<田中正造を敬慕した銀行員マンの生き方>現実にはさまざま人と心があるのである。

2021年09月03日

<田中正造を敬慕した銀行員マンの生き方>現実にはさまざま人と心があるのである。

昨日、高齢者の事故への大きな判決が出た。

暴走の原因は、高級料理店の時間に間に合わないために、一般道を高速並みに走ったこと、と記憶しているが、本人しかその本意はわからない。

しかし、9人を死傷させる大事故を起こして、反省すらなく、最後まで、自動車の不具合を主張していた。

有能な元官僚かもしれないが、金があるばかりに・・・

一般の高齢者は、高級料理店にも行けず、ハイブリッド車にも乗っていない。電車、バスを使い、買い物に行く程度。

今朝の曽野綾子著『中年以後』の「価値観の交差点」に、以下の文があった。

(以下、本より)

 若い時には、お金が何より大切である。就職、結婚、子育て、教育、家造り、すべてにお金がかかる。お金はいくらあっても、余ることはない。しかし中年以後の或る時から、お金はいくら持っていても、ほとんど人生の根本的な解決にならないことを知るのである。
(以上、『中年以後』より)

金があるから高級車が買える。金があるから高級料理店となるのだろうが、まっ、見方を変えると元気な証拠でもある。

しかし、自ら起こした事故への責任に、大人として向き合わないのはどうだろうか。

いつまでたっても、若い時期のままでは、人間としての成長がない。

曽野綾子さんは、「世には、執着したお金にさえ、大して意味を認められなくなる人が出る。・・、現実にはさまざま人と心があるのである」と書いていました。

<ある著書に登場した、元銀行員マンの人生>

その方は、退職後は恩給と年金で質素な暮らしをしていたが、住居を整理して、苦学生の学費に5400万円の基金を奥さんの母校の津田塾大に寄付した。栃木県の実家も学生のセミナー合宿用に寄付した。奥さんが亡くなった後は、老人ホームでつつまし生活をして、楽しみは本を買うこと。ただ一度だけホーム長さんの車で実家に近い田中正造の記念館に行ったことがある。田中正造は、その銀行員マンが、生涯、尊敬していた人だったという。
(参考資料:『豊かの条件』(岩波新書)より)

>現実にはさまざま人と心があるのである

高齢者の生き方、やはり子どもの時から、何を目指し生きてきたか、最後に本性が出るのかもしれません。

果たして、私の生き方はどうか?

後々の人が、検証するのでしょうね。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:29Comments(0)哲学、人生健康生きがい