<夏の日課>限りなく続く夏の草刈り作業は、汚れ汗だくの作業だが、終わると笑顔になる。なぜだろう?

2021年04月29日

<夏の日課>限りなく続く夏の草刈り作業は、汚れ汗だくの作業だが、終わると笑顔になる。なぜだろう?

久しぶりの雨、家の周りの草木が生き返ったように見えます。4月に入り、田畑の草刈りが始まり、やっと家の周りの雑草切りがほぼ終わり、次は離れた元みかん畑の草刈り、その次は昨年から奮闘している山林への山道の草刈り、ほかの畑も、と続きます。これを年に4回やるのが、私の夏の夕方の仕事です。最近は、イノシシも出没するので、雑草切りはサボれなくなりました。ちょっとサボると、イノシシの集まる場所化してしまいます。夏は鍛えられるシーズンです。(笑)

夏草や 兵どもの 夢の跡

は、松尾芭蕉の名句ですが、戦いで踏み固められ平地になった場所も時間が経つと草が生え、木々がも生える。特に雨の後は、生き生きとなる。自然の摂理のなさる技としては思います。

江戸期の庶民に読まれた『菜根譚』の著者とされる洪自誠の訓示の一つが以下です。

「清いものは常に汚れたものの中から生まれ出で、光輝くものは常に暗闇の中から生まれ出でる」

日本人にはよく知られる諺にもなっています。

蓮は泥沼の土の中から水面へ出てきれいな花を咲かせる。

暗闇の部屋に小さな隙間から差し込む光は、外の風景を壁に映し出す。

逆に、奢れるものは久しからず、光陰矢の如し、人生とは短い。

この今生きる瞬間を大切に生きなければ、光どころか、闇から逃れられ無い。

私にとっての草刈りは、日々の苦痛なのかもしれないですが、切り払った後の風景を見ると、"スカッ!"とする気分になる。やはり私は、百姓の子孫なのだろう、とその時に思います。

父も、祖父も、曽祖父も、そのまた前の祖先も同じことを続けて来た。草刈りからは、逃れられないが、日々の達成感は味わっています。これこそが、闇の中に光を感じる気持ち、達成感であり、先祖の感謝する気持ちだと思います。

支離滅裂の文になりました。夏草に負けないように頑張ります。特にゴールデンウィークは、頑張りどころです。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 17:21Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他マイライフ

<人生はひとりの人との出会いから>古今東西の英雄哲人碩学賢師との出会い?〜人生は出会いで決まる〜

2021年04月29日

<人生はひとりの人との出会いから>古今東西の英雄哲人碩学賢師との出会い?〜人生は出会いで決まる〜

尊い人:英雄
教学:哲人・碩学(せきがく)・賢師

先人は、生きている間に出来るだけ、英雄哲人碩学賢師を編参(へんさん)し、これを楽しむという道楽趣味の勧めを訓示している。
(以上、『易経一日一言』4月29日の訓示引用)

この訓示を私なりの体験から読むと、

◎英雄:坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作、勝海舟等の幕末維新の志士たち。海外ならガンジー、マザーテレサ、他。

◎哲人:横井小楠、佐藤一斎、藤田東湖、吉田松陰等の儒家、日本の陽明学の中江藤樹、熊沢蕃山、山田方谷。昭和の東洋哲学者の安岡正篤。

◎碩学:足利学校、岡山の閑谷学校、佐藤一斎の昌平黌、丸山玉山が起こした熊本の時習館、広瀬淡窓の咸宜園、等々。

◎賢師:32歳から市民活動する中で出会った先輩たち、加えて後輩活動家からも刺激を受けています。一番は「熊本地球市民塾」を主宰された故高宗昭敏先生(東海大名誉教授・経済学)です。他にもたくさんの教えをいただいています。

