「活眼 活学」(安岡正篤著)

2012年06月18日

「活眼 活学」(安岡正篤著)

久々に、安岡教学の教示を開き、読んでいます。本日の議会論議の中で、何でも鑑定団の収録が話題になり、「平成」を名付けた東洋哲学者の故安岡正篤先生の掛け軸を持っている方が居ると聞き、出展を薦めた。

ふと、安岡正篤先生の言葉に触れたくなり、古本屋で買っていた『活眼 活学』を読み始めました。

活学は、字面から分かるが、活眼は、何だ?と尋ねると思います。

(以下、転載)
潜在エネルギーと顕在エネルギー
~肉眼と心眼~

単なる肉眼では目先しか見えません。それではすこぶる危険であります。我々は外と同時に内を見、現在と同時に過去も未来も見、また現象の奥に本体を見なければなりません。

仏教の方でも「五眼」ということを説いております。肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼と申すが、とにかく肉眼以上のものを心眼といたしておましょう。(中略)

ーー、もう少し日本の政治家にも、活学ー生きた学問をしてもらって、今までのような通俗的な政治生活だけやっておるようでは日本は破滅しますので、文字通り真剣に努力勉強してもらわなければなりません。
(以上、『活眼、活学』より)


吉田松陰の「知識は、理解し高度してこそ知識」と、得た知識をどう実行するか!にかかっている。

安岡正篤先生の教示に、

知識、見識、胆識

知識:情報としての知識
見識:得た知識の賛否
胆識:見識で判断し実行する

単なる知識ては、世の中は変わらない。知識を理解して行動してこそ、見識が意味を持つ。賛同して、行動を起こしましょう。そこから、何かが始まります。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 18:40Comments(0)偉人

「権利の上に眠るな」(市川房枝)

2012年06月18日

「権利の上に眠るな」(市川房枝)
~明治維新以来、住民は基本的人権の権利獲得の戦い~

なんだかんだ言いながら、早いもので6
月半ばをすぎました。年月の過ぎるのは、最近年を取ったせいか、駆け足のように感じます。

昨日の熊本県民交流館パレアでの、男女共同参画デイの企画、男女共生社会を実現するくまもとネットワークが主催した講演会に、参加したことは昨日のfacebookで、紹介しましたが、講師の福岡県の元杷木町町長の中嶋玲子さんは、1時間45分近く、止めども無く語り続けました。

41才で町議、49才で町長に就任し、女性の視点で、色々な試みをやったこと、次の福岡県男女共同参画センター館長としてやった試み、現在大学院に通う女性リーダーの、語気は治まることはなかった。

1999年から始まった、男女共同参画社会づくりの政策は、なかなか浸透せずにいるのが、地方の現状と思います。

成熟化した日本経済は、超少子高齢化社会を迎えようとした1999年に、女性の経済活動、労働への参画を促す試みなされたが、その成果は未だ見えず。

先週成立したフランスの内閣は、半分が女性、フランスの厚い就労支援の発想には、女性の就労をしやすくする工夫が随所に感じられます。

日本は、綜合子ども園問題の小さな許認可で右往左往して、本来の男女共同参画社会づくりの推進がなおざりになっていると思う。

私の住む宇土市の政策審議会の構成メンバーは、総数707人中、女性は176人。さらにがっかりするのが、707人の内、公募率は、1%以外。市政の閉塞感は、ここから生まれている感じも持ちます。

充て職なる審議会メンバーの多さは、市職員の怠慢とも思います。国は、政策審議会等の構成メンバーを、2020年までに、女性を30%にする目標を立てた。

私は、この202030に加え、充て職で審議会等の人は、3つ以上を兼務できない。もし各団体の代表が必要なら、会長以外の人を登用する仕組みも必要と思います。それが、人材育成につながり、情報の公開にも繋がると思います。

明治後期から、大正、昭和と、一般男子の選挙権、さらに女性参政権の活動が活発に、繰り広げられてきた。今の若い方々は、特に女性の権利主張を、身命をかけて戦い続けられた、故市川房枝先生の生き様に触れることが必要と思います。

わが家には、市川房枝先生が色紙に書くときによく書かれた「権利の上に眠るな」の額を居間に飾っています。今の権利は、多くの先人たちの心血により得た権利と知り、現代の人々は次世代の人々のために、更に住みよい社会を作る活動に参加(参画)しなければならないと思います。

この考えに、ご意見を頂けるとありがたいです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:15Comments(0)男女共同参画社会

〈西日本新聞〉水俣病研究の第一人者、原田正純さんのお別れ会

2012年06月16日

〈西日本新聞〉水俣病研究の第一人者、原田正純さんのお別れ会

水俣病研究の第一人者の原田正純氏のお別れの会を、報じる西日本新聞web の記事に、目が止まった。

生前の原田正純氏と、一度語ったことがある。優しい目をされながらも、いざ水俣病のことになると、キラッと目が輝き、厳しい口調になることもありました。

先生は、熊本大学医学部を退職し、熊本学園大学で、[水俣学]なるテーマの講義を始められた。そんなに時期に、原田正純氏と語ったのですが、印象に残っている言葉があります。それは、

