5月6日は、宇土市のサッカーのスーパースター、鹿島アントラーズの植田直通選手の応援ツアーに参加します。

2025年03月24日

今年のゴールデンウィークの最終日(5月6日)は、宇土市のサッカーのスーパースター、鹿島アントラーズの植田直通選手の応援ツアーに参加します。実は、ヨーロッパのクラブに移る前の鳥栖での応援ツアー以来なので、とても楽しみです。もし、関心のある方は、JA宇城の旅行センターへ問い合わせください。

宇土市は、相撲で盛り上がっていますが、サッカー選手も全国、世界で活躍する選手たちがたくさん居ますので、応援よろしくお願いいたします。

我が家は、植田直通選手が大津高校時代から応援ファミリーなので、もちろん行きます。



  

Posted by ノグチ(noguchi) at 19:58Comments(0)スポーツマイライフ宇土市

<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜

2025年03月23日

<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜

数日前から、春の草刈りを始めた。昨年に、父の使用済みの仮払い機の丸型の刃を加工しては使ってきたが、ついにヒビが入った。1日半ほど、"このヒビの入った刃を使うには?"と思案して、昨日加工した形が、写真のような変形手裏剣型に変わった。ここ4年で初めての形です。

刃は、両面使いにするようにしていて、
草刈り用は、切り込みが大きく。
小さな竹も切るのは、切り込みが短く。

この使用済みの仮払い機の丸型の刃の加工は、私のある意味"遊び"の部類に入っています。

市販の丸型の刃は、安いのは700円ほどから、高くなると3000円近くするものもある。

田畑の草は、一年中続く作業。中山間地の我が家の草刈り作業では、困るのが草陰に石や岩がたくさん在り、下手な私の草刈り作業では、よくぶつけて市販の丸型の刃先を飛ばして、すぐに切れなくなってしまっていました。年に、4〜6枚も羽先が無くなり使えないことありました。

そこで始めたのが、使用済みの刃の加工です。試行錯誤、これが面白いのです。

丸型の刃も、いろいろなデザインがある。軽量化するのに、小さな穴がたくさんあるもの、大きく三日月型に穴を開けたもの。父が使用して羽先の無くなったものを加工する。

今朝の読書で読んだ作家の田辺聖子さんの"遊びは飽きない"から、昨日の加工作業を思い出し、この言葉に賛同した!
以下が、その文です。

(以下、田辺聖子著『苦味を少々』より)

「私は遊び下手ですなあ、飽かんように遊べたら、ええのやけど」
私にいわせれば、飽かないから遊びなのであって、飽くのは、単なるヒマつぶしである。
〜『ダンスと空想』〜
(以上、本より転載)

>飽くのは、単なるヒマつぶしである。

私は、友人たちがよくやっている魚釣り等には、ほとんど興味が湧かないが、ものづくり、建築模型、さらに実際の建築設計から建設に至る行程は、何度やっても飽きることがない。たぶん、同じものが無いからだろうと思っています。

仕事が趣味という人がいます。たぶん、その仕事は、日々同じことがなく、変化や新たな工夫が必要だから面白い、だから飽きることがない。

遊びも同じで、プラモデルような既存の製品ではなく、実際に屋根に庇を取り付ける作業が飽かないのは、工夫が必要だからだと思います。だから続けることができる。

建築の仕事は、私にとっては遊びの工夫に似たような感覚を持っています。

これからの後半生を、遊びの感覚を持って生きていけたらいいなぁ、と田辺聖子さんの文を読み朝から考えました。

>遊び上手

これからの人生のテーマかもしれません。


加工前

加工後  

<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。

2025年01月27日

<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。患難、変故、屈辱、讒謗、払逆に挑むなり。〜『言志四緑』〜

長い人生には、いろいろな試練が起こる。

患難:疲労困憊する苦労
変故:変わった出来事
屈辱:耐え難い扱い
讒謗(ざんぼう):そしられる
払逆:思うようにならぬ

すべて天が人を成熟(成長)させるための手段であって、一つとして人間を磨き上げるために役立たないものはない。

したがって、こうした出来事に出遭ったならば、いかに対処しようかと考えるべきで、むやみに逃れようとしてはいけない。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より)

28年前、私は2つの病院の改修工事の計画をやっていました。時は、消費税が3%→5%にアップする一年前でした。もし完成がアップする翌年4月より遅れても、前年の9月末日までに着工(工事契約)していれば、課税を免れる緩和措置があった。

その年の夏は、日々睡眠不足の状況になるほど忙しい中で仕事をしていました。一つの病院改修の確認申請許可を8月末までの終えれないと工事着工が間に合わない、ほんとに必死でやっていました。

そんな時に起こるのが、熊本工業高校野球部が甲子園決勝戦に進み、県下全部が応援体制に、土木事務所に書類を持ち込むと、全員テレビ観戦中。

担当者曰く「明日下ろすから、今日は一緒に応援観戦しよう」でした。「明日、必ず確認が許可されるのなら、今日は帰ります」と帰り、事務所で次の病院の改修工事の設計作業でした。

翌日は、本当に1日で確認申請を下ろしてくれて、消防署へ書類を持ち込むことができました。土木事務所から消防署まで車で40分なのですが、睡眠不足で途中仮眠をしないと運転できないくらいに疲労が溜まっていました。よくやり終えたなぁ、と振り返ります。

