「相談」、物事は多方面から検証し、行動に移す。

2007年10月18日

「相談」、物事は多方面から検証し、行動に移す。


 日々、色々な場面で、自分が試されているのではと思うことがあります。こちらの予定がいに入る打合せ、質問している人が自分の考えを整理せずに会いに来た時ほど、対応の困る事があります。

 今日は、深夜遅くまで仕事をし、朝も早く起きたので、少し移動時間にゆとりを持ち、休憩しながら運転を思って家を出たのですが、知人が「早急に相談したいので、少しで良いから話を聞いて欲しい」と電話が有り、熊本の事務所で20分くらいなら良いか思い、OKの返事を出し、急いで向うと既に付かれていました。

 はじめは、不動産、建築等の相談だったのですが、本題の「商品開発、特許取得、販売網の構築、・・・」と話しはでるのですが、行きつ戻りつ内容が定まらないのです。次の予定は気になるし、聞いていたのですが、なにか焦っているのか・・・、

 そこで、「目的は何ですか?」の言葉にハッとしたのか、「国の事業を共同でやりませんか?」、私は「私は建築の設計はしますが、商品開発や販売システムづくりはやりません。他の窓口を紹介しますので、相談ください。ただし、もっと自分の考えや、今後のビジネスの目的をしっかりまとめて話される事を進めます。」と言いました。
 それでも、まだ話がしたいようで、なかなか腰を上げてくれません。再度、相手の考えを整理をする手伝いの聞き役を、結局1時間近く付き合いました。本人は満足して返られましたが、私は約束に時間に遅れ、最後までスケジュール通りに進まなかった日でした。

 でも、収獲はあるもので、今日は5人の話を聞いたのですが、自分の考えを基にした、発見がありました。私情を脇に置き、人の話を聞くことは自分の考えを整理することになると気付かされました。
 菜根譚から、一説を紹介します。

「自覚力は珠玉、意志力は名剣」(菜根譚)

 私情や私欲にうち勝つには、いち早くそれを自覚しなければ困難だという説がある。また、せっかく自覚しても意志が弱かったら克服できないという説もある。
 思うに、自覚する能力は魔物を照らし出す珠玉であり、やりとげようとする意志力は魔物を切り捨てる名剣である。二つとも、なくてはならないものだ。

(解説)
 これは私情や私欲を克服するときだけでなく、むずかしい問題に取り組むさいにもあてはまるであろう。まず問題の所在をよく把握し、その上でねばり強く解決にあたるのである。やみくもに動いても成功は保証されない。
*守屋洋著「新釈 菜根譚」より


 常に物事を多方面から検証して、解決策が見つけ出し行動に移すこと。始めたら成功するまで継続する意志力が必要と思います。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:44Comments(0)マイライフ

著書「成長の限界、人類の選択」が世界へ警告

2007年10月18日

著書「成長の限界、人類の選択」が世界へ警告

■NY原油、初の89ドル台乗せ=連日最高値を更新 (時事通信社 - 10月18日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=318752&media_id=4
>【ニューヨーク17日時事】17日午前のニューヨーク商業取引所(NYMEX)の原油先物相場は、中東情勢緊迫化に伴う供給不安を背景に続伸し、米国産標準油種WTIの中心限月11月物は一時、史上初めて1バレル=89ドルちょうどまで上げ、前日記録した取引時間中の史上最高値(88.20ドル)を更新した。

■ガソリン卸値、5円強引き上げへ=店頭価格、140円台後半濃厚に-新日石(時事通信社 - 10月17日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=318334&media_id=4
>新日本石油の渡文明会長は17日、石油連盟会長としての定例会見で、原油の急騰が主因。これを受け新日石の11月のガソリン卸値は、5円以上引き上げられる見込み。ガソリン店頭価格は来月以降、最高値145.4円を超え、140円台後半から150円に近づく可能性が濃厚になった。


 今月初めに、ゴア氏の「不都合の真実」翻訳した枝廣淳子氏の講演を聞き、枝廣氏が翻訳した、世界の科学者が地球の今後を予見した書「成長の限界、人類の選択」の分厚い本を読み始めました。

 この本は、下記の未来のシュミレーションを説いています。

1.地球環境の危機を招くさまざな「行き過ぎ」の構造的な原因を考える。
2.人口と経済にとっての限界―「何もしなかった場合」にどうなるか。
3.私たちはオゾン層破壊に対して、いかに引き返したか。
4.「何もしなかった場合」に「市場」と「技術」の対応力での未来を見る。
5.市場と技術に加えて、世界の子どもの数と物質消費量に「足るを知る」ようになったとき、どうなるかを見る。

 この本は、1972年に「成長の限界」、1992年に「限界を超えて」につづき、2005年3月に出版されたもので、大きな反響を起こしています。

 人々の生活は、地球の浄化許容範囲を1980年代に越え、増加し続けています。北欧の国では、1980年以前の生活に返らないと、温暖化は止まらないとして、CO2を限りなくゼロへ近づける政策を打ち出す国が出始めています。
 石油の高騰は、次世代エネルギーへの転換を大きく促すことになるように思います。

 ただ、投機目的の「我利我利の欲望追求」の行き過ぎで、本当に必要な後進国に届かなくなることが心配です。現在の医療分野で、石油無しに運営が出来なくなっていることが多々あるので、国連が主導して石油価格の安定をさせることが必要と思います。

 ドルが戦費拡大等で、相当市場へ投入されているようで、ドルの金余り状況も要因にあるとも言われます。ドルの信頼低下と、投資資金の拡大が皮肉な形で、世界経済に悪い影響を与える事は、問題と思います。

 話は変わりますが、世界の富豪200人の資産の3%を拠出すれば、極貧で栄養状況の悪い世界人口の2割近い人々が、命の危険な状況が回避できると言われています。
 目先の利益に走る投機家は、ヘッジファンドを筆頭に、生命の安定を図り、世界経済のバランスを保つ事こそ、経済安定に寄与し、敬慕の対象となると思いますが、いまのような相手のことはおかまいなしに、あらゆる方法で稼ぎ続ける姿勢は、人類崩壊の危機を早めることになると思います。
 
 ある環境問題の冊子に、次の一説が出ていました。

 宇宙で二つの惑星が出会った
 地球ともう一つの惑星の会話が始った
 もう一つの惑星が地球に尋ねた
 「元気か?」
 地球が応えた
 「どうも調子が良くない 人類がいるからね」
 もう一つの惑星が言った
 「心配するな 奴等はもう直ぐ死滅するから」

 この言葉は、薄ら寒い感想ですが、実際今の生活を世界に人々が続けると2025年には、全ての資源が減少に転じます。石油の枯渇の始まるのが最も早いと言われています。それが、今回の投機高騰の要因の一つににもなっています。

 上記のブラック・ジョークが現実にならないためには、人類が学び、考え、行動を起す必要なあります。このままでは、「行き過ぎて崩壊する」シナリオのが現実味を帯びてきます。

 今回の石油高騰を機に、世界の私利私欲を捨てた、知識人・政治家が集まり、世界へ「危機」をアピールして欲しいと願います。

*著書:ドラネ・H・メドゥズ、他著「成長の限界、人類の選択」(ダイヤモンド社)  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:33Comments(0)環境

きびしい状況に陥っても、あきらめないこと

2007年10月18日

きびしい状況に陥っても、あきらめないこと
~一日を思いつくまま、日記にしました~

 昨日の朝、犬の声に目が覚めたのは、薄暗い時間でした。2ヶ月前に来て、静かだったミニチュアダックスが、家族の関わりが理解できたのか、我を出し始め早朝(4時半)の声に妻が、起こされ睡眠不足でだったので、3週間前から私が犬の近くの部屋で寝て、我が家の習慣を調教ですが、やっと習慣が付き始めたのですが、新聞配達に反応したようです。

