★『世界で最も貧しい大統領=ウルグアイ元大統領 ホセ・ムヒカ』の言葉

2025年05月16日

★『世界で最も貧しい大統領=ウルグアイ元大統領 ホセ・ムヒカ』の言葉

友人から送られたメッセージを読み入りました。

<6つの理念>

①貧乏とは欲が多過ぎて、満足出来ない人のことです。

②私達は発展する為に生まれて来た訳ではない。『幸せ』になる為に地球に生まれて来たのです。

③本当のリーダーとは 多くの事を成し遂げる者ではなく、自分を遥かに超えるような人材を育てる人です。

④金持ちは政治家になってはいけない。弱者の生活・気持ちが分からない…政治とは幸福を求める闘いなのです。

⑤我々はあの世に何も持っていけない。後世に残すのは『教育』です。

⑥人生で最も重要な事は…勝つことではありません。歩み続ける事です。

本日改めて読み、背中をピンと伸ばしました。

政治の最も大切な仕事は、

>自分を遥かに超えるような人材を育てる人です。

やはり「教育」だと思います。それも、社会を変えるような発想と行動をできる人材を育てることではないかと、本日のコメントを読み思いました。

みなさんに読んでいただきたいので、シェアさせていただきました。


  

人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜

2025年05月15日

人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜

仲間づくりの始まりは、同じ志向の人々の集まりから組織ができると考えるのが普通と思います。

しかし、仲間、グループとは違い、一対一の付き合いは、同一志向だけの付き合いでは、自らの人間力が成長しないように思います。

ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈氏は、異分野の人と付き合う、アメリカに活動拠点を移したこと、要するに異世界との交流こそが自らを成長させると語っていました。

曽野綾子著『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』の一節に以下の文がありました。

(以下、本より)

 しかし、それは決して、相手が私と全く同じ人生観を持っている、ということでもなく、趣味が完全に一致しているということでもない。むしろ友人となり、適切な人間関係を待ち得るということは、いかに親しい友人であっても、生来、全く違う個性のもとに生まれついているということに厳しい認識を持ち、その違いを許容し得る、というところから始まるのである。
(以上、『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』より)

友というのは違いを認めてから始まる、という話です。

子どもならまだしも、20歳を過ぎてから付き合う人々とは、何を基本にしているか?

やはり"違いを認める"ことから始めるように思います。

古い名言があります。

「私はあなたの説には反対である。しかしあなたがそれを発言する権利は命をかけて擁護する」
―S.G.Tallentyre, The Friends of Voltaire(タレンタイア『ヴォルテールの友人たち』.1907)"

これこそが友人の発言ではないのか。

人を認めるとは、"違いを理解する"ことから始まると思います。

世の中には、自らの考えと違う人を、"ボロクソ"に言いふらす人たちがいますが、それでは人の信用は生まれません。

世の揉め事も含め、違いを理解しようとする姿勢が大事だと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:54Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他偉人私の意見

<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜

2025年03月23日

<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜

数日前から、春の草刈りを始めた。昨年に、父の使用済みの仮払い機の丸型の刃を加工しては使ってきたが、ついにヒビが入った。1日半ほど、"このヒビの入った刃を使うには?"と思案して、昨日加工した形が、写真のような変形手裏剣型に変わった。ここ4年で初めての形です。

刃は、両面使いにするようにしていて、
草刈り用は、切り込みが大きく。
小さな竹も切るのは、切り込みが短く。

この使用済みの仮払い機の丸型の刃の加工は、私のある意味"遊び"の部類に入っています。

市販の丸型の刃は、安いのは700円ほどから、高くなると3000円近くするものもある。

田畑の草は、一年中続く作業。中山間地の我が家の草刈り作業では、困るのが草陰に石や岩がたくさん在り、下手な私の草刈り作業では、よくぶつけて市販の丸型の刃先を飛ばして、すぐに切れなくなってしまっていました。年に、4〜6枚も羽先が無くなり使えないことありました。

そこで始めたのが、使用済みの刃の加工です。試行錯誤、これが面白いのです。

丸型の刃も、いろいろなデザインがある。軽量化するのに、小さな穴がたくさんあるもの、大きく三日月型に穴を開けたもの。父が使用して羽先の無くなったものを加工する。

今朝の読書で読んだ作家の田辺聖子さんの"遊びは飽きない"から、昨日の加工作業を思い出し、この言葉に賛同した!
以下が、その文です。

(以下、田辺聖子著『苦味を少々』より)

「私は遊び下手ですなあ、飽かんように遊べたら、ええのやけど」
私にいわせれば、飽かないから遊びなのであって、飽くのは、単なるヒマつぶしである。
〜『ダンスと空想』〜
(以上、本より転載)

>飽くのは、単なるヒマつぶしである。

私は、友人たちがよくやっている魚釣り等には、ほとんど興味が湧かないが、ものづくり、建築模型、さらに実際の建築設計から建設に至る行程は、何度やっても飽きることがない。たぶん、同じものが無いからだろうと思っています。

仕事が趣味という人がいます。たぶん、その仕事は、日々同じことがなく、変化や新たな工夫が必要だから面白い、だから飽きることがない。

遊びも同じで、プラモデルような既存の製品ではなく、実際に屋根に庇を取り付ける作業が飽かないのは、工夫が必要だからだと思います。だから続けることができる。

建築の仕事は、私にとっては遊びの工夫に似たような感覚を持っています。

これからの後半生を、遊びの感覚を持って生きていけたらいいなぁ、と田辺聖子さんの文を読み朝から考えました。

>遊び上手

これからの人生のテーマかもしれません。


加工前

加工後  

文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜

2025年03月07日

<老いてますます学問を>文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜

(昨日の出来事からコメントしました)

