文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。〜田辺聖子著『私の大阪八景』〜

2023年12月24日

文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。〜田辺聖子著『私の大阪八景』〜

冒頭の田辺聖子さんの言葉を読んで、

文明は、生活の豊かさが現れる。

文化は、人の生き方が記される。

明治の初めは文明開花を歌ったが、庶民はまだまだ江戸時代の文化そのままだった。

大統領や総理大臣の素晴らしい演説は文化であって、救急車や救急医療の充実は文明の発達である。

本日の熊日朝刊一面を読み、

自民党のパーティ収入は文明の力だが、参院選の年は全額還流は"阿部派の文化"だった。

文化と文明は、いっしょのようで中身は違う。田辺聖子さんの文を集めた『苦味を少々』に、以下の言葉がありました。

(以下、本より)

文明が進むほど、我々は不満不足だらけになる。不平不満は、なお、文明を生む。しかし、棺桶へ足つっこんで(アア、おもしろかった、どうぞみなさん、あとでごゆるり)という発想は文化なのであって、これは文明に関係ないからむつかしい。
〜田辺聖子著『古川柳おちぼひろい』〜

先週に、関東への視察研修で、地域のお金を地域で回す「デジタル地域通貨」の仕組みを勉強に行った。この地域通貨の維持には、行政の支え(多額の維持費)が必要で、毎年の出費が発生する。

地域でお金を回す発想は文化だが、それを動かす維持費の仕組みが新たな文明となる。

>文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。

文化は金がなくても出来(生まれ)るが、文明の維持には金(経済)が必要となる。

の意味を、田辺聖子は語っている。

年の瀬、市街地のイルミネーションやクリスマスマーケットは、現代の文明を現している。それを見ながら年末に人と語る忘年会は、日本の文化である。

文化と文明は背中合わせ、両方なければ人間社会の発展はない。

今年も残り8日、今夜はクリスマスイブで日曜日、みなさんにとって良き一日でありますように。  

<五十歳から自由な開放感で>『林住期』オマケの人生、だからこそ自由より

2023年12月19日

<五十歳から自由な開放感で>生まれてから二十五年間は、親や国に育て手もらう(現実は違うが?)。それから五十までの二十五年間は、妻や子供を養い、国や社会に恩を返す。〜『林住期』より〜

五木寛之さん曰く・・・

(以下、『林住期』オマケの人生、だからこそ自由より)

 それは、よく耳にする「オマケの人生」である。八十代迄生きるにせよ、九十代までがんばるにせよ、五十過ぎからの時間がオマケであることは事実だろう。
 オマケと考えれば、どう生きようと勝手ではないか。あーあ、ついに耐用期間を過ぎたか、と、ため息をつくより、突然、これまで感じたことのなかった自由な解放感をおぼえたほうが徳である。
(以上、本より)

50歳が境目?

私は、今年65歳になりました。

私は、22歳の時、建築事務所を開く夢を持って建築専門学校へ入学しました。そこに至るまでの3年の滞りが、今の私を作っているのですが・・・。当時は、3歳下の高卒入学組からは、私は浮いていました。でも救いはあるもので、同級生が他に2人も居て、専門学校とはそんなところでした。

今振り返るに、若干22歳の若造が、人生はやり直せると思い専門学校に入学し、頑張りました。以来、43年が過ぎました。

五木寛之さんの五十歳が境目(転換点)という話と、2年前の89歳の五木寛之さんの熊本講演は90分立ちっぱなしで話をされた姿、現在91歳で熊日に連載をされています。すごいな、と思います。
 凡人は、五木寛之さんのようにはいきませんが、残された人生、どう時間を使って行くか、思案のしどころです。長いか、短いか、先はわかりませんが、人生のプランを構築する必要がある、と、おそまきながら思います。

昨夜天気予報も見ずに、朝ウォーキングと目覚ましをかけ起きて外の天気を確認したら雨でした。寝る前に読んだ『林住期』の一節を読み返し、"自由な開放感"な生き方で、老いを楽しんでおられる五木寛之さんから学びました。  

<人生はあなたが生きた跡>"壮年老い易く学成り難し"という訓示があります。貴方は、今おいくつですか?

2023年12月14日

<人生はあなたが生きた跡>"壮年老い易く学成り難し"という訓示があります。貴方は、今おいくつですか?

歴史に名を残す人たちは、"どんな人か?"です。

私の好きな偉人は、

坂本龍馬

横井小楠

は、常に金が足りなかった。

理論の目標の偉人は、

王陽明

は、官僚でしたが、辺地に左遷され、生きる死ぬの状況から、悟り(大吾)した。

高須晋作は、

窮地からー発起して、長州の権力を握った。

20世紀の偉人の尊敬するのは、

ガンジー

マザーテレサ

は、金などないが窮民を救う活動を一生続けた。

人間は成功よりも、晩年をどういう生き方をしたかで、その人の評価が決まる。

私も65歳、さてこれから何をするか、何を続けるか、です。人生は、長いようで短い。

あなたはいま何歳?

いくつまで生きるかは、天の決めることですが、生きた証し(歴史)は、自らの行動の跡です。

さて、明日から同動くか?  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:10Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他偉人哲学、人生

波瀾万丈の展開でなく、普通の人の日常に起きる「小さな」こと描く。〜山田太一〜

2023年12月02日

波瀾万丈の展開でなく、普通の人の日常に起きる「小さな」こと描く。〜山田太一〜

『ふぞろいの林檎たち』は見ましたね!

