【都会化する田舎】都会の祭は、人間関係をつなぐために必要な方法

2014年01月31日

【都会化する田舎】都会の祭は、人間関係をつなぐために必要な方法

昨日、地元の町部の古い住宅地区を、地域活動で回った。その地域の先輩と語る中で、地域への協力が全くない家族が何軒かあることが分かった。私の住む地域(田舎)では、そういう非協力的なことはあまりないが、現実にあるのかと知った。「隣の人は、何をする人か分からない」が都会生活と思うが、こんな地方都市でもあるのですね。

曽野綾子著『仮の宿』に次の一文があります。

「他人が自分の思い通りになることを誰もがすでに絶望している場所が町、或いは都会というものです。そして絶望したかたからと言って、社会はそれほど悪くもなりません。私はその絶望こそ人間的だという気がします。人間一人一人の生活の背後には、他人のうかがい知れない事情があると思うこと、その孤立感こそ、人間を鍛える面もあるのです」(『仮の宿』より)

都会(街)は自由な大海、広大な砂漠。一人で気儘(きまま)に旅することも可能なら、こっそりとどこかへ逃げ出したり隠れたりすることもできる。勇者にも卑怯者にも都合がいい、とも言えます。

また、少人数で暮らす田舎も、車社会になり、職場も遠くなり、地域と関わりが減り、密な関係がだんだん薄れているように感じます。情報伝達が多様化し、他人と顔を合わせなくても良くなっている現代は、ますます他人を理解することが難しくなっていて、引きこもり、孤立化も広がって、田舎も多様化しています。

これからの地域づくりは、薄れ続ける地域社会の関係を、常に心ある人たちが関係改善を続けるしか維持できないのかもしれません。

先週、議員研修で宇土市を訪問していただいた岸和田市には「だんじり祭」がありますが、あの熱い市民の祭を見て、都会の祭は人間関係をつなぐために必要な方法の一つではないか、と思えてきます。

今日は、午後に建築の打ち合わせがあり、地域活動から頭を切り替えて、一日過ごしたいと思います。   

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:52Comments(0)社会問題政治問題(地方)

【新学問のすゝめ】立国のあらん限り、遠く思えば人類のあらん限り。〜福沢諭吉〜

2014年01月30日

【新学問のすゝめ】立国のあらん限り、遠く思えば人類のあらん限り。〜福沢諭吉〜

来月13日、福沢諭吉曽孫で、岩崎弥太郎の曽孫が、熊本へ来られます。と言っても、御歳88才の環境活動家です。この方は、自分の系譜を一度も誇ったことがなく、自慢するのは「毎日腕立て伏せ2000回を24年以上続けている」と。私は、怪物と思っているが、本人はいたって普通の顔をされています。

実は、その曽孫の木内孝氏は、曾祖父の福沢諭吉先生の『学問のすゝめ』に異論を唱え、『新学問のすゝめ』を出版した。「この人すごい」とその時思った。出会って、既に5年が過ぎていました。

そこで、元の『学問のすゝめ』とは、何を世に訴えたか?

関厚生著『一日一名言』の本に、その解説があった。以下、本文中の一ページ、福沢諭吉の命日「2月3日の言葉」に次の言葉があった。

(以下、本より転載)

『学問のすゝめ』には「一心独立して一国独立をなす』と記されている。

・・、興味深いことに、福沢にとって「独立」と「私立」とは同義であった。『学問のすゝめ』にはこんな一文もある。「文明の事を行う者は私立(独立)の人民にして、その文明を護する者は政府なり」。
(以上、『一日一名言』より)

学問は何のためにやるか?

福沢諭吉は、「自主独立(私立)の実践が、日本社会を隆盛へ導く」と提唱した。ところが、時代が明治、大正、昭和、平成となり、福沢諭吉の曽孫が異論を唱えた。『新学問のすゝめ』・・・、先祖へ異論を唱えるとんでもない子孫が、実は権力者へも平然と意見を述べる自由人の木内孝氏でした。

木内孝氏は、ただのクレーマーではありません。日本を代表する民間の経済人で、イギリス下院や世界の経済政策を議論する「プラハ会議」の日本代表も務める方です。父は、戦後3人の総理大臣の経済顧問を務めた故木内信胤氏です。

2月13日19時〜、木内孝氏を囲む「車座談義会」を開催します。会場は、熊本市の国際交流会館会議室、参加費は「講話+討論会+交流会」で5000円。参加人数は、30名限定です。(会議室の限界より)

たくさんの参加をお待ちしています。現在、参加申し込み者は、16名になっています。早めに、私(野口)まで申し込みください。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:30Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

ネットでスポーツイベントと地域の店舗・会社の連携の試み。

2014年01月30日

ネットでスポーツイベントと地域の店舗・会社の連携の試み。

おはようございます。今朝は、炬燵にうたた寝して、変な時間に目が覚めた。

一昨年から、私が役を受けたスポーツ協会会長の課題は、ある大会の運営経費の問題。地方社会の厳しい経済の中、広告協賛を集めるのが難しくなっている。何か新しい試みができないか考える中で、既存のメディアに情報発信を固定せず、時代変化のスピードに追随できる広報活動にしたいと、いろいろ考えてきた。

これを後押しするような、web情報を見つけた。

<環境・サイエンス・IT >
〜2013年12月20日 15:11 発信地:サンフランシスコ/米国 〜
「今後5年の5大技術革新」、米IBMが予測

>【12月20日 AFP】米IBMは17日、今後5年間に人々の生活を大きく変えると考えられる5つの大きなイノベーション(技術革新)を示す毎年恒例の未来予測を発表した。

>今回の予測は「機械が学習して論理的に思考し、個人に合わせた形でより自然に人間と交流する認知システムの新時代」を色濃く反映したものだという。

>人間の脳と似た方法で「思考」するよう進化したソフトウエア、処理能力が向上したコンピューター、そしてインターネットの「クラウド」上に保存された大量のデータによって、教室や店舗、病院、街中などでコンピューターによる技術革新が起きると同社は予想している。

>■地元のお店も変わる

>小売業界では、IBMが開発し、人気クイズテレビ番組「ジョパディ!(Jeopardy!)」で優勝した人工知能「ワトソン(Watson)」のような技術と拡張現実(AR)技術によって店舗の規模にかかわらずオンラインと現実世界の店頭が融合するようになるという。

>医療分野では患者の遺伝情報を活用してその人に最適な治療法を選択し、「がんを治療するのに患者の全身をじゅうたん爆撃するのではなく、健康な細胞には触らずにがん細胞への攻撃の精度を上げることができる」(マイヤーソン氏)という。

