〈百人一首〉奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の。日本の自然観
2012年11月11日
〈百人一首〉奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の・・、日本の自然観を大事に
昼からのウォーキング、宇土半島の南北横断して、少しづつ平地も紅葉が進んでいると感じました。季節を表わす(表現する)のは、日本人の得意分野と思います。
いにしえ(古)の風流人は素晴らしい歌を残しました。その一つが、百人一首と思います。秋の歌もいくつかあります。ご紹介します。
百人一首
奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき(猿丸太夫)
小倉山 峰もみぢば 心あらば 今一度の 御行き待たなむ(貞信公)
山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり(春道列樹)
嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり(能因法師)
どれも素晴らしい情景が、歌から伝わって来ます。どれも現代に通じる感性を感じます。みなさんはいかがでしょうか。
でも、秋の厳しさを謳った歌もあります。秋の厳しさの歌と思います。
きりぎりす 鳴くや霜夜の 狭筵に 衣片敷き 独りかも寝む(後京極摂政前太政大臣)
み吉野の 山の秋風 小夜ふけて 古里寒く 衣うつなり(参議雅経)
秋は、寂しさを感じる季節でもあります。明るい春、燃え上がる夏、静かに沈思黙考する秋、寒さ厳しい冬。
でも、秋の厳しさを謳った歌もあります。秋の厳しさの歌と思います。
秋の寂しさは、文学を育てると言われます。百人一首は、情緒の世界を持っています。熊本再生、九州の活性化につながるような文化(文学)活動に、積極的に参加したいと思います。幸せは、金の増額で満足するのではなく、心の豊かさが人をひきつけ、地域の人材交流を活性化し、熊本の未来を元気にしてくれると思っています。
そのためにも、密な議論と幅広い交流が必要と考えています。明日は、樋渡氏の武雄市の施設にお世話になりますが、東京駅をデザインした辰野金吾が、故郷のために作った『楼門』にお世話になります。
武雄市の自然と温泉を、堪能してきたいと思います。これも、昨年当初に、武雄市の樋渡市長から、「これからは、facebookです」と誘われて参加し、大きな友を作ることができました。今日も、話が長くなり、気分を害された思いますく、ご理解とご協力をお願いいたします。
※参考資料:藪小路雅彦著『百人一首』ー現代語解説ありー
昼からのウォーキング、宇土半島の南北横断して、少しづつ平地も紅葉が進んでいると感じました。季節を表わす(表現する)のは、日本人の得意分野と思います。
いにしえ(古)の風流人は素晴らしい歌を残しました。その一つが、百人一首と思います。秋の歌もいくつかあります。ご紹介します。
百人一首
奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき(猿丸太夫)
小倉山 峰もみぢば 心あらば 今一度の 御行き待たなむ(貞信公)
山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり(春道列樹)
嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり(能因法師)
どれも素晴らしい情景が、歌から伝わって来ます。どれも現代に通じる感性を感じます。みなさんはいかがでしょうか。
でも、秋の厳しさを謳った歌もあります。秋の厳しさの歌と思います。
きりぎりす 鳴くや霜夜の 狭筵に 衣片敷き 独りかも寝む(後京極摂政前太政大臣)
み吉野の 山の秋風 小夜ふけて 古里寒く 衣うつなり(参議雅経)
秋は、寂しさを感じる季節でもあります。明るい春、燃え上がる夏、静かに沈思黙考する秋、寒さ厳しい冬。
でも、秋の厳しさを謳った歌もあります。秋の厳しさの歌と思います。
秋の寂しさは、文学を育てると言われます。百人一首は、情緒の世界を持っています。熊本再生、九州の活性化につながるような文化(文学)活動に、積極的に参加したいと思います。幸せは、金の増額で満足するのではなく、心の豊かさが人をひきつけ、地域の人材交流を活性化し、熊本の未来を元気にしてくれると思っています。