山田太一さんが、お亡くなりになりました。89歳、死因は老衰とあり、私の父も89歳でしたので、同じような終わり方だったのかなあ、と思いました。

熊日のコラム『新生面』に、以下のことが書かれていました。

「時代の流れ学校激しく太くなった時にはとるに足らないものになって行く小さな本当、小さな矛盾、小さな誤解、小さな深淵、小さな善悪、小さな夢、小さな物語は、まだ日本では書く余地がある」〜山田太一『文芸別冊』〜

映画から、テレビへ

>沈滞した撮影所に比べて、はるかに活気のあったテレビ局に大きな可能性を感じたため

山田太一さんは、映画界からテレビに夢を移し、大きな功績を残されました。我々のここらにもたくさんの夢を与えていただきました。

現代は、ネット時代に変わった。

YouTuber(ユーチューバー)なる仕事をする人が増えている。

情報発信は、時代と技術開発によって変わる。

江戸時代は「瓦版」

明治時代は「新聞」

大正時代「ラジオ」と「映画」

昭和時代「テレビ」

平成時代「インターネット」

令和時代「???」

今は、新聞、ラジオ、テレビ、インターネットを混在しそれぞれを活用する時代になりました。

どんな時代になろうと、山田太一さんが描いた、普通の人の日常は変わらない。

>小さな夢、小さな物語は、まだ日本では書く余地がある

この言葉には、納得して賛同するところです。

小さな夢を持ち、それぞれの物語を作っていけば良いと思います。

山田太一さんのご冥福をお祈りします。(合掌)  

>愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして。

2023年11月30日

<男女協働>愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして。〜田辺聖子著『めぇ〜る』〜

たまには、やわらかい話もします。

作家の田辺聖子さんの言葉には、社会改革を感じるものが、たくさんあります。女性作家が当たり前の時代になりました。女性が仕事をするのは当たり前、仕事が主で、家庭は二の次になっている人たちも多いようにも思いますが、逆な見方をすれば、男たちは家庭を顧みない輩ばかりだから、定年離婚が増えているとも・・・

田辺聖子さんにしろ、曽野綾子さんにしろ、男分析の鋭さは天下一品で、こちらは舌を巻くしかない。

しかし、ご両人には伴侶があられ、それなりの夫婦生活があります。

冒頭の言葉は、以下の部分の伐採です。

『上機嫌な言葉 366日』の11月29日の言葉です。

(以下、本より)

 これからの女性は、きっと仕事を生き甲斐にする、という人がふえるでしょう。ただ、その場合も、もし、愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして、そちらの人生でも生きてほしいのです。
〜『めぇ〜る」より〜

田辺聖子さんの言葉は、手厳しいですが、大人の優しさを感じるものがたくさんあります。男と女、夫婦、恋人、男女友達、色々な男女関係を文に綴る天才だなぁ、つくづく思います。

>甘い、やわらかい部分

思いやりの心を持ち続けたいものですね。それこそ、不思議な生き物の人間ですが、男女はパートナーとして、人生の友人としてどう付き合うか、課題であり、楽しみでもあります。

*参考資料:『上機嫌な言葉 366日』
  

<100キロウォーク>平常心、感情の振れ幅、感情は素直に表現して、なおかつ抑制がきいているのが美しい振る舞い。

2023年09月16日

<100キロウォーク>平常心、感情の振れ幅、感情は素直に表現して、なおかつ抑制がきいているのが美しい振る舞い。〜比べない練習、比べない仕事〜

マイペースという考え方、生き方がある。

自分の歩調で、自分のペースで。

11年前の8月4日に始めたのが、「薩長同盟ウォーク500キロ」(鹿児島市〜下関市、17日間)の熊本ステージの4日間92キロへの挑戦でした。練習初日は3キロの散歩でした。約4ヶ月の間に、一日に22キロまで歩けるようになり、4日間の内で最長32キロ、雨の歩行でしたが歩き切りました。

「薩長同盟ウォーク500キロ」とは、平均年齢68歳(最高齢78歳)男女30人の方たちで、その2年後には下関市〜京都御所、そのまた2年後には京都御所〜江戸城を完歩されました。要するに、幕末の志士・坂本龍馬が歩いた道を巡る歩く旅の再現でした。

熊本ステージを歩く中で、参加者と話して聞いたのが「行橋別府100キロウォーク」でした。なんと30人中半数以上の方が、歩いていました。"そんなイベントが世の中にはあるのか!"と驚いたことでした。60代後半の女性が、「還暦を機会に100キロ挑戦して、20時間で歩いた」と話されたことが、ずっと頭にあり、"いつか私も"の思いが強くなり、薩長同盟ウォークから5年後の59歳の時に「第19回行橋別府100キロウォーク」に初挑戦して、19時間44分で完歩できました。

これこそ、自分のペースで歩くイベントで、誰とも競争する必要はなく、ただただひたすら自分と対話しながら歩く「歩禅」の修行みたいな体験でした。歩ききった身体は、ガタガタ、足はピノキオ状態になっていました。しかし、歩き切った達成感は、感動ものでした。これこそマイペースで歩く体験だと振り返ります。

初回挑戦から3年後、行橋別府100キロウォークに挑戦しようと申し込んだが、遅かったので抽選となり落選した。そこで他にもと、「飯塚武雄100キロウォーク」に申し込んだ。参加人数は、行橋別府の1/10程度の参加でしたが、完歩でき、これも素晴らしい体験となりました。ちなみに、19時間11分で完歩できました。もちろんマイペースです。

