「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」(吉田松蔭)〜明日は高校の卒業式〜

2022年02月28日

<やむを得ざる勢い>「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」(吉田松蔭)〜明日は高校の卒業式〜

2月は28日が最後、いよいよ明日から春・3月なのですが、今朝も1℃まで下がりました。今年は、なかなか遠い春の気候です。

冒頭の言葉は、『佐藤一斎一日一言』の2月28日の訓示です。

(以下、本より転載)

已むべからずの勢に動けば、即ち動いて括られず。枉(ま)ぐべからざるの途を履(ふ)めば、即ち履んで危うからず。

【訳】
やむにやまれない勢いで活動をするならば、邪魔立てされることなく自由に動ける。曲げようのない正しい道を進むならば、何も危険なことはない。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より)

何事にも勢いが必要と思う。

勢いとは何か、それは志に基づく行動である。

その志に必要なのは、

>曲げようのない正しい道を進む

冒頭の吉田松蔭の言葉は、

「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」

辞世の句と言われる歌ですが、人間は末期になっても、保身でなく、志によって行動せねばと思います。

明日は、多くの高校の卒業式が行われます。今年も来賓は招かない質素な式ですが、生徒は学舎を後に、新たな世界へ旅立つ日です。自らの輝かしい未来を信じて、貪欲に学び行動してほしいと願います。  

<朝読書>マイナス発言でなくて、周りをプラス志向にする言動に努める。〜中村天風+我が師〜

2022年02月26日

<朝読書>マイナス発言でなくて、周りをプラス志向にする言動に努める。〜中村天風+我が師〜

枕元の本「『ほんとうの心の力』(中村天風著)を開いた。以下の一節が心にスッと入ってきた。

颯爽溌剌(さっそうはつらつ)として人生の難路を輝かしく突破したいと思う者は、常に積極的な言葉を使う習慣をつくりなさい。〜中村天風〜

なんでも前向きに捉える。

中村天風氏は、出来事や与える試練に対して、

>どんな場合にも自分の言葉や自分の言語で消極的な表現をして、そして自分の実在意識を通じて自分の生命をそこない、なおかつそれを耳で聞いている他の人の心持ちまで悪くしないようにしよう。(中略)

自己主張を周りは強要しようとするリーダーがいるとします。理路整然と政府や首長たちの進めるやり方を批判するのを見ると凄いとは思いますが、しかし時期と場所を考えて発言する必要があると思います。

それよりは、周りに居る人たちが、前向きに、自らの判断で前進できるような発言に努めることこそ、リーダーではないか。

私の市民活動の師匠の一人は、「これからのリーダーは、頭が良い(切れる)者ではなく、頭が強い人間が必要だ」と生前語っておられた。

"頭が強い"の意味は、

常に変化する社会状況を鑑みて、周りがより良き方向へ向かうには"何をすれば良いのか"を考え続けらる精神と体力を持つ人のことと説明していました。

パッと素晴らしい考えを閃く天才が居ます。閃くことは良いのですが、その閃きは、その時の社会状況に対する閃きであり、刻々と変化することに、果たして対応できているのか?

>周りに居る人たちが、前向きに、自らの判断で前進できるような発言に努める

を根本に置いて、考え続けているか。自らを目立たせるためでなく、周りの幸せや良き成果を上げれることを考えているか。

中村天風氏の「常に積極的な言葉を使う習慣」と、私の師匠の「考え続けられる強い頭」が、今朝は重なって見えました。

マイナス発言でなくて、周りをプラス志向にする言動に努めなければ、と朝から思いました。

今朝は体調は良いですが、まだワクチン接種から1日経ってないので、自らの観察をしつつ、過ごしたいた思います。  

<差別の構図>力の強い方(数)から弱い方(少数)へ向かうとは限らない、権利関係から起こる差別。〜沖縄米軍基が起こす事件〜

2022年02月25日

<差別の構図ポイント②>力の強い方(数)から弱い方(少数)へ向かうとは限らない、権利関係から起こる差別。〜沖縄米軍基が起こす事件〜

>目指すべき社会は「弱者を思いやる社会」ではなく、「弱者をつくらない社会」だと主張している。〜佐藤由美子(音楽療法士)〜

『マイクロアグレッションを吹っ飛ばせ』より、

差別の構図6つのポイントから、②の解説に、

(以下、転載)

