日本人は、良く対比的な言葉を使う。しかしその中間を占める部分に重要な問題が隠れているように思う。

2022年08月30日


<社会のグレーゾーン(中間)>明暗、上下、天地、光陰、など日本人は、良く対比的な言葉を使う。しかし、その中間を占める部分に重要な問題が隠れているように思う。

今日の議会の質問で、発達障がい児が、学校や地域での生活について取り上げるのですが、16年前スペシャルオリンピックス(知的障がい児・者の体育大会)の夏季大会を熊本で開催する時、チャリティートーチラン(聖火リレー)を宇土の市街地で開催しました。参加要請と大会周知のため宇土市内にある学校の支援クラス(当時は障害児教室)の現状調査、聞き取りをして回ったときに、担当教師から、
「ここに通う子ども達より、むしろ一般クラスにいるグレーゾーン(障がい児に近い子ども)たちが、いろいろな問題を抱えている」
の声をたくさん聞いた。いわゆる現代での発達障がい児童への対応でした。当時は、まだまだ発達障がいという言葉が広まっていなかったので、グレーな子どもとは、学習について行けない、あるいは不登校の子どもたちのことです。

10ほど前から、国の障がい児童生徒への対応が大きく変わった。また、発達障がいや学習障がいという言葉も広がり、保護者たちが、子どもの状況を受け入れ、それに合わせる学習支援に取り組むようになって来た。

現代で、増設、増設の発達障がい児童生徒の放課後デイサービスはもちろんですが、学校内にも教室に入らない子どもの居場所(昔は保健室登校)や、学校に通えない子どもの学びの場、フリースクールが増えてきました。それを認める社会にもなってきています。

社会が、さまざま障がいを個性として受け入れることが広がり、学校も大きく変わってきていると感じます。

昔の健常者と障がい者という明暗の中間(グレーゾーン)にこそ課題が隠れているの現場の声は、私の大きな気づきになりました。

今朝は、学校のことを書きましたが、産業にも、地域社会にも、グレーゾーンは存在しています。格差社会と言われる現代、コロナ禍の厳しい社会情勢だからこそ、支援していないグレーな人たちに目を向けつづけることが必要だと、発達障がい児童生徒の変化から思いました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:33Comments(0)社会問題教育問題宇土市

日本人は、良く対比的な言葉を使う。しかしその中間を占める部分に重要な問題が隠れているように思う。

2022年08月30日


<社会のグレーゾーン(中間)>明暗、上下、天地、光陰、など日本人は、良く対比的な言葉を使う。しかし、その中間を占める部分に重要な問題が隠れているように思う。

今日の議会の質問で、発達障がい児が、学校や地域での生活について取り上げるのですが、16年前スペシャルオリンピックス(知的障がい児・者の体育大会)の夏季大会を熊本で開催する時、チャリティートーチラン(聖火リレー)を宇土の市街地で開催しました。参加要請と大会周知のため宇土市内にある学校の支援クラス(当時は障害児教室)の現状調査、聞き取りをして回ったときに、担当教師から、
「ここに通う子ども達より、むしろ一般クラスにいるグレーゾーン(障がい児に近い子ども)たちが、いろいろな問題を抱えている」
の声をたくさん聞いた。いわゆる現代での発達障がい児童への対応でした。当時は、まだまだ発達障がいという言葉が広まっていなかったので、グレーな子どもとは、学習について行けない、あるいは不登校の子どもたちのことです。

10ほど前から、国の障がい児童生徒への対応が大きく変わった。また、発達障がいや学習障がいという言葉も広がり、保護者たちが、子どもの状況を受け入れ、それに合わせる学習支援に取り組むようになって来た。

現代で、増設、増設の発達障がい児童生徒の放課後デイサービスはもちろんですが、学校内にも教室に入らない子どもの居場所(昔は保健室登校)や、学校に通えない子どもの学びの場、フリースクールが増えてきました。それを認める社会にもなってきています。

社会が、さまざま障がいを個性として受け入れることが広がり、学校も大きく変わってきていると感じます。

昔の健常者と障がい者という明暗の中間(グレーゾーン)にこそ課題が隠れているの現場の声は、私の大きな気づきになりました。

今朝は、学校のことを書きましたが、産業にも、地域社会にも、グレーゾーンは存在しています。格差社会と言われる現代、コロナ禍の厳しい社会情勢だからこそ、支援していないグレーな人たちに目を向けつづけることが必要だと、発達障がい児童生徒の変化から思いました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:26Comments(0)社会問題教育問題宇土市

<記憶に残る住宅建築>2001年9月11日の夜のテロのニュースを記憶している人は多いと思います。

2022年08月27日

<記憶に残る住宅建築>9.11が近づいています。2001年9月11日の夜のテロのニュースを記憶していら人は多いと思います。

もう21年になります。私は、9.11テロの1週間後にカリフォルニアへ、建築の仕事て行くことが決まっていました。9月11の夜、キッズサッカーの指導者2人と慰労会を私の自宅でやっていました。

テレビがニュースに切り替わり、あのニューヨークの貿易センタービルに旅客機が突っ込んで行く映像が、何度も流れました。

ウソだろ!