>また都市部では、ソーシャルネットワーク、スマートフォン(多機能携帯電話)、センサー、機械学習(コンピューターなどの機械に自動的に学習させる研究分野)を公共サービスの改善に活用するようになるという。「技術に非常に明るく、技術をよく活用できる新しい世代のリーダーが登場しつつある」(同氏)
(以上、webニュースより)

上記のIBMの示唆「5大技術革新」で、

>技術と拡張現実(AR)技術によって店舗の規模にかかわらずオンラインと現実世界の店頭が融合するようになる・・

今年は、地域のスポーツイベントと地域の店舗・会社を、ネットを使い融合的にwebと現実の店をつなげる広報活動の試みをしみたいと考えています。そのねらいは、経費節減と情報受発信の拡大(エリアを県内から九州へ)、この矛盾したテーマにチャレンジしてみたいと思っています。

色々アイデアのある方は、ご意見、ご指導いただければ幸いです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 12:40Comments(0)スポーツ私の意見

【10倍の注意力】これからの選挙は、ネットを活用できないと取り残される。

2014年01月30日

【10倍の注意力】これからの選挙は、ネットを活用できないと取り残される。

首長選挙も様変わりした。公開討論会もネット中継が当たり前になった。

~朝日新聞デジタル 1月26日(日)7時8分配信~
スマホ中継、政策募集…都知事選、ネット選挙で発信競う。

>2月9日投開票の東京都知事選で、主な候補者が「ネット選挙」に力を入れている。有権者が約1千万人にのぼる東京都。少しでも多くの人に政策を訴えようという狙いがある。

>25日、JR有楽町駅前で演説する宇都宮健児氏(67)を、陣営の担当者がスマートフォンでネット中継した。専属スタッフが連日、演説に同行している。

>「もっとはきはき話した方がいい」「公約の財源は?」。メールやツイッターで、これまで百数十件の声が寄せられた。ネット担当スタッフを70人置く陣営は「ネット活動で10万票の上積みが目標」と意気込む。
(以上、朝日新聞webより)


地方選挙もここ1年で大きく変わった。情報発信力に加えて、有権者の反応をいかにキャッチできるか。後援会チラシの配布は、これまで同様に必要。加えてホームページ、公式ブログ、活動日記(写真、動画、他)、等々。候補者自身の発信力が、今後は問われる。さらに、ネットの反応にいかに答えれるかも問われる。

以前、社会活動の指導を受ける方から、「いろいろな会議で発言するのは、約1割の人たち。社会も同様で、ネットツール上の発言も同じ比率と考えると、発言者の10倍の人が、発言(コメント)に注目している」と指摘を受けた。なるほどと思った。Facebookで反応する「いいね」の約10倍の人たちが、日々書く意見に目を通している、と思って注意して書いたが良いと思っています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 03:53Comments(0)政治問題(地方)新技術、新潮流

ネットでスポーツイベントと地域の店舗・会社の連携の試み。

2014年01月30日

ネットでスポーツイベントと地域の店舗・会社の連携の試み。

おはようございます。今朝は、炬燵にうたた寝して、変な時間に目が覚めた。

一昨年から、私が役を受けたスポーツ協会会長の課題は、ある大会の運営経費の問題。地方社会の厳しい経済の中、広告協賛を集めるのが難しくなっている。何か新しい試みができないか考える中で、既存のメディアに情報発信を固定せず、時代変化のスピードに追随できる広報活動にしたいと、いろいろ考えてきた。

これを後押しするような、web情報を見つけた。

<環境・サイエンス・IT >
~2013年12月20日 15:11 発信地:サンフランシスコ/米国 ~
「今後5年の5大技術革新」、米IBMが予測

>【12月20日 AFP】米IBMは17日、今後5年間に人々の生活を大きく変えると考えられる5つの大きなイノベーション(技術革新)を示す毎年恒例の未来予測を発表した。

>今回の予測は「機械が学習して論理的に思考し、個人に合わせた形でより自然に人間と交流する認知システムの新時代」を色濃く反映したものだという。

>人間の脳と似た方法で「思考」するよう進化したソフトウエア、処理能力が向上したコンピューター、そしてインターネットの「クラウド」上に保存された大量のデータによって、教室や店舗、病院、街中などでコンピューターによる技術革新が起きると同社は予想している。

>■地元のお店も変わる

>小売業界では、IBMが開発し、人気クイズテレビ番組「ジョパディ!(Jeopardy!)」で優勝した人工知能「ワトソン(Watson)」のような技術と拡張現実(AR)技術によって店舗の規模にかかわらずオンラインと現実世界の店頭が融合するようになるという。

>医療分野では患者の遺伝情報を活用してその人に最適な治療法を選択し、「がんを治療するのに患者の全身をじゅうたん爆撃するのではなく、健康な細胞には触らずにがん細胞への攻撃の精度を上げることができる」(マイヤーソン氏)という。

>また都市部では、ソーシャルネットワーク、スマートフォン(多機能携帯電話)、センサー、機械学習(コンピューターなどの機械に自動的に学習させる研究分野)を公共サービスの改善に活用するようになるという。「技術に非常に明るく、技術をよく活用できる新しい世代のリーダーが登場しつつある」(同氏)
(以上、webニュースより)

上記のIBMの示唆「5大技術革新」で、

>技術と拡張現実(AR)技術によって店舗の規模にかかわらずオンラインと現実世界の店頭が融合するようになる・・

今年は、地域のスポーツイベントと地域の店舗・会社を、ネットを使い融合的にwebと現実の店をつなげる広報活動の試みをしみたいと考えています。そのねらいは、経費節減と情報受発信の拡大(エリアを県内から九州へ)、この矛盾したテーマにチャレンジしてみたいと思っています。

色々アイデアのある方は、ご意見、ご指導いただければ幸いです。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 03:45Comments(0)まちづくり新技術、新潮流

【トップは太陽の存在】相手の挑発に乗らず、徹底して謙虚に動く活動が大事

2014年01月29日

【トップは太陽の存在】相手の挑発に乗らず、徹底して謙虚に動く活動が大事

またNHKのトップの失言で、社会へ謝罪の失態?
自論と持論、なかなか難しいですね。

>NHKの籾井勝人会長は28日、従軍慰安婦などに関する自らの発言に関して「視聴者の皆さんに誤解を招いてしまったことは大変申し訳ない」などと謝罪する文書を、社内ネットワークを通じNHKの全職員に送付した。
(以上、Yahooニュースより)

中国古典の『孟子』の教えの中に、トップの存在(日常的な活動)についてある。現代語に読み替えると、「トップは太陽ような存在で、国民は知らず知らずに恩恵を受ける。しかし、いざ国が困難に陥った時は、国民は率先して命を惜しまず苦役を行う」という表現の解説書があった。

また、中国古典の『大学』に「三綱領」の訓示があります。
一、明徳を明らかにする。
一、民を新たにする。
一、至善に止まる。

(解説)
大学に入って何を学ぶか。
第一は、自分が生まれつき持っているすばらしい徳を発現すること。
第二は、自分の一個の修養だけにとどまらず、それを人にも及ぼして、それぞれの徳を発現するように導くこと。
第三は、上記二つのことが到達した最高の状態を、常に維持するように務めること。
(三つが)最高の状態を自覚することができれば、自ずから志が定まる。志が定まれば、心が静まって、何事にも動揺しなくなる。・・・・
(以上、守屋洋訳著『修己知人の学「大学」を読む』から抜粋)

リーダー(トップ)は、「三綱領」の実践をしているか?

