親の苦労話さえ、子供たちの多くは身にしみて聞かない。記憶もしない。〜曽野綾子著『中年以後』より〜

2021年08月31日

<体験がいかに大事か!>親の苦労話さえ、子供たちの多くは身にしみて聞かない。記憶もしない。〜曽野綾子著『中年以後』より〜

アフガニスタンから、本日、アメリカ軍が撤退すると、ニュースで何度も報じている。

私は、同時多発テロの1週間後に、ロサンゼルスへ建築の仕事で行くことになっていた。

同時多発テロの映像は、ギッズサッカーの指導者たちと自宅で飲んでいた時、ニュースで流れてきた。それ以降、そのニュースが流れ続けた、

仕事なので、1週間後には、ロスの空港に着いていた。空港内は、州兵が、50mおきくらい立って警戒していた。日本人は、普通のチェックでしたが、中東からの入国者には、ものすごく厳しいチェックをする様子を眺めていて、大変な時期にアメリカへ来た、と実感した。
空港を出ると、道路には、星条旗を立てて走っている車がたくさんいた。商店街では、戦費の寄付活動も始まっていた。

今思うと、すごい時期に行ったが、二度とできない経験だったと思っています。

「小説家はすべて自分の体験から書いている」 (曽野綾子)

五木寛之さんも同じようなことを語っています。人間は、体験からしか学ば(体得し)ない、とつくづく思います。

また、曽野綾子さんは、以下のことも書いています。

「戦争も原爆も人権侵害も差別問題も、語り継いだ方がいいと思うが、恐らくそれは不可能である。親の苦労話さえ、子供たちの多くは身にしみて聞かない。記憶もしない」

やはり、学びに加えて、体験がいかに大事か!

今朝、スペイン風邪のコメントをしましたが、もし祖父から聞いても、今回の新型コロナウィルス感染症のことがなければ、記憶にもないのだと思います。  

祖父は、スペイン風邪ではやられなかったが、最後の病のきっかけは、風邪(インフルエンザ)だった。

2021年08月31日


祖父は、スペイン風邪ではやられなかったが、最後の病のきっかけは、風邪(インフルエンザ)だった。

100年前の新型コロナウィルス感染症「スペイン風邪」は、3年間猛威をふるったそうだ。

今回のコロナ禍は、どうなるの?

私の祖父は、よく昔の話をしてくれた。でも、スペイン風邪の事は、話してくれた記憶がない。私の田舎では、感染者は出なかったことはないと思うのですが・・・

スペイン風邪は、初めは米国の軍施設から始まったと言われています。日本では、相撲の力士たちが感染し、スポーツ関係から広がったとも?

2学期が始まったが、部活動は休止となった。コロナウィルス感染防止のためという。

100年前のスペイン風邪は?

>当時の人口5500万人に対し約2380万人(人口比:約43%)が感染、約39万人が死亡したとされる。有名人では1918年(大正7年)に島村抱月が、1919年(大正8年)に大山捨松、竹田宮恒久王、辰野金吾がスペインかぜにより死去している。(ウキペディアより)

建築家の辰野金吾も、スペイン風邪で亡くなっていたことを、初めて知った。

しかし、大正時代の我が家は子沢山で、祖父は戦々恐々だったのでは、と思います。

よく感染せずに済んだな、と。

目覚めの読書、田辺聖子さんの『苦味を少々』に、以下がありました。

「我々は、生きていく上で、かなりの復原力を持つものらしい。人生を漕ぎ渡る、我々の舟は、大舟ではないけれど、ひっくり返ってもまたチャンとも通りになって、水を汲み出したら、浮かぶようになっている、そこがおかしい」〜『妾宅・本宅』あとがき〜

当時の日本の人口は、5500万人。スペイン風邪で亡くなったと言われるのが約39万人。たかが風邪と思ってはいけないと思います。

私の祖父の最後、はじめは風邪と思っていたが、その後入院した。そのまま病院で亡くなった。

とにかく、このコロナ禍をどうにか耐えて、生き抜くことが必要と思います。いつか、コロナ禍は終わります。100年前もそうだったように。

祖父は、スペイン風邪ではやられなかったが、最後の病のきっかけは、風邪だった。風邪を舐めたらいけない。

朝から、祖父を思い出し、100年前のスペイン風邪について、再度調べてみました。今日も、感染対策に気をつけて過ごしましょう。


  

ワクチンてなに?、知ってるようで知らない予防接種。ふと思いところがあり調べてみました。

2021年08月28日

ワクチンてなに?、知ってるようで知らない予防接種。ふと思いところがあり調べてみました。

〜注射は自由(友人の意見)〜

昨年冬前、10年ぶりくらいにインフルエンザの予防接種をしました。たぶん前回したのは、子どもが、大学受験の時でした。我が家の子どもたちは、3歳違いなので、高校と大学受験の時は、インフルエンザの予防接種をした記憶です。

それ意外で、予防接種をしたのは、第一子が赤ん坊の時、風疹の予報接種を小児科でした。私は、子供の時に風疹にかかったことがなかった。そのおかげで、次女が生まれたのかもしれません。

私の友人は、注射自体が嫌いで、大人になって予防接種含め、「一度もしてない」と自慢しています。本人曰く、"注射をする、しないは、自由だ"と。

そこで、ワクチン(予防接種)とは何か、調べてみました。

(ワクチンとは?)

