自らは真面目が基本ですが、世の中には悪意がたくさんあることも忘れてはいけない。〜オレオレ詐欺は減らない〜

2022年11月25日

自らは真面目が基本ですが、世の中には悪意がたくさんあることも忘れてはいけない。〜オレオレ詐欺は減らない〜

宗教団体の社会的活動に参加した地方議会議員のことが毎日新聞記事なっている。"良いことを掲げて人集め"された話の結末は、ひどい極評価となっているとがとても悲しい。

裏を返せば、宗教団体が社会活動を隠れ蓑に、地方の著名人たちを引き寄せて来たことなのだと思います。

私も、30代から色々な社会活動、慈善活動に、参加したり、スタッフに加わった来て思うに、普通は、多くが一過性の活動が多いのですが、長く続く団体も稀にある。

長く続く活動を見ていて、10年、15年過ぎる団体では、それを支える財政的な裏付け(基盤)があることがわかって来て、そのスタッフの人間性もわかるものです。

しかし、中には儲け話も来るもので、安易に参加すると、同じ色目で見られてしまうので、これらは要注意です。
 私は、異業種交流会を主催するために、年間100人近い人と新たに会っていました。私の持論が「人生は出会いで決まる」で、誘われればどこの集まりにも参加していた時期がありました。でも、たくさんの集まりに参加したおかげで、会場に集まる人の雰囲気から、裏の仕掛け(勧誘)を薄々感じた時は、、その会には参加を取りやめるようになりました。

統一教会がらみの集まりに誘われたこともありますが、異業種交流会やった経験から、集まりに違和感を感じて参加しなかったような気がしています。いわゆる直感みたいなものです。

特に最近気をつけているのが、「全員を知らない人との集合写真は撮らない」ように気をつけています。要は、後で何に使われるが分からないので、危機回避のためです。

曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』に、以下の文を見つけました。

(以下、本より抜粋)

 悪意と破壊的な情熱も人間の要素

最近の日本人は、相手がもしかすると悪い人ということの教育を全くしていない。
「うまい話を知らないから人から持ちかけられたら、必ず何か落とし穴があるんだら用心しない」
「うまい儲け口なんてものは、世の中にあるはずがないんです」
「知らない人について行っちゃいけませんよ」
「夜遅く、非常識な時間に、女性がお酒を飲んだり、ホテルについて行ったりしたら、それは相手に許したことになるのよ。そんな態度を示しながら、襲われたなんてことは通らない」
というような戒めや警告は、どこの国の年長者がしているわけだが、日本ではそういわない。(中略)

 それもこれも「人を疑ってはいけない」「皆いい子、のならの果ては、皆いい人」という不思議な信仰がいまだに残っているからだ。
(以上、『ただ一人の個性を創るために』より)

>知らない人について行っちゃいけませんよ。

これは子どもに言う言葉ですが、大人の我々、高齢者の人も注意しなければ、裏の仕掛けのある集まりに、つい参加してしまうことが起こります。

曽野綾子さんの言われる「日本の皆いい子現象」ですが、良い人がほとんどですが、時折りは、悪意に巻き込まれることを、意識しておくこと。

"減らないオレオレ詐欺の現状"

自らは真面目が基本ですが、世の中には悪意がたくさんあることも忘れてはいけないと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 18:38Comments(0)マイライフ私の意見哲学、人生

<男女賃金格差>"未だに、こんな事件が起こるのか!"と、娘を持つ親といて、怒ったことを思い出します。

2022年11月22日

<男女賃金格差、医学部への女子入学制限事件>"未だに、こんな事件が起こるのか!"と、娘を持つ親といて、怒ったことを思い出します。〜権利の上に眠るな〜

今朝のニュースで、2024年に発行される新紙幣に、津田梅子さんが描かれていました。

ふと思い出し、古本屋で見つけた、瀬戸内寂聴編『新時代のパイオニアたち』を開くと、明治に活躍した、下田歌子、津田梅子、岸田俊子、川上貞奴、樋口一葉、三宅花圃を取り上げています。
 はしがきに、瀬戸内寂聴さん自身の経験も書かれています。

(以下、本より)

