野口修一の議員活動報告・2021年後期市内配布リーフレット
2021年09月29日
野口修一の議員活動報告・2021年後期市内配布リーフレット
挨拶文
活動テーマ
新しい取組み
6月・9月定例議会一般質問
地域活動
若いころの市民活動履歴書
プロフィール
他




#野口修一
#議員活動報告・2021年後期
挨拶文
活動テーマ
新しい取組み
6月・9月定例議会一般質問
地域活動
若いころの市民活動履歴書
プロフィール
他




#野口修一
#議員活動報告・2021年後期
できない理由のほとんどは、したくない理由
2021年09月28日
できない理由のほとんどは、したくない理由(おてもやんプログ・携帯論語)
(解説)「できない理由」に惑わさず、その裏に隠されたホンネを相手にする。
(感想)やりたいことには理由は要らない。したくないことには、いくつも理由が思いつく。要はしたいかどうかだ。
*出典:岬龍一郎著「いい言葉は、いい仕事をつくる」
*おてもやんプログ2010年04月28日
こんなことを11年前に書いていました。
(解説)「できない理由」に惑わさず、その裏に隠されたホンネを相手にする。
(感想)やりたいことには理由は要らない。したくないことには、いくつも理由が思いつく。要はしたいかどうかだ。
*出典:岬龍一郎著「いい言葉は、いい仕事をつくる」
*おてもやんプログ2010年04月28日
こんなことを11年前に書いていました。
自分がその仕事に懸命に打ち込めたというなら、おおいに自分を評価してよい。〜不思善 不思悪〜
2021年09月21日
自分がその仕事に懸命に打ち込めたというなら、おおいに自分を評価してよい。〜不思善 不思悪〜
周りの評価をとても気にする人がいます。
立場上、私もその一人かもしれない。
今朝の読書『禅、比べない生活』』にあった"評価"についての一文は、
(以下、本より)
どれくらいの人間か、どの程度の能力か、というときには、誰かと比べて上か下か、という「ものさし」が必ず持ち込まれています。つまり、評価はいつも「相対的なもの」なのです。
評価というのは、所詮、他人が勝手にする「レッテル貼り」です。
「不思善 不思悪(ふしぜん ふしあく)」という禅語もあります。「善とも思わず、悪とも思わず」に、世の中の評価や分別を超えて、「自分自身」の中にそれを求めなさい、ということです。
(以下、本より抜粋)
「今週は、よくやったな!」
「今週は、予定通りには進まなかった」
これは、自分しかわからない、自らの評価です。周りからの評価とは別に、自らの評価(満足)を測る時間が必要と思います。
善悪は、時代によって見方が変わることも起こります。
このページの最後評価に、
「たとえ、まわりからの評価としては成果が上がっていなくても、自分がその仕事に懸命に打ち込めたということなら、おおいに自分を評価してよし、なのです」
人は、人と関わりながら生きています。周りを気にしないて生きるとは、難しいけれども、毎日、自らの心と向き合うことを大切して行けば、自ずと周りへも思いは伝わるもの。
まず、自らを評価(ほめる)することが大事と思います。
さて、今週はどんなことが起こるか、楽しみでもあり、不安でもあります。
周りの評価をとても気にする人がいます。
立場上、私もその一人かもしれない。
今朝の読書『禅、比べない生活』』にあった"評価"についての一文は、
(以下、本より)
どれくらいの人間か、どの程度の能力か、というときには、誰かと比べて上か下か、という「ものさし」が必ず持ち込まれています。つまり、評価はいつも「相対的なもの」なのです。
評価というのは、所詮、他人が勝手にする「レッテル貼り」です。
「不思善 不思悪(ふしぜん ふしあく)」という禅語もあります。「善とも思わず、悪とも思わず」に、世の中の評価や分別を超えて、「自分自身」の中にそれを求めなさい、ということです。
(以下、本より抜粋)
「今週は、よくやったな!」
「今週は、予定通りには進まなかった」
これは、自分しかわからない、自らの評価です。周りからの評価とは別に、自らの評価(満足)を測る時間が必要と思います。
善悪は、時代によって見方が変わることも起こります。
このページの最後評価に、
「たとえ、まわりからの評価としては成果が上がっていなくても、自分がその仕事に懸命に打ち込めたということなら、おおいに自分を評価してよし、なのです」
人は、人と関わりながら生きています。周りを気にしないて生きるとは、難しいけれども、毎日、自らの心と向き合うことを大切して行けば、自ずと周りへも思いは伝わるもの。
まず、自らを評価(ほめる)することが大事と思います。
さて、今週はどんなことが起こるか、楽しみでもあり、不安でもあります。
心と向き合うには、静かな場所、ひまな時、おだやかであること。〜自らの心を観察する〜
2021年09月19日
心と向き合うには、静かな場所、ひまな時、おだやかであること。〜自らの心を観察する〜
休日の朝、目覚めて静かに考える。
昨日の私の言動は、どうだったか?
人との会話は、大丈夫だったか?
今週は、何をするか?
朝から考える。
自らの心を観察する。
『菜根譚』にある心の観察術は、
【現代語訳】
静かな場所で、考えが澄みきっていると、心のほんとうのあり方を見ることができる。
ひまな時に、気持ちがゆったりと落ち着いていると、心のほんとうのはたらきを知ることができる。
あっさりとして、心のわだかまりなくおだやかであると、心のほんとうの味わいが得られる。
心の鏡に写して自分の本心を見極め、真実ていつわりのないすがたを悟るのは、その三つの方法に及ぶものはない。
(以上、『菜根譚』前集No.88より)
自分の心を観察し、何を考え、何処へ向かおうとしているのか?
人間、周りに影響されやすい動物なので、つい流されてしまう。
そんな時こそ、立ち止まり、静かに考える"俺は大丈夫か?"と。
休日の朝は、静かに考える時間です。
三連休は、台風騒動で始まった。
台風一過、好天の初秋だが、緊急事態宣言、蔓延防止の日曜、さて何をするか?
朝から開いた『菜根譚』は、"自らの心を観察する"でした。
三密避けて、自然の中の静かなところでも歩きましょうか。
休日の朝、目覚めて静かに考える。
昨日の私の言動は、どうだったか?
人との会話は、大丈夫だったか?
今週は、何をするか?
朝から考える。
自らの心を観察する。
『菜根譚』にある心の観察術は、
【現代語訳】
静かな場所で、考えが澄みきっていると、心のほんとうのあり方を見ることができる。
ひまな時に、気持ちがゆったりと落ち着いていると、心のほんとうのはたらきを知ることができる。
あっさりとして、心のわだかまりなくおだやかであると、心のほんとうの味わいが得られる。
心の鏡に写して自分の本心を見極め、真実ていつわりのないすがたを悟るのは、その三つの方法に及ぶものはない。
(以上、『菜根譚』前集No.88より)
自分の心を観察し、何を考え、何処へ向かおうとしているのか?
人間、周りに影響されやすい動物なので、つい流されてしまう。
そんな時こそ、立ち止まり、静かに考える"俺は大丈夫か?"と。
休日の朝は、静かに考える時間です。
三連休は、台風騒動で始まった。
台風一過、好天の初秋だが、緊急事態宣言、蔓延防止の日曜、さて何をするか?