今年は、申し込み忘れないように、何度もホームページを確認して、申し込み初日の登録しましたが、4ヶ月後のことなので、参加費の払込は、秋の行事をギリギリまで確認していました。払込んだら、コツコツと歩く練習です。大会前日には行橋に入るので、歩く連絡もあと19日ほどになりました。

大会のキーワード「歩禅」の言葉ではないですが、完歩できるかもマイペースしだいです。

しかし、振り返ると、最初の挑戦では、早く歩く人に引っ張れた感がありました。2度目は、私とほぼ歩くスピードの人を探して付いて行ったようで、周りに影響された感があるように思います。

今回3度目、日頃の練習というか歩調で、周りに左右されることなく、マイペースで歩いてみたいと考えています。

目標は完歩ですが、できれば6年前の記録を超えること、さらにはコースは違いますが、3年前の19時間11分を目指して、マイペースで歩きたいと思います。

冒頭の言葉は、『禅、比べない生活』にある、禅的「平常心」の保ち方にある一節です。そのページの末尾には、

>感情のまま自然に動いていいのです。しかし、いつまでもそこにとどまってはいない、小さな振れ幅であるべき場所に戻ってくる。

小さな振れ幅とは?

何もしないのが平常心ではなく、小さなチャレンジの意識"心の振動"のことでは、と読みました。

昨年の「第24回行橋別府100キロウォーク」の完歩者の最高齢は85歳、最年少は10歳、完歩率74%でした。

3度目の100キロ挑戦は、65歳4ヶ月、世間一般の高齢者になったばかり、はたして結果はどうなるか?、不安でもあり、楽しみでもあります。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:35Comments(0)マイライフ哲学、人生

いろんなお話を聴かせていただいた中村青史先生のご逝去を知り、生前の姿を思い出します。

2023年08月23日


いろんなお話を聴かせていただいた中村青史先生のご逝去を知り、生前の姿を思い出します。

私の中村先生との縁は、私がお手伝いしていた九州東海大学の故高宗昭敏教授と中村先生との交流やイベント等でお会いしてきました。高宗先生が病を患い、さらにコロナ禍で、歴史顕彰活動が出来ない状況から、お会いすることが無くなりました。

徳富蘇峰、徳富蘆花に関する研究会で、お話をされる和やかで優しい語り口を懐かしく思い出します。

ここ数日読む、『人間の建設』に、徳富蘆花のことが記されていました。ロシアまで出向き、トルストイに面会した話です。

批評家の小林秀雄と哲学者の岡潔との対談録『人間の建設』から、

岡)トルストイは人としてたいへん偉いですか。

小林)偉いです。

岡)徳富蘆花は会って感心して帰ってきましたね。

小林)私はモスクワへ行って、トルストイの家を見ましたが、感動しました。『アンナ・カレーニナ』を書いた部屋です。岡さんは「コサック」という作品をお読みですか。

岡)ええ、読みました。

小林)あれは青春時代の作ですが、トルストイの方向はあれでもう決まってしまっているのです。(中略)
(以上、『人間の建設』より)

作家や研究者は、作家本人に会い、またかつて住んでいた歴史の現場に出向き、そこで感じたことを糧に、いろんな話を組み立てているのか、と知らされます。

>徳富蘆花は(トルストイに)会って感心して帰ってきましたね。

ジャーナリストである徳富蘆花のとてもリアルな話しですね。

中村青史先生も、徳富蘇峰・蘆花が生まれ育った水俣でのことやジャーナリストとして活躍したこと、熊本での歴史的な役割等にも深く調べて語られていました。ほんと私がまだ30代後半に出会うのですが、何度もお会いし、お話をしたことを思い出します。

しかし、徳富蘆花の言動に、小林秀雄や岡潔も関心を持っていたことを知り、中村先生が、熊本の偉人顕彰をやられたことをまた学びたくなりました。

コロナ禍で一時休止した徳富蘇峰・蘆花の研究、顕彰が再開し、これからも後世に継続されていくことを願いつつ、中村青史先生のご冥福をお祈りいたします。
  

<うつ病・認知症>50〜75歳の心身をどう維持するのか?、学び・書き・歩く。

2023年08月15日

<うつ病・認知症>50〜75歳の心身をどう維持するのか?、学び・書き・歩く。

〜五木寛之著『林住期』より〜

>ボケてしまえばうつ病は起こらない。うつ病はボケより手前に待ちかまえている怪物だ。そして、第三の人生、すなわち五十歳から七十五歳までの二十五年において、もっともおちいりやすい難病である。
>初老性のうつ病、などと気軽にいう。しかし、本当のうつ病はそんな月並みな成人病とはちがう。真の人生の危機を体感するおそろしい友なのだ。
(以上、本より)

>ボケてしまえばうつ病は起こらない。

なんか怖い話です。

私の父は、母が脳梗塞で倒れ入院した。パートナーが家から突然に居なくなり、また私たちも仕事で平日は家に居ないので、お昼はひとりぼっちになった。寂しさから落ち込み、うつ病の症状が出てきた。

そんな生活が3ヶ月ほど続いたころ、「年金手帳が無くなった」騒動が起こった。私が持ち出した、との父からの指摘でした。実は、私は父たちの年金手帳なるものを一度も見たことが無いので、父との口喧嘩となりました。

