<易経を学ぶ」時務、時義、時用・・共通する社会貢献の"志"。
2022年06月29日
<易経を学ぶ」時務、時義、時用・・共通する社会貢献の"志"。
時務とは、その時に与えられた、あなたの社会的な役割。
時義:無駄を省き、実となるものだけを取り出す。収穫のと際の伐採(刈り取り)の意味がある。
では、"時用"とはなにか?
【時用】:剣難のときに相対し、逆境を活かすのである。
要は、逃げ出さずに苦しみの時に向かい合い、乗り越えたならば、大いなる教訓を得る。それがその後の人生に大きな効用をもたらすことがしばしばある。
(以上、『易経一日一言』より)
事が起こったときは、その場面に向き合い、その場から逃げてはいけない。
逃げては、次なる人生のシナリオは書けません。作家の回想録に、"逃げない"の意識が、歳を重ねるごとに、色濃くなっていくような思いました。
時務とは、その時に与えられた、あなたの社会的な役割。
時義:無駄を省き、実となるものだけを取り出す。収穫のと際の伐採(刈り取り)の意味がある。
では、"時用"とはなにか?
【時用】:剣難のときに相対し、逆境を活かすのである。
要は、逃げ出さずに苦しみの時に向かい合い、乗り越えたならば、大いなる教訓を得る。それがその後の人生に大きな効用をもたらすことがしばしばある。
(以上、『易経一日一言』より)
事が起こったときは、その場面に向き合い、その場から逃げてはいけない。
逃げては、次なる人生のシナリオは書けません。作家の回想録に、"逃げない"の意識が、歳を重ねるごとに、色濃くなっていくような思いました。
菊池市の中央図書館(キクロス)の活動は、発想と実践が素晴らしい。〜再任用職員の「プロポーザル方式」採用の効果大〜
2022年06月27日

<図書通帳の貯金>菊池市の中央図書館(キクロス)の活動は、発想と実践が素晴らしい。〜再任用職員の「プロポーザル方式」採用の効果大〜
今日の熊日「読者ひろば」の菊池市の元看護師の方が投稿していました。
図書通帳作り"貯金"に挑戦
???、と読み始めると、菊池市中央図書館の取り組み「図書通帳」について書かれていました。
5月11日に、菊池市中央図書館に、外国から来ている実習生のための「にほんご教室」のことを研修に行きました。また、6月5日には、泗水公民館で行われた「にほんごカフェ」(「にほんご教室」出前講座)を見学に行きました。
とにかく、菊池市中央図書館は、実践を重視するアクティブな活動に関心しましたが、今日の「図書通帳作り」も、さらに素晴らしいと思いました。
「読書ミリオネア」(100万円分の読書)が、2年間で31人も居られるとか!
素晴らしいアイデアと思います。
「にほんご教室」の発想は、元教師の司書のアイデアらしいのですが、菊池市中央図書館(キクロス)は、図書館の司書を募集する時、「私は、◯◯◯◯をやりたい」のプロポーザル方式で、プレゼンテーションをやり、評価の高い人を採用しているそうだ。たぶん、「図書通帳作り」も、プロポーザル方式で採用された職員のアイデアと思います。
私は、佐賀県の某有名市立図書館や民間が運営する市立図書館等を視察に何度も行きますが、ちょっと違うのでは?と思いつつ帰ってきます。
市立図書館は、その地域の市民のためにある図書館なので、借り手が少ないから観光客的な利用者を増やすことではなく、菊池市中央図書館のような、新たな発想で、市民が集まり、読書を楽しむ、学ぶ場、多世代や異文化の交流、文化発信をする場所ではないかと思ってきました。
菊池市中央図書館(キクロス)の活動に、賛同してぜひ宇土市でもやりたいと思いました。
図書館の職員は、一般市民も含め、「私は◯◯◯◯をやりたい」の活動目標プロポーザル方式で職員を採用すると、市立図書館の活動が活発になると思います。
#菊池市中央図書館
#キクロス
#プロポーザル方式で職員採用
#読書通帳
#図書ミリオネア
#貸出カード
[


6月27日の記事
2022年06月27日

<図書通帳の貯金>菊池市の中央図書館(キクロス)の活動は、発想と実践が素晴らしい。〜再任用職員の「プロポーザル方式」採用の効果大〜
今日の熊日「読者ひろば」の菊池市の元看護師の方が投稿していました。
図書通帳作り"貯金"に挑戦
???、と読み始めると、菊池市中央図書館の取り組み「図書通帳」について書かれていました。
5月11日に、菊池市中央図書館に、外国から来ている実習生のための「にほんご教室」のことを研修に行きました。また、6月5日には、泗水公民館で行われた「にほんごカフェ」(「にほんご教室」出前講座)を見学に行きました。
とにかく、菊池市中央図書館は、実践を重視するアクティブな活動に関心しましたが、今日の「図書通帳作り」も、さらに素晴らしいと思いました。
「読書ミリオネア」(100万円分の読書)が、2年間で31人も居られるとか!
