眼識、たまに人に会うと気づくことがある。

2014年05月30日

眼識、たまに人に会うと気づくことがある。

草刈り終えて、今日の準備中に読んだ『安岡正篤一日一言』に「眼識」なる言葉があった。(以下、抜粋)

学問をしなければ、人を観る目ができない、識見・眼識が生じない。あいつは財産があるとか、いうようなつまらぬことは気がつくが、人間そのものについては全くわからない。(中略)

しじゅうつきあっておると、なかなかわかりませんが、しばらくぶりに遇ったりすると、これはだいぶ勉強したとか、あまり進歩しておらぬとか、いう風に実に印象が新しくはっきり致します。人間に会うのも、そういう意味ではよい勉強になります。
(以上、本より)

私自身もそんな目で見られているのだと思います。人と会うことは、「一期一会」の真剣勝負! 勝つとか負けるとか、そんな気分ではなく、人間同士が正対し議論を真剣に交わすと、考えの違いがわかってくる。

さて、学問とは? 一昨日の武雄市の学校改革の考え方では「課題を設け、発案し、魅力的に語るには相当の学力が要る」とありました。知識をいかにして現実社会で役立てるか、そこで経験した様々な課題解決の経験から、学問が深まるし、反省も含めて、人間的な度量も大きくなって行く。数年会わずに、偶然に何か活動時にでも出会ってハッと気づく「あいつ、成長したな」と。

相手の成長がわかるように、こちらも学問を深める努力を怠らないこと。人を成長させるのは、やはり人からの影響と思います。今日も人に会う用事があります。心して、一期一会の緊張感を忘れずに、話し合い、打ち合わせ、飲み会に臨みたいと思います。

今朝は、熊本に新しい運動を起こしたリーダーに初めて連絡を取り、来週火曜日に会う約束をしました。電話をかけるのも一期一会の真剣勝負、会う約束を受けてくれるか、そこが縁がつながる第一歩です。どうにか約束でき、来週会うのが楽しみです。

そろそろ準備して出かけます。今日も暑くなりそうですが、一日元気に過ごしましょう。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:47Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

徳島県神山町のように過疎地域へ若者が移り住み「様変わり ここが故郷だったろうか」の田舎を増やす政策を

2014年05月29日

徳島県神山町のように過疎地域へ若者が移り住み「様変わり ここが故郷だったろうか」の田舎を増やす政策を

おはようございます。今朝の朝ウォーキングは、森林浴コースを歩いてきました。自宅から宇土半島の松合へ向かう県道58号線を山頂まで登り降りる道を歩きました。鳥の鳴き声、空気が新鮮な気がして気分は最高です。

さて、今月時折地元を回ると、空き家が増えているように感じた。宇土市は、熊本都市圏に近い所はドンドン宅地開発が広がり、過疎の進む地域は空き家が増える。しかし、全国の過疎地の自治体でも奮起して、人を呼び込み人口を増やす中山間地域がある。

まず、全国へ向け「◯◯の職能者を求める!」とネット等で呼びかける。誰でも良いから移住して欲しいと呼びかけるのでなく、必要な人材に移住してもらい、地域の発展に関わることも求める。やり甲斐があれば、移住しても地域に馴染むのが早いし、存在感も大きい。徳島県神山町は、高速インターネット網を整備し、どんどん若い移住者を増している。

また、以前にも書いた「葉っぱビジネス」、料理のツマモノ(季節の彩り)に特化した中山間地域の特性を活かしたビジネスで注目される徳島県上勝町もその一つです。

我が家のある宇土半島西部地区は、宇土市と宇城市が南北に位置するエリアで、人口がドンドン減っている。これまでどんなまちづくりをやって来たか。上勝町や神山町のように、人を惹きつける魅力づくりが足りなかったのではないか。

今朝の肥後狂句に「様変わり ここが故郷だったろうか」とあった。宇土市網田町や宇城市三角町は、人口が半減し商店は疲弊し、活気が失われて来た。行政がテコ入れをしては来たが、若い人たちは故郷を後にして出て行く。

地元出身にこだわらず、地域外に人材を求める神山町の空き家対策の取り組み「NPOグリーンバレー」は、民間主導の地道な活動が、大きな効果を生んでいる。その魅力の一つが、超高速インターネット網、無線LANの環境整備し、町の至る所でネットが使える。東京の情報通信関連企業の研究開発部門(サテライトオフィス)が幾つも移ってきた。

これからの田舎は、村の風景は里山と段々畑、棚田だが、超高速インターネット網と無線LANの環境を整備し、ゆったりした時間の環境で、世界へ通用する人材が集まり、未来を拓く技術、作品が創造される地域を目指すことも必要と思います。

こらから10年後、東京一極集中の経済から、地方に人材が分散し、自然を楽しみながら、有能が人材が働ける環境を作ることも国づくりに必要と思います。過疎の町に、若者が戻り、自然農法を楽しみながら、世界から注目される活動ができることに国策で取り組んで欲しい。

過疎の町が、神山町のように「様変わり ここが故郷だったろうか」と言われるように変化するように、先進地の情報を集め、地域へ発信し、やる気のある仲間が出てくるように努めたいと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:04Comments(0)まちづくり教育問題未来社会

民間の知恵で学校教育を変える試み、武雄市の学校改革

2014年05月28日

民間の知恵で学校教育を変える試み、武雄市の学校改革

おはようございます。今朝の熊日に、教育改革の話題が載っていました。賛否両論の武雄市の教育改革ですが、記事の最後に、当事者の高濱正伸氏の考える学力についてあった。

「社会に出て家庭を持ち、仕事をするときに生きる力。最終的には人を幸せにする力だ。課題を設け、発案し、魅力的に語るには相当の学力が要る。決まった答えを正しく、早く言って試験に合格するだけなら、それは学力とはいえない」

また、東大時代から学習塾で指導した経験から、

「学生時代に塾講師をしていたが、周りは不登校や引きこもりの子どもであふれていた。受験は、大学を出ても社会に巣立てない人を量産しているという問題意識があり、学習会を設立した」

とあり、これに対する改善方法(高浜氏の学習会)は

・さまざまな経験の総量を増やす
・野外活動
・異学年との共同作業
・子ども同士のトラブル解決の体験

これは、「メシの食える大人」を育てることを目標にして来たそうだ。「勉強はできるが、頼りにならない大人が増えた」と聞くことがある。仕事は、人と人との対応で成り立つ。先人の訓示には、人との対応の教えも多い。高濱氏は、学校の授業前の15分に、素読も取り入れるとあった。何を素読させるか、興味を持った。

