4月6日の記事

2024年04月06日



本日から、宇土市民会館の2階で、毎年開催の手づくり作家作品展示販売会「第5回オリジナルinうと」を開催します。お近くの方で興味ある方は、お越しください。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:57Comments(0)

大津町に在る国指定の江藤家住宅の見学会に参加していましました。良き建築の学びになりました。

2024年03月30日


大津町に在る国指定の江藤家住宅の見学会に参加していました。

かつて440丁(440h)と大地主で武士格を持つ江藤家の旧宅が、熊本地震で大きな被害を受けたのを7年かけて大改修して、完成したことはニュースで知っていたので、男女共同参画社会づくりで一緒に活動したのが現当主の奥様なので、"この機会に行かねば!"と、Facebookのイベントに申し込みました。

江戸から明治大正期の素晴らしい日本住宅でした。奥様ともお話をゆっくりとできて良かったです。
 5月に、大津町主催で修復完成披露を兼ねた見学会があるとのことです。興味ある方は、大津町のホームページ等で確認してください。

今日は、建築の良き学びになりました。








  

Posted by ノグチ(noguchi) at 12:39Comments(0)まちづくりマイライフ建築・都市

能登半島地震の支援活動、<天地人のタイミング>機会を逃すな! 人生はすべて機会である。

2024年03月17日



<天地人のタイミング>機会を逃すな! 人生はすべて機会である。or「安全第一」を守っていては、あまり遠くへボートを漕ぎ出せない。〜デール・カーネギー〜

先ほど、本日のフットパスコースのモニター(体験)ツアーの延期を発表して、また横になりました。早起きする必要がなくなり、天気も良くないので、朝のウォーキングもできず・・・

枕元の本を開きました。

デール・カーネギーの『名言集』から、

(以下、本より)

 機会を逃すな! 人生はすべて機会である。1番先頭を行く者は、やる気があり、思いきって実行する人間である。「安全第一」を守っていては、あまり遠くへボートを漕ぎ出せない。
〜デール・カーネギー〜

機会=チャンス

機会=タイミング

機会=出会い

2月17・18日前後に、能登半島地震の被災地支援活動に参加する計画していた。災害ボランティア活動には、時期(=ニーズ)がある。






行く者の気持ち(動機)も、私は機会(タイミング)と捉えています。しかし、チャリティーの催しの提案から、行けるタイミングを逸した。その催しの機会(市民のニーズ)から、益金と寄付がたくさん集まった。

そこで、寄付の行き先が問題となった。

市役所を通じて輪島市へ届ける方法?

市からは、日赤への寄付になり、時間を要し配布時期も遅れるから、皆さんの思いに寄りそえない、ことが分かった!

早く輪島へ届けたい(=主催者の思い)から、私の被災地へ出向く気持ちが、新たに起こった動機(機会)となり、ひと月遅れで計画を立て実行することになった。






名言に、以下の言葉がありました。

サミュエル・バトラー

 たとえ信念があっても、達成できるのはごく僅かなものだ。しかし信念がなければ、何事も達成できない。
(以上、デール・カーネギーの『名言集』より)

今回の出来事から、被災地支援は、早く行くことが良いばかりではないと学んだ気がします。周りを取り巻く人たちの思いや現地の情勢、さらに自らの役割(機会)がうまく重なった時に実現すると思います。

昨日は、男女共同参画社会づくり団体の会議でした。一人の女性メンバーが「私は、今年防災につい学ぶセミナーに参加します。防災士も目指します」の発言と私の能登へ行った話から、今年の活動テーマが、「防災について学び、県下の自治体の防災会議メンバーに女性を増やす」となった。

活動にも、社会の出来事(能登半島地震)や、機会、動機、タイミング、等々、があると思いました。

冒頭の言葉、

>「安全第一」を守っていては、あまり遠くへボートを漕ぎ出せない。

とはあるが、ただ早ければ良いではなく、安全を守り成功へ導くのも重要な時期(機会)のように思います。

いつ(時期)行動を起こすか、成功のカギ(きっかけ)は、やはり天地人のタイミング(機会)の見極めが必要と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:51Comments(0)マイライフ市民活動能登地震

