死ぬ気になると、周り(敵対する相手)の景色が見えてくる。〜近藤勇〜
2021年04月16日
死ぬ気になると、周り(敵対する相手)の景色が見えてくる。〜近藤勇〜
日々毎日を懸命に生きることは、誰しも同じですが、幕末維新の混乱の中で、志士たちの想いはどうだったのだろうか?
これは小説の世界ですが、小説『燃えよ剣』に、近藤勇の言葉として書かれている一文があります。
(以下、本より)
生きようという念が一分でもあっては、どうにもなりませんな。
不思議なもので、死ぬきになると、周りの景色、つまり敵の群れのことですが、その虚が見えてきます。その虚へ突っ込むのです。なんのかんの言っても、その一言ですな。
(以上、『燃えよ剣』より)
必死!
という言葉をよく人は使いますが、
ほんとうに"必死"になっているのだろうか?
近藤勇の言うように、一分に生きようとする気持ちが有れば、生ぬるくなる。
13年前、横井小楠顕彰活動をやろうと熊本の先輩方と取り組んだ時、実行委員長をお願いに出向いた時、その重鎮が、
「野口さん、君はいくつになった?」と聞かれた。私は、
「50歳になりました」
と答えると、その方は、
「50歳になったら、もう命は惜しく無かろう。必死にやるなら付き合おう」
と言われ、1年3ヶ月に及ぶ横井小楠顕彰活動がスタートした。大変な事業でしたが、これから横井小楠の情報発信が始まりました。
滑動の影響を受け、2年目の正月、熊日新聞が7ページを使い、横井小楠の功績について特集しました。
要は、なりふり構わず行動し続けられるか、そんな姿を周りが見ていることを、幕末期に活躍した近藤勇も、現代のリーダーたちも知っていたのかもしれません。
日々毎日を懸命に生きることは、誰しも同じですが、幕末維新の混乱の中で、志士たちの想いはどうだったのだろうか?
これは小説の世界ですが、小説『燃えよ剣』に、近藤勇の言葉として書かれている一文があります。
(以下、本より)
生きようという念が一分でもあっては、どうにもなりませんな。
不思議なもので、死ぬきになると、周りの景色、つまり敵の群れのことですが、その虚が見えてきます。その虚へ突っ込むのです。なんのかんの言っても、その一言ですな。
(以上、『燃えよ剣』より)
必死!
という言葉をよく人は使いますが、
ほんとうに"必死"になっているのだろうか?
近藤勇の言うように、一分に生きようとする気持ちが有れば、生ぬるくなる。
13年前、横井小楠顕彰活動をやろうと熊本の先輩方と取り組んだ時、実行委員長をお願いに出向いた時、その重鎮が、
「野口さん、君はいくつになった?」と聞かれた。私は、
「50歳になりました」
と答えると、その方は、
「50歳になったら、もう命は惜しく無かろう。必死にやるなら付き合おう」
と言われ、1年3ヶ月に及ぶ横井小楠顕彰活動がスタートした。大変な事業でしたが、これから横井小楠の情報発信が始まりました。
滑動の影響を受け、2年目の正月、熊日新聞が7ページを使い、横井小楠の功績について特集しました。
要は、なりふり構わず行動し続けられるか、そんな姿を周りが見ていることを、幕末期に活躍した近藤勇も、現代のリーダーたちも知っていたのかもしれません。
★『世界で最も貧しい大統領=ウルグアイ元大統領 ホセ・ムヒカ』の言葉
人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜
<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜
文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。
<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜
人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜
<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜
文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。
<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 10:36│Comments(0)
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