>課題を設け、発案し、魅力的に語るには相当の学力が要る。

「魅力的語る」は、口が上手いという意味でなく、こちらも思いを誠意を込めて、相手に合わせ、場に合わせ、語ることができるかが目的であって欲しい。

幕末維新に多くのリーダーを排出したのは、各地に在った所謂「私塾」だった。高濱氏は、現代の私塾「◯◯学習会」の塾長のようなものだろうか。地域の頼れる人材を育成する手法が、公的学校に通用するか、これからの展開に注目しています。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:23Comments(0)教育問題

日本の危機管理(政治)、人口分散と地域力に頼る経済(里山資本主義)に思う。

2014年05月27日

日本の危機管理(政治)、人口分散と地域力に頼る経済(里山資本主義)に思う。

おはようございます。昨夜の東日本大震災・熊本支援チームの報告会には、多くの有志が集まり、熱く抱負を語りました。新たな参加者も増え、情報共有の集まりの継続は、大事と確認した気がします。

さて、東日本大震災は東北の海岸域を猛烈な津波が押し寄せました。有史以来、日本では大災害が頻繁に起きて来ました。例を挙げれば、

平安前期に秋田県北部の十和田湖大噴火の泥流。室町時代中期に東海道沿岸を襲った明応の大地震と大津波。江戸中期に雲仙岳噴火活動で眉山が崩壊し有明海に起きた大津波、約1万5千人の死者。また江戸中期に沖縄県の八重山諸島などで、一万数千人死者を出した波高40m(石垣島では50mの記録も)の大津波。そに後にも、浅間山の噴火、富士山の噴火、火山灰で冷害になり飢饉も起きた。今でも、どれも世界が驚く自然災害の歴史です。

今騒がれる東海・南海トラフの連動大地震と大津波は、室町時代中期に実際に起きた歴史があります。当時よりも、はるかに人口が増え都市部に集中しています。昨日の震災報告で紹介したのが、地域力の差でした。いわゆる地域の世話役(リーダー)の存在が、津波から人の命を救い、被災地での命をつなぐ役割を果たした。

石巻市の市街地周辺の新興団地では、コミュニティが形成されておらず、震災4日後の夜にやっと大人3人にオニギリ1個だけが渡ったそうです。それに比べ、石巻市の半島部の55戸の集落が、津波で道が壊滅状況になり孤立した。3月11日夜に地区の世話役が集まり、地区にある全ての食料、薬、病人を調べたら1月は地区全員が生き延びれると分かり、翌日の朝から全員に温かい食事が出せた。

石巻市を震災直後の4月5日に訪れた時は、街は舟はもちろん様々な津波の瓦礫で埋め尽くされ、生活インフラは壊滅し、命をつなぐには避難所の炊き出し以外になかった。同じ石巻市内でもこれだけの地域力の差が現地で起こっていたことを知りました。

この地域力は、古い歴史を持つ田舎ほどあるように思います。最近特に、この田舎力が必要なことを気づくのですが、先人から伝承された災害の危機意識から、東北の今回の大津波で、明治の大津波からすると人命が多く救われています。

例えば、明治の大津波では小学生(当時は人口も少なく、尋常小学校3年制)が、東北全域で5500人が亡くなっています。今回の津波では、東北全域で300名弱の小学生(現在6年制)が亡くなった。大川小学校の小学生の被害は、見方を変えれば危機意識不足とも言えます。

現日銀総会の黒田氏が、アジア開発銀行頭取の時に、震災復興会議の五百旗部(いおきべ)議長に、(スマトラ沖地震の大津波被害に比べ)「どうしてこれくらい被害で済んだのか」と聞かれたそうで、五百旗頭氏は突然の質問にハッとしたそうだが、「それは、明治以来の教育だろう」と答えた、と講演で語られました。

スマトラ沖地震でも一人も死ななかった離島の少数民族がいるそうです。その村では、200年以上前に起きた地震と津波被害を歌にして語り(唄い)継いで来ていた。歌の中にある「地震が来たら高い所へ逃げろ!」の通り、全員が高台へ逃げた。都市住民は寄せ集めで、情報に頼り過ぎ、地震で情報インフラが壊れたので、逃げることもできず、多くが津波に呑まれた。

私は、中山間地(里山)に住んでいます。海からもそう遠くない場所、熊本市街地まで車で40分程度、見方を変えれば、東京なら関東経済圏の都心内に住んでいるようなものです。確かに、都会の華やかさはありませんが、熊本から深夜の列車もあるし、それなりの仕事はあります。地域にはまだまだ地域力(田舎力)が残り、マネー経済にはない支え合いもあります。

日本は、まだまだ人口(若者)が都市へ集まっています。確かにマネー経済(マネー資本主義)だけの視点では、満足(心の豊かさ)感を持てず、走り続けるしかないと思いますが、かつての里山や漁村にあった「厳しい生活ではあったが、おおらかで心の豊かな生活」は、底知れぬ地域力も持ち合わせていたと思います。

最近聞くようになった「里山資本主義」という言葉は、将来の日本再生に大きなスローガンになって行くように感じます。少子化の日本、東京都の出生率は1.1人を代表に都会は低く、沖縄県や九州は高い。

通勤時間と労働時間が長く、保育所が足りず、病気の時のバックアップもなく、子供を産む仕事を続けにくくなる地域ほど、少子化が進んでいる。保育所が完備し、子育てに祖父母や社会の支援が厚く、子育て中の収入が確保しやすい地域ほど、子供が生まれれている。

様々に考えはありますが、昨日の報告会と今朝の読書で思ったことを、思いつくまま長々と書きました。最後までお読みいただきありがとうございます。関心を持たれた方は、何かご意見をいただければ幸いです。   

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:04Comments(0)政治問題(地方)東日本大震災

【サッカー】早朝のヨーロッパCLに感動、やはりサッカーはおもしろい!

2014年05月25日

【サッカー】早朝のヨーロッパCLに感動、やはりサッカーはおもしろい!