 さて、今朝は町並み修景事業のデザインを、起きて早々から始め、打ち合わせは続きました。9時過ぎに、CGデザイナーと会い、その後1時間移動して、既設の住宅改修の実測と、工事の打ち合わせを1時間ほどやりました。その打合せ中の一言で、とても身近な関係と解かり、また幕末の志士へに興味がとても似ている事で、意見交換が始まり、あっと言う間に、予定の時間が来て、打ち合わせ終了後、急ぎ熊本市へ移動しました。
 目的は、「横井小楠と肥後の猛婦たち」のシンポジウムへの協賛金(助成金)の贈呈式への出席でした。はじめての参加でしたが、県の文化企画課、県南の市民オペラ等が文化財団から助成金がでる式典でした。
 
 その後、熊本日日新聞へ移動し、「横井小楠と肥後の猛婦たち」のシンポジウムのコーディネーターの方と、シンポジウム実行委員長の師との打ち合わせに同行し、明治・大正期の熊本の女性偉人たちの功績を色々お話を聞くことができました。とても沢山の気付きを頂いた対談だったと思います。
 明治期の国家の重鎮たちと、熊本の指導者たちとの関係や、テーマの女性活動家の話が止め処もなく出てきて、同行した意味はとても多きかった思います。

 今日は、スケジュールがつまり、「時間厳守に間に合わない」状況が生まれたり、予定外のことが有ったりしましたが、諦めないことが大事と思いました。
 熊日訪問後、本業の設計の打ち合わせが2件有あったのですが、全て予定通りに終わり、私の宿題はまだありますが、無事に終えた一日でした。
 先生と別れ、信号待ち中に開いた、小林秀雄氏の「人生の鍛錬」の一節に、次の言葉がありました。

「どんな強い精神力も境遇を必ずしも改変し得ないが、強い精神力が何かのかたちで利用できぬほど絶望的な境遇というものは存在しない・・・・・」(小林秀雄語録より)

要は、どんなきびしい状況に陥っても、「あきらめない」ことだと思いました。
 肥後の猛婦たちシンポは、当日のテーマが、上手く人々へ伝わると良いなと思います。伝える事も日々工夫が大事と思います。

 また、昨日の教育長のお話ではないで、「人は、縁が有って今が在る」と語れました。目指す仕事の中で、色々人との出会いが、私を形成して来たと感じています。何ごとも諦めず、目的達成へ日々工夫が要ると言うことを気付かせてもらいました。
 小林秀雄氏のように「 絶望的な境遇というものは存在しない」と言い切れるように、毎日気持ちを新たにして生きたいと思いました。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:07Comments(0)マイライフ

公私領域の活動に関与する

2007年10月17日

今日の言葉

「ただわれらのみは、公私領域の活動に関与せぬものを閑を楽しむとは言わず、ただ無益な人間と見なす」


【ペリクレスの弔辞 B.C.431】(抜粋)、ギリシャ

 われらの政体は、他国の制度を追従するものでもない。ひとの理想を追うのではなく、ひとをしてわが範を習わしめるものである。その名は、少数者の独占を排し多数者の公平を守ること旨として、民主政治と呼ばれる。わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによって全ての人に平等な発言が認められる。だが一個人が才能の秀でていることがわかれば、無差別なる平等の理を排し世人の認めるその人の才能に応じて、公けの高い地位を授けられる。また例え貧窮に身を起そうとも、ポリスに益をなす力を持つならば、貧しさゆえに道を閉ざされることはない。(中略)

 われらは、素朴なる美を愛し、柔弱に堕することなき知を愛する。我々は、富を行動の礎とするが、いたずらに富を誇らない。また身の貧しさを認めることを恥としないが、貧困を克服する努力を怠ることを深く恥じる。そして己れの家計同様に国の計にもよく心を用い、己の生業に熟練をはげむかたわら、国(地域)の進むべき道に充分な判断をもつように心得る。
 ただわれらのみは、公私領域の活動に関与せぬものを閑を楽しむとは言わず、ただ無益な人間と見なす。(中略)


「感想」
 2400年以上前のギリシャの市民意識も、現代の同じものがあると思います。無関心こそ最大の罪であると・・。
 陽明学の天人合一の哲学は、私心を忘れ公に視点で、物事を考え行動する大切さを、紀元前から東西を問わず、大切にしてきたことと思います。果たして、現代の民主主義はその理念を学んでいるのでしょうか?
 私の母校の校歌に「・・自然の啓示、神の声、青春の夢多きかな・・」とありますが、若者たちの夢が世界に役に立つことを目指すことであることと願うばかりです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:04Comments(0)偉人

多読より「少数精読」の奨め(程伊川)

2007年10月16日

多読より「少数精読」の奨め(程伊川)

 私なりに時間を見つけては、本を開くのですが、最近の傾向は新書を乱読するのでなく、古典や心に残った本を何度も読み返すようになっています。
 年齢を重ねて来ると、先人たちの知恵(言葉)を欲するようになり、新聞記事の故事にハッとして、その原本を探したり、人に聞いたりして、言葉が生まれた背景等も興味対象になっています。

 ここ半年は、三国志の書かれた時代に興味があり、作家の守屋洋氏の文庫本を中心に、三国志に関連本をリサイクルブック店での古書探しが、時間が空いた時の用になりつつあります。
 守屋洋氏の「中国古典 一日一言」の中に、次に一説がありました。

「書は多くを看るを必せず、その約を知らんことを要す」

意味は、必ずしも多く読む必要なない、ポイントをつかむことが肝心だと言うこと。
 
 この言葉を語ったのは、宋代の大学者の程伊川と言う人で、朱子の先生にあたる人で、あるとき門人から学問の方法を問われたとき、「すべからくこれ書を読むべし。」
 そしてさらに、「多くを看てその約を知らざるは書肆(しょし)のみ」と一句をつけた。意味は、本屋のおやじと同じ。
 伊川先生の「少数精読」主義は、今でも一定の効果を持っていると思います。例えば、一冊の古典を読めば先哲の教えや知恵が、現代に読みがえってハッとしたり、なるほどと思うことが沢山あります。
 多忙な現代、心に残る「自分の本」を時間を見つけ、読み返すことも心を取り戻す方法の一つのように思います。読書の秋、思いの一冊を読み込んでみるのも良いとおもいます。

*参考資料:守屋洋著「中国古典 一日一言」
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:03Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

社会活動修行17年、色々な出会いが人生の肥料に 

2007年10月16日

社会活動修行17年、色々な出会いが人生の肥料に 

 地元新聞の数行の催し物の案内「横井小楠先哲と松前重義総長の理念を学ぶ」を読み、ためらいもなく、まったく知らない大教授の私塾の門を叩いたことで、今の私があります。
 17年前、毎月熊本の大きなお寺の本堂での講話は、「今まで聞いたことのない話・・・」ばかりでした。特に、勝海舟の遺作「氷川清話」で読んだとき、

「世の中に怖い人が居る、一人は西郷隆盛、もう一人が横井小楠」

と言わしめた、熊本の幕末の思想家です。明治2年凶刃(暗殺)に遭い、維新の政策実現半ばで、亡くなるのですが、その思想は面々と志士たちの心に以心伝心と広がり、明治の隆盛を作ったと思っています。

 小楠先哲の「大儀を四海に布かんのみ」の言葉を今読み返し考えると、大儀=世界平和ではと考えています。紛争が明治以来絶えない、アジア・アフリカ・中近東は、先進国の利権争奪戦に翻弄されれ、後進国の市民が災いに巻き込まれいます。

 そのことを勉強したくて入った「くまもと地球市民塾」から、17年師の横で催し物や出会いの場で、先輩の言動を学びながら今あるのですが、当時は自分自身と相談する機会でもありました。「自分がどう生きるか」常に考えて来たように思います。

 建築士としての仕事(収入も含め)、地域社会との関わり(ボランティア等)、環境問題への関心と、」興味の赴くままないやって来ました。知人からも「野口は、はたして、私は大丈夫か?」と言われつつも、先人や師の行動を見て、「仕事は何のためにするのか?・・・」と日々問い続けて来たように思います。