私が女学校を卒業し、進学しようとした時、真顔で先生が母に、
「女があまり勉強すると、それを使わなければならないような運命になりがちだから、なるべく女学校止まりくらいが、幸福ですよ」
と忠告してくれたというほどてす。私(瀬戸内寂聴)が女学校を卒業したのは昭和十五年(1940)、そんな時でさえ、地方都市(徳島)では、そんな考え方が一般だったのてす。女が勉強すれば婚期が遅れ、嫁のもらい手がなくなるというのが世間の見方でした。
(以上、『新時代のパイオニアたち』より)

現代では、男女の差なく勉強に励んでいるようになりましたが、子育て時期を敬遠して某大会医学部に進学する女子に制限をかけていたことが暴露され、社会的に叩かれた事件が起こりました。

"未だに、こんな事件が起こるのか!"と、娘を持つ親といて、怒ったことを思い出します。

日曜日に見た矢島揖子伝の映画の前に、熊本バンドに所縁のある草場町教会の牧師が、「日本には、男女の賃金格差が、いまだにある」と強く語っていました。

日本の男女格差、ジェンダーの理解、子育て環境(関わり)の男女の意識格差、封建時代以来、明治から続く、子女教育の刷り込みのすごさを思いつつ、気づいたところから、改善をしていかなければと、つくづく思いました。

戦後に獲得した女性の選挙権を、放棄する(無関心)人の多さにガッカリします。戦前戦後に活躍された市川房枝さんの言葉に、
「権利の上に眠るな」
があります。社会の矛盾を変えるのは、行動からです。そして、継続していくことが大事、と市川房枝さんが体現されました。

偉人たちの行動を、現代の人たちも学んでほしいと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:25Comments(0)男女共同参画社会社会問題教育問題

人は見た目とは違うことが多い。10年くらい付き合わないと判断が難しい。〜真面目だけではダメなのか?〜

2022年11月22日

人は見た目とは違うことが多い。10年くらい付き合わないと判断が難しい。〜真面目だけではダメなのか?〜

(長文です、お時間ある時にお読みください)

数日ぶりのウォーキングは、14000歩を超えていました。下弦の月もきれいで、星空も冬の星座になっています。

さて汗を流して、開いた曽野綾子さんの本『ただ一人の個性を創るために』第十二話「皆いい子のなれの果て」に、曽野綾子の体験からから一文がありました。末尾に、以下の一節になるほど、と思います。

(以下、本より)

 私は人を見るとすぐ悪く考える習性が残っていた。穏やかそうな顔をしているけれど、家では厳しい人なのではないだろうか。お金持ちらしいことを言ってはいるけれど、こういう人こそ借金だらけかもしれない。犬を可愛がっていて、犬の話をすると目尻がさがるけれど、世の中には犬には優しくても人には全く優しくない人というのもけっこういるのだ、などと思うのだ。
(以上、『ただ一人の個性を創るために』より)

この文の次のページの見出しは、

「物事には裏があり、人には陰がある」

ほーっ!

曽野綾子さんは、常に人を真正面から見ていないのか?

人間、初対面の印象が大事と何人も聞きました。

しかし、私の体験は、人間は10年くらい付き合わないと、どんな性格で、何の目的を持っているか、判断できない。そんなことに気をつけていると、いろんな情報が耳に入るものです。

先月の選挙前、支持者から言われたのは、

「野口君は、真面目だね。もっと我を出した方が良かつじゃなかと」

我とは何か?

目的のためならなんでもやれ、ということだろうか?

松下電器(現、パナソニック)の4代前の社長が掲げたスローガンは、

「真面目に、それも超真面目」

を実践すると、語っていました。創業者精神への回帰、松下幸之助も真面目をモットーに仕事をしていました。

曽野綾子さんではないですが、

真面目そうに見えても、家族には厳しく、中には暴力もある夫がいると聞く。

昨日見た、矢島揖子伝の映画では、幕末期の騒乱の中で、武士の夫が、時代変化について行けず、酒浸りになり、子女に暴力や暴言を、毎日やっていた。矢島揖子は、男に見切りを付け、自ら離縁して、東京での生活に夢をかける。

男女格差に対する反対運動を起こし、決死の覚悟で政府に直談判したり、80歳を超えて、渡米して、世界の女性たちの反戦の1万人署名を、アメリカ大統領に渡すなど、その行動力はずば抜けていました。

