地元小学校の6年生による「平和学習発表会」を聴講させてもらいました。素晴らしい内容で、感心しました。
2021年02月27日

地元小学校の6年生による「平和学習発表会」を聴講させてもらいました。素晴らしい内容で、感心しました。
〜戦時中の生活(特に子ども)、当事者からの話、原爆資料館、現地調査(フィールドワーク)、宇土の戦争被害、住吉と戦争、さらに現代の課題にも、世界の紛争と原爆所有国、核廃絶条約と日本、これからやらなければいけないこと〜
上記がおおかたの内容ですが、私が話して2日間しかなかったのに、ちゃんと修正を加えたとのこと、学びの協働作業の良い面が出ている、と思いました。
小学生でも、ここまで理解して、人前で語れることを見て、学校の悪い面を取り上げるマスコミには、いつもうんざりしているのですが、"教育現場を見ることの大切さ"を改めて確認した気がしました。
この小学6年生は、小学1年の前から見ている子もいるので、登校途中に、田んぼにハマって泥だらけできた子も、いつも一番遅くに一人登校する子とか、色々個性的な子が多いので、どうかな?と思っていましたが、いやいや、6年生ですね、さすがでした。
でも、あと一月もすれば小学校も卒業です。4月から中学校に通います。みんな心も身長も大きくなったなぁ、と思いながら発表を聞いていました。





<活殺自在>この世で変わらないのは、変わるということだけだ。〜ジョナサン・スウィフト〜
2021年02月26日
<活殺自在>この世で変わらないのは、変わるということだけだ。〜ジョナサン・スウィフト〜
私が指導を受けた一人、政治評論家の内田健三先生ですが、晩年、熊日に1年間政経のコラムをかかれました。そのタイトルは「活殺自在」でした。
活殺は、厳しく聞こえますが、".自在"は、自ら自由に変化し、相手変化に対応する。
内田健三先生は、「身体は衰えても、精神(志=心)はいくらでも成長する」と80歳を前に語られました。
活殺自在こそ、自らを変化成長させる生き方のように思います。
*ジョナサン・スウィフト:イングランド系アイルランド人の諷刺作家、随筆家、政治パンフレット作者、詩人、および司祭。
私が指導を受けた一人、政治評論家の内田健三先生ですが、晩年、熊日に1年間政経のコラムをかかれました。そのタイトルは「活殺自在」でした。
活殺は、厳しく聞こえますが、".自在"は、自ら自由に変化し、相手変化に対応する。
内田健三先生は、「身体は衰えても、精神(志=心)はいくらでも成長する」と80歳を前に語られました。
活殺自在こそ、自らを変化成長させる生き方のように思います。
*ジョナサン・スウィフト:イングランド系アイルランド人の諷刺作家、随筆家、政治パンフレット作者、詩人、および司祭。
<どんな風に読まれているのか?>文化学院の卒業生の言葉に、感銘をい受けました。〜新日本風土記「学生の街・神田」〜
2021年02月26日
<どんな風に読まれているのか?>文化学院の卒業生の言葉に、感銘をい受けました。〜新日本風土記「学生の街・神田」〜
教育とは惹きつけるもの、教育は人を引き上げる( 興味を引き出し伸ばす)こと・・・
さまざまな活動に関わる学生たちのことが紹介されていました。
これを見ながら、"果たして私は何をこれまでやってきたのか?"と思いました。
私は、何をしたいのだろう、やっているのだろう、やって来たのだろう。
活動、ネットワークづくり、コメント、提言、交流会、等々。
・ネット上のコメントは、
2002年6月に始めたのが毎日友人・知人に配信したメールマガジンでした。
以来、mixi、yahooブログ「野口修一と仲間たち」、おてもやんブログ、gooブログ、biglobブログ、Twitter、Facebook、LINE、Instagram、・・次は?
現在は、メインはFacebookです。サブで、おてもやんブログ、biglobブログ(Twitterにリンク)、LINE、Instagram、でしょうか。
Facebookの私の人数の多さは、10年前の東日本大震災の支援活動「熊本支援チーム」のネットワーク拡大のため、3月16日の夜から、九州を中心にオファーをかけ、どんどん増やして行きました。私は、Facebookを始めたのは、10年前の2月の「マチナカレッジ」の催し後に語った時、元武雄市長の樋渡啓祐氏から勧められました。
mixiは、匿名性が強かったので、だんだんと、Facebookが主流になっていきました。その頃には、メールマガジンは休止していました。SNSがメインになり、ブログも細々と続けていましたが、おてもやんブログの私のコメントが、一時期(1ヶ月ほど)、毎日アクセスか500回を超え、一度一日のアクセスが6000回を超えました。その原因は未だに不明です。
と、長々と事前説明しましたが、毎日私の書くコメントを、見てもらうだけでもありがたいのに、「いいね」をしていただく人、コメントまで書いてくださる人、それは、私の気持ちが続くパワーになっています。
先ほど始めたのは2002年6月〜現在まで、たくさんネット上に在ります。いつか整理せねばと思いつつ、毎日書くことを続けています。
果たして皆さんから、私はどんなふうにに見られているのだろう?と思います。
たぶん、厳しく意見されてもやめないのですが、後々、どれだけ残っているかは不明ですが、子どもたちが読んだ時、どんなに感じるのか、不安でもあり、楽しみです。
私のコメントや活動等に、ご意見いただければ幸いです。
教育とは惹きつけるもの、教育は人を引き上げる( 興味を引き出し伸ばす)こと・・・
さまざまな活動に関わる学生たちのことが紹介されていました。
これを見ながら、"果たして私は何をこれまでやってきたのか?"と思いました。
私は、何をしたいのだろう、やっているのだろう、やって来たのだろう。
活動、ネットワークづくり、コメント、提言、交流会、等々。
・ネット上のコメントは、
2002年6月に始めたのが毎日友人・知人に配信したメールマガジンでした。
以来、mixi、yahooブログ「野口修一と仲間たち」、おてもやんブログ、gooブログ、biglobブログ、Twitter、Facebook、LINE、Instagram、・・次は?
