<世界平和へ旅をしよう>異業種交流会「四季の会」・秋の会(望年会)のご案内です。
2023年10月22日
<世界平和へ旅をしよう>異業種交流会「四季の会」・秋の会(望年会)のご案内です。
ほんと4年ぶり?になる、四季の会を開催いたします。今回の講師は、フリーカメラマンの高木あゆみさん(一般社団法人teemはちどり代表)です。講演テーマは、
世界平和へ旅をしよう
〜難民との出会いと 子育てと~
合志市に拠点を置くフリーカメラマンの高木あゆみさんてす。高木さんは、5年前、5歳の子どもを連れて、アフガン難民について調査のために、ヨーロッパに渡りました。
特に、ドイツとスウェーデンでは、子どもの難民と面談し、戦火から逃れた話し、難民テントの生活、さらにドイツの難民への対応、等々を調査して帰国されました。
5歳の子どもを連れて14ヵ国、110日間の旅もすごいのですが、現在活動されている、「海外を知ろう、難民に関心を持って」の地道な活動には、とても興味が湧き異業種交流会の講師にお願いしました。開催内容は、以下です。
11月24日19時〜
熊本市国際交流会館第一会議室
定員は、20名程度。
主催は、環境共生施設研究所
問合せは、野口修一まで。
ぜひ、興味ある方は、日程に加えていただければありがたいです。よろしくお願いいたします。
#異業種交流会
#異業種交流会四季の会
#四季の会
#一般社団法人teemはちどり
#カフェハチドリ
#国際貢献
#難民支援
#多様性社会
ほんと4年ぶり?になる、四季の会を開催いたします。今回の講師は、フリーカメラマンの高木あゆみさん(一般社団法人teemはちどり代表)です。講演テーマは、
世界平和へ旅をしよう
〜難民との出会いと 子育てと~
合志市に拠点を置くフリーカメラマンの高木あゆみさんてす。高木さんは、5年前、5歳の子どもを連れて、アフガン難民について調査のために、ヨーロッパに渡りました。
特に、ドイツとスウェーデンでは、子どもの難民と面談し、戦火から逃れた話し、難民テントの生活、さらにドイツの難民への対応、等々を調査して帰国されました。
5歳の子どもを連れて14ヵ国、110日間の旅もすごいのですが、現在活動されている、「海外を知ろう、難民に関心を持って」の地道な活動には、とても興味が湧き異業種交流会の講師にお願いしました。開催内容は、以下です。
11月24日19時〜
熊本市国際交流会館第一会議室
定員は、20名程度。
主催は、環境共生施設研究所
問合せは、野口修一まで。
ぜひ、興味ある方は、日程に加えていただければありがたいです。よろしくお願いいたします。
#異業種交流会
#異業種交流会四季の会
#四季の会
#一般社団法人teemはちどり
#カフェハチドリ
#国際貢献
#難民支援
#多様性社会
>たとえ100年続いてきた仕組みであったとしても、変えようとする柔軟性を、校長をはじめとする教育関係者は持つべき
2023年10月04日
<通知表の矛盾>たとえ100年続いてきた仕組みであったとしても、変えようとする柔軟性を、校長をはじめとする教育関係者は持つべきだと考えます。〜工藤勇一氏〜
(長文です。お時間ある時にお読みください)
毎日、どこかの学校でいじめの問題が起こっているという。これは、古の時代からあった、という人がいますが、果たしてそうでしょうか?
また、今の学校運営は、ここまでよいと思っている人は少ないと思いますが、変わりません、なぜか?