 ワクチンを接種することで、わたしたちのからだは病原体に対する免疫を作り出します。ただし、通常の感染(自然感染)のように実際にその病気を発症させるわけではなく、病原体の毒性を弱めたり、無毒化にしたりして、コントロールされた安全な状態で免疫を作るのです。ワクチンはいわば自然感染の模擬試験のようなものです。このようにして、いざ病原体が入ってきたとしてもあらかじめ備わった免疫で退治できるようになります。(中略)

(以上、東京大学医科学研究所、感染・免疫部門 ワクチン科学分野 石井健 研究室 「ワクチンとは?」より)

医療に関しては、安心・健康にを、医師の話として鵜呑みにするしか、一般庶民は、仕方ない部分があります。

肺炎を引き起こす新型コロナウイルス感染拡大は、世界中を震え上がらせた。

高齢者のワクチン予約の時、叔父は予約取れずに「俺は、死ななんばい」と言ってましたが、妹が手伝って予約が取れたら、何も言わなくなり、接種日を待っていた。

「ワクチンを打てばかからない」の意識があるようで、免疫はワクチンの解説のように、病気の度合いを和らげる効果がある、ですから、罹患しないのではなく、重症化しない効果なのですが。

私の友人の「注射は自由」に言わせるのは、日頃から薬を飲まない人は、小さい時から、さまざまな感染症に罹患していて、抗体が増強されているのだと思います。

私たち世代の田舎の子どもは、予防接種はBCGくらいで、ワクチン接種は、他にほとんどなかった。雑菌に晒されて生きて来た。(笑)

都市部と違い、重症化しないのでは、と思っています。

ちなみに、私は、今回のワクチン接種は、2回とも終わりました。自分のためと、家族のために、すぐに予約して済ませました。

インフルエンザとコロナワクチン

どう異なるのか、これからも検証していきたいと思います。

朝から、ダラダラと書きました。ご笑覧いただき感謝します。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:31Comments(0)新型コロナウィルス感染

勝海舟が歴史的な決断を出来た理由〜易学者・永淵道彦先生語録〜

2021年08月23日

勝海舟が歴史的な決断を出来た理由〜易学者・永淵道彦先生語録〜

私が50歳の時に書いた文『なかまづくり まちづくり』を読み返して、へー!です。

勝海舟は、幕臣としていち早く蘭学に取り組んだ。辞書を借りて、2冊写し取り、1冊は売って金に替えた話は有名ですが〜辞書を2回写したことはすごい!〜

勝海舟の自宅に若い幕臣が集まって学んだ、金(謝礼)が入るようになった。

勝海舟は、出世欲がなかったから、判断を誤らなかった・・・

永淵道彦先生曰く「野口さんは、建築を前面に出さないスタイルを通しなさい」だった。〜異業種交流会を維持するには〜

私の日本語の先生が、永淵道彦氏ですが、江戸時代から教師の家系で、易学に精通されていて、時々、ドキッとする言葉が出ます。かれこれ30年のお付き合いです。

私の最初の著書の編集者でもあります。








  

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:05Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他哲学、人生

>毀誉褒貶(きよほうへん)に、惑わされることなく、事象の本質を掴む努力を。〜曽野綾子著『中年以後』〜

2021年08月21日

<突然の来訪者には要注意>毀誉褒貶(きよほうへん)に、惑わされることなく、事象の本質を掴む努力を。〜曽野綾子著『中年以後』〜

正義とは何か?

ハーバード大学の政治学者マイケル・サンデル教授のテレビ公開授業「白熱教室」は有名ですが、"正義とは?"は、あのような議論で朝まるものだろうか、と思います。

マイケル・サンデル教授の議論の内容を録画して、熊本大学の「実践まちづくり」で、"公共の正義とは何か?"について議論した。

学生から、自ら手を上げて意見する日本人学生は皆無だったが、その講義の終わりに、私がアフリカからのある留学生の志について、家族背景、地域の期待から、命がけで学んでいることを紹介した。

一人の学生(3年生?)が、最後に意見を語った。

「私は、3年間講義を受けてきたが、心に響く話がなかった。先生の最後のアフリカの留学生の志を聞き、これまで一番の講義となった。有意義だった」

と語り帰っていった。

講義、授業、学び等々あるが、その講師の語る中身の正当性(正義)は何か、それは受ける側のがどう受けるかにあるのではと、何年も講義を続くてきて、その時の講義を振り返り思い出します。

