今年の「先端建設・防災・減災技術フェア」の講演・研修は、「球磨川豪雨被害検証」興味深い内容になっている。

2021年10月31日



今年の「先端建設・防災・減災技術フェア」の講演・研修は、「球磨川豪雨被害検証」興味深い内容になっている。

昨年の球磨川豪雨被害を検証する熊本大の教授たちの話と、国土交通省九州整備局担当による流域治水の説明となっている。昨年も視察に行き、講演等を聞きましたが、熊本豪雨に匹敵する被害が各地で発生しているので、聞きたいと思っていて、大木特任教授、松村教授たちの話には興味ある内容です。

もし関心のある方が居ればと思い、Facebookのタイムラインにアップしました。

フェアは、11月24・25日開催で、球磨川豪雨被害検証は、25日の午前〜午後に連続で開催されます。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:39Comments(0)熊本の出来事政治問題(地方)防災

男女参画研修、「私たちに出来ること」〜第5次熊本県男女共同参画計画を知って考えよう〜

2021年10月30日





本日は、熊本県つばさの会主催の研修会、

「私たちに出来ること」〜第5次熊本県男女共同参画計画を知って考えよう〜

講師は、熊本県男女協働推進課
    課長 木村和子さん

初めに、熊本県つばさ会の橋長会長が、

「男女共同参画はまだ路半ば、これから私たちが何ができるのか、また県に対して提言も含め、我々自身も成長進歩する必要がある」

と挨拶されました。

私は、平成13年度に、県主催の地域リーダー研修」に参加して以来、女性リーダーの先輩方々と共に、微力ながら関わってきました。

法律ができて22年が過ぎ、当時の高い志が、だんだん薄れているのでは?、と感じる出来事が最近感じることが多々あります。

ここ数年は、LGBT(性的マイノリティ)の人権問題が報道等で取り上げられるようになり、男女共同参画が、人権問題と捉えることを感じています。

男女共同参画は、人権問題ではありません。社会の仕組みの中で、慣習や通念から、女性の不平等が残っています。

今日は、再確認のため研修に参加しました。  

宇土市の「風流島」(別名、たわれ島)の神社を守る7人の漁師の活動を取り上げ、詳しく写真付きで記事にしてくれました。

2021年10月20日





2日前から熊日新聞に宇土市の「風流島」(別名、たわれ島)の神社を守る7人の漁師の活動を取り上げ、詳しく写真付きで記事にしてくれました。

私たち地元の者は、「たわれ島」の呼び方が変わり、"たばこ島"と呼んで親しんできました。

今回、このような記事に詳しく取り上げていただき、地元の私たちも学んだ気がします。

明日は、海苔養殖の解禁日(種付日)です。また、明日から、有明海の海岸にきれいな海苔網が並びます。

*干潮で潮の引いた干潟に全景を出した「風流島」と雲に包まれた金峰山です。〜紫陽花の開花した頃に撮影〜


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:55Comments(0)

日本のバリアフリー、西洋のバリアフリー、旅の経験から。(曽野綾子)

2021年10月20日

日本のバリアフリー、西洋のバリアフリー、旅の経験から。(曽野綾子)

数日前からまた読み始めた曽野綾子さんの文を集めた本『「いい人」をやめると楽になる』に、以下の言葉があった。

(以下、本より)

 車椅子の人と外国を旅行していると、教会の階段の所などで、突如としてどこからともなく助っ人が現われることがある。そういう時も日本人はえてして「いいえ、けっこうです。大丈夫です」と断ったりする。しかしこの場合、断わるのは失礼なのだ。相手にも人助けをする機会を分つのが礼儀なのである。
〜曽野綾子著『自分の顔、相手の顔』より〜

こんな"断わる(遠慮する)"風景を、日本で見た人は多いと思います。西洋のバリアフリーの考え方は、素晴らしいと常々思うのですが、遠慮、謙虚、控えめ・・・・

バリアフリーとは何か、

日本と西洋の違いを朝から考えました。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:45Comments(0)モラル・マナー社会問題

<出したい人を選ぶ>お互いに侵さず侵されず、平等にいっしょにの発想は不可能なこと。〜曽野綾子語録〜

2021年10月19日

<出したい人を選ぶ>お互いに侵さず侵されず、平等にいっしょにの発想は不可能なこと。〜曽野綾子語録〜

ここ三月ほど、論語を含む中国古典を読み入っていた。目先を変えて日本のベテラン作家の言葉にかえってみた。

その一文が以下です。『いい人をやめると楽になる』の中にありました。

(以上、本より)

 皆が平等に、いっしょに、という発想は不可能なことだ、と私は思っている。人間にはお互いに馴染めない生き方や考え方をする人というものがある。しかしだからといって相手が邪魔なのではない。お互いに侵さず侵されず、相手の生活をきっちりと幸福に守らなければならない。〜『悪と不純の楽しさ』〜
(以上、本より転載)

家族、夫婦といえども、侵されない部分(生活時間)がある。それを費やすだけの意味ある活動があるのか?