素晴らしいアイデアと思います。
「にほんご教室」の発想は、元教師の司書のアイデアらしいのですが、菊池市中央図書館(キクロス)は、図書館の司書を募集する時、「私は、◯◯◯◯をやりたい」のプロポーザル方式で、プレゼンテーションをやり、評価の高い人を採用しているそうだ。たぶん、「図書通帳作り」も、プロポーザル方式で採用された職員のアイデアと思います。
私は、佐賀県の某有名市立図書館や民間が運営する市立図書館等を視察に何度も行きますが、ちょっと違うのでは?と思いつつ帰ってきます。
市立図書館は、その地域の市民のためにある図書館なので、借り手が少ないから観光客的な利用者を増やすことではなく、菊池市中央図書館のような、新たな発想で、市民が集まり、読書を楽しむ、学ぶ場、多世代や異文化の交流、文化発信をする場所ではないかと思ってきました。
菊池市中央図書館(キクロス)の活動に、賛同してぜひ宇土市でもやりたいと思いました。
図書館の職員は、一般市民も含め、「私は◯◯◯◯をやりたい」の活動目標プロポーザル方式で職員を採用すると、市立図書館の活動が活発になると思います。
#菊池市中央図書館
#キクロス
#プロポーザル方式で職員採用
#読書通帳
#図書ミリオネア
#貸出カード
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蟹は甲に似せて穴を掘る。人は心に似せて家を営む。されば、家に大小あれば、心に大小あり。〜沢庵和尚語録〜
2022年06月22日
<リーダーの魅力とは?>蟹は甲に似せて穴を掘る。人は心に似せて家を営む。されば、家に大小あれば、心に大小あり。〜沢庵和尚語録〜
今日も雨、朝陽が出ないので、薄暗い夜明けになっています。しかしこの雨は、恵の雨でもあります。昨夕の棚田の風景からも、この梅雨の雨により、人々も稲を育てる準備に入りました。
冒頭の言葉は、沢庵和尚の有名な教えの一つです。沢庵和尚著『不動智神妙録』にある一節が、半藤一利氏の文を集めた『歴史と人生』に紹介されています。
(以下、本より)
「蟹は甲に似せて穴を掘る。人は心に似せて家を営む。されば、家に大小あれば、心に大小あり」
つまりは、とかくに身を縛られて心を狭くするなかれ、常に広い心を持て、ということ。
(以上、『歴史と人生』より)
この文は、沢庵和尚の言葉とは知りませんでした。言葉とは、一人歩きするものだと思います。
また、日々読む『易経一日一言』の7月4日の訓示に目が止まりました。
(以下、本より)
「貞に安んずるの吉は、地の彊(かぎ)りなき応ずるなり」〜(坤為地)〜
大地は天の無限の力を受け入れて、地上に万物を形成、育成し、生み出し、また恵みを天に還元する。その力もまた限りがない。
人間もこれに習って、大きく受容するならば、より多くを生み出し育む力量が育つ。
(以上、『易経一日一言』7月4日より)
沢庵和尚の
>常に広い心を持て
受け入れる側の心構えで、入ってくる情報が少なくもなり、多くもなる。その時々の状況にもよりますが、常に心を広く持っていないと、入って来るものも来ない。
>蟹は甲に似せて穴を掘る
自らの能力だけに頼っていると視野が狭くなる。何か事を起こそうとする時は、人を頼むことも考えないといけない。
2008年、持続可能な農業を目指す「本来農業への道」をテーマに南部九州の3市長によるシンポジウムを主催した。
その時に出会った方から、まだ会をやるかやらないかで迷っている時に、
「何事も、始めないと、始まらない」
と後押しをしてもらいました。また、もう一人の社会活動家からは、
「思い立ったら行動し、仲間を作って継続する」
付け加えられたのが、
「本人(リーダー)に魅力がないとダメ」
とあり。さらに、その魅力とは、
"逃げない責任"
であると。何か不都合な場面になると、いなくなるようでは、話にならない。
このシンポジウムは、人吉市で開催するのですが、準備と後始末で、人吉市へは15回、指宿市には5回通って、会を済ませた。私なりの始末をつけたつもりです。私は、その活動な中で、多様なアドバイスを受け、リーダーとは何かを考える機会となった、ことを思い出します。
あれから14年、果たして私は、成長しているのだろうか?と、朝から振り返りました。
「リーダーの魅力とは、逃げない責任」〜木内孝〜
思い出話が、長くなりました。そろそろ、活動開始です。
今日も雨、朝陽が出ないので、薄暗い夜明けになっています。しかしこの雨は、恵の雨でもあります。昨夕の棚田の風景からも、この梅雨の雨により、人々も稲を育てる準備に入りました。
冒頭の言葉は、沢庵和尚の有名な教えの一つです。沢庵和尚著『不動智神妙録』にある一節が、半藤一利氏の文を集めた『歴史と人生』に紹介されています。
(以下、本より)
「蟹は甲に似せて穴を掘る。人は心に似せて家を営む。されば、家に大小あれば、心に大小あり」
つまりは、とかくに身を縛られて心を狭くするなかれ、常に広い心を持て、ということ。
(以上、『歴史と人生』より)
この文は、沢庵和尚の言葉とは知りませんでした。言葉とは、一人歩きするものだと思います。
また、日々読む『易経一日一言』の7月4日の訓示に目が止まりました。
(以下、本より)
「貞に安んずるの吉は、地の彊(かぎ)りなき応ずるなり」〜(坤為地)〜
大地は天の無限の力を受け入れて、地上に万物を形成、育成し、生み出し、また恵みを天に還元する。その力もまた限りがない。
人間もこれに習って、大きく受容するならば、より多くを生み出し育む力量が育つ。
(以上、『易経一日一言』7月4日より)
沢庵和尚の
>常に広い心を持て
受け入れる側の心構えで、入ってくる情報が少なくもなり、多くもなる。その時々の状況にもよりますが、常に心を広く持っていないと、入って来るものも来ない。
>蟹は甲に似せて穴を掘る
自らの能力だけに頼っていると視野が狭くなる。何か事を起こそうとする時は、人を頼むことも考えないといけない。
2008年、持続可能な農業を目指す「本来農業への道」をテーマに南部九州の3市長によるシンポジウムを主催した。
その時に出会った方から、まだ会をやるかやらないかで迷っている時に、
「何事も、始めないと、始まらない」
と後押しをしてもらいました。また、もう一人の社会活動家からは、
「思い立ったら行動し、仲間を作って継続する」
付け加えられたのが、
「本人(リーダー)に魅力がないとダメ」
とあり。さらに、その魅力とは、
"逃げない責任"
であると。何か不都合な場面になると、いなくなるようでは、話にならない。
このシンポジウムは、人吉市で開催するのですが、準備と後始末で、人吉市へは15回、指宿市には5回通って、会を済ませた。私なりの始末をつけたつもりです。私は、その活動な中で、多様なアドバイスを受け、リーダーとは何かを考える機会となった、ことを思い出します。
あれから14年、果たして私は、成長しているのだろうか?と、朝から振り返りました。
「リーダーの魅力とは、逃げない責任」〜木内孝〜
思い出話が、長くなりました。そろそろ、活動開始です。
<部活廃止と少年スポーツ過疎地>人口減少地域の部活廃止と中学校部活動の週末社会体育移行の影響が出ている。
2022年06月18日
<部活廃止と少年スポーツ過疎地>人口減少地域の部活廃止と中学校部活動の週末社会体育移行の影響が出ている。
〜国が一局集中を目指している?〜
本日は、朝10時30分ころから16時過ぎまで、宇城地区中体連大会のサッカー競技、一回戦の試合を観戦しました。
宇土市サッカー協会の会長に就任して以来、できる限り試合を見てみたい思いから、観戦して来ましたが、今年は、特別な思いがありました。
今年を最後に、中学校のサッカー部が休部する学校が2校あります。どちらも、全国で活躍する選手を輩出した伝統のある中学校です。
その両校は、今年は単独でチームが組めず、隣接の宇城市の豊野中と網田中が、住吉中が不知火中と合同チームを作り、宇城地区中体連大会に参加しました。
私が、宇土市サッカー協会長に就任した11年前、宇土市の中学校サッカーの強豪の鶴城中は、部員が1学年に多い時は30人いたのですが、Jリーグの隆盛から15年ほど前から減り始め、小学生のクラブチーム(地域クラブ)が増え、さらに中学のクラブチームもでき始め、少年サッカー育成の状況が大きく変わり始めました。
熊本県は、小学生の部活廃止で、地域クラブ(民間クラブ)へ移行し、さらに今年、中学校の部活も週末は社会体育へ移行する方針が出された。その影響か、今年の鶴城中サッカー部の新1年生部員は6人しかいません。これは、サッカーが盛んな熊本県全体の動向であり、中学校の部活動のサッカーに加入する生徒が激減しているのです。
将来、Jリーガーを目指すような生徒たち(裕福な家族)は、民間クラブで練習し、そのままJリーグのユースチームや全国強豪の高校へ進学を目指すのです。
そこで問題なのが、人口減少地域、過疎地域の少年スポーツの場が、無くなっていくことです。〜少年スポーツの過疎地化〜
私は、20年ほど前、異業種交流会を主催する仲間と語る時、「日本の中枢にいる人たちは、経費がかからないように、地方都市に人口を集中させるような政策を進めているのでは?」と語ったことがあります。
もともと、義務教育(知・徳・体)は、全国のどんな地域でも同じ教育をしていくことが目的だったと思うのですが・・・
だんだん、変わってきていると感じます。
近々、参院選挙がありますが、一票の格差から、選挙の区割りが毎回変わり、人口が多い方は候補者が増える。過疎地は、減らす一方では、地方活性化の声は薄れるばかりではないのか?
