<人生は晩年が大事>それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。〜菜根譚〜
2022年01月31日
<人生は晩年が大事>それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。〜菜根譚〜
昨日、毎日新聞web版で、タレントの酒井法子さんのインタビュー記事を読んだ。光輝いた時代から、覚醒剤取締法で逮捕され、その後の辛い日のこと、さらに復帰後の活動、そして独立に至る話しだった。読み終わって思い出したのが、『菜根譚』の訓示の解説だった。
"ことわざに「人の一生の評価をするには、ただ後の半生を見るだけでよい」といっている。ほんとうに名言である。"
人間誰しも、よい時ばかりとは限らない。むしろ辛い時期の方が長いものだが、後半生というか、晩年にどんな生き方をしたか、が問われるとの意味である。
上記の訓示の訳文は、
(以下、『菜根譚』前集No.93)
人の真価がわかる時
【訳文】
若いころは浮き名を流した歌い女(め)も、晩年に縁を得てよい夫にめぐり会い、いっしょに生活をしたならば、浮き名を流したそれまでの花やいだ生活も、いっこうにさまたげにならない。それに対し、貞操な婦人も、白髪学校目立ちはじめるような年になって操を守ることができないような生活をすると、それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。
ことわざに「人の一生の評価をするには、ただ後の半生を見るだけでよい」といっている。ほんとうに名言である。
(以上、『菜根譚』No.93の訳文より)
この訓示は、女性の歌い手を例えにしてますが、どんな分野の話ではなくて、男であれ女であれ、若い時に華やいだ仕事で世の注目を浴びていても、晩年になってどんな生き方をしているかが大事という教えです。
明治の元勲の一人、木戸孝允こと桂小五郎の恋人だった芸者の幾松だが、後の木戸孝允と結婚し、明治の政界・社交界で大きな役割を果たすことになった。
木戸松子:木戸孝允(桂小五郎)の妻
若いころは、京都三本木(現、京都市上京区三本木通)の芸妓幾松(いくまつ)として知られる、幕末の維新三傑・桂小五郎(後の木戸孝允)の恋人。明治維新後、正妻となり「木戸松子」となる。(Wikipediaより)
歴史上の偉人だけの話ではない。田舎の小さな村にも、神童と言われながら、大人になり鳴かず飛ばずの人をよく見る。
あるいは、若いころ「時代の寵児」と言われた人が、10年も過ぎると居なくなる。よくある話です。
要は、後半生、とくに晩年にどんな生き方をしているか?
人生は、事件、事故も含めて、後々まで検証されるということだと思います。
>それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。
人生は晩年が大事!
昨日の酒井法子さんのインタビュー記事から、改めて菜根譚の言葉を学びました。
今週からが、オミクロン株の感染拡大のピークではないかと見ているので、感染予防には特に注意を払い生活しなければと思っています。
昨日、毎日新聞web版で、タレントの酒井法子さんのインタビュー記事を読んだ。光輝いた時代から、覚醒剤取締法で逮捕され、その後の辛い日のこと、さらに復帰後の活動、そして独立に至る話しだった。読み終わって思い出したのが、『菜根譚』の訓示の解説だった。
"ことわざに「人の一生の評価をするには、ただ後の半生を見るだけでよい」といっている。ほんとうに名言である。"
人間誰しも、よい時ばかりとは限らない。むしろ辛い時期の方が長いものだが、後半生というか、晩年にどんな生き方をしたか、が問われるとの意味である。
上記の訓示の訳文は、
(以下、『菜根譚』前集No.93)
人の真価がわかる時
【訳文】
若いころは浮き名を流した歌い女(め)も、晩年に縁を得てよい夫にめぐり会い、いっしょに生活をしたならば、浮き名を流したそれまでの花やいだ生活も、いっこうにさまたげにならない。それに対し、貞操な婦人も、白髪学校目立ちはじめるような年になって操を守ることができないような生活をすると、それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。
ことわざに「人の一生の評価をするには、ただ後の半生を見るだけでよい」といっている。ほんとうに名言である。
(以上、『菜根譚』No.93の訳文より)
この訓示は、女性の歌い手を例えにしてますが、どんな分野の話ではなくて、男であれ女であれ、若い時に華やいだ仕事で世の注目を浴びていても、晩年になってどんな生き方をしているかが大事という教えです。
明治の元勲の一人、木戸孝允こと桂小五郎の恋人だった芸者の幾松だが、後の木戸孝允と結婚し、明治の政界・社交界で大きな役割を果たすことになった。
木戸松子:木戸孝允(桂小五郎)の妻
若いころは、京都三本木(現、京都市上京区三本木通)の芸妓幾松(いくまつ)として知られる、幕末の維新三傑・桂小五郎(後の木戸孝允)の恋人。明治維新後、正妻となり「木戸松子」となる。(Wikipediaより)
歴史上の偉人だけの話ではない。田舎の小さな村にも、神童と言われながら、大人になり鳴かず飛ばずの人をよく見る。
あるいは、若いころ「時代の寵児」と言われた人が、10年も過ぎると居なくなる。よくある話です。
要は、後半生、とくに晩年にどんな生き方をしているか?
人生は、事件、事故も含めて、後々まで検証されるということだと思います。
>それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。
人生は晩年が大事!