「熊本大学は東京を見ている。熊本学園大学は、足元の熊本のことを中心に考えている」

原田正純氏が熊本学園大学に移られて、そう経たないうちに、熊本学園大学の水俣病センターができ、医学と社会学を合わせた学問を研究する現地研究センターができ、新たな分野を創り出されたと思います。

原田正純氏は、講義では難しい話を、私のような薄識のものにもわかり安く教えてくださる方でした。大学教授は、難しい言葉で、難しく話す方も多いですが、水俣病について多くの人びとに、語り続けられたように思います。

最後に、原田正純氏のご冥福を祈るとともに、水俣病の更なる研究が進むことと、現在でも水俣病の苦しむ方々が、一人でも多く救済されることを願います。


〈西日本新聞web より〉
>「もっと長生きしてほしかった」「遺志を継ぎ、頑張りたい」。14日、熊本市内で行われた水俣病研究の第一人者、原田正純さんのお別れ会。多くの人たちが77歳で逝った原田さんに最後の言葉を贈った。(略)

>ジャーナリストの宮沢信雄さん(76)=宮崎市=は「1969年に発足した水俣病研究会で彼と付き合えて僕は幸せだった。本当にあの人は全人的。たまたま医者だっただけで、天が水俣のために用意した、人間として得難い人だった」。=2012/06/15付 西日本新聞朝刊=(略)

http://nishinippon.co.jp/nnp/item/307774  

Posted by ノグチ(noguchi) at 15:03Comments(0)偉人

【原発再稼働】消費地関西「これでようやく安心できる」

2012年06月16日

【原発再稼働】消費地関西「これでようやく安心できる」 町工場や病院、高齢者施設 2012.6.16 12:26

(以下、転載)

〈病院〉

 「これまで計画停電の経験がなく、停電時に自家発電設備が正常に作動するか、電力が不足しないか心配だった」

 大津赤十字病院(大津市)の植松良夫・企画調査課長は胸をなで下ろす。

 同病院では、停電など災害時に必要最低限の電力を確保できる自家発電設備があり、これまで計画停電に備え試験稼働を実施。さらに備蓄燃料が十分かチェックするなど、万一の事態に対応できるよう、さまざまな点検作業に追われた。(略)


いよいよ、電力不足の夏が始まる。

先月、関西に出張した折に、大阪のニュースでは、電力不足の夏、節電の呼びかけが目についた。

関西経済圏から、強い要望から原発の再稼働を容認する声に押されて、首相が再稼働を決断した。九州も不足との情報から、再稼働問題が浮上しないか、気がかりです。

とにかく、足るを知る、もったいない、の意識を市民が持ち、行動すれば限度内の電力使用量で収まれば願うばかりです。


http://sankei.jp.msn.com/smp/life/news/120616/trd12061612280007-s.htm



  

Posted by ノグチ(noguchi) at 13:19Comments(0)政治問題(国)

至誠にして動かざるものは未だこれあらざる也(吉田松陰)

2012年06月16日

至誠にして動かざるものは未だこれあらざる也(吉田松陰)

国会では、税と社会保障の一体改革で揺れていますが、この様子を吉田松陰が見たら何というでしょうか?

正に、右往左往の民主党事情でしょうか?

冒頭の言葉は、「誠を尽くせば、人の心は動く」という意味ですが、幕末の長州で『松下村塾』という小さな私塾に通った幕末の若者が、260年続いた徳川幕府の信用を失墜させた。誠を尽くせば、天も味方した歴史の出来事と思います。

松下村塾は、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山形有朋、河井継之介など、そうそうたる志士たちが育った学校です。先月、松陰神社の境内にある『松下村塾』を改めて訪問して、その狭さを確認したのですが、至高の教師吉田松陰はどんな世界を夢見て、若者に語ったかは定かでないですが、当時の世情の混乱をよそに、毎晩熱く語ったのだと思います。

吉田松陰と高杉晋作の師弟間で交わされた有名な書簡に一つに、獄中からの高杉に送った死生観についてのものがある。笠谷和比古著『武士道、サムライ精神の言葉』から、抜粋。

(以下、転載)
 松陰の行動形式は「やると決めたことは何を押してでもやる」という直情的ともいえるほど激しいもので、短い人生の間に脱藩、投獄、幽閉、密航の失敗などさまざまな挫折を繰り返している。
 しかし松陰は人間の尊厳を忘れず、至誠を貫き通した。その真直ぐな生き様が後世の人間に影響を与えるのだろう。獄中の吉田松陰が高杉新作に送った書簡の中にその死生観を見ることができる。
「死は好むものではなく、また、憎むべきものでもない。人生の道がつきて心安ずる時が死に所である。世の中には、生きながら心の死んだ人もいれば、その身は滅んでも魂の残る人もいる。人間とは、生死はどうであれ何かを成し遂げる心構えこそが大切なのだ。死して不朽の見込みがあれば、いつ死んでもよいだろう。また、生きて大事業をなす見込みがあれば、生きるべきなのである」
(以上、『武士道、サムライ精神の言葉』より)

吉田松陰は、安政の大獄の騒乱の中で、命を落としたが、松陰に学なんだ志士たちが、明治維新の扉を開いた。吉田松陰の辞世句がある。

「かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ 大和魂」

至誠の人、吉田松陰の非業の死から10年経たない内に、明治維新に変わった。
人は、精神誠意、至誠を尽くせば、大業も成せる、の教えと思います。吉田松陰の死から150年、日本政府の混乱はありますが、松陰の教示を学ぶ市民の多さが、ぶれない日本社会を導いてくれることを信じます。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 11:23Comments(0)偉人

3党合意、鳩山・小沢グループが少数派に転落。ガラガラポンか?