◎体験から学ぶ:熊本地球市民塾、九州平成義塾(その後の創発塾・発見塾)、熊本横井小楠塾、異業種交流会「四季の会」、スペシャルオリンピックス、オハイエ。(宇土市の)車椅子街角探検隊inうと、ジュニアサッカークラブ、住吉地域学教室。

私の英雄、哲人、碩学、賢師、体験から学ぶは、全てが"ひとりの人との出会い"から始まりました。

人生は出会いで決まる(変わる)と、昔を思い起こした『易経一日一言』の本日の訓示でした。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:45Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他マイライフ

<人をいかに集めるか「四季の会」>生きる勇気はその人の信条(義)によって継続される。〜私の持論〜

2021年04月28日

<人をいかに集めるか「四季の会」>生きる勇気はその人の信条(義)によって継続される。〜私の持論〜

"勇気"

みなさんの勇気とはなんでしょうか?

戦う勇気

未知の世界なら挑む勇気

私の100キロウォークにチャレンジする勇気??!

勇気とは、人間が試されることのように思います。

人生においては、受験(中学・高校・大学・資格試験)かあると思います。

中学の英検・・・私の時代ありませんでした。

一級建築士の試験は、学科試験は落ちないのですが、実技試験(製図試験)は二度落ち、学科試験を二度受けることに・・・(実技試験はなどのみの権利)

資格試験は、自らの努力しだいですが、異業種交流会の"人集め"の参考事例も無いし、人脈も無い??

それで始めたのが、とにかく"人伝に人に会う工夫"を39歳から始めて今に至っています。私の訪問で、いきなり講師を受けてもらったり、講演後の交流会会でも大盛り上がり、主催は二次会までしてたのに、三次会、四次会また付き合った外国公司も、人のご縁は面白いです。

そんな楽しい努力をしながら、異業種交流会「四季の会」をやってきました。人集め、"何のためにすると?"の疑問に、「私は人に会うため」と答えますが、私の"人"はただの人でなくて、その分野の頼れる人を目掛けて会い続けています。

「人生は誰に会うかで、のちの人生が変わる」

自らの信条(義)を持った人と出会いたいものです。

最後に、吉田松陰の信条を

「義は勇より行われ、勇は義より長ず」

人間は、自らの信条(こだわり=文化)を持ち続けているか?

そこが大事と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:05Comments(0)

<偶然とチャンスは違う>行きがかりというかなりゆきで成功したと思える事業は、決して長続きはしないものだ。〜西郷隆盛〜

2021年04月25日

<偶然とチャンスは違う>行きがかりというかなりゆきで成功したと思える事業は、決して長続きはしないものだ。〜西郷隆盛〜

以前、だいぶ前にも羽田空港で、10年以上、熊本で会えない市民活動家に、偶然に出会います。

「お久しぶりです。ここで会うとは?」

「ですね!、近々語ることがあります」と、その後半年間、頻繁に会うことになりました

チャンスとは、偶然なのか?

それは違う、と明治の元勲の西郷隆盛は語っています。現代語訳から、

(以下、本より)

 一般に言われる機会とは、たいてい思いもかけず成功したといった好機(チャンス)をさしていわれる。
 しかし、真の機会というのは、道理に敵い、そのときの勢いを細部まであきらかにした上で、行動する機会(タイミング)ということでなければならない。
 通常は、天下国家を憂える真の心をあまり持たないのに、行きがかりというかなりゆきで成功したと思える事業は、決して長続きはしないものだ。
(以上、『西郷南洲遺訓』より)

"人は出会うべくして出会う、遅くもなく、早くもなく"

これは本当でしょうか?

この言葉には無い、別の訓示が西郷隆盛隆盛の言葉に集約されています。

>道理に敵い、そのときの勢いを細部まであきらかにした上で、行動する

1.道理に敵い:時節、人間関係、本人の思い、等々

2.勢い:仕事、関心されているか、"人・財・物"が充実しているか

3.細部まであきらかに:将来計画はあるか、周辺調整はできたか

4.行動する:知行合一の決断行動でるか

この四つが揃って初めて、機会(チャンス)を得る資質が備わり、そこで最も大事なのが"タイミングなのです。

タイミングは二度ない!

