政治家の市長と、政治家の市議との活動の比較を指摘した、素晴らしい質問と思います。

2024年06月21日


市長の視点と言動と議員の活動との"バトル"に、注目しました。政治家の市長と、政治家の市議との活動の比較を指摘した、素晴らしい質問と思います。

皆さんは、この指摘をどう感じますか?

皆さんの周りに、同様のことがよく起こっています。ぜひ、関心を持って頂ければ嬉しいです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:36Comments(0)モラル・マナー政治問題(地方)哲学、人生

<日々人間力を高める>小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺る。〜『礼記』〜

2023年09月03日

<日々人間力を高める>小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺る。〜『礼記』〜

午前中は、180年続く干拓地に感謝する神事に参列しました。コロナ禍で3年、招待客を招かずに開催されていたので、久しぶりの参列となりました。

その後、熊本市の男女共同参画社会づくりの会議に、大遅刻ですが参加のため車を走らせました。到着5分前に、「来られてますか?」と会長から電話が入り、「5分くらいで着きます」と返事し、会場に入ると会議は終わってました。

私の担当の韓国訪問(熊本県忠清南道日韓交流40周年)の内容と秋の研修の企画「四賢婦人記念館訪問」の内容を説明しました。昨日の四賢婦人記念館の見学は、今日のためにあったなぁ、と思いました。

午後は、書斎に籠り、9月議会の質問資料づくりです。ちょっとコーヒータイムに、手元の本を開くと、冒頭の言葉を見つけました。3年ぶりくらいに読み返しています。

意味はなんとなく分かりますが、詳しく読むとなるほど、納得でした。

「小人は水に溺れる」は、泳ぎが慣れてきた時に溺れやすい。
*小人:一般人

「君子は口に溺れる」は、とくにアルコールでも入ると、誰でも多弁になりやすい。要注意。

「大人は民に溺れる」
『礼記』の説明によると、民という道理など気にしない連中を、馬鹿にしてかかると、かえって大ヤケドをするのだという。

『礼記』での訓示の趣旨は、「故に君子は慎まざるべからず」 とダメを押している。

最近のSNSやYouTube等を、流れるままに見ていると、

>小人は水に溺れ、君子は口に溺れ

の状況をたくさん見る。

自己顕示

自己主張

自由奔放

そんなことを、ネット上にたくさん見かけます。謙虚に語るサイトには、かえって惹かれたりします。(ネット上の)友だちが"いいね"と囃し立てるのですが、それを鵜呑みにしてしまう輩(君子きどり)が多いことです。

真のリーダー(君子)は、自らを誇示しないが、伝染するように存在は知られていくものです。昼間から酒盛りをしている様子(キャンプ動画とか、山登りにもチラホラ)を見かける。中には、FacebookやInstagram等のコメントにも、飲む映像が多い人がいます。どんなふうに見られているかの視点が必要だなぁ、と思います。

私は、何かの会合(龍馬会・異業種交流会の懇親会)でも酒盛りは、よほどのことがない限り出さない。自宅での一人晩酌は、年に2〜3度くらいあるでしょうか?

リーダー(君子)の口に溺れる現象を、SNSでの配信が、特に最近増えた、と感じています。

まだ20年前のインターネットは、大学や技術者等の人にぎりが使っていました。デジタルカメラの無い時代です。文字でいかに、相手に自分のスタンスを伝えるか、真剣に悩みながら書いていました。その方々との交流があればこそ、私の今があります。

SNSには、印象を損なうような愚行、愚痴、誇示する発言はしない、に心がけてきました。しかし、何度か論争を起こしたこともあります。

私は、君子でも、大人でもないですが、一般人の水(便利なSNS)に溺れないように、本日の言葉を頭に、Facebook、Instagram、ブログ(blog)等と付き合わなければ、と反省しました。

瞬時に伝わるSNSの便利さと怖さを、考えつつ、自らの人間力を高めていきたいと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 16:19Comments(0)マイライフモラル・マナー私の意見

限りなく正確に、自分を表すこと。私たちは馴れるべきなのである。〜曽野綾子著『本物の「大人」になるヒント』より〜

2022年12月19日

<本当の勇気ある人>限りなく正確に、自分をそのまま表すこと。私たちは馴れるべきなのである。

サッカーワールドカップは、実力の世界。しかし、監督に対しては、戦力に選ばれるまでは、自分を必要以上に、よく見せないことには、代表メンバーには加えてもらえません。

一般人はそうでもない。

日々の生活は、ワールドカップの戦いのような超非日常とは違い、平凡極まりない変わり映えしない毎日が、一般人の現実であります。

年収がすごくもない。

親族に富豪が居るわけでもない。

神童と言われる評価もない。

神童と言われた人ほど、大人になると普通に戻る。

さて"普通"とは何か?

本には、

>買いかぶられるよりも、実際よりはバカだと思われる方が、どれだけ、静かで安心でるか。

あいつは天才ばい。

とても頼りになる。

この言葉ほど、自分を必要以上に、よく見せたいと思うからなのである。

>自分をそのままに表す

の意味は、肩肘張らず、素手で外界を受け止めことである。
(以上、『本物の「大人」になるヒント』より)

要は、買いかぶられるよりも、1実際よりはバカだと思われる方が、どれだけ、静かで安心できるか。(曽野綾子)

鋭敏な人ほど敵を作るそうだ、背伸びするような活動ではなく、常に踵を地につけた、肩肘を張らないで、日常を生きたいものです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:28Comments(0)男女共同参画社会モラル・マナー社会問題

