<参加者募集します>異業種交流会「春の会」のセミナーと懇親会
2018年03月16日
<参加者募集します>異業種交流会「春の会」のセミナーと懇親会にご参加、よろしくお願いいたします。
講師は、熊本日日新聞社ビジネス開発局の山口和也局長が、今度の春の会の講師です。長い記者経験から社会の出来事を見たこと、調べたことについて語られます。
「フェイク(虚偽)とファクト(事実)の闘い~私の新聞記者体験から~」
実は、私は山口和也氏の講演の追っかけを数年やっていました。話題豊富、人脈豊富、熊日の一面の日曜コラム「論壇」に、政治学者の北海道大学の山口二郎教授を引っ張ってこられたのも山口和也局長です。おかげで、私は山口二郎教授と直接語る機会もできました。
日時 2018年4月6日19時〜
場所 熊本市国際交流会館第1会議室
講師 山口和也氏(熊本日日新聞事業部長・元論説委員)
テーマ 「フェイク(虚偽)とファクト(事実)の闘い~私の新聞記者体験から~」
参加費 1000円
参加者 40人程度(部屋の広さにより)
セミナー終了後に、講師を囲む懇親会を開催します。
懇親会参加費 3000円
参加者 30人程度
66回目の異業種交流会「春の会」に、ぜひごご参加いただければ幸いです。
参加申し込みは、4月4日まで、下記のメールアドレスまで、氏名、所属、連絡先を明記してお申し込みください。
noguchi.shuichi.uto.kumamoto@gmail.com
講師は、熊本日日新聞社ビジネス開発局の山口和也局長が、今度の春の会の講師です。長い記者経験から社会の出来事を見たこと、調べたことについて語られます。
「フェイク(虚偽)とファクト(事実)の闘い~私の新聞記者体験から~」
実は、私は山口和也氏の講演の追っかけを数年やっていました。話題豊富、人脈豊富、熊日の一面の日曜コラム「論壇」に、政治学者の北海道大学の山口二郎教授を引っ張ってこられたのも山口和也局長です。おかげで、私は山口二郎教授と直接語る機会もできました。
日時 2018年4月6日19時〜
場所 熊本市国際交流会館第1会議室
講師 山口和也氏(熊本日日新聞事業部長・元論説委員)
テーマ 「フェイク(虚偽)とファクト(事実)の闘い~私の新聞記者体験から~」
参加費 1000円
参加者 40人程度(部屋の広さにより)
セミナー終了後に、講師を囲む懇親会を開催します。
懇親会参加費 3000円
参加者 30人程度
66回目の異業種交流会「春の会」に、ぜひごご参加いただければ幸いです。
参加申し込みは、4月4日まで、下記のメールアドレスまで、氏名、所属、連絡先を明記してお申し込みください。
noguchi.shuichi.uto.kumamoto@gmail.com
東日本大震災から7年、熊本地震から1年11ヶ月、いざという時の心構えが大事と思いました。
2018年03月12日
東日本大震災から7年、熊本地震から1年11ヶ月、いざという時の心構えが大事と思いました。
昨日は、東日本大震災から丸7年目の3月11日、サッカー大会から帰りテレビを見ながら7年前の津波、その後の支援活動を思い出していました。
押し寄せる壁のような津波、田んぼ、街を飲み込み、あるもの全てを引き波が持ち去る映像を思い出します。
熊本の若い仲間たちが、3月16日の夜8時過ぎに、熊本市の上通り商店会のビルの一室に30人が集まった。口々に、「何かしたい」「いても立ってといられない」「東北に支援物資を届けよう」「でも、原発の爆発もあり、どんな方法があるか、ルートはどこから行くか」等々、言葉が出た。
30人の思いは、東北に行くこと、支援物資を集めること、集荷期日は3月22日、それまでみんなで仲間へ発信することにして、まだ震災の国の発表もないのに、団体名を「東日本大震災熊本支援チーム」とし、物資の集荷場所を、宇土市の社会福祉協議会に集めること、私が支援チームの事務局長をすることになり、県内企業の寄付集め等をお願いするため、市民活動仲間の熊本市の会計事務所代表の栗谷利夫社長に連絡して、支援活動がスタートしました。