そのためにも、密な議論と幅広い交流が必要と考えています。明日は、樋渡氏の武雄市の施設にお世話になりますが、東京駅をデザインした辰野金吾が、故郷のために作った『楼門』にお世話になります。
武雄市の自然と温泉を、堪能してきたいと思います。これも、昨年当初に、武雄市の樋渡市長から、「これからは、facebookです」と誘われて参加し、大きな友を作ることができました。今日も、話が長くなり、気分を害された思いますく、ご理解とご協力をお願いいたします。
※参考資料:藪小路雅彦著『百人一首』ー現代語解説ありー
人物鑑定の5つの鑑定チェックリスト~魏の法~
2012年11月11日
人物鑑定の5つの鑑定チェックリスト~魏の法~
見識だけあってもダメ。識見した内容を、勇気を持って実行する胆識でなければならない。
論語教室の先輩から、『中庸』の講演の録音を頂き、朝サッカー大会会場の往復で聞き、今家に帰り再度聞いています。
『中庸』と『大学』は、中国古典の『礼記』の中から、抜き出してまとめたものだそうです。『中庸』は、心の学問と言われ、私のような浅学の人間には、何度も何度も、聞かないとストンと、理解ができずに、今日は何処まで解かるわかりませんが、聞いています。
耳は耳として、2日前から読む『十八史略』の解説本を開きながら、やっています。今朝の教育論議ではないですが、日本の心の育成に使われて来た「四書五経」の影響をは、忘れていけないと思います。
『十八史略』に、面白い一節があった。私は、学者ではないので、正論ばかりでは楽しくないので、エピソードや人の生きざまに興味があり、多読をして来ました。
人間鑑定のチェックリスト
「居てはその親しむところを視(み)、富んではその与うるところを視、達してはその挙ぐるところを視、窮してはそのなさざるところを視、貧してはその取らざるとことを視る」
(意味)
・ふだん、だれと親しくしているか見ること。
・財産がある場合、どういう人に与えているか見ること。
・長であるならば、誰を登用したかを見る。
・困っているならば、何をしないで耐えているかを見る。
・貧しいならば、何を取ろうとしないかを見る。
これは、春秋戦国時代の魏の訓示ですが、現代にも通じる人物鑑定チェックの方法と思います。
見識だけあってもダメ。識見した内容を、勇気を持って実行する胆識でなければならない。
論語教室の先輩から、『中庸』の講演の録音を頂き、朝サッカー大会会場の往復で聞き、今家に帰り再度聞いています。
『中庸』と『大学』は、中国古典の『礼記』の中から、抜き出してまとめたものだそうです。『中庸』は、心の学問と言われ、私のような浅学の人間には、何度も何度も、聞かないとストンと、理解ができずに、今日は何処まで解かるわかりませんが、聞いています。
耳は耳として、2日前から読む『十八史略』の解説本を開きながら、やっています。今朝の教育論議ではないですが、日本の心の育成に使われて来た「四書五経」の影響をは、忘れていけないと思います。
『十八史略』に、面白い一節があった。私は、学者ではないので、正論ばかりでは楽しくないので、エピソードや人の生きざまに興味があり、多読をして来ました。
人間鑑定のチェックリスト
「居てはその親しむところを視(み)、富んではその与うるところを視、達してはその挙ぐるところを視、窮してはそのなさざるところを視、貧してはその取らざるとことを視る」
(意味)
・ふだん、だれと親しくしているか見ること。
・財産がある場合、どういう人に与えているか見ること。
・長であるならば、誰を登用したかを見る。
・困っているならば、何をしないで耐えているかを見る。
・貧しいならば、何を取ろうとしないかを見る。
これは、春秋戦国時代の魏の訓示ですが、現代にも通じる人物鑑定チェックの方法と思います。
橋下効果か?熊本県議会が「家庭教育」条例で、親の責任を明記か
2012年11月11日
橋下効果か?、熊本県議会が「家庭教育」条例で、親の責任を明記か
おはようございます。今朝は、雨でウォーキングは中止です。朝の新聞読みを、ゆっくりやっていて、最終面に「熊本県議会が、家庭教育に親の責任を明記、内容は県民の議論ないまま、12月議会に議員提案される」とあった。県下の様々な教育関係者、支援クラスの保護者から、大きな反発が起こったいることが書かれている。
素案の前文には、(以下、転載)
「基本的な生活習慣、豊かな情操、他人に対する思いやりや善悪の判断などの基本的な倫理観、自立心や自制心などは家庭で育まれる」
加えて、保護者・学校・地域の役割や「親になるための理解学習」などを盛り込んでいるとあった。
家庭に、政治が踏み込んで良いのか?