ごみの不法投棄、はじまりはタバコの吸い殻のポイ捨てから!〜熊日『読者ひろば』〜

2022年04月29日



ごみの不法投棄、はじまりはタバコの吸い殻のポイ捨てから!〜熊日『読者ひろば』〜

私は、地元小学校前で朝の登校指導をしていますが、毎日立つ場所まで歩くのに気づくのが、車から捨てられたタバコの吸い殻です。

"ここ小学校前だよね、大人の醜態がタバコの吸い殻のポイ捨て"

毎日、毎日、"やめてほしい"です。

妻が、今日の投稿文を読み、怒ってました。通勤中にも、前の車のポイ捨てを見るそうです。

我が家の山林近くの林道には、冷蔵庫、洗濯機、整理ダンス、布団、等々が1ヶ所でなく、バラバラに捨てられている。ほんと故意に捨てられている証拠です。

日本のモラルが問われています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:05Comments(0)モラル・マナー

<善意への感謝も忘れる>最初は好意から寄付に感謝だったのが、毎年毎年続くと当たり前(利権?)になる。

2022年03月08日

<善意への感謝も忘れる>最初は好意から寄付に感謝だったのが、毎年毎年続くと当たり前(利権?)になる。

Amazonで、先月買った本のにあった出来事についての文を読み、社会活動を冷静に分析する視点が素晴らしい、と思いました。

「好意を見せ続けら、相手はつけあがる」
〜映画『生き残るための3つの取引』(韓国、2010年)の台詞から〜

このことを紹介した著書『差別はたいてい悪意のない人がする』(キム・ジヘ著)に見つけた、日本でも起こる出来事。

(以下、本より転載)

ある人が毎年、障害者施設にお金な物品を贈って支援していた。最初は寄付に対して大げさにお礼を言われたが、年月が経つほど、向こうからお礼を言われなくなってきた。数年後、施設の障害者たちがもはや寄付をありがたく思っていないようだったので、彼は支援をやめた。するとある日、施設から連絡がきた。どうして支援を続けてくれないのか、と。この言葉に、彼はふたたび機嫌が悪くなる。善意で与えていたのに、彼らはそれを権利だと思っているようだ。それで彼は支援をやめることにした。
(以上、本より)

これは一つの例ですが、世の中には同様な事があることに、気づく人もいると思います。

また、不平等や差別の表面化は、権利の要求から始まる。これは、この本を紹介したテレビ番組での公共交通の話題です。

① 日常的に公共交通を使っている人がいます。良くない行為ですが、駆け込み乗車できるような人たちは、乗降場所にスロープやハリアー状況を気にしない。

② しかし、身体的障がいを持つ人は、その停留所で、乗降できるか確認ができなければ乗れない。

①と②の間には、大きな差(不平等、差別)が存在するが、一般の健常者は、普通に乗れることを特権と思う人は、皆無と思います。

障がいを持つ人から見ると、駆け込み乗車をできる人が特権が有るとは言いませんが、「私たちも、"いつでも、どこでも"公共交通を利用したい」とは要求できるのです。30年前の駅やバス亭からすると、現在は大きく様変わりしました。

バリアフリー化は、移動への要求活動でした。今、それが当たり前になって来ると、権利要求行動は忘れ、自らの権利を忘れている。

二つの人間行動を取り上げていますが、人間の欲深さ(当たり前化)は、自ら常々検証、反省が必要と思います。

>最初は好意から寄付に感謝だったのが、毎年毎年続くと当たり前(利権?)になる。

はじめに紹介した寄付が当たり前(利権)に変わる人間の欲深さを忘れてはいけないなぁ、と本を読みながら学んだ気がします。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 16:54Comments(0)モラル・マナー社会問題市民活動

<猟銃立てこもり事件>凶悪な人というものは、そのなすことすべてが、ねじれて道理に反している。(『菜根譚』訳文より)

2022年01月30日

<猟銃立てこもり事件>凶悪な人というものは、そのなすことすべてが、ねじれて道理に反している。(『菜根譚』訳文より)

〜真面目さを利用される可能性がある?〜

(長文です、お時間ある時にお読みください。)

一昨日起こった猟銃立てこもり殺人事件は、母の介護から医師らを逆恨みしたのか、自ら自殺するのに道連れにしようとしたことを語っていると、ニュースで知りました。

最近、懸命に患者のために活動している医師を巻き添えにした殺人(自らは自殺)事件が、世の中に暗い影を落としていると思います。

私は、放火は人間として決してしてはいけない凶悪な事件と思ったのは、35年ほど前、私の住むアパートの自転車・バイク小屋が放火された。そのころ、周辺で放火騒ぎが何件も続いていた矢先、まさか自分の住むアパートがやられるとは思いもしなかった事件を経験した。

最近の京都アニメーションの放火殺人、大阪の精神科医院の放火殺人、さらに今回の医師看護師を呼び出した殺人事件には、背筋が寒くなるような凶悪な人間性を感じます。

ニュースで、(以下、朝日新聞webより)

>埼玉県ふじみ野市の住宅に散弾銃を持った男が立てこもり、人質の医師が銃で撃たれ死亡した事件で、殺人未遂容疑で逮捕された無職渡辺宏容疑者(66)が県警の調べに「自殺を考え、自分1人ではなく先生やクリニックの人を殺そうと考えた」と話していることが、捜査関係者への取材で分かった。(中略)
(以上、朝日新聞より)

犯人は、自分が自殺を計画しているのに、わざわざ医師や介護士を呼び出して道連れにしようという考えの中に、相手の真面目さを利用している気がしてなりません。

普段から言動がちょっと変わっていると思う人の周りで、"何か事が起こった時"注意が必要だなと、今回思いました。

真面目さを利用される可能性がある?