<第二次世界大戦の検証>一度は行きたかった「大刀洗平和記念館」に行ってきました。

2024年02月24日


<第二次世界大戦の検証>一度は行きたかった「大刀洗平和記念館」に行ってきました。展示並びにスタッフもですが、規模は九州一大きなと思いました。それと驚くのは、来訪者がひっきりなしで、大型バスも来ていて、東アジアの緊張感からなのかと思ったりします。

これまで、九州内の太平洋戦争関連の施設は、ほぼ見てきました。各施設を回る度に、二度と戦争は起こしてはいけないと思います。「戦後」という言葉が、日本で永遠に続くように願っています。

*大刀洗飛行場
戦前に、東洋一の規模を誇った陸軍の航空基地でした。





  

Posted by ノグチ(noguchi) at 19:00Comments(0)政治問題(国)平和新技術、新潮流

江戸時代、土佐弁は、江戸者が語ることばと区別かつかなかった。〜司馬遼太郎〜

2024年02月23日


<土佐人の強み「言葉」>・・土佐ことばの最も大きな特色であり、昔から土佐人のお国自慢の一つに数えられてきたことである。〜国学者・土居重俊氏土佐言葉」〜

江戸時代、土佐弁は、江戸者が語ることばと区別かつかなかった。〜司馬遼太郎〜

昨秋に、久しぶりに桂浜の坂本龍馬像を眺めてきました。それも、同じ目線で太平洋を望むこともできました。

先月にリサイクルブック店で見つけた、1978年1月初版の司馬遼太郎さんの旅行記『歴史を紀行する』を見つけ、時折開くのですが、土佐(高知)気質が産んだ偉人坂本龍馬の一端が知れることが書かれていました。

高知は、人口の少ない県に数えられ、瀬戸内から遠いから、江戸時代は"田舎"のイメージと思いきや、土佐弁が江戸言葉と聞き分けができないほど似ていることもあり、江戸の街で語られるそれぞれのお国言葉からすると、かえって江戸者と思われるほどだったと。

(以下、本より抜粋)

江戸期に土佐藩士が江戸へゆき、江戸者はじめ他国の者がこの区別できないことに気づき、江戸弁や上方弁よりも土佐弁のはうが日本語として正しいとおもった。方言による劣等感を持たなかったばかりか、軽い優越感すら持った。これは幕末の土佐人が藩外活動をする上で自信の根拠の一つになったであろう。国学者土居重俊氏によれば「・・土佐ことばの最も大きな特色であり、昔から土佐人のお国自慢の一つに数えられてきたことである」(「土佐言葉」)とある。坂本龍馬は生涯、どの土地のたれに会ったときもまる出しの土佐弁で押し通したという。(中略)

維新後、奥州会津の小学校で発言矯正教育がおこなわれたとき、その教師は東京から招かれず、僻地の土佐からはるばる呼ばれたという。
(以上、司馬遼太郎著『歴史を紀行する』より)

私の姉が鹿児島県の霧島神社の近くに嫁ぎました。結婚して間もないころ、姉の家に遊びに行き留守番をすることになりました。そこへ電話がかかってきて、取ると高齢の女性の声でした。ひとしきり鹿児島弁で話されたが、さっぱりわからない。最後、切られる前に、「すみません、お名前をもう一度教えてください」と言い、メモをしました。姉に、「何の用事かはわからないが、○○さんから電話があった」と。

その後何年かして、奄美大島の方と語る機会があった。どうにか、霧島言葉は、半分くらいは分かるようになったのですが、島言葉は、さっぱり理解できませんでした。(笑)

日本は広い、と思います。

要するに、坂本龍馬の活躍の裏に、土佐弁が、当時のもっとも日本語らしい日本語だったことがあるなぁ、と司馬遼太郎氏の本から知りました。

坂本龍馬は、日本の共通語を話せたのが、活躍の要因にあるように思います。

言葉は大事ですね!  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:05Comments(0)偉人日本の歴史、世界の歴史

<地域の文化レベル>数字で見る人口に対する図書館の規模、宇土市の人口は現在36483人のための図書館。

2024年02月11日

<地域の文化レベル>数字で見る人口に対する図書館の規模、宇土市の人口は現在36483人なので、30001人〜40000人(平均34301人)の自治体グループに入る。

図書館基準
https://www.jla.or.jp/Portals/0/data/iinkai/chosa/kashidashimitsudo202106.pdf