おはようございます。長崎2日目の朝です。

いつもの時間に目が覚め、テレビをつけるとヨーロッパチャンピオンズリーグのファイナルがあっていて、レアルマドリードvsアトレチコマドリードの同じ街のチームでヨーロッパナンバー1を決める闘い、つい見入ってしまいました。

後半のロスタイムにレアルが追いつき、延長戦でさらに3点を加点し、4-1の勝利でした。結果は、レアルの強さが光ったのですが、アトレチコの運動量、勝ちたいという強い気持ち、素晴らしい闘いでした。

時折、ヨーロッパサッカーを見ることがあるのですが、まだまだ日本のJリーグは追いついてないなと今日も思いました。ただ、国代表のワールドカップ、来月から始まりますが、お国柄が出る試合は、別の意味で面白いです。今日の放送最後に、ワールドカップの話題がありましたが、約一月続く、サッカーファンにはたまらない夜更かしの応援、結果はどうあれ、選手には思いっきり弾けて光って欲しいなと思います。

来週末から、インターハイの県予選が始まります。早いもので、高校時代から38年が経った。私は優秀な選手ではなかったので活躍はしていませんが、インターハイに出場した思い出は、青春の大きな財産になっています。いま、高校生の現役は、全国の頂点を目指して、まず県内でNo.1になることが大事、後1週間良い準備ができることを願います。

さて、昨日から来ている長崎の�坂本龍馬像の建立25年の記念行事、今日は私の大きな目的の一つ、幕末の財政家で一段と光を放つ、備中松山藩の宰相、山田方谷の子孫が、その功績をかたる基調講演があります。現役の財務相官僚で、同じ国家・藩の財政家として、何を語られるか?とても興味があり、2日目の行事まで参加します。

山田方谷は、4才で家を離れ勉強会い続けた方です。9才の時、14、15才の学生に囲まれた中で勉学に励む姿を、訪問した大人がちゃかすように「何のために勉強する?」と尋ねた。方谷少年は「治国平天下のため」と即答し、それを質問した訪問者が、腰を抜かすほど驚き、大人気ない質問をはじた、とのエピソードが残っています。

サッカーと学問は、比較するのはできませんが、志を高く持つことの意味は同じところがあります。どこを目標にするか、何が大事か、しっかりと若い世代から考え行動することが、大事とおもいます。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:47Comments(0)スポーツ私の意見

真面目に一生懸命にやればやるほど、批判者が増える?

2014年05月21日

真面目に一生懸命にやればやるほど、批判者が増える?

こんにちは、今日は遅い書き込みです。昨夜は、地区嘱託会の歓送迎会の後、遅くまで地域の先輩方と語り合いが続きました。いろいろなご意見、地区の事情、人と人のご縁・つながり、最後は、秋の市議選が話題になりますが、「田舎の活動の飲み会は最後まで付き合うように」と以前にご意見をいただき、それを努めて実践して来ました。最後は、カラオケになるのですが、下手な歌も唄うようにもなりました。

「保守とは、共同作業の打ち上げ、奉仕作業、交流活動等の無償の地域活動への参加から始まった」と以前に、自民党元幹事長の加藤紘一氏の意見を紹介しましたが、地域活動こそ、その実践の場とつくづく思います。

さて、昨日の集まりでは聞こえて来ないのが、いわゆる陰口で、これは自分の耳にはなかなか入って来ない。本当は、表裏両方の意見を聴けるような“人の輪”が大事だなと思います。

表向きは、良い話しか聞けない。しかし、「こぎゃん面倒臭いことしなくて良いとに」とか、「議員活動報告をしなくても、当選して来られた人がいるのはなぜか考えてみなさい」とか、「プロフィールや活動歴、市民活動など報告は自慢話に聞こえる」とか、友人から陰口を教えてもらいました。

これを聞くとがっくりするのですが、私は他にやり方を知らない。私が指導を受けてきた先生方は、真面目で一生懸命に市民活動を実践し、報告を必ずやられていました。確かに、時折、先生方の活動を振り返り、「あーだ」「こーだ」と厳しい意見が耳に入りますが、常に新しいことに一生懸命に取り組まれている姿は、すごいな!と感じて手伝って来ました。批判する人たちは、活動の中心的な役割を実践したことがない人が多かったように思います。

「真面目に一生懸命にやればやるほど批判する人が増える」

と、何かの本で読みました。あまりにも杓子定規の言動は、かえって違和感を感じ、「活動報告なんか配ってきても、読まずに捨てる人が多い」との話しも聞きました。確かに一度、「ごぎゃんとは読まないけん、家に入れないてよか」断られた人がおられました。地域を知るために活動していることが、わざとらしく見えるのだろうな、と思ったこともあります。しかし、他にどんな方法があるのでしょうか?

議員をする前、「議員は何しているか、いっちょん分からん」との陰口をよく聞きました。ですから私は、「自分のできる限りの議員活動の情報公開をする」と実践すると、逆の陰口が出てくる。人の社会は、何をやっても批判されるのだと思います。

私は、一生懸命に活動するしか方法を知らないので、これまで同様に続けて行きますが、「“出る杭は叩かれる”と何の世界でもある」と覚悟することも必要と思います。鈴木善幸首相時代に、政治倫理審査会を率いた故土光敏夫氏は、「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打てない(届かない)」と批判を真っ正面で受け止めながら、改革に突き進まれました。私のような市議は、市議の中では違和感を持つ方が多いのだろうなと思います。

土光敏夫氏のようには強くないですが、次々入る用事に対応し、様々なご意見を受け止めながらも、今の活動スタイルを崩さずに続けて行きたいと思っています。もし今日のブログ(コメント)にご意見をいただければ幸いです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 12:37Comments(0)私の意見

【ご案内】フットパス体験会及びフットパス案内人研修

2014年05月19日

【ご案内】フットパス体験会及びフットパス案内人研修

5月31日10時から、熊本県宇土市網津町・網引町エリアのフットパス網津コースで、体験会とフットパス振興を考えている地域のリーダー研修を実施するのですが、今日の午前中はその準備のために、熊本県の宇城地域振興局とフットパス九州ネットの代表たちと打ち合わせです。

フットパスは古くて新しい「歩く観光」と私は考えています。

日本では、「ウォーキング」という言葉で、30年前からレクリエーション的に広がって来ました。余暇に歩く習慣が広がり、加えて最近の高齢者の健康維持に歩くことが推奨され始め、さらにイギリスから始まった歩く観光「フットパス」が日本へ輸入され、九州の熊本県央部を発信源にフットパスが広がっています。

そこで、宇土市もそのブームにあやかり、田舎の風景を楽しみ、健康維持にもつながるフットパスを定着させようと、今年から普及を進めることにしました。先週土曜日、網引地区振興会でフットパス体験会の説明をし、大いに賛同をいただき、5月31日へ向け、網引地区の受け入れ研修も兼ねているので、気持ちも高まって来ています。関心のある方は、ぜひご参加ください。内容は、下記の通りです。


日 時 2014年5月31日10時出発(受付9時30分〜)
集合場所 あじさい温泉(宇土市網津町平原)
歩行距離 約8km(休憩20分程度)
所用時間 約3時間半程度(休憩時に、縁側カフェで軽食のおもてなし)
参加費 500円(資料代、休憩軽食代、他)
服装等 軽い運動が出来る服装、運動靴、帽子、飲み水、等
主 催 宇城地域振興局、網引地区振興会
協 力 フットパス九州ネットワーク
申込先 網引地区振興会 担当 野口修一(09036667682)
Eメール:noguchi-shuichi@i.softbank.jp
*軽食の準備のため事前に申込下さい。当日参加も受け付けます。

