日本の社会保証 ②

2007年10月31日

日本の社会保証 ②

・日本は、高度経済成長に支えられた社会保障

 日本は、高度経済成長の影響で相対的に社会保障が拡充されて来ました。現在は、定常型経済とグローバル化、循環型地球経済、環境保全・再生の中で経済成長におんぶされて、個人の社会保障が約束される時代は、既に終わっていることを気付きくことが必要です。いずれ人口の1/3が高齢者になり、少子化による労働力不足により、女性の社会進出が必然のものとなります。

 ただ日本は、戦前まで農村では女性も労働者の重要な担い手で有ったことを思えば、非生産人口50%は支えていける数ではないいかと思います。我が家も共働きです。


・これからの社会保障制度は、危険信号

 最後に、今度の統一地方選で町村合併が一つの争点になっていますが、自治体の拡大と地方分権は上記の社会保障の政策も地方にゆだねる時代になることが全く議論されていません。道州制や県単位の合併もいずれ始まります。地域主権へ向けて市民自身も真剣に自分たちの社会保障の研究が必要なります。

 自治体自体が大きくなり、住みやすい町になるかの市民側の議論が乏しいようにも感じます。町が大きくなり、「おらが町」「私の街」と言う意識が薄れて、自分の足下の確認を人々が求めていて、心を支える素材探しをしている風景を新聞やテレビを見て感じます。身近にある歴史や文化、自然やコミュニーティーとの関わり、そこで過ごす時間を楽しむことが、人々の関心になるように感じています。


・グローバル経済と、定常型型社会へ向けて価値の創造

 広井氏のまとめの言葉ではないですが、「これからの経済は、○○%の成長を維持すること」よりも、地球の限界、途上国の人口増加と高齢化、グローバル経済などを考えて「定常型型社会へ向けて価値の創造」がわれわれ世代に課せられているのかも知れません。

 今のままの経済成長・人口増加では、地球が支える力は2040年が限界と言われます。地球環境は、言葉はおかしいですが支配者である人間と地球とのバランス(共生)を保つことと思います。4億の民が世界の富の4割を持ち、更には先進国(世界人口の1/4)が世界の富の8割以上を持つ事実を省み、人間+地球の社会保障を考える時代にあると思います。

 NHKの年越しの対談に、これからの時代は、「Let's~」(一緒に~)の思想が大切と言われたのが印象にあります。地域との共生、街と農村漁村の共生、都市と地方の共生、西洋と東洋の共生、先進国と地上国の共生、人と地球の共生、21世紀は地球の社会保障を考える時代のようです。

2003.05.04野口の日曜メール№7  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:37Comments(0)政治問題(国)

日本の社会保証 ①

2007年10月31日

日本の社会保証 ①

 風薫る5月の晴天の熊本からです。ゴールデンウィークはいかがでしょうか?我が家は、仕事に部活等々観光地の雑踏とは無縁のいつもの土曜日です。
 事務所を自宅の地域に移して1ヶ月が過ぎ、どうにかペースができつつあります。仕事やら、諸活動など日々に追われる相変わらずの生活ですが、今年の重要なイベントが5月後半に控えていて、楽しみでもあります。

 さて今年の4月は、全国統一地方選でしたが、市民がすこしづつではありますが行政にもの申す、或いは議会へ新しい風を送ろうと市民の議会ウォッチング、候補者の公開討論会等が開催されました。無関心と言われた市民が、次世代社会への思いから行動に移し始めているように感じます。


・低成長(定常型)社会、高齢化、少子化

 低成長(定常型)社会へ入り、高齢化、少子化、先行き不透明の経済状況に市民が進む方向を模索し続けています。私自身も生活パターンの変化もあり、ふとまた本を読みあさり始めています。先週読んだ本に、広井良典著「日本の社会保証」(医療、年金、福祉の解説とこれからの社会保障の形)を遅い回転の頭で、触り程度理解できたかなと思っています。国民保健が戦時中にできたこと、確立されたのは30年前半ですが世界でも画期的な試みで、現在の途上国の参考となっているそうです。


・西欧諸国は、高齢化社会の先進国

 西欧諸国は、産業革命から産業社会へ転換し、農村部から都市部と緩やかな高齢化を歩んで来て1970年ころから高齢化・福祉政策の充実へ方向転換しました。日本の工業化は、明治の中期から急速に進み、本格的な産業社会は戦後の高度成長期を迎えて更にスピードを上げて、若年人口の都市集中と高度成長、核家族化から地方の高齢化が現在急速に進んでいます(1980年代世界最高の水準)。

 別の視点では、ヨーロッパは、第一次大戦後ころから高齢化と少子化が同時に進み、1970-80年の構造的な失業が生まれて来たの比べて、現在の構造不況は、5.5%(ヨーロッパは、10%以上)で止まっている要因は、日本は戦前出生率が4-6人の家も多かったのが、戦後から30年までの少子化で戦後10年で2人になり、現在は1.33人になって来ています。現在失業率がヨーロッパに比べて、の低成長期に日本が低くおさえられてるは、この急速な出生率の低さが原因と思われます。2050年に日本の人口は1億人を切り、2100年には、6千万人台になるとも言われています。


・日本は、2100年に6千万人台

 このような人口の見通しの中で、いまだに開発成長経済を目指して進む日本の社会構造が、次世代への不安と豊かさを見失っているように思います。統計では、戦前の子供と高齢者の割合は人口の51%、2005年37%で、また2060年50%と戻ると予想されています。老人比率の最高時は、37%が高齢者になると予想されています。

 年金改革、医療改革、介護保健(合わせて社会保障)の見直しの議論が出ていますが、数字や比率の議論ばかりで、50年後のまでに相対的な社会変化や経済の転換、環境問題等との関係の議論が全くないのが危機感のなさか、中央集権の迷走にも見えてきます。

2003.05.04野口の日曜メール№7  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:35Comments(0)政治問題(国)

世界の漁場から、魚が減り続けている

2007年10月31日

2003.02.16 野口の日曜メール№5-② 世界の漁場から、魚が減り続けている

・食卓から魚が消える

 もう一つは、2002年のアメリカのテレビ番組の再放送を引き続きBSでやっていたのですが、魚の乱獲によろ魚介類の減少が危機的状況にあり世界の漁場の現実と漁師、学者の話をまとめたものです。


・遠洋の大型巻き網で、のこぞぎ捕獲と廃棄

 1970年代から世界の市場の需要を満たすために、船の大型化、捕獲技術の高度化と大量型へ変化して、ある地域の魚を根こそぎ捕りだしたことが原因と報じています。
 遠洋の大型巻き網により数種類の魚が目的なのに、膨大な種類の大小の魚を一網打尽にして捕獲し殺しています。食べないのもは、捕獲後捨てている映像は悲しい気持ちになります。
 そう言う自分自身が消費者でることを忘れていことがあります。旺盛な消費者の意向で漁場現場が動いている気がします。漁師の中にも将来を心配し行政と共同で魚の資源保護に動き出し成果を上げている地域もあります。


・漁場の保護は、人類の責任

 地球の自然保護(保全)のことには人間の関わりがどうしても必要と思います。乱獲をするのも人間、資源保護も人間のであることも事実です。同じ人間が次世代のことへの責任を持っています。
 今地域や自然、地球、社会、あるいは自分の仕事を含めて気付いたことから出きることが一番大切なのかもしれません。日本は世界最大の魚消費国であることからできることを、放送の中で示唆がありました。消費者が食べる魚の捕れた状況を店に聞くことから始まる運動があると話しています。農産物で現在は、産地出所の履歴書が話が出ていますが、魚の履歴書が世界の流れになれば海洋保護区の実現に近づくと考えます。
 すみません、魚大好きな人にまごめんなさい。経済がが再生可能であることは食料の再生可能なシステムの必要な思います。魚も自然も人類の社会的共通資本なのです。   

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:21Comments(0)環境

[現代人]大人の関係は苦手?、「援助交際」「余暇時間」

2007年10月30日

[現代人]大人の関係は苦手?、「援助交際」「余暇時間」

 数年前から、普通に使われるようになった「援助交際」、聞こえは良いが少女売春です。河井隼雄氏の著書「縦糸横糸」の一節に次の言葉がありました。

「・・さらに注目すべきは、大人の関係を持つ力がないので、少女を選ぶところである。大人としての男性と女性の関係は、面白くあるが難しくもある。その面白さを知るためにには、男も女も大人になっていなくてはならない。欧米人に比して、日本人はこの点においては相当に未熟なのではなかろうか。・・(中略)」

「仕事も大切だが遊びも大切である。経済大国になって、日本の男性たちも、自分勝手に使えるお金がかなりもてるようになったのではいいが、その「遊び方」がわからないのではなかろうか。五万円使って遊ぶとなると、面白いことが他に山ほどあるが、今まで働いてばかりいて遊びに訓練が足りなかったばかりに、少女たちの手玉に取られるもの、残念なことではなかろうか。」

