人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜

2025年05月15日

人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜

仲間づくりの始まりは、同じ志向の人々の集まりから組織ができると考えるのが普通と思います。

しかし、仲間、グループとは違い、一対一の付き合いは、同一志向だけの付き合いでは、自らの人間力が成長しないように思います。

ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈氏は、異分野の人と付き合う、アメリカに活動拠点を移したこと、要するに異世界との交流こそが自らを成長させると語っていました。

曽野綾子著『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』の一節に以下の文がありました。

(以下、本より)

 しかし、それは決して、相手が私と全く同じ人生観を持っている、ということでもなく、趣味が完全に一致しているということでもない。むしろ友人となり、適切な人間関係を待ち得るということは、いかに親しい友人であっても、生来、全く違う個性のもとに生まれついているということに厳しい認識を持ち、その違いを許容し得る、というところから始まるのである。
(以上、『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』より)

友というのは違いを認めてから始まる、という話です。

子どもならまだしも、20歳を過ぎてから付き合う人々とは、何を基本にしているか?

やはり"違いを認める"ことから始めるように思います。

古い名言があります。

「私はあなたの説には反対である。しかしあなたがそれを発言する権利は命をかけて擁護する」
―S.G.Tallentyre, The Friends of Voltaire(タレンタイア『ヴォルテールの友人たち』.1907)"

これこそが友人の発言ではないのか。

人を認めるとは、"違いを理解する"ことから始まると思います。

世の中には、自らの考えと違う人を、"ボロクソ"に言いふらす人たちがいますが、それでは人の信用は生まれません。

世の揉め事も含め、違いを理解しようとする姿勢が大事だと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:54Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他偉人私の意見

議長の活動内容について(10月)

2024年11月16日

これから2年間、宇土市会議会議長としてどんな活動と役務をしているか時系列にして報告いたします。

議長の活動内容について

10月21日臨時議会
①藤井議長の辞表提出
②議長選挙
 野口修一 9票
 4票 1人
 2票 1人
 1票 3人
*宇土市議会の定員は18名

・議長就任挨拶→議長席へ

10月23日
①宇城広域連合議会出席(9時~)
・ゴミ処理場(グリーンセンター)
・消防本部
・し尿処理場

②議会事務局打ち合せ(13時半~)
 毎週月曜日の午前中は議会事務局に居ることにしました。ご用や意見のある方は、来庁ください。

10月26日
①衆議院議員選挙・金子候補の遊説(10時~12時半)


②県南郵便局交流会



10月28日
①議会運営委員会に参加(10時~10時半)

②熊本市議会議長へ就任の挨拶回り(12時40分~14時20分)

③決算委員会懇親会(18時~21時)

10月29日
①議長就任取材・熊日(9時~9時半)

②九州議長会理事会・宮崎市(14時~19時半)


小林市議会議長と熊本にご縁のある学生アルバイトさん

10月30日
①道の駅「都城」視察

10月31日
①国道3号線、浜戸川・潤川要望活動
 熊本国道事務所→九州整備局

熊本国道河川事務所にて


九州整備局  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:34Comments(0)マイライフ私の意見宇土市

信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜

2024年09月17日

信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜

(長文です。時間ある時にお読みください)

朝目覚めて、寝室の本の整理をしていて、以前にリサイクルブック店で購入した中村天風に関する著書に目が止まった。開いたページに、

(以下、本より)

「『論より証拠』だ。信じてやってみたまえ。効果があるから、効果があったという厳然たる事実が、教えを納得させるだろう。納得したならば、この道を歩み続けるがいい」

天風は言う。

「信念が確固不抜のものなれば、こうなりたいと念願のすることがすべて思い通りにかなってくる」
(以上、池田光著『中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない』より)

本の一節には、

(以下、本より転載)

命令的な口調で暗示をあたえる。
「家を建てよ」
「課長になれ」
「著書を出せ」
と、繰り返し心にイメージを描くことと自己暗示を行い続けることで、力の源である潜在意識に働きかける。
(以上、本より)

我が人生に当てはまると、進学が上手くいかずに、一旦は社会人になったが、一年後に一念発起、建築の専門学校から建築設計の道に入った。

目標は、"30歳で独立する"でした。

しかし、その実現は、一級建築士の試験が上手く行かず、1年遅れ、さらに事務所開設の申請は2年遅れでした。

独立して4年後になり、大型物件の仕事が始まった。さらに仕事が増える中、強力な台風が宇土市を襲い、所有林の杉檜が100本以上倒れる被害を受けた。

台風後の秋、地域行事に参加して懇親会の席で、「山の木見て考えろ、家でも建てないか、親父ともう歳ばい」と近所の大工から意見された。私の父は、大工でした。

さてどうする・・・

翌年の売り上げは大きくなるので、税金を納めて公的資金を使い(住宅金融公庫)建てることに向かった。37歳11ヶ月で家は完成した。

問題は、3つ目の「著書を出せ」です。昨夜のコメントでも紹介した異業種交流会「四季の会」を40歳から本格的に活動を始めた。多い時は、年間に6回開催することもあり、50歳になる年の春に電話が来た。

