「選ばれし者」という発想の大切さ-ノーブレス・オブリージュ-
2010年01月30日
「選ばれし者」という発想の大切さ-ノーブレス・オブリージュ-
以前、首都東京大学総長の西沢潤一氏が著書で、イギリスの教育理念の中で、高貴なる者の社会責任「ノーブレス・オブリージュ」を、著書『私の独創教育』で書かれていました。この考え方は、1800年代初期、フランスの政治家が語ったことが元になっているのですが、日本の企業リーダーの一人、稲森和生氏が、著書で次のように紹介しています。
(本文より)
その倫理観は、まさにイギリス貴族の「ノーブレス・オブリージュ」に通じるものですね。地位が高い者こそ、いざ戦争というときなど危急のときには、国家のために進んで、自己犠牲を払うという精神です。
そのような勇気と覚悟をもっていたからこそ、貴族は人々から尊敬と信頼をかち得たのです。元来、高い地位にある人は、尊敬に値する哲学、価値観をもっていなければならなかったのです。
日本の武士をそうでした。新渡戸稲造が『武士道』で描いたように、自分たちは選ばれた者だという衿持(きんじ)、つまり「農民や商人とは異なり、崇高な使命を担っている」という気概を持ち、そのために武士は自らを律し、自己犠牲も厭わなかった。その気概の延長線上に、利己的な振る舞いを恥とするような価値観や、自らの誇りを守るために命を懸けるというような行動規範が生まれた。
この「選らばれし者として高い倫理観をもって行動する」ということは、資本主義の今後のあり方を考えるうえでも大切なことです。(中略)
(以上、稲森和夫/堺屋太一著「日本の社会戦略」)
この文章の中で、日本の商業の基本とも言える「三方良し」の考え方に通じるものに加え、リーダーの社会奉仕という考え方があると思います。
社会は、リーダーの行動で大きく左右されます。今、鳩山首相、小沢幹事長の金銭疑惑で、国会は大きく揺れていますが、そもそもリーダーの在り様はどんなものか、リーダー自身も、国民もよく理解をしていないという感じを持っています。
ノーブレス・オブリージュ:能力ある者、富める者、地位ある者は、一般庶民より多くの社会的責任が在るこれは、日本にも古来から考え方が在ったと思いますが、アメリカ文明の広がりの中で、自由主義をはき違えた、利己主義(自分さえ良ければ良い)の考えが広がって来た、弊害と思います。
今、日本は先進国中で、貧困率が極端に悪化しています。
日本の奉仕に精神と、イギリスのノーブレス・オブリージュの精神。
日本の武士道と、イギリスのジェントルマンの教育
今こそ、崩れかけた日本精神を、見直す時期に在ると考えています。
リーダーの「責任と奉仕の精神」が、日本の政治家・企業家に問われています。
*参考資料:稲森和夫/堺屋太一著「日本の社会戦略」
以前、首都東京大学総長の西沢潤一氏が著書で、イギリスの教育理念の中で、高貴なる者の社会責任「ノーブレス・オブリージュ」を、著書『私の独創教育』で書かれていました。この考え方は、1800年代初期、フランスの政治家が語ったことが元になっているのですが、日本の企業リーダーの一人、稲森和生氏が、著書で次のように紹介しています。
(本文より)
その倫理観は、まさにイギリス貴族の「ノーブレス・オブリージュ」に通じるものですね。地位が高い者こそ、いざ戦争というときなど危急のときには、国家のために進んで、自己犠牲を払うという精神です。
そのような勇気と覚悟をもっていたからこそ、貴族は人々から尊敬と信頼をかち得たのです。元来、高い地位にある人は、尊敬に値する哲学、価値観をもっていなければならなかったのです。
日本の武士をそうでした。新渡戸稲造が『武士道』で描いたように、自分たちは選ばれた者だという衿持(きんじ)、つまり「農民や商人とは異なり、崇高な使命を担っている」という気概を持ち、そのために武士は自らを律し、自己犠牲も厭わなかった。その気概の延長線上に、利己的な振る舞いを恥とするような価値観や、自らの誇りを守るために命を懸けるというような行動規範が生まれた。