そんな疑問に真っ向から取り組んでいる教育者がいます。千代田区元麹町中学校の元校長・工藤勇一氏です。
宿題なし
定期考査なし
固定担任制の廃止
運動会の「クラス対抗」も生徒自身が廃止
これまでの学校運営を知る人からすると、"それで学校は成り立つの?"と思われると思います。
国も社会変化の中で、学校の在り方を変えようとしている。長い引用ですが、以下が工藤勇一氏の意見です。
(以下、『学校の「当たり前」をやめた。」より)
そもそも、日本では2000年頃から評価方法を「相対評価」から「絶対評価」に切り替え、点数の序列ではなく、一人ひとりの到達速度に応じて評価する方向に舵が切られています。そのために、生徒全員に「5」がつくことがあり得ます。しかし、全国のどこを探しても、全員に「5」をつける学校はないでしょう。その理由の一つは、教育委員会からの「不適切だ」として指導が入るからです。生徒全員に「5」つけることを「不適切」とする最大の理由があるとすれば、それは、高校受験の内申点とそれに伴う推薦入試があるからだと思います。この内申点の基準となるのが通知表で、ここで順位がつかなければ、推薦入試が成り立たないというのが主たる理由として考えられます。この方針は矛盾しています。国の方針として、これまでの相対評価を絶対評価に切り替えたなら、全員が「5」であってもよいのです。本校では、生徒たちの到達速度に応じて、適切に評価し、通知表をつけています。
(以上、本より)
人間は、一人ひとり異なる性格と生活環境があります。小学1年生は、4月に入学しますが、その時点で、満7歳から満6歳と1日までの幅(心身の格差)があります。
私は、毎朝登校してくる子どもたちが、横断歩道を渡る手伝いをしています。日々成長する子どもたちですが、6年間過ぎても、身体だけから見ても12ヶ月間の誕生の違いは、そう簡単には埋まらないように感じています。
工藤勇一氏は、中学校の学校運営について書かれています。1学年をくくりとする日本の教育制度では、義務教育7年目くらいから、1人ひとりの個性も分かり、それに合わせる教育実践を子ども自身も求めるようになるのでは、と保護者として子どもたちの成長から振り返ります。
工藤氏の文から、私たちの常識を検証すると、
・高校の推薦入試には内申書が必要
・内申書には、内申点という"順位"がつかなければいけない。
・内申点とは通知表の評価のこと、
・評価をつけるには、定期考査が必要
・しかし中間、期末の定期考査は、一夜漬けの弊害が起き、真の実力とはならない
国は、「絶対評価」に変わったのにいまだに残る相対評価の通知表が、"問題では"と思うようなりました。
工藤勇一氏は、以下のことも指摘しています。
(以下、本より)
中学校に限らず、日本の学校には「ある時点で評価する」仕組みが浸透しています。専門性を高める場であるはずの大学ですら、前期・後期のテストを実施し、学生を評価しています。理由はやはり「評価」のためだと聞きます。
そんなことを続けているようでは、学生が社会で役立つ本物(自主・自立)の専門性を高められないのではないでしょうか。まずは大学が前期・後期のテストを廃止し、日々の授業の中で、プレゼンテーションやデスカッションする様子を適切に評価するなどの仕組みを整え、学生の本質的な学びを促すべきと思います。
(以上、『学校の「当たり前」をやめた。』より)
これを読むと「評価」は、教える側の都合でやっていて、日々の学びと到達状況の把握を指導者がサボっているのでは?とも見えます。これについては、反論含めてあるとは思いますが、大学こそ学生自らの疑問と学びの繰り返し、学生たちの学びを、サポートするのか指導者と思います。
工藤勇一氏の意見から、小学校から大学まで、「評価」のあり方が、現代社会が求めるものと乖離してきているのでは、と朝から思いました。
教育は、これが正しいという答えはありませんが、子どもたちの成長に必要な学びの提供をどうしていくか、古代から続く課題だと思いました。
韓国滞在も3日目、朝の目覚めが早く、長々と朝から書きました。最後までお読みいただきありがとうございます。
*参考資料:工藤勇一著『学校の「当たり前」をやめた。』
(長文です。お時間ある時にお読みください)
毎日、どこかの学校でいじめの問題が起こっているという。これは、古の時代からあった、という人がいますが、果たしてそうでしょうか?
また、今の学校運営は、ここまでよいと思っている人は少ないと思いますが、変わりません、なぜか?