ここ数日前から、13年ぶりに読み直している曽野綾子著『中年以後』に、以下の言葉があった。

(以下、転載)

 正義は、他人や世間が、風評や評判として判断することとはほとんど無関係なのである。正義は密かな内心のドラマである。人が正しいことだ、と言ってくれても、神の目から見ると、どこか権力への追従や卑怯な計算が働いている行為もある。世間がすべて否定し、弾圧する側に回っても、その行為は神が喜ぶことである場合もある。
(以上、本より)

さも自分が正しいように"正義面"して語る人がいますが、その事象(出来事)は、長い年月を経て、真実がわかるものである。目先(枝葉末節)の宣伝文句に、翻弄されるようではいけない。

〜上手い言葉に、嘘かある〜

毀誉褒貶(きよほうへん)に、惑わされることなく、事象の本質を掴む、努力を怠ってはならない。

要は、口の上手い人には、軽々しく回答(リップサービス)すると、揚げ足を取られることになる。ご注意を!  

Posted by ノグチ(noguchi) at 23:33Comments(0)哲学、人生市民活動

苦労こそ人間を育てる、と思います。

2021年08月19日

苦労こそ人間を育てる、と思います。

「一緒にいて楽しいという人間関係だけが、人生の生き甲斐やで」〜『朝ごはんぬき?』(田辺聖子)〜

作家の田辺聖子さんの小説は、ほとんど読みません。私は、田辺聖子さん小説に出てくる、特徴的な文を集めた本を、古本屋で漁っています。

これは、曽野綾子さんもそうだし、瀬戸内寂聴さんも、五木寛之さんもそうです。

要は気短かで、小説は全部読む時間がないのが本音か、読む気がないのかは別として、

4人の体験から出てくる言葉に惹かれています。

4人とも後期高齢者ですが、精力的に執筆活動をやられています。そのエネルギーの基はなにか?

余談が長くなりました。

田辺聖子さんの冒頭の文に、納得しない私がいます。

人生はただ楽しいだけで良いのか?

楽しいだけでは、経験(苦しみ・挑戦)が味わえない。

経験をしない人は、成長が伴わない。

成長がなければ、危機に対して脆い。

脆くがずれたら、再起を奮い起こすのですが、

そもそも楽しいだけでは成長が無い。

ふと、田辺聖子さんの文に、反論する私です。

苦労こそ人間を育てる、と思います。

*参考資料:田辺聖子語録集『苦味を少々』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:56Comments(0)マイライフ哲学、人生

人脈は、秘めた友への尊敬が必要。〜人脈を自慢する人は、心が薄く感じてしまう〜

2021年08月19日

人脈は、秘めた友への尊敬が必要。〜人脈を自慢する人は、心が薄く感じてしまう〜

曽野綾子著『中年以後』に、人脈の定義みたいな文を見つけた。

(以下、『中年以後』より)

 人脈は政治的に使ってはいけない。友達であることに、世俗的な付加価値を表面的につけようとしてはいけない。ただ会いたいと思う時に会え、話したいと思う時に時間を割いてくれ、病気の時には深く心に思い、そして男と女の関係を超えて、礼儀を守りつつ心の傷も話し合える人を友人として持つのがほんとうの人脈だろう。
(以上、本より)

しごくごもっともな意見と思いますが、世の中はそういかない。

人脈の広さを自慢する人が多いが、私などは、出会った人は多いが、つながっている人は一握りです。私はそれで良いと思っているのですが、異業種交流会の参加者が、40人、60人、100人と増えている時に、擦り寄って来た人たちがいます。

「野口さんは、なにを目的に人を集めている」

と聞かれた。私が、

「おもしろい人に会いたいから、人に会う」

と答えたら、その人(来ると名刺ばかり配る人)が、

「何で、商売にその人脈を使わないんですか?」

と言うので、私が、異業種交流会を指導していた先生の言葉を借りて、

「出会って2年、3年過ぎたころ、野口さんは、ところで仕事は何してましたっけ?、と言われるくらいが、人の本質が見える。これが、私を指導した先生の意見です」

と答えるたら、意味がわからなかたようです。

曽野綾子の『中年以後』の人脈の同じページに以下があります。

(以下、本より)

 ひどく矛盾するようだが、人脈を作るためには、人脈を利用してはいけないのだ。その人が自分の知人だと言いふらすと、友情は壊れる。ほんとうはかなり親しい間柄でも、それを秘し隠しておいた方が友情が続くのである。
(以上、『中年以後』より)