常に四つのことを準備し続けれるか。

そして"今"と決断し行動でるか?

そこが人生の分かれ目(タイミング)です。これを、明治維新の功労者・西郷隆盛が「庄内藩の若者」に語っていました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:09Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

<初心忘るべからず>初心の時の不細工でぶざまでへたくそな時のことをずっと覚えておけ!〜世阿弥〜

2021年04月22日

<初心忘るべからず>初心の時の不細工でぶざまでへたくそな時のことをずっと覚えておけ!〜世阿弥〜

能の創始者とも言われる世阿弥が、悩み続けてい"芸の道"について語った文の解説に以下の言葉がありました。谷沢永一編著『名言の知恵、人生の知恵』より、

(以下、本より)

世阿弥が言っているのは、「初心の時の不細工でぶざまでへたくそなとかのことをずっと覚えておけ!そうでないと昔の悪い癖・下手な藝は上手くなったときでもついぽろりと出てしまうものだから注意しておかなければならないのに、気づかず演じてしまう。しかも上手になって自分の下手な時代を忘れてしまっていては、藝に対して鼻高になってしまうからだ」と解釈している。我々現代人、ことに一人前になった大人にも通じる箴言である。
(以上、『名言の知恵、人生の知恵』より)

是非初心不可忘。
時々初心不可忘。
老後初心不可忘。

三ヶ条の口伝在り。

と厳しく自らの生き方を問うています。

「初心忘るべからず」

現代人にも通じる箴言であり、新しく職場に就いた人への訓示です。

また世阿弥は、後半生(熟年期)以降の身の処し方についても語っています。

(以下、本より)

歳を取ったらできるだけ手数を減らし、派手な舞をするな、そして、ここでは触れていないが、若手を立てて芸を伝えていけということも言っている。美しく歳を老いるというのは難しいことだが、世阿弥の書にはそのヒントが多く隠されている。
(以上、『名言の知恵、人生の知恵』より)

よく古典に学べとありますが、自分の学びにつながる古典に出会うかが大事で、なんでも古るい書物が正しいとはならない。能という古典芸能に一生を費やした世阿弥の言葉は、文化的な活動に関わる人には参考になると思います。

また芸術の世界で、生きていくのに必要な知恵と老いてからの立ち位置にも参考になる言葉を残していると思いました。

>美しく歳を老いるというのは難しいこと

今朝の読者は、そろそろ私も若い世代の役割づくりをする時期に来ている!と思った、世阿弥の訓示でした。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:21Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他マイライフ

<人生は出会い(無形資産)の多様さ>キャリアとはなんだろう?〜私の人脈(無形資産)づくりの記録〜

2021年04月21日

<人生は出会い(無形資産)の多様さ>キャリアとはなんだろう?〜私の人脈(無形資産)づくりの記録〜

(長文です、お時間ある時にお読みください。)

私の始まりは建築士としての仕事でした。

・学生時代から人を楽しませることをやっていました。

またほかに学生時代からやっていた「クラス会」のお世話がありました。約10年続けました。

建築の専門学校時代に、学生も学校職員も巻き込んだ「七夕飾り」の活動があります。これは、卒業後も後輩に引き続がれました。

・多様な建築は夜のアルバイトで。

24歳で建築設計の仕事を始めるのですが、熊本市の建築士事務所は、大型の建築物の設計が、あまりないので、昼の仕事を終えて、夜に先輩の事務所を回り、図面の手伝い(実費有り)をして回るようになり、そこで一つの構造設計事務所と出会います。この事務所とは、25才から私の独立の直前31才まで図面作成のアルバイトが続きました。