18日夜に、さらに仲間が増えて、もう一度準備会議し、21日土曜日から物資が集まり始めました。22日の日曜日には、なんでもありの支援物資の仕分けする作業に集まるスタッフが少なかったのでどうするか前日は悩んでいたのですが、当日集まった人は100人をはるかに超えて、物資の仕分けはバケツリレー形式で出来、3時間足らずで終了、一番時間のかかる衣服の仕分けも無事に夕方前には終了できました。
私ともう一人が、米3トン、水5トンが集まっていたので、防犯のため支援物資と一緒に一晩泊まりました。23日の月曜日の物資トラックに積み込むにも30人が会社出勤前に集まり積み込みを手伝ってくれました。支援物資を積んだトラックは、ボランティア8人、1トントラックのレンタカー3台、総重量15トンの物資を積んで23日昼前に東北に出発しました。翌24日の夜には、福島県相馬市の避難所に物資を届けることができ、そのほか、石巻市、陸前高田市へボランティアが入り、約2ヶ月間、集中的に支援物資集めと現地のボランティア活動を行いました。
以来、毎年5月末に、それぞれの縁がつながった地域の支援活動の報告会を開催して来ました。今年で7年目、東北の被災地は、高台移転の開発、住宅、商店街の移転と進んではいますが、まだまだ復興途中と、昨日のテレビで確認した気がします。
2年前の4月14日夜の震度7の地震が襲った熊本県、さらに丸一日後の深夜1時26分に起こった本震で、さらに被害が拡大し、それから一月以上続く車中泊が始まりました。居場所がないくらい集まっていた避難所となった小学校には、当初物資がなくどうなるのか不安な支援活動が続きましたが、2日目から徐々に県内外から集まり始めました。
あれから2年、被災家屋の公費解体が終わり、熊本もやっと復旧復興が本格的に動き出したと思っています。東日本大震災から7年まだまだ復興途中、熊本地震から2年これからが復興の始まりです。
東日本大震災の支援活動で経験したこと、九州内の二度の北部豪雨の被災地へのボランティア活動の経験、熊本地震の経験から、地震・雷・火事、と言われる災害に加え、最近は火山の噴火も続く日本列島、災害はいつ何処で起こるかわかりません。常々、災害が起こることを想定して、それぞれの家族が、自ら生き残る方法や逃げる知識を身につけ、起こった後は自助・共助の意識で、1週間〜10日間命をつなぐ工夫をしなければと思います。
東日本大震災から7年の命日に、地震被害と支援活動、それと自らの命を守る工夫、自助・共助の支援活動を思い出し、日常の“あたりまえ”の生活を大切に過ごすことに心がけなければと思います。
昨日は、東日本大震災から丸7年目の3月11日、サッカー大会から帰りテレビを見ながら7年前の津波、その後の支援活動を思い出していました。
押し寄せる壁のような津波、田んぼ、街を飲み込み、あるもの全てを引き波が持ち去る映像を思い出します。
熊本の若い仲間たちが、3月16日の夜8時過ぎに、熊本市の上通り商店会のビルの一室に30人が集まった。口々に、「何かしたい」「いても立ってといられない」「東北に支援物資を届けよう」「でも、原発の爆発もあり、どんな方法があるか、ルートはどこから行くか」等々、言葉が出た。
30人の思いは、東北に行くこと、支援物資を集めること、集荷期日は3月22日、それまでみんなで仲間へ発信することにして、まだ震災の国の発表もないのに、団体名を「東日本大震災熊本支援チーム」とし、物資の集荷場所を、宇土市の社会福祉協議会に集めること、私が支援チームの事務局長をすることになり、県内企業の寄付集め等をお願いするため、市民活動仲間の熊本市の会計事務所代表の栗谷利夫社長に連絡して、支援活動がスタートしました。
18日夜に、さらに仲間が増えて、もう一度準備会議し、21日土曜日から物資が集まり始めました。22日の日曜日には、なんでもありの支援物資の仕分けする作業に集まるスタッフが少なかったのでどうするか前日は悩んでいたのですが、当日集まった人は100人をはるかに超えて、物資の仕分けはバケツリレー形式で出来、3時間足らずで終了、一番時間のかかる衣服の仕分けも無事に夕方前には終了できました。