 そして人生の転換点の重要なポイントに、先輩方との出会いと言葉がありました。
22歳、27歳、32歳、37歳、42歳、47歳・・・と5年ごとに色々決断がありました。その中でも、22歳の建築専門学校の進学、32歳の独立、42歳の時の妻の大学進学+私の男女共同参画の関東研修が、3大転換点と思います。この3回の決断は、人の誘いであり、機会(チャンス)だったと思います。 

 ここ10年、独自に異業種交流会を主催を1,000名を越える方と出会い、語って来ました。全て、自分では良かったと思うのですが、世間の賛否を気にせず、勉強(肥し)になって来ていると思います。社会勉強の始まりは、数行の新聞案内からですが、家族の変化も含め、色々経験して来ました。でも、全て経験になったと思っています。これは、本で学ぶものでなく、経験として理解するものと思います。

 人生に無駄は無い「全て経験」と先達が訓示していますが、実学の世界は、成功・失敗等を経験し、考え、悩み、時には驕りを抑制させる僻み、中傷等も受け、更にそこで悩み・反省して育つ「心」こそが、自信になると最近思うようになりました。
 私のジーさんは口癖のように、「世の中のためにならないいけいない」と言いつつ、酒を飲んでいたのを思い出します。やはり言葉は、心に残るもので意識の中に常にあります。そこで少しでも、できることを無理をせずに地域活動も含め協働でできたら良いなと思っています。

 色々ご意見を頂けるとありがたいです。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 02:20Comments(0)マイライフ

「既得権益 固定観念 貧弱な将来展望 と 自然経済学」

2007年10月16日

「既得権益 固定観念 貧弱な将来展望 と 自然経済学」
(NPOフューチャー500)木内孝語録より

〇 私達は危機に曝されている
● 数々の戦争は平和も安全も齎さなかった
● 発達した農業は世界の食糧事情を解決しなかった
● 高度な技術は私達に時間的余裕も暇も産まなかった
● 経済学は世界の貧富の格差を解決しなかった
● 富裕層の富は貧困層の生活と無関係の侭だった
● 資源は減り続け 私達を取り巻く情況は危機的と言っても言い過ぎではない

〇 解決策はあるか
● 考えに考え抜いた多くの人達は答を持っている
● 現状は「恐怖」が底辺にある
● 考えに考え抜いた人達の答は「愛」が出発点だ
● 私達は原因の根本を理解せずに 現象のみを見ている
● 「恐怖」は 不足 貪欲 支配 差別 憎悪 暴力 原理主義 分割を産む
● 「愛」は 関係 同情 親切 保護 共有 包括の基だ

〇 自然経済学を提案する
● 自然は枠組み・・・・・自然は人間の活動を支える生命維持システム
● 自然は規範・・・・・・・ 人間は自然の天敵  自然の過程と自然の言葉を学ぶ
● 自然は物差し・・・・・・自然に善いか 悪いかが我々の判断基準
● 自然への畏敬・・・・・自然は無言だが 私達の質問には応えて呉れる
● 自然に対する態度・・自然の征服者ではなく 自然共同体の一員として生きる
● 自然経済学・・・・・・・人間の利己的な欲望を制御する学問 節約 『足るを知る』

〇 豊かさを測る指標 < G P I : Genuine Progress Indicator> と G D P (国内総生産)
● G P I =G D Pー市場を経由するマイナス要因+市場を経由しないプラス要因
犯罪 事故 環境汚染 健康被害 家事労働 子育て 奉仕活動

● G D P とは 市場を経由したモノとサーヴィスが生産された金額の合計
● G P I とは 社会の持続性と豊かな暮らしに必要な汚染されていない大気
土壌 海洋 安定した気候 劣化しない自然環境 枯渇しない天然資源を考慮した指標(私達が毎朝運動をして健康だとGDPは上がらないが 体調を崩して病院へ行けばGDPは上がる)
フューチャー500会長、木内孝

 上記のことで思い浮かぶことでも書き込み頂ければ幸いです。また、不明点があればおたずね下さい。

<関連サイト>
・NPOフューチャー500日本
 http://www.future500japan.org/index2.html
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 01:58Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

第1回まちむら探検隊と、阿蘇神社門前町見学

2007年10月15日



第1回まちむら探検隊と、阿蘇神社門前町見学

 昨日は、朝からキッズサッカー教室をやり、午後は妻と一緒に地道なまちづくりで評判を呼んでいる阿蘇神社門前町商店街「水基巡りの道」を見学しました。夜は、熊本県央地区に3年前にできた5町村が合併した宇城市内の地域の宝探し「まちむら探検隊」の懇親会に参加して、地元の友人知人、県下の地域興しグループのリーダー60名が参加する交流会に参加して熱く語るお話をお聞きする機会でした。充実した1日で、収獲も多い出会いがありました。
 
 阿蘇神社門前町商店街は、先週初めに出かけた大分の豊後高田市の「昭和の街」見学とあわせて、現在取り組む九州の中央に位置する「馬見原の町並み形成事業」の参考にするための回っています。これまで、熊本県山鹿市の歌舞伎小屋「八千代座界隈」、県南の芦北町の取り組みと、白壁の建物復活で町並みを形成しようとする取り組みに注目をしています。

 夜の「まちむら探検隊」の懇親会は、県と地域興し団体一緒になり、旧市町村の名所旧跡を見学し、互いの「宝」を知り、交流を深め、域外へどう繋げていくかを考えるはじめての試みでしたが、県央のリーダー交流につながる良い催しと思いました。
 私は、阿蘇行きで参加できませんでしたが、人と人の出会いこそが「活力」産むのだなと実感させてもらいました。

 「まちむら探検隊」に関わる人と人の出会いに、その地域の活力が生まれると感じさせる、阿蘇行きと夜の懇親会になりました。たまには、地元地域のまちづくりに関心を持つことも大切だと感じました。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞~西郷南州遺訓より~∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
「正道を貫く意地」
 道を正しく行う者にとって大切な心構えの一つは、世間の無責任な評判に左右されない、ということです。
 外から聞こえてくる声は二通りあるものです。
 親身になって忠告やアドバイスと、興味本位や妬みから浴びせる無責任の声であります。じつは、後者の
タイプの声のほうが、世間には圧倒的に多いのです。
 特にいい調子で「ご立派、ご立派」と愛想笑いを浮かべながら、近づいてくるのです。いずれにしろ、そうし
た声に惑わされると、いつの間にか増長の心が芽生えてしまい、ついには道を踏み外してしまいます。
 周りの評判など、道を行うことと何の関係もない。道を正しく行えるかどうかの判断は、天がしてくださる。
何よりも自分自身が納得できるかどうかが問題なのです。
 ――と、本当に道を行えている者ならば確信できます。
 この世において「道を最後まで行う」ことは、それほどまでに難しいのです。周りの声に惑わされて失敗し
たり挫折したりする危険性が、常にあるのです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 15:08Comments(0)まちづくり

法規制重視は、社会を停滞させる。モラル教育の充実を

2007年10月15日

法規制重視は、社会を停滞させる。モラル教育の充実を


■偽装で厳格審査 住宅着工が減
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=311995&media_id=4

>建築確認審査を厳格化することで偽装を防ぐ狙いだったが、建築士や審査機関が新制度に対応し切れず、建築確認に遅れが出るなどの混乱が生じている。


 私も建築士の一人ですが、耐震偽造のついては建築士である前に、人間としてやるべきモラルが問われていると思います。

 事件後、本や雑誌、新聞等色々読み、人と意見をし、私も色々な会合で説明を受けましたが、一級建築士の姉歯被告は、我欲にかられ、生命を守るはずの「家」を砂上の楼閣にして、自分は私腹を肥やした犯罪者と思います。建築士である前に、大罪の張本人と思います。