現在は、メインはFacebookです。サブで、おてもやんブログ、biglobブログ(Twitterにリンク)、LINE、Instagram、でしょうか。
Facebookの私の人数の多さは、10年前の東日本大震災の支援活動「熊本支援チーム」のネットワーク拡大のため、3月16日の夜から、九州を中心にオファーをかけ、どんどん増やして行きました。私は、Facebookを始めたのは、10年前の2月の「マチナカレッジ」の催し後に語った時、元武雄市長の樋渡啓祐氏から勧められました。
mixiは、匿名性が強かったので、だんだんと、Facebookが主流になっていきました。その頃には、メールマガジンは休止していました。SNSがメインになり、ブログも細々と続けていましたが、おてもやんブログの私のコメントが、一時期(1ヶ月ほど)、毎日アクセスか500回を超え、一度一日のアクセスが6000回を超えました。その原因は未だに不明です。
と、長々と事前説明しましたが、毎日私の書くコメントを、見てもらうだけでもありがたいのに、「いいね」をしていただく人、コメントまで書いてくださる人、それは、私の気持ちが続くパワーになっています。
先ほど始めたのは2002年6月〜現在まで、たくさんネット上に在ります。いつか整理せねばと思いつつ、毎日書くことを続けています。
果たして皆さんから、私はどんなふうにに見られているのだろう?と思います。
たぶん、厳しく意見されてもやめないのですが、後々、どれだけ残っているかは不明ですが、子どもたちが読んだ時、どんなに感じるのか、不安でもあり、楽しみです。
私のコメントや活動等に、ご意見いただければ幸いです。
40年前の"ギャフン!"という体験を、今日の網津小学校の戦争講話の準備で思い出しました。(人間は、世のチリのようです)
2021年02月25日
40年前の"ギャフン!"という体験を、今日の網津小学校の戦争講話の準備で思い出しました。(人間は、世のチリのようです)
私は、建築の専門学校「専修学校熊本YMCA学院建築科」に通いました。そのおかげで、一級建築士事務所を30年やってこれました。
私が、熊本YMCA学園建築科を選んだ条件の一つに、日本YMCAとフィリピンYMCAの交流で、日本から学生が春休みに「ワークキャンプ」体験(45日間)ができることがありました。
私は、とにかく一回海外からに出たかった!
熊本弁なら"わさもん"でしょうか!
退学受験の失敗から、いったん社会人になりますが・・・んー!
浪人、社会人、浪人、から専門学校へ
決めたキーワードは、フィリピンYMCAとの交流でした。
40年前、オイルショック後の厳しい時、父(元海軍)を説得して日本YMCA代表の20人(熊本は、変わり者3人)で、マニラへ。
フィリピンYMCAと日本YMCAとのセレモニーを終えて、ミンダナオ島のダバオ市に行き、ダウンタウンの小学校がボランティア活動の拠点なので、連れて行かれました。
初日の歓迎と罵倒する言葉に、唖然とします。
フィリピンYMCAのお偉方から帰った後始末、小学校周りの人が集まり、明日からのボランティア活動(現地1ヶ月間で、公民館建設、水道管敷設、バスケットゴール製作)をするのですが、"宴もたけなわ!"なり70歳を超える古老が壇上に上がり(主催者の予定外)語った言葉は、
「俺の娘は、戦争で日本軍に殺された、お前ら何しに来た、日本へ帰れ!」
でした。会場が、騒然となるかと思うと、会場にいる大人たちの視線が、全部我々を見ていることを知りました。
ダバオ市は、太平洋戦争の時、フィリピンへ日本軍が最初に上陸し、当時の統治国のアメリカ軍と、凄まじい戦闘を行なったのが、ダバオのでした。それを知らされずに、ただ日本YMCAとフィリピンYMCAの交流をする学生の集まり、すごい!ショックでした。
>俺の娘は日本軍に殺された!