私ともう一人が、米3トン、水5トンが集まっていたので、防犯のため支援物資と一緒に一晩泊まりました。23日の月曜日の物資トラックに積み込むにも30人が会社出勤前に集まり積み込みを手伝ってくれました。支援物資を積んだトラックは、ボランティア8人、1トントラックのレンタカー3台、総重量15トンの物資を積んで23日昼前に東北に出発しました。翌24日の夜には、福島県相馬市の避難所に物資を届けることができ、そのほか、石巻市、陸前高田市へボランティアが入り、約2ヶ月間、集中的に支援物資集めと現地のボランティア活動を行いました。
以来、毎年5月末に、それぞれの縁がつながった地域の支援活動の報告会を開催して来ました。今年で7年目、東北の被災地は、高台移転の開発、住宅、商店街の移転と進んではいますが、まだまだ復興途中と、昨日のテレビで確認した気がします。
2年前の4月14日夜の震度7の地震が襲った熊本県、さらに丸一日後の深夜1時26分に起こった本震で、さらに被害が拡大し、それから一月以上続く車中泊が始まりました。居場所がないくらい集まっていた避難所となった小学校には、当初物資がなくどうなるのか不安な支援活動が続きましたが、2日目から徐々に県内外から集まり始めました。
あれから2年、被災家屋の公費解体が終わり、熊本もやっと復旧復興が本格的に動き出したと思っています。東日本大震災から7年まだまだ復興途中、熊本地震から2年これからが復興の始まりです。
東日本大震災の支援活動で経験したこと、九州内の二度の北部豪雨の被災地へのボランティア活動の経験、熊本地震の経験から、地震・雷・火事、と言われる災害に加え、最近は火山の噴火も続く日本列島、災害はいつ何処で起こるかわかりません。常々、災害が起こることを想定して、それぞれの家族が、自ら生き残る方法や逃げる知識を身につけ、起こった後は自助・共助の意識で、1週間〜10日間命をつなぐ工夫をしなければと思います。
東日本大震災から7年の命日に、地震被害と支援活動、それと自らの命を守る工夫、自助・共助の支援活動を思い出し、日常の“あたりまえ”の生活を大切に過ごすことに心がけなければと思います。
埼玉県志木市の穂坂市長の行政改革は、サンディスプリングス市の改革を超える提案だった。〜平成16年〜
2018年03月08日
埼玉県志木市の穂坂市長の行政改革は、サンディスプリングス市の改革を超える提案だった。〜平成16年〜
・教育委員会不要論
・誰でもできるものは外部委託(有償市民ボランティア)
・予算検証市民ボランティア「市民委員会」
>行政パートナー制度が順調に導入されれば、20年後(H33年)には職員が半減
(619人⇒301人)になる。現在は新規に職員を採用していない。
最終的には現在の1/10程度(50人程度)の人数で運営可能と考え
ている。(中略)
などなど、2002年(平成16年)に全国から注目を集めた志木市の市政改革は、参考に値するチャレンジだった。
行革は、常に財政・組織は、肥大化する傾向にあるので、常に財政再建、行政改革が必要となります。トップは、安易に市民の声だけ聞いて行革サービスを提供してはいけない。常に、市政改革、財政再建を頭におき、社会変化に合わせた自治体運営を行って行く必要があると思います。
*参考資料
・三重県プロ職員山路栄一の知的交流広場
https://plaza.rakuten.co.jp/prosyokuyamaji/11006/
・教育委員会不要論
・誰でもできるものは外部委託(有償市民ボランティア)
・予算検証市民ボランティア「市民委員会」
>行政パートナー制度が順調に導入されれば、20年後(H33年)には職員が半減
(619人⇒301人)になる。現在は新規に職員を採用していない。
最終的には現在の1/10程度(50人程度)の人数で運営可能と考え
ている。(中略)
などなど、2002年(平成16年)に全国から注目を集めた志木市の市政改革は、参考に値するチャレンジだった。
