父母憲章 (安岡正篤の「一日一言より)

2007年10月13日

父母憲章 (安岡正篤の「一日一言より)

戦後の陽明学者で、歴代総理のご意見番として知られた、安岡正篤先生の色々な場面や書籍での言葉をまとめた、365の講話集「一日一言」から、家庭をテーマにした七ヶ条に感銘を受けました。ご紹介します。


「父母憲章」

1.父母はその子供のおのずからなる敬愛の的であることを本義とする。

2.家庭は人間教育の素地である。子供の正しい特性とよい習慣を養うことが、学校に入れる前の大切な問題である。

3.父母はその子供の為に、学校に限らず、良き師・良き友を択んで、これにつけることを心掛けねばならぬ。

4.父母は随時祖宗の祭りを行い、子供に永遠の生命に参ずることを知らせる心掛けが大切である。

5.父母は物質的・功利的な欲望や成功の話しに過度の関心を示さず、親戚交友の陰口を慎み、淡々として、専ら平和と勤勉の家風を作らねばならなぬ。

6.父母は子供の持つ諸種の能力に注意し、特にその隠れた特質を発見し、啓発すろことに努めねばならぬ。

7.人生万事、喜怒哀楽の中に存する。父母は常に家庭に在って最も感情の陶冶(とうや)を重んぜなばならぬ。


(感想)
 最近、少年犯罪の凶悪化と多発が報じられる中で、上記の父母憲章が現代の家庭に必要なのではと思い出しました。
 親の姿勢が家庭の真髄であると、安岡先生の言葉に、感銘を受けます。子供の教育の基本、習慣の基本は、家庭での話題や習慣によると色々な家族を見て感じることがあります。

「あの家の子か・・・」「何々さんところの子供だから・・・」

反対に聞く言葉が

「さすがに、○○さんの子供」「お父さん、お母さんが厳しいから、子供もしっかりしている」

と話題に上ります。人間教育の素地は、正しい特性とよい習慣を養うことが家庭の最も大切なことのように思います。

 私もこの言葉を心に留めて、家族と言うことを考える一日にしたいと思います  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:45Comments(0)教育問題

30年後の大同窓会と「教師憲章」

2007年10月13日

30年後の大同窓会と「教師憲章」

 熊本は、高校の出身校で会話が始まると言われるくらい、高校の存在感が大きいのですが、そのお陰で少子化に伴う、高校再編論議で熊本の教育が地域と教育委員会、保護者と大きく揺れています。

・母校へ恩返し、同窓会幹事と学校への寄付

 9月は毎年、母校熊本県立宇土高校の大同窓会が開催されます。宇土高校同窓会は、戦前の宇土中学以来の同窓生が集まる会で、卒業後30年目の同窓生が幹事を努めることと、幹事の同級生だけで30万円を集め、母校へ寄付する慣習があります。

 昨年が私たちの担当する大同窓会でした。県下高校の音楽指導で知られる岩代先生(NHK大河ドラマ作曲者の岩代太朗氏の叔父)指揮の吹奏楽部演奏のオープニング出始まりました。更に会長の挨拶時には、インターハイ・ボクシングでチャンピオンになった、宇土高3年の林君の表彰を行いました。巷では、ハンカチ王子が有名ですが、母校の高校チャンピオンの挨拶の閉めの言葉は「感謝」でした。

 林君は「1年間休学のハンディを乗り越えて優勝できたのは、監督や先輩のお陰です。私は将来、指導を受けた先生・コーチのような指導者になりたいので先生をめざして勉強します」と気持ちと語った。
 林君の挨拶の素晴らしさが、会場の緊張感を爽やかな空気に変え、こんな高校生が母校で育っていることを、参加の同窓生が誇りに思ったここと感じました。

 宇土高同窓会伝統の「卒業30年後の幹事」と母校へ「30万円寄付」は、何時始まったかは定かでないですが、幹事だけの役でなく、寄付を集めるには、何度となく会合と準備会を開催し、度々顔を合わせます。
 幹事年代は大変なのですが、同窓会を終えて感じることは、30年後に、同級の仲間と「青春」思い出させてもらった言う気がします。毎年の大同窓会は、それぞれの年代で個性的な企画と運営で毎回500人集まる楽しい会になっています。

 幹事世代の次の目標は、50年後に母校へ20万円相当の図書の寄贈です。今後は、それに向けて何年か越しに、絆を確かめる同級会をしながら、楽しく年を重ねて行きたいと思っています。



・「教師憲章」(安岡正篤著「人生の五計」より)

第1章
 教育は職業的・社会的成功を目的とする手段でなくはなく、真の人間を造ることを使命とする。

第2章
 子弟が将来いかなる地位に就いても人から信用せられ、いなかる仕事に当たっても容易に習熟する容易のできておる、そういう人間を造ることが教育の主眼である。

第3章
 将来を担う子弟が、明日の行路を誤たず、信念と勇気をもって進む為に要するものは、単なる知識・理論や技術でなく、人間の歴史・恒久的な原理であり、典型である。

第4章
 教師は漫(みだ)りに人を教える者でなく、まず自ら善く学ぶ者でなければならなぬ。

第5章
 教師は一宗一派の理論や信仰を偏執して、之を子弟に鼓吹してはならない。

第6章
 教師は学校と教壇をなおざりにして、政治的・社会的活動をしてはならない。

第7章
 現代が経験している科学・技術・産業に於ける諸革命と相応する理性的・精神的・道義的革命が達成されねば、この文明は救われない。その「革命への参加」は、教師において、いかなる階級奪権闘争でもなく、もっと内面的霊的な創造でなければならぬ。


