多読より「少数精読」の奨め(程伊川)
2007年10月16日
多読より「少数精読」の奨め(程伊川)
私なりに時間を見つけては、本を開くのですが、最近の傾向は新書を乱読するのでなく、古典や心に残った本を何度も読み返すようになっています。
年齢を重ねて来ると、先人たちの知恵(言葉)を欲するようになり、新聞記事の故事にハッとして、その原本を探したり、人に聞いたりして、言葉が生まれた背景等も興味対象になっています。
ここ半年は、三国志の書かれた時代に興味があり、作家の守屋洋氏の文庫本を中心に、三国志に関連本をリサイクルブック店での古書探しが、時間が空いた時の用になりつつあります。
守屋洋氏の「中国古典 一日一言」の中に、次に一説がありました。
「書は多くを看るを必せず、その約を知らんことを要す」
意味は、必ずしも多く読む必要なない、ポイントをつかむことが肝心だと言うこと。
この言葉を語ったのは、宋代の大学者の程伊川と言う人で、朱子の先生にあたる人で、あるとき門人から学問の方法を問われたとき、「すべからくこれ書を読むべし。」
そしてさらに、「多くを看てその約を知らざるは書肆(しょし)のみ」と一句をつけた。意味は、本屋のおやじと同じ。
伊川先生の「少数精読」主義は、今でも一定の効果を持っていると思います。例えば、一冊の古典を読めば先哲の教えや知恵が、現代に読みがえってハッとしたり、なるほどと思うことが沢山あります。
多忙な現代、心に残る「自分の本」を時間を見つけ、読み返すことも心を取り戻す方法の一つのように思います。読書の秋、思いの一冊を読み込んでみるのも良いとおもいます。
*参考資料:守屋洋著「中国古典 一日一言」
私なりに時間を見つけては、本を開くのですが、最近の傾向は新書を乱読するのでなく、古典や心に残った本を何度も読み返すようになっています。
年齢を重ねて来ると、先人たちの知恵(言葉)を欲するようになり、新聞記事の故事にハッとして、その原本を探したり、人に聞いたりして、言葉が生まれた背景等も興味対象になっています。
ここ半年は、三国志の書かれた時代に興味があり、作家の守屋洋氏の文庫本を中心に、三国志に関連本をリサイクルブック店での古書探しが、時間が空いた時の用になりつつあります。
守屋洋氏の「中国古典 一日一言」の中に、次に一説がありました。
「書は多くを看るを必せず、その約を知らんことを要す」
意味は、必ずしも多く読む必要なない、ポイントをつかむことが肝心だと言うこと。
この言葉を語ったのは、宋代の大学者の程伊川と言う人で、朱子の先生にあたる人で、あるとき門人から学問の方法を問われたとき、「すべからくこれ書を読むべし。」
そしてさらに、「多くを看てその約を知らざるは書肆(しょし)のみ」と一句をつけた。意味は、本屋のおやじと同じ。
伊川先生の「少数精読」主義は、今でも一定の効果を持っていると思います。例えば、一冊の古典を読めば先哲の教えや知恵が、現代に読みがえってハッとしたり、なるほどと思うことが沢山あります。
多忙な現代、心に残る「自分の本」を時間を見つけ、読み返すことも心を取り戻す方法の一つのように思います。読書の秋、思いの一冊を読み込んでみるのも良いとおもいます。
*参考資料:守屋洋著「中国古典 一日一言」
社会活動修行17年、色々な出会いが人生の肥料に
2007年10月16日
社会活動修行17年、色々な出会いが人生の肥料に
地元新聞の数行の催し物の案内「横井小楠先哲と松前重義総長の理念を学ぶ」を読み、ためらいもなく、まったく知らない大教授の私塾の門を叩いたことで、今の私があります。
17年前、毎月熊本の大きなお寺の本堂での講話は、「今まで聞いたことのない話・・・」ばかりでした。特に、勝海舟の遺作「氷川清話」で読んだとき、
「世の中に怖い人が居る、一人は西郷隆盛、もう一人が横井小楠」
と言わしめた、熊本の幕末の思想家です。明治2年凶刃(暗殺)に遭い、維新の政策実現半ばで、亡くなるのですが、その思想は面々と志士たちの心に以心伝心と広がり、明治の隆盛を作ったと思っています。
小楠先哲の「大儀を四海に布かんのみ」の言葉を今読み返し考えると、大儀=世界平和ではと考えています。紛争が明治以来絶えない、アジア・アフリカ・中近東は、先進国の利権争奪戦に翻弄されれ、後進国の市民が災いに巻き込まれいます。
そのことを勉強したくて入った「くまもと地球市民塾」から、17年師の横で催し物や出会いの場で、先輩の言動を学びながら今あるのですが、当時は自分自身と相談する機会でもありました。「自分がどう生きるか」常に考えて来たように思います。
建築士としての仕事(収入も含め)、地域社会との関わり(ボランティア等)、環境問題への関心と、」興味の赴くままないやって来ました。知人からも「野口は、はたして、私は大丈夫か?」と言われつつも、先人や師の行動を見て、「仕事は何のためにするのか?・・・」と日々問い続けて来たように思います。