昨日の酒井法子さんのインタビュー記事から、改めて菜根譚の言葉を学びました。
今週からが、オミクロン株の感染拡大のピークではないかと見ているので、感染予防には特に注意を払い生活しなければと思っています。
<猟銃立てこもり事件>凶悪な人というものは、そのなすことすべてが、ねじれて道理に反している。(『菜根譚』訳文より)
2022年01月30日
<猟銃立てこもり事件>凶悪な人というものは、そのなすことすべてが、ねじれて道理に反している。(『菜根譚』訳文より)
〜真面目さを利用される可能性がある?〜
(長文です、お時間ある時にお読みください。)
一昨日起こった猟銃立てこもり殺人事件は、母の介護から医師らを逆恨みしたのか、自ら自殺するのに道連れにしようとしたことを語っていると、ニュースで知りました。
最近、懸命に患者のために活動している医師を巻き添えにした殺人(自らは自殺)事件が、世の中に暗い影を落としていると思います。
私は、放火は人間として決してしてはいけない凶悪な事件と思ったのは、35年ほど前、私の住むアパートの自転車・バイク小屋が放火された。そのころ、周辺で放火騒ぎが何件も続いていた矢先、まさか自分の住むアパートがやられるとは思いもしなかった事件を経験した。
最近の京都アニメーションの放火殺人、大阪の精神科医院の放火殺人、さらに今回の医師看護師を呼び出した殺人事件には、背筋が寒くなるような凶悪な人間性を感じます。
ニュースで、(以下、朝日新聞webより)
>埼玉県ふじみ野市の住宅に散弾銃を持った男が立てこもり、人質の医師が銃で撃たれ死亡した事件で、殺人未遂容疑で逮捕された無職渡辺宏容疑者(66)が県警の調べに「自殺を考え、自分1人ではなく先生やクリニックの人を殺そうと考えた」と話していることが、捜査関係者への取材で分かった。(中略)
(以上、朝日新聞より)
犯人は、自分が自殺を計画しているのに、わざわざ医師や介護士を呼び出して道連れにしようという考えの中に、相手の真面目さを利用している気がしてなりません。
普段から言動がちょっと変わっていると思う人の周りで、"何か事が起こった時"注意が必要だなと、今回思いました。
真面目さを利用される可能性がある?
中国古典『菜根譚』に以下の訓示があります。
(書き下し文)
吉人(きつじん)は作用の安祥(あんしょう)なるを論ずる無く、
即ち夢寐神魂(むびしんこん)も、和気に非ざるは無し。
凶人は行事(ぎょうじ)の狼戻(ろうれい)なるを論ずる無く、
即ち声音咲語(せいおんしょうご)も渾(すべ)てこれ殺機(さっき)なり。
【訳文】
善人というものは、日常の起居動作が安らかですがよくととのつていることはいうまでもなく、その眠っている時の魂までも、やわらいでいないということはない。
それに対し、凶悪な人というものは、そななすことすべてが、ねじれて道理に反していることはいうまでもなく、その声音(こわね)の笑い声までも、すべて荒々しいはたらきがある。
(以上、『菜根譚』前集No.48)
訳文よりも、書き下し文の表現の方が、善人と悪人の対比が鋭いと思います。
昔の人たちの経験が、菜根譚の訓示でしょうかから、昔からそのような人は居たのだと気付かされます。
日常行動を分析し、そんな言動を繰り返すような人の周りや、本人関する事(不幸)の時は、何か起こる意識を持つこともこれから必要なのだろうと思います。
>ねじれて道理に反していることはいうまでもなく、その声音(こわね)の笑い声までも・・・
最近の凶悪な事件から、古(いにしえ)の知恵を知ったように思います。
〜真面目さを利用される可能性がある?〜
(長文です、お時間ある時にお読みください。)
一昨日起こった猟銃立てこもり殺人事件は、母の介護から医師らを逆恨みしたのか、自ら自殺するのに道連れにしようとしたことを語っていると、ニュースで知りました。
最近、懸命に患者のために活動している医師を巻き添えにした殺人(自らは自殺)事件が、世の中に暗い影を落としていると思います。
私は、放火は人間として決してしてはいけない凶悪な事件と思ったのは、35年ほど前、私の住むアパートの自転車・バイク小屋が放火された。そのころ、周辺で放火騒ぎが何件も続いていた矢先、まさか自分の住むアパートがやられるとは思いもしなかった事件を経験した。
最近の京都アニメーションの放火殺人、大阪の精神科医院の放火殺人、さらに今回の医師看護師を呼び出した殺人事件には、背筋が寒くなるような凶悪な人間性を感じます。
ニュースで、(以下、朝日新聞webより)
>埼玉県ふじみ野市の住宅に散弾銃を持った男が立てこもり、人質の医師が銃で撃たれ死亡した事件で、殺人未遂容疑で逮捕された無職渡辺宏容疑者(66)が県警の調べに「自殺を考え、自分1人ではなく先生やクリニックの人を殺そうと考えた」と話していることが、捜査関係者への取材で分かった。(中略)
(以上、朝日新聞より)
犯人は、自分が自殺を計画しているのに、わざわざ医師や介護士を呼び出して道連れにしようという考えの中に、相手の真面目さを利用している気がしてなりません。
普段から言動がちょっと変わっていると思う人の周りで、"何か事が起こった時"注意が必要だなと、今回思いました。
真面目さを利用される可能性がある?