朝から開いた『菜根譚』は、"自らの心を観察する"でした。
三密避けて、自然の中の静かなところでも歩きましょうか。
<人に引きずられるとは?>人を信じすぎると、手足をもぎ取られる。〜韓非子〜
2021年09月18日
<人に引きずられるとは?>人を信じすぎると、手足をもぎ取られる。〜韓非子〜
人を信じる。
人を頼る。
人に依存する。
人の言いなりになる。
人から抜け出せなくなる。
・・・人依存症に陥る。
私は、建築事務所独立前は、先輩方の事務所で、夜な夜な(本業の後、夜にアルバイト)学んでいた。ちゃんと、本業はこなしていた。
独立後は、どこの建築事務所、建築会社の下請けをしない、を通してきた。32年が過ぎた。言い方は悪いが、修行した建築事務所意外に、頭を下げることはない。
私は、地方議会の政治家の端くれですが、私に「市議に出てくれ」の先輩意外頭を下げるのは、地域の有権者だけ、利害関係者に、頭を下げること(使われる)はない。
政治の中立性、ここを有権者は、見抜いてほしいな、と思います。
それは、国政であれ、県政であれ、市政であれ、町政であれ、"中立性"を保てない政治家は、"危うい"と思う。
韓非子の訓示に、
「人生の患(うれい)は、人を信ずるに在り。人を信ずれば、人に制せらる」
があります。人(先輩・経験者)を鵜呑みにしていませんか?、時代は常に変わっています。昔のやり方では勝てないことを知らなければならない。
人に制せられない人生を過ごしたいものです。
人を信じる。
人を頼る。
人に依存する。
人の言いなりになる。
人から抜け出せなくなる。
・・・人依存症に陥る。
私は、建築事務所独立前は、先輩方の事務所で、夜な夜な(本業の後、夜にアルバイト)学んでいた。ちゃんと、本業はこなしていた。
独立後は、どこの建築事務所、建築会社の下請けをしない、を通してきた。32年が過ぎた。言い方は悪いが、修行した建築事務所意外に、頭を下げることはない。
私は、地方議会の政治家の端くれですが、私に「市議に出てくれ」の先輩意外頭を下げるのは、地域の有権者だけ、利害関係者に、頭を下げること(使われる)はない。
政治の中立性、ここを有権者は、見抜いてほしいな、と思います。
それは、国政であれ、県政であれ、市政であれ、町政であれ、"中立性"を保てない政治家は、"危うい"と思う。
韓非子の訓示に、
「人生の患(うれい)は、人を信ずるに在り。人を信ずれば、人に制せらる」
があります。人(先輩・経験者)を鵜呑みにしていませんか?、時代は常に変わっています。昔のやり方では勝てないことを知らなければならない。
人に制せられない人生を過ごしたいものです。
<画策は短期決戦>地域の出来事から学ぶ。「相手の「善意」に期待をかけるな!」(韓非子)
2021年09月18日
<画策は短期決戦>地域の出来事から学ぶ。「相手の「善意」に期待をかけるな!」(韓非子)
地域の出来事を考えていて中国古典の『韓非子』思い出し、久しぶりにの解説書『韓非子を見よ!』を読み始めた。
パラパラと開くと、?、このエピソードはすごい!
で紹介されていた、ある夫婦のエピソードは、
(以下、本より)
衛の国の夫婦が神様にお祈りをした。妻が祈るのには、
「どうか神様、わたしに百束の布をお恵みください」
「ばかに少ないな」夫が聞くと、妻は、こう答えた。
「これより多いと、あなたが妾を持つようになるからですわ」
同じ家に住む夫婦でさえ、それぞれの立場によってこれだけ利益が違うのである。
(以上、『韓非子を見よ!』より)
人それぞれ求める利益は、違っている事を、夫婦の神頼みのエピソードが表している。『韓非子』は、人は悪意(我欲)を持って生きていると説いているそうだ。
これを逆手に取った韓非子の教えが、以下です。
「相手が背かないことに期待をかけるのではなく、背こうにも背けないような態勢をつくりあげる。相手がペテンを使わないことに期待をかけるのではなく、使おうにも使えないような態勢をつくりあげる。これが名君というものだ」
(以上、本より)
ここ最近の地域の出来事から考えるに、
短期決戦の場合は、策略は効果を生むが、少し時間が経つと、画策者の本意が、だんだん言動から周りに伝わり、さらに時間が経つと、どんな利益を求めているのかも知れ渡るもの。
策略は、誰がやったか分からないような短期間で決着に持ち込まないと、ボロが出て、失敗に終わるどころか、信用まで落としてしまう。
策略は、短期の収束予定が、じわじわと手続きに時間がかかったり、社会情勢(コロナ禍)で、人を集める場を逸したりすると、ボロが出てしまう。
私の地域であった出来事を、この韓非子の視点で分析すると、「時間を要したことで、周りが理解し態勢(周知)が整った、大義ある号令(策略)が、萎んで我欲になり下がった」と判明し、会議に集まった役職は、とても冷静に対応して、権力者の画策は失敗した。
策略は、誰が首謀者分からないよう徹底し、実行は短期決戦でなければならない。また慌てる(言い訳、威圧)と、さらに時間を要することになり、ボロが傍からこぼれ落ちる。
我欲の結末は、みんな同じような結末になってしまう。人間の能力の限界は、そんなものなのかもしれません。
地域の出来事を考えていて中国古典の『韓非子』思い出し、久しぶりにの解説書『韓非子を見よ!』を読み始めた。
パラパラと開くと、?、このエピソードはすごい!
