時代を読む洞察力と企画力

2007年09月10日

時代を読む洞察力と企画力
~「三国志」、「五輪の書」~

 三国志の一節に、不遇の時代の劉備のことが書かれていました。悩んだ劉備は、司馬徽(しばき)と言う人物から意見を求めます。司馬徽は、

「儒生俗士、あに時務(じむ)を識らんや。時務を識るは、峻傑(しゅんけつ)に在り。この間に、おのずから伏竜(ふくりゅう)、鳳雛(ほうすう)あり。」

と言った。伏竜が諸葛孔明、鳳雛が龐統(ほうとう)、二人の人物を紹介した。この時の劉備が、諸葛孔明を迎えるとき三度足を運びお願いしたことが後の「三顧の礼」と言う歓迎の言葉になったと聞いたことがあります。

この峻傑とは、「時代に対する深い洞察力」、「適切な企画力」を兼ね備えた人物を指しているらしい。これは、現代を生きるための条件でも有ります。

時務:現代はどういう時代なのか、時代の流れをしっかりとつかみ、そのなかで何をなすべきか知っているということ。それができる能力のある人物。
*守屋洋著「中国古典 一日一話」

宮本武蔵も、「五輪の書」の中で、これと同じことを訓示しています。

「物ごとの景気と云う事は我が智力つよければ必ず見ゆる所也。」

(解説)
人の沢山集まる場所へ行きなさい。そして、情報を仕入れなさい。しかし、人から聞く話や、読む新聞や週刊誌や、あるいはテレビその他から仕入れた情報を、他人と同じように受止めていたら、それは駄目ですよ。むしろ、その情報の中に含まれている半歩先、一歩先の変化を読み取らなければ、情報をいくら大量に仕込んでも意味は無い。そこで、情報に対して、あなたがそれを活用できるかどうかの分かれ目だ。同じことを聞いても、同じことを読んでも、違うことを感ずるような情報の処理方法が必要ですよ。(中略)
*童門冬二著「宮本武蔵の人生訓」

何時の世でも、高に能力を持つ人たちと出会い、自分を高める努力を怠らないこと、自分でものごとを考え続けることが重要なことだと思います。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:20Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

日本は凄い、自信を持ちなさい

2007年09月10日

日本は凄い、自信を持ちなさい(石原慎太郎氏の著書から)

 数日前の日記で「知識人とは・・」を書いたのですが、現代の知識人の一人と思っている東京都知事の石原慎太郎氏の著書「生きるという航海」を読みました。
 石原氏がこれまでに書かかれた様々な著書で、人生、価値、歴史、文化、政治、国際情勢、宗教、生きることなどをまとめたものです。

 私は、ここ5年ほど人の生き方や中国古典、昭和の哲人やトインビーをはじめ文明とは何ぞやの疑問から、思いつくままに読んで来ましたが、政治家の石原慎太郎氏ではなく、作家の一人として見るに、学ぶことがたくさんあります。

 歴史・文化・政治・国際関係・健康等、一番は「生き抜く」事への自分を検証する力には、敬服するばかりです。テレビ等が、右派、タカ派とか評されますが、文人(知識人)としての洞察力で語る言葉の一部を取って民衆に訴え視聴率を上げる姿勢には、ほとほと閉口します。テレビのいじめ取材でも似たようなものを感じます。

 一例を上げると、本に書かれていたことなのですが、日本人が明治以降に世界に与えた影響力は、一般の人々が考えても理解できるものでもたくさんあります。

 植民地支配の抵抗と独立維持した明治維新、欧米列強の植民地拡大を終焉させた日清・日露戦争、太平洋戦争の功罪はここでは語りませんが、太平洋戦争後のアジア・アフリカの植民地の独立、日本の経済成長による東アジアの発展、と影響力は計り知れません。日本の情勢いかんで、アジアも世界も推移する時代になりました。特にアジアでの存在は揺るぎ無いものがあります。