2012年06月16日

3党合意、鳩山・小沢グループが少数派に転落。ガラガラポンか?

(産経webより、抜粋 )
首相は官邸で鳩山氏と向き合ったが、その対応は実につれないものだった。

 鳩山氏「党がまとまって行動できるようにしてほしい」

 首相「野党との交渉もまとめなければなりませんから」

 渡部恒三最高顧問に至っては「どうぞ小沢先生、鳩山先生、反対してください。国会はスッキリして素晴らしい物になります」。もはや党内の亀裂は修復しようがない。

 代議士会で会長の細川氏が「本会議で離島対策の法案が成立します」と語ると、出席者は「離島」を「離党」と勘違いし一時騒然となった。党内の緊張は最高潮に達しようとしている。
(以上、産経新聞ニュースより)


内圧、外圧、さまざまな実情の中で、税と社会保証の一体改革の民主党、自民党、公明党の協議が、合意した。
最大の議員数を集める民主党が揺れ始めている。鳩山氏、小沢氏の数の多いグループは、離島(離党)のように、3党合意で数の形成が変わり、鳩山・小沢グループが、数で少数派になった。どうするか、見ものになっている。

ジャーナリストの櫻井よし子氏の論理では、ないですが、民主党、自民党、公明党のガラガラポン(政党再編)が加速しそうな気がします。

産経 web
http://sankei.jp.msn.com/smp/politics/news/120616/plc12061601310001-s.htm

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:57Comments(0)政治問題(国)

逆境こそ「先見性」をもって「夢」をかたる。(樋口陽太郎)

2012年06月14日

逆境こそ「先見性」をもって「夢」をかたる。(樋口陽太郎)

個人であれ、企業であれ、苦しい状況は度々起きる。その時どうするか?

大阪の通り魔事件についてのコラムがあった。刑期満了者の再犯の高さ、社会復帰の難しさについて書かれていた。

人は、窮地に追い込まれたときに何をするかで、その真価が分かると言われる。私もまた、同様に問われていると思います。果たして、厳しい状況に追い込まれた時、冷静に対処しているか、反省点を見つけてばかりでは、前に進めない。

アサヒビールの元社長の樋口陽太郎著『人材論』に、次のメッセージがあった。(以下、転載)

これからの時代に役立つ人材で、ありたいと思うなら、まずは、仕事を楽しむ姿勢を持つことでしょう。
「人と同じことをやっているのが楽しい」
などという人がいたとしたら、それはもうお話になりません。それは「楽しい」のではなく、単に「楽」なだけです。
楽をして、楽しい思いができるらけではありません。(略)

大阪の通り魔事件の犯人は、所持金が無くなるのが不安で、人を殺した。本当に、安易な考えだ。それで殺された人は、やりきれない。
窮地に追い込まれた時、前向きな思考で明るい未来を描けることが大事だし、その様な刑務所での人材教育が必要と思う。

樋口氏は、逆境こそ「先見性」をもって「夢」を語れと言っている。苦しいときは、心配が先に立つ。誰しもそうだと思います。
単純に話、心配性の上司が居たら、逆境の時職場の雰囲気を暗くしてしまう。しかし、先見性のある上司は職場を明るくすると、指摘しています。

だから状況が悪いときこそ、大きな夢を語ることで不安を吹き飛ばす必要がある。苦しい現実は現実として踏まえた上で、楽しいことを考えて「元気に明るく」前進しなければいけません。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:02Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

一般質問無事終了。受け身でも小さなチャンスはある。

2012年06月13日

一般質問無事終了。受け身でも小さなチャンスはある。

今日は、真夏日の暑さもありますが、何時も汗だくの一般質問でした。毎回反省点ばかりですが、6回目の一般質問を無事乗り切りました。

本日は、2人目の登壇、質問35分、執行部の回答25分の予定でしたが、ついつい早口になり毎回時間が短くなるので、今回は気を付けたのですが、1時間持てませんでした。

今日は、4人の質問予定で午後の予定者から、1人目が45分で終わったので、とにかく、11時45分まで伸ばさないと、気にかけたのが、かえって良かった。早口にならず、ゆっくり語れました。

自分は、ぐいぐいと自分からアピールできる人間ではないので、こつこつと日記を書くことくらいで、市議になり、先輩から「何でもいいから、毎回の定例議会で、必ず質問をしていけば、何か見えてくる。とにかく続けなさい」とはっぱをかけられ、無い知恵を絞りながら続けています。