で紹介されていた、ある夫婦のエピソードは、
(以下、本より)
衛の国の夫婦が神様にお祈りをした。妻が祈るのには、
「どうか神様、わたしに百束の布をお恵みください」
「ばかに少ないな」夫が聞くと、妻は、こう答えた。
「これより多いと、あなたが妾を持つようになるからですわ」
同じ家に住む夫婦でさえ、それぞれの立場によってこれだけ利益が違うのである。
(以上、『韓非子を見よ!』より)
人それぞれ求める利益は、違っている事を、夫婦の神頼みのエピソードが表している。『韓非子』は、人は悪意(我欲)を持って生きていると説いているそうだ。
これを逆手に取った韓非子の教えが、以下です。
「相手が背かないことに期待をかけるのではなく、背こうにも背けないような態勢をつくりあげる。相手がペテンを使わないことに期待をかけるのではなく、使おうにも使えないような態勢をつくりあげる。これが名君というものだ」
(以上、本より)
ここ最近の地域の出来事から考えるに、
短期決戦の場合は、策略は効果を生むが、少し時間が経つと、画策者の本意が、だんだん言動から周りに伝わり、さらに時間が経つと、どんな利益を求めているのかも知れ渡るもの。
策略は、誰がやったか分からないような短期間で決着に持ち込まないと、ボロが出て、失敗に終わるどころか、信用まで落としてしまう。
策略は、短期の収束予定が、じわじわと手続きに時間がかかったり、社会情勢(コロナ禍)で、人を集める場を逸したりすると、ボロが出てしまう。
私の地域であった出来事を、この韓非子の視点で分析すると、「時間を要したことで、周りが理解し態勢(周知)が整った、大義ある号令(策略)が、萎んで我欲になり下がった」と判明し、会議に集まった役職は、とても冷静に対応して、権力者の画策は失敗した。
策略は、誰が首謀者分からないよう徹底し、実行は短期決戦でなければならない。また慌てる(言い訳、威圧)と、さらに時間を要することになり、ボロが傍からこぼれ落ちる。
我欲の結末は、みんな同じような結末になってしまう。人間の能力の限界は、そんなものなのかもしれません。
我欲で一歩先んじたって、その先にいいことなどない。〜禅語「利行」から〜
2021年09月18日
我欲で一歩先んじたって、その先にいいことなどない。〜禅語「利行」から〜
朝読書で「利行」なる言葉を知った。
道元禅師の言葉「利行(りぎょう)」とは、"誰かのためになるような行いをする"です。
「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」
【意味】
誰かのためになることと、自分のためになることは、ひとつのことである。
(以上、『禅、比べない生活』より)
我の利だけを追い求めると、周りに軋みが起こる。
地域の思いが一つになり、動き出した大事業に、我欲の事をねじ込もうとすると、反発が起こる。
反発を抑えるべく、権力を振りかざし進めようとすると、さらに反発は大きくなっていく。
〜地域の出来事から〜
革命が起こる原因は、権力意識の低さ(俺が言えば通る)にあるように思います。
権力者が「お先にどうぞ」の意志を見せれば、民衆は意外に受け入れることもある。しかし、我欲が全面に出ると反発が起こる。民衆意識とは不思議ですが、でも至極当たり前のことでもある。
これに対して、
周囲が自然にもり立てたくなるのは、「お先にどうぞ」といえる人です。
我欲で一歩先んじたって、その先にいいことなどない。
我欲を捨て「お先にどうぞ」の姿勢でいたら迷うことなし。
朝読書で「利行」なる言葉を知った。
道元禅師の言葉「利行(りぎょう)」とは、"誰かのためになるような行いをする"です。
「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」
【意味】
誰かのためになることと、自分のためになることは、ひとつのことである。
(以上、『禅、比べない生活』より)
我の利だけを追い求めると、周りに軋みが起こる。
地域の思いが一つになり、動き出した大事業に、我欲の事をねじ込もうとすると、反発が起こる。
反発を抑えるべく、権力を振りかざし進めようとすると、さらに反発は大きくなっていく。
〜地域の出来事から〜
革命が起こる原因は、権力意識の低さ(俺が言えば通る)にあるように思います。
権力者が「お先にどうぞ」の意志を見せれば、民衆は意外に受け入れることもある。しかし、我欲が全面に出ると反発が起こる。民衆意識とは不思議ですが、でも至極当たり前のことでもある。
これに対して、
周囲が自然にもり立てたくなるのは、「お先にどうぞ」といえる人です。
我欲で一歩先んじたって、その先にいいことなどない。
我欲を捨て「お先にどうぞ」の姿勢でいたら迷うことなし。
<アー・ユー・ハッピー>「食足世平」(食足りて、世が平和に)〜安藤百福(日清食品創業者)〜
2021年09月17日

<アー・ユー・ハッピー>「食足世平」(食足りて、世が平和に)〜安藤百福(日清食品創業者)〜
熊日新聞『新生面』に、カップヌードルの発明者の安藤百福氏のことが取り上げられている。インスタントラーメンは、世界で年間一千億食以上が食べられるという。
始まりは「チキンラーメン」だった。
文に、「食足世平」の百福氏の造語があった。
>食が足りてこそ、世の中が平和になる。
コロナ禍で、生活が困窮している人たちが増えている。
自民党の総裁選挙では、どんな議論がされているのか?
安藤百福氏の目指した、「食足りて、世が平和に」の思いが、総裁選の候補者の政策にあるのか?
コロナ禍でも、「アー・ユー・ハッピー!」と言える政治が行われることに期待します。
<総裁選への期待>至を知りてからに至る、ともに幾を言うべきなり。〜易経〜
2021年09月17日
<総裁選への期待>至を知りてからに至る、ともに幾を言うべきなり。〜易経〜
毎日、毎日、毎日を過ごしています。
日々やることほとんど変わらない。
『易経一日一言』の言葉に、今日の野田聖子氏の政治理念に合致するものがりました。
弱気者のためへのメッセージ(今日のニュース)に、関心をもちました。正々堂々と議論を、やってほしい。
抹茶ではなく、政策ですね。
冒頭の言葉は、易経の訓示です。
【解説】
毎日同じことを繰り返し、熟練すると、これが流しを察する力、「プロの目」である。決してまぐれの直感ではない。
(以上、『易経一日一言』より)
政治は、毎年、毎年の事業を進めながら、災害、海外事変、経済状況で、毎年違う状況が起こる。
変化はあれど、毎年行なわれる変わらない政治の本質を検証していること、それに上乗せするのが、新首相の政治なのだろう。基本(毎年変わらぬ)をベースに、日本を発展してさせる議論を、総裁選に期待します。
毎日、毎日、毎日を過ごしています。
日々やることほとんど変わらない。
『易経一日一言』の言葉に、今日の野田聖子氏の政治理念に合致するものがりました。
弱気者のためへのメッセージ(今日のニュース)に、関心をもちました。正々堂々と議論を、やってほしい。
抹茶ではなく、政策ですね。
冒頭の言葉は、易経の訓示です。
【解説】
毎日同じことを繰り返し、熟練すると、これが流しを察する力、「プロの目」である。決してまぐれの直感ではない。
(以上、『易経一日一言』より)
政治は、毎年、毎年の事業を進めながら、災害、海外事変、経済状況で、毎年違う状況が起こる。
変化はあれど、毎年行なわれる変わらない政治の本質を検証していること、それに上乗せするのが、新首相の政治なのだろう。基本(毎年変わらぬ)をベースに、日本を発展してさせる議論を、総裁選に期待します。
政治(まちづくり)に取り組む姿勢とは、どのような志か?〜経国済民は無心の心から〜
2021年09月17日
政治(まちづくり)に取り組む姿勢とは、どのような志か?〜経国済民は無心の心から〜
江戸期によく庶民に読まれた『菜根譚』という人生の指南書がある。その一文に、政治(経国済民)に取り組む姿勢について書かれている。
経国済民は無心から。〜『菜根譚』前集No.47〜
世を救い邦を経(おさ)むるには、段の雲水の趣味を要す。若(も)しひとたび貪着すること有らば、便(すなわ)ち危機に墜ちん。
【訳文】
世を救い国を治めるには、ひとつの行雲流水のような無心なおもむきが必要である。もしひとたびむさぼり終着する志が生じたら、たちまち危険な状態に陥ってしまうであろう。