このことを知っている人は、どれだけいるのだろうと思います。世の中では、その逆を堂々と行なって、自慢しています。

友は3つ有れば良い。

1人は、自らを導くように意見をしてくれる指導者。

1人は、自分の立ち位置を厳しく意見してくれる同級生(友人)。例えば、「もう社長を辞めなさい」と言える人。

1〜数名の和気藹々と楽しめる仲間。

何十人、何百人の友がいることを自慢するには、それなりの費用も必要なもの、そんな無理すれば、長続きしない。

お付き合いは、淡白なほど続くと先人も語っている。人脈は、秘めた友への尊敬が必要だなぁ、と異業種交流会を続けて来た学んだことです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:05Comments(0)マイライフモラル・マナー健康生きがい

<中年を振り返る>人は、会った人間の数だけ賢くなる。〜曽野綾子〜

2021年08月18日

<中年を振り返る>人は、会った人間の数だけ賢くなる。〜曽野綾子〜

「人生は中年を境に、老年と死に向かうという大体のシナリオはもう決まっている。だが『中年以後』にしか人生は熟さない」

旧盆、コロナ禍でステイホーム、さらに毎日の雨で、本の断捨離して、"積ん読"の本の中から掘り出した本を見つけた。曽野綾子著『中年以後』なる本。

実は、曽野綾子さん著作の特徴的な文を集めた本に、何度も出てから『中年以後』の文だが、何と以前に読んでいたのです。いつ読んだか記憶にない。本には、いい内容の部分には付箋までしていた。

(以下、本より)

 しかし時間というものは、厳しいものだ。どんなに急いでも、時間だけは操作できない。心がけて時間を誤解を濃縮して、テープやビデオの早回しのように急いで人の倍も体験するというわけにはいかない。当然のことだが、若い時には何と言っても、まだ多くの人に会っていない。そして人は、会った人間の数だけ賢くなる。
(以上、『中年以後』より転載)

私としたら、曽野綾子の文に、へーっ!です。

私は、32歳で建築事務所開設した後、

33歳からの社会勉強のため
・多様なセミナーへの参加
38歳から準備して始めた、
・同業種交流会
・キッズサッカー教室
40歳から主催する活動
・異業種交流会
・まちづくりに関わる活動
45歳から事務局をいくつも
・偉人の顕彰活動
・大学非常勤講師「実践のまちづくり講座」
・市政研修会
・市民マニフェスト
などなど、やって来た。

中年と老年の境をいつにするかは、人それぞれと思います。

熊本大学で講義をした学生が、講義後に話をしにきた「私は、関東の会社で修行して、帰郷して町おこしをしたい」と語った。その青年は、それを実践していて、4ヶ月前に、福岡県八女市の醸造所を継ぎ、街の活性化をしていることを、ニュース番組で見た。

実は、2年前の春、八女市の醸造所を訪ねた。私の講義を覚えておられ、懐かしくお話をした。非常勤講師をしなかったら会えなかった青年です。

>会った人間の数だけ賢くなる。

なるほどなーと、思いました。
私も、中年に、色々やってきたな、と振り返りました。

さて、私の「中年以後」は、これからどうして行くか?

朝から考えた、曽野綾子さんの言葉でした。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:09Comments(0)マイライフ

<男は、一人の世界は有るか?>私は男性ですが、男性の方は男友達は何人いますか?

2021年08月17日

<男は、一人の世界は有るか?>私は男性ですが、男性の方は男友達は何人いますか?

私は、女性の友人がたくさんいます。それも年上のお姉様たちだけでなく、後輩の女性友達もいます。数えてみると、たぶん女性の友人が多いように感じます。

昨日から紹介する作家・田辺聖子著書の文を抜粋した本『苦味を少々』に以下の言葉を見つけました。

(以下、本より)

 男が、男として生きられる拠りどころは、しばし女臭芬々(ぷんぷん)を離れて、一人だけの世界を持つことである。〜『男の城』〜
(以上、『苦味を少々』より転載)

私は、自営業を長くやってきました。31歳6ヶ月から今まで、かれこれ32年8ヶ月を、実質一人親方でやってきました。仕事を一緒にする仲間は、数名いますが、下請けもせず、独立独歩で仕事をしてきました。

私は、人の下で長く働けない性格で、今のスタイルを続けています。

仕事がない時は、2日も3日も、妻以外に語りません。だから、市民活動を始めたのかも?とは思われますが、きっかけは全く異なります。

建築バカで、世の中のことを知らなかった、"社会勉強せねば"と、時間ある限りウロウロと学びの行動をし続けました。

そこには、人との出会いがあり、縁が広がっていき、今があります。

でも、いつもは1人です。

独りと孤独は、違います。

孤独は隔絶された立ち位置。

独りは、周りの存在があるから、1人(独り)を確認できます。

ブッダの言われた唯我独尊の独りとしての存在からも、男も女も、自らの独りの世界を持つことは大事と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:26Comments(0)マイライフ