 厳しい指摘です。大人たちも、手短な享楽にはめられ、のたうち回っている現状を垣間見るようですが、遊びとは本来何か?考えるゆとりさえないのも事実です。手っ取り早く、一時の楽な遊びにはまり、後悔をするのが落ちであります。

 竹林の七賢人ではないですが、詩、文、書、酒、音楽、四方山談議等々、一時の楽しみが延々続き、余韻も限りなく良き気分を持つような遊びに興じたいものです。
 この七賢人まで行かずとも、大人の付き合いには、少々の教養+ウイットがあると良いのではと思います。おやじの興ざめジョークの連発は、空気を寒々とさせますが、場の雰囲気に合わせ、少しの話題提供し、後は続く会話を楽しみ、更に気分を善くする話題を、冗談交じりに加味していく、潤滑油型のウイットおやじになりたいと思うのですが、まだその域に至っていません。

 先週末、仕事先(九州山地の麓)の地域で、会議後の打ち上げに参加して、色々な話題を聞くことできました。熊本市の都心から約1時間半の商店街ですが、居酒屋の雰囲気はどこにいても同じと思い、話題も最近の社会情勢から、地域の問題まで様々ですが、社会に関心がある人は、地方であろうと、都会であろうと人間力に差は無いと感じました。

 援助交際を求める男性たちの人間力とは、どの程度の人たちかと思うことがあります。「だれにも知られなければなんでもやる」個人主義(=勝手主義)の悪玉の心が、人間を動物以下の行動に駆り立てているように思います。金で人の心をコントロールしようとする、成長できない大人を作った原因は、どこにあるか?
 河井氏は、この問題の根本に「関係性の喪失」があると指摘しています。

 その意味は、「お金の関係しない関係」が急激に弱まってしまっていると分析しています。
 「要は、文明的な生活には、モノが必要で、それを手に入れるには金が必要。すると、若い夫婦は、共稼ぎ、ゆっくりと会話を楽しむ時間など無くなってしまう。」

 モノ=お金を追い続けるよりも、少し我慢して、身近な大人との関係を持つことで、自分を磨き、手っ取り早い「享楽」の遊びでなく、時間をかけた大人の会話を楽しみつつ、学び、育てる「お金の関係しない(少しない金額の)関係」の遊びを楽しめる工夫をしたいものです。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:36Comments(0)社会問題

「横井小楠と肥後の猛婦たち」シンポジウムを終えて

2007年10月29日

「横井小楠と肥後の猛婦たち」シンポジウムを終えて

 今回のシンポジムは、昨夏から発端がはじまり、主催者の高宗昭敏先生が、熊本を中心に色々な会合に出る中で、「猛婦」なる言葉も聞くし、「現代の猛婦は?」と、何度か耳にしたと語られました。

 昨年暮れにが、本来の始まりだったと思いますが、九州郵政公社旧支社の企画部長から「肥後の猛婦」について、意見を求められたといいます。
「明治時期に、女性活動家が熊本から多く出ていて、それは実学と関係があると思うので、ぜひ゛猛婦゛を取り上げてみませんか?」
だったそうです。以来、年末まで熊本の知識人と語る中で、今年のテーマを「肥後の猛婦」としたそうです。

 もともとは、昭和34年婦人公論に大宅壮一氏が「熊本の猛婦たち」のタイトルで、明治期の女性活動家に熊本出身が多く、さらに横井小楠の実学、熊本洋学校などで学んだ女性たちから出ていると言うものでした。
 それ以来、熊本の女性は粘り強い「猛婦」が居る所とイメージしましたが、時が経つにつれその噂を消えうせていました。約50年ぶりに、「熊本の猛婦たち」の顕彰をしようと2月から動き始め、多くの意見、賛同、協力、支援を頂き、10月26日に熊本市で開催しました。
 参加無料と言うことで、何人会場へ足を運んでくれるか分からず、不安の会場でしたが期待を裏切る盛況で、180席に会場に150名に方が参加してもらいました。参加者の多種多様、年齢もばらばらでさすがに大学生は居ませんでしたが、2時間30分のシンポジムが、途切れることなく、熱き思いが語られました。

 夜は、横井小楠の曾孫の横井和子先生(88歳)のピアノ夕べと懇親会が開かれ、副知事以下、多くの有志が集ってもらいました。みな横井先生のピアノに酔っていました。音だけを聞いている、60代の力と表現力、大阪芸大教授、大阪教育大学名誉教授等を暦され、現在、演奏家協会の理事をつとめる「元気」を、われわれ後輩が頂いたという気分でした。
 横井先生が語られた言葉に、こころに残るものがありました。

「音楽は、世界共通のルールがあります。私は、そのルールを守りつつ、音に日本人のこころを込めて弾きます」

の言葉に、会場の皆が頷き、拍手を送りました。約40分の演奏は、今の耳に心地よく残っていますし、元気を与えてもらっています。

 シンポジムの次の日に、横井先生とご一緒に、横井小楠記念館「四時軒」を訪れ、館長はじめ、市の文化企画がの責任者のお話を聞くに、益々顕彰する機運が高まっていると思いました。毎年、全国各地から4千名を越える来館者があり、少しですが増え続けていると聞き、ますますやる意味があると感じています。
 再来年は、横井小楠生誕2百年、横井和子先生先生は90才となられます。ぜひお元気で、式典にお出で頂き、小楠の大儀「世界平和」実現の宣言を熊本から発したいものです。

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・異業種交流会「秋の会(望年会)」開催の案内
 11月24日18:30~熊本交通センターホテル
 講演会+交流会、約3時間で開催予定。
 講師は、元KDDIの社員で、日中海底ケーブル敷設に尽力し、多様な海外での経験を持ち、現在は福祉分野
 で新たな試みをされる、マルチな 人物です。たくさんの参加をお待ちしています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:30Comments(0)男女共同参画社会

幕末の思想家「横井小楠」と猛婦「矢嶋楫子」→『世界平和』

2007年10月27日

幕末の思想家「横井小楠」と猛婦「矢嶋楫子」→『世界平和』

 140年前に、「富国安民」「国際協調」を提唱した思想家が日本に居た。熊本生まれの下級武士の次男だったが、聡明の秀才で、藩校の塾頭「居寮長」を努め、30才の時に藩費で江戸遊学し、藤田東湖をはじめ、多くの志士たちと語り、帰郷し知識集積型の藩校でなく、実践を重んずる「実践躬行」の政治理念を基に、私塾「小楠堂」開設し、維新以後に活躍する志士を輩出している。小楠堂には、長州の吉田松陰をはじめ、全国志士が訪れたと言いますが、当の小楠は江戸での酒席で不祥事を起こし、藩官僚から低い評価を受けていました。

 しかし、時代が要請する思想形成を積み上げて行きます。江戸遊学時に、勝海舟や佐藤一斎門下の塾生とも意見を交わしたようで、先見性に一目置いている志士も居たようです。勝海舟の弟子である坂本龍馬は、初対面の折は、「刺客」のつもりで当初面会するのですが、その理論に信服して行ったと、小楠の内弟子の(政治評論家の内田健三氏の祖父)内藤泰吉が、「小楠VS龍馬」の対談の様子を内田氏の語ったそうです。

 最近の調査研究で、横井小楠の自宅「四時軒」には、ジョージ・ワシントンの肖像画が掛かっていたそうです。明治2年の暗殺の真相は未だに不明ですが、「血族」で政治のトップを決めるのでなく、大統領制の考えが有ったと言われています。
 今日、「四時軒」(横井小楠記念館)を、小楠のひ孫の横井和子先生と一緒に、久々に訪問して、展示物を見る中で長州のリーダー・高杉晋作の「小楠評」が書かれていました。その一節に、小楠が敬慕した江戸中期の儒学者で政治家の「熊沢盤山」と良く似ていると高杉晋作が語ったとありました。

 この小楠が尊敬した熊沢盤山とは、小楠自身は年代的に出会わないですが、藩政の家系のよる地位が決まることの矛盾を感じ、能力のよる役割を突き詰める中で、藩主も「能力の在る人」と行き着き、藩の事件もあったのですが、家老職に在ったのですが、藩主から職を解かれ(解任)、晩年は山紫水明の地で、学問と書、芸術に生きたと言われる人です。 家系・血族よりも、「能力主義」の政治を小楠も盤山も、望んだと思います。どちらの保守派から反発が起き、江戸中期だったのと小藩の事だったので、盤山は「隠遁生活」で済んだのですが、維新の国家の混乱期では「刺客」と言う強靭の波の飲まれたと思います。
 