必ずしも力の差は数の"多い少ない"ではないことも注意したいものです。例えば南アフリカ共和国では「アパルトヘイト」という少数の白人が、黒人たちを支配した歴史がありました。要は権力関係がそこにあるかどうかがポイントになるのです。沖縄の米軍と地元住民の関係も似たような部分があります。沖縄では米兵による住民への犯罪が起きても、日本の法律をそのまま適用して罰することができない事例が起きています。
(以上、本より)

沖縄米軍基地の地位協定は、南アフリカ共和国のアパルトヘイトの事例と並べて語られることに衝撃を受けますが、確かに、事件が起きてもなかなか日本へ犯人
引き渡さない事件がこれまで何度も続きてきた。

日米間の権力構図がまだまだあるのか、と再確認した気がします。

まだまだ、マイクロアグレッションの学びの前段階のところで学んでいますが、ほんとによく解説されています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 11:01Comments(0)国際関係政治問題(国)平和

<過疎地の教育支援>「教育の三大原則」(『民主主義と教育』ジョン・デューイ著)から、現代教育を考える。

2022年02月22日

<過疎地の教育支援>「教育の三大原則」(『民主主義と教育』ジョン・デューイ著)から、現代教育を考える。

枕元にある本の中から、経済学者の宇沢弘文著『人間の経済』を開くと、教育についての考え方を語っていました。

以下、ジョン・デューイの「教育の三大原則」について書かれていました。

(以下、本より)

第一は、社会的統合。
子どもたちが学校の教室と言う場で、他の子どもたちと一緒に学び、あそぶことで一人前のなんかに成長したするのを助ける。〜アメリカは、特に十九世紀は典型的な移民社会でしたから〜

第二は、平等に関わる原則。
どんな僻地に生まれても、どれほど貧しい過程に育ったとしても、その時々の社会が提供できる最高の教育を、すべての子どもたちが受けられるようにする。

第三は、一人ひとりの子どもの知的、精神的、道徳的な側面の発達を助ける。
子どもたちはみなinnate(生来的)に、あるいは後天的に独特の能力と性向を持っている。それらの良い面をできるだけ生かしながら、同時に社会的な存在としてバランスのとれた人間に育てる。
(以上、宇沢弘文著『人間の経済』より)

この三原則は、日本の教育の基本的な考え方になっている、とあります。

さて、現代教育の現状はどうでしょう?

毎日、イジメの話が新聞に出ないことは無い。

教育現場に任せっきりの家庭教育の現状。さらに食育も。

デューイの「教育の三大原則」を、今の親世代は理解して学校と向き合う必要性か改めて思っています。

しかし、私自身は子育てを終わったものですが、子育て時期に、三大原則を知ってやっていたか?問われると、返事に困るのです。

個性の違う二人の娘たち、手探りでやっていたなぁ、と振り返ります。

子育ては、親も初めての体験であります。

ただ、三つの三大原則を知っていることは必要です。特に、過疎地に住む我々家族は、

>第二は、平等に関わる原則。

「どんな僻地に生まれても、どれほど貧しい家庭に育ったとしても、」

教育基本法の根幹にある考え方で、地方在住の家庭は、国へ県へ要求することができることを知るべきですし、もっと意見を出すべきと思います。

日本の人口は、都市部と地方は、確実に偏在し、年々偏りが強くなっています。ジョン・デューイの「教育の三大原則」から、過疎地の教育に、国は支援をもっとすべきと思いました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:08Comments(0)教育問題私の意見地域政策

「一念忘機」があって、それから「一念発起」に向かう。〜『禅、比べない生活』〜、"髙木奈々さんのインタビューから学ぶ"

2022年02月20日

<ミスに心を奪われない>「一念忘機」があって、それから「一念発起」に向かう。〜『禅、比べない生活』〜

朝から、久しぶりに禅問答なのですが、"自分のものさし"で生きるヒント、とが表紙にある本『禅、比べない生活』(枡野俊明著)をパラパラ開いていたら、北京オリンピックでのスピードスケート女子の髙木菜那さんのインタビュー月、ラジオで流れていました。