正に、天は乗り越えれない苦難は与えない経験でした。

この改修工事は、工事中にも色んな出来事が重なり、さらに苦労するのですが、工事も完了することができました。

実際の学問とは、艱難辛苦の中から学ぶことだと、訓示を読み当時のことを思い起こしました。

その後、消費税は5%→8%へ、さらに8%→10%に変わりました。その時は、私が経験したような建築業界の騒ぎは起こらなかった。人間、慣れとは怖いですね。

現代政治の全年代の福祉向上策、子ども医療費や学費の無償化が広がっていけば、さらなる消費税アップもあるのだろうな、と予想します。

私は、消費税3%→5%直前の激務を経験したので、その後、同業種交流、異業種交流から、一人で全部をやるスタイルから、若い世代との連携・分担するネットワークを構築し、激務が発生しても乗り越える体制が出来上がりました。現在の建築事務所と市議会議員の二足の草鞋も可能になっています。  

<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜

2025年01月03日

<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜

(長文です。お時間ある時にお読みください。)

箱根駅伝は、予想とは違って、青山学院大学が連覇を果たした。一矢を報いたのが、復路優勝が駒澤大学の走りではないのかと考えました。駅伝競走は、多人数の走りの繋ぎなので、思うようにはならないのが、見ているものの楽しみでもあります。青山学院大学、連覇おめでとうございます。

さて冒頭の一文は、年末から読む『中年以後』の一節です。

(以下、本より)

<若い時は>自分の思い通りになることに快感がある。

<中年以後は>自分程度の見方、予測、希望、などが、裏切られる、と納得し、その成り行きに一種の快感を持つこともできるようになるのである。

(以上、『中年以後』〜算数通りならない人生〜より)

第101回箱根駅伝は、予想の國學院大学の駅伝三冠を阻止したのは、王者・青山学院大学だった。箱根駅伝の難しさが、現れた今年の結果となった。

駅伝同様に、一人ひとりの人生も、予定通りに行かない歴史がたくさんある。

しかしその歴史検証も、歳を重ねると若い頃の一方的な価値観から、多面的な見方ができるようになる。

(以下、本より転載)

〜計画通りに行かなくても〜

自殺するほどに自分を追い詰めることもないだろう。反対に上手く行っても、自分の功績ではなくて運が良かったからだ、と気楽に考えられるのである。

(以上、『中年以後』より)

過労死の悲惨な現状の報告を聞くに、追い詰められた状況に言葉を詰まらす。

どうして周りが気づかないのか?

どうして、周りへ苦しい現状を伝えられなかったのか?

私などは、大学受験は上手くいかず、一旦社会人になり、また浪人生活に戻り、そして建築士を目指して進学した。

まったく予定(算数)通りにはなって来なかった人生です。

建築士の修行時代は、バブル経済で、無資格の若僧がアルバイトで稼げた。ところが、独立直前に、バブル時代が終わった。苦しいフリーター生活の始まりでした。

それから試行錯誤しながら生き延びてきました。

今は、建築士事務所と市議会議員の二足の草鞋を履いて生きています。この市議会議員選挙に出ることも、いろいろな出来事から始まった。話せば長くなるのでやめます。

>人生は計算(算数)通りにならない。

そのことについて、曽野綾子さんは『中年以後』の中で、前の引用文の後に語っています。

(以下、本より)

 すべての人がそうだ、とは言えない。しかし世の中が算数通りだとしか思えない人、或いは算数通りにならないと怒る人は、写真の中でただ年を取るだけだろし、算数の乱れを面白がれる人は、恐らく若い時の写真よりも、年を取ってからの方が面白い人物に写るのだと思う。
「コヘレトの言葉」も最後に言うのである。
「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる」
(以上、『中年以後』より転載)

人生の変化(算数通りにならない)を受け入れ、対応して成長する人こそが、生き延びる(楽しめる)人なのかもしれないと、曽野綾子さんの本を読み学びました。

>人の知恵は顔に光を添え

人は練れて(鍛えられて)輝きを増す。

年始にあたり、この言葉を知り、日々心を入れ替え(新たなに)、チャレンジすることこそが大事だと気付かされました。

最後までお読みいただきありがとうございました。  

1月1日の記事

2025年01月01日


明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:08Comments(0)マイライフ

議長活動報告(11月前半)

2024年11月18日

宇土市会議会議長 活動報告(10月5日~15日)

11月5日
午前中 議会事務局在席

①宇城地域振興局長 挨拶(西田副議長同行)

②美里町議会議長・副議長挨拶回り
 上田町長共に挨拶

③宇城市議会議長・副議長挨拶回り
 守田市長挨拶



11月6日
①高規格道路要望活動
国土交通省八代河川国道事務所



国土交通省九州整備局(福岡市)



11月7日
①高規格道路要望活動
 国土交通省本庁

整備局長、金子衆議院議員
他に、次長、審議官、各関連課を回りました。

②県選出国会議員要望活動

金子衆議院議員(事務所)


馬場参議院議員(政務官室)

他の県選出国会議員は、自民党の両院議員総会中で秘書に要望書を提出いたしました。

11月9日
①ハートフルフェスタ(市民会館)