毎回、あれを言い忘れた、こんな質問にすれば良かったと、悔やむばかりですが、今日帰って開いた本、元アサヒビール社長の樋口陽太郎氏の著『人材論』に、次の言葉を見つけました。

(以下、転載)
「一同でもチャンスを逃したら次はない」ということでは困ります。
サバイバルゲームではないのですから、何度でもトライできるようでなければ、人のチャレンジ精神は育まれません。
失敗が許されるのが、すぐれた教育環境だと言えるのではないでしょうか。
能力主義を伸ばす環境を整えることが先決です。能力主義の目的は、弱者を作ることではありません。(略)

何か、私のために語って頂いているような言葉です。また、樋口氏は、自己アピールが苦手な人にも必ずチャンスが訪れる。それを無駄にしないことが大事と強調しています。

積極的でなくても、必ずチャンスが来る。来たときは、臆せず、勇気を奮って行動することが必要と思います。

今回の一般質問の反省点を踏まえ、懲りずに毎回の質問を続けたいと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 16:21Comments(0)マイライフ

〈2月政務調査〉坂本龍馬の夢が芽吹く大地「北海道」、志は今も

2012年06月13日

〈2月の政務調査〉坂本龍馬の夢が芽吹く大地「北海道」、志は今も

おはようございます。今日は、東北の劇団の団長のメールマガジンが、毎日届くのですが、その1つに、北海道と坂本龍馬の関わりを、特集した北海道新聞の話題があったので、紹介します。

今年2月政務調査で、北海道の北見市へ出向いたおり、オホーツク龍馬会の会長と事務局長に会った。2月周りは、真っ白い雪原が広がる台地での中に北見はあり、ここで坂本龍馬に縁の坂本家の若者たちが、荒野を切り開き、北海道の開拓の先頭に立ち、明治の北海道の成長の基を築いた。

北海道新聞が、3人の坂本家の人物を取り上げています。

坂本龍馬は、政権が朝廷に移り、政治が安定した後に、土佐の若者と一緒に、北海道に新しい邦を創る夢を持っていたと言われる。その意志を、坂本家・本家の明治の当主たちが、受け継ぎ、北見や旭川、釧路、札幌の地で、頑張ったことを、シリーズで取り上げています。

坂本直寛、坂本直行、坂本直道、他

実は、北見市議会の事務局の職員は、「祖父が土佐の出身です」と話していた。土佐に縁の地名が、北海道に何箇所もあるとも、北見で聞きました。

北海道新聞webの連載
http://mytown.asahi.com/hokkaido/newslist.php?d_id=0100078
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:52Comments(0)偉人

〈2月政務調査〉坂本龍馬の夢が芽吹く大地「北海道」、志は今も

2012年06月13日

〈2月の政務調査〉坂本龍馬の夢が芽吹く大地「北海道」、志は今も

おはようございます。今日は、東北の劇団の団長のメールマガジンが、毎日届くのですが、その1つに、北海道と坂本龍馬の関わりを、特集した北海道新聞の話題があったので、紹介します。

今年2月政務調査で、北海道の北見市へ出向いたおり、オホーツク龍馬会の会長と事務局長に会った。2月周りは、真っ白い雪原が広がる台地での中に北見はあり、ここで坂本龍馬に縁の坂本家の若者たちが、荒野を切り開き、北海道の開拓の先頭に立ち、明治の北海道の成長の基を築いた。

北海道新聞が、3人の坂本家の人物を取り上げています。

坂本龍馬は、政権が朝廷に移り、政治が安定した後に、土佐の若者と一緒に、北海道に新しい邦を創る夢を持っていたと言われる。その意志を、坂本家・本家の明治の当主たちが、受け継ぎ、北見や旭川、釧路、札幌の地で、頑張ったことを、シリーズで取り上げています。

坂本直寛、坂本直行、坂本直道、他

実は、北見市議会の事務局の職員は、「祖父が土佐の出身です」と話していた。土佐に縁の地名が、北海道に何箇所もあるとも、北見で聞きました。

北海道新聞webの連載
http://mytown.asahi.com/hokkaido/newslist.php?d_id=0100078
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:51Comments(0)偉人

〈電力会社障壁〉11年再生可能エネルギー投資アメリカの1/5

2012年06月12日

〈電力会社障壁〉11年再生可能エネルギー投資、アメリカの1/5以下

日本のエネルギー政策は、電力会社によりねじ曲げられた。

大2次オイルショック直後の日本のエネルギー事情は、石油依存少なくするために、色々に模索を行った。今からかんがえると「サンシャイン計画」は、幼稚な技術かもしれないが、日本人のチャレンジ精神を感じる思いを持ちます。

1990代前半、太陽光発電の技術も生産も、日本がリードしていた。20年が経ち、ドイツに抜かれ、アメリカに抜かれ、中国に大きく水を開けられた。

原発政策への依存を、「安さ」「安心安全」のまやかしに、国民は騙された。電力会社と自民党の原発族議員の責任は大きい。

国民もまた安易な、電気使用の意識は変わらず、また原子力発電の短期稼働に意識が変わろうとしている。

15%、20%の節電に、意識ある国民が積極的にチャレンジしようではないですか!