 さて、昨日の「横井小楠と肥後の猛婦たち」の最後に、明治期の熊本出身の女性偉人の中で、誰が1番かの4人のパネリストの意見は、平和運動家の矢嶋楫子だと票があつまりました。
 矢嶋楫子は、横井小楠の妻「つせ」の妹で、当時の女性平和運動家の世界代表として、アメリカで開催された軍縮会議へ、1万人の署名を持って乗り込んだと言います。年齢90歳。当時の寿命を考えると、無謀ともいえる渡米でしたが、無事にアメリカ大統領と面会し思いを語ったと言います。
 申し入れ後の語った言葉が、「これで小楠先生の思いを遂げた」だったそうです。

 小楠の有名の漢詩の一説があります。2人の甥の米国留学の送別の詩。慶応2年(1866)4月27日、佐平太と大平は長崎から米国へ向かった。この時2人の甥に詩を贈った。

尭舜孔子の道を明らかにして
西洋器械の術を尽さば
何ぞ富国に止まらん
何ぞ強兵に止まらん
大義を四海に布かんのみ (意味:末尾の注釈)

(意味)
 東洋の思想を身につけ、西洋の技術を修得すれば、自分の国を豊かにしょうだとか強い兵を持つ国にしようかではなく世界の平和に貢献していけるんだ。
 明治維新で開国するまでまだ2年もあるころ、国内は長州征伐だなんだともめていた時代に小楠は日本の将来を世界平和めざす国としてとらえていた。


 イラク戦争時に、ブッシュ大統領もこの「大義」と言い言葉を使いましたが、小楠の掲げる【大義】とは、180度違うように思います。
 不運にして強靭に倒れた小楠の「世界平和」の大義は、その親族の女性が世界軍縮会議へ直談判するための乗り込む行動「実学」として、受け継がれていたのではと思います。
 
 その小楠の思想は、維新時に多くの志士たちを奮い立たせました。海舟、龍馬、西郷隆盛、木戸孝允等々、「大政奉還」、「江戸開城」と進んで行きまました。
 そして、昨日の「肥後の猛婦たち」にゲストで参列頂いた、現横井家当主の横井和子氏は、ピアニストで教育者として戦前戦後と活躍され、現在88歳。昨日も、5曲を歓迎の気持ちと弾かれたのですが、参加者全員が感動していました。
 その最後の言葉にまた感銘を受けました。

「音楽は、成果共通のルール(音階)があります。そのルールを使うだけでなく、私は日本の心を込めて、音楽と言うものを広めたい。」

と、語られました。大阪教育大学名誉教授、大阪芸術大学教授など歴任され、多くの音楽を育ててこられました。国の根幹は、教育にあると思いますし、横井家の家庭教育の理念(精神)は、140年の時を越えた今でも、末裔に受け継がれていると感じる、昨日と今日の横井先生との時間でした。
 再来年は、横井小楠生誕200年。140年前に、世界(四海)に対して「平和・協調」を唱えた思想を、今後も学んで行きたいと思いました。

今日は、大分長くなりました。


追伸、横井小楠記念館「四時軒」は、熊本市東南部にあり、都心から車で25分閑静が住宅地と田園風景の境位置しています。全国各地から、年間4,000名を越える訪問者が絶えずあると聞きました。ぜひ、一度興味ある方は訪問して、遺品、書、偉人たちの言葉等々知ってもらえればと思います。
 刺客に襲われた時に使われた、「刃こぼれした短刀」も展示してあります。4年ほど前に書かれた本に、仮想維新内閣で、官房長官は「坂本龍馬」、総理大臣は「横井小楠」と
ありました。

・『四時の序、巧を成す者は去る』(史記)
 「四時の序」とは、春夏秋冬が移り変わること。春は春の役を終えれば夏にその地位を譲り、夏は夏でその役割を終えれば主役の座を秋に譲り渡して、自分の舞台に引っ込んで行く。人間もそうあるべきだ、と言う意味だそうです。

(注釈)
【尭舜】ぎょう‐しゅん
 尭と舜。徳をもって天下を治めた、中国古代の理想的帝王として並称される。
【孔子】こうし
 (クジとも) 中国、春秋時代の学者・思想家。儒家の祖。名は丘。字は仲尼(チユウジ)。魯の昌平郷陬邑(スウユウ)(山東省曲阜)に出生。尭・舜・文王・武王・周公らを尊崇し、古来の思想を大成、仁を理想の道徳とし、孝悌と忠恕とを以て理想を達成する根底とした。魯に仕えたが容れられず、諸国を歴遊して治国の道を説くこと十余年、用いられず、時世の非なるを見て教育と著述とに専念。その面目は言行録「論語」に窺われる。後世、文宣王・至聖文宣王と諡(オクリナ)。(前551前479)
【四海】し‐かい
 四方の海。よものうみ。謡、高砂「―波静かにて」
 (「四海の内」の意より) 天下。世界。国内。太平記一「これより―大きに乱れて」
 〔仏〕須弥山(シユミセン)をとりまく四方の外海。
【大義】たい‐ぎ
 重要な意義。大切な意味。
 人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 19:47Comments(0)偉人

「必要な時、必要な事が起る」マザー・テレサ、他

2007年10月25日

「必要な時、必要な事が起る」マザー・テレサ、他

 「偶然ですね」「ばったり会いますね」「奇遇ですね」「・・・」「・・・」
のような事を発する事がありますが、ふと思うと私のここ15年?の活動の中で、以外に偶然から事が起こったこと有りました。
 昨秋の異業種交流会「秋の会(望年会)」、今年の異業種交流会「秋の会」の講師もそうかもしれません。また、そこで新たな出会いがあるもの不思議です。

 昨秋の講師は、熊本県副知事の金澤和夫氏です。事の発端は、6年前の横井小楠塾の催しに、全国龍馬社中の副会長の平川氏参加され、その申し出は「熊本県央の龍馬会が無いから作らんね」でした。それから2年をかけて、龍馬ファンを探しをし、不知火龍馬会を発会し、九州龍馬社中に参加したときの金澤氏が居られました。
 はじめは、どこかの龍馬会の人と思っていたのですが、司会の紹介で熊本県副知事と分かり、そのポストを感じさせない人と語られる謙虚な゛姿勢゛に関しました。それ以来、何回か出会う中で、いつか交流会で話して欲しいと望んでいると・・・かなうものですね。
 昨秋の交流会は、龍馬会の仲間も参加され、時間を忘れ色々と遅くまで議論しました。

 「出会い」「一期一会」と、人がぶつかるエネルギーから、「事が起る」ことが多々有りますが、20世紀の聖人「マザー・テレサ」の生業には、何回も偶然が在ったと伝記に沢山出てきます。マザーは、瀕死の人の最後を見取り続けた人ですが、それによってどんな効果があったか、見返りがは何かと考えるとき、全てはゼロと言って良い。しかし、彼女はそれに献身した。その伝記のエピソードにあるのが、「必要な時に、必要なことが起る」と言うのです。
 お金が要るとき、賞が贈られ賞金が手に入った。薪が無いと思っていると、薪を寄付する人が現れたというのです。マザーは常に、「一人のために」を行動し続けた方です。

 また、河井隼雄氏の言葉を借りると、「一人の死に関わっているよりも、『社会』を変えることの方が大切ではないか、とおそらく誰もが考えることである。しかし、『一人の人の面倒をみる』ことに献身した彼女(マザー・テレサ)は、社会をも、世界おも動かす力を持つに至った。」
 一人で何が出来るかですが、マザーの言葉を借りると、身近にいる「一人の面倒をみる」ことで、人は自分の存在価値の確認し、「必要にされている」の感覚が大事ではと思います。

 現代人は、「替わりはいくらでも居る→人材バンク?」「情報格差→パソコン難民、ワーキングプア?」等々、日本の目指す「豊かさ」の次の目標はどこに在るのだろうかと考させられます。
 行き詰ったことに気付いた人たちが、人を元気にする言葉「あなたを必要としています」の妙薬で、周りに居る消沈する人を元気にして欲しいと願っています。

 マザー自身、色々なところへ出向き、現状を知らせる事を続けました。語る前に、あらゆる方法で「一人の命と向き合い続け、知らせ続けたこと」が周りに気付きを与え、行動を起させたと思います。それを考えると偶然を起こす要因に、人を感動させる行動が在るから支援の環がつながり、たまたま重なる事が在ったと思います。
 先達の訓示、「偶然は→必然」の思いを常に持ち、知人友人に思いを語り続ける事と、それを実行し続ける行動力が、人が集まり「偶然」を引き起こす力を生むように感じます。

 マザーテレサの偶然「奇跡」は、彼女の行動から生まれた事象(現象)のように感じるのは私ばかりだけではないと思います。論語の言葉にも、「まず行動して後に語る」とあります。
 また、司馬遼太郎氏の講演集の中に、大事業は最後が見えたら「適任」の渡すことも必要をありました。思いを持つ行動は、人を集める力を持つ、そこに偶然が生まれるように思います。

