<人に引きずられるとは?>人を信じすぎると、手足をもぎ取られる。〜韓非子〜
2021年09月18日
<人に引きずられるとは?>人を信じすぎると、手足をもぎ取られる。〜韓非子〜
人を信じる。
人を頼る。
人に依存する。
人の言いなりになる。
人から抜け出せなくなる。
・・・人依存症に陥る。
私は、建築事務所独立前は、先輩方の事務所で、夜な夜な(本業の後、夜にアルバイト)学んでいた。ちゃんと、本業はこなしていた。
独立後は、どこの建築事務所、建築会社の下請けをしない、を通してきた。32年が過ぎた。言い方は悪いが、修行した建築事務所意外に、頭を下げることはない。
私は、地方議会の政治家の端くれですが、私に「市議に出てくれ」の先輩意外頭を下げるのは、地域の有権者だけ、利害関係者に、頭を下げること(使われる)はない。
政治の中立性、ここを有権者は、見抜いてほしいな、と思います。
それは、国政であれ、県政であれ、市政であれ、町政であれ、"中立性"を保てない政治家は、"危うい"と思う。
韓非子の訓示に、
「人生の患(うれい)は、人を信ずるに在り。人を信ずれば、人に制せらる」
があります。人(先輩・経験者)を鵜呑みにしていませんか?、時代は常に変わっています。昔のやり方では勝てないことを知らなければならない。
人に制せられない人生を過ごしたいものです。
人を信じる。
人を頼る。
人に依存する。
人の言いなりになる。
人から抜け出せなくなる。
・・・人依存症に陥る。
私は、建築事務所独立前は、先輩方の事務所で、夜な夜な(本業の後、夜にアルバイト)学んでいた。ちゃんと、本業はこなしていた。
独立後は、どこの建築事務所、建築会社の下請けをしない、を通してきた。32年が過ぎた。言い方は悪いが、修行した建築事務所意外に、頭を下げることはない。
私は、地方議会の政治家の端くれですが、私に「市議に出てくれ」の先輩意外頭を下げるのは、地域の有権者だけ、利害関係者に、頭を下げること(使われる)はない。
政治の中立性、ここを有権者は、見抜いてほしいな、と思います。
それは、国政であれ、県政であれ、市政であれ、町政であれ、"中立性"を保てない政治家は、"危うい"と思う。
韓非子の訓示に、
「人生の患(うれい)は、人を信ずるに在り。人を信ずれば、人に制せらる」
があります。人(先輩・経験者)を鵜呑みにしていませんか?、時代は常に変わっています。昔のやり方では勝てないことを知らなければならない。
人に制せられない人生を過ごしたいものです。
<画策は短期決戦>地域の出来事から学ぶ。「相手の「善意」に期待をかけるな!」(韓非子)
2021年09月18日
<画策は短期決戦>地域の出来事から学ぶ。「相手の「善意」に期待をかけるな!」(韓非子)
地域の出来事を考えていて中国古典の『韓非子』思い出し、久しぶりにの解説書『韓非子を見よ!』を読み始めた。
パラパラと開くと、?、このエピソードはすごい!
で紹介されていた、ある夫婦のエピソードは、
(以下、本より)
衛の国の夫婦が神様にお祈りをした。妻が祈るのには、
「どうか神様、わたしに百束の布をお恵みください」
「ばかに少ないな」夫が聞くと、妻は、こう答えた。
「これより多いと、あなたが妾を持つようになるからですわ」
同じ家に住む夫婦でさえ、それぞれの立場によってこれだけ利益が違うのである。
(以上、『韓非子を見よ!』より)
人それぞれ求める利益は、違っている事を、夫婦の神頼みのエピソードが表している。『韓非子』は、人は悪意(我欲)を持って生きていると説いているそうだ。
これを逆手に取った韓非子の教えが、以下です。
「相手が背かないことに期待をかけるのではなく、背こうにも背けないような態勢をつくりあげる。相手がペテンを使わないことに期待をかけるのではなく、使おうにも使えないような態勢をつくりあげる。これが名君というものだ」
(以上、本より)
ここ最近の地域の出来事から考えるに、
短期決戦の場合は、策略は効果を生むが、少し時間が経つと、画策者の本意が、だんだん言動から周りに伝わり、さらに時間が経つと、どんな利益を求めているのかも知れ渡るもの。
策略は、誰がやったか分からないような短期間で決着に持ち込まないと、ボロが出て、失敗に終わるどころか、信用まで落としてしまう。
策略は、短期の収束予定が、じわじわと手続きに時間がかかったり、社会情勢(コロナ禍)で、人を集める場を逸したりすると、ボロが出てしまう。
私の地域であった出来事を、この韓非子の視点で分析すると、「時間を要したことで、周りが理解し態勢(周知)が整った、大義ある号令(策略)が、萎んで我欲になり下がった」と判明し、会議に集まった役職は、とても冷静に対応して、権力者の画策は失敗した。
策略は、誰が首謀者分からないよう徹底し、実行は短期決戦でなければならない。また慌てる(言い訳、威圧)と、さらに時間を要することになり、ボロが傍からこぼれ落ちる。
我欲の結末は、みんな同じような結末になってしまう。人間の能力の限界は、そんなものなのかもしれません。
地域の出来事を考えていて中国古典の『韓非子』思い出し、久しぶりにの解説書『韓非子を見よ!』を読み始めた。
パラパラと開くと、?、このエピソードはすごい!