周りのすすめもあり、父に精神科を受診してもらった。結果は、アルツハイマー病性認知症と診断され、かなり進行している話を聞いた。父、83歳半ばのことでした。

長生きすれば、半分の人は、認知症を患うとの話も聞く、こわい病と思います。

父は、まだらうつ病から、認知症に進行していきました。亡くなる前には、家族の顔を分からなくなりました。

うつ病

認知症

>初老性のうつ病、などと気軽にいう。

本人はわからない認知症は、実は日常生活を一緒にしている家族も気づきにくい。しかし、自らの状態を受け入れ、残る能力や感性を大事に生きる生き方があることを、新聞等の話題て知る機会があった。

五木寛之さんは、

>ボケないために、また脳力アップのためにと、せっせと脳トレにはげんでいるうちに、ストンと"うつの谷間"におちこんでしまう危険性頑張って大きい。記憶力や反射神経の衰えを自覚すればするほど、人はうつに接近していくのである。
(以上、『林住期』より)

私に、中国古典の学びを導かれた先輩は、身体の衰えはありましたが、認知症(ボケ)にはなられなかった。学びを深める行為は、認知症を抑える。

100キロウォークの3回目に出ようと思うきっかけは、初めて参加した第19回行橋別府100キロウォークのオープニングの時に紹介された88歳のウォーカーの話に聞き入りました。アナウンスは「86歳まで完歩したが、87歳は完歩できなかったので、また参加された」の内容でした。ウォーキングは、身体の体調維持になる。

人間、何か目標がないと継続しないものです。ネットを利用したコメント作成は、社会活動を指導していただいた大先輩から「読むだけではダメです、毎日書きなさい」の指摘から、2002年6月から毎日欠かすことなく駄文を書い続けてきました。

うつ病と認知症の予防に効果があるかは別として、学びと運動を習慣化することで、朝から気分よくご飯も美味しい、晴栽雨読の実践も体力・気力維持に役立つように思います。

古典を学び、日々書くことを21年、歩くことを11年続けてきました。後半生は、どうなるかは不明ですが、ラジオを聴きながらの週休3日のウォーキングを続けたいと思います。

長々と書きました。最後までお読みいただきありがとうございます♪  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:14Comments(0)マイライフ哲学、人生健康生きがい

>五十歳からの二十五年を「林住期」、以後を「遊行期」という、まさに死を見つめて生きる。〜五木寛之〜

2023年04月20日

<文化の成熟の担い手>五十歳からの二十五年を「林住期」、以後を「遊行期」という、まさに死を見つめて生きる。〜五木寛之〜

4月8日に開催した手づくり作家作品展示交流会「第4回オリジナルinうと」を開催して思うのが、作家の多くが50代以後の女性が中心だった。私の作務衣を仕立ていただいた方は、70代の女性です。人生の後半生をどう生きるか、考える時に、"手づくり"をやってみたいと思う人は少ないないと思います。

冒頭の言葉の解説は、

文化の成熟の担い手

今の時代を支える最大グループこそ、いま若者志向社会から「ジジイ」あつかいされている五十第から六十代の最多世代にちがいない。すなわち「林住期」に属する団塊こそが、この国の文化と精神の成熟の担い手となるのではあるまいか。
(以上、『林住期』より)

私は、「林住期」の後半に差し掛かっていますが、文化や芸術の担い手なっているか、考えなければと、朝から思いました。

50〜75歳、人生の後半生をどう生きるか、いくつになっても考え悩む生だなぁ、と朝から思いました。  

<WBC優勝>青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。〜サムエル・ウルマン〜

2023年03月23日

<WBC優勝>青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。〜サムエル・ウルマン〜

昨日のWBCの決勝を見て思うに、若者たちの生き生きした姿に「青春の輝き」と思いました。

何かに一生懸命になる姿こそが、周りに影響与えて、未来を夢見る人を鼓舞する。

青春

この言葉を、思い起こした人も多いと思います。サムエル・ウルマンの詩にある言葉、

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる

信念、自信、希望

まさに、WBCに出場した国々の若者たちは、母国の若者たちに3つのメッセージを発信していたと思います。

老いても若々しくありたい。

そんな希望を与えた、日本の野球選手たちに、祝福と感謝の言葉を贈りたいと思います。  

government of the people, by the people, for the people,

2023年03月21日

<心を育てる言葉>government of the people, by the people, for the people, 〜リンカーン(第16代アメリカ合衆国大統領)〜

南北戦争時代、奴隷制度の問題、国内が二つに分かれた戦い、アメリカも発展途上国だったころ、リンカーンの言葉は、国民に届いたことと思います。

リンカーンの名言

成功するためのあなたの決意が何よりも重要であることを、常に心に留めておきなさい。

⇒ Always bear in mind that your own resolution to succeed is more important than any one thing.

リンカーンは、いろいろ名言を発しています。そのひとつ、憲法に関しての一つが、以下です。

憲法には何も干渉してはいけない。それは我らの自由の唯一の防衛手段なので、維持されなければならない。

⇒ Don’t interfere with anything in the Constitution. That must be maintained, for it is the only safeguard of our liberties.