*雲水の趣味:無欲恬淡(てんたん)で停滞することのない、無心な心の味わい。
政治(まちづくり)に関わる者が、私利私欲の企みを抱き事に当たっていると、必ず共同体の歯車に軋みが出てくる。
事が始まるには、民衆の心が一つにならなければならないが、事業が進み、大きな予算で動き始めると、我への影響(利益や恩恵)を考えるようになる。
その心の変化に、この訓示は、鍵を刺している。
経国済民は、無心でなければならない。
小さな地域の政治(まちづくり)にも、我への影響を考え、行動する人が居ると、共同体に軋みが起こるもの。
総裁選は、自民党(共同体)の長を決める論戦だが、自らへの恩恵が前面に出ることが有れば、共同体に軋みを起こす。
小さな地域であれ、自民党であれ、共同体の政治(まちづくり)は、無心の心で向かう必要がある、とここ数日の体験から学びます。
江戸期によく庶民に読まれた『菜根譚』という人生の指南書がある。その一文に、政治(経国済民)に取り組む姿勢について書かれている。
経国済民は無心から。〜『菜根譚』前集No.47〜
世を救い邦を経(おさ)むるには、段の雲水の趣味を要す。若(も)しひとたび貪着すること有らば、便(すなわ)ち危機に墜ちん。
【訳文】
世を救い国を治めるには、ひとつの行雲流水のような無心なおもむきが必要である。もしひとたびむさぼり終着する志が生じたら、たちまち危険な状態に陥ってしまうであろう。
*雲水の趣味:無欲恬淡(てんたん)で停滞することのない、無心な心の味わい。
政治(まちづくり)に関わる者が、私利私欲の企みを抱き事に当たっていると、必ず共同体の歯車に軋みが出てくる。
事が始まるには、民衆の心が一つにならなければならないが、事業が進み、大きな予算で動き始めると、我への影響(利益や恩恵)を考えるようになる。
その心の変化に、この訓示は、鍵を刺している。
経国済民は、無心でなければならない。
小さな地域の政治(まちづくり)にも、我への影響を考え、行動する人が居ると、共同体に軋みが起こるもの。
総裁選は、自民党(共同体)の長を決める論戦だが、自らへの恩恵が前面に出ることが有れば、共同体に軋みを起こす。
小さな地域であれ、自民党であれ、共同体の政治(まちづくり)は、無心の心で向かう必要がある、とここ数日の体験から学びます。
<我行かん>突然の出来事にどう対処するのか。〜『易経』〜
2021年09月15日
<我行かん>突然の出来事にどう対処するのか。〜『易経』〜
昨日からまた読み始めた『易経一日一言』に、今日の言葉があった。
(以下、本より)
独立して懼(おそ)れず、世を遁(のが)れて悶(うれ)うることなし。〜沢風大過の卦〜
「沢風大過」は、危急存亡に瀕した時のこと。
本日の『易経一日一言』の訓示「我行かん」です。
解説に、以下とあった。
(以下、本より)
危機の時、リーダーは自分の力量を超え、過ぎた行いをしなければ、危機からは逃れられない。周りや世間がどんなに非難しても、苦闘せず、良しとした志を懼れず流されず貫き通すことである。
大変な非常時には逃げるのでなく、「我行かん」と勇気を持って進んで行かなければならないと教えている。
(以上、『易経一日一言』9月15日より)
突然の出来事にどう対処するのか。
日頃から考えておかなければならない、と思った朝です。
昨日からまた読み始めた『易経一日一言』に、今日の言葉があった。
(以下、本より)
独立して懼(おそ)れず、世を遁(のが)れて悶(うれ)うることなし。〜沢風大過の卦〜
「沢風大過」は、危急存亡に瀕した時のこと。
本日の『易経一日一言』の訓示「我行かん」です。
解説に、以下とあった。
(以下、本より)
危機の時、リーダーは自分の力量を超え、過ぎた行いをしなければ、危機からは逃れられない。周りや世間がどんなに非難しても、苦闘せず、良しとした志を懼れず流されず貫き通すことである。
大変な非常時には逃げるのでなく、「我行かん」と勇気を持って進んで行かなければならないと教えている。
(以上、『易経一日一言』9月15日より)
突然の出来事にどう対処するのか。
日頃から考えておかなければならない、と思った朝です。
Posted by ノグチ(noguchi) at
06:18
│Comments(0)
<強い心、自心の観察>何を大事にしているか?、人は長く付き合わないとわからない。
2021年09月14日
<強い心、自心の観察>何を大事にしているか?、人は長く付き合わないとわからない。
かつて、「健全な身体に、健全な精神が宿る」と言った人がいる。
さて、それは確かだろうか?
何か事(騒ぎや事件)が起こると、さっきまで前面に立って発言していた人が見当たらない!ことに気づく。
立場が悪くなると居なくなる(逃げる)。
強い人というのは、逃げない心(志)を持っている人であることを、この歳になると解る。
先週読んだ哲人・中村天風著『ほんとうの心の力』に以下について書かれている。
(以下、本より抜粋)
強い心
心をおっぽり出しておいて、心はどんなに精神過敏でも、肉体だけがどんどん強くなるてぇことは絶対ない。健全な肉体は健全な精神によって作られるのであって、健全な肉体によって精神が作られるのではない。(中略)
病や運命の悪くなったときに、それに負けない、打ち負かされない、しいたげられない強さた尊さをもった心がほしいのです。
(以上、本より)
逆境になったとき、逃げない強い心を持つには、どうするのか。
自分は、何を大事にしているか?
『菜根譚』のNo.9「自心の観察」の解説より、
夜が更けて人びとが寝静まった時、あるいは夜明け前、ただ独り坐して自分の本心を観察すると、いろいろな妄念が消えて、清らかな真心がみえてくる。その時、何が大事で、何が無駄か、を考える。
(以上、『菜根譚』より)
強い心とは、事が起こった時、逃げない生き方をしているか、ではないかと
思う。
バブル経済がはじけて、山一證券が自主廃業した。この時の社長は、すべての社員が、再就職できるように、最後まで努力された話を聞いた。
事が起こった時、会社が何を大事にしてきたかが見える。
人の生き方も、見えてくるように思います。
人は、長く付き合わないとわからない、と思います。
かつて、「健全な身体に、健全な精神が宿る」と言った人がいる。
さて、それは確かだろうか?
何か事(騒ぎや事件)が起こると、さっきまで前面に立って発言していた人が見当たらない!ことに気づく。
立場が悪くなると居なくなる(逃げる)。
強い人というのは、逃げない心(志)を持っている人であることを、この歳になると解る。
先週読んだ哲人・中村天風著『ほんとうの心の力』に以下について書かれている。
(以下、本より抜粋)
強い心
心をおっぽり出しておいて、心はどんなに精神過敏でも、肉体だけがどんどん強くなるてぇことは絶対ない。健全な肉体は健全な精神によって作られるのであって、健全な肉体によって精神が作られるのではない。(中略)
病や運命の悪くなったときに、それに負けない、打ち負かされない、しいたげられない強さた尊さをもった心がほしいのです。
(以上、本より)
逆境になったとき、逃げない強い心を持つには、どうするのか。
自分は、何を大事にしているか?
『菜根譚』のNo.9「自心の観察」の解説より、
夜が更けて人びとが寝静まった時、あるいは夜明け前、ただ独り坐して自分の本心を観察すると、いろいろな妄念が消えて、清らかな真心がみえてくる。その時、何が大事で、何が無駄か、を考える。
(以上、『菜根譚』より)
強い心とは、事が起こった時、逃げない生き方をしているか、ではないかと
思う。
バブル経済がはじけて、山一證券が自主廃業した。この時の社長は、すべての社員が、再就職できるように、最後まで努力された話を聞いた。
事が起こった時、会社が何を大事にしてきたかが見える。
人の生き方も、見えてくるように思います。
人は、長く付き合わないとわからない、と思います。
<親の背中を見て育つ>家族団らんの中に道は実現している。〜『菜根譚』〜
2021年09月13日
<親の背中を見て育つ>家族団らんの中に道は実現している。〜『菜根譚』〜
来週の敬老会は、コロナ禍で2年続けて中止となった。高齢者は、ワクチン接種は済めど、"外出は控えて"の大号令が、年始からずっと続いている。
ブレークスルー感染?