地域間の競争(論争)、地域内の競争では、相手の揚げ足を取ることがよく行われるが、意外に市民は冷静にその論争を見ている。地域の舵取りを誰に任せるか、闘いには、誹謗中傷、泣き落とし、いろいろ手法はあるようだが、市民全員をこの方法で回るには、多分一生分の時間を要する。

特に短期決戦の選挙のような活動では、一瞬の宣伝効果はあるかもしれないが、実績を持つ当事者が、騒がず、地道に実績をコツコツと説明して回れば、中傷(負の宣伝)は、正論側が必ず最後は大逆転を生む。これは、歴史が証明している。ただし、これでもか、これでもか、と有志が集まり地道な広報活動を続けなればいけない。

論争(競争)は、まず先手必勝、次は「三綱領」の第二、自分の実践が周りにも伝染するような徳(志)を伝えることを続けることが、最大の防御であり攻撃になります。とにかく、相手の挑発に乗らず、“徹底して謙虚に動く”活動が大事と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:02Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

伝染するような「中身で勝負」の活動を長く続けることが必要。

2014年01月28日

伝染するような「中身で勝負」の活動を長く続けることが必要。

ここ数日、非日常の活動を見る中で、多くのことを学びますが、これは一種の私の試練と思っています。日々変わる予定、関わる方との示唆のある会話に、たくさんの気づきがあります。試練についての好きな言葉があります。ある一節から、

(以下、曽野綾子さんの文より)

「何がどうあろうとも、私たちの望まぬ試練が、私たちを強めるといことは真実なのである」(『心に迫るパウロの言葉』)

(以上、『失敗という人生はない』より)


人は試練が強める。特に周りの理不尽な圧力は、誠心誠意な生き方をしている人を鍛える。私利私欲は、目標を惑わす。中国古典の『老子』は、無欲な生き方の見本なようなイメージですが、実はすべてを分かっていて、所有しない生き方を望んだのかもしれません。ある一節から、

(以下、曽野綾子さんの文より)

何より良かったのは、私たちが失うのを恐れねばならない何ものも持っていなかったということです。人間は所有しない時に、魂の健康さを取り戻します。(『時の止まった赤ん坊』)

(以上、『失敗という人生はない』より)


人間、あまり持たない方が健全なのかもしれない。地位、名誉、資産、等々・・・、この世の生業の末は、晩年どう生きるか。損得、有り無し、上下、いろいろ対比はあるが、生業でもっとも重要なのは、損得の分析と思います。曽野綾子さんの哲学的発想から、

(以下、曽野綾子さんの文より)

「この世」は、得をする可能性もあり、損を知る可能性もあるところなのである。それらの相反する可能性を承認しなければ、現実問題として生きて行けないのだから、損をさせられたらもう許せない、と思うようでは、社会の恩恵に与(あずか)る資格もない」(『ほんとうの話』)

(以上、『失敗という人生はない』より)


悔しく、理不尽な行為を受けることが多々あるが、年功序列の世界がまだまだ残る現実(慣習)が、田舎にはまだまだ残る。

>損をさせられたらもう許せない、と思うようでは、社会の恩恵に与(あずか)る資格もない。

理不尽な行為を受けた時、怒るのではなく、地道な実績を残すことができるか? 期日あり、短気な活動で、真実をいかに早く着実に伝えるかは、それまでの地道な日々実践が続けられて来たかで、評価が変わるように思う。

地域活動の先輩から、「活動は、『宣伝』ではなく『伝染』するような姿勢が必要」と幾度も訓示されています。人の心に、こちらの考えが、伝染するような「中身で勝負」の活動を長く続けることが必要と思っています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 23:22Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

【積極的平和主義】 安部内閣は世界平和実現のため積極的に外交力を発揮して欲しい。

2014年01月28日

【積極的平和主義】 安部内閣は世界平和実現のため積極的に外交力を発揮して欲しい。

今日の熊日朝刊の一般読者の投稿欄「読者の広場」、熊本の幕末の政治思想家・横井小楠の漢詩「大義を四海に」が、安部首相の「積極的平和主義」に対する意見として紹介されている。私も横井小楠の顕彰活動に22年関わる中で、社会活動の先導者・高宗昭敏先生(東海大学名誉教授)から何度も聞きました。

「尭舜孔子の道を明らかにし、西洋機械の術を尽くす。何ぞ富国に止まらん、何ぞ強兵に止まらん、大義を四海に布かんのみ」

横井小楠は、「世界の世話やき(役)」になることを唱えた。小楠は、富国も大事、強兵も大事だが、最も大事なことは外交であると、明治維新政府で指針を示している。

曽野綾子さんの文節を集めた『失敗という人生ない』に次の一文がある。

(以下、転載)

平和とは、常に偽りの要素を含む。夫婦でも、家庭でも、国家でも、どうやら隠かにやっているのは、常に「偽りの平和」を使いこなしているからである。「永遠の、真実の、平和」なる概念があることは、わかる。しかし、この地上の、いかなる土地にも、空間にも、それはない。あるとすればそれは神の国にだけだ。(ほんとうの話)
(以上、『失敗という人生はない』より)

「清濁併せ呑む」という中国古典の訓示の言葉がある。国の安定にも、地域の安定にも、家庭の安定にも、様々な要素が含みながらも、外目からは安定(平和)に見える。曽野綾子さんの言葉ではないが、日々、様々な出来事に関わる人々の心では、もやもやすることがあると思う。そのもやもやが、表面に出るか出ないか、安定か、不安定かは、紙一重の微妙な境界線があり、対立軸が際立つとどうしても、その一線が破られる。

安部首相の積極的平和主義という考え方はまだ不明ですが、原発輸出や集団的自衛権の表明、等々。周りへどんなに声高の説明してもなかなか通じません。地道な外交努力が必要と思います。小楠は暗殺され、道半ばで命を落としましたので、その外交手腕はわかりませんが、安部内閣は世界平和実現のため積極的に外交力を発揮して欲しいと思います。   