「必要な時必要な事が起る」エンルギー源は、身近な一人のために゛献身゛する心がけが原点のように思います。今日は、うだうだと長くなりましが、活気のある団体や会社を観察すると「妙薬」の言葉をタイミングよく使う「隠れた聖人」が居るように思います。
 妙薬「あなたを必要としています。」を、ここと言うときにぜひ試してみて下さい。

 明日(26日)は、「肥後の猛婦」のシンポジムでの、司会の大役で緊張していますが、来るものは受ける姿勢で、これからも積極的に偶然の出会いを楽しみに生きたいと思っています。

・「肥後の猛婦」のシンポジム
10月26日13:30~16:30(熊本市国際交流会館7階)、渡しもどんな話題になるかとても楽しみしています。
シンポジムの参加費は、無料です。お気軽にご参加下さい。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 23:41Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

いよいよ明日開催、「熊本の猛婦たち」への参加のお願い

2007年10月25日

いよいよ明日開催、「熊本の猛婦たち」への参加のお願い

明治の女性偉人の多くが、熊本の実学の影響を受けた人だったの「問い」から始まった、今回の企画です。
毎年、横井小楠をテーマに催しをして来ました。今回は、女性がてーまです。現代でも「男女参画社会」が浸透ししないと話題になる中、慣習厳しい明治・大正期に、社会改善の運動の身を投じ、奔走した女性が熊本から輩出したことをしり、多くの賛同を得て、開催します。
 今週月曜日の熊日朝刊にも紹介され、反響の大きさを感じています。多くを宣伝せず、偉人たちに興味にある方にも、はじめて方にも参加してもらい、偉人たちの功績を学び、現代の生活に活かしていただければ思います。

明日13:30~、熊本市国際交流会館6階ホールで開催します。
多くの企業のご支援のお蔭で、参加費は、無料で開催します。
沢山の参加をお待ちしています。



(熊本の文化)「熊本の猛婦たち」 日本女性の地位向上に貢献

女性の地位向上に貢献「熊本の猛婦たち」(大宅壮一)
~大義を四海に布かんのみ(横井小楠)~

「明治以後、婦人の自覚、独立、地位向上のために勇敢にたたかった婦人闘士の多くは熊本出身である」(大宅壮一「熊本の猛婦たち」『婦人公論』昭和34年2月号)

 50年前に書かれたものですが、その活躍した女性たちを検証すると、幕末の思想家・横井小楠の親族及び、高弟たちに関わる女性たちであることがわかりました。
・横井小楠と熊本の高弟たち
 徳富一敬、竹崎律次郎、矢島源助、長野濬平、内藤泰吉、嘉悦氏房、安場保和、山田武甫、横井左平太、横井大平

 女性たちの活躍の舞台は、教育界、平和運動、女性解放運動、作家活動、禁酒運動、女性民権運動等々、当時としては先見的な活動に関わっていました。一部紹介します。

竹崎順子(矢島家の長女、竹崎律次郎の夫人、教育者)
徳富久子(矢島家の次女、徳富蘇峰・蘆花の母、熊本女学校の創設者、禁酒運動家)
横井つせ子(矢島家の三女、横井小楠夫人)
横井玉子(横井左平太の妻、女子美術大学の創設者。教育者)
矢島楫子(矢島家の四女、禁酒、廃娼の婦人矯風会を創立。ワシントン軍縮会議
     に出席、平和の1万人署名を手渡すなど、国際的な女性解放、平和運動家)
海老名みや子(横井小楠・つせ子の長女、キリスト教連合婦人会会長。社会事業家)
湯浅初子(徳富蘇峰・蘆花の姉、社会運動家)
徳富愛子(徳富蘆花婦人、蘆花と作家活動(共作)「蘆花全集」)
久布白落実(徳富蘇峰、蘆花の姪。公娼制度の廃止、婦人参政権獲得に尽くし、
     売春防止法制定に貢献。社会運動家)
嘉悦孝子(横井小楠の高弟・嘉悦氏房の長女。嘉悦学園を設立。教育家)
河口愛子(小石川高等女学校、文華女子高校を設立。教育家)
高群逸枝(「母系制の研究」などの女性史研究家)

熊本出身の女性活動家の多くが、横井小楠を思想「実学」の理念を学んだ高弟たちの家系から輩出しています。

 また、実学の流れの中で、英学校、医学校が明治期草々に、設立されキリスト教の布教活動の発端と言われる「熊本バンド」も出来、ここから多くの偉人たちを出しました。同社大の創設者・新島譲も参加しています。

 一昨日、今話題なっている関東大震災後の都市計画を考案した後藤新平の妻は、安場保和の娘と言う事を井上智重(熊本日日新聞編集員)との対談で知りました。
 横井小楠は、明治維新に大きな影響を与え、勝海舟、坂本龍馬、松平駿嶽公の師であり、維新政府の政策にも大きな影響を与えています。

 大宅氏の「熊本の猛婦たち」(婦人公論)を読むと、女性たちは高い志と行動力を備え、男性たちの中で堂々と怯まず意見を述べ、仲間をつのりハツラツと活動してことがうかがえます。

 トルストイも感心させた横井小楠の実学の理念は、「平和」ではなかったのかなと私は思っています。甥の横井左平太と横井太平が、留学(洋行)する折に送られた有名な漢詩があります。

 作:横井小楠(慶応2年(1886年))
 尭舜孔子の道を明らかにし 
 西洋器械術を尽くす 
 何ぞ富国に止まらん 
 何ぞ強兵に止まらん 
 大義を四海に布かんのみ

 この理念が、小楠から高弟たち、そしてその家族、親族に広がり、明治期に熊本から多くに女性活動家を出した基になっていると思っています。
 来週、10月26日に熊本市で、上記の女性偉人たちを顕彰するシンポジムが開催されます。今年2月から準備進める中で、反響の高さを励みに進めて来ました。興味ある方はぜひ、ご参加下さい。

  シンポジウム「横井小楠と肥後の猛婦たち」
           記
 日 時  平成19年10月26日(金)
      13:30~16:30
 場 所  国際交流会館ホール(6階)
 参加費  無料
   <プログラム>
 メッセージ    潮谷義子(熊本県知事)
 特別ゲスト    横井和子(横井家現当主)
 パネリスト    緒方 惇(作家)            
          堤 克彦(横井小楠研究家、文学博士)
          中村青史(エッセイスト、文学博士)                   本田節子(作家)
 コーディネーター 井上智重(熊本日日新聞編集員)

 実行委員長    高宗昭敏(熊本横井小楠塾塾長、九州東海大学名誉教授)
  
 問い合わせ先 事務局 
 〒862-0913熊本市尾ノ上1丁目48-6リブズ菊池1F 
   環境共生施設研究所内 事務局長 野口修一(熊本横井小楠塾世話人 
   aande@lime.ocn.ne.jp

・「肥後の猛婦」シンポジウム
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2085745

「大義を四海に布かんのみ」
~大義(平和、共生)を世界へ広げるのみ~  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:42Comments(0)男女共同参画社会

木内信胤先生の語録、「現代の日本とは・・」

2007年10月24日

木内信胤先生の語録、「現代の日本とは・・」

 今日は、現在私が指導を受けているフューチャー500理事長の木内孝氏の父・木内信胤先生の晩年の言葉を紹介します。感銘を受けた言葉と感想を含めて書いてみました。ご一読下さい。


*木内信胤
 戦前の横浜決済銀行のヨーロッパ担当。ノーベル経済学賞のハイエク博士たちが創設した、自由経済の研究者が集まる「モンペルラン協会」会員。世界経済研究所理事長。戦後の吉田首相、池田首相、佐藤首相の経済顧問。
 父方祖父は、岩崎弥太郎。母方祖父は福沢諭吉、福沢諭吉の四女は母。



「人間は偉くても、堕落するものだから、その事が分かる様になっていなければならない。」(昭和60年12月12日 86歳)


(感想)色々な本を読む中で、考えて言葉短く指摘されていています。何時の世もリーダーの志が大事なのだと思います。



「この「大芝居」を見ながら、中にお入んなさい。
 自分の仲間と論じあいなさい。
 日本は、乱暴が聞くという事をご存じない。
 戦後の荒れた世の中を見ていると、思い切った事ができる。
 度胸がないと明日の事がわからない。
 分からないままでやる度胸をおつけなさい。
 目先の小さい事で分かる事をおやんなさい。
 それを続けていれば、道は開ける。
 理想がはっきり見える人なら、
 道筋が分からなくても良いのよ。」
 (平成元年5月9日 89歳)

(感想)
 思い切って、色々な分野に飛び込み、なんでも良いから始めなさい。そうすると道は見つかると言う教えと受け止めています。
 知識だけの詰め込みでもいけない、判断する見識だけでも足りない、行動が伴ってこそ知識は、陽明学の「知行合一」の理念に同じ。人間の意識で、目標とするところは、何時の時代も同じなのかもしれません。