文明開花の明治が始まって160年、馬車から汽車さらに自動車から飛行機の時代になって、ますます世界が狭くなったように、科学や技術の発展により、人間の邪魔やは延び、ますます人生は長くなっています。

それこそ、幕末維新で活躍した熊本の政治思想家の横井小楠が暗殺されたのは61才、坂本龍馬は32才でした。私は、龍馬の歳の倍、小楠の歳も越えてしまいました。

人生は短いとは言いますが、戦前からすると、長生きになっています。

渋澤栄一は、以下のように書いています。

>そんな中で、30歳までが勉強の時間であるならば、少なくとも70歳ぐらいまでは働かないと、もったいないではありませんか?

>もし50や55で老いて衰えてしまえば、20年、25年しか働いていないことになります。

>それだけの期間で、何を成し遂げられるでしょう。そして、何かを成すには、学び続けるしかないのです。
(以上、『渋澤栄一100の訓言』より)

男女を問わず、大学進学が当たり前になりました。しかし、日本の大学は、難関大学がいくつも存在しているように、入るは難し、出るは優しの狭き門がいまだにあります。

昨日の防犯パトロール中に、高校無償化の話から、北欧の大学の学費無料の話になった。現役教師から、

「大学は、出るのを難しくしないから、人材が育たない」

と話していました。確かにそうかとは思いますが、社会人でも最初は学ばないと、仕事はできません。

共同通信の論説委員長で、久米宏さんのニュースステーションにも出られた政治評論家の故内田健三氏が80歳を前にして語られた、

「身体は老いるが、精神は成長する。まだまだ勉強です」

を忘れられません。当時私は40代前半でした。

内田健三氏が語られたことと同じ内容が、本日読んだページにありました。

(以下、『渋澤栄一100の訓言』より転載)

しかして文明の老人たるには、
身体はたとい衰弱するとしても、
精神が衰弱せぬようにしたい、
精神を衰弱せぬようにするには学問によるほかない。
(以上、【『論語と算盤』立志と学問】より)

内田健三氏は、東京大学在学中に、学徒動員で戦地に向かい戦った後、戦後すぐは肺病(結核)を患い床に伏された。病気を乗り越えて大学に復帰されたのは6年後だったと聞きました。なので、30歳まで大学で学ばれました。

>文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。

老いても益々学ぶ意欲を持たなければ、と朝から考えました。

私の40代前半ころの、昼は社会活動に参加して、夜に設計の仕事をした体力は流石に今はなくなりましたが、学ぶ意欲がなくならないようしなければと思います。

話が長くなりました。明日からの宇土半島一周ウォークの準備を、午後からやります。さて、完歩できるか、足を状態を労わりつつ頑張ります。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:03Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他偉人哲学、人生

<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。

2025年01月27日

<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。患難、変故、屈辱、讒謗、払逆に挑むなり。〜『言志四緑』〜

長い人生には、いろいろな試練が起こる。

患難:疲労困憊する苦労
変故:変わった出来事
屈辱:耐え難い扱い
讒謗(ざんぼう):そしられる
払逆:思うようにならぬ

すべて天が人を成熟(成長)させるための手段であって、一つとして人間を磨き上げるために役立たないものはない。

したがって、こうした出来事に出遭ったならば、いかに対処しようかと考えるべきで、むやみに逃れようとしてはいけない。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より)

28年前、私は2つの病院の改修工事の計画をやっていました。時は、消費税が3%→5%にアップする一年前でした。もし完成がアップする翌年4月より遅れても、前年の9月末日までに着工(工事契約)していれば、課税を免れる緩和措置があった。

その年の夏は、日々睡眠不足の状況になるほど忙しい中で仕事をしていました。一つの病院改修の確認申請許可を8月末までの終えれないと工事着工が間に合わない、ほんとに必死でやっていました。

そんな時に起こるのが、熊本工業高校野球部が甲子園決勝戦に進み、県下全部が応援体制に、土木事務所に書類を持ち込むと、全員テレビ観戦中。

担当者曰く「明日下ろすから、今日は一緒に応援観戦しよう」でした。「明日、必ず確認が許可されるのなら、今日は帰ります」と帰り、事務所で次の病院の改修工事の設計作業でした。

翌日は、本当に1日で確認申請を下ろしてくれて、消防署へ書類を持ち込むことができました。土木事務所から消防署まで車で40分なのですが、睡眠不足で途中仮眠をしないと運転できないくらいに疲労が溜まっていました。よくやり終えたなぁ、と振り返ります。

正に、天は乗り越えれない苦難は与えない経験でした。

この改修工事は、工事中にも色んな出来事が重なり、さらに苦労するのですが、工事も完了することができました。

実際の学問とは、艱難辛苦の中から学ぶことだと、訓示を読み当時のことを思い起こしました。

その後、消費税は5%→8%へ、さらに8%→10%に変わりました。その時は、私が経験したような建築業界の騒ぎは起こらなかった。人間、慣れとは怖いですね。

現代政治の全年代の福祉向上策、子ども医療費や学費の無償化が広がっていけば、さらなる消費税アップもあるのだろうな、と予想します。

私は、消費税3%→5%直前の激務を経験したので、その後、同業種交流、異業種交流から、一人で全部をやるスタイルから、若い世代との連携・分担するネットワークを構築し、激務が発生しても乗り越える体制が出来上がりました。現在の建築事務所と市議会議員の二足の草鞋も可能になっています。  