この「選らばれし者として高い倫理観をもって行動する」ということは、資本主義の今後のあり方を考えるうえでも大切なことです。(中略)
(以上、稲森和夫/堺屋太一著「日本の社会戦略」)
この文章の中で、日本の商業の基本とも言える「三方良し」の考え方に通じるものに加え、リーダーの社会奉仕という考え方があると思います。
社会は、リーダーの行動で大きく左右されます。今、鳩山首相、小沢幹事長の金銭疑惑で、国会は大きく揺れていますが、そもそもリーダーの在り様はどんなものか、リーダー自身も、国民もよく理解をしていないという感じを持っています。
ノーブレス・オブリージュ:能力ある者、富める者、地位ある者は、一般庶民より多くの社会的責任が在るこれは、日本にも古来から考え方が在ったと思いますが、アメリカ文明の広がりの中で、自由主義をはき違えた、利己主義(自分さえ良ければ良い)の考えが広がって来た、弊害と思います。
今、日本は先進国中で、貧困率が極端に悪化しています。
日本の奉仕に精神と、イギリスのノーブレス・オブリージュの精神。
日本の武士道と、イギリスのジェントルマンの教育
今こそ、崩れかけた日本精神を、見直す時期に在ると考えています。
リーダーの「責任と奉仕の精神」が、日本の政治家・企業家に問われています。
*参考資料:稲森和夫/堺屋太一著「日本の社会戦略」
熊本「荒瀬ダム撤去へ」、鳩山首相「施政方針演説」
2010年01月30日
熊本「荒瀬ダム撤去へ」、鳩山首相「施政方針演説」
・荒瀬ダム撤去へ
今日は、久々に自宅で新聞をゆっくり読みました。熊本日日新聞の一面は、「県営荒瀬ダム撤去へ」の大見出しで、2年前の川辺川ダム計画白紙の知事方針表明から、熊本県の大きな論争の一つになっていた荒瀬ダム撤去問題は、撤去へ向け財政問題に移ることになります。
国土交通省が、全国で巨大公共工事の中止へ動き始めていますが、決定第一号の国家支援が受けれるかが、今後の課題になると思います。
川辺川ダムに揺れ続けた、人吉・球磨地方の住民、さらには有明海の漁民、国家権力による事業の強権性を、40年以上にわたり続けた紛争・闘争の歴史は、今後の地方分権論に中で、反省の意味も込め、忘れることなく、歴史の教訓として長く語り続ける事が必要と思います。
・施政方針演説を読んで
さて、昨日の鳩山首相の「施政方針演説」の全文をじっくり読みました。意外だったのは、私を指導してもらっている、フューチャー500理事長の木内孝氏が、2年前の講演の中で強調された、マハトマ・ガンジーが指摘した「7つ社会的な罪」でした。ガンジーが亡くなって久しいですが、人類は変わりなくその7つの罪を犯し続けています。
「理念なき政治」
「労働なき富」
「良心なき快楽」
「人格なき教育」
「道徳なき商業」
「人間性なき科学」
「犠牲なく宗教」
これを初めて聞いて2年前でしたが、同じような思いは伝わるのだと感じます。
私の身近な活動の中心していることが、いくつも方針の中に出てきて、政治家だけでなく地方に住む私自身が、行動を起し、周りを巻き込み変える時代に来たと感じます。
その中で国を地方に読み替えても、とてもよい言葉がありました。
「多くの国々の人が、一度でよいから日本を訪ねたい、できることなら暮らしたいと憧れる、愛され、輝きのある国となること。異なる文化を理解し、尊重することを大切にしながら、国際社会から信頼され、国民が日本に生まれたことに誇りを感ずるような文化を育んでいきたいのです」
その文化とは、狭く芸術その他の文化活動だけを指すのでなく、国民生活・行動様式や経済のあり方、さらに価値観を含む概念、とありました。
鳩山首相の施政方針と、首相自身の政治家としての言行が、現国会で論争されると思いますが、真のリーダーを登場させるためにも、この施政方針のベースとなっている、ガンジーの「7つの大罪」の解消のため、選挙あるいは、世論として示し、国民が関心を持ち続ける「関心力」を培って行くことが重要と思います。