11月10日
①宇土高校同窓会・女性部主催グランドゴルフ大会

11月11日
①決算委員会

②議会研修会(宇城警察署と意見交換会)
宇土市の交差点改良への提案を宇城署長と交通担当との意見交換会でした。

住吉町中村踏切前の国道57号線交差点

高柳町踏切前の国道57号線交差点

11月12日
①決算委員会

11月14日
①決算委員会

11月15日
①決算委員会

②植田明依さんミスインターナショナル世界大会の報告会



  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:47Comments(0)マイライフ議員活動(政務調査)宇土市

議長の活動内容について(10月)

2024年11月16日

これから2年間、宇土市会議会議長としてどんな活動と役務をしているか時系列にして報告いたします。

議長の活動内容について

10月21日臨時議会
①藤井議長の辞表提出
②議長選挙
 野口修一 9票
 4票 1人
 2票 1人
 1票 3人
*宇土市議会の定員は18名

・議長就任挨拶→議長席へ

10月23日
①宇城広域連合議会出席(9時~)
・ゴミ処理場(グリーンセンター)
・消防本部
・し尿処理場

②議会事務局打ち合せ(13時半~)
 毎週月曜日の午前中は議会事務局に居ることにしました。ご用や意見のある方は、来庁ください。

10月26日
①衆議院議員選挙・金子候補の遊説(10時~12時半)


②県南郵便局交流会



10月28日
①議会運営委員会に参加(10時~10時半)

②熊本市議会議長へ就任の挨拶回り(12時40分~14時20分)

③決算委員会懇親会(18時~21時)

10月29日
①議長就任取材・熊日(9時~9時半)

②九州議長会理事会・宮崎市(14時~19時半)


小林市議会議長と熊本にご縁のある学生アルバイトさん

10月30日
①道の駅「都城」視察

10月31日
①国道3号線、浜戸川・潤川要望活動
 熊本国道事務所→九州整備局

熊本国道河川事務所にて


九州整備局  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:34Comments(0)マイライフ私の意見宇土市

宇土市議会の臨時議会議会が開催され、議長選があり、私が議長に選任されました。

2024年10月22日

昨日に、宇土市議会の臨時議会議会が開催され、議長選があり、私が議長に選任されました。初めての大役なので、昨日は、前議長から、いきなりの会議の引き継ぎで、緊張気味でしたが、どうにか初日を終えることができました。これから2年間、議会活動がスムーズにいくように、誠心誠意やっていきます。よろしくお願いいたします。

写真は、本日の熊日新聞記事をアップしました。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 14:55Comments(0)マイライフ議員活動(政務調査)宇土市

<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜

2024年09月25日

<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜

(少々文が長いので、お時間ある時にお読みください。)

私の読書は、雑読である。あまりよろしくないが、古本屋での立ち読みから興味が湧き購入することが多い。その作家の一人が、歴史に関する本が多い半藤一利の著書です。

半藤一利氏の文を集めた本『歴史と人生』に、夏目漱石が関心を持った『老子』の話がありました。

(以下、半藤一利著『歴史と人生』より)

ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ
夏目漱石(明治三十一年作)

この句には前書きがある。
「知者不言、言者不知」
出所は『老子』である。
「知るものは言わず、言うものは知らず」
と読む。えらそうに言挙げするものへの皮肉がたっぷりこめられている。漱石はまたこうもいっている。

「余慶な不慥(ふたしか)の事を喋々する程、見苦しき事なし、況(いわ)んや毒舌をや、何事も控え目にせよ、奥床しくせよ」
〜『愚見数則』〜

斯愚には 及ぶべからず 木瓜(ぼけ)の花
夏目漱石(明治三十二年作)

『老子』に有る、
「大功は拙のごとし」
「われ愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり」
漱石もまた節を曲げない愚直な生き方を、生涯の心の拠りどころとしていた。
(以上、『歴史と人生』より)

>知るものは言わず、言うものは知らず

智者は語らず。
お喋り多い人は知らず。

>ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ

人の注目を集めることに熱心な人がいます。"時代の寵児"と言う表現もありますが、そんな人は、いつの間にかいなくなります。

私は、異業種交流会を主催してきました。かれこれ25年(四半世紀)になります。

いろいろな方と会ってきました。その初めから縁のある大学教授に、

「本物は残るから、長く観ておきなさい」

と助言されました。一瞬の輝きより、10年後、20年後の姿を観ることが大事だなぁ、とこの歳になると思います。

人の時のアセス

人間の言動の検証のことを大学教授が語られたのだと思います。

>余慶な不慥(ふたしか)の事を喋々する程、見苦しき事なし

「人生は訥弁」の教えが中国古典の何かにありました。お喋りは禍いの素(原因)です。

勇者は語らず。

人間分析は、なかなか時間のかかる(アセスメント)作業のように思った、半藤一利氏のご指摘でした。再度、

>ものいはぬ 案山子に鳥の 近寄らぬ

人生は、ぼちぼち。好きなことを愚直に続けたが楽しいのかもしれません。

今日、明日は、膝を休めるために早朝ウォーキングはお休みですが、いつもの時間に目覚めて、雑読しています。  

信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜

2024年09月17日

信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜

(長文です。時間ある時にお読みください)

朝目覚めて、寝室の本の整理をしていて、以前にリサイクルブック店で購入した中村天風に関する著書に目が止まった。開いたページに、

(以下、本より)