20年前の愚痴、「国が一局集中を目指している?」になるのです。
教育は、家族の最大の課題であり、家族の最大の投資、やはり効率を考えると、過疎地から都市部へ移住するのでは?
日本が人口減少に転じて20年が過ぎた。これからの人口減少地域の子育てに、今度できる子ども家庭庁は、夢の持てるような政策を打ち出せるのか?特に、将来の健康保健行政に大きな影響を与える、少年スポーツの育成の政策に注目しています。
〜国が一局集中を目指している?〜
本日は、朝10時30分ころから16時過ぎまで、宇城地区中体連大会のサッカー競技、一回戦の試合を観戦しました。
宇土市サッカー協会の会長に就任して以来、できる限り試合を見てみたい思いから、観戦して来ましたが、今年は、特別な思いがありました。
今年を最後に、中学校のサッカー部が休部する学校が2校あります。どちらも、全国で活躍する選手を輩出した伝統のある中学校です。
その両校は、今年は単独でチームが組めず、隣接の宇城市の豊野中と網田中が、住吉中が不知火中と合同チームを作り、宇城地区中体連大会に参加しました。
私が、宇土市サッカー協会長に就任した11年前、宇土市の中学校サッカーの強豪の鶴城中は、部員が1学年に多い時は30人いたのですが、Jリーグの隆盛から15年ほど前から減り始め、小学生のクラブチーム(地域クラブ)が増え、さらに中学のクラブチームもでき始め、少年サッカー育成の状況が大きく変わり始めました。
熊本県は、小学生の部活廃止で、地域クラブ(民間クラブ)へ移行し、さらに今年、中学校の部活も週末は社会体育へ移行する方針が出された。その影響か、今年の鶴城中サッカー部の新1年生部員は6人しかいません。これは、サッカーが盛んな熊本県全体の動向であり、中学校の部活動のサッカーに加入する生徒が激減しているのです。
将来、Jリーガーを目指すような生徒たち(裕福な家族)は、民間クラブで練習し、そのままJリーグのユースチームや全国強豪の高校へ進学を目指すのです。
そこで問題なのが、人口減少地域、過疎地域の少年スポーツの場が、無くなっていくことです。〜少年スポーツの過疎地化〜
私は、20年ほど前、異業種交流会を主催する仲間と語る時、「日本の中枢にいる人たちは、経費がかからないように、地方都市に人口を集中させるような政策を進めているのでは?」と語ったことがあります。
もともと、義務教育(知・徳・体)は、全国のどんな地域でも同じ教育をしていくことが目的だったと思うのですが・・・
だんだん、変わってきていると感じます。
近々、参院選挙がありますが、一票の格差から、選挙の区割りが毎回変わり、人口が多い方は候補者が増える。過疎地は、減らす一方では、地方活性化の声は薄れるばかりではないのか?
20年前の愚痴、「国が一局集中を目指している?」になるのです。
教育は、家族の最大の課題であり、家族の最大の投資、やはり効率を考えると、過疎地から都市部へ移住するのでは?
日本が人口減少に転じて20年が過ぎた。これからの人口減少地域の子育てに、今度できる子ども家庭庁は、夢の持てるような政策を打ち出せるのか?特に、将来の健康保健行政に大きな影響を与える、少年スポーツの育成の政策に注目しています。
増え続ける"不登校"の児童・生徒は、全国で約20万人。学校へ通えない子どもとして、置き去りにして良いのだろうか。
2022年06月14日

5月末におじゃましたフリースクール「ゼロスクール」と不登校児童・生徒に関して考えたことを5日前に熊日の「読者ひろば」に投稿したのが、本日の朝刊に掲載されました。
いま、不登校に関していろいろな話題や出来事が、テレビ・新聞等でニュースとなる中、増え続ける"不登校"の児童・生徒は、全国で約20万人になった。このような状況を、学校へ通えない子どもとして、置き去りにして良いのだろうか、と常々思ってきました。
また、無くならない"イジメ"も含め、同世代を一括して教えるスタイルが、しだいに合わなくなってきているのでは?と疑問視しています。
私も、どちらかと言うと、学校で周りと比較されながら学ぶことは好きではなかった方なので、ひと世代変わり、その意見を理解した教育者たちが、立ち上がり始めているのだろう、と感じています。
ゼロスクールだけでなく、週末だけ開校する諸々のスクールが、各地で流行っている。ただの流行りに流されることなく、子ども一人ひとりと向き合う学べる居場所づくりであることを願っています。
<駐車場誘導係を楽しむ>天の理法を楽しみ、自分の運命を生きる喜びを知るならば、人に憂いはない。〜易経一日一言〜
2022年06月13日
<「楽天」と「知命」>天の理法を楽しみ、自分の運命を生きる喜びを知るならば、人に憂いはない。〜易経一日一言〜
(2日間、駐車場誘導係を楽しみました。(笑))
一昨日と昨日は、住吉自然公園のあじさい園の駐車場誘導当番でした。観光客の誘導は、立ちっぱなしの作業でした。土曜日は、小雨降る中、カッパを着たり脱いだり、風も雨もある中で、大きな木の葉だの下での誘導でしたから、そんな雨には合わなかったですが、"どんな人たちが来ているか?"を感覚的に掴んだ良い経験となりました。
昨日の朝は、早めに現地を確認しに。それは、周回道路の状況を見て回り、"なぜ、誘導したのに戻ってくる車があったか?"、これか!と気づいた。垂れ下がった小枝がカーブにあり、この先も葉っぱが下がっているように感じれるのではと思い、自宅に剪定ハサミと肢の長い草刈りカマを取りに戻り、車高の高い車に触りそうな枝を切り落とす作業を20分ほどした。
どうなるか、結果が楽しみに?(私の企て)
一昨日は、何台か車高の高い車は、周回道路に回さなかったのですが、昨日はすべの車をもと来た道に戻さず、周回道路に誘導しましたが、どんな大きな車も、誘導通りに帰って行きました。
"枝切り効果はあった!"