国民が変わらなければ、快適便利な生活を志向する若者たちが増え続ける。日本の「足るを知る」価値観は、何処へ行ったのか。原発再稼働よりも、再生可能エネルギーを増やす政策を掲げる政治を目指す政治家を支持したいと思います。

電力会社と原発族議員が、これまで行って来た政治に、「時のアセスメント」を実施する時期に来たと思います。

昨年の原発発生時の政府対応の検証も必要ですが、自民党政権がダラダラと続けて来た原発依存と、国民のガス抜き程度の不毛な再生可能エネルギー推進の検証が必要と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:34Comments(0)政治問題(国)

〈夏の一句〉日本の風情を思い出し、新しい節電の知恵を考える

2012年06月12日

〈夏の一句〉日本の風情を思い出し、新しい節電の知恵を考える

おはようございます。

昨夜のNHKの『クローズアップ現代』で、今夏の節電の実情の厳しさから、2度目の夏は、企業も市民も、更なる節電の知恵と工夫しはじめた。
 更に発電所と市民・企業が共同して、新しい電気料金の体系を模索し始めたという報告だった。

高度成長期を支えた電力会社だったが、東日本大震災の後は、社会の不良債権的な見方をされた。現実の社会は、電力無しでは社会は動かない。

ふと数年前に買った、松尾芭蕉と与謝蕪村の句集を、思い出した。

松尾芭蕉

「夏草や兵どもの夢の跡」

『おくのほそ道』に入っている、東北の平泉で、読まれたものと言われています。平泉は、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の隆盛の跡といわれています。

旅の終りに詠んだ名句

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」

実は、この旅の始めに詠まれた句があった。

「麦の穂を便りにつかむ別れかな」

初夏の収穫前の黄色く実った麦の穂の道端で、高齢を押して陸奥に旅をしようとする松尾芭蕉の決意が伝わる句のように思います。

与謝蕪村の夏の一句

「夏山や通いなれたる若狭人」

よく、松尾芭蕉と比較されるのが、与謝蕪村ですが、若さを感じる夏の北陸商人たちの生き様です。

今年は、昨年よりも厳しい節電の夏、冷房機器が無かった江戸時代の夏、様々な涼を工夫し楽しんだ習慣を学ぶ、よき機会と思います。

松尾芭蕉の爽涼の一句

「清滝や波に散り込む青松葉」

滝の水しぶきを浴びた松の枝が、暑い太陽の光をキラキラ反射している。その滝の近くは、木立の影もあり、周りより気温が数度下がっている。涼を感じる一句。

戦前の日本には、打ち水、行水、日よけ等々、江戸の夏を楽しむ工夫が、まだ残っていた。今年の夏、日本の風情を思い出し、節電を楽しみたいものですね。

※参考資料:竹西寛子編「松尾芭蕉集、与謝蕪村集」  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:21Comments(0)政治問題(国)

〈重職の振舞い〉挙動言語より厚重にいたし、威厳を養うべし。

2012年06月11日

〈重職の振舞い〉挙動言語より厚重にいたし、威厳を養うべし。

朝のウォーキングは、爽やかな朝の気分になり、一日の活気が湧いてくる気がします。今日は、定例議会の初日です。

江戸後期の儒家の佐藤一斎は、幕末の指導者を多く排出して来たのですが、元々幕府の学校の校長だったので、重要な役職の言動に、厳しく訓示しています。

重職心得の第一条は、(以下、抜粋)

心に油断なく、軽挙をつつしめ

自分の言動に威厳をもち、すべてを大所高所からとらえるために何をするか。

そもそも重職というのは、主君の代理として政治を執り仕切るべき大役(大臣)である。

言動すべてにわたって慎重に、どっしりと威厳を身につけていなければならない。

小さな問題にとらわれ過ぎると、かえって重大に目こぼし、手抜かりが生じるものである。
 重職たるものは、些細な問題はむしろ見過ごすぐらいにした方がよい。そうしていれば自然と大事な問題に抜かりがなくなってくる。
(以上、『佐藤一斎、人の上に立つ人の勉強』より)

西郷隆盛は、あまり語らなかったそうだ。ただ、自分部下をの多くを、大阪で陽明学を教えた梅田潜庵の塾へ、学びに行かせている。

中国の人物評価に「風度」なるものがあるそうだ。見た目、言動、知性、決断力、先見性、等々。どっしりと威厳を身につけた人物に、高い評価を付けた。

まず職分に応じた職務を果たす。そのためにも、重職の役割を尽くすことが大事になる。

地位が上がると、名刺を配り回る様子もみうけますが、先ずは職分で着実に実績を残すことが先。多くを語らず、率先垂範で、役割を果たしてほしいと思う。

私は、重職と言われる地位、役割をした経験はないですが、50代は判断を求められる場面が多くある。そんな時は、慌てず、騒がず、慎重に考え、言葉少なに思いを伝えれるようになりたいものです。


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:51Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