中国古典『菜根譚』に以下の訓示があります。
(書き下し文)
吉人(きつじん)は作用の安祥(あんしょう)なるを論ずる無く、
即ち夢寐神魂(むびしんこん)も、和気に非ざるは無し。
凶人は行事(ぎょうじ)の狼戻(ろうれい)なるを論ずる無く、
即ち声音咲語(せいおんしょうご)も渾(すべ)てこれ殺機(さっき)なり。
【訳文】
善人というものは、日常の起居動作が安らかですがよくととのつていることはいうまでもなく、その眠っている時の魂までも、やわらいでいないということはない。
それに対し、凶悪な人というものは、そななすことすべてが、ねじれて道理に反していることはいうまでもなく、その声音(こわね)の笑い声までも、すべて荒々しいはたらきがある。
(以上、『菜根譚』前集No.48)
訳文よりも、書き下し文の表現の方が、善人と悪人の対比が鋭いと思います。
昔の人たちの経験が、菜根譚の訓示でしょうかから、昔からそのような人は居たのだと気付かされます。
日常行動を分析し、そんな言動を繰り返すような人の周りや、本人関する事(不幸)の時は、何か起こる意識を持つこともこれから必要なのだろうと思います。
>ねじれて道理に反していることはいうまでもなく、その声音(こわね)の笑い声までも・・・
最近の凶悪な事件から、古(いにしえ)の知恵を知ったように思います。
<心を育てる言葉>恩恵を与えるとは何か、その行動そのものが世の中へのメッセージ。〜マハトマ・ガンジーの生き様〜
2022年01月28日
<心を育てる言葉>恩恵を与えるとは何か、その行動そのものが世の中へのメッセージ。〜マハトマ・ガンジーの生き様〜
ここ数日目を通す『菜根譚』から、
(『菜根譚』前集No.28)
真実の功名・真実の恩恵
【訳文】
人間が現実の社会で生きていく時には、必ずしも功名を期待してはいけない。大きな過ちが無く過ごすことができれば、それがそのままとりもなおさず功名である。
また、他人に対して恩恵を施す時には、その恩恵に感謝されることを求めてはいない。他人に怨まれらようなことをしなかったならば、それがそのまま恩恵である。
(以上、『菜根譚』より)
リーダーの行動は、世の中から関心を持たれている。それを知って、騒がず、徹底して行動を続けたのは、インド独立のきっかけを作ったマハトマ・ガンジーだと思います。
ガンジーの信条が以前読んだ本にありました。
mylife is mymessage.
私の人生そのものが、(世に伝える)メッセージです。
このような人間を目指したいものです。朝からの学びでした。
ここ数日目を通す『菜根譚』から、
(『菜根譚』前集No.28)
真実の功名・真実の恩恵
【訳文】
人間が現実の社会で生きていく時には、必ずしも功名を期待してはいけない。大きな過ちが無く過ごすことができれば、それがそのままとりもなおさず功名である。
また、他人に対して恩恵を施す時には、その恩恵に感謝されることを求めてはいない。他人に怨まれらようなことをしなかったならば、それがそのまま恩恵である。
(以上、『菜根譚』より)
リーダーの行動は、世の中から関心を持たれている。それを知って、騒がず、徹底して行動を続けたのは、インド独立のきっかけを作ったマハトマ・ガンジーだと思います。
ガンジーの信条が以前読んだ本にありました。
mylife is mymessage.
私の人生そのものが、(世に伝える)メッセージです。
このような人間を目指したいものです。朝からの学びでした。
定期的に視察する八代港のコンテナヤードには、けっこうコンテナが3段積みの列が増えたように思います。
2022年01月26日
定期的に視察する八代港のコンテナヤードには、けっこうコンテナが3段積みの列が増えたように思います。
海運の需要高から、海外での港では、コンテナの積み残しも増えていると聞くので、九州内の各地のコンテナ積出港へ、トラック輸送が増えているのではと想像します。益々、八代港のコンテナ船の利用が増えると、宇土市街地を経由して、九州を北上する大型車両が増えると思います。


海運の需要高から、海外での港では、コンテナの積み残しも増えていると聞くので、九州内の各地のコンテナ積出港へ、トラック輸送が増えているのではと想像します。益々、八代港のコンテナ船の利用が増えると、宇土市街地を経由して、九州を北上する大型車両が増えると思います。


<オミクロン株、ピークは早い?>自分の思い通りにならない時でも、投げ出してはいけない。(菜根譚)
2022年01月26日
<オミクロン株、ピークは早い?>自分の思い通りにならない時でも、投げ出してはいけない。反対に調子が良い時は"足を滑らす"(災害・災難)に襲われるので要注意。〜菜根譚〜
オミクロン株の拡大の速さに驚くとともに、身近な学校や保育所でも感染者が居るのが普通になっている。熊本県は、感染者1千人が目前となっている。
冒頭の言葉は、『菜根譚』の一節なのですが、
【現代語訳】
恩情があつい時は、昔から災害を起こしやすい。だから、自分の思い通りになり、ここちよい時には早く反省して引き返すようにしなさい。
また、物事が失敗した後には、逆に成功するものである。だから、自分の思い通りにならない時でも、やたらに手を放ち投げ出してはいけない。
(以上、『菜根譚』前集No.10)
地元和食店が、新型コロナ感染直前に開店した。以来、緊急事態宣言や蔓延防止重点措置など、店舗活動を休止したり、縮小したりしなければならない状況が続いている。そんな厳しい中でも、テイクアウト(持ち帰り)で頑張っていた時期もありました。
年末に、別の和食店が予約がいっぱいで、テイクアウトを頼んだら、まだ温かく、とてもおいしかったので、テイクアウトの技術が上がった、と思いました。