「『論より証拠』だ。信じてやってみたまえ。効果があるから、効果があったという厳然たる事実が、教えを納得させるだろう。納得したならば、この道を歩み続けるがいい」

天風は言う。

「信念が確固不抜のものなれば、こうなりたいと念願のすることがすべて思い通りにかなってくる」
(以上、池田光著『中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない』より)

本の一節には、

(以下、本より転載)

命令的な口調で暗示をあたえる。
「家を建てよ」
「課長になれ」
「著書を出せ」
と、繰り返し心にイメージを描くことと自己暗示を行い続けることで、力の源である潜在意識に働きかける。
(以上、本より)

我が人生に当てはまると、進学が上手くいかずに、一旦は社会人になったが、一年後に一念発起、建築の専門学校から建築設計の道に入った。

目標は、"30歳で独立する"でした。

しかし、その実現は、一級建築士の試験が上手く行かず、1年遅れ、さらに事務所開設の申請は2年遅れでした。

独立して4年後になり、大型物件の仕事が始まった。さらに仕事が増える中、強力な台風が宇土市を襲い、所有林の杉檜が100本以上倒れる被害を受けた。

台風後の秋、地域行事に参加して懇親会の席で、「山の木見て考えろ、家でも建てないか、親父ともう歳ばい」と近所の大工から意見された。私の父は、大工でした。

さてどうする・・・

翌年の売り上げは大きくなるので、税金を納めて公的資金を使い(住宅金融公庫)建てることに向かった。37歳11ヶ月で家は完成した。

問題は、3つ目の「著書を出せ」です。昨夜のコメントでも紹介した異業種交流会「四季の会」を40歳から本格的に活動を始めた。多い時は、年間に6回開催することもあり、50歳になる年の春に電話が来た。

「野口さん、40代をまとめないか、とにかく書けたら私の所へ持って来なさい」

と異業種交流会の始まりから関わる大学教授からの要請でした。私は、約3ヶ月半かけて、87の活動と好きな名言を30ほどまとめて、教授のところへ持って行くと、

「これでは本にならない、3つか、4つのグループに分けて来なさい」

から、また半月かけてまとめ、相談に行きました。すると、

「これから先は、あなたの福岡の国文学者の先輩にお願いして、チェックしてもらいなさい」

と指示され、それから3ヶ月福岡へが通うことになった。そこでも注文が、「87ではなくて、もう一つ増やし88の実践報告に」とあり、出来上がったのが、40代の活動をまとめた本、

『なかまづくり まちづくり』

です。51歳の正月に出来上がり、出版発表と異業種交流会「四季の会」10周年を開催しました。

独立(フリーター)が、31歳6ヶ月でした。
家の新築完成が、37歳11ヶ月でした。
本の出版が、51歳7ヶ月でした。

「独立」は自らの決意からでしたが、「家の新築」と「本の出版」は先輩の助言から、さらに「市議会議員への挑戦」(52歳3ヶ月)も地域の先輩の後押しからでした。

振り返るに、独立は自己責任で始めましたが、他の出来事は、周りからのアドバイスを活かして来た、私の中年期のように思います。朝から中村天風哲学に触れ、振り返りました。

話が長くなり、最後までお読みいただきありがとうございます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:49Comments(0)マイライフ私の意見哲学、人生

人を招く、人に招かれる。出会いの演出はなかなか難しいですが、人間を育てる場でもある。〜異業種交流会「四季の会』〜

2024年09月16日

人を招く、人に招かれる。出会いの演出はなかなか難しいですが、人間を育てる場でもある。〜異業種交流会「四季の会』〜

7年ほど前に、リサイクルブック店で見つけた作家の田辺聖子さんの文を集めた本『苦味(ビター)を少々』は、夜寝れない時に時折開きます。

(以下、本より)

客を迎えるというのは、自分が主になり柱になることなので、ぐうたらや未熟ものではつとまらぬわけである。
気概のない人間は、自分が人を招ぶより、人に招ばれ客となって大切に扱われたがるのであるらしい。
〜『姥ざかり』〜

果たして私は"どちらか?"

最近は、客を招くことは少なくなっていますが、以前にやった人物の出会いでは、あるイメージを持って場の設定を行った。その後のことは書きませんが、田辺聖子さんの文を読み、なるほどと思い、振り返りました。

私は、異業種交流会を四半世紀続けてき
ました。異業種の方々に集まってもらうには、まず自ら来てほしい方の所(事務所や現場)に出向くことから始まります。これまで、2千人近い方のところへ伺いました。そのなかで、つながっているのは、ほんのひと握りです。

この世に生まれて誰と出会うか?

あなたは招く側ですか?

招かれる側ですか?

コロナ禍から、開催が少なくなった異業種交流会「四季の会」を、そろそろ開催でもしましょうか。

人を招く工夫とは何か?

