、3つか、4つのグループに分けて来なさい」
から、また半月かけてまとめ、相談に行きました。すると、
「これから先は、あなたの福岡の国文学者の先輩にお願いして、チェックしてもらいなさい」
と指示され、それから3ヶ月福岡へが通うことになった。そこでも注文が、「87ではなくて、もう一つ増やし88の実践報告に」とあり、出来上がったのが、40代の活動をまとめた本、
『なかまづくり まちづくり』
です。51歳の正月に出来上がり、出版発表と異業種交流会「四季の会」10周年を開催しました。
独立(フリーター)が、31歳6ヶ月でした。
家の新築完成が、37歳11ヶ月でした。
本の出版が、51歳7ヶ月でした。
「独立」は自らの決意からでしたが、「家の新築」と「本の出版」は先輩の助言から、さらに「市議会議員への挑戦」(52歳3ヶ月)も地域の先輩の後押しからでした。
振り返るに、独立は自己責任で始めましたが、他の出来事は、周りからのアドバイスを活かして来た、私の中年期のように思います。朝から中村天風哲学に触れ、振り返りました。
話が長くなり、最後までお読みいただきありがとうございます。
高宗昭敏先生の活動を振り返る。熊本地球市民塾から「横井小楠と維新群像」建立まで
2024年07月26日
「こよなく酒を愛し、この熊本から日本の未来を、熱っぽく語り合った小楠・海舟・龍馬」
〜高宗昭敏先生の活動を振り返る。熊本地球市民塾から「横井小楠と維新群像」建立まで〜
私が、熊本地球市民塾に参加したのは32年前、その時に、高宗昭敏先生との出会いでもありました。
高宗先生は、大学教授でありながら、社会的・政治的な目的を持ち、セミナー、講演会、フォーラム、歴史検証、偉人顕彰の様々な活動を主催されました。私は、その事務的な補佐をさせていただきながら、社会活動の経験を積ませてもらっていたように思います。
地球市民ウォーラムは、3日連続のセミナー、講演、パネルディスカッション開催されました。
九州初の「太陽光発電推進九州ブロック研究集会」には、予想を遥かに超える417人が集まり、来賓で出席された福島譲二熊本県知事も驚かれました。
そして横井小楠顕彰活動は、生誕190年記念事業から始まり、生誕195年では、催し・イベント・講演会、さらには5体の銅像建立まで発展していきます。
銅像建立の5年後に開催された、銅像前での花見の宴に参加して思ったのは、高宗昭敏先生自身が、現代の坂本龍馬のように思えたことです。経済学の教授でありながら、社会変化の気づきを、周りに与える提案を常に続けておられた気がします。
坂本龍馬の活躍した時期は、約5年間と言われています。高宗昭敏先生の60代から始まった、熊本県だけでなく、東京ともつながり、再生可能エネルギー政策への提言、熊本の幕末・明治維新で活躍した偉人の再評価を懸命に続けられました。
特に、「太陽光発電推進九州ブロック研究集会」後に始まった、横井小楠生誕190年(1994年)〜生誕195年(1999年)までの約6年間の活動は、横で見ていて飛び回る忙しさがあった。すごい方だったと、今になりつくづく感じます。
高宗先生が、
「これからは、頭の強い人間にならないといけない」
と、よく話されていました。私が、
「先生、頭の強い人間とは、どんな人ですか?」
と尋ねたことがあります。すると、
「頭の良い人間は、成績優秀で頭の回転が速いのだろうが、"頭の強い人間"とは、何か事をやろうとした時、完了させるまで、終わるまで、諦めず考え続けられる頭を持つ人のことだ」
と話されました。ちょうど銅像建立へ向けた、人・モノ・金を巻き込む最中で、5年間の到達目標を持ち、多様なイベントと銅像建立(1億円)という事業をやり終えるために、思考を最大限に駆使されやり遂げられたなぁ、と振り返りました。
>これからは、頭の強い人間にならないといけない
ここ3日、季刊誌「KUMAMOTO」に、熊本地球市民塾からの活動をまとめた文を投稿するので、32年前からの出来事を思い起こしていました。
頭の強い人間とは?から、目的達成まで諦めない意志の強さを教えられた経験でした。
高宗昭敏先生は、新型コロナウィルス感染拡大前の年末、12月28日にお亡くなりになりました。年の瀬の押し迫った時期でしたから、葬儀はご家族だけで執り行い、少し経ってから「偲ぶ会」を計画されましたが、コロナ感染拡大で、人の集まることが制限されたために、出来ず仕舞いになりました。私自身も、同日に叔母が亡くなり、高宗先生の葬儀も知らず、ご家族からご連絡を受けて、仏壇にお参りしたのは年が明けしばらくしてからでした。
社会活動の先生として、長く指導を受けた方でした。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。






〜高宗昭敏先生の活動を振り返る。熊本地球市民塾から「横井小楠と維新群像」建立まで〜
私が、熊本地球市民塾に参加したのは32年前、その時に、高宗昭敏先生との出会いでもありました。
高宗先生は、大学教授でありながら、社会的・政治的な目的を持ち、セミナー、講演会、フォーラム、歴史検証、偉人顕彰の様々な活動を主催されました。私は、その事務的な補佐をさせていただきながら、社会活動の経験を積ませてもらっていたように思います。
地球市民ウォーラムは、3日連続のセミナー、講演、パネルディスカッション開催されました。
九州初の「太陽光発電推進九州ブロック研究集会」には、予想を遥かに超える417人が集まり、来賓で出席された福島譲二熊本県知事も驚かれました。
そして横井小楠顕彰活動は、生誕190年記念事業から始まり、生誕195年では、催し・イベント・講演会、さらには5体の銅像建立まで発展していきます。
銅像建立の5年後に開催された、銅像前での花見の宴に参加して思ったのは、高宗昭敏先生自身が、現代の坂本龍馬のように思えたことです。経済学の教授でありながら、社会変化の気づきを、周りに与える提案を常に続けておられた気がします。
坂本龍馬の活躍した時期は、約5年間と言われています。高宗昭敏先生の60代から始まった、熊本県だけでなく、東京ともつながり、再生可能エネルギー政策への提言、熊本の幕末・明治維新で活躍した偉人の再評価を懸命に続けられました。
特に、「太陽光発電推進九州ブロック研究集会」後に始まった、横井小楠生誕190年(1994年)〜生誕195年(1999年)までの約6年間の活動は、横で見ていて飛び回る忙しさがあった。すごい方だったと、今になりつくづく感じます。
高宗先生が、
「これからは、頭の強い人間にならないといけない」
と、よく話されていました。私が、
「先生、頭の強い人間とは、どんな人ですか?」
と尋ねたことがあります。すると、
「頭の良い人間は、成績優秀で頭の回転が速いのだろうが、"頭の強い人間"とは、何か事をやろうとした時、完了させるまで、終わるまで、諦めず考え続けられる頭を持つ人のことだ」
と話されました。ちょうど銅像建立へ向けた、人・モノ・金を巻き込む最中で、5年間の到達目標を持ち、多様なイベントと銅像建立(1億円)という事業をやり終えるために、思考を最大限に駆使されやり遂げられたなぁ、と振り返りました。
>これからは、頭の強い人間にならないといけない
ここ3日、季刊誌「KUMAMOTO」に、熊本地球市民塾からの活動をまとめた文を投稿するので、32年前からの出来事を思い起こしていました。
頭の強い人間とは?から、目的達成まで諦めない意志の強さを教えられた経験でした。
高宗昭敏先生は、新型コロナウィルス感染拡大前の年末、12月28日にお亡くなりになりました。年の瀬の押し迫った時期でしたから、葬儀はご家族だけで執り行い、少し経ってから「偲ぶ会」を計画されましたが、コロナ感染拡大で、人の集まることが制限されたために、出来ず仕舞いになりました。私自身も、同日に叔母が亡くなり、高宗先生の葬儀も知らず、ご家族からご連絡を受けて、仏壇にお参りしたのは年が明けしばらくしてからでした。
社会活動の先生として、長く指導を受けた方でした。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。






政治家の市長と、政治家の市議との活動の比較を指摘した、素晴らしい質問と思います。
2024年06月21日

市長の視点と言動と議員の活動との"バトル"に、注目しました。政治家の市長と、政治家の市議との活動の比較を指摘した、素晴らしい質問と思います。
皆さんは、この指摘をどう感じますか?