日常の設計業務は、木造建築が主でしたから、夜のアルバイトで、学校建築、ビル、病院と多様な施設の設計に関わりました。当時は、バブル経済へ向かう時期で、関東の仕事(構造設計やトレース等)も来るよう仕事状況で、ほんと勤務している事務所だけでは得られない、技術と人脈を得ることができました。

・異業種交流は、初めは同業の飲み会から。

独立して5年ほど経ったころ、3人の建築士と時折り飲み会を事務所でするようになりました。それが後の異業種交流会を発展するのですが、"他と交わる"の始まりだったなあ、と振り返ります。

・横井小楠と高宗昭敏教授との出会い

独立してバブル経済が崩壊して、忘れた10年が始まりました。この先行き暗い状況を変えるために、私は市民活動に参加するようになります。その最初の出会いが、私の人生を変えることはつながるのですが、それが「熊本横井小楠塾」を主宰された故高宗昭敏教授(経済学・政治学)でした。

「横井小楠と松前重義の理念を学ぶ」毎月1回開催に参加します。その年の年末に参加した忘年会で、いろいろ出会いが有り、横井小楠塾の事務局長になります。以来、約3年間、高宗先生が精力的に活動される裏方を支えました。その時の、熊本県内の活動家との出会いは、今の私の活動につながりました。

・他の市民活動をつなぐ「四季の会」

他にも、九州平成義塾、男女共同参画社会づくり、スペシャルオリンピックス、さらに、横井小楠がご縁で、竜馬会を立ち上げることになりました。

そんな中で、40才を前にした年末に30人の忘年会、翌年4月に、44人の居酒屋交流会、7月に建築の新しい工事スタイルを発表する会を兼ねた異業種交流会を55人参加で開催しました。以来22年66回異業種交流会「四季の会」を開催(昨年はコロナ禍で中止)してきました。

・宇土市の街づくりから大学非常勤講師に。

その縁で、宇土市の市街地や施設のバリアフリー化の取り組み「車椅子街角探検隊inうと」の活動を起こすことにつながりました。その時の熊本大学の担当との出会いから、熊本大学の非常勤講師をすることになりました。

・金はないけど、人の縁(無形資産)を広げる工夫が自らを救う。

私の資産は家と土地だけで裕福ではないですが、建築士の仲間づくりから始まる、さまざまな活動での出会いから、多様な人脈(無形資産)を形成してきました。

これまで、建築事務所の経営は厳しい状況に陥りましたが、それを救ってくれたのは出会い(他分野の人脈)でした。それこそ、市議会議員になったのも出会いからです。

(告知)
私は、40代の駆け回っていた時期のことをまとめた本『中間づくり まちづくり』(花書院)を先輩にそそのかさ11年前に出しています。この本は、私の人脈(無形資産)づくりの実践活動の記録です。興味あったら、国立国会図書館か、熊本県立図書館、宇土市図書館にあります。まだ、出版社にも少し残っているので、注文されると届くと思います。

〜最後までご笑覧いただきありがとうございました。〜


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:27Comments(0)マイライフ 異業種交流会・講演会

「原子力の平和利用が人間の全ての目標設定と使命を規定するようになると、人間は自らの本質を失わねばならぬ」(ハイデッカー)

2021年04月17日

「原子力の平和利用が人間の全ての目標設定と使命を規定するようになると、人間は自らの本質を失わねばならぬ」〜エッセイ『ハーベルーー家の友』(マルティン・ハイデッカー著、1960年)〜

この言葉は、2007年に出版された『世界の名言100選 ソクラテスからビル・ゲイツまで』(金森誠也監修)の一文にある原子力の悪しき影響力の問題を突いていました。ハイデッカーの文章は1960年の作品で、60年以上前のことでした。

現在、ドイツは原子力発電をゼロへ向けて、いち早く進んでいますが、後発の日本、原爆を受けた日本が、逆に福島第一原発事故まで、世界一原発を推進し、輸出製造もしてきました。

そんな中に東日本大震災が発生しました。

科学者たちが、1000年に一度の大津波発生の可能性を東電に提言を出していたのですが、それをまともに受け入れず、福島第一原発事故を招いたのです。

なぜ、この事故は起こったか?