から検証すると図書館規模は、

人口     34301人
図書館専有延床面積(㎡) 2301.1㎡
蔵書冊数   217797.7冊
うち開架冊数 130035.5冊
年間購入冊数 7037.7冊
開架冊数の新刊率 5.4%
貸し出し数  393174.1冊

が主だった数値となります。宇土市の人口36483人 なので、平均人口34301人で割ると、

36483人÷ 34301 ≒ 1.063倍

上記の図書館規模の数値を1.063倍すると、宇土市に必要な図書館規模は、

人口     36483人
図書館専有延床面積(㎡) 2446㎡
蔵書冊数   231518冊
うち開架冊数 138227冊
年間購入冊数 7481冊
開架冊数の新刊率 5.4%
貸し出し数  417944冊

という図書館規模になるのですが、果たして宇土市の図書館はどうか、近々この数値から、宇土市の図書館を検証する予定です。

図書館は、その地域の文化レベルを表すとも言われます。みなさんの公立図書館の規模と蔵書数(デジタル本含む)はどうか、図書館基準から、検証してみてはいかがでしょうか?



  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:29Comments(0)まちづくり私の意見市民活動

<建設労賃賃上げ、国主導>建設現場の下請け、孫請け、ひ孫請けの厳しい現実が解消すれば、人が帰ってくる!

2024年02月10日



<建設労賃賃上げ、国主導>建設現場の下請け、孫請け、ひ孫請けの厳しい現実が解消すれば、人が帰ってくる!

〜建設労賃賃上げが、ほんとに実現したらすばらしい!〜

元請けの利益を確保して下請けへ

下請けの利益を確保して孫請けへ

さらに、ひ孫請けがあることを知らない"世の中?"

人材確保が難しい現代ですが、それでも地方には仕事のない中小零細業者は居る。

ならば、"使ってやるから・・"と足下を見た、元請け、一次下請け企業の高飛車な、"値切り"が横行したのが、これまでの建設業界ですが・・・

本当に、国主導でてきるのか、疑問に思います。

下請け、孫請けの価格保持もですが、技術者育成の支援も、国が支えるべきと思います。特に、地方こそ国県で、下請け、孫請けの技術者育成が大事と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 19:39Comments(0)

熊日宇土市局長の古東竜之介さんの選挙についての記事に、23歳の記者として、若者としての意見。

2024年02月10日


熊本日日新聞社・宇土市局長の古東竜之介さんの選挙についての記事に、23歳の記者として、若者としての意見に、いい内容だなぁと思いました。

戦禍のイスラエルの投票率は70%を超える。

台湾総統選挙は71.86%。

日本の衆議院選挙は55.93%。
 〃 参議院選挙は52.05%。

来月に控える県知事選挙については、前回の投票率は45.03%だったことを指摘している。

>どんな熊本を望むのか、自ら学び、考える良い機会にしたい。私たちの手には、国や自治体の在り方をきめる一票がある。

関心のあるかたは、『取材前線』の記事に目を通してください。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:35Comments(0)熊本の出来事政治問題(地方)

放課後児童クラブ(学童保育)の学習会。〜発達障がいの対応は、一般化ではなく、その子らしさの尊重〜

2024年01月30日

<発達障がいの対応は、一般化ではなく、その子らしさの尊重>
 本日は、八代市の大田郷コミュニティセンターで開催される「放課後児童クラブ(学童保育)の学習会」を聞くために参加しています。今回の講師が、熊本県南部発達障がい者支援センターの大石恵相談員で、テーマが「発達障がいの理解と支援」というのに関心があり、昨日の告知記事を見て、連絡して参加者に加えてもらいました。

現在の発達障がい児への支援は、充実してきたなぁ、と思いました。

20年ほど前、知的障がい者のスポーツイベント「スペシャルオリンピックス」の開催告知活動で、トーチランを宇土市で開催したするため、市内の全小学校の支援クラス(当時、なかよしクラス)を回り、参加要請をしたときに教師たちから聞いた言葉に、
「ここ(なかよしクラス)にくる子は手厚い支援を受けることができるが、問題は、グレーゾーンの子どもたちです」
と何人も話していたのを思い出します。