3週間、週末土日の誘導係の二日間の当番なった、ただ言われる通りにやるのでは面白くない、ならば何かの楽しみを企てる、"こちらの考える誘導通りになるか?"も、おもしろいものでした。
冒頭の言葉は、『易経』の繋辞上伝(けいじじょうでん)の一節です。
「天を楽しみて命を知る。故に憂えず」
楽天の出展の基になった訓示です。
【意味】
「楽天」と「知命」は同じ精神である。いかなる運命でも受け容れ、喜び感謝して生きていく。これは、天の働き・情理を楽しむ精神である。
(以上、『易経一日一言』より)
いやいややる当番か、昨日の2倍近く来る観光客の車をどうさばけるか?を楽しむか。
それと、私が議会で提案した新たな駐車場の設置効果はどうか?の検証。
マンドリンコンサートは、実はコロナ禍もあり、数年ぶりの開催、人の流れ、どんなグループが来るのか、時間も含め、一日中、新設した駐車場に居ることで、あじさい園の観光客層も見聞できます。
>天の理法を楽しみ、自分の運命を生きる喜びを知る
理法とは"人間の言動"とも解釈しています。
始めて来た観光地、次の目標に向かうには、どの道を帰れば良いのか?、不安になるものです。いろいろな質問を受けました。多かったのは、
「こっち(周回道路)に行けば(国道へ)出れますか?」
「帰りは、こっち(周回道路)ですか?」
「トイレは何処にありますか?」
土曜日のドイツの高級車に乗った勝手な観光客以外、ほとんどの観光客は、誘導係の指示に従ってくれました。日本人の観光地の来訪者としての気遣いは素晴らしい、と思います。
ただ言われる通りに誘導係をやるのではなく、どうしたらトラブル少なく、パイ(駐車場の容量)より多くさばけるか、そんな企てを昨日は楽しみました。夕方から、自らの慰労のため、温泉♨️に入りに行きました。おかげで、昨夜はよく眠れました。
そろそろ、朝活の準備です。熊本も梅雨入りして、雨対策をしての朝活です。今週も楽しく頑張りましょう。
(2日間、駐車場誘導係を楽しみました。(笑))
一昨日と昨日は、住吉自然公園のあじさい園の駐車場誘導当番でした。観光客の誘導は、立ちっぱなしの作業でした。土曜日は、小雨降る中、カッパを着たり脱いだり、風も雨もある中で、大きな木の葉だの下での誘導でしたから、そんな雨には合わなかったですが、"どんな人たちが来ているか?"を感覚的に掴んだ良い経験となりました。
昨日の朝は、早めに現地を確認しに。それは、周回道路の状況を見て回り、"なぜ、誘導したのに戻ってくる車があったか?"、これか!と気づいた。垂れ下がった小枝がカーブにあり、この先も葉っぱが下がっているように感じれるのではと思い、自宅に剪定ハサミと肢の長い草刈りカマを取りに戻り、車高の高い車に触りそうな枝を切り落とす作業を20分ほどした。
どうなるか、結果が楽しみに?(私の企て)
一昨日は、何台か車高の高い車は、周回道路に回さなかったのですが、昨日はすべの車をもと来た道に戻さず、周回道路に誘導しましたが、どんな大きな車も、誘導通りに帰って行きました。
"枝切り効果はあった!"
3週間、週末土日の誘導係の二日間の当番なった、ただ言われる通りにやるのでは面白くない、ならば何かの楽しみを企てる、"こちらの考える誘導通りになるか?"も、おもしろいものでした。
冒頭の言葉は、『易経』の繋辞上伝(けいじじょうでん)の一節です。
「天を楽しみて命を知る。故に憂えず」
楽天の出展の基になった訓示です。
【意味】
「楽天」と「知命」は同じ精神である。いかなる運命でも受け容れ、喜び感謝して生きていく。これは、天の働き・情理を楽しむ精神である。
(以上、『易経一日一言』より)
いやいややる当番か、昨日の2倍近く来る観光客の車をどうさばけるか?を楽しむか。
それと、私が議会で提案した新たな駐車場の設置効果はどうか?の検証。
マンドリンコンサートは、実はコロナ禍もあり、数年ぶりの開催、人の流れ、どんなグループが来るのか、時間も含め、一日中、新設した駐車場に居ることで、あじさい園の観光客層も見聞できます。
>天の理法を楽しみ、自分の運命を生きる喜びを知る
理法とは"人間の言動"とも解釈しています。
始めて来た観光地、次の目標に向かうには、どの道を帰れば良いのか?、不安になるものです。いろいろな質問を受けました。多かったのは、
「こっち(周回道路)に行けば(国道へ)出れますか?」
「帰りは、こっち(周回道路)ですか?」
「トイレは何処にありますか?」
土曜日のドイツの高級車に乗った勝手な観光客以外、ほとんどの観光客は、誘導係の指示に従ってくれました。日本人の観光地の来訪者としての気遣いは素晴らしい、と思います。
ただ言われる通りに誘導係をやるのではなく、どうしたらトラブル少なく、パイ(駐車場の容量)より多くさばけるか、そんな企てを昨日は楽しみました。夕方から、自らの慰労のため、温泉♨️に入りに行きました。おかげで、昨夜はよく眠れました。
そろそろ、朝活の準備です。熊本も梅雨入りして、雨対策をしての朝活です。今週も楽しく頑張りましょう。
<自ら決めた役割を果たす>自由奔放な生き方と、自らの人生を切り開く自由とは、大きく異なる。
2022年06月11日
<自ら決めた役割を果たす>自由奔放な生き方と、自らの人生を切り開く自由とは、大きく異なる。
「人としてするべきことをするのが自由です」〜インドのカトリック神父の言葉〜
(少々長文です。お時間ある時に、お読みください。)
朝読書から、曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』に、自由について、インドのカトリックの神父との意見交換を見つけた。
freedom と Liberty の違い。同じく「自由」と訳すが、その言葉の意味は大きく違う。
みんな自由になりたくて、学ぶ、働く、貯蓄する。果たして、それが自由を得れる行動なのだろうか?