人間の生業の中で、目的は何か?

常に問われるのが、賛同ではないのか?

社会活動は、個人活動を巻き込むことになります。その際たるものが選挙であり、市民活動ではないかと思います。

今、衆議院の総選挙の最中です。

この選挙に対する意見を述べる市民活動(ロビー活動)が盛んになっています。

それぞれに、家族に犠牲を強いる活動でもあります。

社会正義のために何を目的にやるのか?

しかし、身内の苦労がついてくる。

何か、解決策はあるのか?

100年前から続く、政治の課題でもあります。

憲政の神様、尾崎行雄は、"出たい人より、出したい人"を90年前から訴え続けた政治家です。

国政に"出したい人"に、ぜひ投票してください。そうすれば、少しづつですが、政治が変わって行きます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:00Comments(0)政治問題(国)哲学、人生

<今朝の名言>貴方は、何に"しびれていますか?"〜知行合一(陽明学)〜

2021年10月17日

<今朝の名言>貴方は、何に"しびれていますか?"〜知行合一(陽明学)〜

『安岡正篤一日一言』に、以下の文があった。

(以下、10月18日の訓示)

 しびれる

 何にしびれるかによって、その人は決まる。
 中江藤樹は『論語』と王陽明にしびれていた。
 人間は本物にしびれなければならない。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)

私は、40代初めから地元の中国古典輪読会で論語を学び始めた。その学びの中で、王陽明を知った。そして、幕末に備中松山藩の財政を担当した山田方谷に出会った。理財の天才であり、陽明学の実践者だった。

陽明学とは何か?

知行合一の実践の哲学と、私は思っている。

陽明学は、心の学問。

発心、心が発する意志は、良心もあるが、悪い心も起こる。それを、学びの中です修正するのが学問。

学ぶだけではいけない。実践に移してこそ、本物になる。

幕末の志士たちは、多くが陽明学を学んでいたと言われるています。

現在総選挙、令和の志士たちは何を実践しているか?、問われる選挙と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:06Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他哲学、人生

その日の良し(吉)も悪しき(凶)も、自らの心しだい。〜佐藤一斎一日一言より〜。

2021年10月11日

その日の良し(吉)も悪しき(凶)も、自らの心しだい。

「三百六十五日、一日として吉日でない日はない。一念発起して善を行えば、これが吉日である。三百六十五日、一日として凶日ではない日はない。一念発起して悪を行えば、それは凶日である」その日の良し(吉)も悪しき(凶)も、自らの心しだい。〜佐藤一斎一日一言より〜

毎日、星占い、運勢の暦が新聞等に掲載されている。

みなさんは信じますか?

神社にお参りして、おみくじをひきます。吉、凶、いろんなことが書かれています。自分の境遇に"ピッタリ!"の言葉に、

うれしくなるか?
落ち込むか?

おみくじも、読み方次第で、後の出来事も、良しとなる。

冒頭の言葉は、『佐藤一斎一日一言(言志四緑)』の言葉ですが、

吉も凶も、本人の心がけで、一日が喜ばしい結果となる。そんな週のスタートにしたいですね。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:32Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他哲学、人生

<コロナ禍、自らの姿を検証する>今朝は、ウォーキングはお休み日、朝からゆっくりと、読書しています。

2021年10月09日

<コロナ禍、自らの姿を検証する>今朝は、ウォーキングはお休み日、朝からゆっくりと、読書しています。

今日は、棚田米の刈り取りなので、良い場面を撮影し落とさないように準備中です。

さて、毎日"コロナ"という言葉を聞かない日がないのですが、昨日は地域を回り年配者とゆっくり語る機会がありました。

耕作放棄地問題

農家の後継者問題

地域高価格道路「天草-熊本幹線道路」の自動車専用道路について

人口減少について

鳥獣対策

等々、そこ30分ほどでしたが、いろいろ語ることができました。

また別の人との話題では、

10月に入っての高温、毎日30℃超えには、農作業の予定が、上手くいかない。日中は、ハウスの中は夏並みに暑くて仕事にならない、と。また、秋の高温は、米の重量は平年並みだが、いわゆるクズ米が少ない稲になっていると、何人もから聞けた。時々、地域回りをすると勉強になります。