本日の網津小学校の戦争のお話は、父と兄2人は、海軍に志願して行きました。父は数え16歳、満15歳の現代なら高校1年生でした。兄の戦死を知らずに志願しました。父が志願した頃、日本の敗戦のきっかけとなったソロモン諸島の海戦で叔父は亡くなりました。24歳でした。
今回の小学校の戦争講話で「私が生きて来て聞きたい"戦争"の話を思いだしました。みなさんの参考になるかわかりませんが、お読みいただけるとありがたいです。
今日の講話で、
終戦の直前、8月12・13日の熊本大空襲では、試作的に作られた、ベトナムの森林を焼くために開発されたナパーム弾が使われています。ナパーム弾は、実はベトナム戦争のためでなく、日本の家屋を焼き払うために開発されたと聞き、驚愕しました。
私は、建築の専門学校「専修学校熊本YMCA学院建築科」に通いました。そのおかげで、一級建築士事務所を30年やってこれました。
私が、熊本YMCA学園建築科を選んだ条件の一つに、日本YMCAとフィリピンYMCAの交流で、日本から学生が春休みに「ワークキャンプ」体験(45日間)ができることがありました。
私は、とにかく一回海外からに出たかった!
熊本弁なら"わさもん"でしょうか!
退学受験の失敗から、いったん社会人になりますが・・・んー!
浪人、社会人、浪人、から専門学校へ
決めたキーワードは、フィリピンYMCAとの交流でした。
40年前、オイルショック後の厳しい時、父(元海軍)を説得して日本YMCA代表の20人(熊本は、変わり者3人)で、マニラへ。
フィリピンYMCAと日本YMCAとのセレモニーを終えて、ミンダナオ島のダバオ市に行き、ダウンタウンの小学校がボランティア活動の拠点なので、連れて行かれました。
初日の歓迎と罵倒する言葉に、唖然とします。
フィリピンYMCAのお偉方から帰った後始末、小学校周りの人が集まり、明日からのボランティア活動(現地1ヶ月間で、公民館建設、水道管敷設、バスケットゴール製作)をするのですが、"宴もたけなわ!"なり70歳を超える古老が壇上に上がり(主催者の予定外)語った言葉は、
「俺の娘は、戦争で日本軍に殺された、お前ら何しに来た、日本へ帰れ!」
でした。会場が、騒然となるかと思うと、会場にいる大人たちの視線が、全部我々を見ていることを知りました。
ダバオ市は、太平洋戦争の時、フィリピンへ日本軍が最初に上陸し、当時の統治国のアメリカ軍と、凄まじい戦闘を行なったのが、ダバオのでした。それを知らされずに、ただ日本YMCAとフィリピンYMCAの交流をする学生の集まり、すごい!ショックでした。
>俺の娘は日本軍に殺された!
本日の網津小学校の戦争のお話は、父と兄2人は、海軍に志願して行きました。父は数え16歳、満15歳の現代なら高校1年生でした。兄の戦死を知らずに志願しました。父が志願した頃、日本の敗戦のきっかけとなったソロモン諸島の海戦で叔父は亡くなりました。24歳でした。
今回の小学校の戦争講話で「私が生きて来て聞きたい"戦争"の話を思いだしました。みなさんの参考になるかわかりませんが、お読みいただけるとありがたいです。
今日の講話で、
終戦の直前、8月12・13日の熊本大空襲では、試作的に作られた、ベトナムの森林を焼くために開発されたナパーム弾が使われています。ナパーム弾は、実はベトナム戦争のためでなく、日本の家屋を焼き払うために開発されたと聞き、驚愕しました。
10年前、高校保護者会長として、高校卒業式で挨拶した原稿です。私のブログで、アクセスが一番多いうちの一つです。
2021年02月25日
10年前、高校保護者会長として、高校卒業式で挨拶した原稿です。私のブログで、アクセスが一番多いうちの一つです。県外の知人から、引用させてとあったので、"どうぞ"です。
(以下、昨日の保護者謝辞の抜粋)
本日は、厳粛な中に、清らかで、心温まる卒業式に参加でき、感無量の気持ちです。三年前の春の入学式が、昨日のように感じますが、子どもたちは、たくましく成長しました。勉強と部活動、学生生活でも色々な経験をしたからだと思います。
日々の家での生活からは、成長の変化を感じませんが、三年間の高校生活を経た姿は、眩いばかりの青年なりました。今日、宇土高校を巣立って行きます。この成長は、多くの先生方の指導や、友達との交友のおかげと感謝しています。
私たち保護者は、小学校以来三度めの卒業式、子育ても一息をつくことになります。高校進学では、学習支援や色々な相談相手をしました。しかし、高校三年にもなると、目指す夢や、将来の仕事を決めること、学校の選択など、たくさん考え悩んだと思います。
子供自身で「自分の道」を見つけるのに、親の経験、知識からのアドバイスは、参考にはなっても、到底、答えを導くまでには到りませんでした。自分の進む道を探し出すには、やはり先生方の導きがなければ、行き着きつかったと思います。
ドイツの教育の諺に、「知識を教えてくれる先生は多く居るが、人生を教えてくれる先生はなかなか居ない」 とあります。
三年生になり、先生方には課外や日曜日の模試と、通常の授業意外にも、多くの時間を費やして頂き、子どもたちを指導して頂きました。子どもたちが、落ち込んだり、悩んだりした時には、励ましたり、優しい言葉をたくさん頂きました。言葉に言い尽くせないほど、感謝の気持ちで、いっぱいです。本当にありがとうございました。卒業以後も変わることなく、生徒たちとの交流に加え、人生の先輩としてご指導を頂ければ幸いです。
生徒のみなさんに一言伝えたいと思います。高校の友人は、何時までたっても良き友であり、成長し合う仲間でもあります。