当時は、まだ発達障がいという言葉はあれど、保護者に知られておらず、知的障がい児にはしたくないの意識が強く、グレーゾーンの子どもは、学習について行けずに、多動の子どもは、馴染めず、教師も苦労していた時期でした。

今日の話は、"発達障がい児・者"が、だんだん世の中に理解が浸透し、支援策も初めの方は、取り組みの早い自治体だけでしたが、国の支援も手厚くなったきました。

本日の研修の内容は、一般の子どもと発達障がい児との共育(共に育てる)の考え方についての学びがたくさんありました。

これからは、この手厚く支援のある子どもたちが、大人になり地域で暮らす共生社会をどう創っていくかに課題が移っていくように思いました。

この研修を主催した団体と言うか、リーダーは、手弁当で何もかもやっていて、すごい、素晴らしい活動と思い、話しを聞いていました。










  

Posted by ノグチ(noguchi) at 13:22Comments(0)社会問題教育問題未来社会

能登半島地震、「倒壊死9割」に愕然となる。何か耐震の工夫が必要。

2024年01月28日


<能登半島地震>危惧していた調査結果に愕然とした。建築士として悲しい「倒壊死が9割」、なかなか進まない耐震化の現状を改めて考えました。

田舎の家は大きい。
全体に耐震化には多大な費用がかかる。
地方の高齢化も要因に。
等々。

一部屋だけを耐震化し潰れない補強。
何か工夫が必要と思う。

(以下の建物には被害がほとんど無かった)
昭和57年の新耐震基準と耐震壁の位置(バランス良い配置)、平面剛性(床面の耐震力)が大事です。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 11:41Comments(0)新技術、新潮流防災能登地震

豊かさとは何かを、自分も地域も社会も含めて、考える一年になる気がする。〜令和6年、龍の年〜

2024年01月20日

豊かさとは何かを、自分も地域も社会も含めて、考える一年になる気がする。〜令和6年、龍の年〜

ここ数日、読み返す本の末尾の言葉があります。暉峻淑子著『豊かさの条件』のあとがきの末尾に書かれている内容は、

(以下、本より)

"即応性のある収穫高"の競争と力による解決ではない「もうひとつの世界は可能だ」という地球市民のうねりは、今、現実に世界を動かしつつある。そして足元をみれば、日本の社会の分権化の中で、お任せ主義でなく、一人ひとりが知恵を出しあい、協力しあって政治と社会を変えようとする市民の運動もまた確実にひろがりつつあることを感じる。
(以上、『豊かさの条件』より)

この本は、埼玉大学名誉教授の暉峻淑子さん著書で、初版は2003年5月20日で増版を重ねています。

以前に紹介した、子ども居ないご夫婦が、海外旅行も行かず車にも乗らず、ひっそりと暮らした貯金と家土地のすべてを、妻の母校に寄付し、妻が亡くなると、老人ホームに移り本を読む生活に、最後はその本も学校に寄付して終わられた人生について、本に紹介されています。

『豊かさの条件』を読み返し、ふと思うのが、バブル時代が終わって35年になる。また、今年は戦後79年、明治維新から156年、年数を書くとまだそんなものか、と思います。鎖国をした江戸時代を除けば、日本も激動の時代が長く、平和な時期は短かったたことがわかります。

しかし、太平洋戦争後の平和な時代だからこそ発展できた日本ですが、成熟期に入り、少子高齢化により、発展スピードは、ガクッと下がりました。そんな状況は、過去の歴史にも起こったと思います。そこで古典を読むことになるのですが、江戸時代によく読まれ本『菜根譚』に2つの訓示がありました。

<後編No.73>

人生の楽しみと苦しみ

【現代語訳】

物欲に縛られていると、自分のこの人生がつまらなくかなしむべきものであることがわかり、自然の本性に安じていると、自分の人生が有意義で楽しむべきものであることがわかる。その人生がどうして悲しいものであるかと悟ると、世俗的な執着の心はすくなくなってしまい、その人生がどうして楽しいものであるか悟れば、すぐれた聖人の境地が自然と開けてくる。
(以上、『菜根譚』より)

隣の芝はきれいに見える、の気持ちで、あれも、これも"欲しい"と買い漁る人がいる。

昨日も、東京ディズニーのグッズを買い漁る映像を見るに、"悲しい姿だ!"と思った人も多いと思います。

しかし、自分はどうかと振り返る?