人は見かけなよらない個性を持っている。矢島揖子は、男に頼らない生活力を付け、自らの考えで社会改革に取り組んだ。

だから、第一印象ではなくて、10年くらい付き合わないと判断できないと、私は思っています。

朝から、話が長くなりました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:23Comments(0)偉人男女共同参画社会市民活動

>これからの図書館は、管理者視点の運営から、利用者ニーズを重視した活動に変える。

2022年11月19日

<伊万里市民図書館・研修の収穫>これからの図書館は、管理者視点の運営から、利用者ニーズを重視した活動に変える。

伊万里市民図書館長の講話から、本を読む人と読まない人の"二極化"を昨日の研修であらためて確認した。〜これからの大きな課題〜

講話を聞き、本に興味を持たせる「司書」という職能の存在意義を理解してほしいと痛感しました。

本への興味は、子どもころの体験にあるのではないか。

私は、小学生の時、特に4〜5年生のときに、学校図書館の本を読み漁っていました。友だちたちも同様で、司書の方と毎日顔を合わせて、色々な本を紹介してもらい、それを読む繰り返しでした。

昨日の図書館研修で、図書館建設に市民活動で関わった女性議員から、今働く1人の司書のエピソードが紹介されました。

その女性は、伊万里市の人でなく、長崎県佐世保市(隣市)の出身で、小学生の時から、母に連れられて伊万里市民図書館に通っていたそうです。その子どもは、大人になり、伊万里市民図書館で働きたくて司書の資格を取って、職員になりました。

なぜ、佐世保市の図書館でなくて、伊万里市民図書館なのか、建設されて27年、素敵な図書館ではありますが、随所に市民活動とともに作られた工夫、細やかなサービスは当たり前ですが、司書を中心とする読書を通じた市民との交流や仕掛け(催し、読み聞かせ専用小劇場、出前図書館、学校図書館との連携)、一番は居心地の良さだと思いました。

 伊万里市議の加藤さんから教えてもらったユニークなサービスに"そんなこともできるのか!"と思いました。なんと、図書館に飾られている絵も借りれる。
 DVDの映画のレンタルも充実していて、AV映像担当の司書もいました。ほんと、図書館を通じた、文芸、芸術、文化のコミュニティが形成されていると感じました。

 また、伊万里市民図書館の活動に協力する図書館友の会の活動紹介コーナーも設けられていて、建設だけでなく運営にも市民が今でも関わっていることが、利用者が多い要因だと思います。

館内視察中に、子ども図書担当の若い女性司書の方に、
「土日は、一日に何冊くらい借りられますか?」
と尋ねました。
「千冊くらい」
と言葉に、私がつい
「千冊ですか?、冊数の制限とかありますか?」
と聞くと、
「無制限で、2週間借りれて、連絡するともう2週間延長できます」
とにこやかに話していました。子どもたちにも、笑顔で本の話をされるのだろう、と感想を持ちました。

また、図書館のどこでも本が読めるように、中庭には可動式の日差し避け(オーニング)があり、昨日の意見交換は、外でやりました。もちろん和洋の会議室、小ホールも備えていて、図書館というより、芸術・文化の拠点という施設になっていました。

実は、12月議会で、図書館司書のことを取り上げますので、とても有意義な図書館研修になりました。









  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:56Comments(0)

<意見・異見>伊万里市民図書館での今日議論で"公立図書館は観光地ではない"というまとめでした。

2022年11月18日

<意見・異見>伊万里市民図書館での今日議論で"公立図書館は観光地ではない"というまとめでした。

市外からたくさん来る図書館の来場者は、それは"正解、不正解"、みなさんどう思われますか?

そもそも、図書館は、何のためにあるのでしょうか?

たかが半日の図書館研修での地方議員の意見交換でしたが、私が常々思っていた、観光地化する民間主導の市立図書館の役割は、何なのか?の疑問に、回答が明確に出ました。

図書館は、その地域の文化レベルを表すと言いますが、市民が一番通いたい土日に、地域外からの来場者(観光客)で駐車場が満車ならば、元々の市民は利用できない。

これは、公立図書館の役割を果たしているのか?

図書館運営に市民が当初から関わり、働く司書のレベルの高さと向上心、議会の質問も支える取り組み、なかなかできない市立図書館が、伊万里市民図書館の活動と思いました。

また、ゆっくりと図書館にいる時間を楽しめる企画で、伊万里市民図書館を訪れてみたいものです。