 かつて西欧諸国から卑下されていた有色人種の日本人が、先頭切って世界の流れに立ち向かい、遅滞なく世界の中で地位を創り上げて来たことは、壮大なドラマに匹敵するものと思いますし、西欧中心世界から世界連邦へ向かう大きな流れを作ったと感じます。

 石原氏の本の中で、戦争の悲惨さも検証されていますし、憲法論議にも注文をつけていますが、こと日本への熱き思いは心振るわせるものがあります。石原氏は、今の日本人に「日本は凄い、自信を持ちなさい」と何度も訴えているように感じます。

日本の各地方を、元気にして行きたいですね。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:18Comments(0)私の意見

気概が失われる、日本の若者たち

2007年09月10日

気概が失われる、日本の若者たち
~ケネディの要請も拒否するジャーナリスト~

 共同通信配信の記事が地元紙に載った、東大教授の苅部直氏の論文「失われる気概 政治家までが「平穏さ」装う」を読みました。昨年末に実施された高校生の「意欲」に関する日本・米国・中国・韓国の比較の報告を検証したものでした。

~熊本日日新聞、5月15日の記事から~
 ・多少退屈でも平穏な生涯を送りたい
 ・一生懸命頑張っても、必ず報われるとはいえない
という選択肢に、「とてもそう思う」と答えた高校生の割合が、日本はぬきんでている。
 ・偉くなる
については、偉くなりたいと考えない高校生が、日本では過半数を占めた。なまじ出世するとろくなことがないと思っている気配である。
 自由民主政治の確立は、多くの人が生存の心配をせずに生きることができ、だれもが平等な市民の一人として認められる社会を作り出した。しだいに人材が小粒になり、気概に満ち溢れる人に、お目にかかれなくなるのは、程度の差こそあれ、先進諸国が共通して抱える傾向であろう。(以上、本文から抜粋)


 この2日前に、アメリカのジャーナリストの故デービッド・ハルバースタム氏の功績について、早稲田大学客員教授の藤田博司氏の論評が掲載されていました。

~熊本日日新聞、5月13日の記事から~
 1962年にベトナムに(ニューヨークタイムズ誌記者)派遣された。若きハルバースタムが戦場から伝えた戦争の実相は、米軍当局や米政府の楽観的な説明と大きく食い違っていた。
 ハルバースタムの報道を目の敵にしていた米政府は63年、当時のケネディ大統領が彼をベトナム取材から外すように同誌の社首脳に働きかけたが成功しなかった。
 彼を同時代のジャーナリストのなかで際立たせているのは、権力にこびることなく一貫して「真実の追求」を実践してしたことだろう。2005年にコロンビア大学で行った講演で、彼は若いジャーナリストの卵にこう諭した。「有名になろうと思うな、賞を取ろうと思うな」。そして「権力をおそれるな」。(以上、本文から抜粋)

~熊本日日新聞、5月15日の記事から~
 ただ、平等がいち早く進んだはずのアメリカでは、偉くなりたいと思っている高校生がまだ多いし、「やりたいことにいくら困難があっても挑戦してみたい」の割合も高い。


 日本人の「気概なさ」の現状は、ただ闇雲に知識を詰め込み、有名大学に行き、安定志向の職能、職場に付くことだけが尊重される教育観にあるように感じます。ハルバースタム氏の生き方で示した「気概」の基は、゛どう生きるか゛を教える(学ぶ)教育にあるように感じます。

 ハーバード大学では、成績が良い人張りでなく、何かの分野で秀でた学生を何割が入学させて、互いに刺激を与える環境を用意すると聞きます。関西のある小学校では、「おててつないで、かけっこ」の徒競走があると聞きます。平等と言う意味が違うように思います。それぞれの特性を生かせる教育環境こそが、平等と言えると考えます。

 最近の日本の政治かも「穏やかで親しみやすい雰囲気を装った方が支持があつまる」と思っている人もいるようです。ただ、この「気概のなさ」は、程度の差こそあれ、先進国共通の傾向のようです。