そして、名言の中で、誰でも一度は聞いたことのあるゲティスバーグでの演説です。末尾の一節を転載します。

(以下、ゲティスバーグの演説より)
we here highly resolve that these dead shall not have died in vain; that this nation, under God, shall have a new birth of freedom; and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

⇒ われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。

(解説)
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。〜web情報より〜

以下、リンカーンの演説文
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2390/

朝から、アメリカの歴史を動かした偉人・リンカーンの名言を学びました。リンカーンは、たくさんの示唆ある言葉を残しています。一度検索してみるのも良いかもしれません。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:40Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他偉人哲学、人生

<尊敬する人物は居ますか?>ジョン・F・ケネディ大統領が、もっと関心を持った日本人が「上杉鷹山」だった。〜「伝国之辞」〜

2023年02月14日

<尊敬する人物は居ますか?>ジョン・F・ケネディ大統領が、もっと関心を持った日本人が「上杉鷹山」だった。〜「伝国之辞」〜

これは、ケネディ大統領が亡くなった後に、日本へ伝わって来た話ですが、

「日本人で一番関心のあるのが上杉鷹山だ」

と語ったことが伝わっている。そのきっかけとなったのが、上杉鷹山の実子の上杉治広に与えた「伝国之辞」という訓戒書が、内村鑑三が英文に訳した『代表的な日本人』の中にあった。

伝国之辞

一、国家は、先祖より子孫へ伝候国家にして、我私すべき物には無之候、

一、人民は、国家に属したる人民にして、我私すべき物には無之候、

一、国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民には無之候、

右三条、御遺念有間敷候事、
天明五巳年二月七日
 治広殿 机前

【意味】
土地も人民も、国に属しているもので、私有物ではない。また、藩主というのはその土地と住民のために存在するものであって、土地や住民が大名のために存在しているわけではない。
(以上、『上杉鷹山と細井平洲』より)

人の関心とは、どの国のどんな人物に向くかわからないな、と気付かされます。

私は、私にある中国古典乱読会「中澄会」の塾長だった故米澄邦夫氏とのご縁から陽明学を知り、その創始者・王陽明という歴史上の人物を知ることになる。若い頃に買った人類の知的遺産という歴史書シリーズの中にあった『王陽明』を、20年の時を越えて(それまでは積ん読だった)読むことになる。

官僚だった王陽明は、政敵の策略で、辺境の地へ追いやられる。しかし、王陽明は、それを受け入れて、辺境の地で覚醒して活躍し、都へ復帰する。

この覚醒のことを「大悟(だいご)」という。仏語の言葉ですが、意味は、迷妄を脱して真理を悟ること。

王陽明の悟りの言葉に、「抜本塞源論」というものがあります。

悪(私利私欲)の気持ちを生まない(蓋をする)心の育成。

抽象的なのですが、良心のままに人と接していく考え方、と私は勝手に理解しています。

話は、あっちこっち飛びましたが、人は何かのきっかけで、歴史上の人物に出会い、敬慕の念を持つ。細井平洲を敬慕した上杉鷹山を、内村鑑三が英訳した本を読み、ジョン・F・ケネディ大統領が、敬慕した。

幕末の陽明学者・山田方谷は、弟子の河井継之助に、以下のことを語っている。

「本で学ぶことがなくなったら、地域の先輩に学べ、それでも学ぶことがなくなったら日本中、次に世界中から学ぶ人を探せ、それでもいなければ、歴史上の偉人に学べ」

という意味のことを訓示しました。

正に、ジョン・F・ケネディ大統領は、上杉鷹山の言葉に、覚醒したのだと思います。若い人たちに、知ってほしいのは、自らの目指す人物に、早く出会い、目標とすることは、後の人生を大きく影響を与えます。

あなたの目指す人物はいますか?

そんな問いを持ってほしいです。

朝から、話しが長くなりました、最後までお読みいただきありがとうございます。

https://m.facebook.com/profile.php?id=100002101041055  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:05Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他偉人哲学、人生

<牛歩のよう一歩一歩>牝牛(ひんぎゅう)を畜(やしな)う。〜『易経』〜

2023年01月27日

<牛歩のよう一歩一歩>牝牛(ひんぎゅう)を畜(やしな)う。〜『易経』〜

朝の読書から思ったのは、猪の文字を使う「猪突猛進」なる言葉がある。まさにまっしぐらの勢いを示す言葉です。

今年は卯年ですが、これもまた中国古典には、「脱兎の如く」というまっしぐらの走りを表す言葉があります。

今日(1/27)の『易経一日一言』は、

「牝牛(ひんぎゅう)を畜(やしな)えば吉なり」

牡(オス)牛を、祖父は「こってうし(勝手牛)」と言ってました。子どもころ、我が家にいたのは牡牛で、荒いイメージでした。

『易経一日一言』の解説によると、

「牝牛」(メス牛)は柔順な徳の象徴。角が己の側に湾曲していることから、自分を客観的に省みることに喩えられる。
 攻撃的な人は付き合いにくいから、内省し「牝牛を畜う」ことは処世の基本ともいえる。
(以上、本より)

牝牛は、子どもも産み、母乳も出す。子孫繁栄の象徴ともいえます。

己の方に曲がっている角を、"内省の象徴"に例えるのは、中国の古典思想らしいな、と思います。

変化の多い時代だからこそ、牛歩のように、一歩一歩、着実に前進するような生き方が良いのかもしれません。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:10Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他哲学、人生