日本選手の活躍と大会開催の意義が詰まっていると、読みながら、気持ちも温かくなりました。〜本日熊日『読者文芸』下段より〜

2021年08月17日

歌人の俵万智さんと山鹿市在住の山田隆典さんの文に、オリンピックでの日本選手の活躍と大会開催の意義が詰まっていると、読みながら、気持ちも温かくなりました。〜本日熊日『読者文芸』下段より〜

(山田さんの文)
 ブラジル・女子サッカーチームの素直で謙虚な行動が、このような文から伝わることこそ、自国開催の良さではないかと思います。

(俵万智さんの文)
 カナダの記者が、宿泊先のホテル内のセブンイレブンの充実ぶりに驚嘆し、毎日利用することをツイートしたり、記事にしたりしたことはニュースにもなったが、これも日本開催のエピソードの記憶となる。

俵万智さんの子息は、バトミントンをされているようですが、そのことから俵万智さんも、桃田選手を応援して観戦されていたことが分かる。

コロナ禍中の一年遅れのオリンピック開催だったが、国外の選手たちも口々に「大会開催に対する感謝する」の言葉がたくさんあった。

桃田選手の言葉も、
「本当に辛い時も支えてくれた方々や、応援してくれている皆さんのおかげで憧れの舞台に立つことができたことに感謝しかないです」
だった。

今、コロナウイルス感染拡大で、日本中が大変な状況、さらに旧盆の休み前からの梅雨のような大雨が続いている。

オリンピックの日本選手の活躍は、この夏の暗く不安な感染状況の中で、明るい希望を与えていると思う。

私もスポーツに関わる一人として、オリンピックの開催は、ありがたかったと思っている。今日も甲子園では、小雨降る中、球児たちがボールを追う姿に、元気付けられる。

若人の溌剌としたプレーを普通に見れる環境に、早く戻ってほしいと、お二人の文を読み思いました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:58Comments(0)スポーツ新型コロナウィルス感染

国連軍縮担当・中満泉事務次官のルーツは熊本。〜父から「熊本市から長崎のきのこ雲が見えた」を聞いた〜

2021年08月14日




<核兵器禁止条約と日本政府>国連軍縮担当・中満泉事務次官のルーツは熊本。〜父から「熊本市から長崎のきのこ雲が見えた」を聞いた〜

核兵器禁止条約の第一回会議が、来年3月22〜24日に開催される。

また、米露の新戦略兵器削減条約(新START)の延長した。また核兵器拡散防止条約(NPT)再検討会議が来年1月4日から4週間開催される。

日本政府の姿勢はどうか?

新聞によると、被爆者団体から、

「日本に締結会議へのオブザーバー参加を求める声が上がっている」

菅総理、6日(広島平和式典後の会見)で、

「現時点で条約参加の考えはない」

と明言した。このニュースは私も聞いた。さらに、菅総理は、

「(締結会議)のオブザーバー参加も慎重に見極める必要がある」

との見解だった。

中満事務次長は、人工知能(AI)やサイバー、宇宙空間など新興技術に関する議論の必要性に触れ、

「技術の進展を止めることはあってはならないが、規範を強化しなければならない」

と訴えている。
(以上、熊日・共同通信記事より)

コロナ禍で、米中の対立に関心が薄れている。米露の軍縮、新興国の軍拡と、大切な情報が薄れているように思います。

熊本県にルーツのある中満事務次長の活躍に注目したい。

*参考資料:熊日朝刊8月12日4面より  

Posted by ノグチ(noguchi) at 18:34Comments(0)国際関係政治問題(国)未来社会

ノーマルの方が新しい、地道で時間のかかるものが、逆に新しい。

2021年08月13日

ノーマルの方が新しい、地道で時間のかかるものが、逆に新しい。

最近は、ウケ狙いの行動が持て囃されているように思います。

でも、すぐに忘れ去られる。

地道に継続することなくして、人の記憶には残らない。

山陰から山陽までの道々に、桜を植え続けた人がいます。亡くなっても、その意志を受け継ぎ、継続されることになった。

自分の信念を貫くというが、時間かかることに取り組まなければ、人の記憶には残らない。

吉田松陰の理念をまとめた『覚悟の磨き方』に以下の言葉があった。

(以下、本より)

自分の信念を貫こうとすれば、
どうしても「極端だ」と言われてしまうものです。
でもまわりから「極端だ」と言われるくらいじゃないなければ、
この濁った世の中に、"新しいもの"なんて
生み出せないでしょう。
(以上、『覚悟の磨き方』より)

>貫こうとすれば「極端だ」と言われる

でっかいことはできなくても、継続し続ければ、素晴らしい成果を残すことがある。

新しいものにするには、地道な努力が必要だなぁ、とこの文を読み思いました。

ノーマルが新しい。

そんな気がします。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:48Comments(0)マイライフ哲学、人生

<老いへの心構え>この世の有様は過ぎ去るからです。〜聖パウロ〜

2021年08月12日

<老いへの心構え>この世の有様は過ぎ去るからです。〜聖パウロ〜

幸せの時間はあっていいし、その幸福感を味わっても良い。

しかし、それはいつか過去となり、自ら老いを実感した時に、その喜びはなくなります、と。

はたしてそうだろか?

