人が自分に背いたら、何故背いたかを反省し、学びなおすべし。〜昨秋の議会珍事と新聞離れ〜

2017年05月18日

人が自分に背いたら、何故背いたかを反省し、学びなおすべし。〜昨秋の議会珍事と新聞離れ〜

おはようございます。今朝は、朝ウォーキングはお休みです。週に2〜3日は歩かずに、朝読書です。歩き過ぎはも又、膝に良くないので、本日はサボりです。

さて、仲間づくりをしてきたものとして、やはり人が離れていくのは寂しいものですが、離れる時は、それなりの理由があるのだと思います。

昨秋の臨時議会で、新聞ネタになるような珍事を行われました。理由は、市長を押すグループから3名が、半市長グループと組み、さらに一度も組んだことのない政党派とも組む、議長を擁立する動きがわかり、臨時議会の冒頭に、いきなり閉会する手法を取り、市民に内紛を知らしめることを実施しました。

案の定、新聞ネタになり理由は告げないままの記事に、市民からは「また議会が、すったもんだしてる」と指摘された。離れた3人にも何か理由があるのだと、色々調べてみると、古参議員のそこ半年の動きを振り返り、なるほどと気づきます。

何故人が離れていくのか?

離れるには、やはり理由があるものだなと思います。

先人の訓示に「人が自分に背くようなことがあっても、自分は人に背くようなことはすまい」とあります。これ読み替えると「人が自分に背くようなことがあったら、自分が人に背かれるに至った理由を考えて反省し、かつ、自分の学徳を磨く糧(かて)とすべきである」とすると、自分には大きな益となります。

「森羅万象これ皆師なり」

背いた人を仇敵と扱わずに、反面教師として、自らの言動をを反省し、自らを鍛え、仲間と切磋琢磨する言動に勤めていけば、昨秋の議会の珍事も、「民意を受け反省する機会となす」です。

最近、地域を回ると“市民はよく見ているな”と思うことと、ネット社会になり、“新聞離れが進んでいるな”と気付きます。
さらにネット情報が、地域の細かい出来事まで知らせるようになれば、テレビニュースを詳しく解説してきたことと、身近な話題を知るツールだった新聞の存在が薄れてきているように思います。

地方紙が、官報みたいな内容ばかりなら、興味は薄れますます新聞離れが進むように思います。小さなエリアの地方紙が存在していることや市民の配信するプログ等を、県単位で事業を展開する老舗新聞社の記者たちは学ぶべきと思います。何故、新聞離れが進んでいるのか、現場の記者の動きにも少し関係があるように感じます。

来月の定例議会の質問準備中ですが、新聞記者ではないですが、私は現場感覚が大事と、縁ある仲間との議論や情報交換してみると気づくことがたくさんあります。久しぶりに「男女共同参画社会づくり」について、多方面の調査から質問をまとめたいと考えています。他の3つのテーマについても質問します。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 05:47│Comments(0)熊本の出来事
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