昨日、宇土の論語学習会で「益者三友、損者三友」という教えを学びました。益者三友とは、自分をより良き方向へ導く三人の友のことです。一人は誠意や正しさを教える友人、もう一人は物事や交友関係でなるほどと思うことを言ってくれる友人、最後が心惹かれるような教養を持っている友人です。
損者三友とは、自分を堕落させて行く友人のことです。これまでご両親から、日々、友人の大切さを教えられたと思います。ですから、自分自身が友人たちから「益者三友」と思われるような人間になることを目指して欲しいと願っています。
世界一の広告会社「電通」の四代目社長吉田秀雄さんの言葉に、「計画を持て、長期の計画を持って居れば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる」。また、「難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げる所に進歩がある」と説いています。
これからみなさんは、人生の輝きである「青春」の真っ只中へ進みます。自分の目標を定め、それを実現するには、情熱と真剣に学ぶ姿勢が必要です。自分の夢に向かって、色々なことに、貪欲にチャレンジを続けて欲しいと願っています。
まだまだ、先生方への感謝も、子どもたちへの思いも、言い尽くせませんが、これで保護者代表してのお礼の言葉と致します。
(以上、挨拶文)
お恥ずかしいですが、今日も小学校で「戦争の講話」をしたのですが、PTA会長としての役割は大きいと、講話後の後座の話を聞きながら思い出していました。
https://blog.goo.ne.jp/noguchi-syuichi-office/e/08b1af26bd2f48fd56bf40ff31338772
(以下、昨日の保護者謝辞の抜粋)
本日は、厳粛な中に、清らかで、心温まる卒業式に参加でき、感無量の気持ちです。三年前の春の入学式が、昨日のように感じますが、子どもたちは、たくましく成長しました。勉強と部活動、学生生活でも色々な経験をしたからだと思います。
日々の家での生活からは、成長の変化を感じませんが、三年間の高校生活を経た姿は、眩いばかりの青年なりました。今日、宇土高校を巣立って行きます。この成長は、多くの先生方の指導や、友達との交友のおかげと感謝しています。
私たち保護者は、小学校以来三度めの卒業式、子育ても一息をつくことになります。高校進学では、学習支援や色々な相談相手をしました。しかし、高校三年にもなると、目指す夢や、将来の仕事を決めること、学校の選択など、たくさん考え悩んだと思います。
子供自身で「自分の道」を見つけるのに、親の経験、知識からのアドバイスは、参考にはなっても、到底、答えを導くまでには到りませんでした。自分の進む道を探し出すには、やはり先生方の導きがなければ、行き着きつかったと思います。
ドイツの教育の諺に、「知識を教えてくれる先生は多く居るが、人生を教えてくれる先生はなかなか居ない」 とあります。
三年生になり、先生方には課外や日曜日の模試と、通常の授業意外にも、多くの時間を費やして頂き、子どもたちを指導して頂きました。子どもたちが、落ち込んだり、悩んだりした時には、励ましたり、優しい言葉をたくさん頂きました。言葉に言い尽くせないほど、感謝の気持ちで、いっぱいです。本当にありがとうございました。卒業以後も変わることなく、生徒たちとの交流に加え、人生の先輩としてご指導を頂ければ幸いです。
生徒のみなさんに一言伝えたいと思います。高校の友人は、何時までたっても良き友であり、成長し合う仲間でもあります。
昨日、宇土の論語学習会で「益者三友、損者三友」という教えを学びました。益者三友とは、自分をより良き方向へ導く三人の友のことです。一人は誠意や正しさを教える友人、もう一人は物事や交友関係でなるほどと思うことを言ってくれる友人、最後が心惹かれるような教養を持っている友人です。
損者三友とは、自分を堕落させて行く友人のことです。これまでご両親から、日々、友人の大切さを教えられたと思います。ですから、自分自身が友人たちから「益者三友」と思われるような人間になることを目指して欲しいと願っています。
世界一の広告会社「電通」の四代目社長吉田秀雄さんの言葉に、「計画を持て、長期の計画を持って居れば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる」。また、「難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げる所に進歩がある」と説いています。
これからみなさんは、人生の輝きである「青春」の真っ只中へ進みます。自分の目標を定め、それを実現するには、情熱と真剣に学ぶ姿勢が必要です。自分の夢に向かって、色々なことに、貪欲にチャレンジを続けて欲しいと願っています。
まだまだ、先生方への感謝も、子どもたちへの思いも、言い尽くせませんが、これで保護者代表してのお礼の言葉と致します。
(以上、挨拶文)
お恥ずかしいですが、今日も小学校で「戦争の講話」をしたのですが、PTA会長としての役割は大きいと、講話後の後座の話を聞きながら思い出していました。
https://blog.goo.ne.jp/noguchi-syuichi-office/e/08b1af26bd2f48fd56bf40ff31338772
今日は、地元の網津小学校6年生に「戦争の講話」をしました。
2021年02月25日
今日は、地元の網津小学校6年生に「戦争の講話」をしました。きっかけは、私が以前やっていた「住吉地域学教室」のことを6年生の担任の先生が聞かれたようで、先々週にお願いされて、少し準備時間をいただき、45分の授業時間で、講話20分、質問と意見交換を20分行いました。小学生に分かり訳す語るのは、なかなか難しですね。良い経験をさせてもらいました。