車、家、海外旅行、子どものスポーツ、進学、等々、

自らの人生を振り返りと、隣の芝生を追いかけて来なかったか、反省もあります。

もう一つの訓示は、以下です。

<後編No.74>

物欲を去り、清浄心を得て

【現代語訳】

自分の心の中に、すでにひとかけらの物質的な欲望もなくなってしまったら、それは雪がいろりの火に溶け、氷が太陽の光に消えるように、何ものにもとらわれなかなってしまう。また、目の前の自然にひとつの清く明るい光があたったならば、それは月が天上にあり、その光が波に映っているように、すべてのものの本来の姿が見えてくる。
(以上、『菜根譚』より)

最近は、人生の終わりの準備を「終活」と称して、いろいろな取り組みもですが、実はここにもビジネスが新たに起こっています。私は、終活ビジネスなするつもりはないですが、自らの人生の終わり方を考える歳になったと思います。

朝から、あっちこっちと話が飛びましたが、今年は、年始から大地震、航空機事故の発生から、一人ひとりが、豊かさとは何か、自分も地域も、社会の豊かさも含めて、考える一年になりそうな気がしています。


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<地震・雷・火事・火山>東北地方の大地震と大津波を予知・警告した明治の歴史学者、吉田東伍がいた。

2024年01月15日

<地震・雷・火事・火山>東北地方の大地震と大津波を予知・警告した明治の歴史学者、吉田東伍がいた。東日本大震災の大津波も「末の松山」を貞觀大津波同様に超えなかった。

『科学をうたう』の「美しい地球」の章にあった東日本大震災に関する短歌に思う。

産業技術研究所の調査結果は2009年度末には、1200年前の大津波の被害の状況が分かっていた。その資料からの警告を、予防的措置として東京電力が、外部電源を高台へ移転していたら、大規模避難も今回の汚染水も海の防水はなかったのに、残念でならない。

貞觀大津波の調査について詠んだ歌があります。

貞觀の津波来しとふ跡に立ち海までの距離四キロ思ふ(千葉なおみ)

(以下、この歌の解説から)

東日本大震災前、2005年かけて産業技術研究所のグループが、869(貞觀11)年に陸奥国(青森、岩手、宮城、福島)東方沖を震源とする地震で大津波が発生した。石巻平野、仙台平野で貞觀地震の津波堆積物なとを数回に渡り調査していた。

現在の石巻市、大槌町、双葉町、浪江町など、東日本大震災でも被害を受けたいくつもの地点で、過去の津波堆積物が見つかっていた。その結果から、新しい断層モデルが作られ、対策が講じられるはずだったが間に合わなかった。

和歌『後拾遺集』に収められた次の一首、

契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは(清原元輔)

東日本大震災後に、「末の松山」は何処か?議論となった。

本によると、

『大日本地名辞書』を編纂したことで知られる歴史学者、吉田東伍(1867〜1918)は1906年(明治39)年に、平安時代の歴史書を読み解くことで、宮城県高城市にある豊国寺裏の小高い丘が「末の松山」だと特定する論文を著した。東日本大震災の津波も、「末の松山」を越すことはなかった。

阿賀野市立吉田東伍記念館長の渡辺史生さんは、震災直後、吉田の考察は、将来の防災に役立てようと注意喚起した点を高く評価した。そして「私たちは東日本大震災の大津波の襲来を、『想定外』だったと片付けてしまうわけにはいきません」と話している。
(以上、『科学をうたう』より)

科学技術に関わるものは、自然が起こす災害への備えで、歴史にも学ぶ姿勢が必要と思いました。原子力発電の関わる人たちの危機意識の吉田東伍並みに高かったら、今回の大惨事を起こさなかったような気がしてなりません。

2012年5月5日、国内の商用原発54基すべてが停止した。それを詠んだ一首は、

日本の五十四基の原発の稼働がとまりたる<こどもの日>(田宮朋子)

しかし、10年が過ぎ、さらにウクライナ戦争から原油高、物価高からか、原発の再稼働が進んでいる。地球温暖化対策に"原発有効"を政府は言うが・・・

昔から、「地震・雷・火事・親父」と、恐れられたが、自然災害、人工災害では、「地震・雷・火事・火山」を常に想定して、行動しなければと本読み思いました。

危機意識とは何か、2つの短歌に学んだ気がします。

*参考資料:松村由利子編著『科学をうたう センス・オブ・ワンダーを求めて』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:29Comments(0)東日本大震災熊本地震能登地震