知人友人にも、お知らせ(転送、転載)ください。たくさんの参加をお待ちしています。


(追伸)
一昨年秋に、全国龍馬社中が呼びかけて、鹿児島市➡︎下関市までの約500キロを歩く「龍馬・薩長同盟ウォーク」が実施されました。私も熊本ステージの4日間92kmに付き合いましたが、楽しく語りながら歩く歴史検証ウォークも一種の「歩く観光」と体験ました。ちなみにイギリスには、フットパスコースで1000kmを越えるものがあるそうです。

また、日本ウォーキング協会が推奨する国内の「歩きたい500コース」もあります。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:25Comments(0)まちづくり

【四耐四不】冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁がず、競わず、随わず。

2014年05月17日

【四耐四不】冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁がず、競わず、随わず。

おはようございます。ここ数日、朝のウォーキングはお休みです。なでしこジャパンのテレビ観戦で、夜型人間になっています?。長距離ウォーカーには、時々休憩も必要と気楽に朝のウォーキングを楽しんでいます。

さて今朝の読書は、『佐藤一斎一日一言』の5月17日の佐藤一斎の教示は、「敬以って動静を貫く」です。その末尾に中国近代の名宰相・曾国藩の「四耐四不」の実践した言葉が紹介されていた。江戸時代の言葉は読みづらいので、編者の渡邊五郎三郎氏の訳で紹介します。

(以下、転載)

敬以って動静を貫く

静を好んで動を嫌う者、これ臆病者、ものぐさといい、動を好んで静を嫌う者、これ慌て者、落ち着きのない者という。慌て者は物事を鎮静することができないし、臆病者は物事を成し遂げることができない。ただ、慎み深く、動のも静にも偏ることなく、慌てず、怖気づかない者にして初めて物事を鎮め成就することができるのである。

(末尾に)中国近代の名宰相・曾国藩の信条が「冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁がず、競わず、随わず以って大事を成すべし」の四耐四不の語がある。

(以上、本より転載)

世の中、ほとんどが自分の思うようにはならない。ならば、慌てず、騒がす、慎重に構え、いざゆう時は大胆に動ける準備を怠らない。「四耐四不」の訓示はそんな意味ではないでしょうか。

名僧の沢庵和尚の教示に次の教えがある。

「人の身も応ぜざる荷物を持てば、身の船を覆すべし」

これは、「自分の能力以上のことには手を出すな」の意味にも思えますが、仏教の解説本『人生の問題がすっと解決する名僧の一言』に、次のような話があります。

(以下、本より)

「(ある商売人夫婦は、友人の借金の保証人なったが、多額の債務を残したまま夜逃された)・・・、世の中は全ての事象は“縁”によって成立しています。仕事は、多くの人のご縁で成り立っています。縁とは“おかげさま”ということです。(中略)
あなたたちご夫婦は多くの縁を得て商売を成り立たせ、財産をつくりました。しかし今、商売人として、これまでの“おかげさま”を返すべきときではないのでしょうか。仏教ではこれを『縁起空(えんぎくう)』といいます」

この夫婦は気の毒ですが逃げださず、「身に応ぜざる荷物」を持って船(人生)がひっくり返ったことも“縁”と考えれば、いつか必ず道は拓けるものです。
(以上、本より引用)

「人生は耐えること」と、沢庵和尚が説教で語ったように感じます。曾国藩も、近代と現代の狭間で、翻弄された人生だったから「四耐四不」を信条として胸に刻み、多忙な仕事と向き合い続け名宰相と評価されるようになったのだと思います。

昨日の地域の先輩との意見交換、日々“縁”がつながっていて、“おかげさま”と手を合わせたくなることが多々あります。facebook等のSNSでつながっているみなさんとも何かのご縁と思い、私の文に目を通していいただけることに感謝します。

今日の午後は、「シベリア抑留経験者が語る会」に参加します。戦中・戦後のそれも「四耐四不」を超える生死を境の中で耐えた経験を、現代人がしっかり受け止め、戦争の悲惨さを知り、不戦の誓いを確認する機会になればと思っています。

本日も長文を最後までお読みいただき感謝します。(合掌)  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:16Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

(明君は視聴に努力)小さな変化に目を向け、小さな声に耳を傾ける。

2014年05月15日

(明君は視聴に努力)小さな変化に目を向け、小さな声に耳を傾ける。

(政府のJA改革)地方の一農家の声を聞き、活気溢れる農業者育成に力を注ぐこと重要。

おはようございます。昨夜のなでしこジャパンの佐々木監督の采配、初戦で上ずっていた流れを、早々にベテラン選手を投入し、流れを日本へ引き寄せた。壮行試合の様子とは違い、流石にオーストラリアには通用しなかった。選手の微妙な変化に気づき、決断した。長年、選手を見ていると気づくのことが出来るのだと思います。

さて、昨夜のニュースは、若田さん帰還の話題が中心でしたが、注目したのは政府の規制改革会議が答申を出した「JA中央会制度廃止」で、JAが揺れてる。地区JA、県中央会の県経済連、さらに全国JA中央会と三層のピラミッド構造が、以前から問題視する疑問符を持つ意見が出ていた。

今回の答申を聞き、地方の優良農業者は、早くからJA離れが進み、自ら売り先を開拓し、様々な分野へ進出している。3年前に見に行った、都城市の農業生産法人「新譜福青果」は、年商14億円、従業員72名、自主経営農場250ha、契約農場400haの巨大農家です。10数年前からICT化を進め経営が企業的に運営され、6次産業分野にも果敢に挑戦している。

それと、昨今の国政選挙を見ると農業者の顔が少なっているように感じる、かつて高度成長期には、国政選挙となると農業者団体ののぼり旗が列を連ねた時期が長く続いた。関税が撤廃される中、だんだん利益が減収し、優良農業者は独自の活路を探すようになって来た。その変化に、JAの経営陣気づかない訳がない。

これは、中国古典の解説書、福田晃市著『人の上に立つ前に読んでおきたい!中国古典』の一節に紹介してある『便宜十六策』「視聴」に次の言葉がある。現代語に訳して見ると、

「明君は、微かなものに目を向けて前兆を知り、小さなものに耳を傾けて大事を知り、内部を外部とつながらせ、外部を内部とつながせます」

優れたトップは、よく見ますし、よく聞きます。いろいろと見て回り、聞いて回ります。ですから、どんな些細な情報も敏感にキャッチ出来るのです。東京のJA中央会にドンと座って、地方から上ってくる各県のJA中央会の幹部の報告を聞くようでは、時間的に遅くなるのはもちろんですが、真実からずれる可能性が大です。自らの行動範囲内で、問題解決ができるJAのあり方が問われていると思います。