1月21日から蔓延防止重点措置が熊本県内に発令された直後の一昨日、地元和食屋にテイクアウトをお願いした。指定した時間より10分ほど早く店に到着したら、まだできていなくて少し待った。熱々のものを持って帰り、妻と食べたのですが、年末の店も、地元の店も"工夫しているな!"と思いました。
テイクアウトができる間、店の玄関ホール近くで待っていると、一組の家族が入ってきた。蔓延防止期間でも、日中は感染対策をちゃんとしているところには、来店しているのを見て、気分が明るくなりました。
話が、何を言っているか、あっちこっち飛んでいるのですが、要は「どんなに苦しい時でも、頑張っていれば、道は拓ける」と思ったことを書きたかったのです。
反対に、調子が良い時は"足を滑らす"(災害・災難)に襲われるものです。苦しい時だからこそ、足を滑らさないように、地にしっかり着けて、地道に続けていくことが大事と思います。
人生は、七転八倒、紆余曲折は当たり前、良い事は長く続かない。苦しい時の方が長く続く。明るい未来に期待して、日々を過ごさなければと思います。



オミクロン株の拡大の速さに驚くとともに、身近な学校や保育所でも感染者が居るのが普通になっている。熊本県は、感染者1千人が目前となっている。
冒頭の言葉は、『菜根譚』の一節なのですが、
【現代語訳】
恩情があつい時は、昔から災害を起こしやすい。だから、自分の思い通りになり、ここちよい時には早く反省して引き返すようにしなさい。
また、物事が失敗した後には、逆に成功するものである。だから、自分の思い通りにならない時でも、やたらに手を放ち投げ出してはいけない。
(以上、『菜根譚』前集No.10)
地元和食店が、新型コロナ感染直前に開店した。以来、緊急事態宣言や蔓延防止重点措置など、店舗活動を休止したり、縮小したりしなければならない状況が続いている。そんな厳しい中でも、テイクアウト(持ち帰り)で頑張っていた時期もありました。
年末に、別の和食店が予約がいっぱいで、テイクアウトを頼んだら、まだ温かく、とてもおいしかったので、テイクアウトの技術が上がった、と思いました。
1月21日から蔓延防止重点措置が熊本県内に発令された直後の一昨日、地元和食屋にテイクアウトをお願いした。指定した時間より10分ほど早く店に到着したら、まだできていなくて少し待った。熱々のものを持って帰り、妻と食べたのですが、年末の店も、地元の店も"工夫しているな!"と思いました。
テイクアウトができる間、店の玄関ホール近くで待っていると、一組の家族が入ってきた。蔓延防止期間でも、日中は感染対策をちゃんとしているところには、来店しているのを見て、気分が明るくなりました。
話が、何を言っているか、あっちこっち飛んでいるのですが、要は「どんなに苦しい時でも、頑張っていれば、道は拓ける」と思ったことを書きたかったのです。
反対に、調子が良い時は"足を滑らす"(災害・災難)に襲われるものです。苦しい時だからこそ、足を滑らさないように、地にしっかり着けて、地道に続けていくことが大事と思います。
人生は、七転八倒、紆余曲折は当たり前、良い事は長く続かない。苦しい時の方が長く続く。明るい未来に期待して、日々を過ごさなければと思います。



<若い肥後の猛婦たちに期待>「原爆は人の意思によって無くすことができる」〜熊本から核廃絶訴え〜
2022年01月23日

<若い肥後の猛婦たちに期待>原爆は人の手によって作られ」「人の意思によって無くすことができる」〜熊本から核廃絶訴え〜
"ビリョクだがムリョクではない"
昨日、熊本の高校生有志10人が、核兵器禁止条約発効から丸1年になるので、核廃絶を願う「平和の詩」を発表し、日本の条約批准を訴えた。
詩の中で、
ビリョクだかムリョクではない
平和は願うだけでなく創るもの
原爆は人の手で作られ、人の意思によって無くすことができる
第24代高校生平和大使の福原杏さん(九州学院2年)ら5人が「平和の詩」を朗読した。
福原さんは、日本が条約を批准していないことについて
「被爆国の日本が批准していないのは危機的。核兵器を私たちの代です終わりにするために同世代に働き掛けていきたい」
と話した。
(以上、熊日記事の抜粋)
若い世代が、行動を起こすことはとても勇気が要りますが、その分価値は大きくなる。熊本から、強いメッセージを発信し続けてほしいですね。
今年は、明治の女性活動家で、熊本出身の矢島揖子さんの映画ができた。熊本は「肥後の猛婦」と言われるリーダーたちをを戦前戦後と出している。今の若い女性たちも、志をしっかり持って、世界で活躍するような人財に育ってほしい。
若い肥後の猛婦たちの活躍に期待します。
<自分らしく、素心>堂々と日本人であり続けら続けるほうが国際社会でもずっと尊厳されるだろう。〜曽野綾子語録〜
2022年01月13日
<自分らしく、素心>堂々と日本人であり続けら続けるほうが国際社会でもずっと尊厳されるだろう。〜曽野綾子語録〜
曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』ある以下の一文。
(以下、本より抜粋)
人は限りなくその人らしくある時、尊厳に輝いて見える。しかし、何か似せることを考えていると、とたんに光彩を失う。
(以上、本より)
芸は真似から入り、師匠の域を超える。
建築もまた、傑作を見聞していく中で、自らのオリジナルを産み出す。ただし、日々の仕事、ルーチンワークばかりやっていると、思考も鈍る。常に考えているかにある。
曽野綾子さんは、自分らしさについても書いています。
昨日、次世代のホンダの戦略というか、目指す分野を紹介する番組「ガイアの夜明け」を見た。本田宗一郎氏は、オリジナルにこだわった発明家であり経営者でした。また実行者でもあり、バイクのレース「マン島TTレース」に自らドライバーとして出場することもあった。
"その人らしく"とは何か?