ワクチンは打ったが感染する現実に、ワクチン効果は?
重症化率は、1/30に下がるとの研究結果。
基礎疾患を持つ人は、ワクチン接種後も要注意であることに変わりはない。
3度目のワクチン接種を年内に始めると政府が言うが・・・
このコロナ禍で、家庭で過ごす時間が多くなった。家庭内で成長はあるのか、子どもの学びはできるか。
『菜根譚』に、以下の訓示学校ある。
(以下、本より)
家族団らんの中に道は実現している。
【訳文】
家庭の中には一つの真実の仏がおり、日常生活の中にも一つの真実の道がある。すなわち、人間同士が、真心をもって仲よくし、にこやかな顔色にやさしい言葉を使うことにより、父母兄妹の間柄を、からだも気持ちもお互いに通じるようにさせたならば、息をととのえて気を養ったり、心を観察して特別な修行をして悟りを開くことよりもずっとまさっている。
(以上、『菜根譚』前集No.21)
やれ研修だ、やれセミナーだ、としゃかりきに、学ぶ人たちが多いが、足下の家庭に不和があれば、学びどころではない。
老若男女、高齢者も子どもも、和気藹々の家庭にこそ学びがある。
四書五経の『礼記』に、官僚で学者の謝安が、妻に家庭教育について、「あなたは、子どもに何も教えない」と嫌みを言った時に、謝安は「私は毎日教えている」と答えたとのこと。
要は、親の生き方をそのものが、家庭教育そのものの教示と思います。
かつての"親の背中"を見て育つ、コロナ禍だからこそ、自ら大人たちが、子どもたちに示すチャンスかもしれません。
来週の敬老会は、コロナ禍で2年続けて中止となった。高齢者は、ワクチン接種は済めど、"外出は控えて"の大号令が、年始からずっと続いている。
ブレークスルー感染?
ワクチンは打ったが感染する現実に、ワクチン効果は?
重症化率は、1/30に下がるとの研究結果。
基礎疾患を持つ人は、ワクチン接種後も要注意であることに変わりはない。
3度目のワクチン接種を年内に始めると政府が言うが・・・
このコロナ禍で、家庭で過ごす時間が多くなった。家庭内で成長はあるのか、子どもの学びはできるか。
『菜根譚』に、以下の訓示学校ある。
(以下、本より)
家族団らんの中に道は実現している。
【訳文】
家庭の中には一つの真実の仏がおり、日常生活の中にも一つの真実の道がある。すなわち、人間同士が、真心をもって仲よくし、にこやかな顔色にやさしい言葉を使うことにより、父母兄妹の間柄を、からだも気持ちもお互いに通じるようにさせたならば、息をととのえて気を養ったり、心を観察して特別な修行をして悟りを開くことよりもずっとまさっている。
(以上、『菜根譚』前集No.21)
やれ研修だ、やれセミナーだ、としゃかりきに、学ぶ人たちが多いが、足下の家庭に不和があれば、学びどころではない。
老若男女、高齢者も子どもも、和気藹々の家庭にこそ学びがある。
四書五経の『礼記』に、官僚で学者の謝安が、妻に家庭教育について、「あなたは、子どもに何も教えない」と嫌みを言った時に、謝安は「私は毎日教えている」と答えたとのこと。
要は、親の生き方をそのものが、家庭教育そのものの教示と思います。
かつての"親の背中"を見て育つ、コロナ禍だからこそ、自ら大人たちが、子どもたちに示すチャンスかもしれません。
<渦中の栗を拾っても平然と>目立たず、騒がす、静かに積善を積む。〜『菜根譚』前集No.19〜
2021年09月12日
<渦中の栗を拾っても平然と>目立たず、騒がす、静かに積善を積む。〜『菜根譚』前集No.19〜
江戸期の庶民の道徳本『菜根譚』より、
(以下、『菜根譚』より)
名誉は独占せず、密かに徳を養う
【訳文】
完全で立派な、名誉や節操は。自分一人で独占してはいけない。その一部を他人にも分け与えてやるようにすれば、危害を遠ざけ天寿を全うすることができる。
恥ずかしい行為や悪い評判も、全部が他人の責任だと推しつけてはいけない。その一部を自分で引きかぶるようにすれば、自分の才能というものをあまりひけらかさかいで、その人からを磨き高めることができる。
(以上、『菜根譚』より)
世には出くわすことが、多々ある。
夫婦喧嘩。
企業のトラブル。
イデオロギーの違い。
学校のイジメ問題。
いろいろと、世には揉め事が起こる。
あなたは、どう対処しますか?
一番は、成果を求めない。
〜司馬遼太郎は、「8割できたら、やりたい人にやらせて、見物しない」と。
仲間の中でトラブルが起きたら、静かに意見を聴き続ける。・・・私の対応が悪くて、と申し訳ないと謝る。
成果で目立たない。
不利になった時、逃げない。
関わる関係者の気持ちに寄り添うことに徹する。でも、そこからしか、解決の糸口は見つからない。
人間関係、人間観察から学ぶことほど、生きる知恵の発見はない。
そろそろ明日のために、休みます。
明日から台風14号、九州に被害なく、東アジアにも被害なきことを願っています。
江戸期の庶民の道徳本『菜根譚』より、
(以下、『菜根譚』より)
名誉は独占せず、密かに徳を養う
【訳文】
完全で立派な、名誉や節操は。自分一人で独占してはいけない。その一部を他人にも分け与えてやるようにすれば、危害を遠ざけ天寿を全うすることができる。
恥ずかしい行為や悪い評判も、全部が他人の責任だと推しつけてはいけない。その一部を自分で引きかぶるようにすれば、自分の才能というものをあまりひけらかさかいで、その人からを磨き高めることができる。
(以上、『菜根譚』より)
世には出くわすことが、多々ある。
夫婦喧嘩。
企業のトラブル。
イデオロギーの違い。
学校のイジメ問題。
いろいろと、世には揉め事が起こる。
あなたは、どう対処しますか?