皆さんの周りに、同様のことがよく起こっています。ぜひ、関心を持って頂ければ嬉しいです。
老いを楽しむ3人の女性と評論家・樋口恵子さんの「7つのご機嫌のヒント」
2024年06月14日
<「今日がいちばん若い」の精神で>老いを楽しむ3人の女性と評論家・樋口恵子さんの「7つのご機嫌のヒント」〜ラジオ深夜便〜
6月11日、早朝ウォーキング中に楽しみで聴くNHKラジオ深夜便のインタビュー「明日への言葉」(午前4時5分〜45分)に、評論家の樋口恵子さんが2日連続で登場された。両日ともに聴いて、今年92歳の老女の言葉に、"老いを生きるヒント"をたくさんもらいました。
今日の市民からのコメント『ぱれっと』に、老いを楽しむ高齢女性の姿を見ることができる。かつて「恍惚の人」なる言葉が広かった時代がありましたが、樋口恵子さんの現役引退後の活動が素晴らしい。
『老いの上機嫌』7つのご機嫌のヒント
①せっかくの人生、楽しげに生きる
②人づきあいはさっぱりと
③「今日がいちばん若い」の精神で
④モノは無理に捨てない
⑤他人の長所をほめる
⑥「老い」をユーモアで笑い飛ばす
⑦誰かの「微助っ人」になろう
ラジオでは、10のヒントを語られていたように思いますが、本には「7つのヒント」となっているようです。
樋口恵子さんは、70歳で都知事選挙に出て、84歳で家を建て替え、92歳で夢を見れる人生が素晴らしい。
新聞の市民のコメントの3人の高齢女性の生き方にも惹かれます。
>「後期高齢者ですが、青春18きっぷを売ってくださいますか」と言ってみよう。
田舎では「免許返納」すると、動く足が無くなった感があるが、都会では公共交通機関が発達していて、それを駆使して動くことができるから・・・
"愚痴るより"、有り余る時間の使い方にあると、樋口恵子さんと3人の高齢女性の生き方が、教えているように思います。
>誰かの「微助っ人(ビスケット)」になろう
私の老いの居場所は、
・朝の登校指導(緑のおっちゃん)
・生活安全パトロール隊の活動
・フットパスの普及とイベント開催
>せっかくの人生、楽しげに生きる
・100キロウォークの挑戦
本日は、軽貨物の車検出し、九州龍馬会の会場下見、式次第づくり。夜は高校同窓会熊本市支部の役員会、その後の先輩たちとの一杯?
樋口恵子さんの「今日がいちばん若い」の精神で」、今日も気分良く過ごせればと思います。



6月11日、早朝ウォーキング中に楽しみで聴くNHKラジオ深夜便のインタビュー「明日への言葉」(午前4時5分〜45分)に、評論家の樋口恵子さんが2日連続で登場された。両日ともに聴いて、今年92歳の老女の言葉に、"老いを生きるヒント"をたくさんもらいました。
今日の市民からのコメント『ぱれっと』に、老いを楽しむ高齢女性の姿を見ることができる。かつて「恍惚の人」なる言葉が広かった時代がありましたが、樋口恵子さんの現役引退後の活動が素晴らしい。
『老いの上機嫌』7つのご機嫌のヒント
①せっかくの人生、楽しげに生きる
②人づきあいはさっぱりと
③「今日がいちばん若い」の精神で
④モノは無理に捨てない
⑤他人の長所をほめる
⑥「老い」をユーモアで笑い飛ばす
⑦誰かの「微助っ人」になろう
ラジオでは、10のヒントを語られていたように思いますが、本には「7つのヒント」となっているようです。
樋口恵子さんは、70歳で都知事選挙に出て、84歳で家を建て替え、92歳で夢を見れる人生が素晴らしい。
新聞の市民のコメントの3人の高齢女性の生き方にも惹かれます。
>「後期高齢者ですが、青春18きっぷを売ってくださいますか」と言ってみよう。
田舎では「免許返納」すると、動く足が無くなった感があるが、都会では公共交通機関が発達していて、それを駆使して動くことができるから・・・
"愚痴るより"、有り余る時間の使い方にあると、樋口恵子さんと3人の高齢女性の生き方が、教えているように思います。
>誰かの「微助っ人(ビスケット)」になろう
私の老いの居場所は、
・朝の登校指導(緑のおっちゃん)
・生活安全パトロール隊の活動
・フットパスの普及とイベント開催
>せっかくの人生、楽しげに生きる
・100キロウォークの挑戦
本日は、軽貨物の車検出し、九州龍馬会の会場下見、式次第づくり。夜は高校同窓会熊本市支部の役員会、その後の先輩たちとの一杯?