38歳からの同業種交流会以来、考え続けているテーマかもしれません。

今夜は、昼寝をちょっとしたせいか、なかなか眠れずにいて、枕元の本読んでいます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:43Comments(0)マイライフ 異業種交流会・講演会

環境と経済の両立を目指す「2005.フューチャー500国際シンポジウムin北京」に参加

2024年08月31日

<フューチャー500北京>19年前の10月に2つの関連行事、環境と経済の両立を目指す「2005.フューチャー500国際シンポジウムin北京」に参加して、ほんとに初めて北京に行きました。中国大陸へ行くのも初めてでした。

(長文です。お時間ある時にお読みください。)

フューチャー500北京は、2005年10月18~19日に開催されました。世界各地(ヨーロッパ、アメリカ、アジア)の研究者、経済学者、社会活動家が北京に集まりました。前日(17日)に夕食しながらの打ち合せ会に参加しましたが、九州から行った二人は、英語が苦手でしたから、辛い北京料理の味に苦労しながらの夕食となりました。

この北京に行く2日前、福岡市で環境経済のシンポジウムがあり、北京の打ち合せはそこでできるかと思いきや、呼びかけ人の木内孝氏は「北京空港で待ってるから」で打ち合せ終了でした。二人、福岡空港の国際線で待ち合わせ、青島経由で北京に行きました。北京空港に着くと、「待ってるから」の木内氏は居らず、えーっどうするの?と不安になっていると、「やーっ、ごめん」と、秋の北京なのに半袖姿で現れました。

その出来事から、怒濤の北京シンポジウムが始まりました。私の登場は、2日目(10月19日午前)に市民活動のスピーチをすることでした。シンポジウムの1日目は、木内氏の基調講演から始まり、現地主催者の北京大学教授、さらに各地から研究者の報告が続きました。夜は、面識ある研究者同士で、けっこう盛り上がりました。しかし、私は翌日にスピーチが気になって、食事どころではない状態でした。木内氏に「どんなことを話せばいいですか?」と聞くと、「いつもやっていることを話して大丈夫、通訳は私がやります」だけの打ち合せでした。

四苦八苦して、深夜2時まで原稿をまとめました。当日は、私が語り、木内氏が英語訳し、それを北京大学の大学院生が中国語訳をする流れで、私の話は15分間(英語訳、中国語訳なので実際は40分間)の発表をしました。最後の〆は、「陽明学の始祖・王陽明が提唱した"知行合一”が私の信条です」と締めくくりました。

2日目の昼食時には、中国共産党のナンバー2(首相)を囲む会議が急きょ組まれ、環境政策の推進について活発な議論が交わされました。その後の中国は、環境政策推進に動き、自動車の電動化が一気に加速したように思います。その「フューチャー500国際シンポジウムin北京」がきっかけだったのではと振り返ります。

フューチャー500北京の2日目を無事終えた夜に、九州から行ったもう1人が「私たち、観光する時間は無いの」から、タクシーで政府関連施設をぐるりと一回りして、3日目の夜が終わりました。

最終日は、朝食前にホテルを出たので、飛行場で朝食を取ろうと思ったら、食べるところが無い、なんと4日目の最初の食事は、午後3時に着いた福岡空港で、ラーメン食べたの最初でした。初の国際シンポジウムでしたが、私は二度と海外での国際シンポジウムには、参加したくないなと思いました。でも中国から招待されて北京に行き、パネリストの1人として発表させてもらった経験はとても良かったと振り返ります。世界を飛び回る人たちは、国際シンポジウムとかに参加するのに、いろいろな(良い・悪い)経験を積むから成長するのではと思います。

あれから19年、時の過ぎるのは早いものです。フューチャー500北京のお誘いいただきた環境活動家の木内孝氏は、今年の2月に他界されました。色々な経験をさせていただき、感謝するばかりです。

*書斎の断捨離を夏に続けていて、古い写真が出てきたので、データの写真があるか確認したら見つかったのでアップしました。

<福岡シンポジウム>






<2005フューチャー500北京>

























  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:32Comments(0)国際関係マイライフ 異業種交流会・講演会

高宗昭敏先生の活動を振り返る。熊本地球市民塾から「横井小楠と維新群像」建立まで

2024年07月26日

「こよなく酒を愛し、この熊本から日本の未来を、熱っぽく語り合った小楠・海舟・龍馬」
〜高宗昭敏先生の活動を振り返る。熊本地球市民塾から「横井小楠と維新群像」建立まで〜

私が、熊本地球市民塾に参加したのは32年前、その時に、高宗昭敏先生との出会いでもありました。

高宗先生は、大学教授でありながら、社会的・政治的な目的を持ち、セミナー、講演会、フォーラム、歴史検証、偉人顕彰の様々な活動を主催されました。私は、その事務的な補佐をさせていただきながら、社会活動の経験を積ませてもらっていたように思います。

地球市民ウォーラムは、3日連続のセミナー、講演、パネルディスカッション開催されました。

九州初の「太陽光発電推進九州ブロック研究集会」には、予想を遥かに超える417人が集まり、来賓で出席された福島譲二熊本県知事も驚かれました。

そして横井小楠顕彰活動は、生誕190年記念事業から始まり、生誕195年では、催し・イベント・講演会、さらには5体の銅像建立まで発展していきます。

銅像建立の5年後に開催された、銅像前での花見の宴に参加して思ったのは、高宗昭敏先生自身が、現代の坂本龍馬のように思えたことです。経済学の教授でありながら、社会変化の気づきを、周りに与える提案を常に続けておられた気がします。

坂本龍馬の活躍した時期は、約5年間と言われています。高宗昭敏先生の60代から始まった、熊本県だけでなく、東京ともつながり、再生可能エネルギー政策への提言、熊本の幕末・明治維新で活躍した偉人の再評価を懸命に続けられました。