<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜

2025年01月03日

<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜

(長文です。お時間ある時にお読みください。)

箱根駅伝は、予想とは違って、青山学院大学が連覇を果たした。一矢を報いたのが、復路優勝が駒澤大学の走りではないのかと考えました。駅伝競走は、多人数の走りの繋ぎなので、思うようにはならないのが、見ているものの楽しみでもあります。青山学院大学、連覇おめでとうございます。

さて冒頭の一文は、年末から読む『中年以後』の一節です。

(以下、本より)

<若い時は>自分の思い通りになることに快感がある。

<中年以後は>自分程度の見方、予測、希望、などが、裏切られる、と納得し、その成り行きに一種の快感を持つこともできるようになるのである。

(以上、『中年以後』〜算数通りならない人生〜より)

第101回箱根駅伝は、予想の國學院大学の駅伝三冠を阻止したのは、王者・青山学院大学だった。箱根駅伝の難しさが、現れた今年の結果となった。

駅伝同様に、一人ひとりの人生も、予定通りに行かない歴史がたくさんある。

しかしその歴史検証も、歳を重ねると若い頃の一方的な価値観から、多面的な見方ができるようになる。

(以下、本より転載)

〜計画通りに行かなくても〜

自殺するほどに自分を追い詰めることもないだろう。反対に上手く行っても、自分の功績ではなくて運が良かったからだ、と気楽に考えられるのである。

(以上、『中年以後』より)

過労死の悲惨な現状の報告を聞くに、追い詰められた状況に言葉を詰まらす。

どうして周りが気づかないのか?

どうして、周りへ苦しい現状を伝えられなかったのか?

私などは、大学受験は上手くいかず、一旦社会人になり、また浪人生活に戻り、そして建築士を目指して進学した。

まったく予定(算数)通りにはなって来なかった人生です。

建築士の修行時代は、バブル経済で、無資格の若僧がアルバイトで稼げた。ところが、独立直前に、バブル時代が終わった。苦しいフリーター生活の始まりでした。

それから試行錯誤しながら生き延びてきました。

今は、建築士事務所と市議会議員の二足の草鞋を履いて生きています。この市議会議員選挙に出ることも、いろいろな出来事から始まった。話せば長くなるのでやめます。

>人生は計算(算数)通りにならない。

そのことについて、曽野綾子さんは『中年以後』の中で、前の引用文の後に語っています。

(以下、本より)

 すべての人がそうだ、とは言えない。しかし世の中が算数通りだとしか思えない人、或いは算数通りにならないと怒る人は、写真の中でただ年を取るだけだろし、算数の乱れを面白がれる人は、恐らく若い時の写真よりも、年を取ってからの方が面白い人物に写るのだと思う。
「コヘレトの言葉」も最後に言うのである。
「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる」
(以上、『中年以後』より転載)

人生の変化(算数通りにならない)を受け入れ、対応して成長する人こそが、生き延びる(楽しめる)人なのかもしれないと、曽野綾子さんの本を読み学びました。

>人の知恵は顔に光を添え

人は練れて(鍛えられて)輝きを増す。

年始にあたり、この言葉を知り、日々心を入れ替え(新たなに)、チャレンジすることこそが大事だと気付かされました。

最後までお読みいただきありがとうございました。  

<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜

2024年09月25日

<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜

(少々文が長いので、お時間ある時にお読みください。)

私の読書は、雑読である。あまりよろしくないが、古本屋での立ち読みから興味が湧き購入することが多い。その作家の一人が、歴史に関する本が多い半藤一利の著書です。

半藤一利氏の文を集めた本『歴史と人生』に、夏目漱石が関心を持った『老子』の話がありました。

(以下、半藤一利著『歴史と人生』より)

ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ
夏目漱石(明治三十一年作)

この句には前書きがある。
「知者不言、言者不知」
出所は『老子』である。
「知るものは言わず、言うものは知らず」
と読む。えらそうに言挙げするものへの皮肉がたっぷりこめられている。漱石はまたこうもいっている。

「余慶な不慥(ふたしか)の事を喋々する程、見苦しき事なし、況(いわ)んや毒舌をや、何事も控え目にせよ、奥床しくせよ」
〜『愚見数則』〜

斯愚には 及ぶべからず 木瓜(ぼけ)の花
夏目漱石(明治三十二年作)

『老子』に有る、
「大功は拙のごとし」
「われ愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり」
漱石もまた節を曲げない愚直な生き方を、生涯の心の拠りどころとしていた。
(以上、『歴史と人生』より)