樋口恵子さんの「今日がいちばん若い」の精神で」、今日も気分良く過ごせればと思います。



文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。〜田辺聖子著『私の大阪八景』〜
2023年12月24日
文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。〜田辺聖子著『私の大阪八景』〜
冒頭の田辺聖子さんの言葉を読んで、
文明は、生活の豊かさが現れる。
文化は、人の生き方が記される。
明治の初めは文明開花を歌ったが、庶民はまだまだ江戸時代の文化そのままだった。
大統領や総理大臣の素晴らしい演説は文化であって、救急車や救急医療の充実は文明の発達である。
本日の熊日朝刊一面を読み、
自民党のパーティ収入は文明の力だが、参院選の年は全額還流は"阿部派の文化"だった。
文化と文明は、いっしょのようで中身は違う。田辺聖子さんの文を集めた『苦味を少々』に、以下の言葉がありました。
(以下、本より)
文明が進むほど、我々は不満不足だらけになる。不平不満は、なお、文明を生む。しかし、棺桶へ足つっこんで(アア、おもしろかった、どうぞみなさん、あとでごゆるり)という発想は文化なのであって、これは文明に関係ないからむつかしい。
〜田辺聖子著『古川柳おちぼひろい』〜
先週に、関東への視察研修で、地域のお金を地域で回す「デジタル地域通貨」の仕組みを勉強に行った。この地域通貨の維持には、行政の支え(多額の維持費)が必要で、毎年の出費が発生する。
地域でお金を回す発想は文化だが、それを動かす維持費の仕組みが新たな文明となる。
>文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。
文化は金がなくても出来(生まれ)るが、文明の維持には金(経済)が必要となる。
の意味を、田辺聖子は語っている。
年の瀬、市街地のイルミネーションやクリスマスマーケットは、現代の文明を現している。それを見ながら年末に人と語る忘年会は、日本の文化である。
文化と文明は背中合わせ、両方なければ人間社会の発展はない。
今年も残り8日、今夜はクリスマスイブで日曜日、みなさんにとって良き一日でありますように。
冒頭の田辺聖子さんの言葉を読んで、
文明は、生活の豊かさが現れる。
文化は、人の生き方が記される。
明治の初めは文明開花を歌ったが、庶民はまだまだ江戸時代の文化そのままだった。
大統領や総理大臣の素晴らしい演説は文化であって、救急車や救急医療の充実は文明の発達である。
本日の熊日朝刊一面を読み、
自民党のパーティ収入は文明の力だが、参院選の年は全額還流は"阿部派の文化"だった。
文化と文明は、いっしょのようで中身は違う。田辺聖子さんの文を集めた『苦味を少々』に、以下の言葉がありました。
(以下、本より)
文明が進むほど、我々は不満不足だらけになる。不平不満は、なお、文明を生む。しかし、棺桶へ足つっこんで(アア、おもしろかった、どうぞみなさん、あとでごゆるり)という発想は文化なのであって、これは文明に関係ないからむつかしい。
〜田辺聖子著『古川柳おちぼひろい』〜
先週に、関東への視察研修で、地域のお金を地域で回す「デジタル地域通貨」の仕組みを勉強に行った。この地域通貨の維持には、行政の支え(多額の維持費)が必要で、毎年の出費が発生する。
地域でお金を回す発想は文化だが、それを動かす維持費の仕組みが新たな文明となる。
>文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。
文化は金がなくても出来(生まれ)るが、文明の維持には金(経済)が必要となる。
の意味を、田辺聖子は語っている。
年の瀬、市街地のイルミネーションやクリスマスマーケットは、現代の文明を現している。それを見ながら年末に人と語る忘年会は、日本の文化である。
文化と文明は背中合わせ、両方なければ人間社会の発展はない。
今年も残り8日、今夜はクリスマスイブで日曜日、みなさんにとって良き一日でありますように。
<五十歳から自由な開放感で>『林住期』オマケの人生、だからこそ自由より
2023年12月19日
<五十歳から自由な開放感で>生まれてから二十五年間は、親や国に育て手もらう(現実は違うが?)。それから五十までの二十五年間は、妻や子供を養い、国や社会に恩を返す。〜『林住期』より〜
五木寛之さん曰く・・・
(以下、『林住期』オマケの人生、だからこそ自由より)
それは、よく耳にする「オマケの人生」である。八十代迄生きるにせよ、九十代までがんばるにせよ、五十過ぎからの時間がオマケであることは事実だろう。
オマケと考えれば、どう生きようと勝手ではないか。あーあ、ついに耐用期間を過ぎたか、と、ため息をつくより、突然、これまで感じたことのなかった自由な解放感をおぼえたほうが徳である。
(以上、本より)
50歳が境目?
私は、今年65歳になりました。
私は、22歳の時、建築事務所を開く夢を持って建築専門学校へ入学しました。そこに至るまでの3年の滞りが、今の私を作っているのですが・・・。当時は、3歳下の高卒入学組からは、私は浮いていました。でも救いはあるもので、同級生が他に2人も居て、専門学校とはそんなところでした。
今振り返るに、若干22歳の若造が、人生はやり直せると思い専門学校に入学し、頑張りました。以来、43年が過ぎました。
五木寛之さんの五十歳が境目(転換点)という話と、2年前の89歳の五木寛之さんの熊本講演は90分立ちっぱなしで話をされた姿、現在91歳で熊日に連載をされています。すごいな、と思います。
凡人は、五木寛之さんのようにはいきませんが、残された人生、どう時間を使って行くか、思案のしどころです。長いか、短いか、先はわかりませんが、人生のプランを構築する必要がある、と、おそまきながら思います。
昨夜天気予報も見ずに、朝ウォーキングと目覚ましをかけ起きて外の天気を確認したら雨でした。寝る前に読んだ『林住期』の一節を読み返し、"自由な開放感"な生き方で、老いを楽しんでおられる五木寛之さんから学びました。
五木寛之さん曰く・・・
(以下、『林住期』オマケの人生、だからこそ自由より)
それは、よく耳にする「オマケの人生」である。八十代迄生きるにせよ、九十代までがんばるにせよ、五十過ぎからの時間がオマケであることは事実だろう。
オマケと考えれば、どう生きようと勝手ではないか。あーあ、ついに耐用期間を過ぎたか、と、ため息をつくより、突然、これまで感じたことのなかった自由な解放感をおぼえたほうが徳である。
(以上、本より)
50歳が境目?
私は、今年65歳になりました。
私は、22歳の時、建築事務所を開く夢を持って建築専門学校へ入学しました。そこに至るまでの3年の滞りが、今の私を作っているのですが・・・。当時は、3歳下の高卒入学組からは、私は浮いていました。でも救いはあるもので、同級生が他に2人も居て、専門学校とはそんなところでした。
今振り返るに、若干22歳の若造が、人生はやり直せると思い専門学校に入学し、頑張りました。以来、43年が過ぎました。
五木寛之さんの五十歳が境目(転換点)という話と、2年前の89歳の五木寛之さんの熊本講演は90分立ちっぱなしで話をされた姿、現在91歳で熊日に連載をされています。すごいな、と思います。
凡人は、五木寛之さんのようにはいきませんが、残された人生、どう時間を使って行くか、思案のしどころです。長いか、短いか、先はわかりませんが、人生のプランを構築する必要がある、と、おそまきながら思います。
昨夜天気予報も見ずに、朝ウォーキングと目覚ましをかけ起きて外の天気を確認したら雨でした。寝る前に読んだ『林住期』の一節を読み返し、"自由な開放感"な生き方で、老いを楽しんでおられる五木寛之さんから学びました。
<人生はあなたが生きた跡>"壮年老い易く学成り難し"という訓示があります。貴方は、今おいくつですか?
2023年12月14日
<人生はあなたが生きた跡>"壮年老い易く学成り難し"という訓示があります。貴方は、今おいくつですか?
歴史に名を残す人たちは、"どんな人か?"です。
私の好きな偉人は、
坂本龍馬
横井小楠
は、常に金が足りなかった。
理論の目標の偉人は、
王陽明
は、官僚でしたが、辺地に左遷され、生きる死ぬの状況から、悟り(大吾)した。
高須晋作は、
窮地からー発起して、長州の権力を握った。
20世紀の偉人の尊敬するのは、
ガンジー
マザーテレサ
は、金などないが窮民を救う活動を一生続けた。
人間は成功よりも、晩年をどういう生き方をしたかで、その人の評価が決まる。
私も65歳、さてこれから何をするか、何を続けるか、です。人生は、長いようで短い。
あなたはいま何歳?
いくつまで生きるかは、天の決めることですが、生きた証し(歴史)は、自らの行動の跡です。
さて、明日から同動くか?