昨日、熊本県御船町の上野小学校区内を中心に、御船町の郷土史を研究し続けた奥田盛人氏の功績を勉強に行きました。奥田氏は、自分の足で行き、自分が自ら視聴し、自分でまとめる作業をされた。地元の人の信頼は絶大で、口々にその功績・人徳の素晴らしさを語っていました。リーダーとは、奥田氏の行動の実践の姿と思います。だから、小さな発見、小さな情報が耳に入ると思います。

「事件は現場で起きている」、農業も地方の一人ひとりの農家の思いに耳を傾けることが重要と思います。市町村もそうですが、JAも合併が進み、出先が農家から遠くなった。特に中山間地域から、町の中心に在った支所が、各自治体の市街地まで出かけないといけない。

やる気のある中山間地域の高齢農業者は、独自に産直販売所へ自らの売り込み、副収入を増やす努力を惜しまない。まだまだ、地方における地区JAの存在は大きい。TPPを代表に進む、国際化の流れの中で、農家の流通の上に成り立つJA中央会、今後はJA中央会維持のために地方JAがあるのでなく、地方の一農家の声を聞き、活気溢れる農業者育成に力を注ぐこと重要と思います。

私は、中山間地域の農家出身ですが、農業は家族が消費する週末園芸程度の跡取りですが、周りの専業農家も高齢化していますが、独自に販路拡大に頑張っておられます。これからのJAは営農指導より、各農家が求める様々な販路拡大の支援を中心に存在することが望ましいと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:01Comments(0)農業問題政治問題(地方)

男性社会は、男女共同参画条例を作るまでは熱心だが、その運用にはまったく関心が無い。

2014年05月13日



男性社会は、男女共同参画条例を作るまでは熱心だが、その運用にはまったく関心が無い。

爽やかな朝です。おはようございます。朝ウォーキングは、格別に気持ち良い気分でした。さて、昨日からブラジル・ワールドカップの23名の代表発表で、大いにテレビが沸いている。日本サッカーも強くなって来ていると思います。

さて、今朝の共同通信配信の記事に、日本社会と先進諸国の格差についての記事がありました。タイトルは「母に優しい国」、日本は32位で、昨年より一つ順位が落ちた。上がる話なら良いが、下がる話は1つ順位を落とすことだが、先進国と言えるか疑問。

記事は読んでいただけると良いのですが、日本は男女共同参画法が施行されて14年が過ぎた。当初の勢いに陰りが見えて、特に政治参画ではどんどん先進国から取り残されている。特に地方は、市町村合併で議会へ女性の当選が難しくなっている。

地方分権が進む現代だからこそ女性の意見が重要と思います。ヨーロッパでは、市民社会の考え方が進み、生活重視の政策に重きを置かれている。福祉大国の北欧諸国が、女性の社会進出も進んでいる。比べて、韓国30位、米国31位、日本32位、・・中国61位。

米国は南北戦争後、人権問題が長く議論され多民族社会が常識化し、女性の社会進出も進んでいるように見えるが、世界の評価は低い。日本は、国家と言える体制になって150年あまりだが、女性の参政権は戦後になってから。故市川房枝さんの記念館を訪れた時、戦前から参政権、女性の権利を主張し続けて来た歴史を再確認した。

戦後69年になったが、あい変わらずテレビで議会答弁するのは背広姿の男性が目立つ。地方議会となると、さらに少なく、女性議員は希少価値と揶揄する市民の声もある。女性が女性の足を引っ張ると声もある。もっと市民意識の高い女性たちが集い、様々な生活問題、教育問題、地域課題を自由に語れる場作りが急がれるように思う。

女性活動=市民活動と、私の住む地域の婦人会の活動を見ると感じます。地域は、女性が支えている。政治家と地方で言われる方々は、もっと女性の声に耳を傾けることが必要です。

私は、ひょんなことから、熊本の男女共同参画社会づくりの活動に参加するようになって丸10年が過ぎた。男性社会は、男女共同参画条例を作るまでは熱心だが、その運用にはまったく関心が無い人がほとんどです。条例(形)はできても、本来の中身(女性の参画)に、力を注ぐことが大事と思う。

今日は一日外回り、日本中が7月並みの暑さになるとか、休憩と水分補給をわすれないようにして、乗り切りましょう。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:47Comments(0)社会問題

今日は大雨か? ダイエー下通店閉店、太陽デパート火災の施設建て替えへ。

2014年05月12日

今日は大雨か? ダイエー下通店閉店、太陽デパート火災の施設建て替えへ。

おはようございます。今朝は、気温22.5℃のムッとする湿度の高い空気の中でウォーキングして来ました。今日は、大雨の予想で、雲が厚くなって来ました。

さて、昨日熊本市の市街地に在るデパート「ダイエー下通店」が閉店した。ダイエーは3代目の店で、かつては太陽デパートだった。私が中学3年生の時だった、1973年11月火災が発生し104名の方が亡くなった。

今回の閉店は、現在の耐震基準に合わないことが第一要因ですが、小売業界の変化から、売り上げはピーク時の1/2に低迷していた。地元紙に、この施設を当初建設した太陽デパートの大火災で亡くなった方の親族は、「デパート前にくると火災当時を思い出す」と語っていた。

また、火災現場で救助にあたった元消防士の小森英和さん(74才)は、「太陽デパートでは、防火シャッターが段ボールに阻まれて、機能しなかった。今後の施設でも、一人一人が防災意識を高めて欲しい」と話した、とあった。

最近も長崎の診療所で、防火ドアが古くなり火災時に閉まらなかった。私も建築に関わるものとして、施主には防災意識が必要と常々語るのですが、機器が発達した現在、センサー等に頼り、防火管理者の危機意識が薄れているようにも思います。

昔、冬になると「夜回り」で防火意識を喚起したことを忘れずに、現代人も火元の確認、タバコ火消し、基本を忘れずに防火意識を高める工夫を続けることが重要と思います。

今日の午前中は臨時議会、午後は宇土市主催のジュニアサッカー選手権の打ち合わせです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:53熊本の出来事

早朝ウォーキング、もうすぐ丸2年になります。

2014年05月10日

早朝ウォーキング、もうすぐ丸2年になります。

おはようございます。朝ウォーキングは、肌寒さが季節が1月違うのではないかと思うぐらい、放射冷却で冷えていました。

さて、朝ウォーキングも今年8月4日で、丸2年になります。そもそも、全国龍馬社中の橋本邦健会長が、全国ウォーキング協会の長距離ウォーカーに呼びかけて実現した「龍馬薩長同盟ウォーク・鹿児島︎下関500km」を歩くツアーに、熊本県内でのコース4日間に付き合おうと、2年前の8月4日に歩き始めました。