>知るものは言わず、言うものは知らず

智者は語らず。
お喋り多い人は知らず。

>ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ

人の注目を集めることに熱心な人がいます。"時代の寵児"と言う表現もありますが、そんな人は、いつの間にかいなくなります。

私は、異業種交流会を主催してきました。かれこれ25年(四半世紀)になります。

いろいろな方と会ってきました。その初めから縁のある大学教授に、

「本物は残るから、長く観ておきなさい」

と助言されました。一瞬の輝きより、10年後、20年後の姿を観ることが大事だなぁ、とこの歳になると思います。

人の時のアセス

人間の言動の検証のことを大学教授が語られたのだと思います。

>余慶な不慥(ふたしか)の事を喋々する程、見苦しき事なし

「人生は訥弁」の教えが中国古典の何かにありました。お喋りは禍いの素(原因)です。

勇者は語らず。

人間分析は、なかなか時間のかかる(アセスメント)作業のように思った、半藤一利氏のご指摘でした。再度、

>ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ

人生は、ぼちぼち。好きなことを愚直に続けたが楽しいのかもしれません。

今日、明日は、膝を休めるために早朝ウォーキングはお休みですが、いつもの時間に目覚めて、雑読しています。  

<生活習慣と学力>規則正しい生活習慣と本のある家、本を読む習慣。〜岸本裕史〜

2024年06月21日

<生活習慣と学力>規則正しい生活習慣と本のある家、本を読む習慣。〜岸本裕史〜

久しぶりに新たな本を手にした。昨日までの議会の一般質問準備で、朝の読書ができなかったのですが、雨で朝のウォーキングもできず・・・開いた本は、教育者の本『見える学力、見えない学力』です。

まず小学校に行くと、時計の見方から始まると思います。岸本裕史氏は、

>たとえば、時間についての学習をするとき、生活が一定の規則正しいリズムで営まれている家庭の子どもは、起床、食事、入浴、就寝の時刻は、毎日ほぼ同じです。それから子どもは、幼児から時計を意識したくらしを経験してきています。学校で時計の読み方をあらためて教えててもらわなくても、入学前から分針、秒針までただしく読めるようになっています。(中略)

言われて見れば当たり前の話ですが、若い夫婦の生活は、仕事の関係から、子育ての時間に関して疎かになっていることが多い。

生活時間と見えない学力の関係性は、おもしろい分析だと思います。

(以下、本より)

生活習慣と学力の深い結びつき。

学校の成績があまりよくないといわれる子どもに、いっしょうけんめいにドリルを買い与えてやらせても、効果ははかばかしくありません。塾へやっても期待はずれになりがちてす。それは、学力の土台となる言語能力が乏しいからなのです。
(以上、『見える学力、見えない学力』岸本裕史著より)

岸本氏は、

普段から色んな本をよく読んでいる子は、事前に漢字に馴染んでいます。書くことはやっていなくても、印刷してある漢字はひとまず読めるようになっています。筆順さえ教えてもらったら、たやすく覚えてしまいます。熟語もすぐに想起できます。

普段の生活習慣こそが、見えない学力(氷山の埋もれた部分)の大きさになって行くという話です。

学力は、家庭教育(習慣)が大きく影響を与える。

岸本氏は、"読む能力、書く能力、計算する能力"について、
「3つの能力を、しっかりした自律性と他人への思いやり・愛情とともに、確実に育てていく手がかりは、楽しい家庭教育の世界に豊かに秘められています」
と語っています。学校の成績もですが、家庭教育の充実には、生活習慣にも要因があると思いました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:28Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他教育問題

老いを楽しむ3人の女性と評論家・樋口恵子さんの「7つのご機嫌のヒント」

2024年06月14日

<「今日がいちばん若い」の精神で>老いを楽しむ3人の女性と評論家・樋口恵子さんの「7つのご機嫌のヒント」〜ラジオ深夜便〜

6月11日、早朝ウォーキング中に楽しみで聴くNHKラジオ深夜便のインタビュー「明日への言葉」(午前4時5分〜45分)に、評論家の樋口恵子さんが2日連続で登場された。両日ともに聴いて、今年92歳の老女の言葉に、"老いを生きるヒント"をたくさんもらいました。

今日の市民からのコメント『ぱれっと』に、老いを楽しむ高齢女性の姿を見ることができる。かつて「恍惚の人」なる言葉が広かった時代がありましたが、樋口恵子さんの現役引退後の活動が素晴らしい。

『老いの上機嫌』7つのご機嫌のヒント

①せっかくの人生、楽しげに生きる
②人づきあいはさっぱりと
③「今日がいちばん若い」の精神で
④モノは無理に捨てない
⑤他人の長所をほめる
⑥「老い」をユーモアで笑い飛ばす
⑦誰かの「微助っ人」になろう

ラジオでは、10のヒントを語られていたように思いますが、本には「7つのヒント」となっているようです。
 樋口恵子さんは、70歳で都知事選挙に出て、84歳で家を建て替え、92歳で夢を見れる人生が素晴らしい。

新聞の市民のコメントの3人の高齢女性の生き方にも惹かれます。

>「後期高齢者ですが、青春18きっぷを売ってくださいますか」と言ってみよう。

田舎では「免許返納」すると、動く足が無くなった感があるが、都会では公共交通機関が発達していて、それを駆使して動くことができるから・・・

"愚痴るより"、有り余る時間の使い方にあると、樋口恵子さんと3人の高齢女性の生き方が、教えているように思います。

>誰かの「微助っ人(ビスケット)」になろう

私の老いの居場所は、

・朝の登校指導(緑のおっちゃん)
・生活安全パトロール隊の活動
・フットパスの普及とイベント開催

>せっかくの人生、楽しげに生きる

・100キロウォークの挑戦

本日は、軽貨物の車検出し、九州龍馬会の会場下見、式次第づくり。夜は高校同窓会熊本市支部の役員会、その後の先輩たちとの一杯?