ウソだろ!

の言葉が、我が家で続き、その映像に見入りました。

何分くらい経ったでしょうか?

私が、「来週、カリフォルニアに行く仕事がある、どうするか?」と語ると、

「これからアメリカへ行くとですか、何で?」

と疑問の声が出て、私が、

「半年前からの設計の仕事で、家一軒分の建材をアメリカまで買いに行がないいけない」

サッカーのコーチたちが、

「行かない方が、良かですよ!」

と助言がありましたが、私は約束を守り、1週間後にソウル経由でロサンゼルスへ向かいました。

6泊7日(現地5日間)の強行日程、現地の巨大なホームセンター「ローズ」で5日間ウロウロ、丸2日は店内の資材見聞して、目的の建材が無いと分かって、現地で建材に合わせて設計変更の作業を毎夜行い、3日目から購入を始めると、
「店内に日本人が大量購入を始めた」
の話題が回り有名人になった。通訳は、施主の息子(アメリカ在住経験者)が、専門用語を介し、5日間で目的の資材を購入して、コンテナに詰めと発送は息子さんがされるので、資材の確認をして帰ることになりました。

ところが問題が!

テロ直後の空港に、見送りの人が入れない。私の英語は、中学生程度・・・、施主の息子さんは資材の発送に残るので入らず、宿にお世話になったカリフォルニアの友人も空港に来れず、とても心配でしたが、どうにかこうにか、ソウル経由福岡行きの大韓航空に乗ることができました。

その住宅は、今阿蘇のある場所に建っています。

その時に、画家のラッセンの画廊を見て好きになり、日本でラッセンの展示会があると見学に行きます。

ちなみに、構造のツーバイフォーは、熊本県の旭志にある製材所で製作しました。輸送と時間から地元に変えました。

テロから21年、いろいろな経験をした仕事でした。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 18:36Comments(0)マイライフ

数字の慣れとはこわいものです。〜新型コロナウィルス感染〜

2022年08月23日

数字の慣れとはこわいものです。〜新型コロナウィルス感染〜

昨日、建築の打ち合わせをしようと、設計協力の友人を連絡を取ると、「昨日から感染で自宅に篭っています」との返事が、土地の境界のことで、まだ少し時間がきることがわかったことを伝えると、「良かった、8月31日まで外へ出れません」とのこと、身近な人たちも多く感染している。感染が、日常になっている、と思います。

見慣れた感染マップは、全国の新規感染者数14万人に少ない感じを受ける。熊本県内も2千人近い数だが多くに感じなくなった。昨夏は、千人台なら恐怖を感じるほどだったのが、with corona は、人の感覚を麻痺させている気がします。ここ数が月は、火曜日よりも水曜日が、新規感染者数が多いように思います。明日、明後日は、どうかるのか?暑い夏だが、真冬のような新型肺炎の病「コロナ禍」は、いっこうに収まる様子がない。




  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:43Comments(0)政治問題(国)新型コロナウィルス感染

<愛と平和>本日は終戦記念日、地元紙の一面は「日本が戦争をする48% 2年連続増 危機感高まる」

2022年08月15日



<愛と平和>本日は終戦記念日、地元紙の一面は「日本が戦争をする48% 2年連続増 危機感高まる」

非核三原則を堅持すべき 75%
平和主義に基づく専守防衛 60%

相手国のミサイル基地攻撃力を日本が持つ
賛成36%、反対33%、分からない30%

終戦から77年、アメリカ、ロシア(旧ソ連)が絡む紛争や戦争が何度も起きてきた。

1969年、ベトナム戦争反対の野外音楽祭「ウッドストック・フェスティバル」での「愛と平和」の願いは、何処へ行ったのか。会場として農場を提供した農場主は、
「君たちは世界に何かを示した」
と称賛したという。しかし、その後もアメリカは、戦争に深く関わってきた。

『新生面』の最後に、

日本は今日まで77年間、戦争をしていない。けれど分断から深まる世界を見渡すと、この幸福がいつまで続くか不安になる。終戦の日に、いま一度「愛と平和」の尊さを胸に刻む。
(以上、熊日朝刊一面『新生面』より抜粋)

