<人生は出会い(無形資産)の多様さ>キャリアとはなんだろう?〜私の人脈(無形資産)づくりの記録〜
2021年04月21日
<人生は出会い(無形資産)の多様さ>キャリアとはなんだろう?〜私の人脈(無形資産)づくりの記録〜
(長文です、お時間ある時にお読みください。)
私の始まりは建築士としての仕事でした。
・学生時代から人を楽しませることをやっていました。
またほかに学生時代からやっていた「クラス会」のお世話がありました。約10年続けました。
建築の専門学校時代に、学生も学校職員も巻き込んだ「七夕飾り」の活動があります。これは、卒業後も後輩に引き続がれました。
・多様な建築は夜のアルバイトで。
24歳で建築設計の仕事を始めるのですが、熊本市の建築士事務所は、大型の建築物の設計が、あまりないので、昼の仕事を終えて、夜に先輩の事務所を回り、図面の手伝い(実費有り)をして回るようになり、そこで一つの構造設計事務所と出会います。この事務所とは、25才から私の独立の直前31才まで図面作成のアルバイトが続きました。
日常の設計業務は、木造建築が主でしたから、夜のアルバイトで、学校建築、ビル、病院と多様な施設の設計に関わりました。当時は、バブル経済へ向かう時期で、関東の仕事(構造設計やトレース等)も来るよう仕事状況で、ほんと勤務している事務所だけでは得られない、技術と人脈を得ることができました。
・異業種交流は、初めは同業の飲み会から。
独立して5年ほど経ったころ、3人の建築士と時折り飲み会を事務所でするようになりました。それが後の異業種交流会を発展するのですが、"他と交わる"の始まりだったなあ、と振り返ります。
・横井小楠と高宗昭敏教授との出会い
独立してバブル経済が崩壊して、忘れた10年が始まりました。この先行き暗い状況を変えるために、私は市民活動に参加するようになります。その最初の出会いが、私の人生を変えることはつながるのですが、それが「熊本横井小楠塾」を主宰された故高宗昭敏教授(経済学・政治学)でした。
「横井小楠と松前重義の理念を学ぶ」毎月1回開催に参加します。その年の年末に参加した忘年会で、いろいろ出会いが有り、横井小楠塾の事務局長になります。以来、約3年間、高宗先生が精力的に活動される裏方を支えました。その時の、熊本県内の活動家との出会いは、今の私の活動につながりました。
・他の市民活動をつなぐ「四季の会」
他にも、九州平成義塾、男女共同参画社会づくり、スペシャルオリンピックス、さらに、横井小楠がご縁で、竜馬会を立ち上げることになりました。
そんな中で、40才を前にした年末に30人の忘年会、翌年4月に、44人の居酒屋交流会、7月に建築の新しい工事スタイルを発表する会を兼ねた異業種交流会を55人参加で開催しました。以来22年66回異業種交流会「四季の会」を開催(昨年はコロナ禍で中止)してきました。
・宇土市の街づくりから大学非常勤講師に。
その縁で、宇土市の市街地や施設のバリアフリー化の取り組み「車椅子街角探検隊inうと」の活動を起こすことにつながりました。その時の熊本大学の担当との出会いから、熊本大学の非常勤講師をすることになりました。
・金はないけど、人の縁(無形資産)を広げる工夫が自らを救う。
私の資産は家と土地だけで裕福ではないですが、建築士の仲間づくりから始まる、さまざまな活動での出会いから、多様な人脈(無形資産)を形成してきました。
これまで、建築事務所の経営は厳しい状況に陥りましたが、それを救ってくれたのは出会い(他分野の人脈)でした。それこそ、市議会議員になったのも出会いからです。
(告知)
私は、40代の駆け回っていた時期のことをまとめた本『中間づくり まちづくり』(花書院)を先輩にそそのかさ11年前に出しています。この本は、私の人脈(無形資産)づくりの実践活動の記録です。興味あったら、国立国会図書館か、熊本県立図書館、宇土市図書館にあります。まだ、出版社にも少し残っているので、注文されると届くと思います。
〜最後までご笑覧いただきありがとうございました。〜

(長文です、お時間ある時にお読みください。)
私の始まりは建築士としての仕事でした。
・学生時代から人を楽しませることをやっていました。
またほかに学生時代からやっていた「クラス会」のお世話がありました。約10年続けました。
