「幸福」のさいわいには、二つの原因がある、それは外か内か

2012年12月24日

「幸福」のさいわいには、二つの原因がある、それは外か内か

こんばんはに、なりました。今日は、朝から、わが家の墓の大掃除をしました。身体がどこそか痛いので、温泉に来ています。世の中は、クリスマスイブですが、わが家にはサンタは来ないようです。

墓の大掃除は、周りの木々を剪定する仕事、親父さんが3年前までやっていたのですが、やっと今年、思い切って私の考えで、剪定することにしました。鋸と大きな剪定ハサミ、カマも持って、5時間近くかかりました。切った枝や葉っぱは、軽トラック3台分をゆうに超えるとほど、ありました。

鋸を久々に、3時間使うと腕が上がらなくなりました。剪定ハサミもけっこ重く、腕もこったような気がして、これは終わってから温泉に行こう、上天草のスパタラソに行って来ました。

湯上りの読書で、「幸福」についての解説がありました。昭和の東洋哲学者の安岡正篤先生の名言を集めた『安岡正篤一日一言』の1月24日25日の名言です。

(以下、抜粋)

幸と福

「さいわい」にも幸と福と二字ある。「幸」というのは幸いの原因が自分に中にない、偶然的な、他より与えられたにすぎない幸いを幸という。これは当にならない。

そうではなくて原因を自己の中に有する、即ち自分の苦心、自分の努力によってかち得たる幸いを「福」という。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)

幸福は、みなさん求めることと思います。年末の話題は、宝くじですが、夢見ているだけで、なかなか当たりません。それも、本当は良いことなのかもしれません。棚ぼたの財は、身につかないとも言います。

安岡正篤先生は、ならば自分の努力で積み上げる「福」を目指しなさい、と教示されています。夢は、実現するまであきらめない。あきらめないから、実現する。

今年も残り1週間、あきらめないことこそ、一番必要な「福」への近道なのかもしれません。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 19:59Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他