歴史に名を残す人たちは、"どんな人か?"です。
私の好きな偉人は、
坂本龍馬
横井小楠
は、常に金が足りなかった。
理論の目標の偉人は、
王陽明
は、官僚でしたが、辺地に左遷され、生きる死ぬの状況から、悟り(大吾)した。
高須晋作は、
窮地からー発起して、長州の権力を握った。
20世紀の偉人の尊敬するのは、
ガンジー
マザーテレサ
は、金などないが窮民を救う活動を一生続けた。
人間は成功よりも、晩年をどういう生き方をしたかで、その人の評価が決まる。
私も65歳、さてこれから何をするか、何を続けるか、です。人生は、長いようで短い。
あなたはいま何歳?
いくつまで生きるかは、天の決めることですが、生きた証し(歴史)は、自らの行動の跡です。
さて、明日から同動くか?
波瀾万丈の展開でなく、普通の人の日常に起きる「小さな」こと描く。〜山田太一〜
2023年12月02日
波瀾万丈の展開でなく、普通の人の日常に起きる「小さな」こと描く。〜山田太一〜
『ふぞろいの林檎たち』は見ましたね!
山田太一さんが、お亡くなりになりました。89歳、死因は老衰とあり、私の父も89歳でしたので、同じような終わり方だったのかなあ、と思いました。
熊日のコラム『新生面』に、以下のことが書かれていました。
「時代の流れ学校激しく太くなった時にはとるに足らないものになって行く小さな本当、小さな矛盾、小さな誤解、小さな深淵、小さな善悪、小さな夢、小さな物語は、まだ日本では書く余地がある」〜山田太一『文芸別冊』〜
映画から、テレビへ
>沈滞した撮影所に比べて、はるかに活気のあったテレビ局に大きな可能性を感じたため
山田太一さんは、映画界からテレビに夢を移し、大きな功績を残されました。我々のここらにもたくさんの夢を与えていただきました。
現代は、ネット時代に変わった。
YouTuber(ユーチューバー)なる仕事をする人が増えている。
情報発信は、時代と技術開発によって変わる。
江戸時代は「瓦版」
明治時代は「新聞」
大正時代「ラジオ」と「映画」
昭和時代「テレビ」
平成時代「インターネット」
令和時代「???」
今は、新聞、ラジオ、テレビ、インターネットを混在しそれぞれを活用する時代になりました。
どんな時代になろうと、山田太一さんが描いた、普通の人の日常は変わらない。
>小さな夢、小さな物語は、まだ日本では書く余地がある
この言葉には、納得して賛同するところです。
小さな夢を持ち、それぞれの物語を作っていけば良いと思います。
山田太一さんのご冥福をお祈りします。(合掌)
『ふぞろいの林檎たち』は見ましたね!
山田太一さんが、お亡くなりになりました。89歳、死因は老衰とあり、私の父も89歳でしたので、同じような終わり方だったのかなあ、と思いました。
熊日のコラム『新生面』に、以下のことが書かれていました。
「時代の流れ学校激しく太くなった時にはとるに足らないものになって行く小さな本当、小さな矛盾、小さな誤解、小さな深淵、小さな善悪、小さな夢、小さな物語は、まだ日本では書く余地がある」〜山田太一『文芸別冊』〜
映画から、テレビへ
>沈滞した撮影所に比べて、はるかに活気のあったテレビ局に大きな可能性を感じたため
山田太一さんは、映画界からテレビに夢を移し、大きな功績を残されました。我々のここらにもたくさんの夢を与えていただきました。
現代は、ネット時代に変わった。
YouTuber(ユーチューバー)なる仕事をする人が増えている。
情報発信は、時代と技術開発によって変わる。
江戸時代は「瓦版」
明治時代は「新聞」
大正時代「ラジオ」と「映画」
昭和時代「テレビ」
平成時代「インターネット」
令和時代「???」
今は、新聞、ラジオ、テレビ、インターネットを混在しそれぞれを活用する時代になりました。
どんな時代になろうと、山田太一さんが描いた、普通の人の日常は変わらない。
>小さな夢、小さな物語は、まだ日本では書く余地がある
この言葉には、納得して賛同するところです。
小さな夢を持ち、それぞれの物語を作っていけば良いと思います。
山田太一さんのご冥福をお祈りします。(合掌)
>愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして。
2023年11月30日
<男女協働>愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして。〜田辺聖子著『めぇ〜る』〜
たまには、やわらかい話もします。
作家の田辺聖子さんの言葉には、社会改革を感じるものが、たくさんあります。女性作家が当たり前の時代になりました。女性が仕事をするのは当たり前、仕事が主で、家庭は二の次になっている人たちも多いようにも思いますが、逆な見方をすれば、男たちは家庭を顧みない輩ばかりだから、定年離婚が増えているとも・・・
田辺聖子さんにしろ、曽野綾子さんにしろ、男分析の鋭さは天下一品で、こちらは舌を巻くしかない。
しかし、ご両人には伴侶があられ、それなりの夫婦生活があります。
冒頭の言葉は、以下の部分の伐採です。
『上機嫌な言葉 366日』の11月29日の言葉です。
(以下、本より)
これからの女性は、きっと仕事を生き甲斐にする、という人がふえるでしょう。ただ、その場合も、もし、愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして、そちらの人生でも生きてほしいのです。
〜『めぇ〜る」より〜
田辺聖子さんの言葉は、手厳しいですが、大人の優しさを感じるものがたくさんあります。男と女、夫婦、恋人、男女友達、色々な男女関係を文に綴る天才だなぁ、つくづく思います。
>甘い、やわらかい部分
思いやりの心を持ち続けたいものですね。それこそ、不思議な生き物の人間ですが、男女はパートナーとして、人生の友人としてどう付き合うか、課題であり、楽しみでもあります。
*参考資料:『上機嫌な言葉 366日』
たまには、やわらかい話もします。
作家の田辺聖子さんの言葉には、社会改革を感じるものが、たくさんあります。女性作家が当たり前の時代になりました。女性が仕事をするのは当たり前、仕事が主で、家庭は二の次になっている人たちも多いようにも思いますが、逆な見方をすれば、男たちは家庭を顧みない輩ばかりだから、定年離婚が増えているとも・・・
田辺聖子さんにしろ、曽野綾子さんにしろ、男分析の鋭さは天下一品で、こちらは舌を巻くしかない。
しかし、ご両人には伴侶があられ、それなりの夫婦生活があります。
冒頭の言葉は、以下の部分の伐採です。
『上機嫌な言葉 366日』の11月29日の言葉です。
(以下、本より)
これからの女性は、きっと仕事を生き甲斐にする、という人がふえるでしょう。ただ、その場合も、もし、愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして、そちらの人生でも生きてほしいのです。
〜『めぇ〜る」より〜
田辺聖子さんの言葉は、手厳しいですが、大人の優しさを感じるものがたくさんあります。男と女、夫婦、恋人、男女友達、色々な男女関係を文に綴る天才だなぁ、つくづく思います。
>甘い、やわらかい部分