「野口さん、40代をまとめないか、とにかく書けたら私の所へ持って来なさい」

と異業種交流会の始まりから関わる大学教授からの要請でした。私は、約3ヶ月半かけて、87の活動と好きな名言を30ほどまとめて、教授のところへ持って行くと、

「これでは本にならない、3つか、4つのグループに分けて来なさい」

から、また半月かけてまとめ、相談に行きました。すると、

「これから先は、あなたの福岡の国文学者の先輩にお願いして、チェックしてもらいなさい」

と指示され、それから3ヶ月福岡へが通うことになった。そこでも注文が、「87ではなくて、もう一つ増やし88の実践報告に」とあり、出来上がったのが、40代の活動をまとめた本、

『なかまづくり まちづくり』

です。51歳の正月に出来上がり、出版発表と異業種交流会「四季の会」10周年を開催しました。

独立(フリーター)が、31歳6ヶ月でした。
家の新築完成が、37歳11ヶ月でした。
本の出版が、51歳7ヶ月でした。

「独立」は自らの決意からでしたが、「家の新築」と「本の出版」は先輩の助言から、さらに「市議会議員への挑戦」(52歳3ヶ月)も地域の先輩の後押しからでした。

振り返るに、独立は自己責任で始めましたが、他の出来事は、周りからのアドバイスを活かして来た、私の中年期のように思います。朝から中村天風哲学に触れ、振り返りました。

話が長くなり、最後までお読みいただきありがとうございます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:49Comments(0)マイライフ私の意見哲学、人生

<地域の文化レベル>数字で見る人口に対する図書館の規模、宇土市の人口は現在36483人のための図書館。

2024年02月11日

<地域の文化レベル>数字で見る人口に対する図書館の規模、宇土市の人口は現在36483人なので、30001人〜40000人(平均34301人)の自治体グループに入る。

図書館基準
https://www.jla.or.jp/Portals/0/data/iinkai/chosa/kashidashimitsudo202106.pdf

から検証すると図書館規模は、

人口     34301人
図書館専有延床面積(㎡) 2301.1㎡
蔵書冊数   217797.7冊
うち開架冊数 130035.5冊
年間購入冊数 7037.7冊
開架冊数の新刊率 5.4%
貸し出し数  393174.1冊

が主だった数値となります。宇土市の人口36483人 なので、平均人口34301人で割ると、

36483人÷ 34301 ≒ 1.063倍

上記の図書館規模の数値を1.063倍すると、宇土市に必要な図書館規模は、

人口     36483人
図書館専有延床面積(㎡) 2446㎡
蔵書冊数   231518冊
うち開架冊数 138227冊
年間購入冊数 7481冊
開架冊数の新刊率 5.4%
貸し出し数  417944冊

という図書館規模になるのですが、果たして宇土市の図書館はどうか、近々この数値から、宇土市の図書館を検証する予定です。

図書館は、その地域の文化レベルを表すとも言われます。みなさんの公立図書館の規模と蔵書数(デジタル本含む)はどうか、図書館基準から、検証してみてはいかがでしょうか?



  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:29Comments(0)私の意見市民活動

豊かさとは何かを、自分も地域も社会も含めて、考える一年になる気がする。〜令和6年、龍の年〜

2024年01月20日

豊かさとは何かを、自分も地域も社会も含めて、考える一年になる気がする。〜令和6年、龍の年〜

ここ数日、読み返す本の末尾の言葉があります。暉峻淑子著『豊かさの条件』のあとがきの末尾に書かれている内容は、

(以下、本より)

"即応性のある収穫高"の競争と力による解決ではない「もうひとつの世界は可能だ」という地球市民のうねりは、今、現実に世界を動かしつつある。そして足元をみれば、日本の社会の分権化の中で、お任せ主義でなく、一人ひとりが知恵を出しあい、協力しあって政治と社会を変えようとする市民の運動もまた確実にひろがりつつあることを感じる。
(以上、『豊かさの条件』より)

この本は、埼玉大学名誉教授の暉峻淑子さん著書で、初版は2003年5月20日で増版を重ねています。

以前に紹介した、子ども居ないご夫婦が、海外旅行も行かず車にも乗らず、ひっそりと暮らした貯金と家土地のすべてを、妻の母校に寄付し、妻が亡くなると、老人ホームに移り本を読む生活に、最後はその本も学校に寄付して終わられた人生について、本に紹介されています。

『豊かさの条件』を読み返し、ふと思うのが、バブル時代が終わって35年になる。また、今年は戦後79年、明治維新から156年、年数を書くとまだそんなものか、と思います。鎖国をした江戸時代を除けば、日本も激動の時代が長く、平和な時期は短かったたことがわかります。

しかし、太平洋戦争後の平和な時代だからこそ発展できた日本ですが、成熟期に入り、少子高齢化により、発展スピードは、ガクッと下がりました。そんな状況は、過去の歴史にも起こったと思います。そこで古典を読むことになるのですが、江戸時代によく読まれ本『菜根譚』に2つの訓示がありました。

<後編No.73>

人生の楽しみと苦しみ

【現代語訳】

物欲に縛られていると、自分のこの人生がつまらなくかなしむべきものであることがわかり、自然の本性に安じていると、自分の人生が有意義で楽しむべきものであることがわかる。その人生がどうして悲しいものであるかと悟ると、世俗的な執着の心はすくなくなってしまい、その人生がどうして楽しいものであるか悟れば、すぐれた聖人の境地が自然と開けてくる。
(以上、『菜根譚』より)

隣の芝はきれいに見える、の気持ちで、あれも、これも"欲しい"と買い漁る人がいる。

昨日も、東京ディズニーのグッズを買い漁る映像を見るに、"悲しい姿だ!"と思った人も多いと思います。

しかし、自分はどうかと振り返る?