大きな議論が、熊本県内の教育、子育て、学校関係者が、異論を唱えている。
特に、条例案に足りないのが、発達障がいの児童、生徒の支援の考え方に、配慮と支援も無いのが、問題とあった。
そもそも、家庭教育に県議会が注文をつけるのも、いかがなものか。
昨日、宇土親子論語教室が開催された。『孝経(こうきょう)』の素読から、授業が始まる。5才の子供も見事に孝経を読み上げる。
「身体(しんたい)髪膚(はっぷ)これを父母に受く。あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕わすは、孝の終わりなり。それ孝は、親に事(つか)うるに始まり、 君に事うるに中ごろにし、身を立つるに終わる」
日本は、このような「人の生き方」を地域の賢人たちが、子どもたちに教えて来た歴史がある。家庭には、親子関係、家風、経済状況が、様々あることを考えると、政治が家庭教育のあり方まで、踏み込むのは、考えものと思います。
これも、大阪維新の会の影響なのか?は分かりませんが、教育の議論は、早急に決めるのではなく、長い時間をかけ、家庭、地域の役割りも含めて、検証して進めることが肝要と思います。
論語に、「子曰く、故きを温ねて新しきを知る、以て師と為るべし」とある。温故知新の考え方だが、日本の古き教育、特に江戸時代、日本中に知られた熊本の「時習館」の教育レベルの高さを思い出し、リーダーたちが範を示すような、熊本の教育観を再構築することが、先のように思います。
おはようございます。今朝は、雨でウォーキングは中止です。朝の新聞読みを、ゆっくりやっていて、最終面に「熊本県議会が、家庭教育に親の責任を明記、内容は県民の議論ないまま、12月議会に議員提案される」とあった。県下の様々な教育関係者、支援クラスの保護者から、大きな反発が起こったいることが書かれている。
素案の前文には、(以下、転載)
「基本的な生活習慣、豊かな情操、他人に対する思いやりや善悪の判断などの基本的な倫理観、自立心や自制心などは家庭で育まれる」
加えて、保護者・学校・地域の役割や「親になるための理解学習」などを盛り込んでいるとあった。
家庭に、政治が踏み込んで良いのか?
大きな議論が、熊本県内の教育、子育て、学校関係者が、異論を唱えている。
特に、条例案に足りないのが、発達障がいの児童、生徒の支援の考え方に、配慮と支援も無いのが、問題とあった。
そもそも、家庭教育に県議会が注文をつけるのも、いかがなものか。
昨日、宇土親子論語教室が開催された。『孝経(こうきょう)』の素読から、授業が始まる。5才の子供も見事に孝経を読み上げる。
「身体(しんたい)髪膚(はっぷ)これを父母に受く。あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕わすは、孝の終わりなり。それ孝は、親に事(つか)うるに始まり、 君に事うるに中ごろにし、身を立つるに終わる」
日本は、このような「人の生き方」を地域の賢人たちが、子どもたちに教えて来た歴史がある。家庭には、親子関係、家風、経済状況が、様々あることを考えると、政治が家庭教育のあり方まで、踏み込むのは、考えものと思います。
これも、大阪維新の会の影響なのか?は分かりませんが、教育の議論は、早急に決めるのではなく、長い時間をかけ、家庭、地域の役割りも含めて、検証して進めることが肝要と思います。
論語に、「子曰く、故きを温ねて新しきを知る、以て師と為るべし」とある。温故知新の考え方だが、日本の古き教育、特に江戸時代、日本中に知られた熊本の「時習館」の教育レベルの高さを思い出し、リーダーたちが範を示すような、熊本の教育観を再構築することが、先のように思います。