一番は、成果を求めない。
〜司馬遼太郎は、「8割できたら、やりたい人にやらせて、見物しない」と。
仲間の中でトラブルが起きたら、静かに意見を聴き続ける。・・・私の対応が悪くて、と申し訳ないと謝る。
成果で目立たない。
不利になった時、逃げない。
関わる関係者の気持ちに寄り添うことに徹する。でも、そこからしか、解決の糸口は見つからない。
人間関係、人間観察から学ぶことほど、生きる知恵の発見はない。
そろそろ明日のために、休みます。
明日から台風14号、九州に被害なく、東アジアにも被害なきことを願っています。
その人間の度合いが、ワルクチを言うときに露呈する。〜人の一生の評価は、後の半生を見るだけでよい〜
2021年09月12日
<周りのトシヨリは、どうでしょうか?>その人間の度合いが、ワルクチを言うときに露呈する。〜人の一生の評価は、後の半生を見るだけでよい〜
人間観察の天才?と思っている作家の田辺聖子さんだが、今朝は、田辺聖子著書から、特徴的な文を集めた『苦み(ビター)を少々』を開いた。以下の文に、"なるほど!"と思った。
(以下、本より転載)
いったい、人間というのは、自分のかわいがっているもののことを、人さまの前で告白したり論評したり、するものではないのだ。相手は白けはて、(それがどうした!)という気になるのだ。長いこと生きてて、なんでそれがわからんのか、二十代の連れ合い自慢、三十代四十代の子供自慢、五十代六十代の財産自慢、みな同じ。ことにトシヨリの孫自慢はモウロクが添っているだけによけい見苦しい。
まだしも人間は、人のワルクチをいっているときの方が、聞く身としてはおもしろい。その人間の度合いが、ワルクチをいうときに露呈するからである。〜『姥(うば)ざかり』より〜
(以上、田辺聖子語録集『苦みを少々』より)
いつか、私にも孫ができるだろうが、この文章を読み、気をつけなければ、と思った。
『姥ざかり』とは、うまく名付けたものと、思いました。
また、以下も、
「本音をきいたらその場ですぐ忘れるのがいいのであるが、本意ほど後遺症が烈しく、即座に忘れることができないのが、人間の悲しさである」〜『鬼の女房』より〜
ワルクチは、その人の本音(本意)が過分に入っていると思う。だから、「誰が何を言った」が記憶に残るのだろう。
自慢話とワルクチ、その人の度合い(人間性)が、表に出る瞬間です。
『菜根譚』の訓示の解説に、
人の真価がわかる時
【訳文】抜粋
ことわざにも、「人の一生の評価をするには、ただ後の半生を見るだけでよい」といっている。ほんとうに名言である。
(以上、『菜根譚』前集No.93)
高齢者(トシヨリ)は、身体が動かない分、本音(噂・ワルクチ)が好きなようです。私もそんなトシヨリ(高齢者)にならないように、"気をつけねば"と思う。
さて、みなさんの周りのトシヨリは、どうでしょうか?

人間観察の天才?と思っている作家の田辺聖子さんだが、今朝は、田辺聖子著書から、特徴的な文を集めた『苦み(ビター)を少々』を開いた。以下の文に、"なるほど!"と思った。
(以下、本より転載)
いったい、人間というのは、自分のかわいがっているもののことを、人さまの前で告白したり論評したり、するものではないのだ。相手は白けはて、(それがどうした!)という気になるのだ。長いこと生きてて、なんでそれがわからんのか、二十代の連れ合い自慢、三十代四十代の子供自慢、五十代六十代の財産自慢、みな同じ。ことにトシヨリの孫自慢はモウロクが添っているだけによけい見苦しい。
まだしも人間は、人のワルクチをいっているときの方が、聞く身としてはおもしろい。その人間の度合いが、ワルクチをいうときに露呈するからである。〜『姥(うば)ざかり』より〜
(以上、田辺聖子語録集『苦みを少々』より)
いつか、私にも孫ができるだろうが、この文章を読み、気をつけなければ、と思った。
『姥ざかり』とは、うまく名付けたものと、思いました。
また、以下も、
「本音をきいたらその場ですぐ忘れるのがいいのであるが、本意ほど後遺症が烈しく、即座に忘れることができないのが、人間の悲しさである」〜『鬼の女房』より〜
ワルクチは、その人の本音(本意)が過分に入っていると思う。だから、「誰が何を言った」が記憶に残るのだろう。
自慢話とワルクチ、その人の度合い(人間性)が、表に出る瞬間です。
『菜根譚』の訓示の解説に、
人の真価がわかる時
【訳文】抜粋
ことわざにも、「人の一生の評価をするには、ただ後の半生を見るだけでよい」といっている。ほんとうに名言である。
(以上、『菜根譚』前集No.93)
高齢者(トシヨリ)は、身体が動かない分、本音(噂・ワルクチ)が好きなようです。私もそんなトシヨリ(高齢者)にならないように、"気をつけねば"と思う。
さて、みなさんの周りのトシヨリは、どうでしょうか?

<一期一会は危機回避の始まり>一度の同席、一度の同乗にも感謝の気持ちを抱けるか?〜人は縁ある人しか助けない〜
2021年09月12日
<一期一会は危機回避の始まり>一度の同席、一度の同乗にも感謝の気持ちを抱けるか?〜人は縁ある人しか助けない〜
60年も生きていると、自らが命の危険を感じた経験があると思います。
その経験から、危険を予測する危機回避を考える。
見難い交差点、出会い頭にあわやぶつかりそうになった経験から、ちゃんと一旦停止して、ゆっくりと交差点に侵入する。危機回避の行動。
私も、不況・不景気、オイルショック、プラザ合意、消費税アップの経験。
就職活動は、第二次オイルショックの中、お先真っ暗。最初の職場は、無給だった。
新婚旅行から帰ったら、プラザ合意で、ドルの価値が4割減となった。円高不況の始まりだった。
バブル期の建築需要過多で、夜な夜な先輩の事務所でアルバイトで稼いだ。その勢いで独立したら、バブル経済がはじけて、仕事がなくなった。
消費税アップ直前、建築ブームで、仕事が増え過ぎ、体調を壊しそうになった。その経験から、同業種交流を始めた。
同業種交流会は、平時から頼れる人材探しが目的だった。それが発展して異業種交流会「四季の会」になった。異業種交流は、私の活動の場を拡げ、今に至っている。
曽野綾子著『中年以後』の「危機はそこにある」〜現実を信じず、悪いことを予測する〜に以下のことが書かれている。
(以下、本より抜粋)
人間は、いっしょに行動を許して貰えただけで、私はお礼を言う気持ちになる。
大きな災害とは、自然災害、国防的災害、社会構造的災害がある。
私たちは計画を立て、好みを自覚して、日々を楽しく暮らせばいいのだけれど、そのような生活が経済的にも社会的にも、明日もまた続くという保証はないのである。
危機管理についていささかでも考えない人は、多分、大人になっても子供なのだろう、と思う。
(以上、『中年以後』より)
人間関係は、作用反作用の法則になっていると、特に最近感じる。
周りに感謝する気持ちは、言葉に出して、行動に起こして伝わるもの、朝の挨拶、感謝の気持ちを日頃からできる人とそうでない人は、人のつながりが違うように思う。
ある研修会が満席で、となり同士になった方に、「お隣よろしいでしょうか?」と言って座り、研修が終われば、「お隣に座らせいただき、ありがとうございました」と別れる。〜一度の同席〜
ある会合の帰り、駅に急ぐ方向が一緒なので、タクシーを同乗したら、「ご一緒できて良かったです。お世話になりました」と言うでしょう。〜一度の同乗〜
そんな挨拶やお礼の言葉が、人と人の縁をつなぐものです。
