真面目に一生懸命にやればやるほど、批判者が増える?
2014年05月21日
真面目に一生懸命にやればやるほど、批判者が増える?
こんにちは、今日は遅い書き込みです。昨夜は、地区嘱託会の歓送迎会の後、遅くまで地域の先輩方と語り合いが続きました。いろいろなご意見、地区の事情、人と人のご縁・つながり、最後は、秋の市議選が話題になりますが、「田舎の活動の飲み会は最後まで付き合うように」と以前にご意見をいただき、それを努めて実践して来ました。最後は、カラオケになるのですが、下手な歌も唄うようにもなりました。
「保守とは、共同作業の打ち上げ、奉仕作業、交流活動等の無償の地域活動への参加から始まった」と以前に、自民党元幹事長の加藤紘一氏の意見を紹介しましたが、地域活動こそ、その実践の場とつくづく思います。
さて、昨日の集まりでは聞こえて来ないのが、いわゆる陰口で、これは自分の耳にはなかなか入って来ない。本当は、表裏両方の意見を聴けるような“人の輪”が大事だなと思います。
表向きは、良い話しか聞けない。しかし、「こぎゃん面倒臭いことしなくて良いとに」とか、「議員活動報告をしなくても、当選して来られた人がいるのはなぜか考えてみなさい」とか、「プロフィールや活動歴、市民活動など報告は自慢話に聞こえる」とか、友人から陰口を教えてもらいました。
これを聞くとがっくりするのですが、私は他にやり方を知らない。私が指導を受けてきた先生方は、真面目で一生懸命に市民活動を実践し、報告を必ずやられていました。確かに、時折、先生方の活動を振り返り、「あーだ」「こーだ」と厳しい意見が耳に入りますが、常に新しいことに一生懸命に取り組まれている姿は、すごいな!と感じて手伝って来ました。批判する人たちは、活動の中心的な役割を実践したことがない人が多かったように思います。
「真面目に一生懸命にやればやるほど批判する人が増える」
と、何かの本で読みました。あまりにも杓子定規の言動は、かえって違和感を感じ、「活動報告なんか配ってきても、読まずに捨てる人が多い」との話しも聞きました。確かに一度、「ごぎゃんとは読まないけん、家に入れないてよか」断られた人がおられました。地域を知るために活動していることが、わざとらしく見えるのだろうな、と思ったこともあります。しかし、他にどんな方法があるのでしょうか?
議員をする前、「議員は何しているか、いっちょん分からん」との陰口をよく聞きました。ですから私は、「自分のできる限りの議員活動の情報公開をする」と実践すると、逆の陰口が出てくる。人の社会は、何をやっても批判されるのだと思います。
私は、一生懸命に活動するしか方法を知らないので、これまで同様に続けて行きますが、「“出る杭は叩かれる”と何の世界でもある」と覚悟することも必要と思います。鈴木善幸首相時代に、政治倫理審査会を率いた故土光敏夫氏は、「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打てない(届かない)」と批判を真っ正面で受け止めながら、改革に突き進まれました。私のような市議は、市議の中では違和感を持つ方が多いのだろうなと思います。
土光敏夫氏のようには強くないですが、次々入る用事に対応し、様々なご意見を受け止めながらも、今の活動スタイルを崩さずに続けて行きたいと思っています。もし今日のブログ(コメント)にご意見をいただければ幸いです。
こんにちは、今日は遅い書き込みです。昨夜は、地区嘱託会の歓送迎会の後、遅くまで地域の先輩方と語り合いが続きました。いろいろなご意見、地区の事情、人と人のご縁・つながり、最後は、秋の市議選が話題になりますが、「田舎の活動の飲み会は最後まで付き合うように」と以前にご意見をいただき、それを努めて実践して来ました。最後は、カラオケになるのですが、下手な歌も唄うようにもなりました。
「保守とは、共同作業の打ち上げ、奉仕作業、交流活動等の無償の地域活動への参加から始まった」と以前に、自民党元幹事長の加藤紘一氏の意見を紹介しましたが、地域活動こそ、その実践の場とつくづく思います。
さて、昨日の集まりでは聞こえて来ないのが、いわゆる陰口で、これは自分の耳にはなかなか入って来ない。本当は、表裏両方の意見を聴けるような“人の輪”が大事だなと思います。
表向きは、良い話しか聞けない。しかし、「こぎゃん面倒臭いことしなくて良いとに」とか、「議員活動報告をしなくても、当選して来られた人がいるのはなぜか考えてみなさい」とか、「プロフィールや活動歴、市民活動など報告は自慢話に聞こえる」とか、友人から陰口を教えてもらいました。
これを聞くとがっくりするのですが、私は他にやり方を知らない。私が指導を受けてきた先生方は、真面目で一生懸命に市民活動を実践し、報告を必ずやられていました。確かに、時折、先生方の活動を振り返り、「あーだ」「こーだ」と厳しい意見が耳に入りますが、常に新しいことに一生懸命に取り組まれている姿は、すごいな!と感じて手伝って来ました。批判する人たちは、活動の中心的な役割を実践したことがない人が多かったように思います。
「真面目に一生懸命にやればやるほど批判する人が増える」
と、何かの本で読みました。あまりにも杓子定規の言動は、かえって違和感を感じ、「活動報告なんか配ってきても、読まずに捨てる人が多い」との話しも聞きました。確かに一度、「ごぎゃんとは読まないけん、家に入れないてよか」断られた人がおられました。地域を知るために活動していることが、わざとらしく見えるのだろうな、と思ったこともあります。しかし、他にどんな方法があるのでしょうか?
議員をする前、「議員は何しているか、いっちょん分からん」との陰口をよく聞きました。ですから私は、「自分のできる限りの議員活動の情報公開をする」と実践すると、逆の陰口が出てくる。人の社会は、何をやっても批判されるのだと思います。
私は、一生懸命に活動するしか方法を知らないので、これまで同様に続けて行きますが、「“出る杭は叩かれる”と何の世界でもある」と覚悟することも必要と思います。鈴木善幸首相時代に、政治倫理審査会を率いた故土光敏夫氏は、「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打てない(届かない)」と批判を真っ正面で受け止めながら、改革に突き進まれました。私のような市議は、市議の中では違和感を持つ方が多いのだろうなと思います。
土光敏夫氏のようには強くないですが、次々入る用事に対応し、様々なご意見を受け止めながらも、今の活動スタイルを崩さずに続けて行きたいと思っています。もし今日のブログ(コメント)にご意見をいただければ幸いです。