自由に何々を行なう場合、すべてのことから解放される自由の意味。
いくつかの果たす義務があるけど、それを達成することの中で、自らの選択と行動の自由がある。
曽野綾子さんが見た、インドのスラム街にある安宿に、何ヶ月も一年も、何もせず過ごす日本の数人の青年たちを観察してみた。確かに束縛もなく、自らがアルバイトなどで稼いだ金で、安宿暮らしをしているから、何の束縛も、義務もない。そのような自由を、freedomの自由というらしい。(意味が違っていたらご容赦を)
(以下、『ただ一人の個性を創るために』より)
その日本の青年たちを見て、同行していたカトリックの神父から、聞かれた。
「皆、幸福そうには見えなかった。呆然として、考えを停止しているように見えました」
「そうですね」
と私も賛同した、日記をつけている人もいたし、ひっきりなしに煙草を吸っている人もいた。しかし何もしていない人も多かった。
「彼らは決して自由ではない」
と神父は言った。
「どうしてですか」
と私が尋ねた。彼ら以上に自由な人はなかなかいないだろう、と思われたからだった。
「自分のしたいことをするのが自由ではないてましょう。人としてするべきことをするのが自由です」
するとそこにいた物知りの青年が、共に日本語では「自由」と訳されている「リバティー(Liberty)」と「フリーダム(freedom)」という英語の違いを教えてくれた。「フリーダム」は「何々からの解放」を示す自由であった。だからその言葉が出てくる背景には、束縛するものが存在している。しかし「リバティー」は全く自分で創造し、考え、選び取る自由な生き方である。
「フリーダム」には反対すべき敵が明確に見えているが、「リバティー」は初めから、自分の思想、選択、責任がかかっている。
(以上、本より転載)
長々と曽野綾子さんの体験談を紹介しましたが、日本人の「自由」の認識は、「フリーダム」の方に重きを置いているように感じます。実は、真の自由には、自らの人生への責任があり、周りに対する責任もある「リバティー」のように思います。
>全く自分で創造し、考え、選び取る自由な生き方
私の両親は、私の進路に関して、何も指示することがなかった。中学から高校、高校からさらに進学することに、口を出すことがなかった。
大学浪人から、一旦社会人になり、さらに浪人して、何故が建築の専門学校へ進学するのですが、その時には、私自身に決めた目標があり、そこへ向けて進み出した。
「30歳で建築事務所を開くこと」
実態は、独立は、予定の1年半遅れて31歳と6ヶ月で、設計事務所の認可は31歳と7ヶ月でした。以来、今に至っています。
当時を振り返るに、19〜21歳は、フリーダム的な日々がありましたが、目標が定まった後は、リバティー的な生き方を近づいていったように思います。
あれから、かれこれ40年が過ぎました。果たして、「自分で創造し、考え、選び取る」生き方ができているかは、私がこの世からいなくなってから、子孫たちが語るのだろうと思います。
朝から、哲学的な話になりました。みなさんの考える「自由」とは、どんな生き方でしょうか?、時折りそんなことを考えるのも、意味あるかもしれません。
今日は、中学招待サッカー大会準備と、住吉海岸公園の紫陽花鑑賞の観光客の車誘導係をやります。天気は曇り空ですが、雨が降らないと良いのですが。今日も一日、自らが決めた役割を果たします。
「人としてするべきことをするのが自由です」〜インドのカトリック神父の言葉〜
(少々長文です。お時間ある時に、お読みください。)
朝読書から、曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』に、自由について、インドのカトリックの神父との意見交換を見つけた。
freedom と Liberty の違い。同じく「自由」と訳すが、その言葉の意味は大きく違う。
みんな自由になりたくて、学ぶ、働く、貯蓄する。果たして、それが自由を得れる行動なのだろうか?
自由に何々を行なう場合、すべてのことから解放される自由の意味。
いくつかの果たす義務があるけど、それを達成することの中で、自らの選択と行動の自由がある。
曽野綾子さんが見た、インドのスラム街にある安宿に、何ヶ月も一年も、何もせず過ごす日本の数人の青年たちを観察してみた。確かに束縛もなく、自らがアルバイトなどで稼いだ金で、安宿暮らしをしているから、何の束縛も、義務もない。そのような自由を、freedomの自由というらしい。(意味が違っていたらご容赦を)
(以下、『ただ一人の個性を創るために』より)
その日本の青年たちを見て、同行していたカトリックの神父から、聞かれた。
「皆、幸福そうには見えなかった。呆然として、考えを停止しているように見えました」
「そうですね」
と私も賛同した、日記をつけている人もいたし、ひっきりなしに煙草を吸っている人もいた。しかし何もしていない人も多かった。
「彼らは決して自由ではない」
と神父は言った。
「どうしてですか」
と私が尋ねた。彼ら以上に自由な人はなかなかいないだろう、と思われたからだった。
「自分のしたいことをするのが自由ではないてましょう。人としてするべきことをするのが自由です」
するとそこにいた物知りの青年が、共に日本語では「自由」と訳されている「リバティー(Liberty)」と「フリーダム(freedom)」という英語の違いを教えてくれた。「フリーダム」は「何々からの解放」を示す自由であった。だからその言葉が出てくる背景には、束縛するものが存在している。しかし「リバティー」は全く自分で創造し、考え、選び取る自由な生き方である。
「フリーダム」には反対すべき敵が明確に見えているが、「リバティー」は初めから、自分の思想、選択、責任がかかっている。
(以上、本より転載)
長々と曽野綾子さんの体験談を紹介しましたが、日本人の「自由」の認識は、「フリーダム」の方に重きを置いているように感じます。実は、真の自由には、自らの人生への責任があり、周りに対する責任もある「リバティー」のように思います。
>全く自分で創造し、考え、選び取る自由な生き方
私の両親は、私の進路に関して、何も指示することがなかった。中学から高校、高校からさらに進学することに、口を出すことがなかった。
大学浪人から、一旦社会人になり、さらに浪人して、何故が建築の専門学校へ進学するのですが、その時には、私自身に決めた目標があり、そこへ向けて進み出した。
「30歳で建築事務所を開くこと」
実態は、独立は、予定の1年半遅れて31歳と6ヶ月で、設計事務所の認可は31歳と7ヶ月でした。以来、今に至っています。