「何故、起こったかが分からない人には、
 どうすれば良いかが分かる筈がない。
 何故、皆平気でいられるのか?というと、
 自分の分担を決めているからです。
 総合的見地で考えてる奴がいない。
 私は、総合的に考えてる珍しい人ですから、
 学問が人間の心を持ったものになれば良いんです。
 総合的態度が必要です。
 今の人は「そこは私の専門外だから分からない」という態度です。
 これが駄目なんです。」(平成4年4月14日 92歳)

(感想)
 私には、ドキッとする言葉です。建築の知識だけで考えることが多いことです。良い物を安く作ることばかりでは、成功(評価)しない。姉歯問題は、その代表的な事件で、安ければ良い、速く作れ、の逆効果が人の心をゆがめました。

 先日、水道工事店をする従兄弟が、市の水道局の「漏水」の呼び出しで出かけた。問題はある地区だけ水道が出ない。集まった専門業者6名で知恵をしぼり、対応策を考えると3日間で、本管のバイパスを作り300万円の費用がかかると結論。

 そこに来た事務職の経験しかない課長が、突然に「何か詰まっているのでは?、だめもとで水源に行こう」と言い出した。ところが、水源のタンクの中の皮膜が剥がれていた。それが、本管に流れ込み、官を詰まらせていたと言うのです。
 上水道の本管に、何か詰まると考える専門業者は、まず居ないと従兄弟が話していたのが印象的でした。結局、詰まった物を取り出すのは大変でしたが、6名の作業員で半日で終わったとの事です。組合で作業員が出ているで、人件費だけで済んだそうです。


 木内先生の言葉から、現代に必要な人財は、「総合的に考えてる(珍しい)人」なのかもしれません。


 昨年夏に、木内信胤語録があることを知り、惹き込まれるように全部を読み、今参考にさせてもらっています。

 インターネットで、「深沢賢治の世界」で検索されると行きつけます。一度検索して見てください。


*木内孝氏:元アメリカ三菱電機社長。アメリカで13年前に、「持続可能な社会を目指す」、企業家、研究者300人が集まりできたネットワーク「フューチャー500」のチェアマン。ハンブルグ生まれ。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 04:37Comments(0)偉人

周りを鼓舞するスピーチ:ケネディ大統領就任演説(の一部)

2007年10月23日

周りを鼓舞するスピーチ:ケネディ大統領就任演説(の一部)

ケネディ大統領就任演説(の一部)

 先週から落合信彦著「ケネディからの伝言」を読んでいることもあるのですが、素晴らしい言葉は、再度読んでもらうのも良いかと考えて、日記に載せて行こうと思います。今日は、ケネディ大統領就任演説の一部です。


 ケネディ氏は、就任演説の中で、先ず世界の国々との関係のことを述べ、ソ連との共存の方向を示し、最後に国民に呼びかけます。その後半の抜粋を、落合信彦氏の「ケネディからの伝言」から紹介します。


ジョン・F・ケネディ氏の大統領就任演説(の一部)

「・・・建国以来、アメリカ国民は各世代ごとに祖国に対する中世をその行動で示すこを要請された。その要請に応えた若きアメリカ人たちの墓標は、世界を取り巻いている。

 今またトランペットがわれわれを呼んでいる。武器は必要としてもそれは武器をとれという呼びかけでなく、抗争の真っ只中にあろうとも戦闘への呼びかけでもない。それは行く年、来る年、゛望みの中に喜び、艱難の中に耐える゛長い夜明け前の戦い―独裁、病、貧困、そして戦争など全人類共通の敵に対する戦いのための重荷を背負えとの呼びかけである。

 これからの敵に対して北も南も東も西も含めた世界的な同盟を結ぼうではないか。全人類にとって、より実り多い生活を保障するための一大同盟の結成である。この歴史的努力に参加していただけるだろうか?
 長い世界の歴史の中で、自由というものが最大の危険にさらされているとき、それを守る役割を授けられた世代はごく少なかった。・・・(中略)・・・

 この一大事業にそそぐ我々のエネルギー、信念、献身こそが祖国とそれに仕えるすべての者たちに灯をともし、その火から発する輝きが真に世界を照らすことになるのである。

 故にわが同胞アメリカ国民よ、国家があなた方のために何をするかではなく、あなた方が国家のために何ができるかを問うてもらいたい。
 わが世界の同胞よ、アメリカがあなた方に何をするかでなはなく、共に人間の自由のために何ができるかを問うてもらいたい。

 最後に、あなた方がアメリカ市民であろうと世界の市民であろうと、われわれがあなた方に求めると同じ高い水準の強さと犠牲を、われわれにも求めてもらいたい。

 安らかな良心を唯一の確かな報酬として、歴史をわれわれの行動の究極の審判となし、神の恵みと助けを求めながらも、この地上では神のみわざはわれわれ自身の所業でなければならないことを心に刻みつつ、愛する祖国を導き前進して行こうではないか。」


 上記のスピーチが終わった瞬間に、アメリカの空気が変ったと言います。人々の顔つきまで変わり、未知なるニューフロンティアへ向けた行動が始まりました。ひとつのスピーチが、国家と国民を変えてしっまたと言われています。
 言葉の暴力で消沈させる敵対関係になるよりも、周りを鼓舞するスピーチを現代のリーダーに望みたいものです。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:10Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

「節義廉恥」、本物は感化し環境を創る

2007年10月23日

「節義廉恥」、本物は感化し環境を創る

 西郷隆盛の「敬天愛人」の博愛の精神は、私利私欲を抑え、高い視点と先見力にあると思います。

「節度を守って正義を重んずる心。恥を知る心。すなわち『節義廉恥』の心。これを失ったら最後、国を守る方法は全くなくなります。
 おのれの甚だしい欲望を満たすために悪を働くことを、人として゛最大の恥゛だと認識する」
~西郷南州遺訓より


 また、安岡正篤先生の本にも「節義」のことが説かれています。その前に、孟子の教えを一つ、

「為さざるあるなり、而(しこう)して後、以って為すあるべし」(「孟子」)

世の中がどうあろうと自分は、こういうことはしないのだというのが、「為さざるありなり」です。だらしのない人間の欲望や興味にまかせる生活に一つの締めくくりを与えること、節をつけること。そこで人間に「道」と言うものができる。これを義という。これを結んで、「節義」と言います。~安岡正篤「一日一言」~


 人は、環境により育つと言いますが、よの移り変わりの激しさに目を奪われ、環境の影響力を過信することが多々ありますが、現実は移り変わりの中で、一時期の威力は消えて行きます。
 しかし、存在感のある人は、世の中がどうあろうと、技術革新が進歩しようと、人の生業の本質は変らないので、本物は世がどうなろうと影響を与え続けます。西郷南州翁しかり、安岡正篤先生しかりです。
 だから、人間は偉大であるほど、立派な環境を作るのです。人間ができていないと環境に支配されてしまいます。

 周りに左右されないように、いつも自分の行動を軌道修正する心を育てるには、志を持ち「自分」を持つ師友が必要と思います。目標とする師、喧々諤々の意見を言い合える友人、知人。仲間とは良きものですが、べったりとした関係は、視野を狭めることにつながることが多々あります。
 「君子の交わりは、淡交が良い」と、故事に何度の出てきます。自己を持ち、日々向上心を持つこと、分野は違えど向上心を持つ現代の志士たちと、語り合える場を持てるとを願っています。この日記もその一つで、良き友人、良き師と会える糸口と考えています。 駄文、愚問の多いと自分で思いつつも、書き続けて皆様と意見が交わせればと思っています。

「節義廉恥」の心を忘れずに、楽しい仲間と語り続ける日々であること願っています。   

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:26Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

薩摩軍の敗走ルートと馬見原修景事業 

2007年10月22日

薩摩軍の敗走ルートと馬見原修景事業 

 昨年夏から取り組んでいる、熊本県山都町馬見原地区の修景事業も、完成まで残すところ後半年になり、最後の12軒のまちづくり審議会への提出資料を準備しています。
 これまで、18軒の認可が下り、これから6棟の工事が進行しています。写真は、18年度の認可事業で手がけた、旅館「熊野屋」の外装の改修です。
 たまには、建築の話題もないと、ノグチは仕事してるのと言われるので、自前の仕事の話題です。


・薩摩軍の敗走ルート「霧立越え」

 最近、山都町馬見原地区は、西南戦争の薩摩軍の敗走ルートと言うことで、地元紙にその検証作業をやっている様子、シンポジム等々毎日載っていますが、維新後の武士たちの最後の抵抗ともとれる「西南戦争」から、130年が経ち、明治維新の評価を検証することが始まっているように思います。