リーダーとは、社会的な責任を果たす個性的米粒

2012年06月10日

リーダーとは、社会的な責任を果たす個性的米粒

朝の読書から、童門冬二著『人望力の条件』から、適塾の教育方針に関心を持ちました。以下、抜粋です。


幕末の大阪に「適塾(適々済塾)」があった。経営者は、緒方洪庵。塾生には、大村益次郎、橋本左内、福沢諭吉、など、そうそうたる人材を排出した。

緒方洪庵の教育方針は、「どうゆう人物になるか、あるいは何をやるかは学生一人一人が自分で判断すればいい 」と、学ぶ者の自主性や自立性を重んじた。

この教育方針は、言ってみれば、「お粥ではなく、にぎりめしの米粒になれ」と言うこと。お粥は、アイデンティティ、汁の中に溶け込んでしまう。集めるには、しゃもじを使わなければならない。
 ところが、にぎりめしの米粒は、握られてはいるが一粒一粒が、「自分は米粒だ」という主張をきちんとしている。(略)

洪庵が学生たちに、「それぞれの自主性を重んじなさい」というのは、「何をやってもいい」という、勝手気ままな生き方を認めたわけではない。「社会には責任を果たせ」ということを付け加えるのを忘れなかった。
(以上、『人望力の条件』より、抜粋)


この米粒という表現が、特に納得した。個性とは、こういうことか、と思いました。

洪庵は、日々の挨拶を重要視した。朝は、今日の一期一会で、夕方には教育会えた方と、さようなら。日々が、真剣勝負の意味を教えていたのかもしれません。

加えて、童門冬二氏の洪庵評価は、「師や先輩の価値観の枠の中に、後輩を全部取り込まない」、「弟子たち一人一人がそれぞれ一本の木だ」。

福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」の発想が出てくるのかもしれません。

果たして、私自身、社会の米粒に成っているかは、定かではありませんが、自分自身の関心事を重んじながら、地域社会て何ができるか、常に考えながら生きなければならないと思います。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:53Comments(0)教育問題

「腹立たずの会」、怒り上手ではなく叱り上手だった黒田如水

2012年06月09日

「腹立たずの会」、怒り上手ではなく叱り上手だった黒田如水

おはようございます。

今朝は、中学生の招待サッカー大会があり、開会式に参列し、開会の挨拶をしないと行けません。

昨日は、ワールドカップ日本代表の素晴らしい試合を、全国のサッカーファンが応援したと思います。本田選手のハットトリックは、圧巻でした。今日の中学生の試合が楽しみです。

朝の読書で、豊臣秀吉が恐れた武将黒田如水の人育ての知恵が紹介されている本を読んでいます。

まず、怒ると叱るの違いは、どこか?対応を間違うと、人は離れていく。

叱るーー
リーダーが、相手に愛情を持って潜んでいる可能性を引き出そうという気持ちを込め、厳しい態度で望むこと。

怒るーー
相手に悪感情をもって、憎しみや怒りの感情を露骨に表して相手に厳しく迫ること。

二つの感情を、分けて表現することが出来ないのは、凡人です。子どもを叱るとき、ついつい怒りのほうが先になることも多々あるように思います。

黒田如水の人育てに、「腹立たずの会」がある。黒田如水は、戦国時代を生き延びた、豊臣秀吉が恐れた武将の一人だが、その息子の黒田長政は、若いころは手のつけられな乱暴者で、如水亡き後を心配して、「腹を立てない会をつくれ」と長政に命じた。

長政がどんな会かの問に、如水が答えた。
「毎月日を決めて、何回会議を開く。その会には、だれが出席してもいい。そしてどんなことを言ってもいい。しかし、言われた相手は、絶対にその会では腹を立てないという会だ。思いきった意見が飛び交って、さぞかし黒田家の発展のために役立つだろう」
長政は考えこんだ。長政は、反省した。

こうして、黒田家に明治維新まで続いたと言われる「腹立たずの会(腹を立てない会)」が設けるられた。

黒田長政は、この「腹立たずの会」の意見会を大いに活用して、名将と言われるリーダーに育っていったそうです。腹立たずの会、皆さんも実践してみてはいかがでしょうか。

このことを紹介した本は、童門冬二著『人望力の条件』なるもので、第二章「世間通」の解説があった。

(以下、転載)
 人望力の要諦の第二は世間通である。情報を集め、分析し、世間の事情に明るくなければ、先の時代を見通すことはできない。いまの時代を読み、それからを見る先見力がなければ、人はついて来ない。世間通であってこそ、人は、その人の周りに集まってくる。(略)

週末、おこらず、いからず、爽やかになだめる叱り方を実践してみたいと思います。皆さんも、良き週末になることを願っています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:20Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

〈熊本発〉地政学から州都論議、熊本ー延岡、熊本ー大分時短対策

2012年06月08日

〈熊本発〉地政学から考える州都論議、熊本ー延岡、熊本ー大分、宮崎ー大分の時短対策

おはようございます。先月中旬、市議会の文教厚生委員会で、関西へ視察研修に出かけた。2日半で2000kmを越える移動距離、これができたは、新幹線と本四架橋のおかげです。やはり交通網の整備が、いかに大事か体験して分かりました。