車、家、海外旅行、子どものスポーツ、進学、等々、

自らの人生を振り返りと、隣の芝生を追いかけて来なかったか、反省もあります。

もう一つの訓示は、以下です。

<後編No.74>

物欲を去り、清浄心を得て

【現代語訳】

自分の心の中に、すでにひとかけらの物質的な欲望もなくなってしまったら、それは雪がいろりの火に溶け、氷が太陽の光に消えるように、何ものにもとらわれなかなってしまう。また、目の前の自然にひとつの清く明るい光があたったならば、それは月が天上にあり、その光が波に映っているように、すべてのものの本来の姿が見えてくる。
(以上、『菜根譚』より)

最近は、人生の終わりの準備を「終活」と称して、いろいろな取り組みもですが、実はここにもビジネスが新たに起こっています。私は、終活ビジネスなするつもりはないですが、自らの人生の終わり方を考える歳になったと思います。

朝から、あっちこっちと話が飛びましたが、今年は、年始から大地震、航空機事故の発生から、一人ひとりが、豊かさとは何か、自分も地域も、社会の豊かさも含めて、考える一年になりそうな気がしています。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 07:22Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他私の意見能登地震

令和6年元日、新年あけましておめでとうございます。

2024年01月01日


令和6年元日、新年あけましておめでとうございます。

年初からの読書で、『安岡正篤一日一言』より

一、年頭まず自ら意気を新たにすべし
ニ、年頭古き悔恨を棄つべし
三、年頭決然滯事を一掃すべし
四、年頭新たに一善事を発頑すべし
五、年頭新たに一佳書を読みはじむべし

そこで、今年は、修己治人の学『大学』を読むことにしました。

伝七章 「正心」について

身を修むるはその心を正すにに在り

 みずからの徳性を高めようとするなら、まず心を正せとおいうのである。では、「心を正す」とはどういうことなのか。
 朱子学によれば、人間の心には「性」と「情」がせめぎ合っているのだという。「性」とは天から授かった徳性であるが、そのままほうっておくと、「情」すなわち感情や欲望に曇らされたり邪魔されたりして、十分に発揮することごできない。そこで「情」を押さえて、心の正常な働きを取り戻す必要がある。それがすなわち「心を正す」ということなのである。
そういう心がしっかりと居座っていれば、よく五官をコントロールし、海外のどんな動きにも自在に反応して、対応を誤ることがないのだという。
(以上、『修己治人の学「大学」を読む』守屋洋訳著より)

安岡正篤先哲の言われる、「心を正す」とは何かを新年から考えてみます。

写真の年賀状は、身近な方々への文面です。お読みいただければ幸いです。

今年が、皆様にとって良き年でありますように願います。本年もよろしくお願いいたします。

令和6年元日 野口修一  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:25Comments(0)マイライフ私の意見

文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。〜田辺聖子著『私の大阪八景』〜

2023年12月24日

文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。〜田辺聖子著『私の大阪八景』〜

冒頭の田辺聖子さんの言葉を読んで、

文明は、生活の豊かさが現れる。

文化は、人の生き方が記される。

明治の初めは文明開花を歌ったが、庶民はまだまだ江戸時代の文化そのままだった。

大統領や総理大臣の素晴らしい演説は文化であって、救急車や救急医療の充実は文明の発達である。

本日の熊日朝刊一面を読み、

自民党のパーティ収入は文明の力だが、参院選の年は全額還流は"阿部派の文化"だった。

文化と文明は、いっしょのようで中身は違う。田辺聖子さんの文を集めた『苦味を少々』に、以下の言葉がありました。

(以下、本より)

文明が進むほど、我々は不満不足だらけになる。不平不満は、なお、文明を生む。しかし、棺桶へ足つっこんで(アア、おもしろかった、どうぞみなさん、あとでごゆるり)という発想は文化なのであって、これは文明に関係ないからむつかしい。
〜田辺聖子著『古川柳おちぼひろい』〜

先週に、関東への視察研修で、地域のお金を地域で回す「デジタル地域通貨」の仕組みを勉強に行った。この地域通貨の維持には、行政の支え(多額の維持費)が必要で、毎年の出費が発生する。

地域でお金を回す発想は文化だが、それを動かす維持費の仕組みが新たな文明となる。

>文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。

文化は金がなくても出来(生まれ)るが、文明の維持には金(経済)が必要となる。

の意味を、田辺聖子は語っている。

年の瀬、市街地のイルミネーションやクリスマスマーケットは、現代の文明を現している。それを見ながら年末に人と語る忘年会は、日本の文化である。

文化と文明は背中合わせ、両方なければ人間社会の発展はない。

今年も残り8日、今夜はクリスマスイブで日曜日、みなさんにとって良き一日でありますように。  

波瀾万丈の展開でなく、普通の人の日常に起きる「小さな」こと描く。〜山田太一〜

2023年12月02日

波瀾万丈の展開でなく、普通の人の日常に起きる「小さな」こと描く。〜山田太一〜

『ふぞろいの林檎たち』は見ましたね!