そして人生の転換点の重要なポイントに、先輩方との出会いと言葉がありました。
22歳、27歳、32歳、37歳、42歳、47歳・・・と5年ごとに色々決断がありました。その中でも、22歳の建築専門学校の進学、32歳の独立、42歳の時の妻の大学進学+私の男女共同参画の関東研修が、3大転換点と思います。この3回の決断は、人の誘いであり、機会(チャンス)だったと思います。
ここ10年、独自に異業種交流会を主催を1,000名を越える方と出会い、語って来ました。全て、自分では良かったと思うのですが、世間の賛否を気にせず、勉強(肥し)になって来ていると思います。社会勉強の始まりは、数行の新聞案内からですが、家族の変化も含め、色々経験して来ました。でも、全て経験になったと思っています。これは、本で学ぶものでなく、経験として理解するものと思います。
人生に無駄は無い「全て経験」と先達が訓示していますが、実学の世界は、成功・失敗等を経験し、考え、悩み、時には驕りを抑制させる僻み、中傷等も受け、更にそこで悩み・反省して育つ「心」こそが、自信になると最近思うようになりました。
私のジーさんは口癖のように、「世の中のためにならないいけいない」と言いつつ、酒を飲んでいたのを思い出します。やはり言葉は、心に残るもので意識の中に常にあります。そこで少しでも、できることを無理をせずに地域活動も含め協働でできたら良いなと思っています。
色々ご意見を頂けるとありがたいです。
地元新聞の数行の催し物の案内「横井小楠先哲と松前重義総長の理念を学ぶ」を読み、ためらいもなく、まったく知らない大教授の私塾の門を叩いたことで、今の私があります。
17年前、毎月熊本の大きなお寺の本堂での講話は、「今まで聞いたことのない話・・・」ばかりでした。特に、勝海舟の遺作「氷川清話」で読んだとき、
「世の中に怖い人が居る、一人は西郷隆盛、もう一人が横井小楠」
と言わしめた、熊本の幕末の思想家です。明治2年凶刃(暗殺)に遭い、維新の政策実現半ばで、亡くなるのですが、その思想は面々と志士たちの心に以心伝心と広がり、明治の隆盛を作ったと思っています。
小楠先哲の「大儀を四海に布かんのみ」の言葉を今読み返し考えると、大儀=世界平和ではと考えています。紛争が明治以来絶えない、アジア・アフリカ・中近東は、先進国の利権争奪戦に翻弄されれ、後進国の市民が災いに巻き込まれいます。
そのことを勉強したくて入った「くまもと地球市民塾」から、17年師の横で催し物や出会いの場で、先輩の言動を学びながら今あるのですが、当時は自分自身と相談する機会でもありました。「自分がどう生きるか」常に考えて来たように思います。
建築士としての仕事(収入も含め)、地域社会との関わり(ボランティア等)、環境問題への関心と、」興味の赴くままないやって来ました。知人からも「野口は、はたして、私は大丈夫か?」と言われつつも、先人や師の行動を見て、「仕事は何のためにするのか?・・・」と日々問い続けて来たように思います。
そして人生の転換点の重要なポイントに、先輩方との出会いと言葉がありました。
22歳、27歳、32歳、37歳、42歳、47歳・・・と5年ごとに色々決断がありました。その中でも、22歳の建築専門学校の進学、32歳の独立、42歳の時の妻の大学進学+私の男女共同参画の関東研修が、3大転換点と思います。この3回の決断は、人の誘いであり、機会(チャンス)だったと思います。
ここ10年、独自に異業種交流会を主催を1,000名を越える方と出会い、語って来ました。全て、自分では良かったと思うのですが、世間の賛否を気にせず、勉強(肥し)になって来ていると思います。社会勉強の始まりは、数行の新聞案内からですが、家族の変化も含め、色々経験して来ました。でも、全て経験になったと思っています。これは、本で学ぶものでなく、経験として理解するものと思います。
人生に無駄は無い「全て経験」と先達が訓示していますが、実学の世界は、成功・失敗等を経験し、考え、悩み、時には驕りを抑制させる僻み、中傷等も受け、更にそこで悩み・反省して育つ「心」こそが、自信になると最近思うようになりました。
私のジーさんは口癖のように、「世の中のためにならないいけいない」と言いつつ、酒を飲んでいたのを思い出します。やはり言葉は、心に残るもので意識の中に常にあります。そこで少しでも、できることを無理をせずに地域活動も含め協働でできたら良いなと思っています。
色々ご意見を頂けるとありがたいです。
「既得権益 固定観念 貧弱な将来展望 と 自然経済学」
2007年10月16日
「既得権益 固定観念 貧弱な将来展望 と 自然経済学」
(NPOフューチャー500)木内孝語録より