初めは、私一人で歩いていたのですが、1月くらい後から妻も歩くようになり、勤め仕事の妻の要望から、朝ウォーキングの出発時間が、だんだん早くなり、早朝5時出発になりました。

薩長同盟ウォークの熊本コースは、1日に歩く距離が30km以上の日もあるので、長く歩く練習も日曜日などには、20km、25kmのウォーキングも何度かして、歩き始めた4ヶ月後、4日間で合計92kmを歩き切りました。

以来、薩長同盟ウォークの後も歩き続けて、宇土半島一周50kmを一日で歩くことも2度やり、歩く観光「フットパス」の研修も受けたりしました。歩くことで人が集い、共通の話題や自然・歴史などを学びながら、歩くのが楽しみになっています。

妻は、歩くことで体調管理・体重も少しは下がったようです。早朝ウォーキングの歩く速度は、1kmを10分、毎回7km(片道3.5km)歩きます。時速6km/hで、少し早足のウォーキングですが、冬でも着込んで歩くので、帰宅した時は汗びっしょりで、冷えた身体を温かい朝風呂で、じんわり温めると「生きてる!」の実感が湧いてきます。

まずは、8月4日まで早朝ウォーキングを頑張りたいと思います。先輩ウォーカーからの助言から、気持ちかゆったりになった話を紹介します。

私のような、1日に30km、50kmを歩くウォーカーは、日常のウォーキングは、週に2~3日は歩くのを休んだが良いとアドバイスがありました。「なーんだ!毎日歩かなくても大丈夫なんだ」気持ちがスッとして、私の朝ウォーキングの練習は、雨が降ったら休み、前日飲み会があったら休み、と気楽な気持ちで続けています。

妻と一緒に歩いても、ほとんど会話はないですが、NHKラジオを聴きながら、社会の情報を頭に入れながら歩くのも、楽しみの一つになっています。朝ウォーキングは、私の心身の健康には役に立っているように思います。

今日は、男女共同参画社会づくりの活動団体の総会、夜は熊本の「龍馬会」の打ち合わせ懇親会、今日も中身の詰まった一日になりそうです。朝から、そのための資料づくり中です。   

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:34Comments(0)マイライフ

交友は淡い付合い、論語で嫌う人物像、訥弁の求心力。

2014年05月07日

交友は淡い付合い、論語で嫌う人物像、訥弁の求心力。

年に数度しか会わなくても、中には数年に1度会うか連絡するしかなくても、会って数分も語れば、会わなかった時間が数日くらいと感じいる友人がいます。これって、とても嬉しいですよね。なかななか出会えない人でもあります。

中国古典の『荘子』にある教示が、次の一節です。

「君子ノ交ワリハ淡キコト水ノ若(ゴト)シ。小人ノ交ワリハ甘キコト醴(レイ)ノ若シ」

【意味の解説】醴は、甘酒のこと。甘酒のようにベタベタしているから、くっつくのも早いが別れるのも早い。これが小人の交わり。その点、君子の交わりというのは、水のようにサラサラしているから長続きする。

日本社会は、孔子の教え『論語』に大きく影響を受けていますが、その孔子が嫌いな人間のタイプを4つあげると、

1.他人の失敗を喜ぶ者
2.部下として仕えながら上司かげ口をたたく者
3.ただの乱暴を勇気とはきちがえている者
4.独断を決断と勘違いしている者

4つは節度をわきまえていない人間像があります。人間関係は複雑です。深入りしても難しい、しかし無関係ではいけない。地域に生きる者の人間力が試されます。

さて人との語り、集まりでの発言について、雑感。

『三国志』の英雄・劉備は、諸葛孔明をよに出すために、3度出向いた「三顧の礼」の実践者ですが、行動的でありながら、語りは少なかった。劉備は若い頃から

「語言少ナク、善ク人ニ下(クダ)ル」

1.寡黙
2.謙虚

同じく中国古典の『老子』にも、

「大弁ハ訥ナルガ若シ」

意味は、人を動かすほんものの雄弁とは、とつとつと語る訥弁のようなものだ、とあります。ある本にあった、解説ですが、(以下、引用)

>(男であれ、女であれ、特に日本人は、)弁ずべき時は大いに弁ずる、だが、ふだんは寡黙に徹する、これが望ましいあり方である。流行歌文句にも、「男(女)は無口なほうがいい」とある。必要でもない時に、ベラベラしゃべる、そんな愚かさだけは願い下げにしたい。

日頃は無口だが、いつも頼りになる人がいると思います。そんな大人になりたいものです。毎日が、修行と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:22Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

危機を乗り切るのは、最後は決して諦めない根性があるか。

2014年05月05日

危機を乗り切るのは、最後は決して諦めない根性があるか。

おはようございます。連休も残すところ、今日と明日になりました。我が家はあいかわらずに家の模様替えです。書斎の本と資料がほぼ移動できて、建築の大型の資料と模型置き場、更に人が来ても良いように打ち合わせ場所の配置です。元の14帖の長方形の部屋から、12帖と4帖のL型の部屋にレイアウトするので、人ひねりしないと上手くいきません。最後は、家具を動かしながらやるのが、私の思考パターンですが、頭の中では設計はできているのですが、いつも最後は現場で変更があり、設計はなかなか難しいものです。

さて大型連休、実は3年前のゴールデンウィークは、東北の被災地へ多くのボランティアが入り、復旧作業に関わりました。私は、その一月前の4月4日~8日まで現地に入り、われわれの東日本大震災・熊本支援チームメンバーが関わる地域の復旧作業の視察と、私も荷物の搬出に参加させていただきました。福島県相馬市から海岸沿いを北上し、宮城県、更に岩手県陸前高田市まで観て回りました。想像を超える津波被害に、言葉を失うような思いを持ったことを思い出します。

被災地は、生活を支える基盤を全く失っていました。今日の朝読書で、その被災状況で命つなぐ手助けした民間企業の活動が紹介されていました。一つは、「ローソン」で、本部と連絡が寸断される中、商品の調達に多くの社員が他県まで手を広げて自律的に動いた。

もう一つが、「クロネコヤマト」で、震災直後から、社員が自ら地元の役所に行き直談判して救援物資の配送を始めた。「なぜそんなすごいことができるんですか?」の問いに、ヤマト運輸の末川眞社長は「それは、うちの会社のDNAですよ」と。末川社長は「救援物資協力隊」を編成し、経営陣が介入せず、一歩引いて社員の活動をサポートした。