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:31Comments(0)国際関係偉人

【四耐の教示】強そうに見えても、暴力的な(騒ぐ)人はみな弱い? ・・・

2014年01月26日

【四耐の教示】強そうに見えても、暴力的な(騒ぐ)人はみな弱い? ・・・

テレビドラマ「北の国から」で、父は吹雪に見舞われ動けなくなった身体で、知恵の限りを使い生き延びようとする姿が、記憶に残っています。

私は、東日本大震災のボランティア活動で、現地を訪問した時、福島県相馬市から国道6号線を北上し、岩手県陸前高田市まで訪問し、いろいろ語る中で瀕死の状況を諦めず生きようと、身体はもちろんだが知恵を使い生き延びた話をたくさん聞きました。強い人とは、エネルギッシュ人物だけでないと知らされました。人間は、見た目ではない。

作家の曽野綾子さんの語録を集めた本『失敗という人生はない』に、次のような一節があります。

(以下、転載)

強そうに見えても、暴力的な人はみな弱い。そして、弱い性格というのは、多分一生治らない。(ほんとうの話)


いろいろな集まり・会合に参加すると、とかく目立つ人がいます。あるいは、催しものの準備で常に企画の中心にいて指示(存在感)するように振る舞っているが、いざ問題が起きて、揉め事が起きると姿が見えない?、・・・、点数取りの姿は、事が起きた時が人間性が分かります。

また事業の成果は、そう簡単に出るものではありません。特に人材育成が、まちづくりの根本にあると思っています。加えて、活動の持続力には、批判に耐え、多忙に耐え、問題が起きれば立場を外され、冷たい視線にさらされても諦めない強さが必要です。前の曽野綾子さんの『失敗という人生はない』に別の言葉がありました。

(以下、転載)

人間は、それぞれに自分をあらわす方法を持っている筈(はず)である。地道に、長く一生をかけて・・・。正しいと思うことは決して人に譲らず、密かに戦って死ねる人は、本当に強いのである。自分と反対の立場をとる人を許せないのは弱者である。(あとは野となれ)


よく見ますが、自分のやり方と違う方法を別人が提案すると疑問を唱える人がいる。この状況を、周りは一度目は受け入れるが、2度、3度、4度となると、白けた空気になる。すると人心は、サッと離れる。騒動をする人ほど、実は困難に弱いのでは? と学びました。 中国古典の「四耐」の教示があります。

「 冷に耐え、苦に耐え、煩(ハン)に耐え、閑に耐う」
*(解説)煩:多忙、苦労。
 
強さとは、見栄ではなく地道な実行しかないと思います。

*参考資料:曽野綾子編著『失敗という人生はない〜真実についての528の断章』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:26Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

元松茂樹後援会事務所開きが、大盛会の中で開催されました。

2014年01月26日


神事の様子、元松茂樹市長夫妻の参拝


仮設の舞台に宇城市長、美里町長、多くの来賓が出席し事務所開設の挨拶


熱心に耳を傾ける参加者


会場の様子、予定した資料が足りないほどの参加者がありました。


元松茂樹後援会事務所開きが、大盛会の中で開催されました。

元松茂樹後援会事務所開きの神事には、宇土市の多くの役職が参列し厳粛な中、進められています。自民党の菅義偉官房長官をはじめ、熊本県選出の国会議員の方々がから、必勝の為書が届いています。

事務所開きに集まった市民が多く、用意したお茶は予定を超える数が出て、大盛り上がりで勢いがつきました。このような集会も大事なのですが、地域回り活動も着実に進めることが必要なので、今日の午後も日程が組まれています。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 15:37Comments(0)マイライフ

【日々の活動】一途に自分の真心を尽くす。悠々と生きる・・・

2014年01月24日

【日々の活動】一途に自分の真心を尽くす。悠々と生きる・・・

ここ2日、地域の先輩方と地元回りをやっている。3週間前から準備をして、地域の主だった方々と相談し、やっとの思いで予定が決まった。1軒、1軒回ると地域の思いが伝わって来る。心の底から「ありがたい!」の気持ちになり、やって来たことが間違っていないと確認でき力が湧きます。

今日の体験から思い出した禅の言葉「一燈照隅 万燈照国」の教えがあります。まちづくりは、地域の先輩方の献身的な活動に支えられている、と今日の体験からも充分すぎるほど理解できます。明日は雨の予定ですが、日程は早いが良い、と地域を回っていただきます。

「一燈照隅 万燈照国」のわかりやすい現代人への解説があります。
(以下、転載すると)


「一途に自分の真心を尽くす」

人が振り向こうが、振り向くまいがそれは問題ではない。ただ一途に自分の真心を尽くす。そうすると、そんな一隅を照らす行為に励まされた人が、私も一隅を照らすような行為をしようと決意されて、いつしか輪は広がって行くものだ。
(以上、安岡正篤著『こころに書き写す言葉』より)


要は、人の評価などかまわない、自分の心からやりたい活動をやり続ける。それしか、私の生きた証は子供達にも、私の活動の理解者にも伝わらない。私は少なくともないと思うが、もし計算高い活動を一度でもやったならば、人の心は離れると思います。

これを実現するには、自分に縁ある方々への配慮をできるゆとりが大事と思います。私にような実力も無く、実績のない人間が、地域の先輩方と縁ができたのは、諸先輩の呼びかけにあると思います。「ゆとりを持て、特にこちらから約束した出会いの場の後に、別の約束をしてはいけない」と、来月熊本へ来られる講師から、訓示されています。これこそ、約束の「余裕」と思います。

勝海舟の座右の銘「六中観」の一説に、“忙中閑あり”があります。どんなに忙しくても「暇(閑)」を作れる余裕を持つことが、事を失敗しない、成功させるコツと教えています。同じく『こころに書き写す言葉』の一節(教示)があります。

(以下、転載)

余裕~悠々と生きる~

本当のことをする人ほど、物に拘ってはならなぬ。どこかに閑日月(かんにちげつ)、いわゆる余裕というものがなければならない。
一、早起き、静座、梅干茶を服す。
一、家人に対し、温言和容を失わず。
一、養心の書を読み、養生の道に学ぶ。
一、老荘の良友に交わり、内外の時勢に通ず。
一、凡ての宿滞(体の中に物がたまった状態、心のわだかまり)を除き、陰徳を養う。
なんでもないようでむつかしく、むつかしいようでなんでもない。
(以上、『心に書き写す言葉』より)

上記の5つの訓示に照らして、自分を検証すると、

一、早起きはいいが、静座(ブログ書き込み)、梅茶は無し。
一、家人は妻のみ、仕事も違うので会話も少ない。反省!
一、愛読書を繰り返し読む、先輩の言動に関心をもつ。
一、来月13日、人生の先導者を熊本へ招き講演会開催。
一、騒がず、誇示せず、できることを続ける。地味な人生が似合っているようです。

まだまだ、安岡正篤先哲の訓示(道)には、まだまだほど遠いですが、自分のできることを無理せずに、自分のやり方で続けてたいと思います。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:32Comments(0)マイライフ

日本にも facebook 疲れが、利用者にそろそろ増えているのでは?