中国古典『菜根譚』に以下の訓示があります。

(書き下し文)

吉人(きつじん)は作用の安祥(あんしょう)なるを論ずる無く、
即ち夢寐神魂(むびしんこん)も、和気に非ざるは無し。
凶人は行事(ぎょうじ)の狼戻(ろうれい)なるを論ずる無く、
即ち声音咲語(せいおんしょうご)も渾(すべ)てこれ殺機(さっき)なり。

【訳文】
 善人というものは、日常の起居動作が安らかですがよくととのつていることはいうまでもなく、その眠っている時の魂までも、やわらいでいないということはない。
 それに対し、凶悪な人というものは、そななすことすべてが、ねじれて道理に反していることはいうまでもなく、その声音(こわね)の笑い声までも、すべて荒々しいはたらきがある。
(以上、『菜根譚』前集No.48)

訳文よりも、書き下し文の表現の方が、善人と悪人の対比が鋭いと思います。

昔の人たちの経験が、菜根譚の訓示でしょうかから、昔からそのような人は居たのだと気付かされます。

日常行動を分析し、そんな言動を繰り返すような人の周りや、本人関する事(不幸)の時は、何か起こる意識を持つこともこれから必要なのだろうと思います。

>ねじれて道理に反していることはいうまでもなく、その声音(こわね)の笑い声までも・・・

最近の凶悪な事件から、古(いにしえ)の知恵を知ったように思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:08Comments(0)モラル・マナー社会問題私の意見

日本のバリアフリー、西洋のバリアフリー、旅の経験から。(曽野綾子)

2021年10月20日

日本のバリアフリー、西洋のバリアフリー、旅の経験から。(曽野綾子)

数日前からまた読み始めた曽野綾子さんの文を集めた本『「いい人」をやめると楽になる』に、以下の言葉があった。

(以下、本より)

 車椅子の人と外国を旅行していると、教会の階段の所などで、突如としてどこからともなく助っ人が現われることがある。そういう時も日本人はえてして「いいえ、けっこうです。大丈夫です」と断ったりする。しかしこの場合、断わるのは失礼なのだ。相手にも人助けをする機会を分つのが礼儀なのである。
〜曽野綾子著『自分の顔、相手の顔』より〜

こんな"断わる(遠慮する)"風景を、日本で見た人は多いと思います。西洋のバリアフリーの考え方は、素晴らしいと常々思うのですが、遠慮、謙虚、控えめ・・・・

バリアフリーとは何か、

日本と西洋の違いを朝から考えました。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:45Comments(0)モラル・マナー社会問題

人脈は、秘めた友への尊敬が必要。〜人脈を自慢する人は、心が薄く感じてしまう〜

2021年08月19日

人脈は、秘めた友への尊敬が必要。〜人脈を自慢する人は、心が薄く感じてしまう〜

曽野綾子著『中年以後』に、人脈の定義みたいな文を見つけた。

(以下、『中年以後』より)

 人脈は政治的に使ってはいけない。友達であることに、世俗的な付加価値を表面的につけようとしてはいけない。ただ会いたいと思う時に会え、話したいと思う時に時間を割いてくれ、病気の時には深く心に思い、そして男と女の関係を超えて、礼儀を守りつつ心の傷も話し合える人を友人として持つのがほんとうの人脈だろう。
(以上、本より)

しごくごもっともな意見と思いますが、世の中はそういかない。

人脈の広さを自慢する人が多いが、私などは、出会った人は多いが、つながっている人は一握りです。私はそれで良いと思っているのですが、異業種交流会の参加者が、40人、60人、100人と増えている時に、擦り寄って来た人たちがいます。

「野口さんは、なにを目的に人を集めている」

と聞かれた。私が、

「おもしろい人に会いたいから、人に会う」

と答えたら、その人(来ると名刺ばかり配る人)が、

「何で、商売にその人脈を使わないんですか?」

と言うので、私が、異業種交流会を指導していた先生の言葉を借りて、

「出会って2年、3年過ぎたころ、野口さんは、ところで仕事は何してましたっけ?、と言われるくらいが、人の本質が見える。これが、私を指導した先生の意見です」

と答えるたら、意味がわからなかたようです。

曽野綾子の『中年以後』の人脈の同じページに以下があります。

(以下、本より)

 ひどく矛盾するようだが、人脈を作るためには、人脈を利用してはいけないのだ。その人が自分の知人だと言いふらすと、友情は壊れる。ほんとうはかなり親しい間柄でも、それを秘し隠しておいた方が友情が続くのである。
(以上、『中年以後』より)

このことを知っている人は、どれだけいるのだろうと思います。世の中では、その逆を堂々と行なって、自慢しています。

友は3つ有れば良い。

1人は、自らを導くように意見をしてくれる指導者。

1人は、自分の立ち位置を厳しく意見してくれる同級生(友人)。例えば、「もう社長を辞めなさい」と言える人。

1〜数名の和気藹々と楽しめる仲間。

何十人、何百人の友がいることを自慢するには、それなりの費用も必要なもの、そんな無理すれば、長続きしない。

お付き合いは、淡白なほど続くと先人も語っている。人脈は、秘めた友への尊敬が必要だなぁ、と異業種交流会を続けて来た学んだことです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:05Comments(0)マイライフモラル・マナー健康生きがい

日本人にかつてあった「公共の意識」の欠如はいつから?〜災害と義援金、災害とボランティア〜

2021年08月08日

日本人にかつてあった「公共の意識」の欠如はいつから?〜災害と義援金、災害とボランティア〜

阪神淡路大震災の時集まった日本国内の寄付金は、総額1800億円だった。

同じ年のアメリカでの寄付金総額15兆6000億円。アメリカは別に何があったわけではないのに、普通の年として、日本の約100倍集まった。

この原因は何か?