戦争は、誰かが始めないと始まらないこと。
平和だから、今の日本の繁栄があること。
戦争をしないことがいかに大切なことか。
等々・・・







戦争は、誰かが始めないと始まらないこと。
平和だから、今の日本の繁栄があること。
戦争をしないことがいかに大切なことか。
等々・・・







<新幹線貨物構想>10年前、市民活動から続けていた高速鉄道を使う貨物輸送の勉強会のイベントをやったことを思い出しました。
2021年02月25日
<新幹線貨物構想>10年前、市民活動から続けていた高速鉄道を使う貨物輸送の勉強会のイベントをやったことを思い出しました。
野口修一の議員活動報告で、JR九州の初代社長の石井幸孝氏と共に高速鉄道を活用する新幹線貨物のシンポジウムを開催したことを思い出します。
http://noguchi.otemo-yan.net/e440683.html
野口修一の議員活動報告で、JR九州の初代社長の石井幸孝氏と共に高速鉄道を活用する新幹線貨物のシンポジウムを開催したことを思い出します。
http://noguchi.otemo-yan.net/e440683.html
<経済学者・小黒一正氏講演会>コロナ危機とマクロ経済・財政の課題〜危機で改革の窓は開くか〜
2021年02月24日

<経済学者・小黒一正氏講演会>コロナ危機とマクロ経済・財政の課題〜危機で改革の窓は開くか〜
本日の講演メモ、抜粋から、
<コロナ後の経済回復>
飲食・観光分野は大変ですが、製造業は好調、通信関連、医療介護、等々も、回復は顕著に推移してからので、海外のエコノミストも含め、
現在の経済は、1年間に1%成長すれば、2年で元に戻る。
・熊本県のGDPを検証すると、4%の経済の落ち込みを日本全体から割り出すと
熊本のGDPは6兆円なので、コロナの落ち込みを、-4%なら、約−2400億円となると。、
*海外のエコノミストは、日本の成長は、2.2%は成長するので、2年ほどで回復する
・100年前のスパイン風の検証から、
"死者数が少ない所は、経済の回復力が大きい"
<日本の財政>
これまで、医療介護分野の費用増加は毎年2.8兆円づつ増えてきた。
また、2018〜2040年は、毎年約2.8%づつ社会保障費が増えている
コロナ禍の日本の総決算予測
令和2年 263兆円
令和3年 236兆円(第二回緊急事態宣言前の時点)
対して、令和元年の決算は154兆円、その前年の平成30年は148兆円だった。
令和元年:令和2年=100:170
で、7割増えた。たぶん、令和3年も同様に増える予想。
<過去20年間の経済成長>
これまでの過去の実質成長平均値は、0.4%程度だった。
・日本の生産性が上がった時期
1987ブラックマンデー
2008リーマンショック
・生産力とは
1.労働力
2.資本(工場、インフラ、
3.技術→国によって生産性の差が出る
・コロナ開発力の低さの原因はなにか?
→日本の財政は火の車だから出せない
日本人は、危機になると生産力があかる?
→このコロナ禍をバネに、再度日本の生産力が上がるような期待をしている。(小黒一正氏)
<その他>
日本の財政危機の対応と将来(中長期)展望、デジタルガバメントの考え方、最後に、コロナ感染者数の各国の違いの評価は面白かった。


「父との会話」日帰り温泉の脱衣所で聞いた、ほのぼのとした親子の会話を、今朝の『たから箱』で思い出した。
2021年02月24日
「父との会話」日帰り温泉の脱衣所で聞いた、ほのぼのとした親子の会話を、今朝の『たから箱』で思い出した。
子ども「お父さん、赤鬼、青鬼、知ってる」
父「知ってるよ」
子ども「やってみたことある」
(どうもゲームの話のようだ)
子ども「携帯でできる」
父「お父さんも、やってみたいな」
子ども「アプリをダウンロードして」
とおねだりして・・・
父「やろう、やろう」
で、湯船の方へ行かれたので、話はこれで終わりなのですが、この子は5〜6歳くらい?、優しく接する父の態度がほのぼのした雰囲気で、とても印象良く記憶に残った。
時代、時代で、子どもたちの興味は変化するのでしょうが、親がどう子どもに接するか、で後々の親子関係が違っていくのだろう、と思います。
今朝の「たから箱」
どこも父の忙しい姿を見ているのでしょう。
私が、小さかったころ、ゆっくりと父と語った記憶が無い。私自身、子どもたちとどう接していたのか、たまに振り返ることも大事だと思いました。

子ども「お父さん、赤鬼、青鬼、知ってる」
父「知ってるよ」
子ども「やってみたことある」
(どうもゲームの話のようだ)
子ども「携帯でできる」
父「お父さんも、やってみたいな」
子ども「アプリをダウンロードして」
とおねだりして・・・
父「やろう、やろう」
で、湯船の方へ行かれたので、話はこれで終わりなのですが、この子は5〜6歳くらい?、優しく接する父の態度がほのぼのした雰囲気で、とても印象良く記憶に残った。
時代、時代で、子どもたちの興味は変化するのでしょうが、親がどう子どもに接するか、で後々の親子関係が違っていくのだろう、と思います。
今朝の「たから箱」
どこも父の忙しい姿を見ているのでしょう。
私が、小さかったころ、ゆっくりと父と語った記憶が無い。私自身、子どもたちとどう接していたのか、たまに振り返ることも大事だと思いました。

<イジメは常に起こる>繰り返される"イジメ"をなぜ気づかないのか?〜中1自殺・熊本市〜
2021年02月24日

<イジメは常に起こる>繰り返される"イジメ"をなぜ気づかないのか?〜中1自殺・熊本市〜
保護者等から、指摘されても注意をしないイジメに対する意識の無さにあるのだろう。