2014年01月24日

日本にも facebook 疲れが、利用者にそろそろ増えているのでは?

おはようございます。昨夜は、早くに休み変な時間に目が覚めました。ネットをパラパラと検索していると、気になる見出し「フェイスブック疲れ」に目が止まった。以下、web記事より転載。

~web 記事 より~
「フェイスブック疲れ」米ユーザー半数に一時休止の経験
(2013年02月08日 10:50 発信地:サンフランシスコ/米国)

>【2月8日 AFP】米SNSフェイスブック(Facebook)の米国内ユーザーのうち半数以上が、フェイスブックへのアクセスを一時休止した経験があった。米独立系調査機関ピュー・リサーチ・センター(Pew Research Center)が5日、発表した調査結果で、最大の理由は「忙しすぎる」というものだった。
>この調査によると、フェイスブックへのアクセスを一時休止した経験のある米国内ユーザーは約61%に上った。また、来年はフェイスブックを利用する時間を減らそうと考えている人も27%に上った。
>アクセスを一時休止した理由で最も多かったのは、「忙しかったから」の21%。他には「ばかばかしいコメントにうんざりした」や「変な友人にうんざりした」、「飽きた」などがあった。・・・

>米国では、インターネットを利用する成人の3分の2強がフェイスブックを利用している。また、フェイスブックを利用していない人のうち5分の1は、かつてフェイスブックを使ったことがあるが止めた人たちだった。・・・
(以上、webより)


私は、早朝に1度か、2度コメントを書く程度ですが、他の利用者は、よく何度もコメントをできるなと思うことがあります。ただ、私にも短な友人が「いつ書いている? よく続くね」と聞きます。私の毎朝のコメントは、文章の練習があるので、日々の日課なので、日課をやめると本を読まなくなると、思いついつい書いていますが、facebook の仲間の発信力には、常々「すごいな!」と感心しています。

私は、4つのブログ(Facebook 含む)に同じ文章を書いて(コピーを貼り付け)います。それぞれに、少ないですが読者がいますが、反応はfacebookほどはありませんが、継続的に読まれているようです。

SNS病? で疲れを感じる話を、ちらほら耳にします。

昨夜も、妻が「電車、バスで年齢を問わず、スマホ、携帯端末の画面を見ている」、私のことか? とも思いますが、日本も、そろそろfacebook疲れから、SNSを一時休止する人も増えるのでは? と感じています。

ぼちぼち、これも日課の早朝ウォーキングに、出かけます。今朝は、目覚めが早かったので、1日が長くなりそうです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:16Comments(0)私の意見

【近代産業遺産】地域の歴史を知る機会をもっと増やすべきと思います。

2014年01月18日

【近代産業遺産】地域の歴史を知る機会をもっと増やすべきと思います。

おはようございます。今朝も冷え込んでいます。北海道の陸別町では、-20℃以下の冷え込みが続いているとか、人は強いなと思います。過酷な環境でも、人は支え合い事を成し遂げて来ました。

今朝の熊本日日新聞の1面のコラム「新生面」に、30年前の三井三池炭鉱有明鉱(福岡県みやま市)の坑内火災事故が発生し、逃げ遅れた従業員を一酸化炭素が襲い、83人の犠牲者を出した。戦後の炭鉱事故で4番目の惨事となったと書かれていた。今日の記事を書いた記者が、事故の2年後、その事故現場に入ったそうだ。地下深く有明海の海の下深い採掘現場は、サウナのような蒸し暑さだった、とある。

石炭は、日本の戦後復興のエネルギーを支えた。日本の近代産業遺産に、九州の三井三池炭鉱万田鉱が入っている。過酷な採掘現場では、何度も事故が発生し、多くの犠牲者を出した。一昨年、大牟田の炭鉱記念館を訪ねた時、採掘現場が再現されていたが、その光景は、命がけの仕事だと思いました。

時々、地元地域を回ると、会えば話し込む古老の男性と再開する。以前大牟田の炭鉱で働いた経験を持つ方で、話を聞くと「家族を養うため炭鉱で働いた。あそこは地獄ようなところだった。ただ必死だった」と。コラムの末尾に、映像ジャーナリストの熊谷博子さんの言葉が紹介されていた。

(以下、転載)

映像ジャーナリストの熊谷博子さんが、「炭鉱は文化を生み出した」と。そこには喜びと悲しみと、濃密な人のつながりがあった。それに比べて「原発は文化を生み出さなかった」。まさに至言。
(以上、1月18日の熊日朝刊より)

つい30年前、日本にも炭鉱があった。若い世代は、石炭生産で、世界のトップにあった日本の時代を知らない。昨日、7月に開催する九州龍馬社中の集まりで、坂本龍馬、横井小楠、吉田松陰、宮部鼎蔵、等々の顕彰をする催しの打ち合わせをした。

私の経験ですが、熊本県上益城郡山都町馬見原地区で、明治の西南戦争についての歴史検証で、熊本での戦いに敗れた西郷隆盛が、敗走する状況を見た祖母から聞いた92才のお寺の老坊守(婦人)の話を聞きました。直接見た人から聞いた話は、とても臨場感があった。明治はそんなに遠くない、と思いました。

学校で学ぶ歴史は、大都会や歴史の主だった出来事ばかりです。学校教育に、地域の歴史を学ぶ時間を持つと、地域に関心を持ち、古老の話を聞くと郷土への想いが育つと思います。今日の炭鉱事故の歴史もそうですが、地域の歴史を知る機会をもっと増やすべきと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:51Comments(0)教育問題

幸福というものは客観的な状況ではなくて、幸福を受け取る者の能力にかかっている。~曽野綾子~

2014年01月17日

幸福というものは客観的な状況ではなくて、幸福を受け取る者の能力にかかっている。~曽野綾子~

人は、学んで習得すのではなく感化されることの方が影響は大きい。ここ数日、私を市議へ促した先輩と毎日会う用事があり、日々先輩の言動にリーダーのあるべき姿を学んでいます。その先輩は、長く政治の世界に関わって来た方で、地域の人脈凄さと、一人ひとりへ注がれる心づかいには、脱帽の域をはるかに超えるものがあります。人を感化するとは、こういうことではないか、と感じています。

私は、作家の曽野綾子さんの小説は読まないのですが、特徴ある文節を集めた本はよく目を通します。その一冊『失敗という人生はない ~真実についての528の断章』の一文です。

(以下、転載)