<能登半島地震>熊本の災害ボランティア団体「一般社団法人熊本支援チーム」

2024年01月11日

<能登半島地震>熊本の災害ボランティア団体「一般社団法人熊本支援チーム」のFacebookページの掲載をシェアしました。

一昨日までの活動報告がアップされていました。寒い中、できる範囲ですが、若い人たちが頑張っています。応援をよろしくお願いいたします。

・熊本支援チームの現地活動拠点

送り先
石川県七尾市大津町東小谷内11の乙
佐川急便能登営業所止

宛名
株式会社創生ななお内
熊本支援チーム

電話
08017833580

*熊本支援チーム(旧東日本大震災・熊本支援チーム)は、13年前に発生した東日本大震災の被災地支援活動をしたメンバーが、熊本地震ときも、熊本豪雨でも活動しました。大きな自然災害が発生したとき、災害ボランティア活動をする熊本のネットワーク(一般社団法人)です。

*一般社団法人熊本支援チームのホームページ
https://kumamoto-team.net/

(以下、Facebookページ「熊本支援チーム」より転載)

【能登町支援状況報告】

熊本支援チームは、能登町からの要請により、炊き出し及び支援物資をご提供させていただきました。
能登町と関係のある島田由香さんのご助力もあり、今回の支援へとつながりました。

1月4日
能登町能都中学校に宮城県東松島市の自治会及び地域の方々から預かった物資をご提供すると共に、300人の炊き出しを当日夕方、翌朝実施。

1月5日
能登町大森町長へ東松島市渥美市長からの親書をお渡しすると共に毛布100枚をお届けした。
その後、350人分の炊き出しを実施。
能登町では、未だ断水中。
地域の要望を聞きながら、能登役場と連携をとりながら、しっかりと継続して支援にあたっていきます

1月7日
能登町小木中学校にて、再度要望により、炊き出しを実施致しました。

被災地の方々は、まだ支援が行き届いていない場所も現段階では存在しています。
しっかりと地域行政との共有を行いながら、熊本支援チーム一丸となって支援を続けて参ります。
引き続き、よろしくお願い申し上げます。

#災害支援 #能登半島地震 #復旧 #物資支援 #熊本支援チーム #現状 #支援金 #寄付 #寄り添い #石川県 #七尾市 #感謝 #笑顔 #拡散希望

活動報告や最新の動きはInstagramでチェックしてください!

https://www.instagram.com/kumamoto_team?igsh=eGgzMnVkdjFjancy&utm_source=qr

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◆活動支援金の寄付
~熊本支援チーム「能登半島地震」への支援寄付(1回100円から簡単クレカ決済!)
https://square.link/u/rLmu2yl1

◆熊本支援チームサポーターズ
~サブスクで支える熊本支援チームの災害支援体制への寄付(毎月500円から)
https://community.camp-fire.jp/projects/view/325816
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Posted by ノグチ(noguchi) at 13:34Comments(0)熊本の出来事熊本地震能登地震

<熊本城再建>宇土櫓の解体修理に関心を持っています。現場見学会に参加したい。

2024年01月11日


<熊本城再建>宇土櫓の解体修理に関心を持っています。本日の熊日『一筆』で、熊本城総合事務所の津曲俊博氏の記事に、「途中の段階を見ていただくことも考えています」とあり、期待するところです。宇土櫓は、天守閣のコンクリート構造でなく、往時のままの木造5階建構造で、国内で同規模の天守閣があるほど大きな櫓と思っています。もし、現場見学会が開催されれば、ぜひ行きたいと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 13:32Comments(0)まちづくり熊本の出来事新技術、新潮流

八代亜紀さんがお亡くなりになりました。安らかにお休みください。ご冥福をお祈りいたします。

2024年01月10日


八代亜紀さんがお亡くなりになりました。大ショックです。今の時代、73歳の死は残念でなりません。機会があれば、歌謡ショーを見たいと思っていたので、悔やまれますが、熊本のため、さまざまに活動をしていただきました。特に熊本地震では、良く顔を見ていました。安らかにお休みください。ご冥福をお祈りいたします。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:33Comments(0)偉人熊本の出来事市民活動