特に、「太陽光発電推進九州ブロック研究集会」後に始まった、横井小楠生誕190年(1994年)〜生誕195年(1999年)までの約6年間の活動は、横で見ていて飛び回る忙しさがあった。すごい方だったと、今になりつくづく感じます。

高宗先生が、
「これからは、頭の強い人間にならないといけない」
と、よく話されていました。私が、
「先生、頭の強い人間とは、どんな人ですか?」
と尋ねたことがあります。すると、
「頭の良い人間は、成績優秀で頭の回転が速いのだろうが、"頭の強い人間"とは、何か事をやろうとした時、完了させるまで、終わるまで、諦めず考え続けられる頭を持つ人のことだ」
と話されました。ちょうど銅像建立へ向けた、人・モノ・金を巻き込む最中で、5年間の到達目標を持ち、多様なイベントと銅像建立(1億円)という事業をやり終えるために、思考を最大限に駆使されやり遂げられたなぁ、と振り返りました。

>これからは、頭の強い人間にならないといけない

ここ3日、季刊誌「KUMAMOTO」に、熊本地球市民塾からの活動をまとめた文を投稿するので、32年前からの出来事を思い起こしていました。

頭の強い人間とは?から、目的達成まで諦めない意志の強さを教えられた経験でした。

高宗昭敏先生は、新型コロナウィルス感染拡大前の年末、12月28日にお亡くなりになりました。年の瀬の押し迫った時期でしたから、葬儀はご家族だけで執り行い、少し経ってから「偲ぶ会」を計画されましたが、コロナ感染拡大で、人の集まることが制限されたために、出来ず仕舞いになりました。私自身も、同日に叔母が亡くなり、高宗先生の葬儀も知らず、ご家族からご連絡を受けて、仏壇にお参りしたのは年が明けしばらくしてからでした。
社会活動の先生として、長く指導を受けた方でした。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。







  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:16Comments(0)マイライフ熊本の出来事哲学、人生

大津町に在る国指定の江藤家住宅の見学会に参加していましました。良き建築の学びになりました。

2024年03月30日


大津町に在る国指定の江藤家住宅の見学会に参加していました。

かつて440丁(440h)と大地主で武士格を持つ江藤家の旧宅が、熊本地震で大きな被害を受けたのを7年かけて大改修して、完成したことはニュースで知っていたので、男女共同参画社会づくりで一緒に活動したのが現当主の奥様なので、"この機会に行かねば!"と、Facebookのイベントに申し込みました。

江戸から明治大正期の素晴らしい日本住宅でした。奥様ともお話をゆっくりとできて良かったです。
 5月に、大津町主催で修復完成披露を兼ねた見学会があるとのことです。興味ある方は、大津町のホームページ等で確認してください。

今日は、建築の良き学びになりました。








  

Posted by ノグチ(noguchi) at 12:39Comments(0)マイライフ建築・都市

能登半島地震の支援活動、<天地人のタイミング>機会を逃すな! 人生はすべて機会である。

2024年03月17日



<天地人のタイミング>機会を逃すな! 人生はすべて機会である。or「安全第一」を守っていては、あまり遠くへボートを漕ぎ出せない。〜デール・カーネギー〜

先ほど、本日のフットパスコースのモニター(体験)ツアーの延期を発表して、また横になりました。早起きする必要がなくなり、天気も良くないので、朝のウォーキングもできず・・・

枕元の本を開きました。

デール・カーネギーの『名言集』から、

(以下、本より)

 機会を逃すな! 人生はすべて機会である。1番先頭を行く者は、やる気があり、思いきって実行する人間である。「安全第一」を守っていては、あまり遠くへボートを漕ぎ出せない。
〜デール・カーネギー〜

機会=チャンス

機会=タイミング

機会=出会い

2月17・18日前後に、能登半島地震の被災地支援活動に参加する計画していた。災害ボランティア活動には、時期(=ニーズ)がある。






行く者の気持ち(動機)も、私は機会(タイミング)と捉えています。しかし、チャリティーの催しの提案から、行けるタイミングを逸した。その催しの機会(市民のニーズ)から、益金と寄付がたくさん集まった。

そこで、寄付の行き先が問題となった。

市役所を通じて輪島市へ届ける方法?

市からは、日赤への寄付になり、時間を要し配布時期も遅れるから、皆さんの思いに寄りそえない、ことが分かった!

早く輪島へ届けたい(=主催者の思い)から、私の被災地へ出向く気持ちが、新たに起こった動機(機会)となり、ひと月遅れで計画を立て実行することになった。






名言に、以下の言葉がありました。

サミュエル・バトラー

 たとえ信念があっても、達成できるのはごく僅かなものだ。しかし信念がなければ、何事も達成できない。
(以上、デール・カーネギーの『名言集』より)

今回の出来事から、被災地支援は、早く行くことが良いばかりではないと学んだ気がします。周りを取り巻く人たちの思いや現地の情勢、さらに自らの役割(機会)がうまく重なった時に実現すると思います。

昨日は、男女共同参画社会づくり団体の会議でした。一人の女性メンバーが「私は、今年防災につい学ぶセミナーに参加します。防災士も目指します」の発言と私の能登へ行った話から、今年の活動テーマが、「防災について学び、県下の自治体の防災会議メンバーに女性を増やす」となった。