主体性は、生ぬるい環境では完成しない。他人と激しくぶつかり、日本風に言うと切磋琢磨され、時にはその主体性のため生命の危険さえも選ぶかどうかの岐路に立たされて、社会はこんなにも不法なものであったかという現実に暗たんとし、自分の意見や物の考えなどというものがほんの身近なものさえ理解されない場合も多いという過酷さと孤独に耐えて、初めてできものなのである。
(以上、『失敗と人生はない』より)

中国古典の『孟子』一節を、曽野綾子さんもご存知だったかは不明ですが、下記の訓示があります。

「孟子曰く、人の徳慧術知(とくけいじゅっち)ある者は、恒(つね)に疢疾(ちんしつ)に存す。獨(ひと)り、孤臣蘖子(こしんげっし)のみ其の心を操(と)るや危(おそれつつし)み、其の患(うれえ)を慮るや深し。故に達(あら)わる」

(現代風に訳すと・・・)

孟子がいわれた。「およそ徳行・技術・才智に秀れた人は、おおむね非常な災患の中にあって〔発奮して努力するので〕、その才能が磨かれたからである。さればこそ、主君から遠ざけられた家臣や親に愛されない妾腹(しょうふく)の子などは、〔つねに不遇の境遇にあるので〕心を引きしめて畏れ慎しみ、災患を深く心配して努力するので、自然に智徳がすすみ、後には必ずその名が世に顕れるのである」
(以上、『孟子』の解説書より)

人知れずに苦しい体験をし、悔しさを感じ、どん底にある境遇をどうにかしたい。その発奮こそ、人間を成長させると思います。政治は、地域のの要望に優先順位をつける仕事に言われます。人々の支持がなければ、その良識が発揮できない。2代目、3代目のリーダーには、創業者の苦労はなかなか理解できない。何の仕事も人に支えられてできることをつい忘れてしまう。

いかに支えていただける人間になるか、自分の実力を常に謙虚に分析し、縁ある方々に指導いただき、すこしづつ人間力を高めることを続けることが大事と思います。曽野綾子さんの『真実についての528の断章』の一文に、

「幸福というものは客観的な状況ではなくて、幸福を受け取る者の能力にかかっている」

とあった。「幸福=周りの支持と応援」ではないか、人動かす前に自分が動く(能力)からしか、物事は始まらないようです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:14Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

【都知事選挙】政府頼みの東京電力の変わらぬ被災者軽視の姿勢ではないか。

2014年01月16日

【都知事選挙】政府頼みの東京電力の変わらぬ被災者軽視の姿勢ではないか。

昨夜の弁護団の会見に、日本の財界を牛耳ってきた強気の企業姿勢が見えてくる。足尾鉱毒事件、水俣病事件、今回の福島第一原発爆発事件。政府と結託しているのか、安部政権の原発容認を後ろ盾に、紛争解決を長期化しないように 相互の歩み寄りを促す和解案を平気で拒否し、平然と再稼働申請をやる企業姿勢は、国民の納得するものではない。東京知事選挙へ細川元首相が、年齢を顧みず立候補する思いは、東電の住民軽視の企業体質に対する挑戦のようにも見えます。

<東京電力の和解案受諾拒絶に対する声明>

ふくしま原発損害賠償弁護団

【声明の趣旨】

 当弁護団は,
1 東京電力の和解案受諾拒否に対し,強く抗議するとともに,紛争解決センターの示した和解案を尊重し,速やかに受諾すること

2 同時に,国に対し,東京電力が「5つのお約束」を遵守し和解案を直ちに受諾するよう指導監督を強化することを求めるとともに,紛争解決センターの和解案に東京電力に対する拘束力を付与することも含め,被害者に対する迅速かつ完全な賠償がなされるための施策を講じること
を求める。
(以上、ネットより転載)

細川氏の都知事選挙の立候補には、報道の賛否はあるが、首相退陣以来、沈黙を続け、細川幽斎以来の細川家の伝統に隠遁してしまうのだろうと思いきや、「いざ鎌倉!」ではないが、国家存亡の危機に立ち上がったようにも見えます。

~ようしこれからだ、始める覚悟~

昭和の東洋哲学者の安岡正篤著『安岡正篤「こころ」に書き写す言葉』の1ベージに次の一節がありました。

(以下、転載)

終わりに近づいたことを考えたり、憂えたりするよりも、「俺はいったい今まで何をしたか、ようし! これから始めるのだ」という覚悟を持たなければいけない。今年が悪かったら悪かったで来年に光明を抱き勇敢にやっていかなければならない。
(以上、『安岡正篤「こころ」に書き写す言葉』より)

>ようし! これから始めるのだ

いくつになっても、常に前向きに人生を意気に感じるような生き方をしたいものです。

もう一つ、今年のサッカーシーズンが楽しみになっています。セリエAの本田選手と、熊本のJ2チームに加入した元日本代表の巻誠一郎選挙です。二人の選手人生の役割は違いますが、それぞれに日本のサッカーファンの熱き視線が注がれる年になると思います。両人に、「ようし! これから始めるにだ」の意識で日本を元気付けて欲しいと願います。  

【今日の訓示】「進歩の源泉」「人間の五悪」、他。

2014年01月14日

【今日の訓示】「進歩の源泉」「人間の五悪」、他。

昨日の寒さとは違って、少しやわたいだ気がします。しかし、北国が寒波が厳しいようで、特に北海道は−20℃以下のところあると、ラジオが知らせていました。冬本番は、これからですね。

さて、風呂が溜まる間のいつも読書は、年初から読む安岡正篤先哲の訓示録『安岡正篤一日一言』ですが、3月2日の訓示は、人間の感受性について書かれています。

(以下、転載)

進歩の源泉

人間の進歩というものは、偉大なる発明発見でも悟りでも、すべてがインスピレーションとか感動から始まる。ただし感動するためには、我々の心の中に感受性がなければならない。感受性というものは、自分が充実しなければ出てこない。放心したり、自分が自分を忘れていたら、これはあるわけがない。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)

今朝の散歩ですが、日々歩く同じ道でもいろいろ気づくことがあります。寒暖の差もそうですが、空の状況、今朝は星は輝きの強いものしか見えませんが、逆に街灯の状態に目が行きます。これは長持ちしない、これは電球を替えたばかりとか、天候により待ちの風景も変わってくる。不思議な気がします。

今日は、安岡正篤語録の日本の女性気質についての訓示があった。これは江戸期の武家社会の訓示ではあるが、これを読まれると、女性から厳しい批判を受けそうですが、社会の状況を見て、この訓示を逆に利用して男性社会をコントロールして欲しいと願います。

(以下、抜粋)

女人五悪

女人に五悪というものがある。

第一、「平素人と争競せず」。武家社会で婦人に社交を戒めたことは深い意味がある。とかく無教養な婦人ほど社交に出ると他人と比較競争したがるからだ。人との争い競わぬというのは男女を問わず大切な徳である。