建築の専門学校時代に、学生も学校職員も巻き込んだ「七夕飾り」の活動があります。これは、卒業後も後輩に引き続がれました。
・多様な建築は夜のアルバイトで。
24歳で建築設計の仕事を始めるのですが、熊本市の建築士事務所は、大型の建築物の設計が、あまりないので、昼の仕事を終えて、夜に先輩の事務所を回り、図面の手伝い(実費有り)をして回るようになり、そこで一つの構造設計事務所と出会います。この事務所とは、25才から私の独立の直前31才まで図面作成のアルバイトが続きました。
日常の設計業務は、木造建築が主でしたから、夜のアルバイトで、学校建築、ビル、病院と多様な施設の設計に関わりました。当時は、バブル経済へ向かう時期で、関東の仕事(構造設計やトレース等)も来るよう仕事状況で、ほんと勤務している事務所だけでは得られない、技術と人脈を得ることができました。
・異業種交流は、初めは同業の飲み会から。
独立して5年ほど経ったころ、3人の建築士と時折り飲み会を事務所でするようになりました。それが後の異業種交流会を発展するのですが、"他と交わる"の始まりだったなあ、と振り返ります。
・横井小楠と高宗昭敏教授との出会い
独立してバブル経済が崩壊して、忘れた10年が始まりました。この先行き暗い状況を変えるために、私は市民活動に参加するようになります。その最初の出会いが、私の人生を変えることはつながるのですが、それが「熊本横井小楠塾」を主宰された故高宗昭敏教授(経済学・政治学)でした。
「横井小楠と松前重義の理念を学ぶ」毎月1回開催に参加します。その年の年末に参加した忘年会で、いろいろ出会いが有り、横井小楠塾の事務局長になります。以来、約3年間、高宗先生が精力的に活動される裏方を支えました。その時の、熊本県内の活動家との出会いは、今の私の活動につながりました。
・他の市民活動をつなぐ「四季の会」
他にも、九州平成義塾、男女共同参画社会づくり、スペシャルオリンピックス、さらに、横井小楠がご縁で、竜馬会を立ち上げることになりました。
そんな中で、40才を前にした年末に30人の忘年会、翌年4月に、44人の居酒屋交流会、7月に建築の新しい工事スタイルを発表する会を兼ねた異業種交流会を55人参加で開催しました。以来22年66回異業種交流会「四季の会」を開催(昨年はコロナ禍で中止)してきました。
・宇土市の街づくりから大学非常勤講師に。
その縁で、宇土市の市街地や施設のバリアフリー化の取り組み「車椅子街角探検隊inうと」の活動を起こすことにつながりました。その時の熊本大学の担当との出会いから、熊本大学の非常勤講師をすることになりました。
・金はないけど、人の縁(無形資産)を広げる工夫が自らを救う。
私の資産は家と土地だけで裕福ではないですが、建築士の仲間づくりから始まる、さまざまな活動での出会いから、多様な人脈(無形資産)を形成してきました。
これまで、建築事務所の経営は厳しい状況に陥りましたが、それを救ってくれたのは出会い(他分野の人脈)でした。それこそ、市議会議員になったのも出会いからです。
(告知)
私は、40代の駆け回っていた時期のことをまとめた本『中間づくり まちづくり』(花書院)を先輩にそそのかさ11年前に出しています。この本は、私の人脈(無形資産)づくりの実践活動の記録です。興味あったら、国立国会図書館か、熊本県立図書館、宇土市図書館にあります。まだ、出版社にも少し残っているので、注文されると届くと思います。
〜最後までご笑覧いただきありがとうございました。〜

人を招く、人に招かれる。出会いの演出はなかなか難しいですが、人間を育てる場でもある。〜異業種交流会「四季の会』〜
環境と経済の両立を目指す「2005.フューチャー500国際シンポジウムin北京」に参加
<異業種交流会「秋の会」>「世界平和へ旅しよう。女性の視点で世界を見聞し伝えるセミナー
<世界平和へ旅をしよう>異業種交流会「四季の会」・秋の会(望年会)のご案内です。
あと23日となりました。手づくり作家作品展示交流会「第4回オリジナルinうと」の開催が近づきました。
<老後の学び>講演会やセミナーでの質問タイムに、持論を語る高齢者に呆れる。若者たちの学ぶ機会を奪うのはやめたが良い。
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