当時を振り返るに、19〜21歳は、フリーダム的な日々がありましたが、目標が定まった後は、リバティー的な生き方を近づいていったように思います。
あれから、かれこれ40年が過ぎました。果たして、「自分で創造し、考え、選び取る」生き方ができているかは、私がこの世からいなくなってから、子孫たちが語るのだろうと思います。
朝から、哲学的な話になりました。みなさんの考える「自由」とは、どんな生き方でしょうか?、時折りそんなことを考えるのも、意味あるかもしれません。
今日は、中学招待サッカー大会準備と、住吉海岸公園の紫陽花鑑賞の観光客の車誘導係をやります。天気は曇り空ですが、雨が降らないと良いのですが。今日も一日、自らが決めた役割を果たします。
6月議会、<納得の代表質問>昨日の宇土市議会の代表質問について、熊日支局長が『市政 記者席』のコラムで記事に。、
2022年06月08日

<納得の代表質問>昨日の宇土市議会の代表質問について、熊日支局長が、『市政 記者席』のコラムで取り上げています。
約2年半近く、議会の質問時間(1人に与えられる質問時間)短縮されていました。昨日の代表質問は、議員の質問時間は1時間以内、執行部の答弁は無制限、本来の宇土市議会の質問スタイルに戻りました。
昨日の代表質問の最初に私が登壇したのですが、私の質問の述べ時間は1時間30分で、私が質問に使った時間は約40分。代表質問の答弁は市長なのですが45分(換気のための休息を5分)でした。
いつもなら、一般質問なのですが、代表質問は、一括質問、一括答弁のやり方なので、いつもよりも短い時間になっています。
ただ、市長の施政方針や4期目マニフェスについて質疑するのではなく、議会は討論(言論)の場なので、こちらの考えもしっかり言ってから、市長の考えを聞くのが筋と思っています。流石に、制限解除の初議会なので、質問時間をフルには使いませんでしたが、じっくりと私の意見も述べさせていただきました。
とても満足(納得顔)な代表質問となりました。
施政方針の5つのテーマについて、19項目の質問しました。内容は、近々、宇土市議会のホームページに、録画がアップされるので検索ください。また、ご意見等有れば、幸いです。
#宇土市市議会
#野口修一の議員活動報告
#議会質問時間の制限解除


<今の日本が続くため>国家という人はいないのだ。「国家」とは、私たちお互いのことなのである。〜曽野綾子〜
2022年06月08日
<今の日本が続くため>国家という人はいないのだ。「国家」とは、私たちお互いのことなのである。〜曽野綾子〜
(少々長文です。お時間ある時にお読みください。)
金曜日から、詰まった日が続き、昨日の議会の代表質問が終わり、緊張が解けたのか、昨夜はぐっすりと寝て、朝も目覚めが遅かった。枕元にある本を開くと、また曽野綾子さんの著書に読み入った。
『ただ一人の個性を創るために』の中で、国家とは何かについて書いてあった。
(以下、本より抜粋)
市民の権利なるものは、「受けると同時に、誰かに『serve』することだ」という当然のことを、誰も教えなかったのである。
*1.「serve」
【意味】仕える,奉公する,召し使いをする,尽くす,(…に)仕える,奉仕する,務める,(…で)務める,服する,役に立つ。
<日本という国とは?>
停電がなく、健康保健があり、救急車は一円も持たない人でも必ず適当な医療機関に運んでくれ、二十四時間開いているコンビニがあり、自動販売機が人通り車通りの極度に少ない峠の頂上でも置かれている。こんなことができる国がどれだけありますか、と言うと、峠の上にどうして自動販売機が置かないんですか、かとよく聞かれるのである。
「こんないい盗みの対象はないでしょう。現金と商品と機械と三つがいっしょに盗めるんです。こんなものを人目のない峠の上に夜でも設置しておいたら、多くの国ではその日のうちに機械ごと盗まれるでしょうね」
というと、びっくりしている。こういう国に生かしてもらっている以上、こういう国を続けるために「お返しに働く義務」が誰の肩にも少しずつあるのである。
(以上、『ただ一人の個性を創るために』により)
20年ほど前に話題なった若者の言葉、
「私は、国になにも世話になっていない」
と平然と語る姿をテレビで見た記憶がいまだにある。
その若者は車は運転しない世代だった。
この若者の"国"とは、政府を指して言っているのだろうが、曽野綾子さんの指摘する日本の治安の良さ、病に対する手厚い制度、子どもたちの教育、公共交通は都会では有り余るほど在る。
一人の青年が安心して暮らせるのは、日本という国のおかげであることを知らない、教えられていない、だけではないかと思ったことがあります。
地域社会を大きくしたのが国家であることを、学んでいない、教えていない。平和とは、権利だけを要求して、義務を忘れさせる。ウクライナ戦争が起こり、多くの国民が、国ということを考え始めているような気がします。
朝から、長くなりました。今日も一日頑張ります。
(少々長文です。お時間ある時にお読みください。)
金曜日から、詰まった日が続き、昨日の議会の代表質問が終わり、緊張が解けたのか、昨夜はぐっすりと寝て、朝も目覚めが遅かった。枕元にある本を開くと、また曽野綾子さんの著書に読み入った。
『ただ一人の個性を創るために』の中で、国家とは何かについて書いてあった。
(以下、本より抜粋)
市民の権利なるものは、「受けると同時に、誰かに『serve』することだ」という当然のことを、誰も教えなかったのである。
*1.「serve」
【意味】仕える,奉公する,召し使いをする,尽くす,(…に)仕える,奉仕する,務める,(…で)務める,服する,役に立つ。
<日本という国とは?>
停電がなく、健康保健があり、救急車は一円も持たない人でも必ず適当な医療機関に運んでくれ、二十四時間開いているコンビニがあり、自動販売機が人通り車通りの極度に少ない峠の頂上でも置かれている。こんなことができる国がどれだけありますか、と言うと、峠の上にどうして自動販売機が置かないんですか、かとよく聞かれるのである。
「こんないい盗みの対象はないでしょう。現金と商品と機械と三つがいっしょに盗めるんです。こんなものを人目のない峠の上に夜でも設置しておいたら、多くの国ではその日のうちに機械ごと盗まれるでしょうね」
というと、びっくりしている。こういう国に生かしてもらっている以上、こういう国を続けるために「お返しに働く義務」が誰の肩にも少しずつあるのである。
(以上、『ただ一人の個性を創るために』により)
20年ほど前に話題なった若者の言葉、
「私は、国になにも世話になっていない」
と平然と語る姿をテレビで見た記憶がいまだにある。
その若者は車は運転しない世代だった。