 そもそも戦後混乱の中で、所謂「掘っ立て小屋」程度から、始まった戦後復興で、個人資産としても、生命の「安全保障」として社会資本の一つとする「家」を、規制・保全する法として建築基準法ができたと思います。建築士は、その「安全確保」を使命として、国が資格を与えた「志士」であると私は誇りを持っています。

 特に一級建築士は、仕事をしながらうける難関の国家試験の一つと言われています。ただ、人間が行う法遵守ですから、その人間自身のモラルが最後問われます。先輩から、「建築を行うには、自分の理念を持つこと」とよく言われました。

 中国故事に「君子は必ずその独りを慎む」とありますが、他人の見ていない所でも、まちがったことをしないように絶えず自分の言動をチェックすることが、「士」と付く職能人に課せられていると思います。

 今日の教育の中心が、知識詰め込み主義で、モラルの育成がなおざりになり、「利、私利、我利、・・・」と経済拡大志向が、国民の末端まで浸透して、利害に関わる事件の多さを思い知らされます。

 前置きが長くなりました。士(師)と付く仕事の基本は、個人を律する力にあると思います。個人のモラルを向上させる教育を充実さ、将来的には許可基準の緩和し、ひいては国民生活の向上につながるような政策を志向して欲しいと思います。
 但し、偽造なる行為をした建築士は、厳罰の処すべきと思います。でもほとんどの建築士は、真面目で堅実な「士」の志をもって行動している思っています。


 最後に、法が多すぎると、人は抜け道を作ります。中国故事に「法は三章のみ」と、漢の皇祖・劉邦が、秦の関中を陥落させ、周辺の豪族を集め説いたとき、歓声が上がったと記されています。始皇帝のがんじがらめの法規制で苦しめらたと学びました。
 モラル教育は、特に家庭教育が大事と思います。原理原則を大事する考えが広まる事が必要と思っています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 14:41Comments(0)建築・都市

悲劇は何かあり過ぎて起こる~自然と人間の共生~

2007年10月14日

悲劇は何かあり過ぎて起こる~自然と人間の共生~

■イノシシ狩りの男性、仲間の散弾で死亡…71歳を逮捕(読売新聞 - 10月13日 21:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=315911&media_id=20

 私の親戚も狩猟会に所属し、山間地の農地にいのししが出没したり、特に実りの秋になると麓に下りて来て、農作物を食い荒らしたり、踏み倒したりして、農家から要請を受けて「いのしし駆除」に出かけていきます。
 もちろん、全員がプロですから、今回のような出来事がないはずですが、何年かに一度は、ドキッとすることに遭遇することがあると言います。今回の誤射は、不運ですが起こるべくして起こった事故のように思います。しかし、不運にも亡くなられた方が出たことはとても残念でしかたありません。ご冥福をお祈り致します。

 最近多くの山の動物が、行き場を無くし、里山から人里に下りてきて、農地を荒らしたり、危険と言うことで駆除されています。これは、人間の開発がもたらした悲劇ではないかと思います。
 今回は、共生してきた人と自然と動物の関係が、開墾が進み関係がくずれて、人間社会へ自然界の動物が領域を越えて入って来ているのだと思います。動物を狭い世界に追い詰めて行き、反発が農地への進入につながっていように思います。
 人間社会と自然界の境界に、衝突が起き、事件や事故が発生しているように思います。

 小林秀雄の言葉を集めた「人生の鍛錬」の一説に、次の言葉があります。

「悲劇とは単なる失敗でもなければ、誤解でもない。それは人間の生きてゆく苦しきみだ。悲劇は、私たちがあたかも進んで悲劇を欲するかのごとく現れるからこそ悲劇なのである」(「感想」19-42)

「人間に何かが足りないから悲劇が起こるのでない、何かがあり過ぎから悲劇が起こるのだ。否定や逃避を好むものは悲劇人たり得ない。何も彼も進んで引受ける生活が悲劇的なのだ」(「悲劇について」19-51)
 
 悲劇を生む構図は、いくつもの出来事(要因)が重なって起こると小林氏は語っています。


 最近、「足るを知る」と言う言葉を善く聞きます。また、「もったいない」と言う言葉は、ワンガリー・マータイ氏によって世界に紹介され広まっています。日本には、「お互い様」と言う言葉もありますが、一昨日亡くなった建築家の黒川紀章氏が最初に示唆した「共生」と言う言葉は、現在当たり前にように使いますが、開発が進行していた時期に語れた言葉で、とても意義深いものがあります。

 今回のいのしし駆除の現場で起きた悲劇の要因の一つに、「人間の開発欲」への自然からのしっぺ返しのようにも思います。都市に住む人々は、なかなか里山などへ足を踏み入れることは無いと思います。かつて人と自然が共に協力し合い、生きて来た長い歴史を検証し、現在の行け行けどんどんの成長経済の行き過ぎを考えることも必要と思います。

 不幸な事件ですが、中山間地では日常起こりうることと思います。多くの人が、この事件をただ不幸を思わず、このような事故が起こらない社会を作ることに関心を持ち続けることが大事と思います。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 12:21Comments(0)環境

父母憲章 (安岡正篤の「一日一言より)

2007年10月13日

父母憲章 (安岡正篤の「一日一言より)

戦後の陽明学者で、歴代総理のご意見番として知られた、安岡正篤先生の色々な場面や書籍での言葉をまとめた、365の講話集「一日一言」から、家庭をテーマにした七ヶ条に感銘を受けました。ご紹介します。


「父母憲章」

1.父母はその子供のおのずからなる敬愛の的であることを本義とする。

2.家庭は人間教育の素地である。子供の正しい特性とよい習慣を養うことが、学校に入れる前の大切な問題である。

3.父母はその子供の為に、学校に限らず、良き師・良き友を択んで、これにつけることを心掛けねばならぬ。

4.父母は随時祖宗の祭りを行い、子供に永遠の生命に参ずることを知らせる心掛けが大切である。

5.父母は物質的・功利的な欲望や成功の話しに過度の関心を示さず、親戚交友の陰口を慎み、淡々として、専ら平和と勤勉の家風を作らねばならなぬ。

6.父母は子供の持つ諸種の能力に注意し、特にその隠れた特質を発見し、啓発すろことに努めねばならぬ。

7.人生万事、喜怒哀楽の中に存する。父母は常に家庭に在って最も感情の陶冶(とうや)を重んぜなばならぬ。


(感想)
 最近、少年犯罪の凶悪化と多発が報じられる中で、上記の父母憲章が現代の家庭に必要なのではと思い出しました。
 親の姿勢が家庭の真髄であると、安岡先生の言葉に、感銘を受けます。子供の教育の基本、習慣の基本は、家庭での話題や習慣によると色々な家族を見て感じることがあります。

「あの家の子か・・・」「何々さんところの子供だから・・・」

反対に聞く言葉が

「さすがに、○○さんの子供」「お父さん、お母さんが厳しいから、子供もしっかりしている」

と話題に上ります。人間教育の素地は、正しい特性とよい習慣を養うことが家庭の最も大切なことのように思います。

 私もこの言葉を心に留めて、家族と言うことを考える一日にしたいと思います  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:45Comments(0)教育問題

30年後の大同窓会と「教師憲章」

2007年10月13日

30年後の大同窓会と「教師憲章」

 熊本は、高校の出身校で会話が始まると言われるくらい、高校の存在感が大きいのですが、そのお陰で少子化に伴う、高校再編論議で熊本の教育が地域と教育委員会、保護者と大きく揺れています。

・母校へ恩返し、同窓会幹事と学校への寄付

 9月は毎年、母校熊本県立宇土高校の大同窓会が開催されます。宇土高校同窓会は、戦前の宇土中学以来の同窓生が集まる会で、卒業後30年目の同窓生が幹事を努めることと、幹事の同級生だけで30万円を集め、母校へ寄付する慣習があります。