自らは真面目が基本ですが、世の中には悪意がたくさんあることも忘れてはいけない。〜オレオレ詐欺は減らない〜

2022年11月25日

自らは真面目が基本ですが、世の中には悪意がたくさんあることも忘れてはいけない。〜オレオレ詐欺は減らない〜

宗教団体の社会的活動に参加した地方議会議員のことが毎日新聞記事なっている。"良いことを掲げて人集め"された話の結末は、ひどい極評価となっているとがとても悲しい。

裏を返せば、宗教団体が社会活動を隠れ蓑に、地方の著名人たちを引き寄せて来たことなのだと思います。

私も、30代から色々な社会活動、慈善活動に、参加したり、スタッフに加わった来て思うに、普通は、多くが一過性の活動が多いのですが、長く続く団体も稀にある。

長く続く活動を見ていて、10年、15年過ぎる団体では、それを支える財政的な裏付け(基盤)があることがわかって来て、そのスタッフの人間性もわかるものです。

しかし、中には儲け話も来るもので、安易に参加すると、同じ色目で見られてしまうので、これらは要注意です。
 私は、異業種交流会を主催するために、年間100人近い人と新たに会っていました。私の持論が「人生は出会いで決まる」で、誘われればどこの集まりにも参加していた時期がありました。でも、たくさんの集まりに参加したおかげで、会場に集まる人の雰囲気から、裏の仕掛け(勧誘)を薄々感じた時は、、その会には参加を取りやめるようになりました。

統一教会がらみの集まりに誘われたこともありますが、異業種交流会やった経験から、集まりに違和感を感じて参加しなかったような気がしています。いわゆる直感みたいなものです。

特に最近気をつけているのが、「全員を知らない人との集合写真は撮らない」ように気をつけています。要は、後で何に使われるが分からないので、危機回避のためです。

曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』に、以下の文を見つけました。

(以下、本より抜粋)

 悪意と破壊的な情熱も人間の要素

最近の日本人は、相手がもしかすると悪い人ということの教育を全くしていない。
「うまい話を知らないから人から持ちかけられたら、必ず何か落とし穴があるんだら用心しない」
「うまい儲け口なんてものは、世の中にあるはずがないんです」
「知らない人について行っちゃいけませんよ」
「夜遅く、非常識な時間に、女性がお酒を飲んだり、ホテルについて行ったりしたら、それは相手に許したことになるのよ。そんな態度を示しながら、襲われたなんてことは通らない」
というような戒めや警告は、どこの国の年長者がしているわけだが、日本ではそういわない。(中略)

 それもこれも「人を疑ってはいけない」「皆いい子、のならの果ては、皆いい人」という不思議な信仰がいまだに残っているからだ。
(以上、『ただ一人の個性を創るために』より)

>知らない人について行っちゃいけませんよ。

これは子どもに言う言葉ですが、大人の我々、高齢者の人も注意しなければ、裏の仕掛けのある集まりに、つい参加してしまうことが起こります。

曽野綾子さんの言われる「日本の皆いい子現象」ですが、良い人がほとんどですが、時折りは、悪意に巻き込まれることを、意識しておくこと。

"減らないオレオレ詐欺の現状"

自らは真面目が基本ですが、世の中には悪意がたくさんあることも忘れてはいけないと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 18:38Comments(0)マイライフ私の意見哲学、人生

<敬慕する人物は居るか?>人物に学ぶ〜安岡正篤一日一言より〜

2022年09月19日

<敬慕する人物は居るか?>人物に学ぶ

私淑(ししゅく)する人物を持ち、愛読書を得なければならぬということが人物学を修める根本的、絶対的条件であります。
〜安岡正篤〜

みなさんは、敬愛する偉人は居ますか?

吉田松陰

高杉晋作

西郷隆盛

坂本龍馬

日本の幕末から明治維新に活躍した志士たちです。

あるいは、日本の戦国時代の

小田信長

豊臣秀吉

徳川家康

他には、島津斉彬、黒田官兵衛、毛利元就、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、等々。学者では、上杉鷹山、中江藤樹、佐藤一斎、広瀬淡窓、熊本の時習館を創設した丸山玉山、各地に居た。

日本は中国の影響が大きく、古代、春秋戦国時代から、古典書や人物から、

『易経』『四書五経』『史記』『三国志』『陽明学』、等々。

私の好きな、孔子、老子、諸葛孔明、王陽明、等々。

近代・現代では、それぞれに敬慕する偉人たちが居られると思います。

昭和の東洋哲学者の安岡正篤氏は、

できるならば同時代、遡って古代、つまりは古今を通じて、凡そ優れた人物というのを見逃してはならない。
(以上、『安岡正篤一日一言』9月18日より)

私は、20年近くなりますが、熊本県央地域の坂本龍馬を敬慕する仲間5人で、地域づくりの集まり「不知火龍馬会」を創設し、年に数回、それぞれの活動報告を兼ねた夜なべ談義会をやっています。

坂本龍馬のように、常に前のめりに行動を続けられるように、これからも健康に留意しつつ、新しいことにチャレンジをしていきたいと思います。

安岡正篤流、「人生は(敬慕する)人物に学ぶ」をこれからも楽しく実践したいと思います。  

<人生哲学>白州次郎の「女性にもてるための極意」とは?〜皮肉の裏側にある本当のやさしさ〜

2022年09月13日

<人生哲学>白州次郎の「女性にもてるための極意」とは?〜皮肉の裏側にある本当のやさしさ〜

昨日は、議会最終日で議会慰労会が開催された。私の市議会議員として12年目の最後の役割も終わりました。

ふと、振り返るに、10年目の役員決めは波乱に・・・

え?、また私が常任委員会の委員長に・・・

人生、まさか(真逆)があるものです。

どこの議会もあるのですが、議長人事で波乱な展開が起こる。

私の2期目後期の議長人事で、ベテラン議員の画策が上手くいかずに、波乱の展開から、私が常任委員会の委員長になった。

3期目後期の議長人事では、私自らの構想から、その実現のために人間関係を形成してきた。そのヒントが、白州次郎の人との接し方に有ります。本『白州次郎という生き方』の一節にあるプリンシパルな生き方のページに、以下一節がある。