この若者の"国"とは、政府を指して言っているのだろうが、曽野綾子さんの指摘する日本の治安の良さ、病に対する手厚い制度、子どもたちの教育、公共交通は都会では有り余るほど在る。
一人の青年が安心して暮らせるのは、日本という国のおかげであることを知らない、教えられていない、だけではないかと思ったことがあります。
地域社会を大きくしたのが国家であることを、学んでいない、教えていない。平和とは、権利だけを要求して、義務を忘れさせる。ウクライナ戦争が起こり、多くの国民が、国ということを考え始めているような気がします。
朝から、長くなりました。今日も一日頑張ります。
<動物と人間はどこがちがうか?>ほんとうの人間は、テレビや新聞のニュースにならない。
2022年06月07日
<動物と人間はどこがちがうか?>ほんとうの人間は、テレビや新聞のニュースにならない。
朝読書。世の中を分析するのは小説家と思います。何人か好きな作家がいますが、私は、小説をほとんど読みませんが、作家が自ら語った講演集やエッセイ、あるいは特徴的文を集めた文集を好んで読みます。
小説家が書いた、社会分析の本を古本屋で探すのが楽しみです。その一冊、曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』の中に、冒頭の言葉を見つけ、読み入った。
(以下、抜粋)
動物と人間はどこがちがうか、というと、動物は自分が得にになることしかしない。自分の欲望に従っていきる。(中略)
しかし人間には、自分が、得になることしかしないような人間だとおもわれたくない、という気持ちがどこかにあるはずである。(中略)
人間になるためには、利害を離れて、人のために働くことのできる存在にならなければならない。損になることのできる人にならなければならない。それが人間の資格だからだ。そしてそれは、不思議な見返りを伴っている。人の役に立つということは、金銭的、時間的、労力的な面でだけ計算すれば、損をすることになるかもしれないが、精神的には、それを補って余りある充足感が残るのが普通である。
(以上、本より)
>損になることのできる人にならなければならない。
>余りある充足感が残るのが普通である。
仏教の経典には、「骨を砕きても謝する」意味の教えがあります。
よく政治家が使う「粉骨砕身」の言葉も、人のために身体がボロボロになっても働く意味です。
動物は自分に得なことしか実行しない。
人間の資格とは、人のために尽くすと、精神的な見返りが来る。
坂本龍馬の精神「自忘他利」は、坂本龍馬を敬慕する仲間たち「全国龍馬社中」の現会長の橋本邦健氏の言葉です。坂本龍馬は、世の変革のため東奔西走し、最後は命が尽きるまで働いた人間だった。
動物と人間の違いは、やはり志を持つか持たないかに、あるのではと思います。現代の人間でも、野獣のような自らの得しか考えない輩もいる。人間には、108の煩悩(欲望)があるという。その煩悩を抑え、周りの人のために尽くすことが出来るが人間、と曽野綾子さんは語っています。
ほんとうの人間は、テレビや新聞のニュースにならないような地道な活動をしている賢者なのではないか。
本を読み、ふと思い、感想を書きました。最後までお読みいただき感謝いたします。
朝読書。世の中を分析するのは小説家と思います。何人か好きな作家がいますが、私は、小説をほとんど読みませんが、作家が自ら語った講演集やエッセイ、あるいは特徴的文を集めた文集を好んで読みます。
小説家が書いた、社会分析の本を古本屋で探すのが楽しみです。その一冊、曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』の中に、冒頭の言葉を見つけ、読み入った。
(以下、抜粋)
動物と人間はどこがちがうか、というと、動物は自分が得にになることしかしない。自分の欲望に従っていきる。(中略)
しかし人間には、自分が、得になることしかしないような人間だとおもわれたくない、という気持ちがどこかにあるはずである。(中略)
人間になるためには、利害を離れて、人のために働くことのできる存在にならなければならない。損になることのできる人にならなければならない。それが人間の資格だからだ。そしてそれは、不思議な見返りを伴っている。人の役に立つということは、金銭的、時間的、労力的な面でだけ計算すれば、損をすることになるかもしれないが、精神的には、それを補って余りある充足感が残るのが普通である。
(以上、本より)
>損になることのできる人にならなければならない。
>余りある充足感が残るのが普通である。
仏教の経典には、「骨を砕きても謝する」意味の教えがあります。
よく政治家が使う「粉骨砕身」の言葉も、人のために身体がボロボロになっても働く意味です。
動物は自分に得なことしか実行しない。
人間の資格とは、人のために尽くすと、精神的な見返りが来る。
坂本龍馬の精神「自忘他利」は、坂本龍馬を敬慕する仲間たち「全国龍馬社中」の現会長の橋本邦健氏の言葉です。坂本龍馬は、世の変革のため東奔西走し、最後は命が尽きるまで働いた人間だった。
動物と人間の違いは、やはり志を持つか持たないかに、あるのではと思います。現代の人間でも、野獣のような自らの得しか考えない輩もいる。人間には、108の煩悩(欲望)があるという。その煩悩を抑え、周りの人のために尽くすことが出来るが人間、と曽野綾子さんは語っています。
ほんとうの人間は、テレビや新聞のニュースにならないような地道な活動をしている賢者なのではないか。
本を読み、ふと思い、感想を書きました。最後までお読みいただき感謝いたします。
<不登校とは?>子どもに教育への暴力的強制は効果がない。〜暉峻淑子〜
2022年06月04日
<不登校とは?>教育は学ぼうとする自発性があってはじめて成り立つのだから、子どもに教育への暴力的強制は効果がない。〜暉峻淑子(てるおか いつこ)〜
(少々長文です。お時間ある時お読みください。)
暉峻淑子著『豊かさの条件』なる本に、「増えつづける不登校」のテーマで、書かれた文があります。
この本の初版は2003年5月で、もう20年前の著書です。
(以下、本より)
文科者の発表によると、2001年度の不登校の子どもは13万8722人、10年前に比べて2.1倍。いまもその数は増えつづている。義務と考えられていた学校教育が、病気や貧困によってではなく、子ども自身によって拒否されているのだ。
(以上、『豊かさの条件』より)
文科者の調査で、2021年の不登校の児童生徒数は、19万6127人との発表があっている。20年で、6万人増えている。
果たして、これは不登校といえる数だろうか?