 これからの日本に、アメリカ・ジャーナリズムの象徴と言われた故ハルバースタム氏のような、世を思い、独立独歩のリーダーが出ないようになるのは、少しさびしい気がします。教育再生が新聞紙上を賑わす中で、教育の仕組み論議より、「どう生きるか」の教育を重視する教育観を広げて欲しいと思います。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 13:02Comments(0)私の意見

国の軍事支援を一人で止めた青年と「学生憲章」

2007年09月10日

国の軍事支援を一人で止めた青年と「学生憲章」

 学生の行動から、色々社会現象が起きていますが、ニート、フリーターと言う、人生の停滞期に享受している青年たちがたくさん居る。
 大学や専門学校へ、何を目的に進学したのか自分自身を振り返る日々は学生時代に無かったのだろうか?
 有名大学の生徒が、合コンと称して人を集め女性に乱暴をしたり、学生生活の経験すべきこととはずれているのではと考えてしまいます。
 
 若者の良心を育てる教育が必要な気がします。


1.大統領の軍事支援を止めた、コスタリカの判決

 ~その判決は、一人の青年の行動から始まりました~

 この文章を読んで、今年の初めに地元紙に紹介された、コスタリカの法科大学の生徒の活動記事を思い出しました。
 コスタリカは、非武装中立を標榜して、平和国家を目指す国とし世界の中で際立っています。イラク戦争を前にして、アメリカ大統領の要望に応える(?)形で、イラク侵攻作戦に財政支援を標榜した。
 これに対して、首都にある法科大学の一人の生徒が、「おかしい」と疑問を持ち、仲間や先生に聞きまわって、遂に最高裁判所へイラク戦争支援は憲法違反と裁判に打って出た。
 当初は、学生にたわごとと捉えていたのですが、学生が指示し、国内の大学の法学者らも指示を表明し始めて、大きな支援の環が広がり、遂に裁判の結果は、大統領は憲法違反と言う判決を出した。
 大統領の決定の「イラク戦争支援」は、憲法違反で中止となった。日本の9条の理念を実行に移したように思います。

 一人の青年の勇気ある行動が、国の過ちを止めた大きな成果を見た。今の日本の学生に、「この志と勇気」があるだろうか?
「何のために学ぶのか」
「何のために学問が必要か」
 日本の親の意識は、金を稼ぐ「労働技術」ばかりを追い求める志向にあり、子供たちもその路線に沿って学んで(志向して)います。
 コスタリカの青年のように、公の為になる「学問」を志してもらいたいものです。


2.学生憲章
 
 ふと、2年前に読んだ「人生の五計」なる本の中の学生憲章と言う規範を安岡先生がまとめられていました。読み方で、誤解を生じそうな部分のあるのですが、素直に読み取ると現代に十分生きた教えとして通用すると思います。ご一読いただきたく思います。

「学生憲章」(安岡正篤著「人生の五計」より)

第1章
 徳性は人間の本性であり、知能、技能は属性であり、慣習は徳性に準ずる。三者相まって人間を大成する。

第2章
 学生はその徳性と養い、良習を体し、知識を修め、技芸を磨くを以って本文とする。

第3章
 人間は鍛錬陶冶によって限りなく発達するが、その本具する諸々の性能は学生時代に成就するものである。古今人類文化に寄与した偉大な発明発見や開悟も、少なからず二十歳代におこなわれている。

第4章
 学生は人間の青春であり、民族の精花である。その品位、態度、教養、行動はおのずからその民族・国家の前途を表示する。

第5章
 講説の師は得安いが、人生の師は逢いがたい。真の師はを得ては、水を注ぎ掃き清める労をも厭うべきではない。

第7章
 国家・民族の運命を決める重大時機の臨んでは、敢然として身を挺し、敬慕する先輩知己と共に、救民・革命の大業に参ずる意気と覚悟を持つことは貴い。

 すこし考えは異なる部分も在るのですが、文章を素直に読み取り、個人の資質向上の目的が良く表されています。
 ただ、国家・民族は、今は地球(世界)、地域、民族と読み替えることが必要と思います。文言の内容はともかく、コスタリカの青年のように、社会の目標をしっかり理解し、勇気を奮い起こし行動に出るような青年を日本から育って欲しいと思います。


(終わりに)
 コスタリカの判決の新聞記事の最後に、青年が言った言葉は、「日本の憲法の第9条を大切にして欲しい。コスタリカでも、この日本の憲法9条の理念の広める」と語っていました。

このこの言葉を発する学生が、日本どれだけいるでしょうか?