「人は縁ある人しか助けない」
これは、先輩方から何度も聞いた言葉です。
人は縁(えにし)でつながっている、といいますが。縁は、自らの行動からしか、つながらない。
一期一会、人とのつながりを大事にして生きたいものです。
*参考資料:曽野綾子著『中年以後』
60年も生きていると、自らが命の危険を感じた経験があると思います。
その経験から、危険を予測する危機回避を考える。
見難い交差点、出会い頭にあわやぶつかりそうになった経験から、ちゃんと一旦停止して、ゆっくりと交差点に侵入する。危機回避の行動。
私も、不況・不景気、オイルショック、プラザ合意、消費税アップの経験。
就職活動は、第二次オイルショックの中、お先真っ暗。最初の職場は、無給だった。
新婚旅行から帰ったら、プラザ合意で、ドルの価値が4割減となった。円高不況の始まりだった。
バブル期の建築需要過多で、夜な夜な先輩の事務所でアルバイトで稼いだ。その勢いで独立したら、バブル経済がはじけて、仕事がなくなった。
消費税アップ直前、建築ブームで、仕事が増え過ぎ、体調を壊しそうになった。その経験から、同業種交流を始めた。
同業種交流会は、平時から頼れる人材探しが目的だった。それが発展して異業種交流会「四季の会」になった。異業種交流は、私の活動の場を拡げ、今に至っている。
曽野綾子著『中年以後』の「危機はそこにある」〜現実を信じず、悪いことを予測する〜に以下のことが書かれている。
(以下、本より抜粋)
人間は、いっしょに行動を許して貰えただけで、私はお礼を言う気持ちになる。
大きな災害とは、自然災害、国防的災害、社会構造的災害がある。
私たちは計画を立て、好みを自覚して、日々を楽しく暮らせばいいのだけれど、そのような生活が経済的にも社会的にも、明日もまた続くという保証はないのである。
危機管理についていささかでも考えない人は、多分、大人になっても子供なのだろう、と思う。
(以上、『中年以後』より)
人間関係は、作用反作用の法則になっていると、特に最近感じる。
周りに感謝する気持ちは、言葉に出して、行動に起こして伝わるもの、朝の挨拶、感謝の気持ちを日頃からできる人とそうでない人は、人のつながりが違うように思う。
ある研修会が満席で、となり同士になった方に、「お隣よろしいでしょうか?」と言って座り、研修が終われば、「お隣に座らせいただき、ありがとうございました」と別れる。〜一度の同席〜
ある会合の帰り、駅に急ぐ方向が一緒なので、タクシーを同乗したら、「ご一緒できて良かったです。お世話になりました」と言うでしょう。〜一度の同乗〜
そんな挨拶やお礼の言葉が、人と人の縁をつなぐものです。
「人は縁ある人しか助けない」
これは、先輩方から何度も聞いた言葉です。
人は縁(えにし)でつながっている、といいますが。縁は、自らの行動からしか、つながらない。
一期一会、人とのつながりを大事にして生きたいものです。
*参考資料:曽野綾子著『中年以後』
パンがないならケーキでいい。魚や鳥や虫がいなくなっても、人間がいればいいじゃないか。〜困らないって、何?〜
2021年09月10日
パンがないならケーキでいい。魚や鳥や虫がいなくなっても、人間がいればいいじゃないか。〜困らないって、何?〜
以前にトキの復活について熊日新聞に投稿したことがある。養老孟司著『さかさま人間学』に、富士五湖の一つ西湖で、絶滅したと思われた「クニマス」が発見され話題になったという。
人間の生活に、クニマスが居ようが居まいが、関係ない話です。
冒頭の言葉は、フランス革命の時に、マリー・アントワネットのエピソード。
革命前、市民は食べ物にも事欠くようになって、毎日食べるパンがないという騒ぎになりました。それを聞いたマリー・アントワネットが「パンがないなら、ケーキを食べればいいじゃない」と言ったという。
政治家は、庶民生活の現実を知ることの大事さ、リアルな政治感(観)を常に研ぎ澄ますことを忘れてはいけない、への訓示が、マリー・アントワネットの言葉を示していると思います。
地球から、魚や鳥や虫が居なくなってしまったら、どうなるのでしょう。
木々や草花がなくなれば、酸素はどうやって作るの?
日々の生活に追いまくられ、欲に駆られる生活を埋没したら、自らの立ち位置が見えなくなる。
>パンがないなら、ケーキを食べればいい
政治家は、庶民生活のリアルな政治感覚を忘れてはならない。現場に近い人たち、地方自治に関わる人たちの声を聞くことに、政府要人は努めなければならないと思いました。
>魚や鳥や虫が居なくなってしまったら
地球の危機、地球温暖化への関心の喚起の機運が上がることを願っています。
以前にトキの復活について熊日新聞に投稿したことがある。養老孟司著『さかさま人間学』に、富士五湖の一つ西湖で、絶滅したと思われた「クニマス」が発見され話題になったという。
人間の生活に、クニマスが居ようが居まいが、関係ない話です。
冒頭の言葉は、フランス革命の時に、マリー・アントワネットのエピソード。
革命前、市民は食べ物にも事欠くようになって、毎日食べるパンがないという騒ぎになりました。それを聞いたマリー・アントワネットが「パンがないなら、ケーキを食べればいいじゃない」と言ったという。
政治家は、庶民生活の現実を知ることの大事さ、リアルな政治感(観)を常に研ぎ澄ますことを忘れてはいけない、への訓示が、マリー・アントワネットの言葉を示していると思います。
地球から、魚や鳥や虫が居なくなってしまったら、どうなるのでしょう。
木々や草花がなくなれば、酸素はどうやって作るの?
日々の生活に追いまくられ、欲に駆られる生活を埋没したら、自らの立ち位置が見えなくなる。
>パンがないなら、ケーキを食べればいい
政治家は、庶民生活のリアルな政治感覚を忘れてはならない。現場に近い人たち、地方自治に関わる人たちの声を聞くことに、政府要人は努めなければならないと思いました。
>魚や鳥や虫が居なくなってしまったら
地球の危機、地球温暖化への関心の喚起の機運が上がることを願っています。
噂というのは「あの人なら、さもありそうなことだ」と思わせる雰囲気をもっていれば成功。〜田辺聖子〜
2021年09月09日
噂というのは「あの人なら、さもありそうなことだ」と思わせる雰囲気をもっていれば成功。〜田辺聖子〜
秋は紅葉と言いますが、赤や黄色、オレンジ色の葉っぱがじゅうたんのように広がる風景も良いですが、殺風景な針葉樹の森に、ポツンと赤い楓一本は、存在感と艶やかさを感じます。
日本の自然美が最近、西洋風になってきているのでは、思ったりします。
田辺聖子著『夜明けのさよなら』に以下の文かあります。
(以下、『苦みを少々』から)
花というものは、華やかなものではないんですな、本来、素朴なもんなですな。ですから、飾りたてた部屋には元来、向かんのですよ。日本間の、何の飾りもない床の間に活けると引き立つでしょう?
しかし西洋風の、カーテンだ、じゅうたんだ、ソファだ、画だとごてごてしている間の中に、活けられた花は造花のように死んでしまう。
花が生きるのは、こんな風な、丸太小屋みたいな部屋の中なんです。
(以上、本より)
花も紅葉も、たくさんの中に在れば目立たない。異分野の中にいるから輝くのです。
人も群衆の中で輝こうとしても、白い砂浜の石英の一つでしかないが、黒い砂浜では、一粒でも白く輝く。
>日本間の、何の飾りもない床の間に活けると引き立つでしょう?