「女性にもてるための極意」

は、吉田茂の孫にあたる麻生太郎現副総理が、エピソードを紹介しています。

「金払いは良くしろ、明るくふるまえ、特定の女ばかりとしゃべるな。そして言い寄られたら、ノーといえ」

の言葉ですが、"特定の女"を"特定の人"と読み替えると、社内や地域、あるいは団体内での人間関係づくりで、言動の参考になります。

ある政治家は、自らの支持者でないと特定したら、日常的に無視してしまう言動から、反対派からさらに嫌われ、その存在さえなくなった話はよくあります。

白州次郎の人間関係は、バーやクラブの夜の女性たちに対する振る舞いの話ですが、好感を持っていない(反対派)人とでも付き合う工夫を説いているので、私は日々の人間関係にも参考にしています。

女性にもてるための極意→人にもてる(好感を持ってもらう)ための極意

と読み替える。

要は、立場の違いに関係なく、関わる人とは丁寧に付き合うことが大事だと思っています。

>そして言い寄られたら、ノーといえ。

何か下心があるから、言い寄るのであるから、バシッと断る。今ニュースを騒がすオリンピック疑獄(賄賂問題)は、泥沼化の様相を呈してきた。

賄賂もらう側、渡す側には、それぞれに下心があるから言い寄る。

>金払いは良くしろ、明るくふるまえ、特定の女(人)ばかりとしゃべるな。そして言い寄られたら、ノーといえ。

"女性(人)にもてるための極意"

は、白州次郎氏の正々堂々な生き方と、人を思いやる優しさの人生哲学を示しているように思います。  

<呉下の阿蒙>その人の価値は、常に"時価"で測られる。〜学歴というブランドは、20年もすれば無くなる〜

2022年08月11日

<呉下の阿蒙>その人の価値は、常に"時価"で測られる。〜学歴というブランドは、20年もすれば無くなる〜

人生64年、いろんな人と出会い、いろんな栄枯盛衰、さまざまな人間模様を見てきたように思います。

私たちの学生時代から就職、建築の修行時代は、バブル経済の日本、地方でも仕事が溢れていました。

私の独立は、バブル景気が終息に至るころ、独立後の仕事はほとんどなくなったころ、というか、景気の良し悪しに関係なく、始業時は誰も仕事がないものです。よくここまで、独立して33年目ですが、生き延びてきたものです。

ある先輩から、事業は"持業"だから、細く長く続けることも大事と教えられました。その方は、70代半ばですが、設計に関わり、仕事を継続されています。また、「設計は裏方、華やかな世界は必要ない」とも教えられました。テレビに出るような建築家は、ほんの一握り。地道に、設計をやっている建築士がほとんどです。

設計は、もともと事務屋の延長でもあります。"持業"を維持することで、少しづつ人の時価が上がってきて、人のつながりで仕事をすることが多くなります。

要は、出会う一人ひとりと、真剣に向き合って来たか、が問われるようです。

数年経って再会した時、あれ?前と変わらないなぁ、と思われるようではいけないのです。

三国志に、「呉下の阿蒙(あもう)」という故事があります。

その意味は、

三国志の呉の孫権の部下の呂蒙(ろもう)は、武勇はすごかったが、学問はからっきしダメで、「おバカちゃん」という意味で「阿蒙」と呼ばれていた。孫権から、少しは学問をやりなさいと指導され、呂蒙は孫権の意に応えるために猛勉強を始め、高い教養を身につけていった。それからしばらくしたある日、彼は参謀の魯粛(ろしゅく)と対談したのだが、魯粛は彼の高い見識と知識に大いに驚いて「すでに武略のみの呉の蒙君ではなくなったな」といったという。

「呉下の阿蒙」から、人間の成長は計り知れない。昔の姿から、見下すような態度をとっていると、逆に見下されるようなことが起こる。知人と数年ぶりの再会時は、常に白紙の状態で対面すべきと思います。

>その人の価値は、常に"時価"で測られる

自らが「呉下の阿蒙」と呼ばれないように、日々精進が必要と思いました。

*参考資料:升野俊明著『禅、比べない生活』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:47Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他哲学、人生

最後に逃げるリーダーではダメ、言うべき時に自ら主張できるか。〜白州次郎的な"勇気"〜

2022年08月03日

最後に逃げるリーダーではダメ、言うべき時に自ら主張できるか。〜白州次郎的な"勇気"〜

朝のウォーキングを終えて、また横になって枕元の本を漁っていると、『白州次郎という生き方』の本に、語録ページがあり、

「日本の若い人に一番足らんのは勇気だ」

の太文字の一文が、目に入ってきた。これは、自らの意見を公の場で語ることについての「勇気」です。

私は、6年ほど前まで、熊本大学の学際科(かつての教養)で、年に数度の講義を11年間続けました。講義内容は、「実践のまちづくり」で、講義は、前週90分と後週の前半に講話して、後半に意見を言ってもらうパターンでした。また毎週、講義についての感想や疑問をまとめ提出してもらうのですが、いざ意見を求めると、誰も手が上がらない。しかし、指名して話をしてもらうと、良い意見だったり、鋭い質問も出てくる。でも、手を上げてまでは語らない。日本の学生の特徴ですね。