(私の感想)
 安岡先生の言葉は、いつも感心するのですが、人間として日常の生業(生活)は昔と変りませんが、時代と言うか人の生きる領域は、大きく変化して来たと思います。
 文中に何度か出てきそうな、先生がよく使われる国家・民族という言葉が、現在では「地球」「生命」「民族」「地域」とかの言い換えられているように思います。
 以前書きました、作家マイケル・クライトンの言葉ではないですが、NHKの特別番組の最後の言葉は、「地球の危機を救える理念は゛LOVE(愛)゛である。」と述べられました。
 言語は違えど、世界共通の人間として「存在意義」は同じと考えています。その人間性を培う素養の基を育てるのが、親・教師の行うべき「教育」だと思います。

 尾崎行雄の言葉ではないですが、今までの人生は全て経験で、これから始まる生活が本番の「人生の本舞台は将来に有り」の意識が、変化が速さを増す現代に生きる人としての「資質」と思っています。

 それと、安岡先生の言葉とは違いますが、多忙な教師として職場環境ですが、他の分野の勉強や市民活動にも積極的参加して、教師自身が色々経験をし、視野を広げ、学ぶ姿勢が大切と思っています。親も教師も日々勉強と思います。
 
 そう言いながらも、教育することの難しさは、今の昔も変らず時々の当事者が考えて来たのだと、歴史書を読みながら思っています。1週間前から、頭に残っていたことを、母校の同窓会の話題(新聞投稿文)と合わせて書きました。

 何か、感想頂ければ幸いです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:42Comments(0)教育問題

国の軍事支援を一人で止めた青年と「学生憲章」

2007年10月13日

国の軍事支援を一人で止めた青年と「学生憲章」

 学生の行動から、色々社会現象が起きていますが、ニート、フリーターと言う、人生の停滞期に享受している青年たちがたくさん居る。
 大学や専門学校へ、何を目的に進学したのか自分自身を振り返る日々は学生時代に無かったのだろうか?
 有名大学の生徒が、合コンと称して人を集め女性に乱暴をしたり、学生生活の経験すべきこととはずれているのではと考えてしまいます。
 
 若者の良心を育てる教育が必要な気がします。


1.大統領の軍事支援を止めた、コスタリカの判決

 ~その判決は、一人の青年の行動から始まりました~

 この文章を読んで、今年の初めに地元紙に紹介された、コスタリカの法科大学の生徒の活動記事を思い出しました。
 コスタリカは、非武装中立を標榜して、平和国家を目指す国とし世界の中で際立っています。イラク戦争を前にして、アメリカ大統領の要望に応える(?)形で、イラク侵攻作戦に財政支援を標榜した。
 これに対して、首都にある法科大学の一人の生徒が、「おかしい」と疑問を持ち、仲間や先生に聞きまわって、遂に最高裁判所へイラク戦争支援は憲法違反と裁判に打って出た。
 当初は、学生にたわごとと捉えていたのですが、学生が指示し、国内の大学の法学者らも指示を表明し始めて、大きな支援の環が広がり、遂に裁判の結果は、大統領は憲法違反と言う判決を出した。
 大統領の決定の「イラク戦争支援」は、憲法違反で中止となった。日本の9条の理念を実行に移したように思います。

 一人の青年の勇気ある行動が、国の過ちを止めた大きな成果を見た。今の日本の学生に、「この志と勇気」があるだろうか?
「何のために学ぶのか」
「何のために学問が必要か」
 日本の親の意識は、金を稼ぐ「労働技術」ばかりを追い求める志向にあり、子供たちもその路線に沿って学んで(志向して)います。
 コスタリカの青年のように、公の為になる「学問」を志してもらいたいものです。


2.学生憲章
 
 ふと、2年前に読んだ「人生の五計」なる本の中の学生憲章と言う規範を安岡先生がまとめられていました。読み方で、誤解を生じそうな部分のあるのですが、素直に読み取ると現代に十分生きた教えとして通用すると思います。ご一読いただきたく思います。

「学生憲章」(安岡正篤著「人生の五計」より)

第1章
 徳性は人間の本性であり、知能、技能は属性であり、慣習は徳性に準ずる。三者相まって人間を大成する。

第2章
 学生はその徳性と養い、良習を体し、知識を修め、技芸を磨くを以って本文とする。

第3章
 人間は鍛錬陶冶によって限りなく発達するが、その本具する諸々の性能は学生時代に成就するものである。古今人類文化に寄与した偉大な発明発見や開悟も、少なからず二十歳代におこなわれている。

第4章
 学生は人間の青春であり、民族の精花である。その品位、態度、教養、行動はおのずからその民族・国家の前途を表示する。

第5章
 講説の師は得安いが、人生の師は逢いがたい。真の師はを得ては、水を注ぎ掃き清める労をも厭うべきではない。

第7章
 国家・民族の運命を決める重大時機の臨んでは、敢然として身を挺し、敬慕する先輩知己と共に、救民・革命の大業に参ずる意気と覚悟を持つことは貴い。

 すこし考えは異なる部分も在るのですが、文章を素直に読み取り、個人の資質向上の目的が良く表されています。
 ただ、国家・民族は、今は地球(世界)、地域、民族と読み替えることが必要と思います。文言の内容はともかく、コスタリカの青年のように、社会の目標をしっかり理解し、勇気を奮い起こし行動に出るような青年を日本から育って欲しいと思います。


(終わりに)
 コスタリカの判決の新聞記事の最後に、青年が言った言葉は、「日本の憲法の第9条を大切にして欲しい。コスタリカでも、この日本の憲法9条の理念の広める」と語っていました。

このこの言葉を発する学生が、日本どれだけいるでしょうか?

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:39Comments(0)平和