<台湾の英雄は宇土にルーツ>宇土市と台湾の台南市の日台交流の準備が始まっています。

2024年01月10日

<台湾の英雄は宇土にルーツ>宇土市と台湾の台南市の日台交流の準備が始まっています。

そのきっかっけとなった本があります。

『汝、ふたつの故国に殉ずー台湾で「英雄」となったある日本人ー」湯徳章の伝記。

作家の門田隆将氏が、2016年末に発刊したノンフィクション作品です。

今年3月に、宇土市長、教育長などで公式訪問が実現します。これから、宇土市と台湾の台南市との官民の交流が盛んになることを願っています。

出版した後、読ませていただきました。人間の「覚悟」とは何か、生き様、死に様から、リーダーの生き方を学びました。ぜひ、一度読んでみてください。



  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:38Comments(0)国際関係日本の歴史、世界の歴史宇土市

藩主が自ら思い切った贅肉落しを行う。鍋釜(官僚)を頑強に鋳る(育成する)ことが最も肝要である。〜上杉鷹山〜

2024年01月09日

<政治改革とは>藩主が自ら思い切った贅肉落しを行う。鍋釜(官僚)を頑強に鋳る(育成する)ことが最も肝要である。〜上杉鷹山〜

一昨日、昨日は、20歳の集い(成人式)が各地で開催され、若人たちの輝く姿を見ることができました。これからの活躍が楽しみです。

さて朝の読書は、元都庁職員で作家の童門冬二著『上杉鷹山と細井平洲』を開きました。

江戸期の名藩主と言われる米沢藩の上杉鷹山を若いときから指導をしたのは儒家の細井平洲です。

藩主となり鷹山が初めて江戸から米沢藩に帰郷した時の方から・・・

(以下、童門冬二著『上杉鷹山と細井平洲』より抜粋)

財政も行政も最悪で、泊まるはずの宿(本陣)は潰れ、食事も用意されない状況だった。つまり、都市基盤整備が全く行われず、税ばかり高く、働き場もないなら若者はどんどん大都会に行ってしまった。

寒い中、部下たちと一緒に囲む火鉢を見ながら、「火種の誓い」なる発言が生まれる。

「責任はすべて藩主の自分にある。私が灰の中のこの小さな火種になろう。おまえたちはこの火種を受ける黒い灰になってほしい。そして、明日から米沢城内で火種運動を起せ。いつかその火が城中に漲(みなぎ)れば、やがて飛び火をして、町に住む人や村に住む人の胸に飛んでいく。そうすれば、住民もこの改革に協力してくれる」

>改革の究極的な目的は、下々が暮らし易く幸福感を感ずることにある。そのためには、藩主が入用を省き、恵み深く下々に接しなければならない。具体的には節倹な術を自身の奥向きから実行することである。

>藩主が自ら思い切った贅肉落しを行うことである。

>だからといって、藩主が自ら贅肉を落す行為を、これ見よがしに他にPRするような邪な心があってはならない。
(以上、本より)

等々、細井平洲の指導を受けた鷹山の気構えの話が続くのですが、リーダーの在り方、実践行動、部下として役割、殖産興業の政策と実施、詳しく具体的に書かれています。さすが、行政マンの視点で鋭く、『嚶鳴舘遺草』を分析されていて面白い。

また、以下の部分は特に例えが生活感があって感心しました。

>藩主は米である。士農工商は薪である。地方役人は鍋釜である。最も大切なのは鍋釜である。たとえどんなに米がよく、薪がよく燃えても、鍋釜が壊れていては米はよく炊けない。鍋釜を頑強に鋳ることが最も肝要である。〜細井平洲『嚶鳴舘遺草』〜

上杉家は、様々な事情から、多くの家臣を抱えたまま、広く豊かな領地から、東北の狭い米沢藩に移されます。元々厳しい財政に加え、領地替えで大変な苦労があったと思います。

戦国時代の武士とは違い、平和な社会になり武士は地方役人となった。民から税を吸い上げるのでなく、自ら金を稼ぐことを推奨し、それを後押しする基盤整備に熱心に取り組み、財政を立て直して行ったのが上杉鷹山公でした。