思いやりの心を持ち続けたいものですね。それこそ、不思議な生き物の人間ですが、男女はパートナーとして、人生の友人としてどう付き合うか、課題であり、楽しみでもあります。
*参考資料:『上機嫌な言葉 366日』
<100キロウォーク>平常心、感情の振れ幅、感情は素直に表現して、なおかつ抑制がきいているのが美しい振る舞い。
2023年09月16日
<100キロウォーク>平常心、感情の振れ幅、感情は素直に表現して、なおかつ抑制がきいているのが美しい振る舞い。〜比べない練習、比べない仕事〜
マイペースという考え方、生き方がある。
自分の歩調で、自分のペースで。
11年前の8月4日に始めたのが、「薩長同盟ウォーク500キロ」(鹿児島市〜下関市、17日間)の熊本ステージの4日間92キロへの挑戦でした。練習初日は3キロの散歩でした。約4ヶ月の間に、一日に22キロまで歩けるようになり、4日間の内で最長32キロ、雨の歩行でしたが歩き切りました。
「薩長同盟ウォーク500キロ」とは、平均年齢68歳(最高齢78歳)男女30人の方たちで、その2年後には下関市〜京都御所、そのまた2年後には京都御所〜江戸城を完歩されました。要するに、幕末の志士・坂本龍馬が歩いた道を巡る歩く旅の再現でした。
熊本ステージを歩く中で、参加者と話して聞いたのが「行橋別府100キロウォーク」でした。なんと30人中半数以上の方が、歩いていました。"そんなイベントが世の中にはあるのか!"と驚いたことでした。60代後半の女性が、「還暦を機会に100キロ挑戦して、20時間で歩いた」と話されたことが、ずっと頭にあり、"いつか私も"の思いが強くなり、薩長同盟ウォークから5年後の59歳の時に「第19回行橋別府100キロウォーク」に初挑戦して、19時間44分で完歩できました。
これこそ、自分のペースで歩くイベントで、誰とも競争する必要はなく、ただただひたすら自分と対話しながら歩く「歩禅」の修行みたいな体験でした。歩ききった身体は、ガタガタ、足はピノキオ状態になっていました。しかし、歩き切った達成感は、感動ものでした。これこそマイペースで歩く体験だと振り返ります。
初回挑戦から3年後、行橋別府100キロウォークに挑戦しようと申し込んだが、遅かったので抽選となり落選した。そこで他にもと、「飯塚武雄100キロウォーク」に申し込んだ。参加人数は、行橋別府の1/10程度の参加でしたが、完歩でき、これも素晴らしい体験となりました。ちなみに、19時間11分で完歩できました。もちろんマイペースです。
今年は、申し込み忘れないように、何度もホームページを確認して、申し込み初日の登録しましたが、4ヶ月後のことなので、参加費の払込は、秋の行事をギリギリまで確認していました。払込んだら、コツコツと歩く練習です。大会前日には行橋に入るので、歩く連絡もあと19日ほどになりました。
大会のキーワード「歩禅」の言葉ではないですが、完歩できるかもマイペースしだいです。
しかし、振り返ると、最初の挑戦では、早く歩く人に引っ張れた感がありました。2度目は、私とほぼ歩くスピードの人を探して付いて行ったようで、周りに影響された感があるように思います。
今回3度目、日頃の練習というか歩調で、周りに左右されることなく、マイペースで歩いてみたいと考えています。
目標は完歩ですが、できれば6年前の記録を超えること、さらにはコースは違いますが、3年前の19時間11分を目指して、マイペースで歩きたいと思います。
冒頭の言葉は、『禅、比べない生活』にある、禅的「平常心」の保ち方にある一節です。そのページの末尾には、
>感情のまま自然に動いていいのです。しかし、いつまでもそこにとどまってはいない、小さな振れ幅であるべき場所に戻ってくる。
小さな振れ幅とは?
何もしないのが平常心ではなく、小さなチャレンジの意識"心の振動"のことでは、と読みました。
昨年の「第24回行橋別府100キロウォーク」の完歩者の最高齢は85歳、最年少は10歳、完歩率74%でした。
3度目の100キロ挑戦は、65歳4ヶ月、世間一般の高齢者になったばかり、はたして結果はどうなるか?、不安でもあり、楽しみでもあります。
マイペースという考え方、生き方がある。
自分の歩調で、自分のペースで。
11年前の8月4日に始めたのが、「薩長同盟ウォーク500キロ」(鹿児島市〜下関市、17日間)の熊本ステージの4日間92キロへの挑戦でした。練習初日は3キロの散歩でした。約4ヶ月の間に、一日に22キロまで歩けるようになり、4日間の内で最長32キロ、雨の歩行でしたが歩き切りました。
「薩長同盟ウォーク500キロ」とは、平均年齢68歳(最高齢78歳)男女30人の方たちで、その2年後には下関市〜京都御所、そのまた2年後には京都御所〜江戸城を完歩されました。要するに、幕末の志士・坂本龍馬が歩いた道を巡る歩く旅の再現でした。
熊本ステージを歩く中で、参加者と話して聞いたのが「行橋別府100キロウォーク」でした。なんと30人中半数以上の方が、歩いていました。"そんなイベントが世の中にはあるのか!"と驚いたことでした。60代後半の女性が、「還暦を機会に100キロ挑戦して、20時間で歩いた」と話されたことが、ずっと頭にあり、"いつか私も"の思いが強くなり、薩長同盟ウォークから5年後の59歳の時に「第19回行橋別府100キロウォーク」に初挑戦して、19時間44分で完歩できました。
これこそ、自分のペースで歩くイベントで、誰とも競争する必要はなく、ただただひたすら自分と対話しながら歩く「歩禅」の修行みたいな体験でした。歩ききった身体は、ガタガタ、足はピノキオ状態になっていました。しかし、歩き切った達成感は、感動ものでした。これこそマイペースで歩く体験だと振り返ります。
初回挑戦から3年後、行橋別府100キロウォークに挑戦しようと申し込んだが、遅かったので抽選となり落選した。そこで他にもと、「飯塚武雄100キロウォーク」に申し込んだ。参加人数は、行橋別府の1/10程度の参加でしたが、完歩でき、これも素晴らしい体験となりました。ちなみに、19時間11分で完歩できました。もちろんマイペースです。
今年は、申し込み忘れないように、何度もホームページを確認して、申し込み初日の登録しましたが、4ヶ月後のことなので、参加費の払込は、秋の行事をギリギリまで確認していました。払込んだら、コツコツと歩く練習です。大会前日には行橋に入るので、歩く連絡もあと19日ほどになりました。
大会のキーワード「歩禅」の言葉ではないですが、完歩できるかもマイペースしだいです。
しかし、振り返ると、最初の挑戦では、早く歩く人に引っ張れた感がありました。2度目は、私とほぼ歩くスピードの人を探して付いて行ったようで、周りに影響された感があるように思います。
今回3度目、日頃の練習というか歩調で、周りに左右されることなく、マイペースで歩いてみたいと考えています。
目標は完歩ですが、できれば6年前の記録を超えること、さらにはコースは違いますが、3年前の19時間11分を目指して、マイペースで歩きたいと思います。
冒頭の言葉は、『禅、比べない生活』にある、禅的「平常心」の保ち方にある一節です。そのページの末尾には、
>感情のまま自然に動いていいのです。しかし、いつまでもそこにとどまってはいない、小さな振れ幅であるべき場所に戻ってくる。
小さな振れ幅とは?