山田太一さんが、お亡くなりになりました。89歳、死因は老衰とあり、私の父も89歳でしたので、同じような終わり方だったのかなあ、と思いました。

熊日のコラム『新生面』に、以下のことが書かれていました。

「時代の流れ学校激しく太くなった時にはとるに足らないものになって行く小さな本当、小さな矛盾、小さな誤解、小さな深淵、小さな善悪、小さな夢、小さな物語は、まだ日本では書く余地がある」〜山田太一『文芸別冊』〜

映画から、テレビへ

>沈滞した撮影所に比べて、はるかに活気のあったテレビ局に大きな可能性を感じたため

山田太一さんは、映画界からテレビに夢を移し、大きな功績を残されました。我々のここらにもたくさんの夢を与えていただきました。

現代は、ネット時代に変わった。

YouTuber(ユーチューバー)なる仕事をする人が増えている。

情報発信は、時代と技術開発によって変わる。

江戸時代は「瓦版」

明治時代は「新聞」

大正時代「ラジオ」と「映画」

昭和時代「テレビ」

平成時代「インターネット」

令和時代「???」

今は、新聞、ラジオ、テレビ、インターネットを混在しそれぞれを活用する時代になりました。

どんな時代になろうと、山田太一さんが描いた、普通の人の日常は変わらない。

>小さな夢、小さな物語は、まだ日本では書く余地がある

この言葉には、納得して賛同するところです。

小さな夢を持ち、それぞれの物語を作っていけば良いと思います。

山田太一さんのご冥福をお祈りします。(合掌)  

11月17日の記事

2023年11月17日


日韓の交流を もっと盛んに

10月に私が体験した日韓交流のことを、熊日新聞の市民投稿『読者ひろば』に投稿した文が、本日に掲載されていました。とても近い国であり、古(いにしえ)の時代から文化交流のある朝鮮半島の韓国は、日本にとって最も重要な国と思います。民間の交流を盛んにして、さらに身近な国になるように願っています。

多くの方に読んでいただきたく、ブログにもアップしました。

#日韓交流
#熊本県と忠清南道
#熊本県日韓親善協会
#姉妹提携40周年
#熊本県つばさの会  

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:13Comments(0)国際関係未来社会私の意見

>たとえ100年続いてきた仕組みであったとしても、変えようとする柔軟性を、校長をはじめとする教育関係者は持つべき

2023年10月04日

<通知表の矛盾>たとえ100年続いてきた仕組みであったとしても、変えようとする柔軟性を、校長をはじめとする教育関係者は持つべきだと考えます。〜工藤勇一氏〜

(長文です。お時間ある時にお読みください)

毎日、どこかの学校でいじめの問題が起こっているという。これは、古の時代からあった、という人がいますが、果たしてそうでしょうか?

また、今の学校運営は、ここまでよいと思っている人は少ないと思いますが、変わりません、なぜか?

そんな疑問に真っ向から取り組んでいる教育者がいます。千代田区元麹町中学校の元校長・工藤勇一氏です。

宿題なし

定期考査なし

固定担任制の廃止

運動会の「クラス対抗」も生徒自身が廃止

これまでの学校運営を知る人からすると、"それで学校は成り立つの?"と思われると思います。

国も社会変化の中で、学校の在り方を変えようとしている。長い引用ですが、以下が工藤勇一氏の意見です。

(以下、『学校の「当たり前」をやめた。」より)

そもそも、日本では2000年頃から評価方法を「相対評価」から「絶対評価」に切り替え、点数の序列ではなく、一人ひとりの到達速度に応じて評価する方向に舵が切られています。そのために、生徒全員に「5」がつくことがあり得ます。しかし、全国のどこを探しても、全員に「5」をつける学校はないでしょう。その理由の一つは、教育委員会からの「不適切だ」として指導が入るからです。生徒全員に「5」つけることを「不適切」とする最大の理由があるとすれば、それは、高校受験の内申点とそれに伴う推薦入試があるからだと思います。この内申点の基準となるのが通知表で、ここで順位がつかなければ、推薦入試が成り立たないというのが主たる理由として考えられます。この方針は矛盾しています。国の方針として、これまでの相対評価を絶対評価に切り替えたなら、全員が「5」であってもよいのです。本校では、生徒たちの到達速度に応じて、適切に評価し、通知表をつけています。
(以上、本より)

人間は、一人ひとり異なる性格と生活環境があります。小学1年生は、4月に入学しますが、その時点で、満7歳から満6歳と1日までの幅(心身の格差)があります。

私は、毎朝登校してくる子どもたちが、横断歩道を渡る手伝いをしています。日々成長する子どもたちですが、6年間過ぎても、身体だけから見ても12ヶ月間の誕生の違いは、そう簡単には埋まらないように感じています。

工藤勇一氏は、中学校の学校運営について書かれています。1学年をくくりとする日本の教育制度では、義務教育7年目くらいから、1人ひとりの個性も分かり、それに合わせる教育実践を子ども自身も求めるようになるのでは、と保護者として子どもたちの成長から振り返ります。

工藤氏の文から、私たちの常識を検証すると、

・高校の推薦入試には内申書が必要

・内申書には、内申点という"順位"がつかなければいけない。

・内申点とは通知表の評価のこと、

・評価をつけるには、定期考査が必要

・しかし中間、期末の定期考査は、一夜漬けの弊害が起き、真の実力とはならない

国は、「絶対評価」に変わったのにいまだに残る相対評価の通知表が、"問題では"と思うようなりました。

工藤勇一氏は、以下のことも指摘しています。

(以下、本より)