「今回の経験が、後々に大切な経験と言えるようになったら」のことを語っていて、失敗(ミス)は誰しもある。要は、それを自らの人生にどう生(活)かすか、にあると思いました。

本に、以下や内容のことが書かれていました。(以下、本より抜粋)

仕事にミスはつきもの、過ちを犯さない人などいない。

ミスが起きるまでの道筋、作業過程を検証すること。「結果」はもう変えられないのですから、目を向けるべきは「プロセス」です。

「結果」だけにくよくよして、自分を責めると、心が縮こまってしまいます。ヘタヲするとそれがトラウマになって、仕事をすること自体が怖くなる。

「一念忘機(いちねんきをぼうず)」という禅語がある。

【意味】心を働かせず、余計なはからいをいっさい捨てる。

取り返すことのできないミスの原因を検証していれば、心はそのことに向いていますから、「一念発起」のために、もっと有効な方法の検証に夢中になれる。

すると、新たな気持ちで次の段階に踏み出すことができる。つまり「一念発起」の心持ちになれる。

失敗に捉われず、ミスの検証をしっかりやり原因やプロセスを確認すると、次なる手立てがみつかるもの、ミスを冷静に分析する「一念忘機」の心境になり、次にやる気の「一念発起」となる。
(以上、『禅、比べない生活』より)

失敗をクヨクヨせず、次なる場所(ステージ)へ向けて、新たなチャレンジをする。そこに人間の成長があると思います。  

<低調な地方議会>宇土市議会の3月の質問は、なんと市議の1/3しか質問をしない宇土市議会です。情けないですね。

2022年02月17日

<低調な地方議会>宇土市議会の3月定例会の質問は、6/18です!、なんと市議の1/3しか質問をしない宇土市議会です。情けないですね。

明日、10時40分頃から、一般質問をします。地域づくりの要素(仕掛け、人材育成、支援)を含めた議会質問します。(原稿をまとめるのに2ヶ月かかった)

議会は、市の市政に対するご意見番です。

私は、12年前の初当選の初議会からずっと、一度と欠かすことなく質問を議場でやってきました。

実は、毎回、質問をやらない人もいます。
(その人は、議員の役割をしているのか?)

ぜんぜん質問をしない人もいます。(何のための議員か?)

「なんか、おかしいね」

と妻が言ってました。

私は11年6ヶ月で44回(熊本地震後とコロナ禍で2度中止)質問に立って来ました。9分野170の項目(宇土市民マニフェスト2010」をベースに)に加え、12年間で学び研修したことで、宇土市を変えるテーマを質問しています。

宇土市は、質問時間(答弁時間を除く)か、60分でした。今は、質問と答弁あわせて45分です。ますます短くてなっています。

議論の中身は、事前擦り合わせですから、議論のやり取りの面白さもない。15年前の研修で、大牟田市議会は、60分の時間の後半は、質問議員と執行部と自由討論で、答弁もわかる執行部が答える議論に、わくわくしました。

宇土市議会は、今回、市長選なのに何も語らない?

元々宇土市議会は、質問するのが1時間以内、答弁は無制限でした。コロナ禍で、質疑と答弁あわせて45分です。

コロナ禍で質疑30分でした。ちゃんと換気もしています。今回は、議員18人(議長はやらないのが慣例?)いるのに、質問は6人です。

宇土市民の皆さんに、各市議がどんな質問(議会報告では見れない)をしているか、登壇回数だけでなく、中身も検証してほしいです。今はコロナ禍でなかなか呼びかけられませんが、いつか議場で傍聴して欲しいです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:34Comments(0)私の意見政治問題(地方)宇土市