 今年5月に、薩摩軍の敗走ルート「霧立越え」調査開始から10周年のシンポジムに参加したのですが、熊本の武士も沢山参加した史実もしり、西南戦争の一番の激戦地となった、田原坂、熊本城も含め、色々ところで戦闘が有ったことをあらためて知らされました。
 山都町の旧矢部地区には、「西郷隆盛を中心に軍議が開かれた」商家とか、途中の村々には、今だの亡くなって武士を祀る墓が点在しているとか知りました。
 当時の薩摩軍の熊本隊のリーダーの一人「佐々友房」の子孫で、現崇城大学(旧熊本工業大学)学長の中山峰夫氏(旧姓、佐々)と、数ヶ月前に西南戦争を語る機会があったのですが、敗走ルートのことは詳しくご存知でなく、「これから、検証が進んでいくのでは」と来たい寄せておられるようでした。

 維新の英雄、西郷隆盛の「西郷南州遺訓」に時々を通す中で、いかに「私利私欲」をすて、公のことに視点を全て向けて生きた人だと知らされます。維新回天の立役者で、悲運の最期を遂げた西郷隆盛は、やはり九州を代表する偉人の一人と思っています。 


・最近の馬見原地区
 馬見原地区は、九州山地の麓に位置し、かつては交通の要所として栄えた。今は、熊本ー延岡、阿蘇ー椎葉・人吉ルートの位置し、交通量の多い地区でもあります。冬は、最南端のスキー場「五ヶ瀬ハイランドスキー場」の入り口として、夏は登山客の宿泊地として脚光を浴びています。
 今回の町並み修景事業は、明治・大正期、昭和初期の風情を取り戻そうと、白壁づくりの町並みにと、10年前にまちづくり協議会を立ち上げ、100名近い町の有志が学び、他地区の見学等で育て構想して来たまちづくりです。
 昨夏から私も関わり、地区の歴史、文化にふれながら仕事続けています。

 かつて、若山牧水に「馬見原は、いとシャレタ街だ」と言わしめた風情に近づけるように、経験と人的ネットワークを使い、微力ながら完成へ奔走しています。
 来年3月には、30棟近い建物が、完成しますのでお近くにお越しの時は、ぜひ「馬見原」へお立ち寄り下さい。
 もう直ぐ紅葉季節です。完成間近の町並み路とすばらしい九州山地の自然を眺めに来てください。
















  

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:09Comments(0)まちづくり

日々の仕事こそ「計画と検証」、「男性は弱虫、女性が強虫」

2007年10月21日

日々の仕事こそ「計画と検証」、「男性は弱虫、女性が強虫」

 10月後半は、仕事といくつかの催しが重なり、常に頭の中は日程と、進行状況をチェック
し、無駄な時間をいかに少なくし、人と会話する時間をどう確保するか、訓練の場になってい
ます。

 良く、忙しい人の用事を頼めと言いますが、「連絡、確認、読み(先見力)、多様な人材の
活用」が上手と感じる人がいます。見習うことが多いのですが、時間と人材をどう使うか常に、
どんな場面にも対応できる連携が、思考も含め多様であるのだと思います。

 そして、迅速で確実、そして不慮変化に対応できる適応力、師の一人が「日々工夫」と何か
につけ説きます。日課にしている、コミュ「菜根譚」の今日の一節に、下記の言葉がありました。


「物事は慎重に期せ」(菜根譚)

 修行するときは、金を鍛錬するときように、じっくり時間をかけてなかればならない。速成
では、どうしても底が浅くなる。
 事業をはじめるときは、重い石弓を発射するときのように、いやがうえにも慎重を期さねば
ならない。あわてて初めたのでは、大きな成果は得られない。

(解説)
 むろん人間は生まれつきの素質に違いのあることは認めざるおえないが、その素質を開花さ
せるかどうかは、その後の努力にかかっている。「二十歳過ぎれば只の人」ではあまりにも寂
しいではないか。また、仕事の成果を上げるためには、しっかりした見通しを立て、万全の準
備をしてとりかかる必要があることは言うまでもない。

(感想)
 慎重すぎて、事を起こさずも困りますが、焦りから始める事業はなかなかうまく行かないよ
うに思います。日ごろの情報収集と研鑽、そして人との交流が大事なように感じています。


 今週は、仕事の重要な会議(まちづくり審議会)と、「横井小楠と肥後の猛婦人たち」のシ
ンポジウム開催、無い知恵と少ない人脈を使って、どうにか切り抜けて行きたいと思います。
そのシンポジウムのコーディネーター予定の方から、担当する思いを綴った素敵言葉が届きま
した。ご紹介します。


「肥後の猛婦たち」コーディネーターの開催の呼びかけ

 新藤兼人監督に「強虫女と弱虫男」という映画があった。もう40年も前の作で、乙羽信子と
殿山泰司が演じ、筑豊の炭鉱も出てきたように思う。
 肥後の猛婦が今回のテーマだが、基本的には男性は弱虫で、女性が強虫にならざるを得ない
のは、時代を超え、地域を越えた心理ではないかと、と思っている。
 新しい時代をつろうとした実学党の男たちも、結構甘ったれで、いくじがなく、それでいな
がら威張り、酔狂をまわし、女たちは目覚めざるを得なかった面もあったろう。しかし、猛婦
といわれる矢嶋楫子にしろ、嘉悦孝子にしろ、高群逸枝にしてもチャーミングなところがあり、
母性的なのである。
 とわいえ、大宅壮一によって「肥後の猛婦」がいわれたのは、1959年、ミッチーブームのこ
ろである。半世紀近い前のことである。女性たちの周辺もずいぶん変っている。
 今回は雇われコーディネーターである。真のコーディネーターは、横井小楠の顕彰に精力的
に尽くされている高宗昭敏氏である。四人のパネリストに自由闊達に論じ合ってもらおうと思
っている。参加者と一緒にそれを楽しみたい。

肥後の女性の配偶者である  熊本日日新聞社編集委員 井上智重

・「肥後の猛婦たち」
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2085745 
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:57Comments(0)マイライフ

出会いで成長「坂本龍馬の志」

2007年10月21日

出会いで成長「坂本龍馬の志」

 坂本龍馬をこよなく信望する「不知火龍馬会」で、龍馬の精神を学ぶ学習会が開催されました。私も会員で、今回は龍馬の師・横井小楠を顕彰する「くまもと横井小楠塾」の高宗昭敏塾長の講話を聞きました。

 高宗先生は、「龍馬は、少年時代の不遇の試練が、活躍躍進の力になった。現代を救うリーダーも、既存集団からでなく、混沌の中から力を貯め飛び出て来る。その志を育てるには、強烈な個性との出会いが重要。更に個々の志を共創(場つくり)させ、高める世話人が必要で、幕末では坂本竜馬がその役目を果たした。」と語られました。

 各地域にも、世話役・調整役が居るもですが、この世話役人が、既存リーダーを凌ぐ知識と胆力を持ち、命の限り出会いを求め、行動し続ける精神力と支援者を持ったとき、大きな影響力を持ちます。維新前夜、坂本竜馬の最大の出会いは、勝海舟だったと思います。実質二年の教授で開眼、世界に視野が広がり、更に横井小楠、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎の倜戃不羈(てきとうふき)の人物との出会いで、更に飛躍して行くことができました。

 幕末の陽明学者・山田方谷が、弟子の河井継之助に「周りに師が居なければ、全国の師に学べ、それでも居なければ、歴史の偉人に学べ」訓示したと言います。人の志と徳を萌芽成長させるのは、高い志の人物や歴史の偉人との出会いが必要と学びました。

 月一回、私の主催する「(熊本市の)上通りでの学生講座」では、学生たちと一緒に偉人を顕彰し、目標を育てる学習会をしながら、私自身も実践して行きたいと考えています。

上通り学生講座 毎月第3土曜日19:30~(2時間程度)


「お知らせ」∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

・不知火龍馬会コミュニティ
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=773071

・今の時代を考えるコミュニティ
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=1217119
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 17:23Comments(0) 異業種交流会・講演会

四十、五十にして聞こゆるなきは、畏るるに足らざるのみ

2007年10月21日

安岡正篤「一日一言」より

・四十、五十にして聞こゆるなきは、畏るるに足らざるのみ

 世間的にはさして地位や名声がなくても、いわゆる名士・有名人でなくても、自らその環境の中で名が聞こえてこない、おるやおらぬのやらさっぱりわからない、お前おったのか、というようなことでははつまらない。少しできた人間ならば世間は都も書く、すくなくともその仲間環境の中には必ず聞こえるものだ。
「四十、五十にして聞こゆるなきは、畏るるに足らざるのみ」というのはそういう意味だと解釈しても、私は少しも差し支えないと思う。

 名を天下に馳せるなどということはあえて自ら欲すべきことではない。場合によっては親戚・縁者だけの間でもよい。いい叔父さんだよと言われるだけでよろしい。
 大小は問わずどこかでやっぱり聞こえなければ、四十、五十になった値打ちはない。いい年をして、世間に出ても人からいやがられ、家の帰っても女房・子供からいやがられる、そんなことでは人間ダメである。