 昨年が私たちの担当する大同窓会でした。県下高校の音楽指導で知られる岩代先生(NHK大河ドラマ作曲者の岩代太朗氏の叔父)指揮の吹奏楽部演奏のオープニング出始まりました。更に会長の挨拶時には、インターハイ・ボクシングでチャンピオンになった、宇土高3年の林君の表彰を行いました。巷では、ハンカチ王子が有名ですが、母校の高校チャンピオンの挨拶の閉めの言葉は「感謝」でした。

 林君は「1年間休学のハンディを乗り越えて優勝できたのは、監督や先輩のお陰です。私は将来、指導を受けた先生・コーチのような指導者になりたいので先生をめざして勉強します」と気持ちと語った。
 林君の挨拶の素晴らしさが、会場の緊張感を爽やかな空気に変え、こんな高校生が母校で育っていることを、参加の同窓生が誇りに思ったここと感じました。

 宇土高同窓会伝統の「卒業30年後の幹事」と母校へ「30万円寄付」は、何時始まったかは定かでないですが、幹事だけの役でなく、寄付を集めるには、何度となく会合と準備会を開催し、度々顔を合わせます。
 幹事年代は大変なのですが、同窓会を終えて感じることは、30年後に、同級の仲間と「青春」思い出させてもらった言う気がします。毎年の大同窓会は、それぞれの年代で個性的な企画と運営で毎回500人集まる楽しい会になっています。

 幹事世代の次の目標は、50年後に母校へ20万円相当の図書の寄贈です。今後は、それに向けて何年か越しに、絆を確かめる同級会をしながら、楽しく年を重ねて行きたいと思っています。



・「教師憲章」(安岡正篤著「人生の五計」より)

第1章
 教育は職業的・社会的成功を目的とする手段でなくはなく、真の人間を造ることを使命とする。

第2章
 子弟が将来いかなる地位に就いても人から信用せられ、いなかる仕事に当たっても容易に習熟する容易のできておる、そういう人間を造ることが教育の主眼である。

第3章
 将来を担う子弟が、明日の行路を誤たず、信念と勇気をもって進む為に要するものは、単なる知識・理論や技術でなく、人間の歴史・恒久的な原理であり、典型である。

第4章
 教師は漫(みだ)りに人を教える者でなく、まず自ら善く学ぶ者でなければならなぬ。

第5章
 教師は一宗一派の理論や信仰を偏執して、之を子弟に鼓吹してはならない。

第6章
 教師は学校と教壇をなおざりにして、政治的・社会的活動をしてはならない。

第7章
 現代が経験している科学・技術・産業に於ける諸革命と相応する理性的・精神的・道義的革命が達成されねば、この文明は救われない。その「革命への参加」は、教師において、いかなる階級奪権闘争でもなく、もっと内面的霊的な創造でなければならぬ。


(私の感想)
 安岡先生の言葉は、いつも感心するのですが、人間として日常の生業(生活)は昔と変りませんが、時代と言うか人の生きる領域は、大きく変化して来たと思います。
 文中に何度か出てきそうな、先生がよく使われる国家・民族という言葉が、現在では「地球」「生命」「民族」「地域」とかの言い換えられているように思います。
 以前書きました、作家マイケル・クライトンの言葉ではないですが、NHKの特別番組の最後の言葉は、「地球の危機を救える理念は゛LOVE(愛)゛である。」と述べられました。
 言語は違えど、世界共通の人間として「存在意義」は同じと考えています。その人間性を培う素養の基を育てるのが、親・教師の行うべき「教育」だと思います。

 尾崎行雄の言葉ではないですが、今までの人生は全て経験で、これから始まる生活が本番の「人生の本舞台は将来に有り」の意識が、変化が速さを増す現代に生きる人としての「資質」と思っています。

 それと、安岡先生の言葉とは違いますが、多忙な教師として職場環境ですが、他の分野の勉強や市民活動にも積極的参加して、教師自身が色々経験をし、視野を広げ、学ぶ姿勢が大切と思っています。親も教師も日々勉強と思います。
 
 そう言いながらも、教育することの難しさは、今の昔も変らず時々の当事者が考えて来たのだと、歴史書を読みながら思っています。1週間前から、頭に残っていたことを、母校の同窓会の話題(新聞投稿文)と合わせて書きました。

 何か、感想頂ければ幸いです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:42Comments(0)教育問題

国の軍事支援を一人で止めた青年と「学生憲章」

2007年10月13日

国の軍事支援を一人で止めた青年と「学生憲章」

 学生の行動から、色々社会現象が起きていますが、ニート、フリーターと言う、人生の停滞期に享受している青年たちがたくさん居る。
 大学や専門学校へ、何を目的に進学したのか自分自身を振り返る日々は学生時代に無かったのだろうか?
 有名大学の生徒が、合コンと称して人を集め女性に乱暴をしたり、学生生活の経験すべきこととはずれているのではと考えてしまいます。
 
 若者の良心を育てる教育が必要な気がします。


1.大統領の軍事支援を止めた、コスタリカの判決

 ~その判決は、一人の青年の行動から始まりました~

 この文章を読んで、今年の初めに地元紙に紹介された、コスタリカの法科大学の生徒の活動記事を思い出しました。
 コスタリカは、非武装中立を標榜して、平和国家を目指す国とし世界の中で際立っています。イラク戦争を前にして、アメリカ大統領の要望に応える(?)形で、イラク侵攻作戦に財政支援を標榜した。
 これに対して、首都にある法科大学の一人の生徒が、「おかしい」と疑問を持ち、仲間や先生に聞きまわって、遂に最高裁判所へイラク戦争支援は憲法違反と裁判に打って出た。
 当初は、学生にたわごとと捉えていたのですが、学生が指示し、国内の大学の法学者らも指示を表明し始めて、大きな支援の環が広がり、遂に裁判の結果は、大統領は憲法違反と言う判決を出した。
 大統領の決定の「イラク戦争支援」は、憲法違反で中止となった。日本の9条の理念を実行に移したように思います。

 一人の青年の勇気ある行動が、国の過ちを止めた大きな成果を見た。今の日本の学生に、「この志と勇気」があるだろうか?
「何のために学ぶのか」
「何のために学問が必要か」
 日本の親の意識は、金を稼ぐ「労働技術」ばかりを追い求める志向にあり、子供たちもその路線に沿って学んで(志向して)います。
 コスタリカの青年のように、公の為になる「学問」を志してもらいたいものです。


2.学生憲章
 
 ふと、2年前に読んだ「人生の五計」なる本の中の学生憲章と言う規範を安岡先生がまとめられていました。読み方で、誤解を生じそうな部分のあるのですが、素直に読み取ると現代に十分生きた教えとして通用すると思います。ご一読いただきたく思います。

「学生憲章」(安岡正篤著「人生の五計」より)

第1章
 徳性は人間の本性であり、知能、技能は属性であり、慣習は徳性に準ずる。三者相まって人間を大成する。

第2章
 学生はその徳性と養い、良習を体し、知識を修め、技芸を磨くを以って本文とする。

第3章
 人間は鍛錬陶冶によって限りなく発達するが、その本具する諸々の性能は学生時代に成就するものである。古今人類文化に寄与した偉大な発明発見や開悟も、少なからず二十歳代におこなわれている。

第4章
 学生は人間の青春であり、民族の精花である。その品位、態度、教養、行動はおのずからその民族・国家の前途を表示する。

第5章
 講説の師は得安いが、人生の師は逢いがたい。真の師はを得ては、水を注ぎ掃き清める労をも厭うべきではない。

第7章
 国家・民族の運命を決める重大時機の臨んでは、敢然として身を挺し、敬慕する先輩知己と共に、救民・革命の大業に参ずる意気と覚悟を持つことは貴い。

 すこし考えは異なる部分も在るのですが、文章を素直に読み取り、個人の資質向上の目的が良く表されています。
 ただ、国家・民族は、今は地球(世界)、地域、民族と読み替えることが必要と思います。文言の内容はともかく、コスタリカの青年のように、社会の目標をしっかり理解し、勇気を奮い起こし行動に出るような青年を日本から育って欲しいと思います。


(終わりに)
 コスタリカの判決の新聞記事の最後に、青年が言った言葉は、「日本の憲法の第9条を大切にして欲しい。コスタリカでも、この日本の憲法9条の理念の広める」と語っていました。

このこの言葉を発する学生が、日本どれだけいるでしょうか?