曽野綾子さんの本から、
(以下、『ただ一人の個性を創るために』より)
自分らしくなる。自分でいる。自分を静かに保つ。自分を隠さない。自分でいることに力まない。自分をやたらに誇りもしない。同時に自分だけが被害者のように憐れみも貶(おとし)めもしない。自分だけが大事と思わない癖をつける。自分を人と比べない。これらはすべて精神の姿勢のいい人の特徴である。
(以上、本より)
>自分を人と比べない。
オリジナルで在ることの意味を、曽野綾子さんの言葉から考えた。
>人は限りなくその人らしくある時に輝いて見える。
中国古典の教えに「素心」がある。赤ん坊の時の濁りのない素直な心。日本人として、素心の心を持つ、多様な分野の人たちと、後半生は出会い、交流できるといいな、と曽野綾子さんの言葉から思いました。
#@noguchi_shuichi
曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』ある以下の一文。
(以下、本より抜粋)
人は限りなくその人らしくある時、尊厳に輝いて見える。しかし、何か似せることを考えていると、とたんに光彩を失う。
(以上、本より)
芸は真似から入り、師匠の域を超える。
建築もまた、傑作を見聞していく中で、自らのオリジナルを産み出す。ただし、日々の仕事、ルーチンワークばかりやっていると、思考も鈍る。常に考えているかにある。
曽野綾子さんは、自分らしさについても書いています。
昨日、次世代のホンダの戦略というか、目指す分野を紹介する番組「ガイアの夜明け」を見た。本田宗一郎氏は、オリジナルにこだわった発明家であり経営者でした。また実行者でもあり、バイクのレース「マン島TTレース」に自らドライバーとして出場することもあった。
"その人らしく"とは何か?
曽野綾子さんの本から、
(以下、『ただ一人の個性を創るために』より)
自分らしくなる。自分でいる。自分を静かに保つ。自分を隠さない。自分でいることに力まない。自分をやたらに誇りもしない。同時に自分だけが被害者のように憐れみも貶(おとし)めもしない。自分だけが大事と思わない癖をつける。自分を人と比べない。これらはすべて精神の姿勢のいい人の特徴である。
(以上、本より)
>自分を人と比べない。
オリジナルで在ることの意味を、曽野綾子さんの言葉から考えた。
>人は限りなくその人らしくある時に輝いて見える。
中国古典の教えに「素心」がある。赤ん坊の時の濁りのない素直な心。日本人として、素心の心を持つ、多様な分野の人たちと、後半生は出会い、交流できるといいな、と曽野綾子さんの言葉から思いました。
#@noguchi_shuichi
食卓の会話で子供は知恵を身につける。〜曽野綾子語録より〜
2022年01月10日
食卓の会話で子供は知恵を身につける。〜曽野綾子語録より〜
(長文です。お時間ある時にお読みください。)
3連休、昨日は地域の新年の寄り合いに、挨拶をして回る日でした。コロナ禍前は、寄り合い後に懇親会があり、歩いて自治会を梯子する必要がありました。しかし、コロナ禍で懇親会をするところがなくなったのです。新年の寄り合いも様変わりしました。
さて冒頭の言葉は、コロナ禍とは関係ない話ですが、曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』にあるページの見出しです。
(以下、そのページの一節から抜粋)
家庭は最初に個性がぶつかるところである。家庭は休むところだと言うが、決して思いのままにはならない。行こうと思っているうちに、弟に先にトイレに入られてしまった。母親が勝手に物を片づける。父親が呑んべえの客を連れてきて、その客がまたいつまでも帰らないものだからやかましくて眠れない。
(以上、本より)
なんてことが、昔はよくあったように思います。しかし、今は、
(以下、本より転載)
最近、家庭というものがなくなった。子供は家へ帰っても、アルバイトに出る。お母さんはまだ帰っていなくて、鍵っ子になる。お父さんの帰りも遅い。ご飯の時には、母も子もテレビを見ているから、お互いの会話もない。朝も、子供が一人で起きて、何も食べずに出て行く家も多いという。(中略)
家庭がなくなった、と言ったら、「アパートで庭がなくなったから、家庭もなくなったんですよ」と言った人がいた。
(以上、『ただ一人個性を創るために』より)
なんか、殺伐とした都会の風景を想像されると思いますが、都会だけでなくて、田舎も車社会になり、道々ですれ違いする時に、会話することも無くなっていて、疎遠社会は地方ほど広がっているのでは、と心配します。
へんな話ですが、私は議員をしているから、車ですれ違った時に頭を下げているのではなく、昔は歩く文化でしたから、すれ違った時に会釈をするのは普通でした。しかし、今は「私はこの地域に、お世話になっています」の意思表示として、地域の道路を通行する時には、必ず頭を下げ(会釈し)たり、手を上げたりして、意思を伝えるシグナルを送る行動をするのです。車社会の田舎の心遣いでしょうか。
これをめんどくさい、と思う人たちは、田舎を出て都会に出るのでしょうが、曽野綾子の本を読むと、どちらが良いのかは、当人が決めるしかない、と思いました。また本に、以下のことが書かれています。
(以下、本より)
子供たちが、この最初の教育の場である家庭からあまり学ばなくなった理由はいくかあるが、一つは個室を与えれるのが当然ということになったからだろう。(中略)
中国にも、マレーシアにも、インドネシアにも大家族が一つ屋根の下に暮らす生活がある。大勢です暮らせば寂しくない。その代わり妬み、不満、反感などがいつも家の中に渦巻いている。しかし、その中で、人は究極の人間学を学ぶだろう。心理的、経済的に、貧困と贅沢な双方の中で、子供たちは人生を学ぶ。
(以上、本より)
この本のこの一節は、いつかコメントにしようと考えていました。私は建築士、それも建物や住宅の設計が専門です。また子育てをしてきた親でもあります。
親の役割の一つが、子供の教育だと思います。この教育は、後々子供の人生にも大きく影響を与えていきます。
スポーツ好きな親だったら、野球、ゴルフ、サッカー、・・・
学者の子どもは、勉強、塾、進学校、有名大学、・・・
音楽好きな親は、ピアノ、吹奏楽、マーチングバンド、音大、留学、・・・
<野口家の子育て>
さて我が家は、スポーツ、勉強、音楽は、全部中途半端だったような?