何もしないのが平常心ではなく、小さなチャレンジの意識"心の振動"のことでは、と読みました。
昨年の「第24回行橋別府100キロウォーク」の完歩者の最高齢は85歳、最年少は10歳、完歩率74%でした。
3度目の100キロ挑戦は、65歳4ヶ月、世間一般の高齢者になったばかり、はたして結果はどうなるか?、不安でもあり、楽しみでもあります。
いろんなお話を聴かせていただいた中村青史先生のご逝去を知り、生前の姿を思い出します。
2023年08月23日

いろんなお話を聴かせていただいた中村青史先生のご逝去を知り、生前の姿を思い出します。
私の中村先生との縁は、私がお手伝いしていた九州東海大学の故高宗昭敏教授と中村先生との交流やイベント等でお会いしてきました。高宗先生が病を患い、さらにコロナ禍で、歴史顕彰活動が出来ない状況から、お会いすることが無くなりました。
徳富蘇峰、徳富蘆花に関する研究会で、お話をされる和やかで優しい語り口を懐かしく思い出します。
ここ数日読む、『人間の建設』に、徳富蘆花のことが記されていました。ロシアまで出向き、トルストイに面会した話です。
批評家の小林秀雄と哲学者の岡潔との対談録『人間の建設』から、
岡)トルストイは人としてたいへん偉いですか。
小林)偉いです。
岡)徳富蘆花は会って感心して帰ってきましたね。
小林)私はモスクワへ行って、トルストイの家を見ましたが、感動しました。『アンナ・カレーニナ』を書いた部屋です。岡さんは「コサック」という作品をお読みですか。
岡)ええ、読みました。
小林)あれは青春時代の作ですが、トルストイの方向はあれでもう決まってしまっているのです。(中略)
(以上、『人間の建設』より)
作家や研究者は、作家本人に会い、またかつて住んでいた歴史の現場に出向き、そこで感じたことを糧に、いろんな話を組み立てているのか、と知らされます。
>徳富蘆花は(トルストイに)会って感心して帰ってきましたね。
ジャーナリストである徳富蘆花のとてもリアルな話しですね。
中村青史先生も、徳富蘇峰・蘆花が生まれ育った水俣でのことやジャーナリストとして活躍したこと、熊本での歴史的な役割等にも深く調べて語られていました。ほんと私がまだ30代後半に出会うのですが、何度もお会いし、お話をしたことを思い出します。
しかし、徳富蘆花の言動に、小林秀雄や岡潔も関心を持っていたことを知り、中村先生が、熊本の偉人顕彰をやられたことをまた学びたくなりました。
コロナ禍で一時休止した徳富蘇峰・蘆花の研究、顕彰が再開し、これからも後世に継続されていくことを願いつつ、中村青史先生のご冥福をお祈りいたします。
<うつ病・認知症>50〜75歳の心身をどう維持するのか?、学び・書き・歩く。
2023年08月15日
<うつ病・認知症>50〜75歳の心身をどう維持するのか?、学び・書き・歩く。
〜五木寛之著『林住期』より〜
>ボケてしまえばうつ病は起こらない。うつ病はボケより手前に待ちかまえている怪物だ。そして、第三の人生、すなわち五十歳から七十五歳までの二十五年において、もっともおちいりやすい難病である。
>初老性のうつ病、などと気軽にいう。しかし、本当のうつ病はそんな月並みな成人病とはちがう。真の人生の危機を体感するおそろしい友なのだ。
(以上、本より)
>ボケてしまえばうつ病は起こらない。
なんか怖い話です。
私の父は、母が脳梗塞で倒れ入院した。パートナーが家から突然に居なくなり、また私たちも仕事で平日は家に居ないので、お昼はひとりぼっちになった。寂しさから落ち込み、うつ病の症状が出てきた。
そんな生活が3ヶ月ほど続いたころ、「年金手帳が無くなった」騒動が起こった。私が持ち出した、との父からの指摘でした。実は、私は父たちの年金手帳なるものを一度も見たことが無いので、父との口喧嘩となりました。
周りのすすめもあり、父に精神科を受診してもらった。結果は、アルツハイマー病性認知症と診断され、かなり進行している話を聞いた。父、83歳半ばのことでした。
長生きすれば、半分の人は、認知症を患うとの話も聞く、こわい病と思います。
父は、まだらうつ病から、認知症に進行していきました。亡くなる前には、家族の顔を分からなくなりました。
うつ病
認知症
>初老性のうつ病、などと気軽にいう。
本人はわからない認知症は、実は日常生活を一緒にしている家族も気づきにくい。しかし、自らの状態を受け入れ、残る能力や感性を大事に生きる生き方があることを、新聞等の話題て知る機会があった。
五木寛之さんは、
>ボケないために、また脳力アップのためにと、せっせと脳トレにはげんでいるうちに、ストンと"うつの谷間"におちこんでしまう危険性頑張って大きい。記憶力や反射神経の衰えを自覚すればするほど、人はうつに接近していくのである。
(以上、『林住期』より)
私に、中国古典の学びを導かれた先輩は、身体の衰えはありましたが、認知症(ボケ)にはなられなかった。学びを深める行為は、認知症を抑える。
100キロウォークの3回目に出ようと思うきっかけは、初めて参加した第19回行橋別府100キロウォークのオープニングの時に紹介された88歳のウォーカーの話に聞き入りました。アナウンスは「86歳まで完歩したが、87歳は完歩できなかったので、また参加された」の内容でした。ウォーキングは、身体の体調維持になる。
人間、何か目標がないと継続しないものです。ネットを利用したコメント作成は、社会活動を指導していただいた大先輩から「読むだけではダメです、毎日書きなさい」の指摘から、2002年6月から毎日欠かすことなく駄文を書い続けてきました。
うつ病と認知症の予防に効果があるかは別として、学びと運動を習慣化することで、朝から気分よくご飯も美味しい、晴栽雨読の実践も体力・気力維持に役立つように思います。
古典を学び、日々書くことを21年、歩くことを11年続けてきました。後半生は、どうなるかは不明ですが、ラジオを聴きながらの週休3日のウォーキングを続けたいと思います。
長々と書きました。最後までお読みいただきありがとうございます♪
〜五木寛之著『林住期』より〜
>ボケてしまえばうつ病は起こらない。うつ病はボケより手前に待ちかまえている怪物だ。そして、第三の人生、すなわち五十歳から七十五歳までの二十五年において、もっともおちいりやすい難病である。
>初老性のうつ病、などと気軽にいう。しかし、本当のうつ病はそんな月並みな成人病とはちがう。真の人生の危機を体感するおそろしい友なのだ。
(以上、本より)
>ボケてしまえばうつ病は起こらない。
なんか怖い話です。
私の父は、母が脳梗塞で倒れ入院した。パートナーが家から突然に居なくなり、また私たちも仕事で平日は家に居ないので、お昼はひとりぼっちになった。寂しさから落ち込み、うつ病の症状が出てきた。
そんな生活が3ヶ月ほど続いたころ、「年金手帳が無くなった」騒動が起こった。私が持ち出した、との父からの指摘でした。実は、私は父たちの年金手帳なるものを一度も見たことが無いので、父との口喧嘩となりました。
周りのすすめもあり、父に精神科を受診してもらった。結果は、アルツハイマー病性認知症と診断され、かなり進行している話を聞いた。父、83歳半ばのことでした。
長生きすれば、半分の人は、認知症を患うとの話も聞く、こわい病と思います。
父は、まだらうつ病から、認知症に進行していきました。亡くなる前には、家族の顔を分からなくなりました。
うつ病
認知症
>初老性のうつ病、などと気軽にいう。
本人はわからない認知症は、実は日常生活を一緒にしている家族も気づきにくい。しかし、自らの状態を受け入れ、残る能力や感性を大事に生きる生き方があることを、新聞等の話題て知る機会があった。
五木寛之さんは、
>ボケないために、また脳力アップのためにと、せっせと脳トレにはげんでいるうちに、ストンと"うつの谷間"におちこんでしまう危険性頑張って大きい。記憶力や反射神経の衰えを自覚すればするほど、人はうつに接近していくのである。
(以上、『林住期』より)
私に、中国古典の学びを導かれた先輩は、身体の衰えはありましたが、認知症(ボケ)にはなられなかった。学びを深める行為は、認知症を抑える。