〇 私達は危機に曝されている
● 数々の戦争は平和も安全も齎さなかった
● 発達した農業は世界の食糧事情を解決しなかった
● 高度な技術は私達に時間的余裕も暇も産まなかった
● 経済学は世界の貧富の格差を解決しなかった
● 富裕層の富は貧困層の生活と無関係の侭だった
● 資源は減り続け 私達を取り巻く情況は危機的と言っても言い過ぎではない
〇 解決策はあるか
● 考えに考え抜いた多くの人達は答を持っている
● 現状は「恐怖」が底辺にある
● 考えに考え抜いた人達の答は「愛」が出発点だ
● 私達は原因の根本を理解せずに 現象のみを見ている
● 「恐怖」は 不足 貪欲 支配 差別 憎悪 暴力 原理主義 分割を産む
● 「愛」は 関係 同情 親切 保護 共有 包括の基だ
〇 自然経済学を提案する
● 自然は枠組み・・・・・自然は人間の活動を支える生命維持システム
● 自然は規範・・・・・・・ 人間は自然の天敵 自然の過程と自然の言葉を学ぶ
● 自然は物差し・・・・・・自然に善いか 悪いかが我々の判断基準
● 自然への畏敬・・・・・自然は無言だが 私達の質問には応えて呉れる
● 自然に対する態度・・自然の征服者ではなく 自然共同体の一員として生きる
● 自然経済学・・・・・・・人間の利己的な欲望を制御する学問 節約 『足るを知る』
〇 豊かさを測る指標 < G P I : Genuine Progress Indicator> と G D P (国内総生産)
● G P I =G D Pー市場を経由するマイナス要因+市場を経由しないプラス要因
犯罪 事故 環境汚染 健康被害 家事労働 子育て 奉仕活動
● G D P とは 市場を経由したモノとサーヴィスが生産された金額の合計
● G P I とは 社会の持続性と豊かな暮らしに必要な汚染されていない大気
土壌 海洋 安定した気候 劣化しない自然環境 枯渇しない天然資源を考慮した指標(私達が毎朝運動をして健康だとGDPは上がらないが 体調を崩して病院へ行けばGDPは上がる)
フューチャー500会長、木内孝
上記のことで思い浮かぶことでも書き込み頂ければ幸いです。また、不明点があればおたずね下さい。
<関連サイト>
・NPOフューチャー500日本
http://www.future500japan.org/index2.html
(NPOフューチャー500)木内孝語録より
〇 私達は危機に曝されている
● 数々の戦争は平和も安全も齎さなかった
● 発達した農業は世界の食糧事情を解決しなかった
● 高度な技術は私達に時間的余裕も暇も産まなかった
● 経済学は世界の貧富の格差を解決しなかった
● 富裕層の富は貧困層の生活と無関係の侭だった
● 資源は減り続け 私達を取り巻く情況は危機的と言っても言い過ぎではない
〇 解決策はあるか
● 考えに考え抜いた多くの人達は答を持っている
● 現状は「恐怖」が底辺にある
● 考えに考え抜いた人達の答は「愛」が出発点だ
● 私達は原因の根本を理解せずに 現象のみを見ている
● 「恐怖」は 不足 貪欲 支配 差別 憎悪 暴力 原理主義 分割を産む
● 「愛」は 関係 同情 親切 保護 共有 包括の基だ
〇 自然経済学を提案する
● 自然は枠組み・・・・・自然は人間の活動を支える生命維持システム
● 自然は規範・・・・・・・ 人間は自然の天敵 自然の過程と自然の言葉を学ぶ
● 自然は物差し・・・・・・自然に善いか 悪いかが我々の判断基準
● 自然への畏敬・・・・・自然は無言だが 私達の質問には応えて呉れる
● 自然に対する態度・・自然の征服者ではなく 自然共同体の一員として生きる
● 自然経済学・・・・・・・人間の利己的な欲望を制御する学問 節約 『足るを知る』
〇 豊かさを測る指標 < G P I : Genuine Progress Indicator> と G D P (国内総生産)
● G P I =G D Pー市場を経由するマイナス要因+市場を経由しないプラス要因
犯罪 事故 環境汚染 健康被害 家事労働 子育て 奉仕活動
● G D P とは 市場を経由したモノとサーヴィスが生産された金額の合計
● G P I とは 社会の持続性と豊かな暮らしに必要な汚染されていない大気
土壌 海洋 安定した気候 劣化しない自然環境 枯渇しない天然資源を考慮した指標(私達が毎朝運動をして健康だとGDPは上がらないが 体調を崩して病院へ行けばGDPは上がる)
フューチャー500会長、木内孝
上記のことで思い浮かぶことでも書き込み頂ければ幸いです。また、不明点があればおたずね下さい。
<関連サイト>
・NPOフューチャー500日本
http://www.future500japan.org/index2.html