国民を政府が信用しているか、いないか、にあると。〜櫻井よしこ談より〜

原因は何か、アメリカは寄付金は無税。

日本は寄付金に税金をかける。(阪神淡路大震災の時は無税)

1.アメリカは、民間から民間にお金が流れることはほんとうに良いことだと考える。

2.日本は、大蔵省(現、財務省)が寄付金を全部集めて、こっちのNPO(民間非営利団体)に500万円とか、あっちのNGO(非政府団体)に1000万円とかわかる。全部政府が仕切る仕組み。

これからは、寄付金全てを無税にする税制が必要、と指摘する。

それを実現するには、政府と国民の関係を変え直すこと。

日本は、お上意識(依存)が強い。

日本は、問題解決する能力に欠けている。

「日本人には、ここ(災害)に起こったことは自分たち全体のことだという考えがないのですね。それが一番大きな問題だと思う。自分さえよければいいという情けない考えです」〜瀬戸内寂聴〜

災害と義援金、災害とボランティアに、瀬戸内さんは「公共の意識」の欠如を指摘しています。

共に生きる意識

かつての日本にはあった「公共」の意識とは?

コロナ禍を考えると、

100前のスペイン風邪のパンデミック

昨年からの新型コロナウィルスのパンデミック

その時の日本人の対応が、50年後か、100年後か、比較検証される時、果たして1人ひとりの行動は、「公共の意識」があったか?が問われるように思います。

今回のコロナ禍に対する、日本人のワクチン接種、感染防止の行動、政府の対応も含め、歴史が評価する。

話は、阪神淡路大震災の寄付金からでしたが、かつて日本人にあった「公共の意識」がいつから欠落してきたのか、現代の日本人の気質を、少し勉強したくなりました。

*参加資料:瀬戸内寂聴と櫻井よしこ対談集『ニッポンが好きだから』  

人脈の基本は尊敬である。〜曽野綾子〜

2021年07月15日

人脈の基本は尊敬である。〜曽野綾子〜

日本人は、初めて出会う人に頭を下げる。礼儀であり、常識(良識)である。

朝、父母、兄弟、祖父母に、「おはようございます」という家庭は、どれだけ日本に残っているのか?

毎朝、学校前に立っていると、登校班次第で、「おはようございます」の挨拶がない。

無いグループには、こちらから「おはようございます」というと返ってくるのが普通だが、それでも無言で横断歩道を渡る登校班も・・・

人間は、まず先輩、先人を敬うことから、始まると学びました。

曽野綾子の著書『中年以後』にある一節です。

(以下、本より)

 人間の基本は尊敬である。私と友人でなくなった人がいるとすれば、それは私の人格が相手を失望させ、私が相手に対する尊敬を失った時である。そして尊敬を持たない相手は人脈の中に入らない。
(以上、『中年以後』より)

人は礼から始まる。孔子先生の訓示では無いですが、近き人にも挨拶を。

なんかのコミュニケーションの本は、"日々の挨拶"なのでないかと思いました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:27Comments(0)モラル・マナー哲学、人生

狂気(噂+怒り)というものは、感染する。誰もが抵抗力なく、簡単に罹ってしまう。〜曽野綾子語録〜

2021年07月13日

狂気(噂+怒り)というものは、感染する。誰もが抵抗力なく、簡単に罹ってしまう。〜曽野綾子語録〜

どうしたら人間を失わないでいられるのか?

朝から禅問答のような話ですが、

曽野綾子さんの文を集めた本『救心録 善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』に冒頭の言葉は、曽野綾子さんの著書『哀歌』(上)にある文です。

少し長い引用ですが、以下です。

(以下、本より転載)

「狂気というものは、感染するものだ。病気と同じか、それよりもっと激しくね。誰もが抵抗力なく、簡単に罹ってしまう。マラリアも怖いけれど、そんなものの比じゃない。そのこと自体は、私たちには止めようがないものかもしれない。病気よりも怖いものがあることを、私たちはほとんど自覚しないんだ。
 しかしその中でも、人間を失わないですがいられる少数の人は必ずいるはずだ。免疫力の極めて強い人がいるようにね」
「どうしたら人間を失わないではいられますか?」
 春菜は思わず尋ねた。
「神に依(よ)り頼むことと、勇気を持つことだ」
(以上、本より)

例えば、政治で前政権を倒すときのような批判勢力の熱気を見るとき、一つの目標に突き進む人間社会のパワーを感じます。

しかし、その熱が冷めたとき、ふと後ろを振り向くと、前政権の同じことをやって来てはいないか?

人は、ブームに流されやすい。

小さな団体のトップ交代劇でも、狂気(噂と怒り)により変わることもある。

その中身は、後々の人が検証するのですが、政治も企業も市民団体も、ブームにより浮き沈みながら成長していくのだろう、と思います。

その時、個としての立ち位置をしっかり持つには、曽野綾子さん言われる"勇気を持つこと"なのだと思います。

人は流されやすい、時の騒動の中で考えたことを人に語る必要はないですが、自らの人生を振り返る時、"俺は勇気があったか?"を確認することは必要かもしれない、と今朝の読書で思いました。

>神に依(よ)り頼むことと、勇気を持つことだ

私に勇気はあったか?  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:32Comments(0)モラル・マナー私の意見哲学、人生

<その人が持っている空気感>今日は、夕方の草刈り作業で疲れがあったのですが、来訪者との意見交換で、頭がシャキッとなった。

2021年07月12日

<その人が持っている空気感>今日は、夕方の草刈り作業で疲れがあったのですが、来訪者との意見交換で、頭がシャキッとなった。

「どんなにつらいときでも、一生懸命に心を磨いていれば、疲れるということを知らない」

熱く語る人を、嫌う人が居る。

熱い=熱心

一生懸命=寝る間もおしまず

真面目な人を敬遠する?