行革は、常に財政・組織は、肥大化する傾向にあるので、常に財政再建、行政改革が必要となります。トップは、安易に市民の声だけ聞いて行革サービスを提供してはいけない。常に、市政改革、財政再建を頭におき、社会変化に合わせた自治体運営を行って行く必要があると思います。
*参考資料
・三重県プロ職員山路栄一の知的交流広場
https://plaza.rakuten.co.jp/prosyokuyamaji/11006/
行革を本当にやるには「国民運動しかない」と考えている。〜土光敏夫〜
2018年03月08日
行革を本当にやるには「国民運動しかない」と考えている。〜土光敏夫〜
〜行政改革、財政再建は、住民の本気度による〜
(長文です。お時間あるときにお読みください。)
今朝は雨で、枕もとの本で朝読書です。冒頭の言葉は、1986年3月に出版された本の文庫本(PHP文庫、1898年7月)の一節「国民運動をやろう」から、
(以下、本より)
税収の範囲内で財政支出をやらねば、国は破産するということについて、みんなよくわかっている。しかし、「それでは、お前さんところでも節減してくれ」といわれるとほとんどの人が反対する。そして、自分のところ以外で減らしてくれというんだ。それでは行革はやれないよ。そこで、行革をほんとうにやるには「国民運動しかない」と考えている。
(以上、『土光敏夫、信念の言葉』より)
このページの末尾に、次の3のスローガンがありました。
1.行政改革は、総理がリーダーシップをとって行うこと。
2.増税なしで、行政改革、財政再建をやること。
3.国だけでなく地方も行政改革をやること。
(以上、本より)
この行革ちついての1ページに、次の過激な提言があった。
「もっと議員を減らせ」
アメリカなんか、2億3千万人もおって、それで上院が100人、下院が435人だ。日本はどうだい。1億2千万人で、参議院は252人、衆議院は511人(当時)もいる。衆議院もあんなにいらん。
地方議会では、青年会議所なんかの働きかけで、議員定数を減らしたところが少しあるが、それでもまだまだ議員は多すぎる。
(以上、『土光敏夫、信念の言葉』より)
アメリカの自治体に、サンディスプリングス市があります。(以下、ウキペディア資料より)
>2005年11月に1人の市長と6人の市政委員の選挙が行われ、法人化を発案し推進したエバ・ガランボスが大差で市長に当選した。正式な法人化は12月1日であり、国内で法人化されたときの人口では3番目に大きな都市となった[1]。市の警察署や消防署は2006年にサービスを始めた。2010年、選挙権法第5条の事前更新条項を免除されたことでは、ジョージア州で初の司法区となった[10]。(ウキペディアより)
【サンディスプリングス市】
人口99,419人(2012年)の自治体です。市長は勿論1人ですが、議員6人、さらにほとんどの行革業務を民間の会社(155人)に委託して20時間サービスを実現しています。背景は違えど、やればできると思います。ジョージア州フルトン郡、2005年12月に司法区(自治体)となった。
*市のサービスは官民パートナーシップで行われている。他の同様な大きさの都市と同様に市政委員会・市マネジャー方式で運営されている。しかしサービスのかなりの範囲を民間会社に委託したことでは国内初の市になっている。(中略)
(以上、ウキペディアより)
国も地方も、今の日本は本気で行政改革、財政再建をやる気が起こらない。自分の受けている恩恵は話さないでは、真の改革はできない。サンディスプリングス市は、住民投票で自自体の進む道(独立)を実現した。行政改革、財政再建は、住民(国民)の本気度によるように思います。
〜行政改革、財政再建は、住民の本気度による〜
(長文です。お時間あるときにお読みください。)
今朝は雨で、枕もとの本で朝読書です。冒頭の言葉は、1986年3月に出版された本の文庫本(PHP文庫、1898年7月)の一節「国民運動をやろう」から、
(以下、本より)