 中学校に限らず、日本の学校には「ある時点で評価する」仕組みが浸透しています。専門性を高める場であるはずの大学ですら、前期・後期のテストを実施し、学生を評価しています。理由はやはり「評価」のためだと聞きます。
 そんなことを続けているようでは、学生が社会で役立つ本物(自主・自立)の専門性を高められないのではないでしょうか。まずは大学が前期・後期のテストを廃止し、日々の授業の中で、プレゼンテーションやデスカッションする様子を適切に評価するなどの仕組みを整え、学生の本質的な学びを促すべきと思います。
(以上、『学校の「当たり前」をやめた。』より)

 これを読むと「評価」は、教える側の都合でやっていて、日々の学びと到達状況の把握を指導者がサボっているのでは?とも見えます。これについては、反論含めてあるとは思いますが、大学こそ学生自らの疑問と学びの繰り返し、学生たちの学びを、サポートするのか指導者と思います。

工藤勇一氏の意見から、小学校から大学まで、「評価」のあり方が、現代社会が求めるものと乖離してきているのでは、と朝から思いました。

教育は、これが正しいという答えはありませんが、子どもたちの成長に必要な学びの提供をどうしていくか、古代から続く課題だと思いました。

韓国滞在も3日目、朝の目覚めが早く、長々と朝から書きました。最後までお読みいただきありがとうございます。

*参考資料:工藤勇一著『学校の「当たり前」をやめた。』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:15Comments(0)教育問題私の意見新技術、新潮流

<経済の中心の変化>元TwitterのXは、なんかやめようかな?、バブル期の変化は・・

2023年09月20日

<経済の中心の変化>元TwitterのXは、なんかやめようかな?、バブル期の変化は・・

時代は変わっているのでしょうね。

電気自動車のメインは、いずれアジアに移っていくので、創業者のテスラーの時代はいつまで続くのか?

太平洋戦争後の産業変化と経済発展エリアは、変わり続けました。

日本のバブル期には、アメリカの不動産を買った。

中国の今のバブル期は、日本とアメリカの不動産を買った。

次は、インドのバブル経済が始まる。

さて、何処へ投資はいくのか?

インドの人口が、一人っ子政策の中国を超えた。

アフリカの隆盛が始まっている。

日本は、何処へいくのか?  

Posted by ノグチ(noguchi) at 18:29Comments(0)未来社会私の意見新技術、新潮流

<日々人間力を高める>小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺る。〜『礼記』〜

2023年09月03日

<日々人間力を高める>小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺る。〜『礼記』〜

午前中は、180年続く干拓地に感謝する神事に参列しました。コロナ禍で3年、招待客を招かずに開催されていたので、久しぶりの参列となりました。

その後、熊本市の男女共同参画社会づくりの会議に、大遅刻ですが参加のため車を走らせました。到着5分前に、「来られてますか?」と会長から電話が入り、「5分くらいで着きます」と返事し、会場に入ると会議は終わってました。

私の担当の韓国訪問(熊本県忠清南道日韓交流40周年)の内容と秋の研修の企画「四賢婦人記念館訪問」の内容を説明しました。昨日の四賢婦人記念館の見学は、今日のためにあったなぁ、と思いました。

午後は、書斎に籠り、9月議会の質問資料づくりです。ちょっとコーヒータイムに、手元の本を開くと、冒頭の言葉を見つけました。3年ぶりくらいに読み返しています。

意味はなんとなく分かりますが、詳しく読むとなるほど、納得でした。

「小人は水に溺れる」は、泳ぎが慣れてきた時に溺れやすい。
*小人:一般人

「君子は口に溺れる」は、とくにアルコールでも入ると、誰でも多弁になりやすい。要注意。

「大人は民に溺れる」
『礼記』の説明によると、民という道理など気にしない連中を、馬鹿にしてかかると、かえって大ヤケドをするのだという。

『礼記』での訓示の趣旨は、「故に君子は慎まざるべからず」 とダメを押している。

最近のSNSやYouTube等を、流れるままに見ていると、

>小人は水に溺れ、君子は口に溺れ

の状況をたくさん見る。

自己顕示

自己主張

自由奔放

そんなことを、ネット上にたくさん見かけます。謙虚に語るサイトには、かえって惹かれたりします。(ネット上の)友だちが"いいね"と囃し立てるのですが、それを鵜呑みにしてしまう輩(君子きどり)が多いことです。

真のリーダー(君子)は、自らを誇示しないが、伝染するように存在は知られていくものです。昼間から酒盛りをしている様子(キャンプ動画とか、山登りにもチラホラ)を見かける。中には、FacebookやInstagram等のコメントにも、飲む映像が多い人がいます。どんなふうに見られているかの視点が必要だなぁ、と思います。

私は、何かの会合(龍馬会・異業種交流会の懇親会)でも酒盛りは、よほどのことがない限り出さない。自宅での一人晩酌は、年に2〜3度くらいあるでしょうか?