そんな疑問に真っ向から取り組んでいる教育者がいます。千代田区元麹町中学校の元校長・工藤勇一氏です。
宿題なし
定期考査なし
固定担任制の廃止
運動会の「クラス対抗」も生徒自身が廃止
これまでの学校運営を知る人からすると、"それで学校は成り立つの?"と思われると思います。
国も社会変化の中で、学校の在り方を変えようとしている。長い引用ですが、以下が工藤勇一氏の意見です。
(以下、『学校の「当たり前」をやめた。」より)
そもそも、日本では2000年頃から評価方法を「相対評価」から「絶対評価」に切り替え、点数の序列ではなく、一人ひとりの到達速度に応じて評価する方向に舵が切られています。そのために、生徒全員に「5」がつくことがあり得ます。しかし、全国のどこを探しても、全員に「5」をつける学校はないでしょう。その理由の一つは、教育委員会からの「不適切だ」として指導が入るからです。生徒全員に「5」つけることを「不適切」とする最大の理由があるとすれば、それは、高校受験の内申点とそれに伴う推薦入試があるからだと思います。この内申点の基準となるのが通知表で、ここで順位がつかなければ、推薦入試が成り立たないというのが主たる理由として考えられます。この方針は矛盾しています。国の方針として、これまでの相対評価を絶対評価に切り替えたなら、全員が「5」であってもよいのです。本校では、生徒たちの到達速度に応じて、適切に評価し、通知表をつけています。
(以上、本より)
人間は、一人ひとり異なる性格と生活環境があります。小学1年生は、4月に入学しますが、その時点で、満7歳から満6歳と1日までの幅(心身の格差)があります。
私は、毎朝登校してくる子どもたちが、横断歩道を渡る手伝いをしています。日々成長する子どもたちですが、6年間過ぎても、身体だけから見ても12ヶ月間の誕生の違いは、そう簡単には埋まらないように感じています。
工藤勇一氏は、中学校の学校運営について書かれています。1学年をくくりとする日本の教育制度では、義務教育7年目くらいから、1人ひとりの個性も分かり、それに合わせる教育実践を子ども自身も求めるようになるのでは、と保護者として子どもたちの成長から振り返ります。
工藤氏の文から、私たちの常識を検証すると、
・高校の推薦入試には内申書が必要
・内申書には、内申点という"順位"がつかなければいけない。
・内申点とは通知表の評価のこと、
・評価をつけるには、定期考査が必要
・しかし中間、期末の定期考査は、一夜漬けの弊害が起き、真の実力とはならない
国は、「絶対評価」に変わったのにいまだに残る相対評価の通知表が、"問題では"と思うようなりました。
工藤勇一氏は、以下のことも指摘しています。
(以下、本より)
中学校に限らず、日本の学校には「ある時点で評価する」仕組みが浸透しています。専門性を高める場であるはずの大学ですら、前期・後期のテストを実施し、学生を評価しています。理由はやはり「評価」のためだと聞きます。
そんなことを続けているようでは、学生が社会で役立つ本物(自主・自立)の専門性を高められないのではないでしょうか。まずは大学が前期・後期のテストを廃止し、日々の授業の中で、プレゼンテーションやデスカッションする様子を適切に評価するなどの仕組みを整え、学生の本質的な学びを促すべきと思います。
(以上、『学校の「当たり前」をやめた。』より)
これを読むと「評価」は、教える側の都合でやっていて、日々の学びと到達状況の把握を指導者がサボっているのでは?とも見えます。これについては、反論含めてあるとは思いますが、大学こそ学生自らの疑問と学びの繰り返し、学生たちの学びを、サポートするのか指導者と思います。
工藤勇一氏の意見から、小学校から大学まで、「評価」のあり方が、現代社会が求めるものと乖離してきているのでは、と朝から思いました。
教育は、これが正しいという答えはありませんが、子どもたちの成長に必要な学びの提供をどうしていくか、古代から続く課題だと思いました。
韓国滞在も3日目、朝の目覚めが早く、長々と朝から書きました。最後までお読みいただきありがとうございます。
*参考資料:工藤勇一著『学校の「当たり前」をやめた。』