先日、妻が受けた研修で語られたことを報告してくれた。それは、コロナ禍中の医療関係者に対する周囲の偏見から、"誹謗・中傷"のひどさです。平気で悪口、陰口をいう行為は"大人のイジメ"である意識があるのか?と悲しくなります。ひどいところは、住んでいる場所から、追い出すような発言もあると。
大人社会でも、平然とイジメをするのが人間なのです。
常にどこでも、"イジメ"はあっている意識を持ち、保護者はもちろん、教師も、学校関係者も、それこそ、私のような朝だけの登校指導をする人も、毎日子どもの様子を見ていると、"変化"に気づくことがあります。
「おはよう」の態度にも、注意することが必要です!
記事から、
>「遺族の要望を待たず、もっと主体的に提案して動くべきだったが、その姿勢が足りなかった」と(教育長が)述べた。(中略)
"イジメ"が発覚したら、その問題は、現場を離れる。学校現場ではなく、対応は教育委員会の偉い方々になる。改善しなければいけない、教師たちの意識の低さが問題なのに・・・
"イジメ"は、人間の性(さが)の現れでもある。
私は、古(いにしえ)からある、人間社会の"イジメ"の行為だから、いかに早く子どもたちの変化(言葉や態度)に気づけるか、そこが防止の最善策のように思います。
今回、中学1年で命を落とした子どもの無念さ、たまらなくなります。イジメで亡くなる事件は、この子どもを最後にして欲しいです。ご冥福をお祈りいたします。
ご報告、網津小学校近く(旧網津支所)の県道交差点の改修工事が終わりました。
2021年02月24日
ご報告、網津小学校近く(旧網津支所)の県道交差点の改修工事が終わりました。まだガードレール工事や横断歩道の表示等は終わってませんが、通行には支障なく通れます。だいぶ通りやすくなりました。






<明日も明後日もゼロ願う>県内感染者が、昨日146日ぶりにゼロに!、記事を見てホッとする。でも気を緩めず感染防止行動を。
2021年02月22日
<明日も明後日もゼロ願う>県内感染者が、昨日146日ぶりにゼロに!、記事を見てホッとする。でも気を緩めず感染防止行動を。
テレビ・新聞です、患者に対する誹謗中傷の嫌がらせや、その家族に対する差別の話、地域に住めなくなるような態度の話を聞くと、"早くコロナ収まれ!"と願ってしまう。
感染した人の後遺症がテレビで報じられいました。これも大変なことです。
感染者には、誰もなりたくないのに、無神経な周りからの対応がなされていることを聞くと、居た堪れなくなる。
感染症は、全ての人が被害者であること、飲食店のみなさんが緊急事態宣言を受け入れ、感染防止に協力しておられます。
感染者を追及するのではなく、一人ひとりが、感染対策を徹底し、みんなで協力して、コロナ渦中を生きてゆかなければなりません。
なかなか「感染者ゼロ」は、毎日は続かないとは思いますが、明日も、明後日も、感染者ゼロであることを願います。
テレビ・新聞です、患者に対する誹謗中傷の嫌がらせや、その家族に対する差別の話、地域に住めなくなるような態度の話を聞くと、"早くコロナ収まれ!"と願ってしまう。
感染した人の後遺症がテレビで報じられいました。これも大変なことです。
感染者には、誰もなりたくないのに、無神経な周りからの対応がなされていることを聞くと、居た堪れなくなる。
感染症は、全ての人が被害者であること、飲食店のみなさんが緊急事態宣言を受け入れ、感染防止に協力しておられます。
感染者を追及するのではなく、一人ひとりが、感染対策を徹底し、みんなで協力して、コロナ渦中を生きてゆかなければなりません。
なかなか「感染者ゼロ」は、毎日は続かないとは思いますが、明日も、明後日も、感染者ゼロであることを願います。
教育というと子供のためのものだと思いがちだが、実は大人にも死ぬまで必要なものである。(曽野綾子)
2021年02月15日
<(自分を)上から、横から、斜めから観て"俺は大丈夫か?">教育というと子供のためのものだと思いがちだが、実は大人にも死ぬまで必要なものである。(曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』より)
80歳を前にした政治評論家の内田健三氏から「野口さん、身体は衰えていくが、精神はいくらでも成長する、一生勉強です」と語られたことを思い出す。もう20年近い前の話ですが、私は40歳になったばかり、その当時は、深い意味はわからなかったが、60代になり、少しばかりわかるような気がしています。
冒頭の言葉は、曽野綾子さんの著書の文を集めた本『魂を養う教育 悪から学ぶ教育』にあった。人間一生勉強、最近つくづく思う場面を、テレビだけでなく、身の回りでも気付く出来事がありました。
同じテーマのページに並んだ言葉に以下がありました。
「自分を教育する最大の責任者は、(小学校の低学年の場合は別として)自分自身であり、その自分がいる場所すべてが知識を与えてくれる機能を有するのである。」(『ただ一人の個性を創るために』より)
故内田健三氏が示唆されたことから、最近のリーダーたちの言動等をテレビで見る中で、その出来事や事件を教訓として学ぶことが必要ですし、自らを振り返り、反省することが必要だなぁ、と。
私が30代前半から20年近く活動のお手伝いした、故高宗昭敏氏(東海大名誉教授)がよく言われていたことがあります。
「時々、自分のやっていることを、上から、横から、斜めから観て"俺は大丈夫か?"と検証し反省する必要がある」
この言葉をたまに思い出します。これこそが、自らを教育する姿勢ではないかと、最近思うようになっています。
>(自分を)上から、横から、斜めから観て"俺は大丈夫か?"