日本は戦争はしていませんが、アメリカの戦争を基地支援や戦費支援はやってきた。今回のウクライナ侵攻に対する西側の一員として、経済制裁を支持することになっている。

世界の「愛と平和」を支持する動きが薄れてきているように感じます。

>「日本が戦争をする」48%(世論調査より)

平和の尊さを真剣に考える終戦記念日であってほしい。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:47Comments(0)国際関係日本の歴史、世界の歴史市民活動

<呉下の阿蒙>その人の価値は、常に"時価"で測られる。〜学歴というブランドは、20年もすれば無くなる〜

2022年08月11日

<呉下の阿蒙>その人の価値は、常に"時価"で測られる。〜学歴というブランドは、20年もすれば無くなる〜

人生64年、いろんな人と出会い、いろんな栄枯盛衰、さまざまな人間模様を見てきたように思います。

私たちの学生時代から就職、建築の修行時代は、バブル経済の日本、地方でも仕事が溢れていました。

私の独立は、バブル景気が終息に至るころ、独立後の仕事はほとんどなくなったころ、というか、景気の良し悪しに関係なく、始業時は誰も仕事がないものです。よくここまで、独立して33年目ですが、生き延びてきたものです。

ある先輩から、事業は"持業"だから、細く長く続けることも大事と教えられました。その方は、70代半ばですが、設計に関わり、仕事を継続されています。また、「設計は裏方、華やかな世界は必要ない」とも教えられました。テレビに出るような建築家は、ほんの一握り。地道に、設計をやっている建築士がほとんどです。

設計は、もともと事務屋の延長でもあります。"持業"を維持することで、少しづつ人の時価が上がってきて、人のつながりで仕事をすることが多くなります。

要は、出会う一人ひとりと、真剣に向き合って来たか、が問われるようです。

数年経って再会した時、あれ?前と変わらないなぁ、と思われるようではいけないのです。

三国志に、「呉下の阿蒙(あもう)」という故事があります。

その意味は、

三国志の呉の孫権の部下の呂蒙(ろもう)は、武勇はすごかったが、学問はからっきしダメで、「おバカちゃん」という意味で「阿蒙」と呼ばれていた。孫権から、少しは学問をやりなさいと指導され、呂蒙は孫権の意に応えるために猛勉強を始め、高い教養を身につけていった。それからしばらくしたある日、彼は参謀の魯粛(ろしゅく)と対談したのだが、魯粛は彼の高い見識と知識に大いに驚いて「すでに武略のみの呉の蒙君ではなくなったな」といったという。

「呉下の阿蒙」から、人間の成長は計り知れない。昔の姿から、見下すような態度をとっていると、逆に見下されるようなことが起こる。知人と数年ぶりの再会時は、常に白紙の状態で対面すべきと思います。

>その人の価値は、常に"時価"で測られる

自らが「呉下の阿蒙」と呼ばれないように、日々精進が必要と思いました。

*参考資料:升野俊明著『禅、比べない生活』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:47Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他哲学、人生

<いい学校は、規則がないこと>服装はその子の大事な個性の表現のひとつですから。〜ドイツの教育の考え方〜

2022年08月04日

服装はその子の大事な個性の表現のひとつですから。〜ドイツの教育の考え方〜

<いい学校は、規則がないこと>

久しぶりに、暉峻淑子著『豊かさの条件』を開くと、教育について書かれていた。

・ドイツのいい学校

 ドイツのいい学校をのぞいてみよう。小学校から大学まで月謝はタダ。一クラスの子どもの数は二〇人前後。ギムナジウムではもう少し多いところもあるが、中学からは生徒も親も職員会議に参加して、学校の規則やカリキュラムづくりに生徒達の意見がとりいれられている。子どもこそが教育の主人公なのだから、考えてみれば当たり前のことだ。
 私はあるとき、ドイツの先生に尋ねてみた。
「いい学校、とは、どんな学校をいうのでしょうか?」
先生は、こともなげにこたえた。
「規則のない学校でしょう」
 驚いてその意味を質すと、
「規則がなくても、子ども達が自分で納得して、自発的にゆるやかな秩序をつくりだし、学校生活が支障なく行なわれるのが一番いいと思いませんか。いろいろな規則がはじめからあると、考えない子どもができるでしょう。(中略)
・・、何を共通に守ればいいか。そういうことを学習し納得していくのが教育の場ですね。はじめから規則で管理され、罰則で従わされるのでは、自主的な判断は育たないし、罰のないところへ行けば思慮のない行動を無自覚にとるのではありませんか?」
「ピアスや服装に何も干渉しないのでしょうか?」
「え? それはどういう意味ですか?
学校は一人ひとりの個性におうじて、教育するところでしょう。子ども個性がはっきり分かるほうが、教育もしやすいと思いますよ。服装はその子の大事な個性の表現のひとつですから」
(以上、本より転載)

