<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。

2025年01月27日

<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。患難、変故、屈辱、讒謗、払逆に挑むなり。〜『言志四緑』〜

長い人生には、いろいろな試練が起こる。

患難:疲労困憊する苦労
変故:変わった出来事
屈辱:耐え難い扱い
讒謗(ざんぼう):そしられる
払逆:思うようにならぬ

すべて天が人を成熟(成長)させるための手段であって、一つとして人間を磨き上げるために役立たないものはない。

したがって、こうした出来事に出遭ったならば、いかに対処しようかと考えるべきで、むやみに逃れようとしてはいけない。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より)

28年前、私は2つの病院の改修工事の計画をやっていました。時は、消費税が3%→5%にアップする一年前でした。もし完成がアップする翌年4月より遅れても、前年の9月末日までに着工(工事契約)していれば、課税を免れる緩和措置があった。

その年の夏は、日々睡眠不足の状況になるほど忙しい中で仕事をしていました。一つの病院改修の確認申請許可を8月末までの終えれないと工事着工が間に合わない、ほんとに必死でやっていました。

そんな時に起こるのが、熊本工業高校野球部が甲子園決勝戦に進み、県下全部が応援体制に、土木事務所に書類を持ち込むと、全員テレビ観戦中。

担当者曰く「明日下ろすから、今日は一緒に応援観戦しよう」でした。「明日、必ず確認が許可されるのなら、今日は帰ります」と帰り、事務所で次の病院の改修工事の設計作業でした。

翌日は、本当に1日で確認申請を下ろしてくれて、消防署へ書類を持ち込むことができました。土木事務所から消防署まで車で40分なのですが、睡眠不足で途中仮眠をしないと運転できないくらいに疲労が溜まっていました。よくやり終えたなぁ、と振り返ります。

正に、天は乗り越えれない苦難は与えない経験でした。

この改修工事は、工事中にも色んな出来事が重なり、さらに苦労するのですが、工事も完了することができました。

実際の学問とは、艱難辛苦の中から学ぶことだと、訓示を読み当時のことを思い起こしました。

その後、消費税は5%→8%へ、さらに8%→10%に変わりました。その時は、私が経験したような建築業界の騒ぎは起こらなかった。人間、慣れとは怖いですね。

現代政治の全年代の福祉向上策、子ども医療費や学費の無償化が広がっていけば、さらなる消費税アップもあるのだろうな、と予想します。

私は、消費税3%→5%直前の激務を経験したので、その後、同業種交流、異業種交流から、一人で全部をやるスタイルから、若い世代との連携・分担するネットワークを構築し、激務が発生しても乗り越える体制が出来上がりました。現在の建築事務所と市議会議員の二足の草鞋も可能になっています。  

<豊かさの条件>いつの時代にも人間社会は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。

2025年01月06日



<豊かさの条件>いつの時代にも人間社会は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。また個人が共同体の中に埋没してしまうと、社会の活力を失う。〜暉峻淑子著『豊かさの条件』〜

年始から矛盾する提言の言葉を紹介します。

(長い論文?です。お時間ある時にお読みください。)

本日は、私が住む集落で毎年に新年に開催される住民会議「初寄り合い」に、市議会議員として、新年の挨拶をして回る大切な日でした。4ヶ所の自治区の寄り合いの会場に出向き、活動報告と今年の方針をお話しさせていただきました。終わって15時過ぎ帰宅して、未明のウォーキングもあり、疲れて少し仮眠を取りました。この正月行事も今年で15年目、なかなか緊張する一日です。

さて冒頭の言葉からも、田舎の集落運営と個人生活の充実を、本日の挨拶回りと寄り合いでのみなさんの意見を拝聴して、いつも感じるのですが、いにしえ(古)の時代から営々と続けられてきたのだろうと、本日も振り返りました。

集落運営は、共同体の活動。

日々の暮らしを作る活動は、個人の生活。

娘が年末年始に帰郷していて、本日の寄り合いを回る活動を見て、話をする中で感じたのが、地域を支えるには古くから共同体活動で支えられていることを、都市生活をする若者たちは知らない人が多いように感じました。

例を上げると、昨年の地域課題一つ、防犯対策の要望で、

・街灯の増設

・防犯カメラの設置

がありました。地方は、人口減少から人口密度が減り、広い地域の安心安全の対策が不充分になっています。

しかしその対策で、街灯の設置には、市(国・県)の補助金があっても、日常の電気代は地域(自治区)で負担することになります。

このことを、どれだけの住民が知っているのか?と思います。

過疎地ほど、住民が共同体(集落運営)に拠出する費用(個人負担)が膨らむ現状があります。

私は若い頃、日本政府は人を都市に集めのは、地方に交付する税金を減らすためにやっているのでは、と思ったことがありますした。そんなことから、

冒頭の言葉を紹介した意味は、以下のエピソードからです。

社会学者の暉峻淑子(てるおか いつこ)著『豊かの条件』の最後の方に、

19世紀のロシアの政治思想家・クロポトキン(注1)著『相互扶助論』の序論で、ある逸話(エピソード)が紹介されていました。

(以下、『豊かの条件』より)

 1827年のある日、ゲーテを秘書のエッカーマンがたずねて、彼が直接に経験したある助け合いの実例を話したところ、ゲーテはその話に感激して「もし縁もゆかりもない他人をこうして養うということが、自然のどこにでも行われていて、その一般的法則だということにならば、今まで解くことのできなかった多くの謎はたちどころに解けてしまう」と言い、翌日もそのことを話題にして、その問題についての特別な研究をエッカーマンに熱心にすすめた、というのである。
 クロポトキンは、労働者達の住む長屋のいたるところで、もし産婦がお産をすれば近所の女達が手伝いにきて、生まれた子どもの世話や産婦が起きられるようになるまでの家事や、そのために入用なものを持ち寄って助け合っている事実を知っていた。親が死んだあとの孤児をだれかが必ずひきとって育てていることも、そしてそれがごくつうのことで、珍しいことでもなんでもないことを知っていた。
(以上、本より)