文の中で語られているにが、「危機の時、最前線で奮闘する人々の信念は、今、目の前にいる人のために自分が役に立つことだ。それが怪我人の場合もあれば、ビジネス上での顧客の時もあろう。この信念が上層部の介入によって汚され、士気が落ちないようにするのがリーダーの役割である」とあった。

この項のテーマは「危機のリーダーシップ・5つの原則」ですが、もう一つの例が挙げられています。タイトルは「55分の空白」、同じく東日本大震災で世界が震え上がった福島第一原発事故現場での事故直後の復旧作業での出来事です。

(以下、『バカと笑われるリーダーが最後に勝つ』より)

東電本社は、当時の首相官邸に詰めていた担当者が、首相の判断がないなか実施できない雰囲気、というより「空気」を伝えて来たとして、現場に(冷却水の)注水中断を指示する。福島第一原子力発電所の吉田昌郎所長が、その命令を聞いたふりをして実際には注水を続けていた。このことを吉田所長は本社に報告していなかった。(中略)

事件は現場で起きている。たとえ、組織のルールに反しても「最良の行動が何であるか」を考え、「本当に正しいこと」のために行動して行くのが、危機のリーダーシップだ。
(以上、本より転載)

吉田元所長は、激闘の復旧作業の労苦から病に倒れられましたが、その生き様に多くの部下が心服し、現在も激務をこなしていると時折報じられています。いかに、現場の陣頭指揮が大事か、机上の空論より、現場の一つの実践が勝る話と肝に命じます。危機における5つの原則(心得)を、本より抜粋します。

1.最優先課題に全精力を集中させる
2.最良の行動をとるためにルールを破る勇気を持つ
3.「成功の確立」を心配するより「行動の量」を高める
4.最前線の自律的な行動を支援するため悪役を買って出る
5.危機を乗り越えられること信じぬく

人間は、危機の時に本性が出るもの。逃げるリーダーなのか、立ち向かうリーダーなのか。それを最後に決めるのは、学歴でもなきMBAなどの資格でもなく「心の力」。言ってしまえば根性がリーダーシップの最後の気質なのです。

西郷隆盛の遺訓録「西郷南洲遺訓」で、「政治は危機管理」と一言語っている。この政治を、企業経営、災害、事故と読み替えると、様々な事に応用できると思います。人生もまた危機管理連続のかもしれませんね。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 11:06Comments(0)東日本大震災

【上善若水】龍馬は『老子』を敬慕し、自分の号を「自然堂」と称した。

2014年05月04日

【上善若水】龍馬は『老子』を敬慕し、自分の号を「自然堂」と称した。

今朝の冷え込みは、早朝ウォーキングで手袋をせずに出たら、最後まで手先が温まらなかった。まだまだ朝は、寒い日も在るなと思います。朝ウォーキング前に開いた本、松山淳著『バカと笑われるリーダーが最後に勝つ~トリックスター・リーダーシップ~』に�坂本龍馬のことが取り上げられていた。

坂本龍馬は、手紙自分の号を「自然堂」と書いたり、下関で龍馬とお龍の住まいを「自然堂」を称していたとあった。読み進むと、龍馬は中国古典の『老子』の生き方に憧れたようだ。老子といえば、勝海舟も老子に似た生活をしていたように感じる。生き方が、近かったから師弟関係になった?

余談はそこまでにして、龍馬の有名な短歌「世の人はわれをなにともゆはばいへわがなすことはわれのみぞしる」。これは、龍馬の反骨精神と孤独感がにじみ出る言葉と思います。だから、「自然堂」なる考えが出て来たのだろうか。

坂本龍馬は、幕末運動には少し遅れて参画した。長州の吉田松陰、久坂玄瑞、熊本の宮部鼎蔵、高知の武市半平太、薩摩の西郷隆盛、早々たる顔ぶれに幕末前夜の一時期に大きな仕事をする。それは、老子の教示「大器晩成」なのか。また、薩長連合まとめた、一つも目的に敵味方はない考え方は「和光同塵」から発想なのか。

自分は前面に出ず、別発想で日本を盛り上げる夢を持っていたのか。それは、まだ動き出す前に暗殺された。政治の舞台では、仲介役に徹した。表舞台に出るのは、西郷隆盛、木戸孝允等だった。龍馬は厚かましい交渉はするが、謙虚な立場を撮り続けた。

『老子』に、「上善若水」がある。意味は、

「上善水の若(ごと)し。水は善く万物を利して而も争わず、衆人の悪(にく)む所に拠(お)る。故に道に畿(ちか)し」

意訳すると、「最高のまことの善とは、たとえば水にはたらきのようなものである。水は万物の生長をりっぱに助けて、しかも競い争うことがなく、多くの人がさげすむ低い場所にととどまっている。そこで、「道」のはたらきに近いものだ」。

また、この本の一節に「大器晩成」の解説文があった。これを読み、正に龍馬ではないかと思いました。最後のその教示と解説文を転載します。

「広徳は足らざるが若し。質真は渝るが若し。大方は隅無く、大器は晩成し」

中国文学者の林田慎之助氏の訳にによると

「高い徳は低く見え、真の白さは汚れて見え、広大な徳は欠けているように見え、変わらぬ徳はうつろいやすく見える。とっても大きなものは、四方の隅が見えない。とっても大きな器量は、馬鹿に見えるものだ」

過激な訳だが、「大賢は愚かなる如し」(真に賢い人は知識をひけらかさないので一見、愚かな人のようである)。坂本龍馬とは、真の賢人だったのかもしれませんね。

今日も一日、家の片付けです。世は渋滞ですが、運転中の方はゆとりを持って目的地へ向かってください。元気に一日過ごしましょう。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:54Comments(0)偉人

(福島-熊本)九州北部豪雨と阿蘇内牧の寺の泥出し、芭蕉の句碑もあった。

2014年05月03日



(福島-熊本)九州北部豪雨と阿蘇内牧の寺の泥出し、芭蕉の句碑もあった。

いよいよ、ゴールデンウィーク後半の日本の休日が始まりました。テレビでは、関東周辺の高速道路の渋滞が報じられているが、我が家は出かける予定もなく、何時もの日曜日という感じです。

今朝の熊本日日新聞「アレンジ」に阿蘇の古い温泉街「内牧」が紹介されています。読み進む中で、九州北部で私と福島県相馬市の震災活動仲間と一緒に、水害で堆積した泥出しに行った満徳寺が紹介され、住職が当時のことを振り返り、ダンプカー600台分に及ぶ水害たまった家屋内外、墓場、庭の泥出しに、ボランティアや同じ宗門の若者たちが毎日来てくれて、綺麗になったことに、感謝の言葉があった。