一度、ハーバード大学の法学者マイケル・サンデル教授の講義(公共の正義)の講義の様子をビデオで見てもらった。1000人近い学生が集まる人気の講義なのですが、マイケル教授の講義スタイルは、会場と生徒と意見をよく交わします。
「さて、私の話した内容について何か意見ある?」
と会場にふると、何十人もの生徒が手を挙げる。そして、自らの考えを述べたり、鋭い質問がどんどん来る。日本の学生とは、ぜんぜん違う講義風景てす。

それを見て、日本の学生に、「こんな講義をどう思う」と尋ねると、100人ほどの教室ですが、誰も手を上げない。しかし、指名するとちゃんと意見を持っている。

白州次郎は、このことを指摘しています。この風潮は、現代の大人社会も同様で、会が終わってから、こそこそと当事者に意見を言っているのをよく目にします。全員いる中で語らないと、その意見の価値は意味をなさない、ということを日本人は、理解できていないように思います。

中には、肝心な会議をわざわざ欠席するリーダーもいる。意見を言いたくないがために、場から居なくなる(逃げる)輩もよく見ます。

リーダーは、"逃げない責任"を忘れてはならない。

白州次郎の言葉には続きがあります。

「日本の若い人に一番足らんのは勇気だ。そう言ったら損するということばかり考えている。自分の思うことを率直に言う勇気が欠けている」

私も若い頃は、尻込みして意見言えなかった。今は、会議の中で意見言う立場にあるので、逆に黙っていると疑念を持たれる。

"言うべき時は言う"を、若い時から実践しておくには、常々に学ぶことを続けること。そして、ある先輩から「本を読むだけではダメ、語るためには、毎日書きなさい」と指導を受けました。その直後(2002年6月)から、ネット上に自らの意見や本の感想、社会の問題や事件について書くようなり、今も毎日続けています。

意見を語るには、毎日書くことが大事、短い意見ほど難しい。ダラダラ語るのは誰でもできますが、1分、30秒の感想や質問は、なかなか難しいものです。

みなさんは、どうでしょうか?

<白州次郎的な勇気>
 己の損得ばかり考えビクビクしてはいけない。正しいと思うことを率直に言える「勇気」こそ大切である。
(以上、『白州次郎という生き方』より)

朝から長くなりました、最後までお読みいただき感謝いたします。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:48Comments(0)マイライフ私の意見哲学、人生

の「編集後記」は、私が担当でした。ロシアのウクライナ侵攻と8月15日の終戦記念日について書きました。

2022年07月31日



うと市議会だより8月1日号の「編集後記」は、私が担当でした。ロシアのウクライナ侵攻と8月15日の終戦記念日について書きました。ご一読いただければ幸いです。

「うと市議会だより」(議会報告)の編集は、議会運営委員長、各常任委員長の4名で、担当して作っています。編集後記は、4人の輪番で書いていて、たまたま3期目最後の編集となった「うと議会だより」8月1日号でしたが、私が編集後記を担当しました。普段は、宇土市の季節に関わることを書いてきたのですが、どうしても戦争と平和について書こうと思い立ちました。字数制限が、250文字以内なので、語り尽くせませんが、今年の終戦記念日は、日本の平和は先人たちの志と犠牲があって今があることを忘れてはいけないと思います。

平和は、努力しないと続かない、とウクライナ侵攻で思い知らされた気がします。日本は、この平和を維持し、未来世代でも継続してほしいと願います。


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:12Comments(0)私の意見哲学、人生

<役得でなく役損を考える>金の使い方を覚えるのは三代かかる。〜白州次郎〜

2022年07月21日

<役得でなく役損を考える>金の使い方を覚えるのは三代かかる。〜白州次郎〜

人の評価の一つに"潔さ"がある。

さてこの「潔さ」とは何か?

太平洋戦争の戦後処理に関わった白州次郎の言葉あります。

(以下、『白州次郎という生き方』より)

 次郎は外務省が嫌いだったが、同じくらい、いわゆる財界人が嫌いだったともいう。以下はある種の財界人についての次郎の言葉だ。
「困ったときだけ大変だ大変だと大騒ぎして、政府に助けてくれと泣きついてくるが、それで儲かったときは知らぬ顔の半兵衞を決め込む。プリンシプル(原理原則)もなく、走り出したバスに飛び乗るのがうまいだけだ」
「金を儲けるは一代でできる。金を失うのも一代でできる。だけど金の使い方を覚えるのは三代かかる」
 恥を知らず、自らを律することのできない人間、公私混同する人間には、きれいなお金の使い方ができないし、人の上に立つ資格はない。帝国ホテル社長の犬丸一郎はこんな言葉を覚えているそうだ。
「もうじき社長になるだろう。いいか、地位が上がるほど、役得でなく、"役損"か増えることを覚えておけ」
(以上、本より)

>公私混同する人間には、きれいなお金の使い方ができない

この文を読んだみなさんのイメージする"潔さ"とはどんな人物か?
それは、それぞれに受け止めれば良いと思います。

地位が上がるほど、役得ではなく役損を考える。これは、白州次郎の考える"潔さ"なのかもしれません。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:52Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他偉人哲学、人生