曽野綾子さんの文を集めた『引退しない人生』に以下の言葉があった。

(以下、本より)

「兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようこそすべきです。この世の有様はすぎさるからです」〜コリントの信徒への手紙1 7・29〜31〜
 妻と過ごす生活はを楽しんでもいいのだ。泣くほどの辛いことがある時、泣いてもいいのだ。嬉しさに舞い上がりそうな時、舞い上がってもいいのだ。すべてのことにかかわってもいい。
 しかしそのすべては仮初(かりそ)めの幻のようなものだから、深く心に思わないことだ、と聖パウロは警告したのである。
(以上、曽野綾子著『中年以後』より)

これを紹介した文の冒頭にある言葉は、

>長く生きれば、「得る」こともあるだろうが、それ以上に「失う」ものも多いのだ。それが中年以後の宿命である。

昨日夕方、伯父の家に、酒のつまみを持って出かけた。小一時間ほど、話をしながら酒を飲んで語った。伯父は84歳、伯母は、1年ほど前から高齢者施設に入所していない。なので今は一人暮らし。

語る中で、「隣りも、その隣りも、いなくなった。寂しくなるばかり」とこぼす。「そうね、2人とも頑張ってたね。私もお世話になった」と返した。

月に一、二度は、こんな会話をしながら、酒を飲んで、たわいのない話をする。昼には、伯父の娘や、私の妹が、訪問しては、様子を見(看)ている。

そんな生活を見ていて、昨日見つけた聖パウロの言葉から、老い先短くなって行く、歳をとった高齢者を看る人たちが、みんな感じる思いでは、と読んだ。

人間、生まれてくる時も、死ぬ時も一人である、と仏教の講話で何度も聞く。

>そのすべては仮初(かりそ)めの幻のようなものだから、深く心に思わないことだ、

聖パウロは、人生の楽しみを「仮初」と指摘するが、私は、そうではないと思っている。その楽しかった体験からがあるから、老いての一人暮らしが耐えれるのではないか?と思う。

老いては子に従え、とはいうが、人間そうはいかないなぁ、と伯父と語りながら思った。私も、もし20年元気に生きていれば、伯父の歳になる。年老いていくのは誰しも、これから毎日をどう生きるか、老いへの心構えは大事だなぁ、と思った伯父の晩酌だった。

*参考資料:曽野綾子著『引退しない人生』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:05Comments(0)哲学、人生健康生きがい

<"時の人"ほど、今はいません>評判ほど、根拠のないものはない。〜良きにつけ、悪しきつけ〜

2021年08月10日

<"時の人"ほど、今はいません>評判ほど、根拠のないものはない。〜良きにつけ、悪しきつけ〜

曽野綾子さん著書『自分の顔、相手の顔』にある文に、

ピン!!

です。

(以下、本より)

根拠のないもの

 誰でも自分の評判というものは気になるものだ。(異常に日本人は気にする)
 しかし評判ほど、根拠のないものはない。私以外に私のこまかい事情を知っている人はないのに、その知らない他人が私のことを言っているのだから、評判が正しいはずはないのである。それでいてその評判に動かされる人がおお。世間というものが目に見えない力で圧力をかけるのである。
(以上、『引退しない人生』より)

果たして世間の評判とは何か?

作られたもの?

ほんとうこと?

市民活動をしてきて30年、今お付き合いする人は数えるほどの人物。

その時々には、"時の人"がいましたが、残る人は、数名、いや、1人、2人です。

熊本地球市民塾の先輩に言われたこと(私は当時、34歳)があります、それは、

「花火は誰でも上がれるが、継続できる人は少ない」

市民活動を見てきて、"時の人"ほど、今はいません。

先輩の言葉を、今にして学ぶ60代です。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:53Comments(0)日本の歴史、世界の歴史私の意見

日本人にかつてあった「公共の意識」の欠如はいつから?〜災害と義援金、災害とボランティア〜

2021年08月08日

日本人にかつてあった「公共の意識」の欠如はいつから?〜災害と義援金、災害とボランティア〜

阪神淡路大震災の時集まった日本国内の寄付金は、総額1800億円だった。

同じ年のアメリカでの寄付金総額15兆6000億円。アメリカは別に何があったわけではないのに、普通の年として、日本の約100倍集まった。

この原因は何か?