 明日から、地元の市議会の選挙が始まりますが、学生憲章の掲げられるような理念の公約は、全く聞こえず、「○○をお願いします」コールの選挙カーが、賑わう1週間になりそうです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:02Comments(0)平和

「公平で持続可能な社会のまちづくり」政策研究会

2007年09月10日

「公平で持続可能な社会のまちづくり」政策研究会

 今日の日記に書きました、秋から活動を起こす「公正で持続可能な社会づくり」は、自分たちの地域や国を、世界の状況を踏まえ、地球環境保全を最優先にして、環境と経済の両立を目指し、法制度、政策の提言をして行く政策研究会です。活動は、広報を中心に行い、自治体の選挙候補の公約へも盛り込むようアピールして行きます。
 直接自治体にも提言や質問を行い、公正で持続可能な社会へ政策の修正を要望を出し、公の場で議論して行くことが目的です。


「経済面・・」
 環境と経済の両立を目指すと聞くと、不可能と感じるかもしれません。
 先進企業では既に取り組みが進み、アメリカのカーペットメーカー「インターフェース」では、消耗型のカーペット製造を止め、オフィスのタイルカーペットを全てレンタルにして、なんとレンタル事業で1兆円以上の売り上げを上げています。多くの支持が集まっています。

 またあるアイスクリームメーカーでは、少数民族の人たちの栽培する木の実や果物を、買い叩かず、生活のできる価格で買い取り、アイスクリームに使っていて、その活動を指示する市民から高く評価され、売り上げを伸ばしています。この事業姿勢を支持する市民層をロハスと言います。

 LOHAS=Lifestyles of Health and Sustainability
 ロハス (健康と環境を志向するライフスタイル)

 ロハス志向の市民は、アメリカ国民の約28%、日本国民の22%が現に居ると調査結果があり。日本の食糧販売で、ロハス志向の農産物の売り上げは、既に2兆円を越えたと言われます。
 このような企業の紹介、誘致を行って行きます。


「自治体運営・・」
 更に、自治体の運営にも、持続可能な市民参加の経営体への要望を出し、少子高齢化の中で、地方が健全に行き続ける政策を自治体自ら考え出せる人材の育成、市民参画の仕組みなどを提言して行きます。
 自治体予算の配分は、地域経済の後押しになっていますので、地方政府の公共事業・サービスが、環境と経済の両立を目指す社会になるような、予算配分にして行くことが必要です。

 また産業の誘致も環境と経済の両立を目指す企業・研究者を集めることが必要で、情報技術をふんだんに使い、首長・行政官僚、議員、更に市民も協力して、誘致活動を展開し、地域経済の成長へ力を入れることも重要と思っています。

 この政策を20年前から取り組み、成功しているのがアメリカのテネシー州チャタヌーガ市です。市民参加と持続可能社会を目指し、産業を起こし、経済を成長させ、アメリカで一番住みたい街の評価を1995年に受け、世紀末の1999年には、国連から環境と経済を両立させた都市として表彰を受けました。

 この流れを創ったのは、市長のリーダシップと市民の姿勢への参加意識、市議会議員の意識の高さだと思います。市民からまちづくりのアイデアを募集したら、2000以上集まったと言います。

 人口15万人の地方のチャタヌーガ市が、1960年代は大気汚染が酷くアメリカで一番住み難い街だったのに、市民協働の取り組みで40年の時を越えてアメリカで一番住みたい街に変れたのです。

 市民参参加の意識の高さが、選挙も議会も市民の意向を取り入れずには、何も出来ないほど、市民自身が関心を持ち、勉強しています。早く日本もこうなって欲しいなと思います。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:00Comments(0)政治問題(地方)