自分がその仕事に懸命に打ち込めたというなら、おおいに自分を評価してよい。〜不思善 不思悪〜

2021年09月21日

自分がその仕事に懸命に打ち込めたというなら、おおいに自分を評価してよい。〜不思善 不思悪〜

周りの評価をとても気にする人がいます。

立場上、私もその一人かもしれない。

今朝の読書『禅、比べない生活』』にあった"評価"についての一文は、

(以下、本より)

 どれくらいの人間か、どの程度の能力か、というときには、誰かと比べて上か下か、という「ものさし」が必ず持ち込まれています。つまり、評価はいつも「相対的なもの」なのです。

 評価というのは、所詮、他人が勝手にする「レッテル貼り」です。

「不思善 不思悪(ふしぜん ふしあく)」という禅語もあります。「善とも思わず、悪とも思わず」に、世の中の評価や分別を超えて、「自分自身」の中にそれを求めなさい、ということです。
(以下、本より抜粋)

「今週は、よくやったな!」
「今週は、予定通りには進まなかった」

これは、自分しかわからない、自らの評価です。周りからの評価とは別に、自らの評価(満足)を測る時間が必要と思います。

善悪は、時代によって見方が変わることも起こります。

このページの最後評価に、

「たとえ、まわりからの評価としては成果が上がっていなくても、自分がその仕事に懸命に打ち込めたということなら、おおいに自分を評価してよし、なのです」

人は、人と関わりながら生きています。周りを気にしないて生きるとは、難しいけれども、毎日、自らの心と向き合うことを大切して行けば、自ずと周りへも思いは伝わるもの。

まず、自らを評価(ほめる)することが大事と思います。

さて、今週はどんなことが起こるか、楽しみでもあり、不安でもあります。