交友は淡い付合い、論語で嫌う人物像、訥弁の求心力。

2014年05月07日

交友は淡い付合い、論語で嫌う人物像、訥弁の求心力。

年に数度しか会わなくても、中には数年に1度会うか連絡するしかなくても、会って数分も語れば、会わなかった時間が数日くらいと感じいる友人がいます。これって、とても嬉しいですよね。なかななか出会えない人でもあります。

中国古典の『荘子』にある教示が、次の一節です。

「君子ノ交ワリハ淡キコト水ノ若(ゴト)シ。小人ノ交ワリハ甘キコト醴(レイ)ノ若シ」

【意味の解説】醴は、甘酒のこと。甘酒のようにベタベタしているから、くっつくのも早いが別れるのも早い。これが小人の交わり。その点、君子の交わりというのは、水のようにサラサラしているから長続きする。

日本社会は、孔子の教え『論語』に大きく影響を受けていますが、その孔子が嫌いな人間のタイプを4つあげると、

1.他人の失敗を喜ぶ者
2.部下として仕えながら上司かげ口をたたく者
3.ただの乱暴を勇気とはきちがえている者
4.独断を決断と勘違いしている者

4つは節度をわきまえていない人間像があります。人間関係は複雑です。深入りしても難しい、しかし無関係ではいけない。地域に生きる者の人間力が試されます。

さて人との語り、集まりでの発言について、雑感。

『三国志』の英雄・劉備は、諸葛孔明をよに出すために、3度出向いた「三顧の礼」の実践者ですが、行動的でありながら、語りは少なかった。劉備は若い頃から

「語言少ナク、善ク人ニ下(クダ)ル」

1.寡黙
2.謙虚

同じく中国古典の『老子』にも、

「大弁ハ訥ナルガ若シ」

意味は、人を動かすほんものの雄弁とは、とつとつと語る訥弁のようなものだ、とあります。ある本にあった、解説ですが、(以下、引用)

>(男であれ、女であれ、特に日本人は、)弁ずべき時は大いに弁ずる、だが、ふだんは寡黙に徹する、これが望ましいあり方である。流行歌文句にも、「男(女)は無口なほうがいい」とある。必要でもない時に、ベラベラしゃべる、そんな愚かさだけは願い下げにしたい。

日頃は無口だが、いつも頼りになる人がいると思います。そんな大人になりたいものです。毎日が、修行と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:22Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他