先日、フリースクールを視察研修に出向いた。子どもたちは、活き活きと学び合っていた様子から、今の学校の在り方に問題あるのでは、と考えてしまう。
この本に、大学検定で大学に入った学生が語ったことは、
「教育委員会や学校は、「生徒指導」という名目でさえあれば、一方的にどんなことをしてもいいと思っている。・・・学校は就職のためには必要かもしれないけど、生きる意味を見えなくするところだ」
もう一人の学生は、
「授業がつまらない。国語のテストで、文の一部に傍線ひいて、傍線の部分で作者は何を言っているか、なんて問題がある。いろいろに解釈できるのに、正解はひとつ。違う解釈をすると点がもらえない。点数競争の中では、けっきょく出題者の気にいるように答えるという技術と処理能力をつけるだけ。深く考えるだけ損になる」
私も学生のころ、考え方はいろいろ有るし、感じることもそれぞれに違うのに、しかし答えがひとつ有る。すると、答えを感覚的に合わせる工夫をするようになる。
学びではなく、記憶することになっているのでは?
この文の末尾に、以下のことが書かれている。
(以下、本より)
「ほかのお子さんはちゃんと通学してます」と言われると親は力ずくで学校につれていく。しかし子どもにとって学校は生きるか死ぬかの大問題なので、全身で抵抗する。教育は学ぼうとする自発性があってはじめて成り立つのだから、子どもに教育への暴力的強制は効果がない。
(以上、『豊かさの条件』より)
実は、私は小学校から高校まで無欠席で通学しました。(一日だけ、風疹を患い早退した)当時は、毎日学校に行くことが義務だったように、親にしつけられたのだろう。父母は、戦時下で青春を過ごした世代、学校自体有って無いようなものでした。
昭和が終わり、平成、令和と変わる中、学校の役割が変わってきていると感じます。多くの子どもは、変わらずに学校へ通っています。だから、学校に来ない子どもは、不登校と言われる。
>教育は学ぼうとする自発性があってはじめて成り立つのだから、子どもに教育への暴力的強制は効果がない。
子どもの興味を尊重して、学びたい自発性を子ども自身が追求できる環境を整えることこそが、本来の教育なのではと思います。
私は、多様な学びの場が増え、子どもの居場所を子ども自ら選択できるようになれば、不登校という言葉も無くなるのでは、と思っています。
朝から、長々と書きました。最後までお読みいただきありがとうございます。
(少々長文です。お時間ある時お読みください。)
暉峻淑子著『豊かさの条件』なる本に、「増えつづける不登校」のテーマで、書かれた文があります。
この本の初版は2003年5月で、もう20年前の著書です。
(以下、本より)
文科者の発表によると、2001年度の不登校の子どもは13万8722人、10年前に比べて2.1倍。いまもその数は増えつづている。義務と考えられていた学校教育が、病気や貧困によってではなく、子ども自身によって拒否されているのだ。
(以上、『豊かさの条件』より)
文科者の調査で、2021年の不登校の児童生徒数は、19万6127人との発表があっている。20年で、6万人増えている。
果たして、これは不登校といえる数だろうか?
先日、フリースクールを視察研修に出向いた。子どもたちは、活き活きと学び合っていた様子から、今の学校の在り方に問題あるのでは、と考えてしまう。
この本に、大学検定で大学に入った学生が語ったことは、
「教育委員会や学校は、「生徒指導」という名目でさえあれば、一方的にどんなことをしてもいいと思っている。・・・学校は就職のためには必要かもしれないけど、生きる意味を見えなくするところだ」
もう一人の学生は、
「授業がつまらない。国語のテストで、文の一部に傍線ひいて、傍線の部分で作者は何を言っているか、なんて問題がある。いろいろに解釈できるのに、正解はひとつ。違う解釈をすると点がもらえない。点数競争の中では、けっきょく出題者の気にいるように答えるという技術と処理能力をつけるだけ。深く考えるだけ損になる」
私も学生のころ、考え方はいろいろ有るし、感じることもそれぞれに違うのに、しかし答えがひとつ有る。すると、答えを感覚的に合わせる工夫をするようになる。
学びではなく、記憶することになっているのでは?
この文の末尾に、以下のことが書かれている。
(以下、本より)
「ほかのお子さんはちゃんと通学してます」と言われると親は力ずくで学校につれていく。しかし子どもにとって学校は生きるか死ぬかの大問題なので、全身で抵抗する。教育は学ぼうとする自発性があってはじめて成り立つのだから、子どもに教育への暴力的強制は効果がない。
(以上、『豊かさの条件』より)
実は、私は小学校から高校まで無欠席で通学しました。(一日だけ、風疹を患い早退した)当時は、毎日学校に行くことが義務だったように、親にしつけられたのだろう。父母は、戦時下で青春を過ごした世代、学校自体有って無いようなものでした。
昭和が終わり、平成、令和と変わる中、学校の役割が変わってきていると感じます。多くの子どもは、変わらずに学校へ通っています。だから、学校に来ない子どもは、不登校と言われる。
>教育は学ぼうとする自発性があってはじめて成り立つのだから、子どもに教育への暴力的強制は効果がない。
子どもの興味を尊重して、学びたい自発性を子ども自身が追求できる環境を整えることこそが、本来の教育なのではと思います。
私は、多様な学びの場が増え、子どもの居場所を子ども自ら選択できるようになれば、不登校という言葉も無くなるのでは、と思っています。
朝から、長々と書きました。最後までお読みいただきありがとうございます。
の熊本豪雨での活動報告書の末尾に、私のコメントを書いています。
2022年06月03日

近々完成する災害ボランティア活動団体「熊本支援チーム」の熊本豪雨での活動報告書の末尾に、私のコメントを書いています。東日本大震災の支援活動から11年、支援チームの立ち上げに深く関わり、東北の被災地へも出向き活動し、災害ボランティア活動について学びました。これからは、私自身も被災地へ出向きボランティア活動をしながら、若い世代の活動も支援していきたいと考えています。災害ボランティア活動に関心のある方は、ぜひ一緒に活動をしましょう。
一般社団法人「熊本支援チーム」代表理事・事務局長 野口修一
熊本支援チームHP
https://www.kumamoto-team.net/
#熊本支援チーム
#東日本大震災熊本支援チーム
#熊本豪雨
#災害ボランティア活動
Posted by ノグチ(noguchi) at
08:25
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