この文章の末尾に以下の言葉がありました。

(以下、転載)

 彼(ハイデッカー)によれば、人が不安と恐れの中で生きているのは何よりも死にかかわる存在だからである。「人はいつか必ず死ぬ」と語る時でも、その人は「さしあたって自分はまだ死なない」と思っているようだ。こうして人は死ぬことを覆い隠し、不安から逃げようとする。(中略)
(以上、本より)

>さしあたって自分はまだ死なない

を読み替えると、「原子力発電所は、最新技術を持つ日本では事故は起こらない」の過信があった。

最近の自然災害は、想定をはるかに超える被害を出し続けていた時期に東日本大震災が発生した。

科学者が予見したのに、"さしあたってそんな津波は来ない"と、被災することを覆い隠す気持ちになっていたのだろう、と想像します。

>人間は自らの本質を失わねばならぬ

さらなる自然災害から事故が発生する前に、地下資源(石炭・石油・ウラン等)に頼らない再生可能エネルギーにどう移していくか、世界の政治の課題になっています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:47Comments(0)国際関係政治問題(国)新技術、新潮流

死ぬ気になると、周り(敵対する相手)の景色が見えてくる。〜近藤勇〜

2021年04月16日

死ぬ気になると、周り(敵対する相手)の景色が見えてくる。〜近藤勇〜

日々毎日を懸命に生きることは、誰しも同じですが、幕末維新の混乱の中で、志士たちの想いはどうだったのだろうか?

これは小説の世界ですが、小説『燃えよ剣』に、近藤勇の言葉として書かれている一文があります。

(以下、本より)

 生きようという念が一分でもあっては、どうにもなりませんな。
 不思議なもので、死ぬきになると、周りの景色、つまり敵の群れのことですが、その虚が見えてきます。その虚へ突っ込むのです。なんのかんの言っても、その一言ですな。
(以上、『燃えよ剣』より)

必死!

という言葉をよく人は使いますが、

ほんとうに"必死"になっているのだろうか?

近藤勇の言うように、一分に生きようとする気持ちが有れば、生ぬるくなる。

13年前、横井小楠顕彰活動をやろうと熊本の先輩方と取り組んだ時、実行委員長をお願いに出向いた時、その重鎮が、

「野口さん、君はいくつになった?」と聞かれた。私は、
「50歳になりました」
と答えると、その方は、
「50歳になったら、もう命は惜しく無かろう。必死にやるなら付き合おう」
と言われ、1年3ヶ月に及ぶ横井小楠顕彰活動がスタートした。大変な事業でしたが、これから横井小楠の情報発信が始まりました。

滑動の影響を受け、2年目の正月、熊日新聞が7ページを使い、横井小楠の功績について特集しました。

要は、なりふり構わず行動し続けられるか、そんな姿を周りが見ていることを、幕末期に活躍した近藤勇も、現代のリーダーたちも知っていたのかもしれません。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:36Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

<関西の感染拡大で宇土市出身者が急死>今日、地域を回っていて聞いた関西のコロナ感染拡大の話しに言葉が詰まった。

2021年04月14日

<関西の感染拡大で宇土市出身者が急死>今日、地域を回っていて聞いた関西のコロナ感染拡大の話しに言葉が詰まった。

宇土市の西部地区で、私よりも10歳ほど上の方と語る機会かあり、初めは地域の話でしたが、コロナの話になり、"先月兄が感染確認して4日後に急死した"の話、原因は基礎疾患があったとのことだが、今も感染者の急死は続いていると再確認しました。