真面目過ぎると"敵"ができる。

人間社会、人間関係とは不思議です。

でも、私は"一生懸命"は大好きです。

一生懸命

一所懸命

二つがありますが、私は前者です。その場だけ取り繕っても、事は人が成すものですから、一つの場所では難しい。

『覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰』のNo.50の訓示は?

(以下、本より)

まとっている空気感

まわりに感謝し、
人に喜ばられることをすれば、
心は自然に磨かれていきます。
そしてどんなにつらいときでも、
一生懸命に心を磨いていれば、
疲れるということを知らないものです。
(以上、本より転載)

熊本弁で言うと"空気感"は、その人の醸し出す"雰囲気"のことか?

一生懸命は、とにかく完了するまでやる。

一所懸命は、その場を懸命に生きること?

二つの言葉ですが、中身は大きくちがうと思います。

貴方がやっている、空気感?

一生懸命か?

一所懸命か?

後々の人材に大きく関わる儀式の場と思います。  

<怒る心は周りへ伝わる>タコは、隣接する水槽のタコの行動を真似できる?〜ミラーニューロン(鏡の神経細胞)〜

2021年07月02日

<起こる心は周りへ伝わる>タコは、隣接する水槽のタコの行動を真似できる?〜ミラーニューロン(鏡の神経細胞)〜

今朝のウォーキング中に聞いた、NHKラジオ第一、朝4時からの放送で、海の「タコ」の研究者が、タコの能力につい色々語られました。

その習性で面白いのが、"タコは観察学習する能力がある"ということです。

同じタコ(マダコ)を2つの水槽をくっつけて並べて、片方に赤い色の丸いボールを攻撃するとエサがもらえる学習をさせる。それを隣の水槽のタコが観ている。
次に、同じ赤い色のボールを、隣の水槽に入れると同じ行動を始めたそうです。"タコは、真似る能力がある!"、ヘーッ!と思いました。

実は、イタリアでは、1950〜1960年からタコの生態研究が熱心にやられた時期があり、「意外に、大きな脳があり、観察する学習能力がある」ことがわかってきて、その意識かヨーロッパには広がっているそうです。

今朝の研究者は、研究室で、何匹もタコを飼っているのですが、時々"誰かに見られいる感覚を持つとき"フッと水槽を見ると、タコが水面から目を出して、こちらを見ていることがあるそうです。何かドキッ!とする話ですが、観察学習の能力があるとすると、人間の行動も観察しているのかもしれません。

養老孟司さんの著書『養老先生のさかさま人間学』に、喜怒哀楽は、周りへ感染することを指摘しています。

ページのテーマは「怒らない」

(以下、本より転載)

>感情や動作が「うつる」理由は、脳科学ではわりあい最近になって分かってきたことです。相手のすることを見ていると、そのときに相手の脳の中でも働いている神経細胞が、自分の脳でも働いてしまう。これを「ミラーニューロン」といいます。「ミラー」つまり「鏡の神経細胞」です。ヒトは社会的動物ですから、こういうことが多いのでしょうね。
(以上、『養老先生のさかさま人間学』より)

タコと人間の比較はできませんが、朝のラジオの「タコの話」は、とでも興味あるので、歩きながら楽しく聴きました。

>感情や動作が「うつる」

怒る感情はうつる(以心伝心)ので、養老先生は、怒らないようにしている、と。

さて、タコも怒るのだろうか?

話の始まりは「タコ」でしたが、喜怒哀楽の感情は、良いことは以心伝心で伝わって欲しいが、怒ったり、憎悪感は、自らの心に起こさない。それが、大事だなぁ、とタコと養老先生の"うつる"から思いました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 13:04Comments(0)マイライフモラル・マナー哲学、人生

島原火砕流から30年、検証「消防団員の犠牲者が多かったのは何故か?」〜報道の取材姿勢に疑問あり〜

2021年06月04日



島原火砕流から30年、検証「消防団員の犠牲者が多かったのは何故か?」〜報道の取材姿勢に疑問あり〜

もう30年が過ぎたか。当時、毎日熊本市まで火山灰が風に乗り飛んできていました。特に、犠牲者が出た最初の火砕流の灰の量はすごかった、ことを思い出します。

"ここまで飛んできた。これは大ごとになっているのでは!"

翌日の新聞を読み、背筋が寒くなった。

昨日の追悼式の記事に、当時の報道の取材姿勢について厳しい意見が掲載されていた。

犠牲になられた消防団員の奥さんの意見を読み、テレビ報道はこんな泥棒まがいのことまでして、それも地域の消防団員を危険に晒すようなことまでしていたのか、私の知る記者とは大きく違うと怒りを覚える。

実は、もうだいぶ前に、甥が中学生の時、学校内で刃物でケガをさせる事件があり、それを取材するテレビクルーに、"こんな相手の気持ちを踏みにじるような、ただスクープだけの視点で、手当たり次第に取材するやり方"に驚くことがありました。

特にひどいのが、学校への電話取材攻勢です。一番ひどいテレビ局は、電話応対する教頭に許可なく、勝手に電話の通話をそのままテレビ電波に乗せたやり方には、人権侵害にもつながるやり方に、怒りを超えて、人間としてレベルの低さに、呆れてしまうほどでした。

地域では、子どもたちにマイクを向けれないように万全を期して通学させると、今度は、近くの家へ手当たり次第に、飛び込み取材する。どこのテレビ局とは言わないが、まーモラルも何も無かったなぁ、と振り返ります。

ただ他局より早く、スクープを取るのだけしか無いのは、今も昔も変わらない、とテレビ報道を見て、今でも感じることがあります。

追悼式で、遺族を代表して犠牲者となったなっ消防団員の妻が、

(以下、熊本日日新聞より)