人間、歳をとっても成長し続ける人たちとは、自らを教育し、鍛える生き方をしている人たちなのだと、曽野綾子さんの本からも学びました。
昨日から、春のような陽気、なたね梅雨のような小雨が今朝まで続いています。しかし、今夕からまた寒波が戻るようで、体調崩さないように気をつけなけること。健康管理も、実は自らの教育の延長なのだと思います。
朝から、長々と書きました。お読みいただき感謝いたします。
80歳を前にした政治評論家の内田健三氏から「野口さん、身体は衰えていくが、精神はいくらでも成長する、一生勉強です」と語られたことを思い出す。もう20年近い前の話ですが、私は40歳になったばかり、その当時は、深い意味はわからなかったが、60代になり、少しばかりわかるような気がしています。
冒頭の言葉は、曽野綾子さんの著書の文を集めた本『魂を養う教育 悪から学ぶ教育』にあった。人間一生勉強、最近つくづく思う場面を、テレビだけでなく、身の回りでも気付く出来事がありました。
同じテーマのページに並んだ言葉に以下がありました。
「自分を教育する最大の責任者は、(小学校の低学年の場合は別として)自分自身であり、その自分がいる場所すべてが知識を与えてくれる機能を有するのである。」(『ただ一人の個性を創るために』より)
故内田健三氏が示唆されたことから、最近のリーダーたちの言動等をテレビで見る中で、その出来事や事件を教訓として学ぶことが必要ですし、自らを振り返り、反省することが必要だなぁ、と。
私が30代前半から20年近く活動のお手伝いした、故高宗昭敏氏(東海大名誉教授)がよく言われていたことがあります。
「時々、自分のやっていることを、上から、横から、斜めから観て"俺は大丈夫か?"と検証し反省する必要がある」
この言葉をたまに思い出します。これこそが、自らを教育する姿勢ではないかと、最近思うようになっています。
>(自分を)上から、横から、斜めから観て"俺は大丈夫か?"
人間、歳をとっても成長し続ける人たちとは、自らを教育し、鍛える生き方をしている人たちなのだと、曽野綾子さんの本からも学びました。
昨日から、春のような陽気、なたね梅雨のような小雨が今朝まで続いています。しかし、今夕からまた寒波が戻るようで、体調崩さないように気をつけなけること。健康管理も、実は自らの教育の延長なのだと思います。
朝から、長々と書きました。お読みいただき感謝いたします。
<学びとは、出会うこと>私は、出会った方々から学ぶ方が、学校で学んだ知識(人脈)よりはるかに広く深い。
2021年02月14日
<学びとは、出会うこと>私は、出会った方々から学ぶ方が、学校で学んだ知識(学歴)よりはるかに広く深い。
(ちょっと長文、お時間あるときにお読みください)
私は、建築の専門学校は出ましたが、知識教養としては、宇土高校卒業レベルとなります。でも、宇土高校の友との出会いと学びの時間は、かけがえもないものとなっています。
私のサッカー経験は、実質は高校時代のハードな練習のみです。同級生がすごかったので、全国インターハイのベスト16位に!
草サッカーでの経験から、今のキッズサッカー指導につながり、現在、熊本県キッズサッカー協議会の副会長を2年前からやってます。
その前に、宇土市サッカー協会の会長を10年やっているのですが、ちょっと諸事情でから、今は事務局も兼ねています。それにより無駄を省き、宇土市サッカー協会の財政は黒字になりました。
私の学歴は、教養から見ると高卒ですが、20歳から出逢った方々から学んだ学習の時間は、小中高の12年からすると、はるかに長い、42年間になりました。
曽野綾子の著書『魂を養う教育、悪から学ぶ教育』に以下の言葉を見つけました。
(以下、本より)
教育では学歴が問題になることはあるかもしれないが、学習には学歴がない。そして人間を創る鍵は、教育にではなくむしろ学習にあると思うと、私はいつも爽やかな気分になる。
(以上、曽野綾子著『悪の認識と死の教え』より)
最後は、"人間は学習し続けているか!"です。
学歴<学習
要は、学び続けているか!
