武蔵も恐れた「剣聖・丸目蔵人」の墓を訪問

2009年03月21日

武蔵も恐れた「剣聖・丸目蔵人」の墓を訪問

 今日は、父のお付で、私の祖父の妹の月命日に、墓前お参りに行きました。97歳の千月他界し、父の伯母であり、子どものころは可愛がってもらったようで、その家に行くと懐かしい顔をしていました。

 実は、伯母の家の名字は「丸目」で、戦国時代に名を轟かせた、旧相良藩(言球磨郡錦町)出身で、宮本武蔵、柳生石舟斎と、肩を並べると言われた、丸目蔵人佐長恵の末裔に嫁いだのです。何十年ぶりかに、伯母の家に行った帰り、「丸目蔵人の墓」の案内と見つけ、立ち寄って見ました。

武蔵も恐れた「剣聖・丸目蔵人」の墓を訪問
    (携帯電話のカメラで) 旧不知火町の史跡の石碑

武蔵も恐れた「剣聖・丸目蔵人」の墓を訪問
    (携帯電話のカメラで) 丸目(蔵人)信久の墓

武蔵も恐れた「剣聖・丸目蔵人」の墓を訪問
    (インターネット上から転載) 丸目(蔵人)信久の墓の全景

 きれいに掃除が行き届き、地域の人々が大事に、剣聖・丸目蔵人の顕彰活動が、390年の時を越えた今でも続けられている事に、驚きと感謝する思いを持ちました。

 先月、宮本武蔵が、「五輪の書」書くために籠もった霊雁洞を訪問したのですが、なんか偶然に思えて、今日は父のお供は役得だったと思いました。

 今日のご縁を、日記に書きました。スナップ写真と、ネット上にあった写真を紹介します。

<丸目蔵人、関連資料>

(注1)~球磨郡錦町のホームページから抜粋~
 http://www.nishiki-machi.com/introduction/kengou.html
【丸目蔵人佐長恵(まるめくらんどのすけながよし)】
(1540~1629 )タイ捨流創始・相良藩剣術指南役
 肥後八代郡人吉に生を受ける。幼い頃から剣の修行に励み、16歳の時、大畑合戦で初陣を飾る。翌年、天草の本渡城に身を寄せ、天草伊豆守から中条流を学んだ。
 19歳になると、当時最強と謳われた兵法者、上泉伊勢守(新陰流始祖:竹刀の原型を発明し、技術水準に応じた段階的な修行方法を構築するなど、今日の剣道の基礎を築いたとされる)に挑むために上京。しかし、あえなく敗退しそのまま新陰流に入門した。
 その後、28歳で上泉から印可状を受け、3度目の上京の後、タイ捨流を興した。「タイ」とは、大、太、体、待などの意味を持ち、これを捨てた「自在の構え」を旨とすると言われている。
  
(注2)
 柳生石舟斎は、1527年生まれー1606年没
 丸目蔵人佐は、1540年生まれー1629年没
 宮本武蔵は、 1584年生まれー1645年没
 ほぼ同時代に天下一と呼ばれた蔵人佐と武蔵と石舟斎なのです。

<関連ブログ>
・武蔵も恐れた 剣聖・丸目蔵人
 http://s8.kcn-tv.ne.jp/users/narusetomi/kengou.html


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Posted by ノグチ(noguchi) at 17:33│Comments(1)マイライフ

この記事へのコメント

おお~ タイ捨流、丸目蔵人の墓石ですか。。
初めて見ました。

地域の方々が守っているんですね~
Posted by 古流剣術 動画館 at 2011年04月20日 13:29
 
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