活動にも、社会の出来事(能登半島地震)や、機会、動機、タイミング、等々、があると思いました。

冒頭の言葉、

>「安全第一」を守っていては、あまり遠くへボートを漕ぎ出せない。

とはあるが、ただ早ければ良いではなく、安全を守り成功へ導くのも重要な時期(機会)のように思います。

いつ(時期)行動を起こすか、成功のカギ(きっかけ)は、やはり天地人のタイミング(機会)の見極めが必要と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:51Comments(0)マイライフ市民活動能登地震

令和6年元日、新年あけましておめでとうございます。

2024年01月01日


令和6年元日、新年あけましておめでとうございます。

年初からの読書で、『安岡正篤一日一言』より

一、年頭まず自ら意気を新たにすべし
ニ、年頭古き悔恨を棄つべし
三、年頭決然滯事を一掃すべし
四、年頭新たに一善事を発頑すべし
五、年頭新たに一佳書を読みはじむべし

そこで、今年は、修己治人の学『大学』を読むことにしました。

伝七章 「正心」について

身を修むるはその心を正すにに在り

 みずからの徳性を高めようとするなら、まず心を正せとおいうのである。では、「心を正す」とはどういうことなのか。
 朱子学によれば、人間の心には「性」と「情」がせめぎ合っているのだという。「性」とは天から授かった徳性であるが、そのままほうっておくと、「情」すなわち感情や欲望に曇らされたり邪魔されたりして、十分に発揮することごできない。そこで「情」を押さえて、心の正常な働きを取り戻す必要がある。それがすなわち「心を正す」ということなのである。
そういう心がしっかりと居座っていれば、よく五官をコントロールし、海外のどんな動きにも自在に反応して、対応を誤ることがないのだという。
(以上、『修己治人の学「大学」を読む』守屋洋訳著より)

安岡正篤先哲の言われる、「心を正す」とは何かを新年から考えてみます。

写真の年賀状は、身近な方々への文面です。お読みいただければ幸いです。

今年が、皆様にとって良き年でありますように願います。本年もよろしくお願いいたします。

令和6年元日 野口修一  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:25Comments(0)マイライフ私の意見

<五十歳から自由な開放感で>『林住期』オマケの人生、だからこそ自由より

2023年12月19日

<五十歳から自由な開放感で>生まれてから二十五年間は、親や国に育て手もらう(現実は違うが?)。それから五十までの二十五年間は、妻や子供を養い、国や社会に恩を返す。〜『林住期』より〜

五木寛之さん曰く・・・

(以下、『林住期』オマケの人生、だからこそ自由より)

 それは、よく耳にする「オマケの人生」である。八十代迄生きるにせよ、九十代までがんばるにせよ、五十過ぎからの時間がオマケであることは事実だろう。
 オマケと考えれば、どう生きようと勝手ではないか。あーあ、ついに耐用期間を過ぎたか、と、ため息をつくより、突然、これまで感じたことのなかった自由な解放感をおぼえたほうが徳である。
(以上、本より)

50歳が境目?

私は、今年65歳になりました。

私は、22歳の時、建築事務所を開く夢を持って建築専門学校へ入学しました。そこに至るまでの3年の滞りが、今の私を作っているのですが・・・。当時は、3歳下の高卒入学組からは、私は浮いていました。でも救いはあるもので、同級生が他に2人も居て、専門学校とはそんなところでした。

今振り返るに、若干22歳の若造が、人生はやり直せると思い専門学校に入学し、頑張りました。以来、43年が過ぎました。

五木寛之さんの五十歳が境目(転換点)という話と、2年前の89歳の五木寛之さんの熊本講演は90分立ちっぱなしで話をされた姿、現在91歳で熊日に連載をされています。すごいな、と思います。
 凡人は、五木寛之さんのようにはいきませんが、残された人生、どう時間を使って行くか、思案のしどころです。長いか、短いか、先はわかりませんが、人生のプランを構築する必要がある、と、おそまきながら思います。

昨夜天気予報も見ずに、朝ウォーキングと目覚ましをかけ起きて外の天気を確認したら雨でした。寝る前に読んだ『林住期』の一節を読み返し、"自由な開放感"な生き方で、老いを楽しんでおられる五木寛之さんから学びました。  

>愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして。

2023年11月30日

<男女協働>愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして。〜田辺聖子著『めぇ〜る』〜

たまには、やわらかい話もします。

作家の田辺聖子さんの言葉には、社会改革を感じるものが、たくさんあります。女性作家が当たり前の時代になりました。女性が仕事をするのは当たり前、仕事が主で、家庭は二の次になっている人たちも多いようにも思いますが、逆な見方をすれば、男たちは家庭を顧みない輩ばかりだから、定年離婚が増えているとも・・・

田辺聖子さんにしろ、曽野綾子さんにしろ、男分析の鋭さは天下一品で、こちらは舌を巻くしかない。

しかし、ご両人には伴侶があられ、それなりの夫婦生活があります。

冒頭の言葉は、以下の部分の伐採です。

『上機嫌な言葉 366日』の11月29日の言葉です。

(以下、本より)

 これからの女性は、きっと仕事を生き甲斐にする、という人がふえるでしょう。ただ、その場合も、もし、愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして、そちらの人生でも生きてほしいのです。
〜『めぇ〜る」より〜