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:39Comments(0)平和

未来への提言「マイケル・クライトン」

2007年10月12日

未来への提言「マイケル・クライトン」
  ~恐怖の存在~が問う、地球温暖化の現状

 地球温暖化は、着実に進んでいるのでしょうか?・・の疑問を投げかけた話題の小説「恐怖の存在」の著者が、NHKの特集で思いを語った番組に注目しています。世界の温暖化のシュミレーションは、均質化している。自然の現象は多様で、100年前に今の科学学技術と進歩は想像を遥に越えています。これから100年後の気候を予想できるのでしょうかが、疑問で調査が始まり、約3年を費やして調べ整理されて、小説は書かれています。

世界の気候を100%理解している科学者は居ない。
100年後の環境は、予測できない。
今世紀中に世界人口は、減少に転じる。
100年前は、交通は馬で生活環境を汚していた。
それから100年後の今は、自動車と飛行機が環境汚染を広げています。
100年前には想像できない現代があります。

 そんな不確定な気候変動のシュミレーションに脅され(恐怖)て、莫大な費用を払うよりも、現時点で汚染されている水が原因で1万人が毎年亡くなっています。また、60万人が食料が無く、息も絶え絶えに横たわっています。また、毎年100万人がマラリアで亡くなっています。

 温暖化対策よりももっとやるべき課題は、目の前にあるのに知識人や先進諸国の人日は、二酸化炭素排出量に振り回されています。消え続ける命に手を尽くさないことは、犯罪と同じとクライトン氏が訴えています。でも、温暖化は持続可能な自然環境と社会環境に大きく影響を与えるので、人類の課題の重要項目です。

 これからは、世界の現状を調べ理解して、真実を謙虚に受け止めて、何が必要で、何をしないといけないか、世界の一人ひとりが行動する時だと思います。クライトン氏の世界平和のキーワード(大義)は、゛LOVE゛でした。かつて先人が「隣人を愛せよ」と語りましたが21世紀は、遠い世界の人々に思いを馳せ、地球のことを考えることが私たちの使命のように思います。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

・今の時代を考える「コミュニティ」
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=1217119

・公正で持続可能な社会
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=1236249
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:50Comments(0)環境

持続可能な国づくりへ転換

2007年10月12日

持続可能な国づくりへ転換


ここ数年、スローフード,ロハスなど聞きなれない言葉が出てきますが、これは仏教の用語にある「足るを知る」の現代版と勝手に「自分のペースで好きなことを楽しみ味わう」ことと解釈しています。著書「豊かさの条件」(岩波新書)の中で語られているものに「人の幸せはそれぞれで良い」と受け取れる文が出てきます。
 また、情報技術の発達は、追いつけ追い越せの時代から、情報を日本中から世界から集めて、次の世代のことも含めてじっくり考える時間を与えたようにも思います。


 生活の豊かさは、お金ではなくて生活保障の充実に志向が移り、高度成長と高収入の政策から、低成長でも収入が落ちても生活の充実感を持てる社会作りがこれから求められてくると感じます。ヨーロッパの先進国では、高失業率から有能な若い世代の教育がなおざりにならないように、失業者家庭の子ども達の就学の保証(失業時の学費全額支援)、事業者自身の失業保証の充実と大人の技術習得の支援、更に金融の金利の法規制(最高年利10%程度)等の政策で、国民の生活保障を実現して来ています。


 世界の人口は、21世紀末には100億に迫ると言われます。現在の経済システムでは、地球が後3個必要だそうです。それと世界経済の中心をなす国々は、高齢化が生活保障の大きな危惧して福祉・財政政策の最大の要因としてにわかに注目されて来ました。アジアでも、日本、次に韓国、台湾、そして最大の人口を持つ中国の高齢化は、食料の安全保障と経済のバランスを大きく変える要因にもなっています。


 21世紀は、日本の国民にエネルギーの安全保障と食の安全保障、また今BSE問題でまた注目を集めている命を守る「食の安全」についても、自給率4割弱の日本の農業政策のあり方が問題提起されています。食料とエネルギーの自給率の向上には、化石燃料の輸入大国、加工輸出経済大国からグリーンエネルギー国、生活充実国への政策転換を実現しないと、子ども達の心から「未来のグレーなイメージ」を払拭できないと感じています。


 最後に、今世界では持続可能な社会への転換が叫ばれる中で、気がかりな記事を東北の新聞に見つけました。
 宇沢弘文先生の「社会的共通資本」の考え方の説明がわかりやすいものがあります。
 資本主義と社会主義を超えた21世紀を展望する新しい体制として、宇沢弘文 氏が提唱、集大成に取り組んでいる。


 先月、九州バイオマスシンポジウムで、ドイツの現状報告で「グリーン電力の買い取り価格は、2000年にドイツの政策で1キロワット時24円決定」を知り、買い取り価格の政策決定以後、急速に自然エネルギーが広がり市民の参画が相次いでいるとのことです。国の政策で、こうも違うものかと感じます。

 独占企業である電力会社は、持続可能な次世代社会へ準備や投資をすることなく、企業エゴ丸出しの事業をこれからも続けようとしているように見えます。
 日本も早く持続可能な社会作りへ転換しないと食料もエネルギーも先が見えてこないように思います。こんなことも今の暗いイメージの中にあるように感じています。


「社会的共通資本」とは

 一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能とするような社会的装置を意味する。社会的共通資本は、大気や森林、河川、水などの自然環境、道路や交通機関、上下水道などの社会的インフラ、教育、医療、司法、金融制度などの制度資本で構成される。

 社会的共通資本は、国家の統治機構の一部として管理されたり、利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって専門的見地にもとづき、職業的規範にしたがって管理・運営されなければならない。
           
 以上、引用おわり。(「21世紀社会の構図」 松本誠遍 神戸新聞社企画 文理閣)



・今の時代を考える「コミュニティ」
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=1217119

・公正で持続可能な社会
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=1236249

 *日本の借金時計(毎秒60万円増加中)
  http://www.takarabe-hrj.co.jp/clock/   

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:48Comments(0)環境

天の意志をもはね返す志を持て

2007年10月12日

・天の意志をもはね返す志を持て

(意訳)
天が冷遇して幸福をさずけてくれなければ、わが徳をみがいて幸福をかちとるがよい。

天が苦役を課して肉体を苦しめてくるなら、わが心を楽にして苦痛をいやすがよい。

てんが苦境に突き落として行く手をはばむなら、わが道を守って初志を貫徹するがよい。

これなら、天といえども、どうすることもできない。


(守屋洋先生 注釈)
 もともと天の意志に逆らえないのだが、はね返す策がないでもない。それは他でもない、ガードを固めて付け入る隙間を与えないことだという。

(感想)
 良心に従い、学問をつづけることが大事なのかと思います。苦境に立っても笑顔で頑張っている人を見ると、こちらが励まされてしまします。「おい、がんばって」と応援していながら、こちらが元気をもらう方は、自分と真正面から対峙して、自分を苦境から脱しようと頑張っていると感じます。
 古人の言葉から、苦境にあるときは、学問を深め、スキを見せない心構えが大事なようです。



・心が温かい人は幸せになれる

(意訳)
気候が温暖であれば万物は生育し、寒冷になれば枯死する。
人間についても同じこと、心が冷たい者は幸せに恵まれることが少ない。末長く幸せに恵まれるのは、心の温かい人だ。