さて、朝の読書で、昨日も読んだ『菜根譚』後集のNo.16に以下の言葉がありました。

「頭を冷やし、心はゆったり」

おっ!、これって今朝のことか、と思いました。解説文は、以下です。

(以下、本より転載)

 冷静になってから、熱狂していた時のことを振りかえってみると、そこではじめて、一時の熱情にかられてはしりまわったことが無益であったとわかる。また、わずらわしく多忙なところから、閑静な場所に移って、そこではじめて、閑静な境地の中で味わうことのできる豊かな印象が最高で良いことがわかる。
(以上、『菜根譚』より)

まだ外は暗い時間から、静かに横になり読む本のテーマから、自らの姿を検証してみる。

あるいは、昨日の地域の方との意見交換をを振り返る、何が根本的に不足しているのか、何か改善策はあるのか、さらに地域でできる協働の仕事はないか、考える。

このコロナ禍は、まだまだ続くと想定して、出来ることは何か、を考える時間は、やはり朝ごはん前かなと、思います。

安岡正篤さん鉄も、早朝に早く起き、梅茶を飲みながら、ゆったり座して考える時間が、とても大事と説かれています。

早寝、早起き、週に1・2度は、さらに早く起きて、1人静かに考えたり、読書したりする時間は、後半生には、特に必要な気がします。コロナ禍、外出が減ったのは、逆に自らの姿を検証するのに良いのかもしれません。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:40Comments(0)マイライフ哲学、人生

<地球温暖化は進む>一瞬にして結果を知る。これは常人にはできない直感力である。〜幾を知るはそれ神か(易経)〜

2021年10月03日

<地球温暖化は進む>一瞬にして結果を知る。これは常人にはできない直感力である。〜幾を知るはそれ神か(易経)〜

あっ!

これって、社会が動く兆しではないのか、あるいは、数年後に、あれが今の変化をの兆しだったのではないか。

と思うことはありませんか。

長女が小学6年生の運動会は、9月末の24日だった。高橋直子さんが、オリンピックの女子マラソンで優勝した日でした。あれから21年、その運動会の日中の気温は30度を超えた。それまでの運動会は、秋の爽やかな季節として開催されていました。その年以来、毎年9月末に気温30度を体験するようになった気がします。今年の秋は、10月に入っても30度を超え続けている。今朝の予報では、10月11日まで気温30度を超える予報となっています。

21年で30度超えが、9月24日→10月11日に、今年だけが10月中旬まで真夏の暑さではなくて、毎年毎年秋が短くなっているように感じます。

今思えば、21年の前の運動会は、暑くてテントに居らず、多く人がグランド周りにある桜の木陰に移動した記憶がよみがえります。

今年は、コロナ禍で、多くの小学校が、午前中で終了の運動会のようで、今日の気温は32度の予報から考えても、昼前に終わるのは正解かもしれないと思います。

地球温暖化による気温の上昇は、20年前から急に上がってきたのではと、ふと振り返りました。

『易経一日一言』10月3日の訓示は以下です。

「幾を知るはそれは神か」

【解説】
「幾」とは、わずか、微妙な、機微を意味する。物事何大きく動く微細なきっかけであり、別の言い方をすると兆しである。
 たとえば、「桐一葉落ちて天下の赤を知る」(桐の一葉学生落ちるのを見て、天下衰亡の時と腑に落ちる)というかのように、一瞬にして結果を知る。これは常人には及ばない直感力であると易経はいう。
(以上、『易経一日一言』より)

易経の直感力を持つ人は、21年前の30度超えの時に、"これから気候変動が急速に始まる!"と気づくのでしょうが、一般人は、21年後にやっと、"あの頃から始まったのか!"と思い出すくらいが精一杯です。

しかし今年の残暑は、レベルが違います。今日の熊本は、32℃の予想、まるで真夏の気温です。10月になっても熱中症に気をつけなければならない。

近々開催される国連の環境会議は、気温上昇を抑制するような合意がなされることに期待します。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:59Comments(0)環境国際関係名言・スピーチ・訓示・他