九州北部豪雨は夏で、気温30℃を超える猛暑の中で、湿った想い泥をスコップで掘り出し、一輪車で運び出す地道な作業、この作業を一緒にしてくれたのが、福島県相馬市の地域おこしグループ「走馬会」の小幡代表です。3年前に、我々の「東日本大震災・熊本支援チーム」の支援活動に対するお返しをしたいと、豪雨被害の後すぐ駆けつけてくれました。

自然災害は、いつどもで起こること、とにかく仲間と共に、被災地へ駆けつける気持ちが大事と、東北支援活動や北部豪雨被災地へ行った経験が大いに役に立っています。記事を読むと、その満徳寺には、松尾芭蕉の歌碑「春もや々 けしきととのふ 月と梅」が在ることを知った。500年の歴史のある寺には、様々な偉人たちが訪れたのでしょう。

名湯の街「内牧」は、文豪の夏目漱石も度々訪れた温泉街、今日の連休もたくさんの観光客にぎわうことおもいます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:35Comments(0)マイライフ

「忘己利他」己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。~最澄~

2014年05月02日

「忘己利他」己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。~最澄~

おはようございます。今朝の朝ウォーキングは、雲ひとつない快晴の青空で、空気も放射冷却でひんやりして、気持ち良い気分でした。田舎は、連休は今日までは無縁で、早くビニールハウスに向かう農家の方とすれ違いました。

さて、朝読書で天台宗の開祖、最澄の訓示がありました。テーマは、「幸せは人に分けるほど大きくなる」とても全人的な利他の行動の勧めですが、敬天愛人にも勝る人の生き方が、冒頭の「忘己利他」の訓示です。

意味は、「好ましくないことは自分で引き受け、好ましいことは人に振り向け、自分を忘れて人のためになることこそ、慈悲の究極であり方である」です。

お釈迦様は、自分も幸せになり人も幸せにする「自利利他」を説いたが、最澄はさらに発展させて、自分幸せにを忘れて人や世の中を幸せにする「忘己利他」の教えを追求した。本に、次の解説があった。

(以下、転載)

たとえ、敵対する宗教の人であっても、敵対する政党の人であっても、イヤな上司であっても関係なく、“他者に喜びをわが喜びとし、他者の痛みをわが痛みとする”「無縁の慈悲」を実践できてこそ本物の利他だと言明しています。「無縁」とは、簡単に言えば赤の他人のことです。これが最澄のいう「忘己利他」なのです。
(以上、中野東禅著『人生の問題がすっと解決する 名僧の一言』より)

この文を読み、人物を思い浮かぶのは、インドの偉人「マザー・テレサ」です。身寄りのない路傍に横たわる人を助け続けた行動は、世界が共感し、多くの支援者が集った。

(エピソード)マザー・テレサは、インドで開催された貧困問題の国際会議へ出席するため急ぎ会場へ向かう途中、会場前に瀕死状態のホームレスの男性が横たわっていた。それに気づくと、いても立ってもおられず、会議に参加せず男性を抱きかかえ、自分の施設へ連れ帰り、亡くなるまで懸命に介抱した。

国際会議には、多くの国から貧困問題に関心のある方が来ていたが、会場前に横たわるホームレスの男性の介護には、関心も持たなかった。マザー・テレサは、自らの実践で、会議よりも貧困問題解決には実践が大事なことを示した気がします。

現代の政治は、貧困問題の国際会議には熱心ですが、マザー・テレサの実践にはあまり関心がない。テレビ番組で「事件は現場で起きている」の言葉ではないですが、韓国の海難事故でも分かりますが、政治も現場重視で行うことが、今後さらに求められる気がします。

今朝は、最澄の「忘己利他」からいろいろ気づきをもらいました。今日から5連休の方もいるとおもいますが、ゆとりのある計画で楽しんでください。私は、家の片付け、草刈りで過ぎそうです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:03Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

「人の欠点をあげつらうのは、自分に徳がないから」〜徳ある人が得する〜

2014年05月01日

「人の欠点をあげつらうのは、自分に徳がないから」〜徳ある人が得する〜

朝の山林の草刈り終えて、汗を流して朝食。連休から始まる我が家の夏の日課です。3日もすれば、身体もだんだん慣れて来ますが、夏季に2回、延べ2ヶ月かかる山林、畑の草刈り、田舎の風景はそんな地道な作業によって保たれているのかもしれません。

さて、朝読書『人生の問題がすっと解決する 名僧の一言』で、幕末に福岡にいた名僧の話に感動しました。以下、本から引用。

浄土真宗本願寺派の七里恒順(しちりごうじゅん)は、30代で福岡県の万行寺の住職となった。恒順住職は、寺に泥棒に入った男を出納係にした。総代たちは猛反対したが、強引に押し切った。しかし困ったのは出納係を任された当人(元泥棒)です。毎日、賽銭や布施を預けられ、誰も見ていない部屋で金勘定をしなければいけません。
盗みというのは癖ですから、その気持ちを抑える毎日が苦行です。住職が自分を信じてくれているだけに、苦しみは大きかったと思います。結局その出納係は、死ぬまで一文のお金も間違わずに万行寺でつとめあげたとありました。元泥棒の出納係は、とうとう自分の欠点(盗み癖)勝ったのです。この欠点の克服できたのは、住職が出納係を信じてくれたから、とありました。

末尾に太字で書かれていたのが、

「人の欠点あげつらうのは、自分に徳がないからです」

加えて、人を信じて包み込む。そうすれば人間関係はおのずとラクになるもの、とありました。

この項のテーマは

結局は「徳ある人」が「得する人」なのです。

この言葉の元となった鎌倉初期の華厳宗の僧、明恵の言葉は、

「人のあやまちをいうひどのものは、わが身に徳なき折りのことなり。徳というは得なりとて、徳を好む人にあるなり」

本の解説は、

「人の過ちや欠点をあげつらう人は、自分自身に徳がない人だ。徳とは“得”と書き、人間らしさのことですから、“得”を得るのは、人間らしさを好む人である」ということですね。徳とは善い行いのことですが、広い意味で「人を助ける気持ち」ととらえると良いでしょう。
(以上、本より引用)

人を助ける気持ち、人のお世話をする気持ち、熊本弁では「世話役(せわやき)」ですが、良い意味の人のお世話をする行いを、厚かましくなく、求めに合わせて対応をすることが大事と思いました。泥棒を出納係にすることは、一般人には難しい器量と思いますが、人を信じて任せることはとても大事な人としての行い、と再確認します。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:55Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他