「私は消防団員の妻。なぜ犠牲者がたくさん出たのか、真実を後世に伝えてほしい」。背景には一部の報道関係者が非難した住民宅の電源を無断使用し、消防団が見回りのため勧告地域へ戻った経緯がある。「それだけは悔やまれる。こと時期になると本当に苦しいんですよ。つぶれそうな時もある」(中略)

「皆さんは一生懸命に仕事を全うして命を失ったと思う。でも、命あっての仕事や家庭」若い世代に何よりも知ってほしいことだ。
(以上、本日の熊日朝25面)

他にも、当時の報道取材のあり方が、今でも問われている検証記事がありました。
(以下、同紙24面下段より抜粋)

・報道関係者の迷惑行為を警戒していた消防団員が
火砕流に巻き込まれた

・取材のためチャーターされたタクシー運転手も犠牲になった

避難勧告地域へ、どんどん入り取材する報道のあり方が、今問われているのです。

最近思うに、学校が絡む事件には、特に国民が注目することもあり、あの手この手のモラルを問われるような報道取材も行われている。

近々、熊本市で週刊文春編集長の講演があるらしいのだが、スクープとは何かを考える機会なると、聴講に行こうかと考えています。

長くなりました。30年の追悼式の記事から、遺族はこれまで大変な思いで火砕流被害と向き合って来られたと思います。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りすると共に、ご遺族の安らかなる生活を願います。(合掌)

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:45Comments(0)モラル・マナー私の意見防災

できない理由を話す人はたいてい秀才である。しかし、できない理由を平然と語る人に、私は全く魅力を感じない。

2021年03月08日

<持論と言い訳は無駄な時間>できない理由を話す人はたいてい秀才である。しかし、できない理由を平然と語る人に、私は全く魅力を感じない。〜曽野綾子語録より〜

(長文です。お時間ある時にお読みください。)

質問と意見は、人が語る行為だが、まったく違う意味を持っている。

意見とは、自らの考えを語ること。

質問とは、相手の考えを聞くこと。

講演後の質問は、講演者の考えについて確認するのが本来の目的だが、延々と自らの考えを述べて、最後この人何の質問をするのか?、自分でわからなくなる人を見ることがある。

だいたい質問時間は、1時間半程度の講演時間で、10分か、長くて15分程度なのに、5分間も自らの考えを語る人には当惑する。

質問は1分程度(私は30秒)で、聞く理由と尋ねる中身だけで充分、自らの考えは必要ない。

これと似ていると思っているのが、役所の許認可のできない理由づくりがある。

市民のニーズは、千差万別、発想も多岐にわたるので、事業関連で認可を役所へ申請すると、まず初めに出てくるのは、
「前例がありませんから、出来ません」
と来る。次に、詳しく目的を語ることになるが、まー!、出来ない理屈を並べるのが上手なのが役所の職員です。

要は、こちらの申請の中身について語らず、出来ない理由を並べ立てて終わろうとする。質問する時の、自らの意見ばかり語るの人と同じく、無駄な時間を費やすことになる。

冒頭の言葉は、曽野綾子著『悪の認識と死の教え』にある文の抜粋だが、少し長いが紹介しますと、

(以下、本より転載)

 できない理由を話す人はたいてい秀才である。ことに許認可の責任を持つ官庁としては、できない理由を述べることが仕事になっていることも頷ける。霞ヶ関で、できない理由を理路整然と述べられると、すっかり慣れてしまった。この頃では、腹も立たなくなった。ただ、こういう詰まらない人生を送らなくて済んでいるのは幸福だ、と思ってしまう時もあるのは本当である。
 むずかしくても、どうしたら希望に近い道があるか、探す姿勢を取れるのが人間の魅力である。当然苦悩や表情もなく、できない理由を平然と語る人に、私は全く魅力を感じられない。できる方法を語ろうとするお役人も、最近はごく少しだが出てくるようになった。若い人々には、できる道を探す姿勢を覚えてほしいのである。
(以上、『悪の認識と死の教え』より)

>できない理由を平然と語る人に、私は全く魅力を感じられない。

このことと、質問の前に自らの意見を並べ立てる人は、私は同じと見ています。

講演者は、その伝える目標立てて語っていますから、その目的を深める質問への疑問や関連について聞く。質問者の持論は必要ない、他の聴衆は講演者の意見に関心がある。

ハーバード大学の白熱教室で、政治学者のマイケル・サンデル教授が大講義室で、講義後に学生から質問を受ける映像を見ると、学生の質問は、短く中身だけを問うている。これこそが質問時間の風景です。

>むずかしくても、どうしたら希望に近い道があるか、探す姿勢を取れるのが人間の魅力である。

どうしても組織(慣例)に埋没すると、出来ない理由が先に来る。私の市民活動と建築の仕事の経験から、長く語るのは秀才が多いなと思うです。私は、学はないですが、できる理由を探す方にいることに努めたいものです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:39Comments(0)モラル・マナー私の意見政治問題(地方)

「父との会話」日帰り温泉の脱衣所で聞いた、ほのぼのとした親子の会話を、今朝の『たから箱』で思い出した。

2021年02月24日

「父との会話」日帰り温泉の脱衣所で聞いた、ほのぼのとした親子の会話を、今朝の『たから箱』で思い出した。

子ども「お父さん、赤鬼、青鬼、知ってる」
父「知ってるよ」
子ども「やってみたことある」
(どうもゲームの話のようだ)
子ども「携帯でできる」
父「お父さんも、やってみたいな」
子ども「アプリをダウンロードして」
とおねだりして・・・
父「やろう、やろう」
で、湯船の方へ行かれたので、話はこれで終わりなのですが、この子は5〜6歳くらい?、優しく接する父の態度がほのぼのした雰囲気で、とても印象良く記憶に残った。