急死した兄は、家族の中で、若い息子が感染して家族が感染した。肺の疾患があった父(その人の兄)は、感染確認して5日に回復無く、死亡しました。

兄弟姉妹で、見舞いにも行けず。葬式の香典費用を送るしかなかった、と嘆いておられました。

そのかたのあ奥様が、昨年入院された。病院に行くと、「受け付けで、品物を預けてください」と、言葉は悪いが門前払い(受け付け処理)でした。話は、携帯での会話しかできない状況が、今の医療・介護の施設コロナ対策です。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 19:31Comments(0)マイライフ私の意見

人は環境によって育つというのが普通ですが、実は逆で、人が環境を作っていく。〜安岡正篤〜

2021年04月13日

人は環境によって育つというのが普通ですが、実は逆で、人が環境を作っていく。〜安岡正篤〜

周り(環境)に影響されるようでは、人間ではない。人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる所以である。(中略)
(以上、『安岡正篤一日一言』より)

大丈夫という言葉がありますが、『孟子』の解説書では、自分を失わない芯(心)を持っているか、が大事とある。

ブレない志

ブレない行動

周りに影響されない信条

等々を持っていると、周りに影響されない。

逆にブレない志が、周りに波及していく様子を見る機会があると、安岡正篤先哲の言われる周り(環境)に影響を与える人間の存在を知ることになる。

人を惹きつける魅力は、見方を変えると周りの人に影響を与えている存在となる。

このことが、安岡正篤先哲の言葉にある「人間は環境を作る」ような存在となれるのだと思います。

大丈夫、ブレない志、そして行動する人間・・・

『安岡正篤一日一言』4月13日の訓示は、

人間は環境を作る。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 17:46Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

一陽来復の春。〜経済も人生も有為転変〜

2021年04月12日

一陽来復の春。〜経済も人生も有為転変〜

季節は春、今年の春は花が早い。桜は10〜15日早い地域があると聞きます。

春が来て、夏になり、秋がくる。

今年の冬の寒さは、ここ数年無い寒波が何度も来て、日本は震え上がった。

『菜根譚』な言葉に以下があります。

(以下、『菜根譚』後集no.111より)

秋に草木の葉を枯れさせる厳しさの中にも、春に草木を生々繁茂させる生命力があり、常にこれが主となって四季がめぐっているのである。これによってこそ天地自然の心を知ることができる。
(以上、本より)

人も自然も、循環の世界、祖父母、父母、子供、孫があり、つながりは兄弟・姉妹、さらに従兄弟、従姉妹、男女のつながりは広がり続ける。

その1人ひとりに、1年間があります。

好調、不調、健康、病気、さらに、経済不況、好景気、業績好調・不調・・・・

『菜根譚』に以下の言葉を見つけました。

一陽来復の春

意味は、来年は春が来ます。の単純な意味ですが、人の人生は、常に危機を感じながら生きています。

〜経済も人生も有為転変〜

経済も人生も常々厳しい。

思い通りにならないのが、"人生"です。世の有為転変にどう対応するのか?

コロナ禍だからこそ、問われる人間力だと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:58Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他マイライフ

本日は、交通指導員の春の交通安全週間の「ハンドプレート」活動でした。

2021年04月09日

本日は、交通指導員の春の交通安全週間の「ハンドプレート」活動でした。パトカーも宇城警察署から来てもらい、30人近い数が並ぶと目立ちます。

場所は、国道501号線の宇土市走潟地区研修施設前付近です。



  

Posted by ノグチ(noguchi) at 17:59Comments(0)マイライフ宇土市

昨夕は、生活安全パトロール隊の活動日でした。

2021年04月09日



昨夕は、生活安全パトロール隊の活動日でした。昨日から初めて参加の方が2人、まずは駐在所の警察官が新任でコースの確認、さらに中学校の新任校長先生が、初めてパトロールの車に同乗されて回られたのは、私がパトロール隊に参加して14年で初めてでした。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:52Comments(0)マイライフ宇土市市民活動