引用文が、長くなりましたが、日本もかつては"村社会"である共同体の暮らしが、長く続いていました。

明治からの産業革命、戦争の時代、戦後の高度経済成長、バブル経済時代、デフレの失われた日本、そして令和の時代になりました。

本日の古(いにしえ)から続いている、新年の初寄り合いの行事から、

共同体の運営と、個人生活の成長からも、

明治に導入された西洋の"資本主義"について、クロポトキンの理論から、振り返りました。

暉峻淑子さんの『豊かさの条件』の一節にありました。

(以下、本より)

 だが、資本主義は共同体を徹底的に解体し、社会をバラバラの私的所有に分解してしまう。そうすれば、社会的な生産力は、飛躍的に発展するが、やがてその生産力は競争の中で敵対的にぶつかりあい、資本相互の間で弱肉強食が進む。資本と労働者の間にも衝突が起こり、不況と失業による社会的な危機がおとすれる。
(以上、『豊かさの条件』より)

この引用文の続きが、冒頭の言葉です。

>は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。

>個人が共同体の中に埋没してしまう

過疎化する地方衰退の原因に、資本主義化した日本社会の変化と都市集中があるのだろうとは思っていましたが、暉峻淑子さん本を読み、益々の確信を持ちました。

これからの政府に望むのは、地方で今も維持されている共同体活動の支援を、地方創生のメニューに加えるべきではと思いました。

熊本選出の衆議院議員・金子恭之氏が常々に語られている、「地方の繁栄なくして、国の繁栄なし」の言葉を、思い出しました。

人口減少地域を支えることが、次なる日本の繁栄を生み出すようになってほしいですね。

長々と書きました。最後までお読みいただき感謝いたします。

*注1:ピョートル・アレクセイヴィチ・クロポトキン(1842年12月9日〜1921年2月8日)。ロシアの革命家、政治思想家であり、地理学者、社会学者、生物学者。

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Posted by ノグチ(noguchi) at 00:11Comments(0)熊本の出来事政治問題(地方)地域政策

<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜

2025年01月03日

<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜

(長文です。お時間ある時にお読みください。)

箱根駅伝は、予想とは違って、青山学院大学が連覇を果たした。一矢を報いたのが、復路優勝が駒澤大学の走りではないのかと考えました。駅伝競走は、多人数の走りの繋ぎなので、思うようにはならないのが、見ているものの楽しみでもあります。青山学院大学、連覇おめでとうございます。

さて冒頭の一文は、年末から読む『中年以後』の一節です。

(以下、本より)

<若い時は>自分の思い通りになることに快感がある。

<中年以後は>自分程度の見方、予測、希望、などが、裏切られる、と納得し、その成り行きに一種の快感を持つこともできるようになるのである。

(以上、『中年以後』〜算数通りならない人生〜より)

第101回箱根駅伝は、予想の國學院大学の駅伝三冠を阻止したのは、王者・青山学院大学だった。箱根駅伝の難しさが、現れた今年の結果となった。

駅伝同様に、一人ひとりの人生も、予定通りに行かない歴史がたくさんある。

しかしその歴史検証も、歳を重ねると若い頃の一方的な価値観から、多面的な見方ができるようになる。

(以下、本より転載)

〜計画通りに行かなくても〜

自殺するほどに自分を追い詰めることもないだろう。反対に上手く行っても、自分の功績ではなくて運が良かったからだ、と気楽に考えられるのである。

(以上、『中年以後』より)

過労死の悲惨な現状の報告を聞くに、追い詰められた状況に言葉を詰まらす。

どうして周りが気づかないのか?

どうして、周りへ苦しい現状を伝えられなかったのか?

私などは、大学受験は上手くいかず、一旦社会人になり、また浪人生活に戻り、そして建築士を目指して進学した。

まったく予定(算数)通りにはなって来なかった人生です。

建築士の修行時代は、バブル経済で、無資格の若僧がアルバイトで稼げた。ところが、独立直前に、バブル時代が終わった。苦しいフリーター生活の始まりでした。

それから試行錯誤しながら生き延びてきました。

今は、建築士事務所と市議会議員の二足の草鞋を履いて生きています。この市議会議員選挙に出ることも、いろいろな出来事から始まった。話せば長くなるのでやめます。

>人生は計算(算数)通りにならない。

そのことについて、曽野綾子さんは『中年以後』の中で、前の引用文の後に語っています。

(以下、本より)

 すべての人がそうだ、とは言えない。しかし世の中が算数通りだとしか思えない人、或いは算数通りにならないと怒る人は、写真の中でただ年を取るだけだろし、算数の乱れを面白がれる人は、恐らく若い時の写真よりも、年を取ってからの方が面白い人物に写るのだと思う。
「コヘレトの言葉」も最後に言うのである。
「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる」
(以上、『中年以後』より転載)

人生の変化(算数通りにならない)を受け入れ、対応して成長する人こそが、生き延びる(楽しめる)人なのかもしれないと、曽野綾子さんの本を読み学びました。

>人の知恵は顔に光を添え

人は練れて(鍛えられて)輝きを増す。

年始にあたり、この言葉を知り、日々心を入れ替え(新たなに)、チャレンジすることこそが大事だと気付かされました。

最後までお読みいただきありがとうございました。  

1月1日の記事

2025年01月01日


明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:08Comments(0)マイライフ