月見茶会、「菜根譚」 から教示、今日から2泊3日視察旅行

2011年10月11日

月見茶会、「菜根譚」 から教示、今日から2泊3日視察旅行

 おはようございます。昨日の月見茶会は、世知辛い世の中を、少しの時間忘れさせてくれるひと時でした。
 
 中国古典の「菜根譚」 に、次のような教示がある。(以下現代誤訳) 人情や世相は、あっという間に変わってしまうので、どこに真実があるのか見きわめがたい。宋代の学者も、こう語っている。「昔の我は今日の彼、今日の我はこの先誰になることやら」 と。 いうもこういう見方をいていれば、もやもやした心も、からりと晴れるにちがいない。

(解説)
  一つの立場、一つの価値観に固執するな、今現在の自分を絶対視するな、より大きな立場に立って物事を視よ、というのであろう。 特定の立場に固執すれば、それにとらわれて、心の自由を失ってしまう。(以上転載)

 高齢者の孤独、人は老いととう向き合うか、それぞれに課せられた課題でもあります。身近に、高齢者を抱える家族は、日々が戦いに近い日常があります。自分の思いと裏腹に、自由が効かなくなる身体、思考も鈍くなり、世の中の変化にも関心がうすれる。以前の映画に、恍惚の人、なるものがあった。超高齢化社会の日本、多くがこの問題に向き合うことになる。
 人生、後半生をどう生きるか、私自身も考えなければならない問題です。

「菜根譚」 から、教示を2つ、

・牛と呼ばれ馬と呼ばれても
 酸いも甘いも知りつくしてしまえば、人の心がどう変わろうと、気にならぬ。眼を見開いて確かめるのさえおっくうだ。
 人の心がわかってしまえば、牛と呼ばれようが馬と呼ばれようが、腹も立たぬ。ただ、ハイ、ハイとうなずくばかりだ。

・内面が充実していれば
 精神が充実しているときは、粗末な布団にくるまっていても、天地の生気を吸収することができる。
 心が充足しているときは、質素な食事をとっていても、人生の淡白な味わいを楽しむことができる。

 くよくよせず、日々悠々自適に、暮らしたいものですね。今日が、皆さんにとって良き一日でありますように、願っています。
 今日は、朝から所用を済ませて、東北へ視察旅行です。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:55Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他