(感想)
 やはり、自分さえ良ければ良いの生活態度では、なかなか世間の評価は難しいと感じます。東大の篠原一先生の書かれた「市民の政治学」の中に、仕事には3つ有る。収入を得る「労働」、現代の社会を支える有償・無償のボランチィアの「仕事」、未来世代のためめに働き見返り求めない「活動」がある。これをバランスよく行うのが大人とありました。
 何処に比率を多くするかが評価に現れるように感じます。皆さんの生活を少し、この視点でキャリアを検証してみると良いのかもしれません。

 自分で宣伝して回ることは必要ないですが、「四十、五十にして聞こゆるなきは(畏るるに足らざるのみ)」と言われないような、大人として仕事には3つのバランスを自分の出来る範囲でやってみるのも重要な人生の選択と思います。自分の評価は、自分で出来るのでなく周りの人々の信頼の大きさによるのだと思います。

 私自身どうかと考える安岡先生の「一日一言」でした。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 17:21Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

「肥後の猛婦たち」コーディネーターの開催の呼びかけ

2007年10月21日

「肥後の猛婦たち」コーディネーターの開催の呼びかけ

 新藤兼人監督に「強虫女と弱虫男」という映画があった。もう40年も前の作で、乙羽信子ろ殿山泰司が演じ、筑豊の炭鉱も出てきたように思う。
 肥後の猛婦が今回のテーマだが、基本的には男性は弱虫で、女性が強虫にならざるを得ないのは、時代を超え、地域を越えた心理ではないかと、と思っている。
 新しい時代をつろうとした実学党の男たちも、結構甘ったれで、いくじがなく、それでいながら威張り、酔狂をまわし、女たちは目覚めざるを得なかった面もあったろう。しかし、猛婦といわれる矢嶋楫子にしろ、嘉悦孝子にしろ、高群逸枝にしてもチャーミングなところがあり、母性的なのである。
 とわいえ、大宅壮一によって「肥後の猛婦」がいわれたのは、1959年、ミッチーブームのころである。半世紀近い前のことである。女性たちの周辺もずいぶん変っている。
 今回は雇われコーディネーターである。真のコーディネーターは、横井小楠の顕彰に精力的に尽くされている高宗昭敏氏である。四人のパネリストに自由闊達に論じ合ってもらおうと思っている。参加者と一緒にそれを楽しみたい。

       肥後の女性の配偶者である  熊本日日新聞社編集委員 井上知重


 シンポジウム「横井小楠と肥後の猛婦たち」
            記
 日 時  平成19年10月26日(金)
      13:30~16:30
 場 所  国際交流会館ホール(6階)
 参加費  無料
  
 メッセージ    潮谷義子(熊本県知事)
 特別ゲスト    横井和子(横井家現当主)
 パネリスト    緒方 惇(作家)
          堤 克彦(横井小楠研究家、文学博士)
          中村青史(エッセイスト、文学博士)
          本田節子(作家)
 コーディネーター 井上智重(熊本日日新聞編集員)

 実行委員長    高宗昭敏(熊本横井小楠塾塾長、九州東海大学名誉教授)
  
 問い合わせ先 事務局 
 〒862-0913熊本市尾ノ上1丁目48-6リブズ菊池1F
   環境共生施設研究所内  事務局長 野口修一 aande@lime.ocn.ne.jp  

Posted by ノグチ(noguchi) at 16:45Comments(0)男女共同参画社会

「あきれる」小中の教員35人が給食費未納 (東京・府中)

2007年10月21日

「あきれる」小中の教員35人が給食費未納 (東京・府中)
~訓導して厳ならざる師の惰(おこた)りなり~


 「教員35人が給食費未納」、教育現場はここまで凋落したかと思います。このことは、いずれは子供たちにも分かることを考えないのか。それより、君子は独り居る時には「慎む」の教えしているのに、子供たちに何と言い訳をするのでしょうか?


■小中の教員35人が給食費未納 毎日新聞 - (10月20日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=320756&media_id=2

>保護者の給食費未納が全国的に問題化しているだけに、市教委学務保険課の田中陽子課長は「今後臨時の校長会を開き、全教員に再発防止を指導する」と話している。

<故事>『古文真宝』より

「子を養いて教えざるは父の過ちなり。訓導して厳ならざる師の惰(おこた)りなり」

 現代の通弊を鋭く衝いているように思われる。教師にもっと毅然とした姿勢があって欲しい。

 また、リーダーが身勝手な言動を慎み、率先精励すること。(中略)


 最近まで、PTA役員をしていたのですが、大きな問題の一つに給食費未納の家庭のあることでした。懸命に、知人や友人介して、給食費の納入を促し続けていました。現実の厳しい家計のところは、本当に苦しい家も有ります。
 まして、給食は教育の一環と、文科省が、最近強く協調しているのに、教職員は、定期的に給与が入るのに、末端の教員の見苦しい姿勢に地域は、怒っていることと思います。

 昨日の西郷隆盛の「道」を求道し続ける理念などは、この給食費未納教師の頭には、「私利」だけが見え隠れする気がします。
 最近は、「教員」は居るが、「教師」が居ないと、論語を一緒に学ぶ元高校校長の言葉を思い出します。
 みなさんの今回の未納問題について、色々意見を頂ければ幸いです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:41Comments(0)教育問題

毎日続く、生徒の自殺、いじめ事件

2007年10月20日

毎日続く、生徒の自殺、いじめ事件編集する 2006年10月30日09:40  毎日続く、小中学校生徒の自殺、いじめ事件。とても心が痛みます。子供たちの心を聞いてくれるところは無いのだろうか?我が子も、高校生、中学生で、他人事ではない。

「他人事ではない!」と言う気持ちが、保護者や地域の人たちにどれだけあるだろうか?

「我が子でないから、他の地域のことだから、日本には色々事件があるね。・・世界の貧困は直らないな」等々、感心の範囲は広がり薄れて行く。果たしてそれで良いだろうか?

 社会を良くするのは、「人々の思いがつながって連携ができ、事件を良くちようとする気づかい起こる」と何かの本で読みました。

「熊本の事件」
 熊本でも先月、校内で刃物を使って生徒同士が喧嘩して、大けがを下事件があったのですが、即保護者と地域が連携して、対応したことが大きな混乱を招かなかった。この事件を大きくかき回したのはテレビ取材であったと、友人の保護者が話してくれた。

 夜、玄関の戸をたたく音があり、出てみるとマイクを突き出し、事件について聞くテレビ取材班、事件当日の夜は酷く、帰宅の生徒や地域の方への配慮も人権もあったものではなかったと聞きました。
 事件を起こした生徒は、小さな地域エリアの同級生、このような事件は、報道をそんなにワイドショー的にやって良いのだろうかと感じた話していました。

「報道から、子供たちの心を守る保護者の連携」
 事件の次の日から、生徒全員を保護者が学校まで送迎することが、どこから発案されたのは定かでないですが、テレビ、新聞等のインタビューを生徒が受けたことで、回りの生徒から冷やかしや嫌がらせが事件当日あったと聞き、親たちが心の動揺を心配して、送り迎えをすることが、保護者全員が一丸になってやった。

 数日すると、地域全体でもその取り組みが理解され、報道が収まったと言います。この行動から、子供たちは次に地域を担う人財であることを大人たちが認識していること、それにくらべ日本の社会を担う存在である中学生の心の教育を考えない、テレビ報道の配慮の無さを情けなく思うばかりです。

 さて、学校の生徒と保護者の連携についてですが、上記の中学校の管理職も先生もPTAも地域の方も非常に連携ができ、事件後の生徒の心のケア、対外への説明責任をてきぱきと対応してことで、騒動にならずに治まったと言います。地域協働の学校づくりができていたことが良かったのではと思います。

「危機管理は、日常の心構え」
 危機管理、あるいは思いもよらぬ出来事に、動揺せず長期の視点と、緊迫する目の前の処理を的確に思考できる人材の育成が、職場で為されているか、あるいは個人が意識しているかにかかっているかと思います。
 友人が以前、そのような状況にあるとき、訪ねると落ち着いた様子で、淡々と語り、対応をしていたことを思い出す。「私も色々と経験をして来たから」と一言、その時に私から「菜根譚と言う本を知っているか」聞くと、「学生時代から知っていて、たまに読むことがある」と語ってくれた。要は、日常からの心構えの近いではと感じたことを思い出す。

 現在の教育現場は、あまりにも上部から指令(管理)が進み、身動きが取れない分、考えない教職員がいるのではと思います。企業では、「戦略的思考」と言う考えを徹底しているところなどは、良い面(現場)は当たり前ですが、危機的な状況下でどうするかの視点を忘れず日常の業務で考えさせている。この違いは、とても大きいと思います。
 なんでも自分で考え判断し対応できる教師(人物)に、自分で育てるしかないのかもしれません。