時代、時代で、子どもたちの興味は変化するのでしょうが、親がどう子どもに接するか、で後々の親子関係が違っていくのだろう、と思います。

今朝の「たから箱」

どこも父の忙しい姿を見ているのでしょう。

私が、小さかったころ、ゆっくりと父と語った記憶が無い。私自身、子どもたちとどう接していたのか、たまに振り返ることも大事だと思いました。



  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:17Comments(0)マイライフモラル・マナー

<夜郎自大>大人物は決して尊大ぶらない。逆に、小人物ほどつまらぬ実力を誇示したがる。

2019年10月25日

<夜郎自大>大人物は決して尊大ぶらない。逆に、小人物ほどつまらぬ実力を誇示したがる。〜「自」と「大」を重ねると臭(くさい)の文字になる。〜

朝から意味不明な諺の話しですが、説明を詳しくしている本から、

(以下、『中国人の発想80の知恵』から)

「自大」というのは、自分で自分をえらい人間だと思って尊大ぶること、そうなると「臭」つまり臭気プンプンとして鼻もちならないというのが、この諺の意味である。中国人ならずとも、そんな人のお相手はごめんこうむりたいものだ。(中略)

そうですね、こんな輩とはお付き合いはしたくない。また、次のエピソードも紹介されています。後漢の光武帝と地方国家の蜀(しょく)の公孫述(こうそんじゅ)の人物比較の話です。

(以下、本より抜粋)

ある地方豪族の将軍は、蜀の王である公孫述の昔馴染が、どんな人物になったか確認しに行った。ところが、護衛兵が厳然と威儀を正し、実によそよそしい迎え方だった。随行の部下に「外面ばかり飾りたてて、ごたいそうなものだな」と感想を述べた。

その後に、豪族の王の親書を携え、後漢の光武帝を訪ねた。控えの間で待つほどもなく、光武帝は自ら回廊をつたって迎えに出てきた。ニコニコ笑いながら声をかけてくるではないか。
「やあ、貴公の噂はかねてから聞いておるぞ」
それを聞き深々と頭を垂れた。
「陛下は、刺客とも知れぬ初対面のこのわたくしに、かくも気軽にお会いくださいました。なぜでしょうか」
「いや、いや、貴公は刺客などではあるまい」
そういって、光武帝はカラカラ笑ったという。(中略)

公孫述と光武帝の対応の違い、小物ほど尊大な態度を取るのは、昔も今も同じようです。この将軍は、すぐさまわが子を後漢の都やり光武帝に支えさせた。蜀の公孫述は、ほどなく光武帝に滅ぼされた。

冒頭の「夜郎自大」の諺は、『史記』にある話。漢王朝が中国全土を治めたころ、人もすまないような山奥の地域の豪族「夜郎」に、漢の使者が訪ねた。夜郎の王は使者に向かって、
「漢、我が大なるはいずれぞ」
と訪ねたという。(中略)

これを聞いた使者は、何も答えなかたようで、要は、呆れて言葉が出なかったのでは。

自と大を重ねると「臭(くさい)」となる。日本では、うさんくさい、の言葉も。狭い世界で誇示ばかりやっていると、うさんくさい、と煙たがれることを知らなければならない。

トップは常に動ける人、また社会変化を感じることのできる人を選びたいものです。

今朝は、雨で朝のウォーキングがお休み、長々と書きました。最後までお読みいただきありがとうございます。

今日は、大分県の安心院町の熊本県の「むらづくり人材育成」の研修に参加します。あいにくの雨ですが、有意義な研修にしたいと思います。

*参考資料:守谷洋著『中国人の発想80の知恵』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:39Comments(0)モラル・マナー私の意見哲学、人生

<忠臣蔵>「義」は「勇」と並ぶ武士道の双生児である。

2014年12月20日

<忠臣蔵>「義」は「勇」と並ぶ武士道の双生児である。

おはようございます。今朝は雨の熊本です。午後は、明日の「宇土市長杯ジュニアサッカー大会」の会場作りです。

さて、12月14日は、日本人にとって特別な意味をもつ日と思っています。赤穂浪士の忠臣蔵の実行日、以来、劇や物語、小説と様々な芸術の中で顕彰されてきました。

数日前、徳川幕府が下した「切腹」に対する時代評価をして歴史番組を偶然見ました。「正義」「忠義」「義理」「忠孝」「道理」と色々な言葉が出ていました。

『武士道』なる本に「義理」についての解説文を見つけ、読み入りました。

(以下、抜粋)

「正義の道理」こそ無条件の絶対命令
「義理」とは疑いもなく義務である。・・・、
「正義の道理」こそ、私たちにとって無条件に従うべき絶対命令であるべきではないか。
「義理」は本来義務以外のことを意味していない。
たとえば、親に対する行為において愛情が唯一の動機である。だが万一、愛情を持てなくなったときには、親に対して孝養を命ずる何か別の権威が必要である。そのような事実から義理が生まれたものだと思う。そして人々はこの権威を「義理」の中の定式化した。・・・、
もし愛情がうるわしい徳行に結びつかないならば、頼りになるものは人の理性である。
義務がわずらわしく感ぜられるときには「正義の道理」が私たちの怠惰を防ぐためにのりこんでくる。(中略)

イギリス人の小説家スコットが、愛国心について「それはもっともうるわしいものである。またしばしばもっとも疑わしいものである。一方は他の感情の仮面である」。これは「義理」についてもいえる。

義務はそに翼の下にあらゆるたぐいの詭弁と偽善を抱え込んだ。

(以上、『武士道』(新渡戸稲造著))

さて、冒頭の歴史検証番組の「忠臣蔵」では、戦国時代から平和な武家社会へ転換する最後の「忠義」の提言として、君主の仇を討つ「忠臣蔵」を赤穂浪士が実行した、と番組は始まった。