現代も、政治の役割の一つに、産業の育成がありますし、基盤(インフラ)整備ももちろん重要です。

ご存知かとは思いますが、熊本藩の『時習館』の設立に尽力した儒家の秋山玉山と細井平洲は、親交があったことから、同時期に『嚶鳴舘』と『時習館』が創設されています。人のつながりを不思議に思います。

これから数日、この『上杉鷹山と細井平洲』をまた読み返そうかと考えています。

今日から3学期が始まるので、日常が戻ることになります。寒いですが、ぼちぼち朝活の準備です。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:42Comments(0)偉人政治問題(地方)地域政策

<能登半島地震>熊本の災害ボランティア団体「一般社団法人熊本支援チーム」の活動が、地元紙で紹介されました。

2024年01月07日



<能登半島地震>熊本の災害ボランティア団体「一般社団法人熊本支援チーム」の活動が、地元紙で紹介されました。

・熊本支援チームの活動拠点

送り先
石川県七尾市大津町東小谷内11の乙
佐川急便能登営業所止

宛名
株式会社創生ななお内
熊本支援チーム

電話
08017833580

*熊本支援チーム(旧東日本大震災・熊本支援チーム)は、13年前に発生した東日本大震災の被災地支援活動をしたメンバーが、熊本地震ときも、熊本豪雨でも活動しました。大きな自然災害が発生したとき、災害ボランティア活動をする熊本のネットワーク(一般社団法人)です。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 14:56Comments(0)能登地震

<点字開発者の命日>点字は、明治維新前の173年前にパリで盲目の教育者が開発した。

2024年01月06日


<点字開発者の命日>福祉の機器類の開発は日進月歩ですが、目が不自由な方々の情報収集に欠かせないのが「点字」です。今は当たり前のように存在しますが、私は"いつから?"と常々思っていました。

今日の熊日『読者ひろば』のページの下段に「きょうの歴史」に、以下のことが書かれていました。

(以下、記事を転載)

1852年 点字を開発したフランスの教育者ルイ・プライユがパリで死去した。43歳。3歳の時のけがが原因で失目した。自由に読み書きして意思を伝え合うため点字を開発した。国家的な功労者や偉人を対象とするパリのパンテオンに埋葬された。
(以上、熊日新聞より)

なんと点字は、日本の明治維新前、173年前にパリの教育者、それも目の不自由な人が開発していることに驚きます。大変な努力家だと思います。

現代人は、点字は当たり前にあるツールですが、考えた人がいることを忘れてはならないと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 19:45Comments(0)

「耐震シェルター」、「防災ベッド」、一つの部屋だけ強化する。〜福和伸夫名誉教授(名古屋大学)〜

2024年01月04日



「耐震シェルター」、「防災ベッド」、一つの部屋だけ強固にする。〜福和伸夫名誉教授(名古屋大学)〜

能登地震の被害状況がだんだん分かってくる中、亡くなった方が増えていて、広範囲であり、寒さの中、また余震が頻発中での捜索を危惧しています。

熊本日日新聞の記事で、名古屋大学名誉教授の福和伸夫氏が提唱された、木造建築の耐震改修において、

「耐震シェルター」

「防災ベッド」

一つの部屋だけ強化する。

に関心を持った。田舎の家は大きく、壁の無い間取りなので、現代の建築基準法による耐震改修では費用が高額になり、なかなか進まない現状があります。

これは一つの例ですが、
熊本地震の折り、友人の父親宅(木造2階建)の1階部分が倒壊した。1人暮らしで、1階で寝ていて、覆い被さってきた建物の下敷きになった。しかし、ベッドに寝ていて、枕元のヘッドボードが高く、上半身は身動きが取れ、1日経ったころに、消防が屋根を切り抜き助け出した。足に少しケガをしたが無事でした。

この救出例を、高齢者の方にすると、布団敷きからベッドに替える人が増えました。

防災ベッドの考え方や、自治体が支援して一部屋を強固にして命を守る耐震シェルター的改修は良いなと思いました。

建物の構造上、どの部屋を強固にするかは、間取りや建物形状を検証する必要がありますが、良い提案だと思ったので、記事を紹介しました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:44Comments(0)新技術、新潮流熊本地震能登地震