国民を政府が信用しているか、いないか、にあると。〜櫻井よしこ談より〜

原因は何か、アメリカは寄付金は無税。

日本は寄付金に税金をかける。(阪神淡路大震災の時は無税)

1.アメリカは、民間から民間にお金が流れることはほんとうに良いことだと考える。

2.日本は、大蔵省(現、財務省)が寄付金を全部集めて、こっちのNPO(民間非営利団体)に500万円とか、あっちのNGO(非政府団体)に1000万円とかわかる。全部政府が仕切る仕組み。

これからは、寄付金全てを無税にする税制が必要、と指摘する。

それを実現するには、政府と国民の関係を変え直すこと。

日本は、お上意識(依存)が強い。

日本は、問題解決する能力に欠けている。

「日本人には、ここ(災害)に起こったことは自分たち全体のことだという考えがないのですね。それが一番大きな問題だと思う。自分さえよければいいという情けない考えです」〜瀬戸内寂聴〜

災害と義援金、災害とボランティアに、瀬戸内さんは「公共の意識」の欠如を指摘しています。

共に生きる意識

かつての日本にはあった「公共」の意識とは?

コロナ禍を考えると、

100前のスペイン風邪のパンデミック

昨年からの新型コロナウィルスのパンデミック

その時の日本人の対応が、50年後か、100年後か、比較検証される時、果たして1人ひとりの行動は、「公共の意識」があったか?が問われるように思います。

今回のコロナ禍に対する、日本人のワクチン接種、感染防止の行動、政府の対応も含め、歴史が評価する。

話は、阪神淡路大震災の寄付金からでしたが、かつて日本人にあった「公共の意識」がいつから欠落してきたのか、現代の日本人の気質を、少し勉強したくなりました。

*参加資料:瀬戸内寂聴と櫻井よしこ対談集『ニッポンが好きだから』  

<人生は面白い>何事も創意工夫(勉強・研究)して反省し、明日の準備をする。〜草刈り・質問・改修工事〜

2021年08月07日




<人生は面白い>何事も創意工夫(勉強・研究)して反省し、明日の準備をする。〜草刈り・質問・改修工事〜

吉田松陰の理念を整理した『覚悟の磨き方』に以下の言葉がある。

・時間は矢のごとく過ぎる

わずかな時間も惜しい。送還しないのであれば、その勉強は身にならない、惰性ですいやいや続けるよりも、どうすればその勉強にのめり込めるのか、きっかけを探したがいいでしょう。
(以上、『覚悟の磨き方』より)

写真の手裏剣型の草刈り機のノコの刃製作も、1作目より、2作目、さらに、毎日研ぐ刃先を削る工夫も面白くなって来た。

特に、半円形の刃先の角度や半円の一部流線型にしてみたりとか、考えながら研ぐと面白みもでてくるもの。されど、手作りのノコの刃づくりです。

また、以下の言葉が、同じ本にあった。

・勝つ人と勝ち続ける人

勉強なんかできなくたって、最善を尽くせばそれでいい。ですが勉強している人が、最善を尽くしたら、それには絶対かないません。
いつまでも一線で活躍するつもりなら、勘や経験だけに頼らず、本質を学び続けることを怠ってはいけません。
(以上、『覚悟の磨き方』より)

昨日、市執行部のある部署の責任者に、「今度の質問内容だが、私の質問てテーマに対して、回答が作れるか、質問に行きたい」と、昨日のある会議の後に尋ねたら、隣いた仲間が、

??? 

の顔をした。私は、笑って「要は、質問になるか、質問する」と笑って応えた。

もう10年以上毎回質問を続けていると、そうそう質問ネタがたくさんあるわけでないので、常に情報仕入れ、視察研修を続け、見つけたネタを質問にできるか組み立てる必要が出てくる。

要は、草刈り機の手作りのノコの刃づくりのようなもので、日々の創意工夫こそが、さらに深い内容の質問にもなっていくもの。

これは建築の仕事もそうだが、たかが寺の改修にするのではなく、それまでの維持の困り事も含め、未来世代のために改修工事をするべきと考えてやっている。寺の改修も4ヶ寺やったが、全部内容は異なる。やはり、これも日々勉強と思う。

人生は、なかなか面白いものです。また、逆の見方をすること、楽しんでこそ人生なのだと思う。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:24Comments(0)マイライフ私の意見

宇土市のワクチン接種予約の申し込み、30〜39歳

2021年08月06日

(宇土市)30〜39歳、新型コロナウイルスワクチン予約開始日を前倒しします。

30歳~39歳の方のワクチン接種の予約開始日を変更(前倒し)します。
変更前:8月16日⇒変更後:8月10日

今後も予約状況に空きがでる場合は前倒しで予約受付を行うことがあります。変更の場合は,市ホームページ,LINE等でお知らせします。

詳細は宇土市ホームページをご確認ください。
https://www.city.uto.lg.jp/q/aview/288/21436.html  

Posted by ノグチ(noguchi) at 19:47Comments(0)新型コロナウィルス感染

<人こそ宝>森鴎外と西周(にしあまね)を世に出した津和野藩とは、どんなところか?。玉川大学創立者・小原國芳の歩いた道。

2021年08月06日

<人こそ宝>森鴎外と西周(にしあまね)を世に出した津和野藩とは、どんなところか?