ただ小中学生の時は、夕食は必ず家族一緒を守っていました。そんな子どもたちも、それぞれ職業に就き、今自らの人生を生きています。
<野口家の子供部屋>
我が家の子ども部屋は、ドアでなくてアコーディオンカーテンで仕切り、プレイルームで、子ども部屋がつながっています。リビングが吹き抜けで、そのプレイルームとは、オープンにできるガラス戸で、有機的につながっています。個室でありながら、完全個室ではない作りが、子どもたちの人生に何を伝えたか?はわかりませんが、設計者としての家庭の在り方を試行錯誤していたなぁ、と本読み振り返りました。
長文を最後までお読みいただきありがとうございました。
(長文です。お時間ある時にお読みください。)
3連休、昨日は地域の新年の寄り合いに、挨拶をして回る日でした。コロナ禍前は、寄り合い後に懇親会があり、歩いて自治会を梯子する必要がありました。しかし、コロナ禍で懇親会をするところがなくなったのです。新年の寄り合いも様変わりしました。
さて冒頭の言葉は、コロナ禍とは関係ない話ですが、曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』にあるページの見出しです。
(以下、そのページの一節から抜粋)
家庭は最初に個性がぶつかるところである。家庭は休むところだと言うが、決して思いのままにはならない。行こうと思っているうちに、弟に先にトイレに入られてしまった。母親が勝手に物を片づける。父親が呑んべえの客を連れてきて、その客がまたいつまでも帰らないものだからやかましくて眠れない。
(以上、本より)
なんてことが、昔はよくあったように思います。しかし、今は、
(以下、本より転載)
最近、家庭というものがなくなった。子供は家へ帰っても、アルバイトに出る。お母さんはまだ帰っていなくて、鍵っ子になる。お父さんの帰りも遅い。ご飯の時には、母も子もテレビを見ているから、お互いの会話もない。朝も、子供が一人で起きて、何も食べずに出て行く家も多いという。(中略)
家庭がなくなった、と言ったら、「アパートで庭がなくなったから、家庭もなくなったんですよ」と言った人がいた。
(以上、『ただ一人個性を創るために』より)
なんか、殺伐とした都会の風景を想像されると思いますが、都会だけでなくて、田舎も車社会になり、道々ですれ違いする時に、会話することも無くなっていて、疎遠社会は地方ほど広がっているのでは、と心配します。
へんな話ですが、私は議員をしているから、車ですれ違った時に頭を下げているのではなく、昔は歩く文化でしたから、すれ違った時に会釈をするのは普通でした。しかし、今は「私はこの地域に、お世話になっています」の意思表示として、地域の道路を通行する時には、必ず頭を下げ(会釈し)たり、手を上げたりして、意思を伝えるシグナルを送る行動をするのです。車社会の田舎の心遣いでしょうか。
これをめんどくさい、と思う人たちは、田舎を出て都会に出るのでしょうが、曽野綾子の本を読むと、どちらが良いのかは、当人が決めるしかない、と思いました。また本に、以下のことが書かれています。
(以下、本より)
子供たちが、この最初の教育の場である家庭からあまり学ばなくなった理由はいくかあるが、一つは個室を与えれるのが当然ということになったからだろう。(中略)
中国にも、マレーシアにも、インドネシアにも大家族が一つ屋根の下に暮らす生活がある。大勢です暮らせば寂しくない。その代わり妬み、不満、反感などがいつも家の中に渦巻いている。しかし、その中で、人は究極の人間学を学ぶだろう。心理的、経済的に、貧困と贅沢な双方の中で、子供たちは人生を学ぶ。
(以上、本より)
この本のこの一節は、いつかコメントにしようと考えていました。私は建築士、それも建物や住宅の設計が専門です。また子育てをしてきた親でもあります。
親の役割の一つが、子供の教育だと思います。この教育は、後々子供の人生にも大きく影響を与えていきます。
スポーツ好きな親だったら、野球、ゴルフ、サッカー、・・・
学者の子どもは、勉強、塾、進学校、有名大学、・・・
音楽好きな親は、ピアノ、吹奏楽、マーチングバンド、音大、留学、・・・
<野口家の子育て>
さて我が家は、スポーツ、勉強、音楽は、全部中途半端だったような?