第二、「苦難中怨言(えんげん)無し」。苦しみ悩みの中にあって怨み言を言わない。

第三、「飲食を節す」。これは美徳だ。

第四、「事を聞いて驚喜せず」。激情を露わにせずに、しっとり落ち着いているのがよい。

第五、「よく尊敬す」。何事によらず尊敬することを知るというのは貴い徳だ。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)

これは、女人の訓示ではあるが、男性も忘れてならない生き方を表しています。
何かにつけいざこざの多い人。
自分の境遇を、周りのせいにする人。
暴飲暴食がひどく、よく体調を壊す人。
様々な出来事に、一喜一憂する人。
相手のことを思いやれない人。
・・・・

今日は、手抜きの書き込みですが、私には大きな訓示になりした。やはり、安岡正篤語録は、一年に一度は手にしなければならない、私の必読書です。「進歩の源泉」を忘れず、女人を人間に読み替え「人間の五悪」を今日の言葉として生活したいと思います。

今朝は、早朝から地域回り、早々に朝の支度を終えて、出かけたいと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:51Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

【大胆さと緻密さ】スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツの経営の違い。

2014年01月12日

【大胆さと緻密さ】スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツの経営の違い。

情報革命の先駆者スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツの生き方は、大きく違う。ジョブズの有為転変の人生とは違い、ビル・ゲイツは、着実に事業を拡大して行った。竹内一正著『スティーブ・ジョブズ 失敗を勝利に変える底力』に次の一節があった。

(以下、本より抜粋)

ジョブズは大きな敵に立ち向かうことを一つの経営スタイルとしたのに対し、ゲイツは地に足の付いた経営をしていた。なによりマイクロソフトを世界一のソフトウェア会社に育て、ゲイツが歴史に名を残すまでに成功した最大の理由は、一度の成功に決して満足せず、地道な努力を決して飽きることなく続けることができた点にある。これぞ、できるようでできない経営の鉄則だ。
(以上、『スティーブ・ジョブズ 失敗を勝利に変える底力』より)

また本に、戦略を立てるときは、敵の過去の姿だけでその未来を想像してはいけない。成長しているのは自分だけでなく、敵も同様もしくはそれ以上に成長していると考えなければ、戦略は役に立たないものになってしまう。

マイクロソフト創業当時のビル・ゲイツを、当初ジョブズは相手にしていなかった。会社の売上規模を見ても、格段にアップルが大きかった。だからジョブズは成長しているゲイツを過小評価し、痛い目にあったのだった。ジョブズを追放した後のアップルもその存在感を思い知らされた。

自分の成長は、周りに合わせるのでなく、自分の目指す高み(目標)を目指し、こつこつ地道に力をつけておくことが大事。力は、知識だけでは身に付かない。自ら行動し、(良否の)体験をし、反省し、仲間(友人・支持者)を創り、ネットワークを広げることも必要。

私のスティーブ・ジョブズのイメージ研究者肌と違い勇猛果敢な天才肌、逆にビル・ゲイツは天才肌と思っていたが地道な経営スタイルで成功した。テレビ等から受ける印象と実像は大きく違うこことを知らされます。戦い(経営)は、相手の古いイメージで戦うのではなく、自分の出来る最大の力を駆使し、万全の備えをして挑まなければ、現実の闘争には勝てない。   

Posted by ノグチ(noguchi) at 13:23Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

正しい道を進んでいこうとすれば、絶対に争いを避けることはできない。

2014年01月10日

正しい道を進んでいこうとすれば、絶対に争いを避けることはできない。

おはようございます。今朝は、全国的に冷えていますし、世界的に寒波が広がっているようです。アメリカでは、厳しい寒波で多くの死者も出ていると聞きます。寒い今年の冬、産業界に悪影響にならなければ、と心配をします。

昨夜の横井小楠テーマの句会で詠んだ「彼の地から 思い伝える 文と種」ですが、横井小楠は甥の佐平太の手紙を受けた翌年、凶刃により暗殺をされます。その4年後西郷隆盛は政策論争で敗れ、政府主流派と袂を分かち下野しました。さらに、その4年後、日本最後の国内戦争「西南戦争」が、西郷隆盛を総大将に起こされた。

明治政府の士農工商制度の廃止から、武士の失業対策の遅れもあり、戦争は避けられない機運があり、新政府は情報戦の準備を着実に進め、鹿児島の情報は逐次、東京へ「電信」を使い、伝達されていた。争いに勝つには、時期が大事と言われるが、西南戦争の時期が早かったか、遅かったは、歴史に“もし”はありませんが、もし西郷隆盛が勝利し政府に復帰したら、大きく違った政治がなされたように思います。

また、明治政府から下野した偉人の一人が、渋沢栄一ですが、「論語とそろばん」を掲げて経済活性化を進めた。あまりにも殖産興業を進めたせいで、足尾鉱毒事件の反対運動では、企業側の主張を支持している。ここは、受け入れがたいところだがあるが、当時の状況がどうだったか、私も「田中正造研究会」で勉強しているところです。

西南戦争や足尾鉱毒事件もそうだが、“正しい”と思うことがあれば、主義主張の中で、意見の相違が出てくる。信念を持てば、争いが起こる。

渋沢栄一は、次にように語ったそうです。(本郷陽二著『渋沢栄一 巨人の名語録』から、以下抜粋)

世の中には、争わない人ほど優れた人格の持ち主と考える風潮がある。しかし、渋沢はこれに反論する。「あくまでも正しい道を進んで行こうとすれば、絶対に争いを避けることはできないものだ。なんとしてでも争いを避けようとすれば、善が悪に負けてことになり、正義が行われなくなってしまう」・・・・

人間、「これだけは譲れない」、というところがあって欲しい。昨日の大学の講義で紹介した法学者で犯罪学者のニイス・クリスティ氏は、第二次世界大戦でナチスドイツが、ノルウェーでの行った捕虜殺害に、温厚なノルウェー人が加担していたことにショックを受け、学生だったクリスティ氏は、捕虜殺害に関わった元看守にヒヤリングをして行った。

クリスティ氏は、その調査から、論文をまとめノルウェー政府へ犯罪者の厳罰化を変える提案を出し、大変な論争を展開し、犯罪を生みにくい社会制度や刑務所改革に取り組んできた。歴史の検証と、世界の刑務所の状態、犯罪者の背景を調査した。その結果、ノルウェーは、幸福な国ランキングで、常にトップクラスにある。一人の法学者の信念が、国を変え、社会を安心安全な国へ変えている。

日本やアメリカは、刑の厳罰化が進んでいる。ノルウェーとに違いを知ってもらうため、本日は書きました。ご意見をいただければありがたいです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:36Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

