「活眼 活学」(安岡正篤著)

2012年06月18日

「活眼 活学」(安岡正篤著)

久々に、安岡教学の教示を開き、読んでいます。本日の議会論議の中で、何でも鑑定団の収録が話題になり、「平成」を名付けた東洋哲学者の故安岡正篤先生の掛け軸を持っている方が居ると聞き、出展を薦めた。

ふと、安岡正篤先生の言葉に触れたくなり、古本屋で買っていた『活眼 活学』を読み始めました。

活学は、字面から分かるが、活眼は、何だ?と尋ねると思います。

(以下、転載)
潜在エネルギーと顕在エネルギー
~肉眼と心眼~

単なる肉眼では目先しか見えません。それではすこぶる危険であります。我々は外と同時に内を見、現在と同時に過去も未来も見、また現象の奥に本体を見なければなりません。

仏教の方でも「五眼」ということを説いております。肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼と申すが、とにかく肉眼以上のものを心眼といたしておましょう。(中略)

ーー、もう少し日本の政治家にも、活学ー生きた学問をしてもらって、今までのような通俗的な政治生活だけやっておるようでは日本は破滅しますので、文字通り真剣に努力勉強してもらわなければなりません。
(以上、『活眼、活学』より)


吉田松陰の「知識は、理解し高度してこそ知識」と、得た知識をどう実行するか!にかかっている。

安岡正篤先生の教示に、

知識、見識、胆識

知識:情報としての知識
見識:得た知識の賛否
胆識:見識で判断し実行する

単なる知識ては、世の中は変わらない。知識を理解して行動してこそ、見識が意味を持つ。賛同して、行動を起こしましょう。そこから、何かが始まります。


同じカテゴリー(偉人)の記事画像
久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。
江戸時代、土佐弁は、江戸者が語ることばと区別かつかなかった。〜司馬遼太郎〜
八代亜紀さんがお亡くなりになりました。安らかにお休みください。ご冥福をお祈りいたします。
2月15日は横井小楠の命日、明日から3月議会が始まるので、明日の墓前祭に参加できないので、今日参拝に行って来ました。
「世界の世話やきにならねばならぬ」(横井小楠)〜鎖国攘夷から開国通商〜
宮部鼎蔵没後150年記念行事に、よろしければご参加ください。パネリストで出ます。
同じカテゴリー(偉人)の記事
 人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜 (2025-05-15 22:54)
 文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜 (2025-03-07 06:03)
 久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。 (2024-12-26 13:33)
 <今朝の名言>さまざまな社会の出来事を非難する人がいます。政府にも、行政にも、さらに職場でも・・・ (2024-05-13 05:51)
 江戸時代、土佐弁は、江戸者が語ることばと区別かつかなかった。〜司馬遼太郎〜 (2024-02-23 22:05)
 八代亜紀さんがお亡くなりになりました。安らかにお休みください。ご冥福をお祈りいたします。 (2024-01-10 09:33)

Posted by ノグチ(noguchi) at 18:40│Comments(0)偉人
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。