ただ小中学生の時は、夕食は必ず家族一緒を守っていました。そんな子どもたちも、それぞれ職業に就き、今自らの人生を生きています。
<野口家の子供部屋>
我が家の子ども部屋は、ドアでなくてアコーディオンカーテンで仕切り、プレイルームで、子ども部屋がつながっています。リビングが吹き抜けで、そのプレイルームとは、オープンにできるガラス戸で、有機的につながっています。個室でありながら、完全個室ではない作りが、子どもたちの人生に何を伝えたか?はわかりませんが、設計者としての家庭の在り方を試行錯誤していたなぁ、と本読み振り返りました。
長文を最後までお読みいただきありがとうございました。
Posted by ノグチ(noguchi) at
07:40
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<売れ行き好調!>棚田米の直販、「おこしき館」に、一昨日納品した1kgの棚田米5袋が、2日で4袋売れてしまいました。
2022年01月07日

<売れ行き好調!>棚田米の直販、宇土マリーナ道の駅「おこしき館」に、一昨日納品した1kgの棚田米5袋が、2日で4袋売れてしまいました。明日の納品は、初めて2kg袋2個、1kg袋から6個(道の駅に、現在1個)を納品します。
"冷えても美味しい、あびき棚田米"
ぜひご試食ください。
私の道の駅販売の計画は、もともと2kgの袋でした。妻が、試食くらい(500g、市販の袋が無い)で売ったが良い、の提案で始めました。
2週間で、13個は、期待を超える売れ行きです。
冷えても美味しい、
弁当を利用している人は、最適と思います。ぜひ、一度試食ください。
ちなみに、2kgは900円です。


Posted by ノグチ(noguchi) at
20:45
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沖縄の観光産業の発展に、アメリカの生活文化の浸透があるのでは?
2022年01月07日


沖縄の観光産業の発展に、アメリカの生活文化の浸透があるのでは?
今回の新型コロナウイルスの変異したオミクロン株の感染拡大に、国内の米軍基地が深く関わっていると先ほど書いたが、
ふと沖縄の異質な生活文化と観光産業について考えると、
国際通りを散策した記憶から、国内だが国内でない雰囲気は、米国統治下に広がったアメリカの生活文化の影響が大きいと思いました。
国内の米軍基地のある周辺の中でも、沖縄県は、基地が集中し、米国統治が戦後長く続いたことからも、今でも米軍基地とのつながりが深く、基地経済の街でもあるといえます。
2年前、市議有志で沖縄を訪れた時、自衛隊の研修時に、
「沖縄県に来る観光客の数が、ハワイの観光客数を超えた」
ことを報告していました。沖縄県は、観光産業で成り立っていること、米軍基地からのアメリカの生活文化の浸透で、さらに観光客が増える。
オミクロン株の感染拡大は、沖縄県の特異性にあるなぁ、と新聞の特集を読み思いました。
オミクロン株の国内感染拡大と米軍基地の存在。〜感染対策で考え方にズレ〜
2022年01月07日


オミクロン株の国内感染拡大と米軍基地の存在。〜感染対策で考え方にズレ〜
「欧米諸国は、オミクロン株をインフルエンザ並みの感染症と思っているのでは?」
政府は、これまで水際対策を徹底すると、空港での検疫を重点的にやっていたが、沖縄県の米軍基地、山口県の岩国米軍基地から、じわり広がったオミクロン株の感染拡大が、国内の市中感染源になっていることから、もう水際どころではないと判断した。
100年前のスペイン風邪の発生源は、米国内の米軍基地から始まったことを、思い出した。
集団生活、施設内の緩い規律から、一気に広がった可能性が大きい。オミクロン株に対する米軍の対応が、そのまま市中感染まで広げてしまった。
オミクロン株の感染が、急速に拡大する中、大阪府の吉村知事は、
オミクロン株は重症化しにくいとして「その状況なら、人の生活に制約をかけるのは違う」と市役所で記者団に述べ、経済活動を維持する必要性を強調した。
(以上、熊日の共同通信配信記事から)
>全国の感染者 オミクロン株の疑い46%
デルタ株は沈静化し、すでに市中感染のほとんどはオミクロン株に変わっているのだろう、と推測します。
米軍基地は、重症化しにくいオミクロン株の対応は、米国政府の意向と同じく、"緩かった"ことから、基地外へ感染が染み出したことは間違いない。
国内の米軍基地周辺では、すでに市中感染が始まっていて、それが国内感染拡大の要因の一つになっていると思われる。
〜沖縄県、山口県、広島県が、蔓延防止等重点措置の適用へ〜
今後は、爆発的に感染拡大するのに、各自治体の対応はどうなるか。今回、米軍基地周辺では蔓延防止等重点措置が適用されるが、他の地域では必要か、経済活動の規制について悩むところだろう。
チャンスは二度は無い。事が起こった時、その人物の器量が分かる。〜論語〜
2022年01月06日
チャンスは二度は無い。事が起こった時、その人物の器量が分かる。〜論語〜
(長文です。お時間ある時にお読みください)
私は、年末に日本語の指導と人間関係の悩みの相談で長くご縁をいただく元文学部教授に会うため、筑紫野市の二日市文学館を訪ねた。この先生とは、20年以上前に開催された平成義塾での出会いからのお付き合いですが、先生は、易経にも詳しく、東洋思想の学びから、色々な示唆ある教えをいただいてきました。
その先生が、年末訪問時に、
「野口さん、今回のコロナ感染は、世界戦争と同じだ。第二次世界大戦は、何年間かかったかね?」
と私に尋ねた。
「真珠湾攻撃は、12月8日なので、3年半くらいですかね」
と言うと、先生は、