32歳で独立した。しかし、知識が不足から、学歴不足!
何かしないと!
さてどうする?
市民活動での出会いから、気づいたことを深く知るために、飲み会後に眠い目をこすりながら、メモした言葉を書き、調べて寝るようにしました。そんなことをしらべる日々が続姉ました・・
40歳になり、自ら異業種交流会を主催するために、(人集めのため)新たな出会いを求めて動き続け、毎年100名近い方と出会いました。この経験が、私の人を恐れない経験となりした。
今改めて確認しますが、生きのびる知恵は、学校で学んだ(学歴)経験より、社会に出て苦労して会得した知恵が優ると思します。
また、曽野綾子の意見から、
(以下、本より)
今の教育は、知ることに血道(みちみ、血眼)を上げていて、それを「料理する」哲学のことは考えていない。教養と創造力がなければ知識をその人らしく活用することなど、全くできないのである。
(以上、『至福の境地』より)
座って学ぶか、動いて知るか、
みなさんは、どちらでしょうか?
(ちょっと長文、お時間あるときにお読みください)
私は、建築の専門学校は出ましたが、知識教養としては、宇土高校卒業レベルとなります。でも、宇土高校の友との出会いと学びの時間は、かけがえもないものとなっています。
私のサッカー経験は、実質は高校時代のハードな練習のみです。同級生がすごかったので、全国インターハイのベスト16位に!
草サッカーでの経験から、今のキッズサッカー指導につながり、現在、熊本県キッズサッカー協議会の副会長を2年前からやってます。
その前に、宇土市サッカー協会の会長を10年やっているのですが、ちょっと諸事情でから、今は事務局も兼ねています。それにより無駄を省き、宇土市サッカー協会の財政は黒字になりました。
私の学歴は、教養から見ると高卒ですが、20歳から出逢った方々から学んだ学習の時間は、小中高の12年からすると、はるかに長い、42年間になりました。
曽野綾子の著書『魂を養う教育、悪から学ぶ教育』に以下の言葉を見つけました。
(以下、本より)
教育では学歴が問題になることはあるかもしれないが、学習には学歴がない。そして人間を創る鍵は、教育にではなくむしろ学習にあると思うと、私はいつも爽やかな気分になる。
(以上、曽野綾子著『悪の認識と死の教え』より)
最後は、"人間は学習し続けているか!"です。
学歴<学習
要は、学び続けているか!
32歳で独立した。しかし、知識が不足から、学歴不足!
何かしないと!
さてどうする?
市民活動での出会いから、気づいたことを深く知るために、飲み会後に眠い目をこすりながら、メモした言葉を書き、調べて寝るようにしました。そんなことをしらべる日々が続姉ました・・
40歳になり、自ら異業種交流会を主催するために、(人集めのため)新たな出会いを求めて動き続け、毎年100名近い方と出会いました。この経験が、私の人を恐れない経験となりした。
今改めて確認しますが、生きのびる知恵は、学校で学んだ(学歴)経験より、社会に出て苦労して会得した知恵が優ると思します。
また、曽野綾子の意見から、
(以下、本より)
今の教育は、知ることに血道(みちみ、血眼)を上げていて、それを「料理する」哲学のことは考えていない。教養と創造力がなければ知識をその人らしく活用することなど、全くできないのである。
(以上、『至福の境地』より)
座って学ぶか、動いて知るか、
みなさんは、どちらでしょうか?
次期オリンピック委員会長の話題、夏冬の大会を経験したアスリートの橋本聖子五輪相の就任に賛同します!
2021年02月12日
次期オリンピック委員会長の話題、夏冬の大会を経験したアスリートであり、女性政治家の橋本聖子五輪相の就任に賛同します!
#次期会長
#オリンピック組織委員長
#橋本聖子五輪相
#次期会長
#オリンピック組織委員長
#橋本聖子五輪相
Posted by ノグチ(noguchi) at
22:04
│Comments(0)
森氏の女性蔑視発言は、簡単には終わりそうに無いような気がする。〜東京五輪で、日本の底力(モラルも含め)示して欲しい!〜
2021年02月06日

森氏の女性蔑視発言は、簡単には終わりそうに無いような気がする。〜東京五輪で、日本の底力(モラルも含め)示して欲しい!〜
それと、政府のいう「トップ(森)が替わったなら、五輪はない」くらいの大きさ大会ではないように思います。世界が関わる最大のスポーツイベント、主催地の責任者1人が交代して揺れるようなら、日本の信頼は血に落ちる。まだまだ、日本は頼れる人材はたくさんいると思うのですが。日本招致後にも、トップの交代劇がありました。揺れながらも、進んできている。支える人材が居ればこそです。
とにかく、何があろうと開催してほしい。トップや役員が、数名替わろうとも、日本の底力(モラルも含め)を示して欲しい。
*今日の熊日・共同通信配信記事より