「命を第一に、生徒と話すことが最重要項目」
 願いは、子供たちの心と努めて時間を作り、一人ひとりと語る時間を持って欲しいと思います。そして、教師自身が率先垂範で、生きるとは何か示して欲しい、よの厳しさを含めて心を開き語る時間を、教育現場に持てるゆとりが本当のゆとり教育ではないかと思います。
 心を病んでいる子供たちの心と親も、教師も、地域も静かに聴く時間を作る努力をお願いします。
 亡くなった生徒のご冥福を願い、そして早く家族、学校、地域が語り心を開き、二度と同様の事件を起こさない連携が生まれること願っています。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:58Comments(0)教育問題

真心込めた仕事は「心の利益」を得られる

2007年10月19日

真心込めた仕事は「心の利益」を得られる
~無事は有事のごとく、有事は無事ごとく~

 日々の仕事は、自分の思いだけでは動かないことが多々有ります。今日も、予定外の電話、スケジュールにない打ち合わせ、日々工夫と師が良く言いますが、仕事中に考え、学ぶことことの多さを感じます。

 さて、維新の英雄と言えば、九州の誇り「西郷隆盛」が居ます。明治6年に国の役を離れた後、維新戦争の時に敵として戦った庄内藩の元藩士が、西郷隆盛に「生き方」学びに、薩摩に出向き記したのが「西郷南州遺訓」で、今でも広く読まれています。その一節に「仕事」についての訓話がありました。一部を紹介します。


「至誠」~西郷南州遺訓より~
 人の為す仕事にあって、天下後世まで人々に厚く敬崇され、感動をいつまでも与えられるのは、ただ一つの条件を満たした仕事なのです。
 すなわち、為した人の純粋な真心が込められているか否か、です。

 為し遂げた仕事によって財を得たいとか名声を得たいとか、そんな俗な私利私欲をわずかでも持たない。ただひたすら、その仕事を「天から与えられた使命」と信じて、世間的な損得を度外視して、こつこつ努力をする。
 そうした結果こそが、あらゆる人々の心の共感を呼び、尊敬を受けるのです。(中略)

 実際には、一文の金を生まぬような仕事であったとしてもそこに誠心誠意の真心があったならば、それだけで人々は大きな感動を得るのです。カネに替えられぬ゛心の利益゛を得られるのです。(中略)


 真理を尽いた言葉は、いつの時代も人の心を捉えると感じます。西郷隆盛は、儒学から、陽明学に傾斜し、更に色々な分野の学問、宗教を学び、「大吾(悟り)」したのではないかと思います。
 陽明学の祖、王陽明は、辺境地に左遷され、生きるか死ぬかの環境でも、自分自身は学問を深め、辺境地の人々へ教え続けました。吉田松陰は、居る場所を楽園のように学び合いをして、生きる喜びを周りに人へ伝えたと知りました。
 学びあうことの楽しさが在れば、仕事の真剣みが出てくるものと思います。王陽明は、日々の仕事の中で、自分を高めることができる「事上磨練」と言う考えに至ります。西郷隆盛も、日常の仕事に真心を込めることを強く示唆しています。

「カネに替えられぬ゛心の利益゛を得られる」

すばらしい理念と思いますが、一般の人々は様々な欲としがらみの中で、私も含めそこまでの境地には至りません。
 これから、南州公の訓示を常に唱えながら、少しでも近づけるように、日々の行動を反省しつつ、常に心を込めて生活をしたいものです。南州公の「至誠」の項の締め言葉が有ります。

「厚き誠心誠意の心をもって、仕事に対する純粋な真心を源にして、そうして為し遂げた仕事こそが、人々に何時いつまでも語り継がれる仕事なのである」

 この言動一致こそが、「知行合一」の理念と思います。心と身体(行動)が一致するが「大吾」なのかもしれません。現代人には、大分道のりは遠く、行き着くことの出来ない領域のように思います。生きるとは、苦学の道なのかもしれません。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:55Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

シンポジム「横井小楠と肥後の猛婦たち」10月26日

2007年10月19日

シンポジム「横井小楠と肥後の猛婦たち」10月26日

女性の地位向上に貢献「熊本の猛婦たち」
~大義を四海に布かんのみ(横井小楠)~

「明治以後、婦人の自覚、独立、地位向上のために勇敢にたたかった婦人闘士の多くは熊本出身である」(大宅壮一「熊本の猛婦たち」『婦人公論』昭和34年2月号)

 50年前に書かれたものですが、その活躍した女性たちを検証すると、幕末の思想家・横井小楠の親族及び、高弟たちに関わる女性たちであることがわかりました。
・横井小楠と熊本の高弟たち
 徳富一敬、竹崎律次郎、矢島源助、長野濬平、内藤泰吉、嘉悦氏房、安場保和、山田武甫、横井左平太、横井大平

 女性たちの活躍の舞台は、教育界、平和運動、女性解放運動、作家活動、禁酒運動、女性民権運動等々、当時としては先見的な活動に関わっていました。一部紹介します。

竹崎順子(矢島家の長女、竹崎律次郎の夫人、教育者)
徳富久子(矢島家の次女、徳富蘇峰・蘆花の母、熊本女学校の創設者、禁酒運動家)
横井つせ子(矢島家の三女、横井小楠夫人)
横井玉子(横井左平太の妻、女子美術大学の創設者。教育者)
矢島楫子(矢島家の四女、禁酒、廃娼の婦人矯風会を創立。ワシントン軍縮会議
   に出席、平和の1万人署名を手渡すなど、国際的な女性解放、平和運動家)
海老名みや子(横井小楠・つせ子の長女、キリスト教連合婦人会会長。社会事業家)
湯浅初子(徳富蘇峰・蘆花の姉、社会運動家)
徳富愛子(徳富蘆花婦人、蘆花と作家活動(共作)「蘆花全集」)
久布白落実(徳富蘇峰、蘆花の姪。公娼制度の廃止、婦人参政権獲得に尽し、
     売春防止法制定に貢献。社会運動家)
嘉悦孝子(横井小楠の高弟・嘉悦氏房の長女。嘉悦学園を設立。教育家)
河口愛子(小石川高等女学校、文華女子高校を設立。教育家)
高群逸枝(「母系制の研究」などの女性史研究家)

熊本出身の女性活動家の多くが、横井小楠を思想「実学」の理念を学んだ高弟たちの家系から輩出しています。

 また、実学の流れの中で、英学校、医学校が明治期草々に、設立されキリスト教の布教活動の発端と言われる「熊本バンド」も出来、ここから多くの偉人たちを出しました。同社大の創設者・新島譲も参加しています。

 一昨日、今話題なっている関東大震災後の都市計画を考案した後藤新平の妻は、安場保和の娘と言う事を井上智重(熊本日日新聞編集員)との対談で知りました。
 横井小楠は、明治維新に大きな影響を与え、勝海舟、坂本龍馬、松平駿嶽公の師であり、維新政府の政策にも大きな影響を与えています。

 大宅氏の「熊本の猛婦たち」(婦人公論)を読むと、女性たちは高い志と行動力を備え、男性たちの中で堂々と怯まず意見を述べ、仲間をつのりハツラツと活動してことがうかがえます。

 トルストイも感心させた横井小楠の実学の理念は、「平和」ではなかったのかなと私は思っています。甥の横井左平太と横井太平が、留学(洋行)する折に送られた有名な漢詩があります。

 作:横井小楠(慶応2年(1886年))
 尭舜孔子の道を明らかにし 
 西洋器械術を尽くす 
 何ぞ富国に止まらん 
 何ぞ強兵に止まらん 
 大義を四海に布かんのみ

 この理念が、小楠から高弟たち、そしてその家族、親族に広がり、明治期に熊本から多くに女性活動家を出した基になっていると思っています。
 来週、10月26日に熊本市で、上記の女性偉人たちを顕彰するシンポジムが開催されます。今年2月から準備進める中で、反響の高さを励みに進めて来ました。興味ある方はぜひ、ご参加下さい。

  シンポジウム「横井小楠と肥後の猛婦たち」
           記
 日 時  平成19年10月26日(金)
      13:30~16:30
 場 所  国際交流会館ホール(6階)
 参加費  無料
   <プログラム>
 メッセージ    潮谷義子(熊本県知事)
 特別ゲスト    横井和子(横井家現当主)
 パネリスト    緒方 惇(作家)
          堤 克彦(横井小楠研究家、文学博士)
          中村青史(エッセイスト、文学博士)
          本田節子(作家)
 コーディネーター 井上智重(熊本日日新聞編集員)

 実行委員長    高宗昭敏(熊本横井小楠塾塾長、九州東海大学名誉教授)
  
 問い合わせ先 事務局 
 〒862-0913熊本市尾ノ上1丁目48-6リブズ菊池1F 
    環境共生施設研究所内 事務局長 野口修一 
    aande@lime.ocn.ne.jp

「大義を四海に布かんのみ」
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:03Comments(0)男女共同参画社会