しかし、議論が進む中で、「武家社会は喧嘩両成敗が鉄則」だったことに対して、浅野内匠頭は罰として翌日切腹、しかし吉良上野介は無罪で静養だった。見方を変えれば、徳川幕藩体制への「忠義」を掲げ、武家社会の慣習を基に、異議を申し立てたことになる。実際に、忠臣蔵実行の主意書に、その意味の言葉があるそうです。

日本人はこの「忠臣蔵」が大好きで、いまだにどこかで上演、上映されています。江戸時代に培われた「忠義」の心は、現代社会にも存在し、社会の秩序が守られているように思います。

朝から長々と、書きました。最後まで、お読みいただきありがとうございます。午前中は、用事を済ませ先輩の活動のお手伝いです。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:24Comments(0)モラル・マナー哲学、人生

桜が日本の誇りであるのと同様、武士道もまた日本の誇りである。(渋沢栄一)

2014年04月01日

桜が日本の誇りであるのと同様、武士道もまた日本の誇りである。(渋沢栄一)

先週末から、日本列島は桜前線が、南から西へ移動し始めた。日本の春のイメージ『桜』が、平成26年度を始めさせている。

冒頭の言葉は、明治の元勲の一人、渋沢栄一の訓示録『渋沢栄一、巨人の名語録』の一言である。解説に、

「道徳に背くことや義理に欠くことを避け、人の行うべき正しい道を歩むという堅固で変わらない考えの持ち続けるのと同時に、礼儀と恥を知り、弱気を助け強気をくじくという気持ちを併せ持つことといえるだろう。・・・」


東日本大震災の救援物資を、寒い中、整然と順番を待つ日本人の姿には、世界中が感動した、と聞きます。これまた、武士道の良識が、現代の日本人にも確実に人の素養として、脈々と受け継がれていると感じます。

桜の季節に際し、日本人の心「謙譲」という教えを学び、後世へ伝えて行くことがとても大事と思います。社会には、最低限のルールがあります。闘争、論争、討論会等で、意見が交わされますが、良識ある日本人として、桜の下で未来を語れるよう時代を求め、地域を創り出す努力が必要と思いました。

*参考資料:本郷陽二著『渋沢栄一、巨人の名語録」
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:04Comments(0)モラル・マナー

〈経産官僚のブログ暴言〉人を指導する立場にある人は、自分の立場に基づいて行う。

2013年10月04日

〈経産官僚のブログ暴言〉人を指導する立場にある人は、自分の立場に基づいて行う。

おはようございます。今朝はウォーキングはお休みでした。週休2~3日までの早足ウォーキング、「根を詰めると続かない」ではなくて、長距離ウォーカーは、休みが必要と指導を受けたので、気楽に構えて朝ウォーキングをしています。

さて、今朝の熊本日日新聞の読者の投稿欄に、経済産業省官僚のブログで、東北の復興について非難する発言に対して、自分の立場を考えない「あきれた官僚」と厳しく指摘をした文があり、ネットで検索してみると、ひどい発言をしていて、加えて発言者を特定できる情報も書き込んでいるのには驚いた。

ネットの匿名性を利用した悪質な発言と思う。密室の発言は外に漏れないと思っているが、いつかは遠く離れた国外の発言も届くことが良くある。特に国の役職を担う人は、自分の立場を自覚して発言して欲しいものです。

Yahooニュースより(2013.09.26)
ミラノ万博日本政府代表がブログで暴言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130926-00000000-jct-soci&p=1
>復興増税を批判。その上で、
>「増税の是非ではなくパパは復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいいのにと思う(まぁ、全員、そう言わなくてもいいんだけどせめて、正論すきないしはらちじくらいは東京のど真ん中で叫んで欲しい と思う。)」・・・・

>問題の発言は、震災発生から半年が経った11年9月25日に書き込まれた。当時の肩書きは、経産省の「貿易経済協力局貿易管理部安全保障貿易管理課長」。書き込みでは、財政規律を重視する立場を強調しながら、
>「もともと、ほぼ滅んでいた東北のリアス式の過疎地で定年どころか、年金支給年齢をとっくに超えたじじぃとばばぁが、既得権益の漁業権をむさぼるために そいつらの港や堤防を作るために そいつらが移住をごめるためにかかる費用を 未来のこともたちを抱えた日本中の人々から ふんだくり、綺麗事をいうせいじ」・・・・
(以上、転載)

ひどい発言ですね。発言の中に、「あましたり(天下り)まで、あと3年、がんばろう」の発言もあったようだ。これがキャリア官僚の発言と聞けば、誰でも怒ります。

投稿者は最後に「被災者の原地を知らない人の話だ。頭はいいかもしれないが、人間の心がない」とあり、遠い地にいても被災地への関心を持つことが大事と書いていた。同感の気持ちを持った。

昭和の東洋哲学者の安岡正篤先哲の著書『こころに書き写す言葉』に、次の一節があった。

「自得」~自分から遊離しない~

人を指導する立場にある人は、自分の立場に基づいて行う。自分の場から遊離しないで行う。現実から遊離するのが一番いけない。「自得」ということは「自ら得る」、「自分で自分をつかむ」ということだ。自ら自己を徹見する、把握する。これがあらゆる哲学、宗教、道徳の根本問題である。
(以上、本より転載)

ブログに匿名で、それも言葉を変えて書き込む悪質さ、経産省の役職の自覚の無さが情けない。一般市民でも誹謗中傷は、その人の人格が問われる問題ですが、「口は厄の元」と古(いにしえ)の時代から言われてきた。誰でもどこにも「耳」があると思い、相手の立場を考え、丁寧な言葉で思いを伝えたいものです。

今日は一日、「天草ー熊本」高規格道路の陳情活動に同行します。国土交通省、熊本県の役職の方々の発言から、学んで来たいと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:01Comments(0)モラル・マナー