玉川大学創立者・小原國芳の歩いた道

(長文です。お時間ある時にお読みください。)

森鴎外は、言わずと知れた、明治の文豪ですが、西周はどんな人か、ご存知でしょうか?

短く説明すると、福沢諭吉たちとともに、西洋の言葉を、日本語に変える仕事をした学者であり役人でした。

テクノロジー → 技術
フィロソフィー → 哲学

この言葉は、西周が訳したと言われています。

江戸時代には、日本になかった言葉(考え方)を、日本語として導入している。

明治に生み出された、新しい日本語を、2005年に北京へ行った「フューチャー500北京国際シンポジウム」の時、発見した。中国語は理解できませんが、字幕の漢字は読めるので、このことを言っているのか!と理解できる。

ただ、最近の中国語は、字画の多い文字が簡略化されて、"元の字はこれ"と漢語のわかる人に聞くと、そうだ、と教えてもらいながら、字幕を追っていました。

技術、環境、等の明治以後に作られた漢字は、中国にそのまま導入され、同じ意味で使われていたのには、驚きでした。日本の文明開花の影響が、中国に移入され、今使われているのを見て、私も漢字圏に住んでいるのか!と確認した思いでした。

話は元に戻りますが、その西周は、幕末にアメリカが開国を迫ったことから、学者志望の若者は、オランダ語から英語に変換していった。
 しかし、西周は、
「もしなにかほかのくにのことばで書かれたものでも、だいじなものだったら必ずオランダ語訳があるから、オランダ語のほうがいいと思った」
のでは。〜ドナルド・キーン氏が分析しています〜
(以上、『日本人と日本文化』より)

西岡は、幕末には珍しくオランダに留学している。

外国語からオランダ語に訳されたことを参考に、日本語を創り出すことができたのでは、と推測します。

テクノロジーを技術に、

フィロソフィーを哲学に、

今は普通に使いますが、それを翻訳した人が幕末明治に居た。

西岡は、常にに本読んでいた少年で、今なら怒られますが、親から頼まれて店へ買い物に行く時も、本を読みながら出かけた。右足と左足の下駄が違っても気にしない子どもだった。

本を読み始めるとやめられないので、母親は、勉強机のある場所へ、握り飯を届けていたという。

そんな西岡は、山口の小さな藩から日本を代表する学者になった。

司馬遼太郎氏は、長州藩に囲まれた小藩が生き残るには人財を育てることだったのでは、と分析している。蘭学(オランダ語で学ぶ)に特化した津和野藩。これと同じなのが、四国の宇和島藩も蘭学に特化していた。

この考えは、今にも通じるものがある。過疎だから、人がいないからと嘆くより、その地で学べる環境を作ることができるのでは。

25年前、玉川大学の創立者・小原國芳が小学校へ通った道を知る機会があった。小原氏は枕崎市生まれですが、その同じ小学校出身の方の家に遊び行った時、散歩している時に「玉川大学創立者小原國芳の通った道」なる看板を見つけ友人聞いた。小原氏が、中山間地区から小学校まで片道8キロを歩いて通っていた、と教えもらった。

たぶん、両親は教育に力を入れた方だったろうと思いました。まさに"人こそ宝"、それに導かれて更なる人財が出てくる。教育は百年の計、こんな時代だからこそ、教育の更なる充実が求められていると思う。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:12Comments(0)偉人

<ワクチン接種の賛否>最近、100年前のコロナウィルス感染の話が消えた。

2021年08月05日

<ワクチン接種の賛否>最近、100年前のコロナウィルス感染の話が消えた。

100前の新型肺炎のウィルス拡大したは、いつ終わるの?

ワクチンを打てば終わる?

<100年前の話し>

当時も、変異ウィルがあったのでは?

3年後から、少し収まる傾向になった。

今日は、近代史に詳しい方との会話から、

「これは、大なり小なり、コロナ禍は続く」

と語られていた。三密避け、手洗い、うがい。外出するを控えるは、まだまだ続くと思う。

ワクチン接種をしない人は、回り回って、実際に感染する。抗体ができる。

人との接触を控えてる人は、感染しないが重病にならないために、ワクチンを接種する。

どちらも危険はあるかもしれなちが、感染か、仮感染か(ワクチン)の違いはありますが、コロナウィルス感染を体験しないと抗体はできない。

小学生以下は、ワクチンを接種しません。子どもが感染しないために、大人のワクチン接種率の向上が必要な気がしています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:04Comments(0)新型コロナウィルス感染