100キロウォークの3回目に出ようと思うきっかけは、初めて参加した第19回行橋別府100キロウォークのオープニングの時に紹介された88歳のウォーカーの話に聞き入りました。アナウンスは「86歳まで完歩したが、87歳は完歩できなかったので、また参加された」の内容でした。ウォーキングは、身体の体調維持になる。
人間、何か目標がないと継続しないものです。ネットを利用したコメント作成は、社会活動を指導していただいた大先輩から「読むだけではダメです、毎日書きなさい」の指摘から、2002年6月から毎日欠かすことなく駄文を書い続けてきました。
うつ病と認知症の予防に効果があるかは別として、学びと運動を習慣化することで、朝から気分よくご飯も美味しい、晴栽雨読の実践も体力・気力維持に役立つように思います。
古典を学び、日々書くことを21年、歩くことを11年続けてきました。後半生は、どうなるかは不明ですが、ラジオを聴きながらの週休3日のウォーキングを続けたいと思います。
長々と書きました。最後までお読みいただきありがとうございます♪
>五十歳からの二十五年を「林住期」、以後を「遊行期」という、まさに死を見つめて生きる。〜五木寛之〜
2023年04月20日
<文化の成熟の担い手>五十歳からの二十五年を「林住期」、以後を「遊行期」という、まさに死を見つめて生きる。〜五木寛之〜
4月8日に開催した手づくり作家作品展示交流会「第4回オリジナルinうと」を開催して思うのが、作家の多くが50代以後の女性が中心だった。私の作務衣を仕立ていただいた方は、70代の女性です。人生の後半生をどう生きるか、考える時に、"手づくり"をやってみたいと思う人は少ないないと思います。
冒頭の言葉の解説は、
文化の成熟の担い手
今の時代を支える最大グループこそ、いま若者志向社会から「ジジイ」あつかいされている五十第から六十代の最多世代にちがいない。すなわち「林住期」に属する団塊こそが、この国の文化と精神の成熟の担い手となるのではあるまいか。
(以上、『林住期』より)
私は、「林住期」の後半に差し掛かっていますが、文化や芸術の担い手なっているか、考えなければと、朝から思いました。
50〜75歳、人生の後半生をどう生きるか、いくつになっても考え悩む生だなぁ、と朝から思いました。
4月8日に開催した手づくり作家作品展示交流会「第4回オリジナルinうと」を開催して思うのが、作家の多くが50代以後の女性が中心だった。私の作務衣を仕立ていただいた方は、70代の女性です。人生の後半生をどう生きるか、考える時に、"手づくり"をやってみたいと思う人は少ないないと思います。
冒頭の言葉の解説は、
文化の成熟の担い手
今の時代を支える最大グループこそ、いま若者志向社会から「ジジイ」あつかいされている五十第から六十代の最多世代にちがいない。すなわち「林住期」に属する団塊こそが、この国の文化と精神の成熟の担い手となるのではあるまいか。
(以上、『林住期』より)
私は、「林住期」の後半に差し掛かっていますが、文化や芸術の担い手なっているか、考えなければと、朝から思いました。
50〜75歳、人生の後半生をどう生きるか、いくつになっても考え悩む生だなぁ、と朝から思いました。
<WBC優勝>青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。〜サムエル・ウルマン〜
2023年03月23日
<WBC優勝>青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。〜サムエル・ウルマン〜
昨日のWBCの決勝を見て思うに、若者たちの生き生きした姿に「青春の輝き」と思いました。
何かに一生懸命になる姿こそが、周りに影響与えて、未来を夢見る人を鼓舞する。
青春
この言葉を、思い起こした人も多いと思います。サムエル・ウルマンの詩にある言葉、
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
信念、自信、希望
まさに、WBCに出場した国々の若者たちは、母国の若者たちに3つのメッセージを発信していたと思います。
老いても若々しくありたい。
そんな希望を与えた、日本の野球選手たちに、祝福と感謝の言葉を贈りたいと思います。
昨日のWBCの決勝を見て思うに、若者たちの生き生きした姿に「青春の輝き」と思いました。
何かに一生懸命になる姿こそが、周りに影響与えて、未来を夢見る人を鼓舞する。
青春
この言葉を、思い起こした人も多いと思います。サムエル・ウルマンの詩にある言葉、
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
信念、自信、希望
まさに、WBCに出場した国々の若者たちは、母国の若者たちに3つのメッセージを発信していたと思います。
老いても若々しくありたい。
そんな希望を与えた、日本の野球選手たちに、祝福と感謝の言葉を贈りたいと思います。
government of the people, by the people, for the people,
2023年03月21日
<心を育てる言葉>government of the people, by the people, for the people, 〜リンカーン(第16代アメリカ合衆国大統領)〜
南北戦争時代、奴隷制度の問題、国内が二つに分かれた戦い、アメリカも発展途上国だったころ、リンカーンの言葉は、国民に届いたことと思います。
リンカーンの名言
成功するためのあなたの決意が何よりも重要であることを、常に心に留めておきなさい。
⇒ Always bear in mind that your own resolution to succeed is more important than any one thing.
リンカーンは、いろいろ名言を発しています。そのひとつ、憲法に関しての一つが、以下です。
憲法には何も干渉してはいけない。それは我らの自由の唯一の防衛手段なので、維持されなければならない。
⇒ Don’t interfere with anything in the Constitution. That must be maintained, for it is the only safeguard of our liberties.
そして、名言の中で、誰でも一度は聞いたことのあるゲティスバーグでの演説です。末尾の一節を転載します。
(以下、ゲティスバーグの演説より)
we here highly resolve that these dead shall not have died in vain; that this nation, under God, shall have a new birth of freedom; and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.
⇒ われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。
(解説)
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。〜web情報より〜
以下、リンカーンの演説文
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2390/
朝から、アメリカの歴史を動かした偉人・リンカーンの名言を学びました。リンカーンは、たくさんの示唆ある言葉を残しています。一度検索してみるのも良いかもしれません。
南北戦争時代、奴隷制度の問題、国内が二つに分かれた戦い、アメリカも発展途上国だったころ、リンカーンの言葉は、国民に届いたことと思います。
リンカーンの名言
成功するためのあなたの決意が何よりも重要であることを、常に心に留めておきなさい。
⇒ Always bear in mind that your own resolution to succeed is more important than any one thing.
