真心込めた仕事は「心の利益」を得られる
2007年10月19日
真心込めた仕事は「心の利益」を得られる
~無事は有事のごとく、有事は無事ごとく~
日々の仕事は、自分の思いだけでは動かないことが多々有ります。今日も、予定外の電話、スケジュールにない打ち合わせ、日々工夫と師が良く言いますが、仕事中に考え、学ぶことことの多さを感じます。
さて、維新の英雄と言えば、九州の誇り「西郷隆盛」が居ます。明治6年に国の役を離れた後、維新戦争の時に敵として戦った庄内藩の元藩士が、西郷隆盛に「生き方」学びに、薩摩に出向き記したのが「西郷南州遺訓」で、今でも広く読まれています。その一節に「仕事」についての訓話がありました。一部を紹介します。
「至誠」~西郷南州遺訓より~
人の為す仕事にあって、天下後世まで人々に厚く敬崇され、感動をいつまでも与えられるのは、ただ一つの条件を満たした仕事なのです。
すなわち、為した人の純粋な真心が込められているか否か、です。
為し遂げた仕事によって財を得たいとか名声を得たいとか、そんな俗な私利私欲をわずかでも持たない。ただひたすら、その仕事を「天から与えられた使命」と信じて、世間的な損得を度外視して、こつこつ努力をする。
そうした結果こそが、あらゆる人々の心の共感を呼び、尊敬を受けるのです。(中略)
実際には、一文の金を生まぬような仕事であったとしてもそこに誠心誠意の真心があったならば、それだけで人々は大きな感動を得るのです。カネに替えられぬ゛心の利益゛を得られるのです。(中略)
真理を尽いた言葉は、いつの時代も人の心を捉えると感じます。西郷隆盛は、儒学から、陽明学に傾斜し、更に色々な分野の学問、宗教を学び、「大吾(悟り)」したのではないかと思います。
陽明学の祖、王陽明は、辺境地に左遷され、生きるか死ぬかの環境でも、自分自身は学問を深め、辺境地の人々へ教え続けました。吉田松陰は、居る場所を楽園のように学び合いをして、生きる喜びを周りに人へ伝えたと知りました。
学びあうことの楽しさが在れば、仕事の真剣みが出てくるものと思います。王陽明は、日々の仕事の中で、自分を高めることができる「事上磨練」と言う考えに至ります。西郷隆盛も、日常の仕事に真心を込めることを強く示唆しています。
「カネに替えられぬ゛心の利益゛を得られる」
すばらしい理念と思いますが、一般の人々は様々な欲としがらみの中で、私も含めそこまでの境地には至りません。
これから、南州公の訓示を常に唱えながら、少しでも近づけるように、日々の行動を反省しつつ、常に心を込めて生活をしたいものです。南州公の「至誠」の項の締め言葉が有ります。
「厚き誠心誠意の心をもって、仕事に対する純粋な真心を源にして、そうして為し遂げた仕事こそが、人々に何時いつまでも語り継がれる仕事なのである」
この言動一致こそが、「知行合一」の理念と思います。心と身体(行動)が一致するが「大吾」なのかもしれません。現代人には、大分道のりは遠く、行き着くことの出来ない領域のように思います。生きるとは、苦学の道なのかもしれません。
~無事は有事のごとく、有事は無事ごとく~
日々の仕事は、自分の思いだけでは動かないことが多々有ります。今日も、予定外の電話、スケジュールにない打ち合わせ、日々工夫と師が良く言いますが、仕事中に考え、学ぶことことの多さを感じます。
さて、維新の英雄と言えば、九州の誇り「西郷隆盛」が居ます。明治6年に国の役を離れた後、維新戦争の時に敵として戦った庄内藩の元藩士が、西郷隆盛に「生き方」学びに、薩摩に出向き記したのが「西郷南州遺訓」で、今でも広く読まれています。その一節に「仕事」についての訓話がありました。一部を紹介します。
「至誠」~西郷南州遺訓より~
人の為す仕事にあって、天下後世まで人々に厚く敬崇され、感動をいつまでも与えられるのは、ただ一つの条件を満たした仕事なのです。
すなわち、為した人の純粋な真心が込められているか否か、です。
為し遂げた仕事によって財を得たいとか名声を得たいとか、そんな俗な私利私欲をわずかでも持たない。ただひたすら、その仕事を「天から与えられた使命」と信じて、世間的な損得を度外視して、こつこつ努力をする。
そうした結果こそが、あらゆる人々の心の共感を呼び、尊敬を受けるのです。(中略)
実際には、一文の金を生まぬような仕事であったとしてもそこに誠心誠意の真心があったならば、それだけで人々は大きな感動を得るのです。カネに替えられぬ゛心の利益゛を得られるのです。(中略)
真理を尽いた言葉は、いつの時代も人の心を捉えると感じます。西郷隆盛は、儒学から、陽明学に傾斜し、更に色々な分野の学問、宗教を学び、「大吾(悟り)」したのではないかと思います。
陽明学の祖、王陽明は、辺境地に左遷され、生きるか死ぬかの環境でも、自分自身は学問を深め、辺境地の人々へ教え続けました。吉田松陰は、居る場所を楽園のように学び合いをして、生きる喜びを周りに人へ伝えたと知りました。
学びあうことの楽しさが在れば、仕事の真剣みが出てくるものと思います。王陽明は、日々の仕事の中で、自分を高めることができる「事上磨練」と言う考えに至ります。西郷隆盛も、日常の仕事に真心を込めることを強く示唆しています。
「カネに替えられぬ゛心の利益゛を得られる」
すばらしい理念と思いますが、一般の人々は様々な欲としがらみの中で、私も含めそこまでの境地には至りません。
これから、南州公の訓示を常に唱えながら、少しでも近づけるように、日々の行動を反省しつつ、常に心を込めて生活をしたいものです。南州公の「至誠」の項の締め言葉が有ります。
「厚き誠心誠意の心をもって、仕事に対する純粋な真心を源にして、そうして為し遂げた仕事こそが、人々に何時いつまでも語り継がれる仕事なのである」
この言動一致こそが、「知行合一」の理念と思います。心と身体(行動)が一致するが「大吾」なのかもしれません。現代人には、大分道のりは遠く、行き着くことの出来ない領域のように思います。生きるとは、苦学の道なのかもしれません。
<今朝の名言>さまざまな社会の出来事を非難する人がいます。政府にも、行政にも、さらに職場でも・・・
豊かさとは何かを、自分も地域も社会も含めて、考える一年になる気がする。〜令和6年、龍の年〜
文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。〜田辺聖子著『私の大阪八景』〜
<五十歳から自由な開放感で>『林住期』オマケの人生、だからこそ自由より
<人生はあなたが生きた跡>"壮年老い易く学成り難し"という訓示があります。貴方は、今おいくつですか?
波瀾万丈の展開でなく、普通の人の日常に起きる「小さな」こと描く。〜山田太一〜
豊かさとは何かを、自分も地域も社会も含めて、考える一年になる気がする。〜令和6年、龍の年〜
文化は食い物が無(の)うても出来るんや。しかし文明は食い物が土台や。〜田辺聖子著『私の大阪八景』〜
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Posted by ノグチ(noguchi) at 21:55│Comments(0)
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