熊本に帰る日、新大阪駅を9時に出発した新幹線は、12時には熊本駅に到着した。3時間の旅、揺れも少なく快適な車内、仮眠の時間になりました。

私は、その日15時過ぎまでに、宮崎市で開催される九州龍馬社中に着かなければならなかった。宇土駅で解散してから、宇城市、八代市の仲間と合流して、高速道路を走り続けて、宮崎の会場に到着したのは15時半を過ぎていました。私たち不知火龍馬会の活動報告には、どうにか間に合うことができました。

大阪ー熊本3時間、熊本ー宮崎3時間、大阪と宮崎が、同じ時間、熊本から九州の東海岸は、なかなか遠いのが、現実の課題と誰でも理解できます。

先月の27日午後に、熊本県知事が主催した熊本の未来を語るシンポジウムがあった。テーマは「州都」。
 有識者の意見は、鳥瞰的な総論が多かったが、元熊日編集長で、熊本商工会議所会頭の田川憲生氏の意見は、「熊本県が州都になるには、熊本ー大分、熊本ー宮崎の高速交通網の整備が必須条件、特に、熊本ー延岡の九州横断自動車の早期実現に、熊本全県上げて取り組む必要がある」と厳しく指摘した。

私は、数年前から「地政学」なる言葉が気になっいる。私の鈍い頭でこの言葉を考えた、人の動きに合わせた行政の広域連携?

平家伝説が残る九州脊梁に在る宮崎県の椎葉村の人たちは、週末は熊本県の大津町のショッピングセンターに買い物に行き、お歳暮は熊本市の鶴屋百貨店に行くそうだ。これには驚いた。実は、椎葉村から宮崎市は3時間かかり、熊本市へは2時間で行くそうです。

この地政学的な交通網の障壁を変るのは、やはり高速交通網の整備しかないと、つくづく思います。

熊本、大分、宮崎が、連携して3都高速交通網の整備促進、新幹線のスピードに限りなく近づけることに、熊本県知事がリーダーシップを取り、3県知事が協力して強力に全九州に訴えて行かないと、熊本の州都は実現不可能ではと危惧しています。

かつて、諸官庁の多くが熊本にありました。それは、当時の交通網からの地政学的な位置からだったと考えます。それを変えたのは、山陽新幹線と高速道路の整備でした。

熊本は、地図上では九州のほぼ真ん中にありますが、高速交通網ては、熊本と大分、宮崎間には、九州脊梁が大きな壁となっています。この地政学的障壁を打開するのは、3県の県都を2時間程度で結ぶ交通網の整備と思います。

また「土建屋の復活か!」とぼやかれるかもしれませんが、熊本の州都実現には、現在の地政学的条件を一変させる必要があります。

この考えに、ご意見のある方は、ぜひアドバイスを頂ければ幸いです。本日も長い文章を、最後までお読み頂き感謝致します。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:56Comments(0)政治問題(地方)

3Rでベトナム支援、日本人の価値の輸出?

2012年06月05日

3Rでベトナム支援、日本人の価値の輸出?

朝日新聞に、リオデジャネイロでの地球サミットのことが出ていた。末尾の文が目に止まった。

ーー日本企業、国民は何ができるのか。
 とてもおおきなことができる。外交は政府だけのものではない。私(玄葉外相)は、「フルキャスト・ディプロマシー(全員参加型の外交)」と言っている。例えばベトナムでは、日本の技術支援でリデュース(ごみ削減)、リユース(再利用)、リサイクルの3R を、普及して来た。日本人の価値観の輸出だ。江戸時代から生態系にやさしい気持が日本人にある。そこに日本企業の技術が組み合わさり貢献できることはたくさんある。(以上、6月5日朝日新聞より)

今朝は、同僚議員と生ゴミ堆肥化施設の視察に出かけた。当初、宇土市は、生ゴミ堆肥化にJA宇城と共同で、取り組んだが、JA宇城の施設が運転不能に陥ったので、熊本市の民間堆肥化施設に処理先を替えた。

一度現地を見たいと思っていたので、一緒に工程も含めて、1時間程でしたが改良された堆肥化を見て、大変勉強になった。

江戸時代、様々なリユース、リサイクルが徹底していたと、歴史から知ったが、リオデジャネイロの環境サミットから20年が経ち、世界が真剣に、3Rの価値観を求め始めているように思います。

写真は、熊本市の堆肥化施設の情報です。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:51Comments(0)政治問題(地方)

九州山口の温泉ランク、1位はわいた温泉郷

2012年06月05日

九州山口の温泉ランク、1位はわいた温泉郷

わいた温泉郷?
これは、どこだ?
はげの湯、岳の湯は、ここ10年くらいの新しい温泉郷。
まだ、温泉施設もない岳の湯の地域へ、県立大の教授が、案内したことがある。

冬でも、霜が降りない山間地?
何か矛盾を感じる言葉ですが、地面全体が地熱で暖かく、ビニールハウスをかければ、冬にトマトが栽培できる。
コタツは、蒸気を使って自然の地熱で……、
畑に出ている蒸気に、蓋をして中に卵を入れておくと、ゆで卵ができる。住むには、贅沢な土地と思います。