樋口恵子さんの「今日がいちばん若い」の精神で」、今日も気分良く過ごせればと思います。







  

<今朝の名言>さまざまな社会の出来事を非難する人がいます。政府にも、行政にも、さらに職場でも・・・

2024年05月13日

<今朝の名言>さまざまな社会の出来事を非難する人がいます。政府にも、行政にも、さらに職場でも・・・

これは、今に始まったことではなくて、人々の営みが始まった時からあったことで、いろいろ偉人たちが、幸福や教育、政治について語っています。

(以下、19世紀のアメリカの作家の言葉より)

「幸福とは、どれだけ豊富な知識があるかの問題ではな。知識をどれだけ活用するかの問題である。どんな教育を受けたか、どんな訓練を受けたかの問題ではない。自分がどんな人間であるか、どんなことができたかの問題である」
〜ジョシュア・G・ホランド〜
(以上、『カーネギー 名言集』より)

昨夜、私のブログの古いコメントで紹介した「益者三友、損者三友」からも、自らの行動そのものが問われるのが人生だと思います。

ジョシュア・G・ホランド(1819~1881) は、19世紀米国の小説家・詩人、雑誌編集者ですが、人の営みの中で大事な労働について以下のことを語っています。

「労働は生きるための手段であって、生きることではない」

私なりの解釈だと、

"あなたは何のために生きていますか?"

の問いのように聞こえます。

>知識をどれだけ活用するか

>自分がどんな人間であるか、どんなことができたか

私は、来月で66歳に至ます。学生時代、60代は遠い先のことと思っていました。何もしなくても、一日は過ぎて行きます。

ジョシュア・G・ホランドの「知識」と「教育」から、自らの人生を振り返る朝になりました。また、今週が始まります。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:51Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他偉人教育問題

豊かさとは何かを、自分も地域も社会も含めて、考える一年になる気がする。〜令和6年、龍の年〜

2024年01月20日

豊かさとは何かを、自分も地域も社会も含めて、考える一年になる気がする。〜令和6年、龍の年〜

ここ数日、読み返す本の末尾の言葉があります。暉峻淑子著『豊かさの条件』のあとがきの末尾に書かれている内容は、

(以下、本より)

"即応性のある収穫高"の競争と力による解決ではない「もうひとつの世界は可能だ」という地球市民のうねりは、今、現実に世界を動かしつつある。そして足元をみれば、日本の社会の分権化の中で、お任せ主義でなく、一人ひとりが知恵を出しあい、協力しあって政治と社会を変えようとする市民の運動もまた確実にひろがりつつあることを感じる。
(以上、『豊かさの条件』より)

この本は、埼玉大学名誉教授の暉峻淑子さん著書で、初版は2003年5月20日で増版を重ねています。

以前に紹介した、子ども居ないご夫婦が、海外旅行も行かず車にも乗らず、ひっそりと暮らした貯金と家土地のすべてを、妻の母校に寄付し、妻が亡くなると、老人ホームに移り本を読む生活に、最後はその本も学校に寄付して終わられた人生について、本に紹介されています。

『豊かさの条件』を読み返し、ふと思うのが、バブル時代が終わって35年になる。また、今年は戦後79年、明治維新から156年、年数を書くとまだそんなものか、と思います。鎖国をした江戸時代を除けば、日本も激動の時代が長く、平和な時期は短かったたことがわかります。

しかし、太平洋戦争後の平和な時代だからこそ発展できた日本ですが、成熟期に入り、少子高齢化により、発展スピードは、ガクッと下がりました。そんな状況は、過去の歴史にも起こったと思います。そこで古典を読むことになるのですが、江戸時代によく読まれ本『菜根譚』に2つの訓示がありました。

<後編No.73>

人生の楽しみと苦しみ

【現代語訳】

物欲に縛られていると、自分のこの人生がつまらなくかなしむべきものであることがわかり、自然の本性に安じていると、自分の人生が有意義で楽しむべきものであることがわかる。その人生がどうして悲しいものであるかと悟ると、世俗的な執着の心はすくなくなってしまい、その人生がどうして楽しいものであるか悟れば、すぐれた聖人の境地が自然と開けてくる。
(以上、『菜根譚』より)

隣の芝はきれいに見える、の気持ちで、あれも、これも"欲しい"と買い漁る人がいる。

昨日も、東京ディズニーのグッズを買い漁る映像を見るに、"悲しい姿だ!"と思った人も多いと思います。

しかし、自分はどうかと振り返る?

車、家、海外旅行、子どものスポーツ、進学、等々、

自らの人生を振り返りと、隣の芝生を追いかけて来なかったか、反省もあります。

もう一つの訓示は、以下です。

<後編No.74>

物欲を去り、清浄心を得て

【現代語訳】

自分の心の中に、すでにひとかけらの物質的な欲望もなくなってしまったら、それは雪がいろりの火に溶け、氷が太陽の光に消えるように、何ものにもとらわれなかなってしまう。また、目の前の自然にひとつの清く明るい光があたったならば、それは月が天上にあり、その光が波に映っているように、すべてのものの本来の姿が見えてくる。
(以上、『菜根譚』より)

最近は、人生の終わりの準備を「終活」と称して、いろいろな取り組みもですが、実はここにもビジネスが新たに起こっています。私は、終活ビジネスなするつもりはないですが、自らの人生の終わり方を考える歳になったと思います。

朝から、あっちこっちと話が飛びましたが、今年は、年始から大地震、航空機事故の発生から、一人ひとりが、豊かさとは何か、自分も地域も、社会の豊かさも含めて、考える一年になりそうな気がしています。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 07:22Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他私の意見能登地震