(守屋洋先生 注釈)
 温かい心の持ち主は、その温かさによって周りに人を引寄せる。
 一方、心の冷たいひとは、どんなに上辺をとりつくろっても、「あの人は、冷たい人だ」と見すかされてしまう。その結果、人も寄りつかなくなって、人間関係のなかで孤立する。
 この違いが大きいのである。

(感想)
 いつも周りに笑顔の人が居る方は、話をしていて心が穏やかになり、笑みがでてきます。そんな人が、周りに居ると思いますが、なんとなく温かい感じをいただける人と思います。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:47Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

今日、心に残った言葉です。

2007年10月12日

今日、心に残った言葉です。


・古い友人を大事する(意訳、菜根譚より)

 個人的な恩を着せるよりは、正しい意見に味方したい。

 新しい友人を求めるよりは、古い友人を大事にしたい。

 売名行為に走るよりは、目立たぬ貢献を心がけたい。

 奇行を売りものにするよりは、ふだんの行いを慎みたい。


(解説)
 古き友人を大事にすると言う点では、『論語』に、「故旧ハ大故ナケレバ、即チ棄テズ」と言う言葉がある。周代の名補佐役の周公旦がわが子伯禽をいましめた言葉だと言う。また、目立たぬ貢献、ふだんの行いの二つも社会人の基本的なたしなみと言ってよいのではないか。(守屋洋先生)


(感想)
 昔の仲間を大事に、自分の足元のことを最大限できることをして、日常から地域社会ことを考えているが、謙虚に出来ることを続けることが大事なようです。無理や奇行は、慎むことと思います。
 なかなか、続けらることは「志」が高くないと続かず、仲間づくりも含めて、日常の精進が必要だと思った言葉でした。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:45Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

知事多選禁止条例案可決、「巧を成す者は去る」

2007年10月11日

知事多選禁止条例案可決、「巧を成す者は去る」
~<知事多選>「禁止」条例案可決 神奈川県議会の委員会~

 首長の長期政権は、腐敗を招くとよく言われますが、演説の上手さ、政策実績と長くなると存在感を増す替わりに、「巧言令食鮮なし仁」のやからが周りを取り囲むようになります。耳の痛い話が入らなくなると、リーダー自身は謙虚でも重鎮たちが権力を傘に、企業との癒着、中には首長自身が選挙の対策と称し、志を下げて行くのが人間の弱さと思います。
 宮崎県知事しかり、福島県知事の官製談合、贈収賄と末路が決まっています。今回の知事の多選禁止は、全国の首長に警鐘を鳴らすものと思います。Web上の新聞報道から抜粋です。


■神奈川県議会「知事多選禁止条例」可決 (毎日新聞10月10日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=313159&media_id=2

>神奈川県議会の総務企画委員会は10日未明、知事の連続4選を禁じる多選禁止条例案を全会一致で可決した。首長多選の「自粛」ではなく、禁止する条例案の可決は全国で初めて。
>知事選のマニフェストにも掲げた松沢成文知事が昨年12月に提案したが「違憲の疑いがある」などとして賛成少数で否決された。今年5月に総務省の研究会が多選制限を「合憲」とする報告書をまとめたことを受け、9月に再提案された。


 知事自らの提案と議会が一致したことは、県民も合意をしたと言う事と思います。
 多選は、害有って一利なしと思います。長くやれば、実績が残ると言い訳する首長が居ますが、これは驕りを隠す言葉と思います。4年、8年では、成果の上がらないような公約を上げて、選挙に望む人も居ます。でも将来ビジョンも重要ですし、その目標に向け、4年、8年と実施公約「錦の御旗」を必ず掲げて、選挙に出て、政策の評価を、次期選挙で審判を受ける。
 これこそが、リーダーの責務と思います。

 この考えは、どの首長も同じですが、政権が長くなると「権力を利用しようとする不届き者が近寄ります」
 このやからは、気付かないように擦り寄り、弱音を見つけだんだん力をつけて行きます。この原因に、身内の勘違い、支援者が要求者に変化する事も多々有ります。リーダー自身はもとより、親族、スタッフも含め、襟を正して行く事が重要です。

 1期目、2期目の時は、緊張感もあるのですが、対抗馬が歯が立たなくなると、気の緩みが起き、スキがどうしても出てきます。ここが利権たかりの思う壺となります。
 これを起こさせない仕組みとして、「知事・首長の多選禁止条例」が出来たと思います。

 中国の歴史書「史記」に、次の教示が有ります。

「四時の序、巧を成す者は去る」

「四時の序」とは、春夏秋冬が移り変わるとこと。春は春の役割を終えれば夏はその地位を譲り、夏は夏でその役割を終えれば主役の座を秋に譲り渡して、自分の舞台の裏に引っ込む。
 自分の役割を果たし終えたら、いさぎよく舞台から退く。これも人生の作法の一つなのかもしれません。

 スポーツ選手は枠外として、人の生業の中で、リーダーとして最高に輝くのは「正味2年くらい?」ではと、考えたことがります。

・アメリカ大統領の輝く時は、一期目前半くらい?
・日本の自民党総裁の任期は、2年間。

民衆から注目を浴び続け、神経を最高に緊張し続けることは、並大抵のことではないし、日々研鑽をし続けることが出来る人だけ、2年の輝きを、4年、5年と評価を引き摺ることができるのではと、日本の首相の在位を検証して感じたいことがあります。

 リーダーは、未来の方向を示し続ける事、次の人材を育成する事がもっとも大事と思います。
 知事や市長、町長を、5選、6選すると、街の活性化が鈍る事が多々有ります。常に緊張感を持たせるには、首長選挙は重要ですし、選挙中の候補者の政策論議が大事と思っています。
 いまでも地方の首長選挙で、名前連呼しかしない候補を見るに、将来゛たかり゛の対象になりそうな首長と感じることが有り、そんな候補が「不祥事で辞職」を沢山見てきました。
 日本の首長には、夢と方向を社会へ示し、地域が動き始めたら、次のリーダーにまちづくり託して欲しいと思います。

 地位力「地域間競争」は、人材力の豊富さが勝ち残る原動力と思います。これからのリーダーは、身近ら成果を求めなず、次世代の「育成力」に力を注ぐ人が増えて行くと、永続的な活性化現象を保つことが出来ると考えます。
 皆様の地域の、知事、市長、町長、村長の在位は、何期でしょうか?、部下や市民の忠告は、風通し良くトップへ通じているかを、時々検証することが必要と思います。
 いずれ全国の県や自治体の首長が多選禁止になって行けば、汚職も減ると思うのですが、甘いでしょうか?ご意見を頂ければ幸いです。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
<直前日記>
10月09日 法規制重視は、社会を停滞させる。モラル教育の充実を
10月09日 権力の情報統制の怖さ、隠蔽には人命もかまわず
10月08日 夫婦は会話。豊後高田市の昭和まちづくり。
10月07日「成長の限界 人類の選択」枝廣淳子氏講演会参加
10月06日「現代の戦争は、娑婆の出来事でない」他、遺訓2編
10月05日 地方の活性化を目指す。地方への移住や滞在を希望する。
10月05日「厳しさと愛」を家族生活の中に加味する
10月04日 理想は求めるもの。灯台に近づきすぎると難破する
10月03日 良識が通る社会を、市民が望むことが重要

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

・心を育てる言葉
 http://mixi.jp/list_bbs.pl?id=1186424&type=bbs
「一攫千金より、本来の命題を目指す」
「位なきを患えず、立つ所以を患えよ(論語)」

・ウィリアム・ジェームズの言葉
「人が失敗する原因は、ひとつしかない。
それは本当の自分にたいする信頼の欠如である。」
      
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 23:13Comments(0)政治問題(地方)

権力の情報統制の怖さ、隠蔽には人命もかまわず

2007年10月10日

権力の情報統制の怖さ、隠蔽には人命もかまわず


■<ミャンマー>警官カメラ持ち去る…長井さん銃撃直後の映像
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=312197&media_id=2