リーダー(君子)の口に溺れる現象を、SNSでの配信が、特に最近増えた、と感じています。

まだ20年前のインターネットは、大学や技術者等の人にぎりが使っていました。デジタルカメラの無い時代です。文字でいかに、相手に自分のスタンスを伝えるか、真剣に悩みながら書いていました。その方々との交流があればこそ、私の今があります。

SNSには、印象を損なうような愚行、愚痴、誇示する発言はしない、に心がけてきました。しかし、何度か論争を起こしたこともあります。

私は、君子でも、大人でもないですが、一般人の水(便利なSNS)に溺れないように、本日の言葉を頭に、Facebook、Instagram、ブログ(blog)等と付き合わなければ、と反省しました。

瞬時に伝わるSNSの便利さと怖さを、考えつつ、自らの人間力を高めていきたいと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 16:19Comments(0)マイライフモラル・マナー私の意見

<仲間づくりと自分>人間は若いころからあまり変わらない考え方、生き方をしている。

2023年08月22日

<仲間づくりと自分>人間は若いころからあまり変わらない考え方、生き方をしている。

(長文です。お時間ある時にお読みください。)

今朝は、朝ウォーキングのお休み(週休3日)ですが、やはり目覚めは同じ時間になります。歳でしょうか。

50代後半ころから、私の両親も含め、指導を受けた先輩方が、この世からあの世へ旅立たれる人がおられるようなった。寂しいことですが、これは世の常の流れでもあります。

その先輩方を見る中で、中年ころからしか分かりませんが、生き方の方向が定まっているなぁ、と振り返ります。

はたして私は、どうだろうか?

今朝の読書は、批評家の小林秀雄氏と哲学者の岡潔氏の対談録『人間の建設』から長い引用ですが、

(以下、『人間の建設』より)

小林)ドストエフスキーは自分で「白痴」が一番好きなんです。私も好きです。ドストエフスキーをよく見ますと、初めに方向が決まって、死ぬまでほかのことはしていません。おもしろいことですね。いろいろ作家を見ていますと、大体二十代で方向が決まって、それからあとはほかのことを考えていませんね。考えられないに違いない。そういう人は正直だから自分の身丈(みのたけ)にあったことしか考えようとしないのですな。精神を集中しているとか何とかいうことではなく、ほかのことを考える暇がない。その赴くままに歩いているんですね。ぼくはそう思うのです。岡さんも二十代にそういうことをおやりになって、方向は変わっていないでしょう。

岡)変えられませんよ。

小林)ぼくらも不思議なことだが、振りかえってみますと、二十代でこれはと思ったことは変えていませんね。それを一歩も出ていないのです。ただそれを少し詳しくしているだけですね。(中略)
(以上、『人間の建設』より転載)

私の変わった経験としたら、高校3年のクラス会の幹事を20代でやっていました。それも10年近くやりましたか?、幹事を別の人に変わったら、いつの間にか開催されなくなりました。

私の30代は、建築士事務所の独立、子育てと、あっという間に終わっていました。しかしそんな中でも、市民活動には参加して、人の縁を広げていた時代でもありました。

40歳を境に始めたのが、同業種交流から始まった異業種交流会の主催でした。3年の準備期間を経て本格的に動き出したのは42歳の時でした。

今振り返るに、私は、いつも仲間づくりをやっていたような気がしています。

異業種交流会「四季の会」をやっていたころ、40歳を前にした男女がよく私に「野口さんは、何をしたい、何になりたいのですか?」と聞いていました。私は、「「熊本の野口です」と言えるように、県内だけでなく、県外にもたくさんの知人友人がいるようになりたいですね」というようなことを語っていました。40代半ばには、年間100人以上、冗談ですが「7年間で1千人くらい会いたいですね」と言えるほど動いてました。

その動きをまとめたのが40代の活動記録の本『仲間づくり まちづくり』です。50歳の時に自費出版しました。

ネット活動は、メールマガジン、ブログ、mixi、Twitter、Facebook、LINE、Instagram、等々もやってきました。

流石に60代なってからは、動きがノロマになっていますが、人に会うという志向は今でも変わっていないし、仲間づくりは楽しい時間を与えてくれています。

振り返るに、私の活動の基本は、高校3年のクラス会の幹事が、私の方向を決めているのかもしれないなぁ、と思います。

今年の夏も終わりそうなので、そろそろ建築士仲間との飲み会、坂本龍馬を好きな人たちとの飲み会、やる時期に来ているなぁ、とワクワクします。

朝から、長くなりました。最後まで、駄文をお読みいただきありがとうございます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:30Comments(0)マイライフ私の意見市民活動

>一人で楽しめる、自力のある人間でなければいけない。一人で空想できる人間だからこそ、二人でダンスもおどれる。

2023年07月03日

<大雨に注意>一人で楽しめる、自力のある人間でなければいけない。一人で空想できる人間だからこそ、二人でダンスもおどれようというもの。〜『ダンスと空想』〜

未明の雷に目が覚めた。これから大雨の予想に、ちょっと心配な夜明け前です。

昭和の東洋哲学者の安岡正篤氏は、一人早くに目覚め、座して梅茶を飲みながら、本を読み、思考を巡らすのが日課だったと自伝で読みました。

それを真似しているのではないですが、早朝ウォーキングのために早起きするようになって、かれこれ11年。天気の悪い日も、やはり目が覚めるので、一人読書になります。早起きするようになり、朝ごはんの米研ぎと炊飯器のスイッチ担当は、私がいつしかするようになりました。

今朝の読書は、昨夜の続きの『苦味を少々』(田辺聖子語録)から、

(以下、本より)

(人間関係)双方、信念と信念のぶつかり合いで火花をちらすようなのはいけないのである。
信念と信念が、仲よくダンスをおどる、という、手に手をとり合ってダンスをするのがいいのだ。すべて人と人の関係というのは、一人でいろいろ、しゃかりきに働いたり、空想をえがいたり、要するに、一人で楽しめる、自力のある人間でなければいけない。一人で空想できる人間だからこそ、二人でダンスもおどれようというもの。
〜『ダンスと空想』〜