文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。〜田辺聖子著『私の大阪八景』〜

2023年12月24日

文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。〜田辺聖子著『私の大阪八景』〜

冒頭の田辺聖子さんの言葉を読んで、

文明は、生活の豊かさが現れる。

文化は、人の生き方が記される。

明治の初めは文明開花を歌ったが、庶民はまだまだ江戸時代の文化そのままだった。

大統領や総理大臣の素晴らしい演説は文化であって、救急車や救急医療の充実は文明の発達である。

本日の熊日朝刊一面を読み、

自民党のパーティ収入は文明の力だが、参院選の年は全額還流は"阿部派の文化"だった。

文化と文明は、いっしょのようで中身は違う。田辺聖子さんの文を集めた『苦味を少々』に、以下の言葉がありました。

(以下、本より)

文明が進むほど、我々は不満不足だらけになる。不平不満は、なお、文明を生む。しかし、棺桶へ足つっこんで(アア、おもしろかった、どうぞみなさん、あとでごゆるり)という発想は文化なのであって、これは文明に関係ないからむつかしい。
〜田辺聖子著『古川柳おちぼひろい』〜

先週に、関東への視察研修で、地域のお金を地域で回す「デジタル地域通貨」の仕組みを勉強に行った。この地域通貨の維持には、行政の支え(多額の維持費)が必要で、毎年の出費が発生する。

地域でお金を回す発想は文化だが、それを動かす維持費の仕組みが新たな文明となる。

>文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。

文化は金がなくても出来(生まれ)るが、文明の維持には金(経済)が必要となる。

の意味を、田辺聖子は語っている。

年の瀬、市街地のイルミネーションやクリスマスマーケットは、現代の文明を現している。それを見ながら年末に人と語る忘年会は、日本の文化である。

文化と文明は背中合わせ、両方なければ人間社会の発展はない。

今年も残り8日、今夜はクリスマスイブで日曜日、みなさんにとって良き一日でありますように。  

<五十歳から自由な開放感で>『林住期』オマケの人生、だからこそ自由より

2023年12月19日

<五十歳から自由な開放感で>生まれてから二十五年間は、親や国に育て手もらう(現実は違うが?)。それから五十までの二十五年間は、妻や子供を養い、国や社会に恩を返す。〜『林住期』より〜

五木寛之さん曰く・・・

(以下、『林住期』オマケの人生、だからこそ自由より)

 それは、よく耳にする「オマケの人生」である。八十代迄生きるにせよ、九十代までがんばるにせよ、五十過ぎからの時間がオマケであることは事実だろう。
 オマケと考えれば、どう生きようと勝手ではないか。あーあ、ついに耐用期間を過ぎたか、と、ため息をつくより、突然、これまで感じたことのなかった自由な解放感をおぼえたほうが徳である。
(以上、本より)

50歳が境目?

私は、今年65歳になりました。

私は、22歳の時、建築事務所を開く夢を持って建築専門学校へ入学しました。そこに至るまでの3年の滞りが、今の私を作っているのですが・・・。当時は、3歳下の高卒入学組からは、私は浮いていました。でも救いはあるもので、同級生が他に2人も居て、専門学校とはそんなところでした。

今振り返るに、若干22歳の若造が、人生はやり直せると思い専門学校に入学し、頑張りました。以来、43年が過ぎました。

五木寛之さんの五十歳が境目(転換点)という話と、2年前の89歳の五木寛之さんの熊本講演は90分立ちっぱなしで話をされた姿、現在91歳で熊日に連載をされています。すごいな、と思います。
 凡人は、五木寛之さんのようにはいきませんが、残された人生、どう時間を使って行くか、思案のしどころです。長いか、短いか、先はわかりませんが、人生のプランを構築する必要がある、と、おそまきながら思います。

昨夜天気予報も見ずに、朝ウォーキングと目覚ましをかけ起きて外の天気を確認したら雨でした。寝る前に読んだ『林住期』の一節を読み返し、"自由な開放感"な生き方で、老いを楽しんでおられる五木寛之さんから学びました。  

<人生はあなたが生きた跡>"壮年老い易く学成り難し"という訓示があります。貴方は、今おいくつですか?

2023年12月14日

<人生はあなたが生きた跡>"壮年老い易く学成り難し"という訓示があります。貴方は、今おいくつですか?

歴史に名を残す人たちは、"どんな人か?"です。

私の好きな偉人は、

坂本龍馬

横井小楠

は、常に金が足りなかった。

理論の目標の偉人は、

王陽明

は、官僚でしたが、辺地に左遷され、生きる死ぬの状況から、悟り(大吾)した。

高須晋作は、

窮地からー発起して、長州の権力を握った。

20世紀の偉人の尊敬するのは、

ガンジー

マザーテレサ

は、金などないが窮民を救う活動を一生続けた。

人間は成功よりも、晩年をどういう生き方をしたかで、その人の評価が決まる。

私も65歳、さてこれから何をするか、何を続けるか、です。人生は、長いようで短い。

あなたはいま何歳?

いくつまで生きるかは、天の決めることですが、生きた証し(歴史)は、自らの行動の跡です。

さて、明日から同動くか?  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:10Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他偉人哲学、人生

波瀾万丈の展開でなく、普通の人の日常に起きる「小さな」こと描く。〜山田太一〜

2023年12月02日

波瀾万丈の展開でなく、普通の人の日常に起きる「小さな」こと描く。〜山田太一〜

『ふぞろいの林檎たち』は見ましたね!