自らの存在をどう活かすか?
異分野の人との交流(つながり)の多様にさせることで、自らの存在を示すことが大事だと、異業種交流会を続けできて思います。
田辺聖子さんの言葉に、噂の話があります。
(以下、『苦みを少々』より)
噂というのは「あの人なら、さもありそうなことだ」と思わせる雰囲気をもっていれば成功で、その出来具合に感心するのも噂のたのしみである。〜『ダンスと空想』〜
噂の出来具合を楽しむ?
私はその境地にはないですが、群衆のなかで安住するのか、異分野の中で光を放つのか。
一度の人生、どう生きるか。
建築という立ち位置は持ちながら、市民活動という世界は、変化もありますが、体験というリアル感が、愉快と思っています。
さて、私の噂はどんなものか?、本人の耳にはなかなか聴こえてきませんが、"出来具合"はどんなものでしょうか。何かの機会に確認したいものです。
秋は紅葉と言いますが、赤や黄色、オレンジ色の葉っぱがじゅうたんのように広がる風景も良いですが、殺風景な針葉樹の森に、ポツンと赤い楓一本は、存在感と艶やかさを感じます。
日本の自然美が最近、西洋風になってきているのでは、思ったりします。
田辺聖子著『夜明けのさよなら』に以下の文かあります。
(以下、『苦みを少々』から)
花というものは、華やかなものではないんですな、本来、素朴なもんなですな。ですから、飾りたてた部屋には元来、向かんのですよ。日本間の、何の飾りもない床の間に活けると引き立つでしょう?
しかし西洋風の、カーテンだ、じゅうたんだ、ソファだ、画だとごてごてしている間の中に、活けられた花は造花のように死んでしまう。
花が生きるのは、こんな風な、丸太小屋みたいな部屋の中なんです。
(以上、本より)
花も紅葉も、たくさんの中に在れば目立たない。異分野の中にいるから輝くのです。
人も群衆の中で輝こうとしても、白い砂浜の石英の一つでしかないが、黒い砂浜では、一粒でも白く輝く。
>日本間の、何の飾りもない床の間に活けると引き立つでしょう?
自らの存在をどう活かすか?
異分野の人との交流(つながり)の多様にさせることで、自らの存在を示すことが大事だと、異業種交流会を続けできて思います。
田辺聖子さんの言葉に、噂の話があります。
(以下、『苦みを少々』より)
噂というのは「あの人なら、さもありそうなことだ」と思わせる雰囲気をもっていれば成功で、その出来具合に感心するのも噂のたのしみである。〜『ダンスと空想』〜
噂の出来具合を楽しむ?
私はその境地にはないですが、群衆のなかで安住するのか、異分野の中で光を放つのか。
一度の人生、どう生きるか。
建築という立ち位置は持ちながら、市民活動という世界は、変化もありますが、体験というリアル感が、愉快と思っています。
さて、私の噂はどんなものか?、本人の耳にはなかなか聴こえてきませんが、"出来具合"はどんなものでしょうか。何かの機会に確認したいものです。
日曜日の工作、5作目は両面使える草刈り機のノコの刃です。一枚で二枚分。前4作の良い点を加味して、加工してみました。
2021年09月05日





日曜日の工作、5作目は両面使える草刈り機のノコの刃です。一枚で二枚分。前4作の良い点を加味して、加工してみました。このノコの刃は、以前使っていた力の強い草刈り機用の刃で、5年近く納屋にあり錆びて使わなかった物を加工しました。重さが半分になって、毎回、ヤスリで研いで使うので、使用時間は短くなりますが、小さな竹や枝も切り落とせます。直径26センチを加工したのが2枚、直径23センチを加工したのが3枚になりました。2〜3年は、市販の刃は、購入しなくても良さそうです。
中年も老い易く学成り難し、とすれば、私はもう老年なのか?
2021年09月04日
中年も老い易く学成り難し、とすれば、私はもう老年なのか?
今日は土曜日なので、早朝ウォーキング、朝飯前の雑草刈り、遅い朝食終えて、仕事の打ち合わせに出かけた。帰宅して、昨日から続ける、クルマのメンテナンス作業を、車庫の中で、2時間近くやって、疲れて昼寝した。目覚め悩んだ田辺聖子さんの言葉を集めた本『苦味を少々』から、考えたことを、思いつくままに書いてみました。
「少年老い易く学成り難し」なる言葉ありますが、作家の田辺聖子さんは、以下のことを、著書で書いています。
田辺聖子さんの言葉を集めた本『苦味を少々』より
(以下、本より)
「若い時はつかのまといいますが・・ふふう・・ナニ、中年もつかのまです」
「ほんとにそうかもしれません。早く過ぎるのは青春だけでなく中年もそうですね」
〜『魚は水に女は家に』〜
この言葉を借りると、
「中年も老い易く学成り難し」
となるのか?
みなさんは、中年を何歳から何歳と認識されているのでしょう。
さまざま本に、「青春」は気持ち次第、中には、高齢者になっても活き活きと活躍する方が、「私は、今が青春」と語っても、不思議にならない社会の雰囲気がある。
さて、「中年」とは何か?
何をもって中年とするのだろう、と考える。
私は、40歳前から50歳までの、さまざま活動の実践報告とし本を出しました。私の意識としたら、中年の前半をまとめたつもりですが、
今、63歳です。
私は、中年を卒業したのか?
中年も老い易く学成り難し、とすれば、私はもう老年なのか?
ふと、田辺聖子さんの文を読み、悩みました。(笑)
今日は土曜日なので、早朝ウォーキング、朝飯前の雑草刈り、遅い朝食終えて、仕事の打ち合わせに出かけた。帰宅して、昨日から続ける、クルマのメンテナンス作業を、車庫の中で、2時間近くやって、疲れて昼寝した。目覚め悩んだ田辺聖子さんの言葉を集めた本『苦味を少々』から、考えたことを、思いつくままに書いてみました。
「少年老い易く学成り難し」なる言葉ありますが、作家の田辺聖子さんは、以下のことを、著書で書いています。
田辺聖子さんの言葉を集めた本『苦味を少々』より
(以下、本より)
「若い時はつかのまといいますが・・ふふう・・ナニ、中年もつかのまです」
「ほんとにそうかもしれません。早く過ぎるのは青春だけでなく中年もそうですね」
〜『魚は水に女は家に』〜
この言葉を借りると、
「中年も老い易く学成り難し」
となるのか?
みなさんは、中年を何歳から何歳と認識されているのでしょう。
さまざま本に、「青春」は気持ち次第、中には、高齢者になっても活き活きと活躍する方が、「私は、今が青春」と語っても、不思議にならない社会の雰囲気がある。
さて、「中年」とは何か?
何をもって中年とするのだろう、と考える。
私は、40歳前から50歳までの、さまざま活動の実践報告とし本を出しました。私の意識としたら、中年の前半をまとめたつもりですが、
今、63歳です。
私は、中年を卒業したのか?
中年も老い易く学成り難し、とすれば、私はもう老年なのか?
ふと、田辺聖子さんの文を読み、悩みました。(笑)