2月15日は横井小楠の命日、明日から3月議会が始まるので、明日の墓前祭に参加できないので、今日参拝に行って来ました。

2022年02月14日





2月15日は横井小楠の命日、明日から3月議会が始まるので、明日の墓前祭に参加できないので、今日参拝に行って来ました。途中寄った「横井小楠記念館」の敷地に在った横井小楠の私塾跡「四時軒」が、熊本地震で倒壊したのですが、一昨年からの再建工事中でしたが、建物はほぼ完成していました。工事看板には、完了予定は5月中旬の記載があり、まだ内部の工事が残っているのだろうと想像します。いずれにしろ、震災後に再建立された横井小楠像と四時軒の再建は、待ちに待った小楠顕彰の象徴なので、楽しみです。今日は天気も良く、久しぶりの小楠公園でした。






  

Posted by ノグチ(noguchi) at 15:08Comments(0)偉人熊本の出来事お知らせ、ご案内

>熊本県産アサリ生産量の100倍以上が"熊本産"として流通してきたのを放置してきたことを、本日の熊日新聞コラム『新生面』

2022年02月06日


<国県挙げての取り組み必要>熊本県産アサリ生産量の100倍以上が"熊本産"として流通してきたのを放置してきたことを、本日の熊日新聞コラム『新生面』で取り上げている。

私の住む宇土市の在明海の海岸には、アサリが生まれる環境がいまだに残っている。しかし、環境の変化で収量が減り、洪水被害等から毎年不安定になり、毎年減り続けてきた。

知事の言葉では、

>県としても反省が必要

(記者は)こんな事態までに打つ手はなかったものか。

>偽装を一掃し消費者の信頼を回復する「最後のチャンス」であることは間違いない

ニホンハマグリは、緑川・白川河口で生まれ、有明海を浮遊して沿岸に住み着く。アサリも同様に、毎年有明海沿岸で生まれ育ち始めるのだが、大きく成長するのは少ない。

何故か?には不明な点が多い。

熊本県の「熊本県産アサリ」の出荷停止から、偽装アサリは中国産として流通し始めているようですが、2ヶ月後、有明海で生まれ育った少量しかない本物の「熊本県産アサリ」が市場に出た時、どんな状況になるか、まったく不明です。

都市部の消費者は、中国産を選ぶのか、少量しかない熊本県産を選ぶのか、その動向を注目したいと思います。

記者が指摘した、

>こんな事態までに打つ手はなかったものか。

について、アサリの保護育成に力を尽くしてこなった沿岸地域の自治体や漁協関係者、さらに政治の責任があると思います。小さな漁業組合が資源確保に懸命になっても、その成果は微々たるもの、国県挙げて国策でアサリ回復に取り組む時期にきていると思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:41Comments(0)社会問題熊本の出来事政治問題(地方)

<酒の戒め>酒は呑んでも、呑まれてはならぬ。〜言志四録〜

2022年02月02日

<酒の戒め>酒は呑んでも、呑まれてはならぬ。〜言志四録〜

久しぶりに、幕末の儒家・佐藤一斎の訓示録『言志四録』を365日読む本『佐藤一斎一日一言』の2月1日の訓示が冒頭の言葉でした。

(以下、本より)

勤を反を惰と為し、倹の反を奢となす。
余思うに、酒能く人をしで惰を生ぜしめ、又人をしで奢を長ぜしむ。倹約以て家を興す可ければ、即ち惰奢以て家を亡すに足る。蓋し酒之れが媒(なかだち)を為すなり。

【訳】
 勤勉の反対は怠惰であり、倹約の反対は奢侈(しゃし)である。
 私が思うに、酒は人を怠惰にするし、また人を浪費家にする。勤勉と倹約は家を興すもとになるが、怠惰と奢侈は家を亡ぼすもとになる。
 酒が家を滅ぼす媒介となるのである。

[諺]酒は呑んでも、呑まれてはならぬ。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より)

正月は人が集まる月だろうから、2月からは財布の紐を締めて倹約に努めなさい、と佐藤一斎が訓示しているのでは。

酒は、"百薬の長"というが、今の世はコロナ禍で、酒が疫病神のような扱いになっています。

>酒が家を亡ぼす。

飲み過ぎたら、体にも良くない。

>酒が身体を滅ぼす。

「酒は呑んでも、呑まれてはならぬ」

自戒の念も込めて、酒飲みへの警鐘のように思いました。