人間関係、ぶつかってばかりではお先真っ暗。それでは、周りの人とのハーモニーが崩れてしまう。

因みに、
ハーモニー:「たくさんの物どうしの関係がうまくいっていること」、むずかしく言えば「調和」という意味。

田辺聖子さんの二人の関係を"ダンスをおどるように"の言葉には、「調和」の意味があるのだと思います。

昨日、地方議会議員8期29年の坂本さなえさんの話を聞き、私自身の3期と1年、13年間の議会活動を振り返ると、議員はそれぞれに支持者の代表であり、個性ある人間の集まり中で、どう活動するか。

議会では、色々な役割(人事)があり、多様な経験も積まなければなりません。新人議員の時は、マイナー(少数派)グループでした。人との関わり合いの中で、多様な経験も含め、役割り(役と仲間づくり)を果たしてきました。
 4期目になり、田辺聖子さんの言われる"ダンスを踊るような"経験から、人間関係のハーモニーの良くする動きもしてきたと振り返ります。

周りの人たちと、どうバランスをとり、ハーモニーを奏でるか、空想(計画と実行)を一人で楽しめるようになったなぁ、と思います。

新型コロナウィルスの「第9派?」が始まったニュースで、また活動に制限が少しかかりつつあります。
 本日は6月議会最終日、議会活性化の取り組み「議会改革委員会」が、本日から始まります。議員それぞれの意見を大事しつつ、バランス良い人間関係づくりにも努めなければ、と一人空想しています。

未明から続く、雷雨を気にしつつ、行動開始です。今年後半、最初の週の始まりです。雨覚悟で、朝活に出かけます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:18Comments(0)マイライフ私の意見

<方言の消滅>無理して標準語を使わずとも、自然体で語れば良い。〜田辺聖子語録より〜

2023年06月30日

<方言の消滅>無理して標準語を使わずとも、自然体で語れば良い。〜田辺聖子語録より〜

MHKの放送と地方の民間放送の違いは何か?

それは、一番は"方言"であるように思います。

かつて「ばってん荒川」さんという熊本のローカルタレントで、肥後にわか劇団の代表が居られ、大いに活躍されました。その魅力は、熊本弁、丸出しの言葉使いあったと思います。最近でも、ミニばってん荒川さんに似たタレントは居ますが、本家に及ぶものではないように感じます。

地方が輝いていない、と感じるのは何故か?

朝の読書で、作家の田辺聖子さんの文を集めた本『苦味を少々』に、以下の言葉を見つけました。

(以下、本より)

庶民の使う言葉は、地力のあるもので、生々と芽をふき枝葉を張る、おのずからなる生命力を秘めたものである。日本語の乱れ、というのは、むしろ、方言が標準語に吸収され、方言独自の生々発展の力を失い、ひいてはその地域に住む人々の心まで廃頽(はいたい)、萎縮さてしまう、そのことを指すのではないだろうか。
〜田辺聖子著『大阪弁ちゃらんぽらん』あとがき〜

若い頃は、都会に出た時には、田舎言葉が恥ずかしいと思うことが多々あった。しかし同級生の一人は、東京の大学で4年間過ごしたが、熊本弁を地元にいた時と同じ感覚で語ったそうで、かえって仲間を作っていたと聞きました。言葉こそが、その人の個性として記憶される話だと思います。

地方議会でも、標準語を使うことが多い、たまに、ぼろっと熊本弁が飛び出すことがあるが、それがかえって親近感を感じるのはなぜだろうか。

田辺聖子さんのいう、方言を使わなくなった地域の人は、自信が薄れている。若い人は、都会は憧れて出て行くと、自らのアイデンティティも失うのでは、と思ったりします。

私自身は、生まれ育った地域に今も住んでいます。高齢者の方とは、宇土言葉を使い語ります。そこが、田舎の良さと思っています。

>方言が標準語に吸収され、方言独自の生々発展の力を失い、ひいてはその地域に住む人々の心まで廃頽(はいたい)、萎縮さてしまう・・・

この歳になると、無理して標準語を使わずとも生活できるので、言葉も自然体で語れば良いと思っています。読まれた方は、感想でもいただけると幸いです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:18Comments(0)マイライフ私の意見新技術、新潮流

<仕事はバラバラ>全く親と同じような生き方や考え方をする子供がいたら、むしろ異常かもしれない。〜曽野綾子〜

2023年05月18日

<仕事はバラバラ>全く親と同じような生き方や考え方をする子供がいたら、むしろ異常かもしれない。〜曽野綾子〜

雨模様で、日曜日の講演の準備をしていて、お茶の時間に、曽野綾子著『中年以後』のに以下の見出しがあり読むと、

(以下、本より)

親しい他人
ーー子供がいる、という寂しさ悲しさーー

 子供は徹底して、親しい他人、と思ったがいい。ただし、刑務所を出所したその日、何も聞かずに迎えて、お風呂に入れ、好物を用意する特別な他人である。誰も他にこういうことをする立場の者はいない。
 子供の存在から何か期待するのも自由だが、その期待はたいてい裏切られる。裏切らない子供もたくさんいるが、その場合は子供にあまり個性がないか、親に進路を束縛されたという意識を残しているか、という場合もある。もちろんやはり親のいいつけを守り、親の望み通りの進路を進んで成功でした、という子供もたくさんいるだろう。
 中年以後、子供は次第に親とは違った進路を取ることになる。今までいつも親と旅行していたのに、親とよりも、仲間とどこかへ行きたがるようになる。親とは全く違う趣味、遊び、楽しみ、言葉違い、服装、仕種、考え方をするようになる。これが普通だ。もし全く親と同じような生き方や考え方をする子供がいたら、むしろ異常かもしれない。
(以上、『中年以後』より転載)