田舎ほど「車依存社会」から、「公共交通利用社会」へ促す。

2014年01月08日

田舎ほど「車依存社会」から、「公共交通利用社会」へ促す。

おはようございます。久々の雨模様で、朝ウォーキングはお休みでした。年末からの議会の宿題「議会報告」の一般質問の原稿を、先ほどまでまとめたところです。

さて、早朝からうれしい知らせがありました。どれも前向きのいい話ですが、両方とも市民運動に関わる内容で、被災地支援活動と市民の健康維持の活動です。被災地支援は、今年3月で丸3年になります。なかなか、津波被害地の再生は、思うようには進まないですが、経済的な復興は着実に進み始めていると思います。

もう一つが、市民の健康維持の活動は、運動を中心に中高年のウォーキングを広める提案で、おおいに賛同する提案です。ウォーキング、フットパス、オルレ、呼び名は色々あれど、“歩く”の推進は、健康維持におおいに効果があると思っています。

私の父は、若いころは大工で力仕事をこなし、晩年は農業というか、農地維持にがんばっていました。おかげで足腰の骨は、これが高齢者かというくらい強かったのですが、後期高齢者になってからは、移動が全て車でした。車の免許を返上してから約5年は、何処に行くにも送迎が必要でした。おかげで、昨年末にレントゲンを撮り、8年でこんなにも骨は脆くなるのか驚きました。

地域に一歳上の男性がいるのでが、車には乗られません。常に歩いて移動されるので、89歳ですがまだ草刈り機を振り回す足腰を維持されています。いかに歩くことが大事か痛感します。

父は、昭和の後半に40代で車を使うようになりました。日々の農作業は、トラクターではなく耕運機で、田畑の作業は歩くことがほとんどでした。現代の農業は、機械化が進み、あまり歩かなくなっているとおもいます。都市よりも田舎が車に依存しています。今後、益々歩けない高齢者は、地方に増えるのではと危惧します。

中国古典『孟子』の訓示に、「欲観千歳、則審今日」なるものがあります。直訳をすれば、「千歳を観(み)んと欲すれば、則ち今日を審(つまびら)かにせよ」。作家守屋洋著『中国古典一日一話』を参考に現代風に説明すると、

(以下、抜粋)

未来予測をする場合、未来だけを見ても仕方がない。今日のことを明確に知ることが大切なのだという。未来につながる芽や兆しは、現在のなかにある。いま、兆しつつある兆候を発見して、その上に立って将来を展望せよというのだ。理屈ではわかっていても、いざ実行となると、意外にこれが難しい。
(以上、『中国古典一日一話』より)

要は、身近な現象から、地域の未来を予測する。我が家の父の“老いの過程”を検証して、地方社会、特に車依存地区の未来を考えると、「ドアtoドア」の自家用車利用よりも、バス等の公共交通を充実させ、とにかく歩く習慣を身に付けることが、健康維持に貢献し、医療費抑制につながると考えます。

子どもが東京で仕事をしていますが正月帰郷したおり、「都市圏の高齢者は、田舎の高齢者よりはるかに歩き、活発に見える」と語っていました。『孟子』の訓示、

>「千歳を観(み)んと欲すれば、則ち今日を審(つまびら)かにせよ」

から、将来を見越して、田舎ほど「車依存社会」から「公共交通利用社会」へ促し、歩く習慣を進めることが必要と思います。自家用車乗らなくなったら、次はタクシーの「ドアtoドア」の習慣を変え、少々辛くてもバス停まで歩く習慣を広げることが、田舎の高齢者を元気にするように思います。ご意見をいただければ幸いです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 11:42Comments(0)政治問題(地方)

日本の“和”を実現するのに、和して一、欠乏礼賛、他。

2014年01月05日

日本の“和”を実現するのに、和して一、欠乏礼賛、他。

長い1日が終わり帰宅しました。朝8時に始まった寄合は、4つの地区の方々に新年のご挨拶をして、いろいろ語りました。新年の集まりは、今年1年の様々な課題・思いが語られます。何を語るか、何が語られないか、懇親会で一人ひとり語る中で、地域課題は総論だけでは解決できないこともあると体感することは、本日のような寄合から学びます。

さて、世は“アベノミクス”ブームですが、日本はまたバブルへ向かうのか?

なんでも自分の欲望を実現できるような夢を見た“平成バブル”は、はじけてアッという間に日本人の異常景気の期待を消し去った。現在の“アベノミクス”は、真の経済成長をもたらすのか、まだ不明に思えるのは平成バブルの経験にあると思います。

アメリカのドルの量的緩和は、絞る方向へ舵をきった。日銀が、国債を買い続ける、日本型「量的緩和」はどこで止めるのか。実態経済が動くには、構造的な改革をやらないかぎり、バブルになるような気がしてならない。

さて、国の経済政策と違い、個人の経済行動(生業)は、アベノミクスに合わせて財布の紐を緩めては、存続できなくなることもある。望みデカク、生活は地道の「欠乏」のすすめが身を向上させる、と個人の理想の生活と何かの本にあった。

欠乏礼賛(けつぼうらいさん)

人間は多少欠乏の生活が好い。それが修養となるとある。十の生活費が必要な場合に八ぐらいしか収入がないという生活が一番の理想とある。これは、辛抱して上を望めということだろうか。

日々の暮らし中で、新たな事業に使える蓄えは、そうそうあるものではない。また、新たな事を起すと、敵も出てくる。敵をどう増やさず事を成すかは、先人たちも苦労したと思います。敵のない人になるにはどうするか。安岡正篤先哲の訓示録『安岡正篤「こころ」に書き写す言葉』に次の一節がありました。

(以下、転載)

「和して一」

我があるから敵があり、我がなければ敵はない。
敵とは陰陽水火のようなもので形あるものには必ず相応するものがある。しかし、我が心に形がなければ対立するものはない。従って、争うものがないから敵もない。心の形を瞬間でも忘れた静かな時和して一なのである。
(以上、本より抜粋)

敵の無い状況をどう作るか。初めに書いた「事を起こせば敵を作る」が普通と思いますが、それを作らない状況が“和して一”なのか、我の欲望を捨てて、公的な欲望に限りなく近づけることをし続ける。何か哲学的になってきましたが、「公欲のために働くのが政治活動ではないか?」、33才から社会活動に参加するようなり、分からないまま今に来ているのですが、最近読む数冊の本からおぼろげながら、考えるようになりました。

人に言わせると、「なんでそこまでするの」、と言われますが、せずにいれないのが私の活動ように思います。私の活動は、いつも欠乏礼賛で、周りから厳しい忠告をされながら続けてきました。まだまだ我の欲も消えず、理想には至りませんが、地道に続けて行きたいと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:58Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他