このページの書き出しに、

「楽しくない子ども時代は、国際社会で日本を代表する社会現象とみなされいるようだ」
〜ジュネーヴの子どもの権利委員会の指摘〜

暉峻淑子氏のドイツでの経験から書かれています。日本の教育現場とドイツとは大きく違うな、と思います。

>自発的にゆるやかな秩序をつくりだし、学校生活が支障なく行なわれるのが一番いいと思いませんか。

日本の教師に、この考え方は無いと思います。

日本の教育は、まだ戦前の思想教育の流れになっているのでは? 

戦後できた日本の教育基本法を参考に作られたフィンランドの教育基本法は、その精神を純粋に守り、個性を伸ばす教育実践がなされている。しかし、当の日本では、がんじがらめの規則で、子どもたちの自由はなく、自発的な言動による秩序づくりなど、有り得ない状況となっています。

今日のコメントが、みなさんの何かの参考になれば幸いです。

*参考資料:暉峻淑子著『豊かさの条件』(岩波新書、2003年)  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:57Comments(0)

最後に逃げるリーダーではダメ、言うべき時に自ら主張できるか。〜白州次郎的な"勇気"〜

2022年08月03日

最後に逃げるリーダーではダメ、言うべき時に自ら主張できるか。〜白州次郎的な"勇気"〜

朝のウォーキングを終えて、また横になって枕元の本を漁っていると、『白州次郎という生き方』の本に、語録ページがあり、

「日本の若い人に一番足らんのは勇気だ」

の太文字の一文が、目に入ってきた。これは、自らの意見を公の場で語ることについての「勇気」です。

私は、6年ほど前まで、熊本大学の学際科(かつての教養)で、年に数度の講義を11年間続けました。講義内容は、「実践のまちづくり」で、講義は、前週90分と後週の前半に講話して、後半に意見を言ってもらうパターンでした。また毎週、講義についての感想や疑問をまとめ提出してもらうのですが、いざ意見を求めると、誰も手が上がらない。しかし、指名して話をしてもらうと、良い意見だったり、鋭い質問も出てくる。でも、手を上げてまでは語らない。日本の学生の特徴ですね。

一度、ハーバード大学の法学者マイケル・サンデル教授の講義(公共の正義)の講義の様子をビデオで見てもらった。1000人近い学生が集まる人気の講義なのですが、マイケル教授の講義スタイルは、会場と生徒と意見をよく交わします。
「さて、私の話した内容について何か意見ある?」
と会場にふると、何十人もの生徒が手を挙げる。そして、自らの考えを述べたり、鋭い質問がどんどん来る。日本の学生とは、ぜんぜん違う講義風景てす。

それを見て、日本の学生に、「こんな講義をどう思う」と尋ねると、100人ほどの教室ですが、誰も手を上げない。しかし、指名するとちゃんと意見を持っている。

白州次郎は、このことを指摘しています。この風潮は、現代の大人社会も同様で、会が終わってから、こそこそと当事者に意見を言っているのをよく目にします。全員いる中で語らないと、その意見の価値は意味をなさない、ということを日本人は、理解できていないように思います。

中には、肝心な会議をわざわざ欠席するリーダーもいる。意見を言いたくないがために、場から居なくなる(逃げる)輩もよく見ます。

リーダーは、"逃げない責任"を忘れてはならない。

白州次郎の言葉には続きがあります。

「日本の若い人に一番足らんのは勇気だ。そう言ったら損するということばかり考えている。自分の思うことを率直に言う勇気が欠けている」

私も若い頃は、尻込みして意見言えなかった。今は、会議の中で意見言う立場にあるので、逆に黙っていると疑念を持たれる。

"言うべき時は言う"を、若い時から実践しておくには、常々に学ぶことを続けること。そして、ある先輩から「本を読むだけではダメ、語るためには、毎日書きなさい」と指導を受けました。その直後(2002年6月)から、ネット上に自らの意見や本の感想、社会の問題や事件について書くようなり、今も毎日続けています。

意見を語るには、毎日書くことが大事、短い意見ほど難しい。ダラダラ語るのは誰でもできますが、1分、30秒の感想や質問は、なかなか難しいものです。

みなさんは、どうでしょうか?

<白州次郎的な勇気>
 己の損得ばかり考えビクビクしてはいけない。正しいと思うことを率直に言える「勇気」こそ大切である。
(以上、『白州次郎という生き方』より)

朝から長くなりました、最後までお読みいただき感謝いたします。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:48Comments(0)マイライフ私の意見哲学、人生