山田太一さんが、お亡くなりになりました。89歳、死因は老衰とあり、私の父も89歳でしたので、同じような終わり方だったのかなあ、と思いました。

熊日のコラム『新生面』に、以下のことが書かれていました。

「時代の流れ学校激しく太くなった時にはとるに足らないものになって行く小さな本当、小さな矛盾、小さな誤解、小さな深淵、小さな善悪、小さな夢、小さな物語は、まだ日本では書く余地がある」〜山田太一『文芸別冊』〜

映画から、テレビへ

>沈滞した撮影所に比べて、はるかに活気のあったテレビ局に大きな可能性を感じたため

山田太一さんは、映画界からテレビに夢を移し、大きな功績を残されました。我々のここらにもたくさんの夢を与えていただきました。

現代は、ネット時代に変わった。

YouTuber(ユーチューバー)なる仕事をする人が増えている。

情報発信は、時代と技術開発によって変わる。

江戸時代は「瓦版」

明治時代は「新聞」

大正時代「ラジオ」と「映画」

昭和時代「テレビ」

平成時代「インターネット」

令和時代「???」

今は、新聞、ラジオ、テレビ、インターネットを混在しそれぞれを活用する時代になりました。

どんな時代になろうと、山田太一さんが描いた、普通の人の日常は変わらない。

>小さな夢、小さな物語は、まだ日本では書く余地がある

この言葉には、納得して賛同するところです。

小さな夢を持ち、それぞれの物語を作っていけば良いと思います。

山田太一さんのご冥福をお祈りします。(合掌)  

>愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして。

2023年11月30日

<男女協働>愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして。〜田辺聖子著『めぇ〜る』〜

たまには、やわらかい話もします。

作家の田辺聖子さんの言葉には、社会改革を感じるものが、たくさんあります。女性作家が当たり前の時代になりました。女性が仕事をするのは当たり前、仕事が主で、家庭は二の次になっている人たちも多いようにも思いますが、逆な見方をすれば、男たちは家庭を顧みない輩ばかりだから、定年離婚が増えているとも・・・

田辺聖子さんにしろ、曽野綾子さんにしろ、男分析の鋭さは天下一品で、こちらは舌を巻くしかない。

しかし、ご両人には伴侶があられ、それなりの夫婦生活があります。

冒頭の言葉は、以下の部分の伐採です。

『上機嫌な言葉 366日』の11月29日の言葉です。

(以下、本より)

 これからの女性は、きっと仕事を生き甲斐にする、という人がふえるでしょう。ただ、その場合も、もし、愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして、そちらの人生でも生きてほしいのです。
〜『めぇ〜る」より〜

田辺聖子さんの言葉は、手厳しいですが、大人の優しさを感じるものがたくさんあります。男と女、夫婦、恋人、男女友達、色々な男女関係を文に綴る天才だなぁ、つくづく思います。

>甘い、やわらかい部分

思いやりの心を持ち続けたいものですね。それこそ、不思議な生き物の人間ですが、男女はパートナーとして、人生の友人としてどう付き合うか、課題であり、楽しみでもあります。

*参考資料:『上機嫌な言葉 366日』
  

リーダーは、半歩前を歩け。時々、半歩下がって後ろを歩く仲間と共に歩く。〜金大中〜

2023年06月22日

リーダーは、半歩前を歩け。時々、半歩下がって後ろを歩く仲間と共に歩く。〜金大中〜

(少々長文です。時間ある時にお読みください。)

昨日までの議会質問準備から解放されて、今朝はゆっくりとしています。13年目の議会ですが、一度の休みもなく、毎回(地震・コロナ禍で2回休止)質問を続けて来ました。そのおかげで、多くの学びを得たと思っています。

質問には、何かのきっかけや気づきが必要となります。同じ分野、同じテーマなら、ネタが無くなり、続かない。やはり、日々の行動と出会いからしか、質問のテーマは思いつかない。

身近な話題を質問テーマにするのが常道なので、議員18人の周りはみなさん同じような状況ですから、起こる出来事も同じ、重なるところが多いという中で、他とは違った視点を持っているかが問われます。

今朝は、『菜根譚』の言葉に知恵をもらった気がします。以下、本より転載、

人生の難事には譲る心で対処する

[現代語訳]
人情は反復し、世路は崎嶇たり。行くに去けざざる処は、須らく一歩を退くの法を知るべし。行くに得き去る処は、務めて三分を譲るの功を加えよ。

【訳文】
 人の心は時々刻々と変わりやすく、人生の行路はほんとうにけわしい。そこで、行こうとしていくことができない時には、まず自分のほうから一歩を退くというやり方を知らなければいけない。
 また、行こうとすればたけるところでも、そのまま自分だけの思い通りに行ってしまわないで、なるべく三分は人にゆずる方法を考えなさい。
(以上、『菜根譚』No.35より)

>なるべく三分は人にゆずる方法を考えなさい

今回の質問では、防災士の市の動きから、3人がテーマに上げましたので、私は、違った視点から、市への提言を語る方法にしました。

同じやり方なら、ぶつかることが増えますが、そこは人との出会いの中で得た、多面的な視点を駆使して、同じテーマでも切り口を変え、提案することができるものです。

ほんと仲間のおかげです!