<行動から観える人間性>「物質的に恵まれない時にこそ、心の目で観ることができる」〜易経〜

2021年04月07日

<行動から観える人間性>「物質的に恵まれない時にこそ、心の目で観ることができる」〜易経〜

今日の地域の方との会話をして、昼食に帰り開い本『易経一日一言』に以下の言葉が、

4月7日の訓示は、

(以下、本より)

見えないものを観る

>「親の背中を観て子は育つ」というように、「観」は理屈ではない。心のあり方を観ただけで、同化して精神が成長するのである。どんなに言葉できれいごとをいっても、真心がなければ人は感化されない。
>私たちは、どうしても目に映るものや物質にとらわれやすいが、物質的に恵まれない時にこそ、心の目で観ることができる。そういう時に、物質の本質や人の本心が浮き彫りになってくるものである。
(以上、『易経一日一言』より)

後ろ姿に、その時の気持ちが出る?

子どもが、気分良い時はスキップして歩いたり、

調子悪い時は、うつむいて、足取りもとぼとぼと、

大人も、毎日見ている人は、体調までわかる瞬間もあるものです。

訓示とは逆に「子を見る(観る)と親が分かる」の諺もある。

>どんなに言葉できれいごとをいっても、真心がなければ人は感化されない。

日々、コツコツ、言ったことを続けることが大事と、つくづく思います。"見えないものを観る"にも、10年、20年と付き合わないと、人間性は理解できないものですね。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 12:52Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他私の意見

「時に赴く」と「四時軒」:易経と横井小楠。<地域の人の頭の中にある生きる季節の知恵に学ぶ>

2021年04月06日

「時に赴く」と「四時軒」:易経と横井小楠。<地域の人の頭の中にある生きる季節の知恵に学ぶ>

今朝のウォーキングは12kmほどを歩きました。早足ではなく、時速5km/hくらいでしょうか。ぼちぼちと歩くと、けっこう距離も延びるものです。

さて、昨日に初めて語る人がいて、語ってみると同級生の従兄弟の方で、私の地元にも縁が深く、「応援してますよ」と励まされた。地域を時折回ると意外な出会いがあるものです。

こんな出会いもタイミング(間)があるように思います。

今日は4月5日、『易経一日一言』に書かれたことは、

(以下、本より)

時に赴(おもむ)く

変通とは時に赴くものなり。

【訳文】
 変化に通じていくとは、冬が春になって種を蒔き、順調に暖かくなり、種が芽生え、成長することである。
 「時に赴く」とは、時に背かず、適した行いをすること。種蒔きでいえば、春を待って蒔くということである。
 時に趣くならば、物事はより良く変化して、目的を達することができるだろう。
(以上、『易経一日一言』より)

私は種蒔きはしていませんが、毎年同じ時期に同じ行いを繰り返す。地道に、コツコツとやり続けていけば、目的に近づくことが可能となる。

春夏秋冬、毎年の季節は変わらずに来る。春に種蒔き、夏に成長して、秋に実りを得る。冬は我慢、特に今年の冬は寒かったですから、春の息吹は待ち遠しい。

横井小楠の私塾は「四時軒」と称していました。四時は、季節の意味があります。毎年変わらずに農家の人は稲作取り組む。人は、季節の変化に合わせて作業する。政治もまた、季節に合わせて役割を果たす。

行政は、地域社会の季節に合わせて政策を進めることが大事。昨日の出会いでの会話から、地域を時期に合わせて回る意味はあると思いました。

「時に赴く」と「四時軒」

地域の季節を知ることは大事ですし、人と語ることが必要と思いました。

今は、コロナで人が集うことが難しい時代、ならば出向き語る機会を自ら創るのが必要なことと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:47Comments(0)マイライフ政治問題(地方)地域政策