税収の範囲内で財政支出をやらねば、国は破産するということについて、みんなよくわかっている。しかし、「それでは、お前さんところでも節減してくれ」といわれるとほとんどの人が反対する。そして、自分のところ以外で減らしてくれというんだ。それでは行革はやれないよ。そこで、行革をほんとうにやるには「国民運動しかない」と考えている。
(以上、『土光敏夫、信念の言葉』より)
このページの末尾に、次の3のスローガンがありました。
1.行政改革は、総理がリーダーシップをとって行うこと。
2.増税なしで、行政改革、財政再建をやること。
3.国だけでなく地方も行政改革をやること。
(以上、本より)
この行革ちついての1ページに、次の過激な提言があった。
「もっと議員を減らせ」
アメリカなんか、2億3千万人もおって、それで上院が100人、下院が435人だ。日本はどうだい。1億2千万人で、参議院は252人、衆議院は511人(当時)もいる。衆議院もあんなにいらん。
地方議会では、青年会議所なんかの働きかけで、議員定数を減らしたところが少しあるが、それでもまだまだ議員は多すぎる。
(以上、『土光敏夫、信念の言葉』より)
アメリカの自治体に、サンディスプリングス市があります。(以下、ウキペディア資料より)
>2005年11月に1人の市長と6人の市政委員の選挙が行われ、法人化を発案し推進したエバ・ガランボスが大差で市長に当選した。正式な法人化は12月1日であり、国内で法人化されたときの人口では3番目に大きな都市となった[1]。市の警察署や消防署は2006年にサービスを始めた。2010年、選挙権法第5条の事前更新条項を免除されたことでは、ジョージア州で初の司法区となった[10]。(ウキペディアより)
【サンディスプリングス市】
人口99,419人(2012年)の自治体です。市長は勿論1人ですが、議員6人、さらにほとんどの行革業務を民間の会社(155人)に委託して20時間サービスを実現しています。背景は違えど、やればできると思います。ジョージア州フルトン郡、2005年12月に司法区(自治体)となった。
*市のサービスは官民パートナーシップで行われている。他の同様な大きさの都市と同様に市政委員会・市マネジャー方式で運営されている。しかしサービスのかなりの範囲を民間会社に委託したことでは国内初の市になっている。(中略)
(以上、ウキペディアより)
国も地方も、今の日本は本気で行政改革、財政再建をやる気が起こらない。自分の受けている恩恵は話さないでは、真の改革はできない。サンディスプリングス市は、住民投票で自自体の進む道(独立)を実現した。行政改革、財政再建は、住民(国民)の本気度によるように思います。
くまモンより、もっと被災者支援を。政治は、一番厳しい状況にある人を助けるのが役割と思っています
2018年03月02日

<くまモンより、もっと被災者支援を>私は、熊本県知事の唯一の発案と思っている「くまもん」について、前回の県知事選挙で、“売れてる商品に、くまモンのマークをつければ売り上げにする「経済効果」に疑問?”とネット発信したら、バッシングが来ました。
くまもんが活動することで、厳しい状況にある県民を救えるのか?寄り添えるのか?
政治は、一番厳しい状況にある人を助けるのが役割と思っています。
昨年の被災者が一番厳しい時、2億円も3億円も使い、売れ筋だった商品にくまもんマークをつけて「経済効果」はないと思います。
熊日新聞を見て驚いた!、実際は熊本震災後の復旧期に、くまモン事業に3時6千万円ものを巨費をかけて、ゆるキャラを世界に売りだす意味があるのか?です。
現場を歩かない座学政治は、被災地の現状とはずれた復興になっている気がします。私は、「創造的復興」より、マイナスをまず、現状に復帰する現状復帰が先と思いますが、いかがでしょうか。
仮設住宅を退去されるより、みなし仮設を打ち切るより、くまもんプロジェクトを打ち切るべきではと思っています。
みなさんからの、厳しい意見を受け止めます。何なりと、ご意見ください。