「7つの大罪」を改善する最大の力は、国民の関心にあると思います。
現代の政治・教育の行き詰まりは、国民の無関心が原因と思います。
ぜひ、「7つの大罪」を少しでも改善し、世界に望まれる日本のなって欲しいと願っています。
<以前の日記>
・命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也
・「政治家」目立つ仕事より、地道に広がる仕事を継続して行く
・本完成「なかまづくり まちづくり」(異業種交流・地域活動「八十八の実践報告」)
・いかなる政治や政府も、権力者に任せきりでは堕落する
・「四季の会」報告~22世紀人間が存続しているか五分五分~
・(宇土市)市民マニフェスト研究会主催 「マフェストとまちづくり」講演会
・荒瀬ダム撤去へ
今日は、久々に自宅で新聞をゆっくり読みました。熊本日日新聞の一面は、「県営荒瀬ダム撤去へ」の大見出しで、2年前の川辺川ダム計画白紙の知事方針表明から、熊本県の大きな論争の一つになっていた荒瀬ダム撤去問題は、撤去へ向け財政問題に移ることになります。
国土交通省が、全国で巨大公共工事の中止へ動き始めていますが、決定第一号の国家支援が受けれるかが、今後の課題になると思います。
川辺川ダムに揺れ続けた、人吉・球磨地方の住民、さらには有明海の漁民、国家権力による事業の強権性を、40年以上にわたり続けた紛争・闘争の歴史は、今後の地方分権論に中で、反省の意味も込め、忘れることなく、歴史の教訓として長く語り続ける事が必要と思います。
・施政方針演説を読んで
さて、昨日の鳩山首相の「施政方針演説」の全文をじっくり読みました。意外だったのは、私を指導してもらっている、フューチャー500理事長の木内孝氏が、2年前の講演の中で強調された、マハトマ・ガンジーが指摘した「7つ社会的な罪」でした。ガンジーが亡くなって久しいですが、人類は変わりなくその7つの罪を犯し続けています。
「理念なき政治」
「労働なき富」
「良心なき快楽」
「人格なき教育」
「道徳なき商業」
「人間性なき科学」
「犠牲なく宗教」
これを初めて聞いて2年前でしたが、同じような思いは伝わるのだと感じます。
私の身近な活動の中心していることが、いくつも方針の中に出てきて、政治家だけでなく地方に住む私自身が、行動を起し、周りを巻き込み変える時代に来たと感じます。
その中で国を地方に読み替えても、とてもよい言葉がありました。
「多くの国々の人が、一度でよいから日本を訪ねたい、できることなら暮らしたいと憧れる、愛され、輝きのある国となること。異なる文化を理解し、尊重することを大切にしながら、国際社会から信頼され、国民が日本に生まれたことに誇りを感ずるような文化を育んでいきたいのです」
その文化とは、狭く芸術その他の文化活動だけを指すのでなく、国民生活・行動様式や経済のあり方、さらに価値観を含む概念、とありました。
鳩山首相の施政方針と、首相自身の政治家としての言行が、現国会で論争されると思いますが、真のリーダーを登場させるためにも、この施政方針のベースとなっている、ガンジーの「7つの大罪」の解消のため、選挙あるいは、世論として示し、国民が関心を持ち続ける「関心力」を培って行くことが重要と思います。
「7つの大罪」を改善する最大の力は、国民の関心にあると思います。
現代の政治・教育の行き詰まりは、国民の無関心が原因と思います。
ぜひ、「7つの大罪」を少しでも改善し、世界に望まれる日本のなって欲しいと願っています。
<以前の日記>
・命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也
・「政治家」目立つ仕事より、地道に広がる仕事を継続して行く
・本完成「なかまづくり まちづくり」(異業種交流・地域活動「八十八の実践報告」)
・いかなる政治や政府も、権力者に任せきりでは堕落する
・「四季の会」報告~22世紀人間が存続しているか五分五分~
・(宇土市)市民マニフェスト研究会主催 「マフェストとまちづくり」講演会