リンカーンは、いろいろ名言を発しています。そのひとつ、憲法に関しての一つが、以下です。
憲法には何も干渉してはいけない。それは我らの自由の唯一の防衛手段なので、維持されなければならない。
⇒ Don’t interfere with anything in the Constitution. That must be maintained, for it is the only safeguard of our liberties.
そして、名言の中で、誰でも一度は聞いたことのあるゲティスバーグでの演説です。末尾の一節を転載します。
(以下、ゲティスバーグの演説より)
we here highly resolve that these dead shall not have died in vain; that this nation, under God, shall have a new birth of freedom; and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.
⇒ われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。
(解説)
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。〜web情報より〜
以下、リンカーンの演説文
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2390/
朝から、アメリカの歴史を動かした偉人・リンカーンの名言を学びました。リンカーンは、たくさんの示唆ある言葉を残しています。一度検索してみるのも良いかもしれません。
<尊敬する人物は居ますか?>ジョン・F・ケネディ大統領が、もっと関心を持った日本人が「上杉鷹山」だった。〜「伝国之辞」〜
2023年02月14日
<尊敬する人物は居ますか?>ジョン・F・ケネディ大統領が、もっと関心を持った日本人が「上杉鷹山」だった。〜「伝国之辞」〜
これは、ケネディ大統領が亡くなった後に、日本へ伝わって来た話ですが、
「日本人で一番関心のあるのが上杉鷹山だ」
と語ったことが伝わっている。そのきっかけとなったのが、上杉鷹山の実子の上杉治広に与えた「伝国之辞」という訓戒書が、内村鑑三が英文に訳した『代表的な日本人』の中にあった。
伝国之辞
一、国家は、先祖より子孫へ伝候国家にして、我私すべき物には無之候、
一、人民は、国家に属したる人民にして、我私すべき物には無之候、
一、国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民には無之候、
右三条、御遺念有間敷候事、
天明五巳年二月七日
治広殿 机前
【意味】
土地も人民も、国に属しているもので、私有物ではない。また、藩主というのはその土地と住民のために存在するものであって、土地や住民が大名のために存在しているわけではない。
(以上、『上杉鷹山と細井平洲』より)
人の関心とは、どの国のどんな人物に向くかわからないな、と気付かされます。
私は、私にある中国古典乱読会「中澄会」の塾長だった故米澄邦夫氏とのご縁から陽明学を知り、その創始者・王陽明という歴史上の人物を知ることになる。若い頃に買った人類の知的遺産という歴史書シリーズの中にあった『王陽明』を、20年の時を越えて(それまでは積ん読だった)読むことになる。
官僚だった王陽明は、政敵の策略で、辺境の地へ追いやられる。しかし、王陽明は、それを受け入れて、辺境の地で覚醒して活躍し、都へ復帰する。
この覚醒のことを「大悟(だいご)」という。仏語の言葉ですが、意味は、迷妄を脱して真理を悟ること。
王陽明の悟りの言葉に、「抜本塞源論」というものがあります。
悪(私利私欲)の気持ちを生まない(蓋をする)心の育成。
抽象的なのですが、良心のままに人と接していく考え方、と私は勝手に理解しています。
話は、あっちこっち飛びましたが、人は何かのきっかけで、歴史上の人物に出会い、敬慕の念を持つ。細井平洲を敬慕した上杉鷹山を、内村鑑三が英訳した本を読み、ジョン・F・ケネディ大統領が、敬慕した。
幕末の陽明学者・山田方谷は、弟子の河井継之助に、以下のことを語っている。
「本で学ぶことがなくなったら、地域の先輩に学べ、それでも学ぶことがなくなったら日本中、次に世界中から学ぶ人を探せ、それでもいなければ、歴史上の偉人に学べ」
という意味のことを訓示しました。
正に、ジョン・F・ケネディ大統領は、上杉鷹山の言葉に、覚醒したのだと思います。若い人たちに、知ってほしいのは、自らの目指す人物に、早く出会い、目標とすることは、後の人生を大きく影響を与えます。
あなたの目指す人物はいますか?
そんな問いを持ってほしいです。
朝から、話しが長くなりました、最後までお読みいただきありがとうございます。
https://m.facebook.com/profile.php?id=100002101041055
これは、ケネディ大統領が亡くなった後に、日本へ伝わって来た話ですが、
「日本人で一番関心のあるのが上杉鷹山だ」
と語ったことが伝わっている。そのきっかけとなったのが、上杉鷹山の実子の上杉治広に与えた「伝国之辞」という訓戒書が、内村鑑三が英文に訳した『代表的な日本人』の中にあった。
伝国之辞
一、国家は、先祖より子孫へ伝候国家にして、我私すべき物には無之候、
一、人民は、国家に属したる人民にして、我私すべき物には無之候、
一、国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民には無之候、
右三条、御遺念有間敷候事、
天明五巳年二月七日
治広殿 机前
【意味】
土地も人民も、国に属しているもので、私有物ではない。また、藩主というのはその土地と住民のために存在するものであって、土地や住民が大名のために存在しているわけではない。
(以上、『上杉鷹山と細井平洲』より)
人の関心とは、どの国のどんな人物に向くかわからないな、と気付かされます。
私は、私にある中国古典乱読会「中澄会」の塾長だった故米澄邦夫氏とのご縁から陽明学を知り、その創始者・王陽明という歴史上の人物を知ることになる。若い頃に買った人類の知的遺産という歴史書シリーズの中にあった『王陽明』を、20年の時を越えて(それまでは積ん読だった)読むことになる。
官僚だった王陽明は、政敵の策略で、辺境の地へ追いやられる。しかし、王陽明は、それを受け入れて、辺境の地で覚醒して活躍し、都へ復帰する。
この覚醒のことを「大悟(だいご)」という。仏語の言葉ですが、意味は、迷妄を脱して真理を悟ること。
王陽明の悟りの言葉に、「抜本塞源論」というものがあります。
悪(私利私欲)の気持ちを生まない(蓋をする)心の育成。
抽象的なのですが、良心のままに人と接していく考え方、と私は勝手に理解しています。
話は、あっちこっち飛びましたが、人は何かのきっかけで、歴史上の人物に出会い、敬慕の念を持つ。細井平洲を敬慕した上杉鷹山を、内村鑑三が英訳した本を読み、ジョン・F・ケネディ大統領が、敬慕した。
幕末の陽明学者・山田方谷は、弟子の河井継之助に、以下のことを語っている。
「本で学ぶことがなくなったら、地域の先輩に学べ、それでも学ぶことがなくなったら日本中、次に世界中から学ぶ人を探せ、それでもいなければ、歴史上の偉人に学べ」
という意味のことを訓示しました。
正に、ジョン・F・ケネディ大統領は、上杉鷹山の言葉に、覚醒したのだと思います。若い人たちに、知ってほしいのは、自らの目指す人物に、早く出会い、目標とすることは、後の人生を大きく影響を与えます。
あなたの目指す人物はいますか?
そんな問いを持ってほしいです。
朝から、話しが長くなりました、最後までお読みいただきありがとうございます。
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