>軍事政権は長井さんの銃撃直前の状況が写ったカメラを押収しながら、意図的に隠匿している疑いが強まった。
>行方が分からなくなっているカメラは、この映像を見ると、治安当局が持ち去ったことが分かる。事実を究明しなければいけない」と憤った


 軍人は、権力の手先と言うことを、実感させられる「長井氏殺害」のニュースは、未だに軍政が厳然と在ると言うことを物語っています。アウンサン・スーチー氏の軟禁も続き、民主化へ移る様子はない。
 先生権力を支持(経済交流)する国が存在することも事実で、中国、ロシアは、うやむや回答の続けています。その2国と関係を持つ、北朝鮮は未だに国民の窮乏解決よりも、権力基盤維持が目的のようです。

 昨日、北朝鮮の金総書記が「もう日本人拉致者は、居ない」と語ったとか、人と人として扱わない、人権無視の発言に怒りを覚えない人は居ないと思います。このことについて、小泉元首相の意見を聞きたいものです。


 今回の長井氏の死去に伴う、専制国家の言論統制の怖さを、改めて知らされた気がします。確かに、日本のように言論の自由(?)が保障されて国では、低俗の誹謗中傷も横行していますが、自由に発言できる権利を充実させることは、社会発展にとての重要であると思います。

 ジャーナリストの志を持ち、民衆の側に経ち「真実」伝え続けることを実践された長井氏の行動を、日本人の誇りに思うことも含め、日本政府の対応が今後の東南アジアの安定にもつながるし、民主化への転換も図れると思います。
 外務省の力量を世界が注目しています。

 人々は、様々な規制中で「平等」は実現していませんが、それぞれの志で挑戦できる環境を整備する事は、大事と思います。世界の国々の人が、自分の人生をかける挑戦を出来る環境が、世界中に実現できる平和が訪れることを願います。
 情報規制を崩すと期待する「インターネット情報網」の整備が広がる事を願っています。世界の情報格差を少しでも解消できるような、日本の支援を望んでいます。
 

*関連(読売新聞)
・長井さんの遺品600点、映像残っておらず手帳も破られる(2007年10月9日)
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071009i101.htm?from=rss
・長井さんの映像取り戻したい…山路社長、血染めのメモ入手(2007年10月4日)
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071004it04.htm

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
<直前日記>
10月08日 夫婦は会話。豊後高田市の昭和まちづくり。
10月07日「成長の限界 人類の選択」枝廣淳子氏講演会参加
10月06日「現代の戦争は、娑婆の出来事でない」他、遺訓2編
10月05日 地方の活性化を目指す。地方への移住や滞在を希望する。
10月05日「厳しさと愛」を家族生活の中に加味する
10月04日 理想は求めるもの。灯台に近づきすぎると難破する
10月03日 良識が通る社会を、市民が望むことが重要
10月03日 自分の利益と社会の利益を一致させる
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:33Comments(0)国際関係

「現代の戦争は、娑婆の出来事でない」他、遺訓2編

2007年10月10日

「現代の戦争は、娑婆の出来事でない」他、遺訓2編

・小林秀雄(批評家) <「人間の鍛錬」より>

 現代の戦争とは、もはや娑婆の出来事ではないのである。恐るべき兵器を前にして、人間はもはやその勇気を試すことも、その意志を鍛えることも不可能だ。爆弾の餌食に英雄も卑怯者もない。戦争という暴力、それはもはや悪でさえない。悪なら善に変わらぬとも限るまい。(「きけわだつみのこえ」17-212)(1949~1950年頃)

(感想)
 太平洋戦争末の原爆投下の5年後に書かれた感想から、「娑婆の出来事でない」。人間も他の生命も、自然も壊滅させる戦火の恐ろしさを感じることばと思います。 



・逃げ道は残しておけ <「菜根譚(さいこんたん)」より>

 有害な人間を排除するにしても、逃げ道だけは残しておかなければならない。逃げ場まで奪ってしまうのは、ネズミの穴をふさいで退路を絶つようなおものだ。
 それでは、大切なものまでかじりつくされてしまう。

(解説)
 『孫子』の兵法にも、「囲ム師ハ必ズカク」とあります。適を包囲するときには、完全包囲は避けて、逃げ道だけは開けておけというのだ。なぜなら、逃げ口のない状況にまで相手を追いつめると、相手も死力をつくして反撃してくるからである。人間関係においても、同じであろう。仮に追い詰めたとしても、逃げ道だけは残してやらなければならない。

(感想)
 逃げ道のない状況を作られれば、戦うしかない。正に心情を察すると、「窮鼠猫を噛む」の状況になると思います。

 数年前、北朝鮮は西側強国の経済制裁包囲網の中で、窮地にあったと思います。そんな中、日本の拉致被害者の解放や、南北首脳会談問うの受け入れなどで、譲歩を引き出す替わりに、原発停止、原油支援、テロ支援国家指定解除へ、舵を切り替えたようにも見えます。国の交渉にも、逃げ道が必要なのだと思うことがあります。

 人間、交渉で相手を追い込み過ぎる限界を気をつけて、競争をすることが大事なように思います。



・光を放つものは暗やみから生まれる <「菜根譚(さいこんたん)」より>

 糞土(ふんど)に生じる汚らわしいうじ虫も、羽化して蝿(ハエ)になれば、白露を飲んで秋風に鳴く。光とは無縁な腐草も、化して蛍となれば、夏の夜に光を放って飛ぶ。
 これで明らかなように、清掃なものは汚物のなかから生じ、光彩を放つものは暗やみのなかから生まれてくるのである。

(解説)
 濁のなかにあっても自分が清でありたいのだという。ただし、清にすぎると人間関係のなかで孤立する恐れがある。孤立は避けながら、濁とはあくまで一線を画したい。ちなみに中国では、蝿はうじ虫から、ホタルは腐草から生じると考えられていた。

(解説)
 以前、郷土の先輩である政治評論家の内田健三氏の講演を聞き、その後の質問で、若い政治家志望の青年が訪ねたそうです。「政治家になるには何をすればいいでしょうか?」の質問に、内田氏は少し間を置き、「人間を好きになりなさい」と答えられたそうです。

 政治は、清濁合わせ持つ事も必要と言う人もいますが、内田氏の訓示と菜根譚の教示は、同じ意味を語っているように思います。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
<直前日記>
10月05 日 地方の活性化を目指す。地方への移住や滞在を希望する。
10月04日 理想は求めるもの。灯台に近づきすぎると難破する
10月03日 良識が通る社会を、市民が望むことが重要
  ~ガンジーの非攻撃的交渉とは何かを考える~
10月02日 自分の利益と社会の利益を一致させる
9月30日 男女参画社会 進展せぬ現実
  ~「妻は家庭」反対が初の過半数 ~
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
・宇土親子論語教室
 毎月第一土曜日 熊本県宇土市中央公民館
 時間 朝10:00~11:30 当日参加可能です。
 問い合わせは、野口まで(aande@lime.ocn.ne.jp) お願いします。

・シンポジウム「横井小楠と肥後の猛婦たち」
「明治以後、婦人の自覚、独立、地位向上のために勇敢にたたかった婦人闘士の多くは熊本出身である」
(大宅壮一「熊本の猛婦たち」『婦人公論』昭和34年2月号)
 日 時  平成19年10月26日(金)13:30~16:30
 場 所  国際交流会館ホール(6階)
 参加費  無料
       <プログラム>  
 特別ゲスト   横井和子(横井家現当主)
 パネリスト   緒方 惇(作家)
         堤 克彦(横井小楠研究家、文学博士)
         中村青史(エッセイスト、文学博士)
         本田節子(作家)
コーディネーター 井上智重(熊本日日新聞編集員)
詳しくは:http://mixi.jp/view_community.pl?id=2085745
問い合わせ先 事務局  aande@lime.ocn.ne.jp
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:32Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他