「太平洋戦争は3年8ヶ月かかっている。また前回のスペイン風邪も3年で収まっていない。今回のコロナ感染もそれくらいかかると思ったがよい」
と言われた。
世界大戦とパンデミックを、同じ世界戦争と考える発想に??と思いましたが、歴史にも造詣の深い先生の指摘は、これまでも当たっているので、予見として受け止めた。
それと、昨日のニュースを見ていて、イギリスの首相が、オミクロン株の感染は広がるが、ワクチン接種と重症化しないことから、経済規制はやらない、withコロナ対応の考えを表明していた。
私は、二度ワクチン接種を受けました。感染症予防にと、偏食をせず、季節のものを好き嫌いなく食べ、体力向上に朝ウォーキングを続けている。加えて、マスク、手洗い、消毒を常に気をつけてやっています。それと感染しやすい場所には行かない。近々実施予定の三度目のワクチン接種もするつもりです。
私は、イギリスの首相の考えに賛同しつつ、最大限の予防法を徹底していけば、日常は近々かえってくると考えています。
来週、通常国会開会に合わせて上京して、総務省へ要望活動に行きます。これは、熊本県選出で現総務大臣との日程調整で、やっと実現できたことなので市議有志グループで行くことに決定した。
冒頭の言葉は、論語の訓示から引用しているのですが、岬龍一郎訳編『超訳 論語』から、
第九章 子罕篇
No.105
いざというときに「人物」がわかる
季節が変わり寒くなって草木が枯れ果てる中、松や柏がひとり残り、その寒さにも負けることなく毅然と立っている。
平穏無事なときは君子も小人もその違いがわからないが、事が起こって初めて君子の節操がわかる。
(以上、『超訳 論語』より)
以上ことから、「事が起きた時に、どう行動するか、常に考えているかにある」と。
① 状況分析には、情報収集を常に怠りなくやっているか。
② 批判を気にしてばかりしていると、身動きが取れなくなる。
来週の上京をどうするか、昨日緊急会議を開催し、有志議員グループの代表を受けることにした。
私の考えは、常々情報収集していること、チャンスと思えば、状況分析し行動を決める。批判は、その後に受ける。
行動する前に、やめてしまったら何もできない。
二日市文学館の日本文学の先生の言葉から、
>前回のスペイン風邪も3年で収まっていない。コロナ感染もそれくらいかかると思ったがよい
withコロナの考えで、感染防止を徹底して開催した新春サッカー大会と同様に、地域の活性化を遅らせない考えを念頭に、今年も活動します。
年始から話が長くなりました。最後までお読みいただきありがとうございました。
(長文です。お時間ある時にお読みください)
私は、年末に日本語の指導と人間関係の悩みの相談で長くご縁をいただく元文学部教授に会うため、筑紫野市の二日市文学館を訪ねた。この先生とは、20年以上前に開催された平成義塾での出会いからのお付き合いですが、先生は、易経にも詳しく、東洋思想の学びから、色々な示唆ある教えをいただいてきました。
その先生が、年末訪問時に、
「野口さん、今回のコロナ感染は、世界戦争と同じだ。第二次世界大戦は、何年間かかったかね?」
と私に尋ねた。
「真珠湾攻撃は、12月8日なので、3年半くらいですかね」
と言うと、先生は、
「太平洋戦争は3年8ヶ月かかっている。また前回のスペイン風邪も3年で収まっていない。今回のコロナ感染もそれくらいかかると思ったがよい」
と言われた。
世界大戦とパンデミックを、同じ世界戦争と考える発想に??と思いましたが、歴史にも造詣の深い先生の指摘は、これまでも当たっているので、予見として受け止めた。
それと、昨日のニュースを見ていて、イギリスの首相が、オミクロン株の感染は広がるが、ワクチン接種と重症化しないことから、経済規制はやらない、withコロナ対応の考えを表明していた。
私は、二度ワクチン接種を受けました。感染症予防にと、偏食をせず、季節のものを好き嫌いなく食べ、体力向上に朝ウォーキングを続けている。加えて、マスク、手洗い、消毒を常に気をつけてやっています。それと感染しやすい場所には行かない。近々実施予定の三度目のワクチン接種もするつもりです。
私は、イギリスの首相の考えに賛同しつつ、最大限の予防法を徹底していけば、日常は近々かえってくると考えています。
来週、通常国会開会に合わせて上京して、総務省へ要望活動に行きます。これは、熊本県選出で現総務大臣との日程調整で、やっと実現できたことなので市議有志グループで行くことに決定した。
冒頭の言葉は、論語の訓示から引用しているのですが、岬龍一郎訳編『超訳 論語』から、
第九章 子罕篇
No.105
いざというときに「人物」がわかる
季節が変わり寒くなって草木が枯れ果てる中、松や柏がひとり残り、その寒さにも負けることなく毅然と立っている。
平穏無事なときは君子も小人もその違いがわからないが、事が起こって初めて君子の節操がわかる。
(以上、『超訳 論語』より)
以上ことから、「事が起きた時に、どう行動するか、常に考えているかにある」と。
① 状況分析には、情報収集を常に怠りなくやっているか。
② 批判を気にしてばかりしていると、身動きが取れなくなる。
来週の上京をどうするか、昨日緊急会議を開催し、有志議員グループの代表を受けることにした。
私の考えは、常々情報収集していること、チャンスと思えば、状況分析し行動を決める。批判は、その後に受ける。
行動する前に、やめてしまったら何もできない。
二日市文学館の日本文学の先生の言葉から、
>前回のスペイン風邪も3年で収まっていない。コロナ感染もそれくらいかかると思ったがよい
withコロナの考えで、感染防止を徹底して開催した新春サッカー大会と同様に、地域の活性化を遅らせない考えを念頭に、今年も活動します。
年始から話が長くなりました。最後までお読みいただきありがとうございました。