田辺聖子さんの言葉は、手厳しいですが、大人の優しさを感じるものがたくさんあります。男と女、夫婦、恋人、男女友達、色々な男女関係を文に綴る天才だなぁ、つくづく思います。

>甘い、やわらかい部分

思いやりの心を持ち続けたいものですね。それこそ、不思議な生き物の人間ですが、男女はパートナーとして、人生の友人としてどう付き合うか、課題であり、楽しみでもあります。

*参考資料:『上機嫌な言葉 366日』
  

<世界平和へ旅をしよう>異業種交流会「四季の会」・秋の会(望年会)のご案内です。

2023年10月22日

<世界平和へ旅をしよう>異業種交流会「四季の会」・秋の会(望年会)のご案内です。

ほんと4年ぶり?になる、四季の会を開催いたします。今回の講師は、フリーカメラマンの高木あゆみさん(一般社団法人teemはちどり代表)です。講演テーマは、

世界平和へ旅をしよう
〜難民との出会いと 子育てと~

合志市に拠点を置くフリーカメラマンの高木あゆみさんてす。高木さんは、5年前、5歳の子どもを連れて、アフガン難民について調査のために、ヨーロッパに渡りました。
 特に、ドイツとスウェーデンでは、子どもの難民と面談し、戦火から逃れた話し、難民テントの生活、さらにドイツの難民への対応、等々を調査して帰国されました。

5歳の子どもを連れて14ヵ国、110日間の旅もすごいのですが、現在活動されている、「海外を知ろう、難民に関心を持って」の地道な活動には、とても興味が湧き異業種交流会の講師にお願いしました。開催内容は、以下です。

11月24日19時〜

熊本市国際交流会館第一会議室

定員は、20名程度。

主催は、環境共生施設研究所
問合せは、野口修一まで。

ぜひ、興味ある方は、日程に加えていただければありがたいです。よろしくお願いいたします。

#異業種交流会
#異業種交流会四季の会
#四季の会
#一般社団法人teemはちどり
#カフェハチドリ
#国際貢献
#難民支援
#多様性社会  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:07Comments(0)マイライフ 異業種交流会・講演会

<生きる力、雑学という学問のすゝめ>「雑草という草はない」〜牧野富太郎〜

2023年09月27日

<生きる力、雑学という学問のすゝめ>「雑草という草は無い」〜牧野富太郎〜

私の読書は、"雑読"で、雑誌から専門誌、歴史本、漫画ももちろん読みます。人の興味は多様とつくづく思うのですが、さらに"雑学"なる言葉があります。

雑学とは何か?

>多方面にわたるまとまりのない知識や学問。また、学問とは関係のない雑多な知識。〜出典:デジタル大辞典(小学館)〜

逆に、本来の「学問」とは何か?

1 学び習うこと。学校へ通ったり、先生についたり、本を読んだりして、新しい知識を学習すること。また、身につけた知識。「―のある人」「―する楽しさ」

2 理論に基づいて体系づけられた知識と研究方法の総称。学。

なる解説があります。

私が体系的に学んだとすれば、建築学でしょうか。しかし、建築技術は日進月歩と、日々新たな技術開発が進み、また社会ニーズの変化で、コンクリートから木造を好む時代に変わってきています。日々の経験や知識量を増やし続けることも学問と思います。

さて、本題の"雑学"ですが、デジタル大辞典には、

>学問とは関係のない雑多な知識。

とありますが、私のとっての雑学は、生きる力になっているように思うのです。確かに建築学は、私の生活の糧を維持する手段になっていますが、本来の生活そのものものには、住環境を除けば、建築学以外に、人の生きる知恵(学問)は、多種多様(雑多)にあります。

雑多な雑学こそ、生きる知恵になっているのではと、思うようになりました。

数日前、植物学者の牧野富太郎のことを検証する歴史番組見ていたときに、「雑草という草はない」が紹介されました。

(以下、web情報より)

2022年8月牧野記念庭園記念館(東京都練馬区)の田中純子学芸員らの調査から、発言の出所を発見した。

帝国興信所(現在の帝国データバンク)の編集記者を務めていいた山本周五郎(当時20代)、牧野博士にインタビューしたとき、「雑草」という言葉を口にしたところ、牧野博士はなじるような口調で次のようにたしなめたそうです。

「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林(ぞうきばやし)という言葉がキライだ。松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くのひとびとが〝雑草〟だの〝雑木林〟だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、〝雑兵〟と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶばあいには、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね」
(以上、web情報より抜粋)

世に言う「雑草」「雑木林」ももちろん植物で、ちゃんと酸素を作ってくれて、われわれはその酸素を吸って生きています。雑草とは、人間から見た"困ったモノ"の総称と思います。しかし、見方を変えると、とても価値ある存在となります。

ふと、朝から考えていて、"雑学こそが、生きる知恵"ではないか、と思いたち、牧野富太郎の言葉を、朝から調べてみました。雑学は、学者だけでなく、一般人こそ多種多様な知識や知恵を所有しています。

ちなみに、100キロウォークも、日々の草刈り作業も、私にとっては、雑学のひとつと思っています。

そこで「生きる力、雑学という学問のすゝめ」ということを思いたち、本日のコメントにしました。ご意見ある方は、コメントやメール等、いただければ幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:01Comments(0)マイライフ偉人教育問題