でも、わいた温泉郷が世に知られる前は、過疎の町。人が少なかった。実は、それが魅力になった。

バブルがはじけて20年、失われた10年と言われた1990年代、実は経済は微増だが上昇し続けた。国の財政支出の増加もあるが、日本経済は底力はまだまだあると思います。

不況を理由にして、自分たち仕事分野の不振を語る人も多いが、狭まる事業分野でも業績を伸ばす会社もある。いわゆる目の付け所が違うと思う。

開発前の岳の湯に案内した県立大の教授は、「これから、ここは人気が出ます」と思いを語ったが、バブル崩壊で閑静な田舎の風景を持つ温泉に、国民の興味が集まって居るのかも知れません。

この教授は、そろそろ大学を退職するが、建築家でもあり、ヨーロッパの人が集う場の研究者でもある。

先週土曜日に、水俣の湯の子温泉郷近くで、2代にわたり事業拡大をして成功した福田農園の故福田興次氏の教示に、魚の目のことばを思い出す。「潮目を見る」、意味は時代は変わる。変化に対応できない事業は、下降するの訓示と思います。

わいた温泉郷は、時代の要求にかなった温泉地づくりをしているのだと思います。開発前の岳の湯が、今どうなっているか?近々訪ねてみたいものです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:21Comments(0)熊本の出来事

俳句、川柳、短歌、色々な風景を想像します

2012年06月04日

俳句、川柳、短歌、色々な風景を想像します

おはようございます。

今朝は、地元紙の読者文芸の、俳句、川柳、短歌が月に度掲載されるのですが、時間があるとよく読んでいます。

今朝もいくつか、心温まる句がありました。川柳を3つ紹介します。

ここも過疎休耕田に蛙鳴く

歩行器を押してまで行くワラビ狩り

一人居の暇さえあれば草を取る

年配者の句が多いですが、ほのぼのとして、穏やかな気持になります。俳句から、4つを紹介します。

切望の職も決まりて卒業す

泣き声の三重奏や子供の日

雲雀の巣あとずさりしてトラクター

しゃぼん玉飽きずに吹いてお留守番

今日の一句、良いなと思いました。短歌から一つ紹介します。

散歩にはじいちゃんと行く孫せがむ秘密ありそう二人の顔

孫とじいちゃんとの約束があるのでしょうか。風景が見えるような句です。

5月16~18日に、兵庫と大阪に政務調査で出かけたのですが、兵庫県多可町の戸田町長に頂いた資料の一つに、「日本酒の川柳」101選、があり愉快に読ませてもらった。その中からいくつか紹介します。

酒だけは黙って俺の愚痴を聞き

ゆるやかに時は流れて一人酒

侘しい一人酒、わいわいの酒も良いですが、しんみりと飲む酒も良いものです。こんな酒も、心に染みました。

父の墓かけたお酒に少しむせ

まだ、亡くなって長くないのかも知れません。先日、同級生が亡くなった。53才、今の時代、まだまだ若い死は、言葉のかけようがない。

またまた、一人酒の川柳です。志し高き一句です。

ひとり酒明日の日本が気にかかる

今の国会、税と社会保障の一体改革に全力をつぎ込む野田首相の意気込みは、どんなものか心中は分かりませんが、国と地方の借金が1000兆円を超えそうな日本国家、酒を飲んでも、市民が心配するような政府では困りもの。

一人酒明るい日本を夢みたい

と、詠めるような、大改革を期待しています。たまには、こんな朝の日記をご笑覧ください。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:36Comments(0)私の意見

道に迷ったら歴史に問え、歴史に疎い人は現代でも疎い。

2012年06月03日

道に迷ったら歴史に問え、歴史に疎い人は現代でも疎い。

おはようございます。今朝は、先人の教示を紹介します。


㈱福田農場ワイナリー
前代表取締役 福田興次

・将来がぶれないための思考の三原則
〈歴史観〉 道に迷ったら歴史に問え、歴史は繰り返す、歴史に疎い人は現代でも疎い。
〈多目観〉 多くの方面や分野から観て考える。
〈本質観〉 物事の本来の姿を見極める。

・三つの目
〈蟻の目〉 働き蟻のように目の前、目先のことをよく理解する。
〈魚の目〉 潮の流れを読み取る。潮目は変わる。
〈鷹の目〉 常に高いところから全体を見るようにする。


独創的な農場経営者の教示は、昨日の偲ぶ会でも、逸話がたくさん聞けた。

地域づくりは、一人ひとりが変わること「心の活性化大事」と、平成4年の講演会で、語っておられました。

また、「短所は長所のうち」、問題があっても前向きに考えることが必要、とも説いています。

福田氏の語録を知れば知るほど、言葉の力と言うものを確認した思いを持ちます。
「目の前の利益ではなく時間をかけて本物を」
簡単なようだが、なかなか出来ないのが現実です。本物とは何か、本物とは人々の心を動かす感動の記憶のようにも思います。感激、感動、感謝、そんなものが本物に近づくヒントのように思います。


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:21Comments(0)