で紹介されていた、ある夫婦のエピソードは、
(以下、本より)
衛の国の夫婦が神様にお祈りをした。妻が祈るのには、
「どうか神様、わたしに百束の布をお恵みください」
「ばかに少ないな」夫が聞くと、妻は、こう答えた。
「これより多いと、あなたが妾を持つようになるからですわ」
同じ家に住む夫婦でさえ、それぞれの立場によってこれだけ利益が違うのである。
(以上、『韓非子を見よ!』より)
人それぞれ求める利益は、違っている事を、夫婦の神頼みのエピソードが表している。『韓非子』は、人は悪意(我欲)を持って生きていると説いているそうだ。
これを逆手に取った韓非子の教えが、以下です。
「相手が背かないことに期待をかけるのではなく、背こうにも背けないような態勢をつくりあげる。相手がペテンを使わないことに期待をかけるのではなく、使おうにも使えないような態勢をつくりあげる。これが名君というものだ」
(以上、本より)
ここ最近の地域の出来事から考えるに、
短期決戦の場合は、策略は効果を生むが、少し時間が経つと、画策者の本意が、だんだん言動から周りに伝わり、さらに時間が経つと、どんな利益を求めているのかも知れ渡るもの。
策略は、誰がやったか分からないような短期間で決着に持ち込まないと、ボロが出て、失敗に終わるどころか、信用まで落としてしまう。
策略は、短期の収束予定が、じわじわと手続きに時間がかかったり、社会情勢(コロナ禍)で、人を集める場を逸したりすると、ボロが出てしまう。
私の地域であった出来事を、この韓非子の視点で分析すると、「時間を要したことで、周りが理解し態勢(周知)が整った、大義ある号令(策略)が、萎んで我欲になり下がった」と判明し、会議に集まった役職は、とても冷静に対応して、権力者の画策は失敗した。
策略は、誰が首謀者分からないよう徹底し、実行は短期決戦でなければならない。また慌てる(言い訳、威圧)と、さらに時間を要することになり、ボロが傍からこぼれ落ちる。
我欲の結末は、みんな同じような結末になってしまう。人間の能力の限界は、そんなものなのかもしれません。
我欲で一歩先んじたって、その先にいいことなどない。〜禅語「利行」から〜
2021年09月18日
我欲で一歩先んじたって、その先にいいことなどない。〜禅語「利行」から〜
朝読書で「利行」なる言葉を知った。
道元禅師の言葉「利行(りぎょう)」とは、"誰かのためになるような行いをする"です。
「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」
【意味】
誰かのためになることと、自分のためになることは、ひとつのことである。
(以上、『禅、比べない生活』より)
我の利だけを追い求めると、周りに軋みが起こる。
地域の思いが一つになり、動き出した大事業に、我欲の事をねじ込もうとすると、反発が起こる。
反発を抑えるべく、権力を振りかざし進めようとすると、さらに反発は大きくなっていく。
〜地域の出来事から〜
革命が起こる原因は、権力意識の低さ(俺が言えば通る)にあるように思います。
権力者が「お先にどうぞ」の意志を見せれば、民衆は意外に受け入れることもある。しかし、我欲が全面に出ると反発が起こる。民衆意識とは不思議ですが、でも至極当たり前のことでもある。
これに対して、
周囲が自然にもり立てたくなるのは、「お先にどうぞ」といえる人です。
我欲で一歩先んじたって、その先にいいことなどない。
我欲を捨て「お先にどうぞ」の姿勢でいたら迷うことなし。
朝読書で「利行」なる言葉を知った。
道元禅師の言葉「利行(りぎょう)」とは、"誰かのためになるような行いをする"です。
「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」
【意味】
誰かのためになることと、自分のためになることは、ひとつのことである。
(以上、『禅、比べない生活』より)
我の利だけを追い求めると、周りに軋みが起こる。
地域の思いが一つになり、動き出した大事業に、我欲の事をねじ込もうとすると、反発が起こる。
反発を抑えるべく、権力を振りかざし進めようとすると、さらに反発は大きくなっていく。
〜地域の出来事から〜
革命が起こる原因は、権力意識の低さ(俺が言えば通る)にあるように思います。
権力者が「お先にどうぞ」の意志を見せれば、民衆は意外に受け入れることもある。しかし、我欲が全面に出ると反発が起こる。民衆意識とは不思議ですが、でも至極当たり前のことでもある。
これに対して、
周囲が自然にもり立てたくなるのは、「お先にどうぞ」といえる人です。
我欲で一歩先んじたって、その先にいいことなどない。
我欲を捨て「お先にどうぞ」の姿勢でいたら迷うことなし。