競合するとき(難事)には、知恵を絞って新たなアイデアを考えることが、自らを成長させると思っています。飽きらず、懲りず、地道に調査して、次回の質問テーマを探すことを続けて行きたいと思います。

何故か、そんなときに思い出すのが、元韓国大統領の故金大中氏の言葉「リーダーは半歩前を歩け」です。本の中にある、

時々、半歩下がって後ろを歩く仲間と共に歩く、

の意味のことが書かれています。先に行かなければいけないが、半歩後を歩く仲間を忘れてはいけない。とても大切な考え方と思っています。

私が関わるさまざま活動を後輩たちに渡す時期に来ています。そろそろ、そんな準備もしなければ、と朝から考えました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:30Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他マイライフ偉人

>五十歳からの二十五年を「林住期」、以後を「遊行期」という、まさに死を見つめて生きる。〜五木寛之〜

2023年04月20日

<文化の成熟の担い手>五十歳からの二十五年を「林住期」、以後を「遊行期」という、まさに死を見つめて生きる。〜五木寛之〜

4月8日に開催した手づくり作家作品展示交流会「第4回オリジナルinうと」を開催して思うのが、作家の多くが50代以後の女性が中心だった。私の作務衣を仕立ていただいた方は、70代の女性です。人生の後半生をどう生きるか、考える時に、"手づくり"をやってみたいと思う人は少ないないと思います。

冒頭の言葉の解説は、

文化の成熟の担い手

今の時代を支える最大グループこそ、いま若者志向社会から「ジジイ」あつかいされている五十第から六十代の最多世代にちがいない。すなわち「林住期」に属する団塊こそが、この国の文化と精神の成熟の担い手となるのではあるまいか。
(以上、『林住期』より)

私は、「林住期」の後半に差し掛かっていますが、文化や芸術の担い手なっているか、考えなければと、朝から思いました。

50〜75歳、人生の後半生をどう生きるか、いくつになっても考え悩む生だなぁ、と朝から思いました。  

国家意識を現すユーモアとは?〜江沢民(中国・元国家主席)のハワイでのスピーチ〜

2023年03月29日

国家意識を現すユーモアとは?〜江沢民(中国・元国家主席)のハワイでのスピーチ「太平洋の西半分は中国が受け持つ?」〜

久しぶりに、作家の曽野綾子さんの夫・三浦朱門さんの本『老年の品格』を読んでいて、初対面のユーモアについて書かれている場面を読んでいたら、中国共産党の江沢民国家主席が、ハワイに出かけた時の話があった。引用文が長くなりますが、現代の中国共産党のやり方は、"ここにあるのか!"と思いました。

(以下、『老年の品格』より)

〜第十二章 愛のある笑い、毒のある笑い〜

 中国の前の国家主席の江沢民は、ハワイに行った時(2012年4月12日)、第二次世界大戦の時に、中国とアメリカが連合国として、共に日本と戦い、日本の帝国主義を壊滅させたことを述べて、太平洋はその時の同盟国である米中で二分して、守らなければならない、とスピーチした。
 彼は少年時代、日本が占領した上海に育ったから、反日感情はほとんど生理的なものがあっただろう。
 その時の連合国であったことをアメリカ人に思いださせるのは、外交礼儀としては当然としても、太平洋を二分して西半分は中国が引き受けるというのは、アメリカとしては、チョッと待ってくれ、言いたいところだろう。しかし、第二次世界大戦当時の連合国という甘いカバーをかぶせて、言いたいことを言うあたり、いかにも中国的政治家である。
 事実、その後の中国の軍の近代化、そして軍備の拡充、そして、南シナ海から、沖縄を超えて、グアム島あたりまで、艦隊を出動させる状況などを見ると、この国は確かに太平洋の西半分を自分の版図に置こうとする意図が見え隠れする。
(以上、『老年の品格』より転載)

さすが、三浦朱門さんだと思いました。ただの文化人ではなく、多様な人たちと、若い頃から交流を持ち、意見を交わして来て、さらに長命であることから、世界の潮流はどこにあるのか、よく見ているな、と思います。

ネットで、習近平国家主席の誕生に、深く関わる江沢民元国家主席との関係を調べていて、習近平国家主席は、恩人である江沢民氏が健在の間は、江沢民氏のやり方を踏襲することが、大きかったのだろうと思いました。

『老年の品格』に書かれているユーモアに関わるエピソードに、興味津々で読んでいます。小説と違い、2〜5ページが一つの話題なので、朝読書にはちょうど良いと、枕もとに置いて、時折り開いています。

今朝の文章は、中国の今の状況は、"これか!"と思いました。さて、中国の次なる国家主席は誰になるのか?、日本も大きく影響を受ける経済大国・中国の動向には、関心を持っていきたいと思います。

〜web情報〜
江沢民は習近平の最大の恩人(1)【中国問題グローバル研究所】
配信日時:2022/12/12 10:29

#中国軍の動向
#江沢民のハワイでのスピーチ
#習近平国家主席誕生と江沢民
#江沢民は習近平の最大の恩人(1)  

<WBC優勝>青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。〜サムエル・ウルマン〜

2023年03月23日

<WBC優勝>青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。〜サムエル・ウルマン〜

昨日のWBCの決勝を見て思うに、若者たちの生き生きした姿に「青春の輝き」と思いました。

何かに一生懸命になる姿こそが、周りに影響与えて、未来を夢見る人を鼓舞する。

青春

この言葉を、思い起こした人も多いと思います。サムエル・ウルマンの詩にある言葉、

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる

信念、自信、希望

まさに、WBCに出場した国々の若者たちは、母国の若者たちに3つのメッセージを発信していたと思います。

老いても若々しくありたい。

そんな希望を与えた、日本の野球選手たちに、祝福と感謝の言葉を贈りたいと思います。