曽野綾子さんの意見から、

子供は、

>徹底して、親しい他人

期待を裏切らない子供とは、

>あまり個性がない

>親に進路を束縛された

親の考え方に全く似た子は、

>むしろ異常かもしれない

我が家にも子供が居ますが、

私や妻の職業には全く関係無い仕事をしています。居住スタイルなども全く違う生活です。

興味あることには、なんでもやらせてきました。ただ、子どもの時に、体験しておくと将来役に立つか、と南の国に住む者としてはあまりやらない、スキーとアーチェリーを体験させました。

長女は、アメリカ留学をした時、友達からの誘いに役に立ったようで、次女は、高校から弓道を始め、大学でも続けました。

進路に関して、私自身が親から誘導されたことが無く、子供たちにも何も言ってきませんでした。

家族4人ともに、同じ職業ではなく、バラバラですが、それなりの人生を進んでいます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 11:18Comments(0)マイライフ教育問題私の意見

<WBC優勝>青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。〜サムエル・ウルマン〜

2023年03月23日

<WBC優勝>青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。〜サムエル・ウルマン〜

昨日のWBCの決勝を見て思うに、若者たちの生き生きした姿に「青春の輝き」と思いました。

何かに一生懸命になる姿こそが、周りに影響与えて、未来を夢見る人を鼓舞する。

青春

この言葉を、思い起こした人も多いと思います。サムエル・ウルマンの詩にある言葉、

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる

信念、自信、希望

まさに、WBCに出場した国々の若者たちは、母国の若者たちに3つのメッセージを発信していたと思います。

老いても若々しくありたい。

そんな希望を与えた、日本の野球選手たちに、祝福と感謝の言葉を贈りたいと思います。  

<日常の回復>3月は、別れの季節であり、出発・旅立ちの季節です。早春の花が開き始めた。

2023年02月24日

<日常の回復>3月は、別れの季節であり、出発・旅立ちの季節です。早春の花が開き始めた。

梅の花 寒さの中にも 春の気配

真冬に 早春知らせる 緋寒桜

緊張の 高校入試に なごり雪

今年は、中学校・小学校の卒業式は出席のご案内が届きました。4年ぶりになります。この間、児童生徒は、教室ではマスク着用や休校でのオンライン授業、慣れない我慢の学校生活が続きました。今年の卒業式では、マスク着用の決まりがなくなるとのこと、卒業式の歌もマスクなしで行われるようです。

晴れやかな 歌声聞ける 卒業式

少しづつ、日常が戻ってきて、以前のような、外で遊びまわる子どもたちの姿が見れる風景が早く来てほしいですね。

そろそろ、朝活の準備です。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:04Comments(0)教育問題私の意見新型コロナウィルス感染

<学費無償化と男女平等>昨日の男女共同参画家庭の話・・・夕食の話。カレー・ハンバーグ・シチュー・鍋料理・等々。

2023年02月09日

<学費無償化と男女平等>昨日の男女共同参画家庭の話・・・夕食の話。カレー・ハンバーグ・シチュー・鍋料理・等々。

カレーの作製は23年間

シチューの作製23年間

特製(本当に多彩)ハンバーグの作製22年間

大根とベーコンの煮込み(野口家風)22年間

ピーマンの挽肉詰め

ロールキャベツ

・・・他もありますが、私がずっと作っています。

特に、カレーづくりはこだわってます!

これも、それも、家庭内の男女共同参画(妻の進学)でした。

パートナーが、次世代へ向けたチャレンジをしようとした時、夫はそれを受け入れれますか?

夜は居ない。

中年の進学。

夕食づくりは男。

このことでの噂ですが、

「修一ちゃん家の嫁さんは、中年(結婚後)に、大学に行かすてばい」

と言ったのは、同年代の女性でした。この噂は、"いまさら何するのか"の見下げた意見でした。

・・・でも、今は違う評価になっています。

日本の女性たちの"チャレンジできない"環境、習慣を変えれるのは急務ですが、やはりネックは費用にあると思います。

国は、幾つになっても、勉強したい人を学問の場に行きやすくする環境づくり(国支援)が必要と思います。それが、国の活力づくりと思います。

北欧諸国は、年齢に関係なく学費は全て無料です。でも、低所得者も、ちゃんと納税しています。日本は、違います。

国づくり、世界の違いを学ぶのも政治と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 19:58Comments(0)男女共同参画社会社会問題私の意見

嘉島町在住の皆さんは、ぜひぜひ穴井さんに投票をお願い致します。頑張れ、穴井さん!

2023年01月31日



本日告示の嘉島町議会議員選挙に、30年来家族ぐるみのお付き合いの穴井智子さんが出馬されました。嘉島町在住の皆さんは、ぜひぜひ穴井さんに投票をお願い致します。頑張れ、穴井さん!  

Posted by ノグチ(noguchi) at 23:47Comments(0)マイライフ熊本の出来事私の意見